「素直に感じて、行動したいだけ。」

ファッションデザイナーの鶴田能史さんの力強い言葉に、私は心が動かされました。 鶴田さんは2015年にファッションブランド「tenbo(テンボ)」を立ち上げ、「年齢、国籍、性別、障害の有無問わず誰でも着れる服を世界へ」というコンセプトのもと、着るひとを笑顔にする服を生み出しています。 【写真】様々な服屋ミシンがあるtenboの作業所で立っているつるたたかふみさん 日々、社会には多くの悲しいニュースが流れています。情報を受け取っているだけでは世の中は何も変わらないとわかりつつ、私自身「自分ができることは限られている」と無力に感じてしまうことがあります。 でも鶴田さんは、「デザイナーである自分としてできること」を日々考え、自分の愛するファッションを通して世の中にメッセージを伝えています。 自分にできることをとおして、世の中に変化を生み出していくにはどうしたらいいのか。そのヒントがほしくて、鶴田さんが企画するファッションショーとその舞台裏を取材させていただくことにしました。

ファッションで世界を幸せにしたい

今回私たちが取材させていただいたファッションショーは、ハンセン病をテーマにしたもの。日本には、強制隔離政策によって、ハンセン病患者の方々が自由を奪われてきた過去があります。そのハンセン病の歴史と、「差別・偏見をなくそう」という強いメッセージを、カラフルなファッションで伝える試みです。 ファッションショーでモデルとしてランウェイに立った槙ミヨさんは、ハンセン病回復者の一人。槙さんは、鶴田さんとの出会いがきっかけになり、このショーでモデルデビューを果たしました。 【写真】手を繋いで街道に笑顔で立っているまきさんとつるたたかふみさん。 決して忘れられてはならないハンセン病の長い歴史を、どうファッションで表現するのか。鶴田さんたちtenboにとっても大きなチャレンジです。 そして鶴田さんの活動の根幹には、いつも「ファッションで世界を幸せにしたい」という思いがあるといいます。たった一人のために服を仕立てて、笑顔を引き出す鶴田さんの姿を見ていると、その言葉は「目の前のその人を幸せにするファッション」という意味のようにも感じます。 鶴田さんがこれほどまでにファッションを通した表現に情熱を傾けているのはどうしてなのか。まずはその思いを探っていきたいと思います。

吉祥寺、tenbo事務所へ

本番が近づいた9月末のある日、吉祥寺にあるtenboの事務所に向かいました。 【写真】tenboの事務所の玄関には靴屋スリッパなどが置いてある ポップで個性的なイラストのグッズが飾られた玄関を抜けると、ずらりと衣装が並んでいます。 壁際に飾られているのは、折り鶴を使った大胆な発想のドレス。広島市から寄与された千羽鶴1万羽を使ったこのドレスは、戦争と平和をテーマにしたファッションショーで発表されました。 壁中に東京コレクションで発表する新作のデザイン画が飾られている事務所で、鶴田さんとアシスタントの岩崎幸代さんが私たち編集部を出迎えてくれました。

ファッションは自由で面白いもの

【写真】お互いを見合って微笑んでいるつるたたかふみさんと笑顔のいわさきさちよさん

(左:鶴田能史さん、右:岩崎幸代さん)

幼い頃から絵やデザインに興味があり、将来その世界へ進むかどうか考えていたという鶴田さん。ファッションデザイナーを目指す決定的なきっかけになったのは、高校2年生のとき、バイト先の個性的なファッションをした先輩との出会いだったといいます。

とにかく「普通」じゃない。女の子で、坊主頭に眉毛がなくて、ミニスカートで。田舎ではすっごい目立っていました。全身ギャルソンを着ていて、バイト代を全額服につぎ込んでいるような人で、「なんだこの人は!」って、ものすごい刺激をもらいました。

「ファッションってこんなに自由なんだ!」と気づいた鶴田さんは、そこからファッションに目覚めます。学生服をリメイクしたり、髪の毛を染めたりと、学校にまともに制服を着て登校したことは一度もなかったのだそうです。

自分の持っている個性を、みんなきっと出し切っていいと思うんです。歌が好きな人は、歌で個性を発散しますよね。僕はファッションが好きなので、自分のなかの抑えきれないものをファッションで発散していたんですよ。

