【写真】街道で笑顔で立っているにしべさおりさん

赤ちゃんをお腹に宿し、産むことで、人は母になります。

私も二人の子を持つ母親です。でも、いつも思ってしまいます。産んだけど、もしかしたら産まないという選択肢をとったかもしれない。産めたけど、産めなかったという可能性は十分にあったかもしれない。

それでも、人は、何かを選び、何かに導かれて、この世界にまた新しい命を産み落とします。たとえ自分では産まなくても、そのことはとても尊いことのはずです。

UMU」というサイトを開いたとき、そのシンプルで大きなタイトルに、目が釘付けになりました。初めて読んだ記事は、里親として何