ファッションの楽しさに夢中になった鶴田さんは、高校卒業後はファッション専門学校に進み勉強に励みました。でも、就職活動の時期になり、いざデザイナーになるための面接を受けても、まったく受からなかったのだといいます。

絵が上手い人はデザイナーとして就職が決まっていく中、僕は絵が下手だったので、就職先が全然決まらなくて。30社くらい選考に落ちて「僕にデザイナーの才能はないんだ」って思ってしまうくらいだったけど、後には戻れない。誰も助けてくれないし、誰も頼れない。自分を信じて選考を受け続けて、ようやく決まりました。

最終的に就職した先は、アパレルデザインからキーホルダーなどの小物までビジネスになるものは何でも作る会社。入社したものの服を作りたくても作れない。鶴田さんにとっては「究極に辛い経験」だったのだそうです

このために自分は今まで頑張ってきたのかなって。「このまま自分の人生が終わるかもしれない」って考えしかなくて、半年で辞めました。その経験があるので、いろんなところで働いてきたけど、何一つ辛いと思ったことはありません。あれに比べたらどんだけ楽なんだろうって。

結局、最初の職場を半年で辞めた後、偶然にもコシノヒロコでアシスタントとして採用されます。そこは東京コレクションに出展する新作製作を担う一流ファッションの世界。「国内最大級のファッションの祭典」と呼ばれる東京コレクションは、国内の数十ものブランドが新作を発表する場です。国内トップのブランドが集う場のために、ブランドが一大勢力をあげコレクションに望む職場は、上下関係が厳しい環境でした。

新人を雇うような会社ではないから、もちろん僕には居場所がありませんでした。机がなかったので、座れるところに座って、余っているスペースで作業をして。服は作らせてもらえないから、せめて細かい部分をデザインをしてそこだけでも採用されたいなって思ったんですよ。それでいろんなポケットをつくってみたら「ポケット作りのプロ」と呼ばれるようになり、ヒロコ先生に服の一部として採用してもらえるようになりました。「鶴ちゃん、面白いの作って」と言われたら、たくさんのポケットを作って見せて、「これいいね」って褒めてもらえるようになって。

人のためになる服を作りたい

その後子供服のデザイナーを経て、鶴田さんは吉祥寺のファッション専門学校で教鞭をとるようになります。

独立する前から、「世の中にないファッションは何なのか」と考えていたんです。

【写真】真剣にインタビューに応えるつるたたかふみさん 鶴田さんがその考えを抱くようになったきっかけは、10年前に、おばあちゃんの家に帰省した時のこと。アルツハイマーを発症し車椅子に乗り始めたばあちゃんに、コシノヒロコでデザインした服を着てもらおうとしたとき、鶴田さんはあることに気づきます。

上は簡単に着れるけど、車椅子だから下は履くのが難しくて。なので、着せやすくて機能性がある、おしゃれな服があるといいなという思うようになったんです。今は、ファストファッションブランドがたくさんあって、いいデザインの物が安い値段で手に入る時代。そこで唯一無二なものを作り上げたい。でも、利益を追求をするよりも、「作っていて楽しいことを大切にしたい」と思い、行き着いたのが「人のためになる服」でした。

おしゃれで、人のためになるファッション・・・思い描いていたものを、自らの手で作り出そうと決めます。そして2015年にtenboを立ち上げて以来、車椅子に座った時もおしゃれに着やすいコートや、マグネット式のシャツなど、使う人を考えたファッションを届けてきました。 【写真】インタビューに応えるつるたたかふみさん

 

TENBOさん(@tenbo_official)がシェアした投稿

後ろが短くなっているので座っている時も快適なコート。

点字をモチーフにしたシャツとネクタイ。

流行よりメッセージを伝えるtenboのファッションショー

国内のファッションブランドが新作を発表する東京コレクション。来年の春夏に何が流行るか、気になりますよね。しかし、tenboは、ファッションショーの場を流行の発信だけでなく、メッセージを伝える場にしています。 2015年に、「1945」というテーマのもと、戦争と平和を表現するファッションショーを開催し、車椅子の方や、歩行に杖を必要とする方、トランスジェンダーのモデルを起用し話題を集めました。

ファッションは、音楽やスポーツと同じで、世界共通のエンターテイメントの一つです。多くの人に発信する力があるから、その力を使わないと。2015年は戦後70年という節目です。そんなときにファッションデザイナーとして、例えば「ギリシャ」や「光」というテーマは今やるべきなのか?って疑問に思ったんです。

【写真】tenboのファッションショーの様子。モデルにはトランスジェンダーのはままつこうさんも。

【写真】tenboのファッションショーの様子。モデルで車椅子の方もいる。

(写真提供:tenbo)

tenboのショーは「社会の縮図」。障害者も、健常者もいて、高齢の方も、有名人もいれば、車椅子の人もいる。これが「珍しい」と言われる社会に異議を唱えたいです。これが社会のありのままの姿だから。

このショーで手応えを得た鶴田さんは、ファッションが持つ表現の可能性をより強く感じるようになったといいます。 そして、「ずっと考えていた差別や偏見の問題も、ファッションで表現できるはず」と次回のコレクションは人権問題をテーマにすることに決めます。

人権問題が多くある中で、ハンセン病は、何千年も前から世界にあった。今は治る病気とされているのに、未だに差別偏見がなくならない世界共通の問題です。

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるつるたたかふみさん こうして、2016年は、ハンセン病をテーマにしたファッションショーを開催しようと準備に取り掛かりました。 【写真】真剣な様子でミシンで作業をしているいわさきさちよさん

ファッションでモデルの個性が最大限に輝く

鶴田さんはまず、「差別偏見をファッションショーでなくそう」というメッセージに向き合い、共に発信してくれる仲間を集め始めました。 ショーを一緒につくる仲間として、とても重要なのは出演するモデルの存在。一般的なファッションブランドのショーでは、先に服を仕立て、新作コレクションに合うモデルを選びますが、tenboは違います。

tenboは、モデルを見てその人に合う服を作ります。順番が逆というだけではなく、全く意味合いが違うんです。一人のためだけにデザイン画を書いて、採寸して出来上がった服は、サイズも何もかもがぴったり。そうするとモデルの本当にいい笑顔が自然と出てくるんですよ。

「そこに、ファッションの無限大の可能性がある」と語る鶴田さん。

その人の個性が服で最大限に輝く。「服を見てくれ」でははなく、「モデルを見て欲しいというのが、tenboの服作りの根底にあるものです。自分の服を世界に届けたいのではなく、ファッションで世界を幸せにしたいんです。

【写真】少し顔を見上げてインタビューに応えるつるたたかふみさん

「なんでもやりたいことはやったほうがいい」お兄さんの言葉に後押しされ

ファッションショーのちょうど一週間前、私は東京都東村山市にある国立ハンセン病療養所多磨全生園を訪れました。その日は、ショーに出演するモデルの一人、槙ミヨさんの衣装合わせと演出の打ち合わせがありました。槙さんは、ハンセン病のため、10歳の時に神奈川県から多磨全生園へ入所して以来、ここに暮らしています。 「全生園前」というバス停留所で降り、門を抜けて一歩足を踏み入れると、そこは一つの街のように電柱と並木が立つまっすぐな通りが広がり、自然が溢れていました。一角にあるお食事処「なごみ」に、ショーの打ち合わせでtenboのみなさんが集まっていました。

【写真】そうまさんとまきさんが並んで笑顔で歩いている

(左から:想真さん、槙ミヨさん)

鶴田さんによる演出の通り、ダンサーの想真さんと手をつないで歩く槙さん。園内の道路の白線の上で歩く練習をしていたという槙さんは、ターンを華麗に決めました。 【写真】衣装を整えているつるたたかふみさん 鶴田さんが槙さんのためにデザインした、繊細な白いレースのドレス。ファスナーの持ち手は、大きな輪っかで、ハンセン病の後遺症により指が伸ばすことができない槙さんも使いやすい作りになっています。 実は槙さんは、2015年公開のハンセン病をテーマにした映画「あん」で、ハンセン病回復者の登場人物の手の代役を務めています。 槙さんのお兄さんは、「あん」を観に劇場に足を運びました。しかし、槙さんは「手だけで、名前は出さないで」と希望していたため、スクリーンに名前が映し出されることはありません。お兄さんには「顔も何も映ってなくて面白くない」「歳も歳だから、やりたいことは何でもしたらいい」と言われたのだそう。 その後2016年の春、ショーに出演してくれるモデルを探していた鶴田さんは、多磨全生園を訪れます。国立ハンセン病資料館で歴史を学んだあと、お食事処「なごみ」を訪れたときに、「なごみ」を切り盛りする古川美智子さんが、お店の常連だった槙さんを鶴田さんに紹介してくれたのです。槙さんはショーの出演依頼を受け最初は戸惑いましたが、お兄さんの「やりたいことはやったほうがいい」という言葉に後押しされ、ショーに出ることを決めました。 【写真】まきさんの練習姿を笑顔で見守るそうまさんとつるたたかふみさん

ハンセン病、差別と偏見の長い歴史

「ハンセン病」と聞いても、もしかしたら全く馴染みのない方もいるかもしれません。ハンセン病は、細菌の「らい菌」による感染症で、皮膚や神経に症状が出る病気。感染力はとても弱いのですが、症状が進むと身体に変形や後遺症が生じるため、治療薬が生まれる前の古代から患者や家族が偏見や差別の対象となりました。 日本は、明治時代に患者を収容する政策を導入し、家を離れて各地を放浪していた患者たちが収容されることに。1931年には、すべての患者に対する強制隔離が始まりました。これによって、誤った認識、偏見や差別がさらに深まり、治療が可能となった戦後も、新たに法が作られ隔離政策は続きます。 そこで、隔離された患者や回復者の方々は、全国に広がる患者同士のネットワークを作り、治療薬の導入や、強制隔離を定めた「らい予防法」の廃止を求め、少しでも権利や自由を取り戻す努力を重ねます。

【写真】様々な寮の名前が書かれた看板

全生園の一角

「らい予防法」が廃止されたのは今から20年程前の1996年のこと。 全国各地にある療養所の入所者は、一時期、1万人を超えましたが、現在は約1600名。平均年齢は83歳、高齢や後遺症により介護を必要とする人も多いといいます。 槙さんは、ハンセン病だとわかった10歳の時に、家族と離れ全生園に入所しました。全生園での、子供時代や青春の思い出を笑顔で語ってくれる槙さん。しかし、一人の人生が、様々な形で制限されていたことを想像すると胸が締め付けられる思いです。

ハンセン病の歴史を知ると、すんごい嫌な気持ちになる。僕は人が作り出した差別や偏見を、嫌だな、なんとかしたいと素直に感じて、行動したいだけ。

槙さんの人生とハンセン病の歴史を改めて聞き、言葉をもらした鶴田さん。 ショーの開催はもうすぐ。当日に向けてショーの衣装作りは連日連夜続きました。 【写真】ファッションショーで使う服のイラスト 【写真】ものさしとカッターを使って作業している

ファッションショーの舞台裏

1年の準備期間を経て迎えた、ファッションショー当日の10月19日の朝。会場となる表参道ヒルズのスペースオーを訪れると、すでに多くのスタッフが照明やランウェイの熱心な準備をしていました。 【写真】そうまさんのヘアチェックを行うつるたたかふみさん。部屋には様々な人がいる 鶴田さんは、このショーのために集まった多くのメディアの取材を受けつつ、モデルたちの衣装やヘアメイクチェックにあたります。 ファッションショーの舞台裏と言うと、慌ただしいイメージがありますが、予想と打って変わって、控え室は和やかな雰囲気。 【写真】笑顔でヘアセットをしているまきさん そわそわして朝2時に起きてしまったという槙さん。メイクが進むにつれて笑顔を覗かせてくれました。 【写真】笑顔で座っているまきさんとふるかわみちこさん ヘアメイクが完成した槙さんと、全生園の食堂「なごみ」の古川美智子さん。お揃いのネックレスはtenboのアクセサリー。ファッションショー当日の朝、鶴田さんから二人へプレゼントされたもので、軽いコットンパールとゴム製で脱ぎ着がしやすい作りです。 【写真】真剣な表情でステージを確認するつるたたかふみさん ヘアメイクが終了後、会場ではリハーサルがスタート。楽屋での和やかな雰囲気とは一転し、モデルとスタッフたちは、真剣な表情で演出を確認します。 【写真】緊張の面持ちのまきさん 【写真】モデルが演出家の指導を受けている 照明や音響も本番通りのリハーサルで、槙さんは緊張した様子でしたが、一緒にランウェイを歩く想真さんが隣に来て安心したのか、にっこりと笑ってくれました。 【写真】笑顔で手を繋いでいるまきさんとそうまさん 【写真】笑顔のはるなあいさんとまきさん、つるたたかふみさん はるな愛さん、槙さん、鶴田さん 実は槙さんは、指にコンプレックスに感じていました。でも、この日は、ドレスに合わせてデザインされたネイルを他のモデルたちとお互い見せ合い、「かわいい!」と声を掛け合いました。 一方、ランウェイに近い衣装室では、最後まで衣装のチェックが続けられていました。多くのスタッフがこの日を支えています。 【写真】衣装の最終チェックをするスタッフ 【写真】靴の最終チェックをするスタッフ

いよいよショーの幕開け

オープン時間をすぎると、会場はこのショーを楽しみに集まったお客さんでいっぱいになり、ランウェイ前のプレス席には多くのカメラがスタンバイ。 鶴田さんは、モデル一人ひとりの肩に手を置いて、「とびっきりの笑顔でね」と声をかけて元気付けます。 定刻になると舞台袖から鶴田さんが見守るなか、いよいよショーが幕を開けました! ランウェイが暗転し、ハンセン病をテーマにした小説「あん」の原作者であるドリアン助川さんのナレーションによるハンセン病の歴史の朗読が始まります。

【写真】笑顔でランウェイを歩くそうまさん

(モデル:想真さん)

穏やかなピアノの音楽とともに暗闇の中に登場したのは着物姿に下駄を履いて、無邪気な笑顔で笑う少年。そこに突然、ピアノの音が激しくなり、帽子を深くかぶった二人の憲兵が現れ、少年の肩に静かに手を置き共に療養所へと向かいます。

【写真】警察官の服装を着て怖い表情で立っているはらたくまさんとひがのじゅんさん

(モデル:原拓麻さん、日向野純さん、写真はリハーサルより)

1930年代に、日本各地で起こった「無癩県運動」。このとき、それぞれの県が患者を早く療養所に入所させることを競い合い、ハンセン病患者は次々と強制隔離されたのです。 続いて現れたのは、鮮やかなグリーンの衣装をまとった女性。

【写真】ランウェイで微笑んでいるすずきあいさん。衣装には胎児がデザインされている

(モデル:鈴木愛さん)

【写真】スカートを持ってランウェイを歩くにゃんこさん

(モデル:Nyankoさん)

スカートに描かれた穏やかな顔をした胎児のイラスト。 ハンセン病の感染を恐れ、患者に対して堕胎や断種手術が行われていた歴史を、穏やかな音楽と、優しいイラストで表現しています。

(モデル:Sebaさん)

胸の部分に“WHY SHOULD I CHANGE MY NAME?” (どうして名前を変えないといけないのか?)、背中には、”I AM I”(私は私)とプリントされたTシャツを着た男性。離れて暮らす家族が差別されることを心配して、入所した人々が偽名を使った歴史を伝えます。

(モデル:山田義孝さん)

次に登場したのは、ハンセン病の治療薬プロミンをモチーフにしたポップなイラストで描かれたTシャツを着た男性。プロミンは、アメリカで有効だと認められ、日本では、戦後、患者の方たちが治療薬の導入を求めて国に働きかけました。

(モデル:佐藤成二さん)

BGMが軽快な音楽に変わり、”LEPROSY IS GONE”「ハンセン病はなくなった」というメッセージが書かれたTシャツやジャケットを着た男性が。続いて、車椅子に乗った男性がランウェイを進みます。パンツの膝にはポケットがあり、車椅子ユーザが使いやすくデザインされています。紫のシャツはマグネット式で、手に力が入りにくい方でも簡単に着脱ができるのだそう。

(モデル:松田昌美さん)

次に登場した女性、鈴のついた白杖を持ち、ワンピースには、黒地に青いラメの点字がプリントされています。入所者の中には、ハンセン病の後遺症により視覚障害を持った方が多くいたのだといいます。

(モデル:ソン・スンヒョクさん)

黒地に白く、「思いやり」「笑顔」「夢」を表す点字がプリントされたスーツ。これは立体的にプリントがされているので、指で触って読むことができます。

(モデル:井上あずみさん)

次に登場した女性のワンピース描かれているのは、丘の上に立つ少女の絵。槙さんが暮らす多磨全生園には、小さな丘があります。入所者の手によって築かれたその丘は「望郷の丘」と呼ばれ、人々が離れた故郷に想いをはせる場となりました。

(モデル:はるな愛さん)

続いて、故郷の四季を表す花のドレスを身にまとった4人が登場。春はスイートピー、夏は向日葵・・・と、色とりどりの華やかなドレスと花々が溢れるヘッドドレスをつけて歩きます。 丘の上の少女のドレスをきた女性がコーラスとともに歌い始めたのは、多くの人が馴染みがある童謡「ふるさと」。 「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと」 スクリーンには、夕日を見上げる少女の後ろ姿。故郷を離れ療養所に入所した槙さんが、ファッションショーのなかで、生まれ育った故郷へと帰っていきます。 【写真】手を繋いでランウェイを歩くまきさんとそうまさん 四季の花々に見守られ、槙さんが、幼い頃の自分を象徴するモデルと手をつなぎ歩み始めます。 ランウェイの途中、会場の全員が見守る中、槙さんは幼い頃の自分から離れ、一人で前へと進みます。

【写真】ランウェイで笑顔のそうまさんと緊張しているまきさん

(写真提供:tenbo)

プレス席でカメラのフラッシュが一斉に光るなか、立ち止まり静かに一礼。振り返りランウェイをゆっくりと戻る槙さんを、幼い頃の自分が手を差し出して待っています。

【写真】ランウェイを堂々とした表情で歩くまきさん

(写真提供:tenbo)

また四季の花々の元に戻ると、他のモデルたちが再登場し、一斉にランウェイを歩き出しました。

(写真提供:tenbo)

モデルたちがスクリーンの下に集い、「ふるさと」が穏やかに響く中、鶴田さんが、四季の花々が描かれた鮮やかなドレスと、花々が飾られた帽子で登場。大きな拍手の中、颯爽と歩き会場に向かって一礼をしたあと、両手で瞼の下を軽く抑え、槙さんの元へと向かい二人がハグをします。 拍手が鳴り止まない中、全てのモデルが舞台袖に戻り誰もいなくなったステージに、最後のメッセージが映し出されました。

過ちは二度と繰り返してはいけない。治療法が確立された現代では完治する病気なのだから。

ゴールではなく、きっかけづくり

ショーが終わり、もう一度全出演者がステージに集まると、大きな花束とともにバースデーソングが。実は今日、槇さんは83歳の誕生日を迎えるのです。 お客さんの中には、槙さんと全生園で過ごした方や、元職員の姿も。皆さん口を揃えて「ミヨちゃんの顔が輝いていた」と語ってくれました。 【写真】笑顔のまきさんとそうまさん。まきさんはプレゼントされた花束を持っている。 次から次へと槙さんに握手や取材を求める人々が集うなか、感想を求められると「最高です」と満面の笑みで答える槙さん。槙さんの笑顔はひときわ輝き、モデルやスタッフのみなさんの笑顔も溢れていました。

槙さんは、今回の企画に賛同し一緒にこの問題に向き合おうとしてくれました。彼女がランウェイを歩くというのは、ただただファッションショーのモデルとして歩いているのではなく、ハンセン病の歴史や差別や偏見に立ち向かう一歩一歩。

と、ランウェイで鶴田さんは語ります。

難しい問題を難しいものとして発信すると、誰も聞いてくれないですが、「ハンセン病」をこんなにカラフルに表現するとは誰も思いつかなかったことだと思うんです。ファッションを通じて、世界を楽しくオシャレにプロデュースできる。これは、ゴールではなく、きっかけなんです。

【写真】笑顔のつるたたかふみさんとまきさん

今私ができる役割はなにか

【写真】スマートフォンで写真を撮るはるなあいさんとまきさん モデルとして槙さんと共にランウェイを歩いた方々も、それぞれの思いを胸にこのショーに臨んでいました。 タレントのはるな愛さんは、NHKのバリバラファッションショーを通じて鶴田さんと知り合いました。

今、私ができる役割は、参加することによって、ハンセン病への理解を広めていくこと。そして、メッセージを発信すると同時に、槙さんや私たち自身もファッションを通じて変わっていると感じています。私たちマイノリティやいろいろなモデル、みんながそれぞれ「新しい自分」を発見する機会になっていると思いますね。新しい自分に、今日気づかなかったとしても、明日に気づくかもしれません。

【写真】ランウェイで笑顔のまつだまさみさん tenboのファッションショーへは二度目の出演となる松田昌美さんは、視覚障害がありますが、聴力を生かしテープ起こし専門のライターとして活躍されています。 鶴田さんと初めて会ったとき、「視力は弱いけど、おしゃれをして、地面を踏みしめて、外を風を切って歩きたいんです」と答えた松田さん。鶴田さんは「僕と一緒に、今まで開けたことのない扉を開けに行こう」と、tenboのモデルにスカウトしました。 ハンセン病について詳しく知らなかった松田さんは、最初出演を悩んだそう。でも、鶴田さんの「ハンセン病の方に、後遺症で視覚障害を持って苦労された方も多くいる。それをショーで表現できるのは昌江ちゃんしかいない」という言葉で、出演することを決めました。

ハンセン病を伝えるショーですが、私はもっと大きな意味で捉えています。今の私ができる役割は、「障害の有無に関わらず、おしゃれをして外に出て、自分の足で踏みしめて進んでいこうよ」と伝えることです。

tenboのショーは、服だけでは成り立たないもの。モデル一人一人が強い意志を持って参加し、みんなで一つのショーを作り上げていました。

一人ではできないからこそ

tenboの試みに対して、もしかしたら「ファッションで世の中は変わらない」という意見があるかもしれません。でも鶴田さんは、多くのひとを巻き込み協力を得ていくことで、ファッションショーだけでは収まらない、大きなムーブメントを生み出しています。

変えたいという「思い」だけでは変わらないので、まず行動に移す必要がある。「世界を変えるぞ」ってことは誰でも言えることですよね。でも、黙っていたって、見ても聞いてももらえない。自分一人ではできないから、多くの人とつながって、協力してもらっています。

若い世代にファンが多いミュージシャンやタレントたちがショーに出演したことも、きっと鶴田さんの熱い思いに心を動かされたから。

見てくれる人は見てくれるけど、そうじゃない人たちにいかに届けるか、不特定多数の人に届けることにはどうしたらいいかを考えています。『あなたの知名度が欲しい』とお伝えし、その上で出ていただけませんか?とお願いしています。 クラウドファンディングも、メッセージを伝える一つの方法でした。また、東京コレクションは、招待状をチケットとして販売できないので、一般の人はなかなか見にこれません。ただ、資金を募る方法は自由なので、そこに招待状をつけて、もっと多くの人に見に来てもらえるように風穴を開けました。

そして鶴田さんは、ファッションショーだけでなく、次の一手も考えていました。槙さんが暮らす、全生園と併設されているハンセン病資料館へ足を運ぶきっかけ作りのために、資料館での衣装展示までを企画していたのです。 ファッションショーと衣装展示は、メディアに広く働きかけた結果、多くのニュース番組、新聞で取り上げられました。「ファッションでメッセージを伝えたい」という言葉の影には、鶴田さんの地道で懸命な努力がありました。

「その人の笑顔のためにできること」

ファッションショーが終わって数週間経ったある日、再び全生園へ。 【写真】様々な衣装が飾られている 資料館には、ファッションショーの展示コーナーには、訪れた人たちに話しかけて衣装について説明する鶴田さんの姿がありました。 私たちたちは園内にあるお食事処「なごみ」で、お茶をいただきながら、槙さんと鶴田さんに改めてファッションショーの感想を伺いました。 【写真】真剣にインタビューに応えるつるたたかふみさんとまきさん

ファッションショーに出る前、朝起きたら、何にも考えないのに、ボロボロ泣いちゃってね。悲し涙は何回でも、何十回でもしてるよ。他人のことでも泣いてる。だけど、うれし涙は流したことがなかった。嬉しいって言ってあまり泣かないじゃない。「あぁ嬉しいで終わっちゃう。だけどね、83歳になって始めてこういう思いをした。鶴田さんのおかげ。経験も全てまとめて。

槙さんが、何よりも嬉しかったことは他の出演者から「私のおばあちゃんになって!」と言われたことでした。 ファッションショーの当日、舞台裏で出番を待っていると、槙さんの隣に座っていた松田さんが、「槙さん、私の東京のおばあちゃんになって」と一言。すると他の出演者も「僕も、私も」と声をあげたのだそう!緊張しながらランウェイに向かう槙さんを、孫たちみんなが笑顔で「行ってらっしゃい」「楽しんでね」と、声をかけてくれたのだと、嬉しそうに語ります。

元気でいるうちは、そういう人たちに、何か私がしてあげられることは何かなって考えちゃうよね。どういう風にしたらその人が幸せな気持ちになってくれるか、おばあちゃんと知り合ってよかったと思ってくれるかなってことを考えちゃう。

【写真】笑顔でインタビューに応えるまきさん ファッションショーをきっかけに、槙さんと鶴田さん、他のスタッフやモデルたちの、デザイナーとモデルや共演者という枠を超えた関係が生まれたのです。 【写真】笑顔のつるたたかふみさんとまきさんといわさきさちよさん 鶴田さんたちは、槙さんやモデル一人一人のために服を仕立て、槙さんは、ファッションショーをきっかけに出会った人のためにできることを考える・・・それぞれが「その人の笑顔のためにできること」を考えること、そして小さなことから行動していくことの尊さを感じました。

tenboの次回のテーマは貧困・難民

昨年今年と東京コレクションで私たちにメッセージを伝えてきたtenbo。次はどんなことに挑戦していくのでしょう。

tenboはいろんな人と向き合って、モデルと一緒にどんどん成長していきます。 次は貧困・難民と向き合うショーを企画したいです。日本では多くの人が、難民に関して、対岸の火事と捉えていて、海を越えて大量に押し寄せてきた時に初めて直面することになることになるでしょう。ただ、ファッションショーをやってもどこにも発信されなきゃ意味がないので、確かな発信力と全てを踏まえた上でやらないといけないですね。

難民の当事者も、ハンセン病の患者たちがたどった歴史と同じように、誤った認識によって、個人の自由が制限されてきました。人種や、宗教、政治的活動、セクシュアリティを理由に不当に差別され、身の危険を感じ国外へ逃れる。そして、新たな生活と安全を求めてきたとしても、逃れた先でさらに危険にさらされることもあるのです。 特定の人々を、偏見に基づき、差別する歴史は、日本だけではなく、世界中で繰り返されています。tenboがファッションショーで伝えた「過ちは二度と繰り返してはいけない」というメッセージは、ありとあらゆる人権問題に通じるメッセージ。ファッションを通して、ハンセン病の歴史と、力強いメッセージを優しく伝えてくれたtenboは、次回のコレクションでも、tenboらしくメッセージを私たちに届けてくれるはずでしょう。

素直に感じて、行動すること

この世界にある悲しい事実や社会の課題を目の前にしたとき、どうしたらいいか戸惑ってしまうこともあるかもしれません。 でも鶴田さんは、「嫌だな」と感じることから目を背けるのではなくて、「嫌だな」と思う気持ちをファッションを通じてメッセージとして世の中に投げかけました。その行動はたくさんの人々の共感を集めます。 tenboのショーでは、鶴田さんはファッションデザイナーとして、槙さんはモデルとして、ランウェイからハンセン病の歴史を知るきっかけと、「過ちは繰り返してはいけない」という大事なメッセージを伝えてくれました。自分らしい表現が、共感を生み、仲間ができ、少しずつ大きくなっていく・・・私はその姿から、「素直に感じて、行動すること」の大切さを教わりました。 一人ひとりかたちは違っても、きっと誰しもそれぞれの「ランウェイ」があるはず。 そして、それぞれの「ランウェイ」で、自分らしい一歩を踏み出す大切さを、tenboのみなさんが教えてくれているように思えます。 【写真】笑顔で街道に立っているつるたたかふみさんとまきさん、いわさきさちよさん

関連情報: tenboホームページ  国立ハンセン病資料館 ホームページ なごみ ホームページ 参照資料: ハンセン病国賠弁護団 人権侵害とその歴史 公益財団法人日弁連法務研究財団 ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書 国立感染症研究所 ハンセン病

(写真提供・tenbo) (写真・馬場加奈子/映像・柳下雄太、馬場加奈子)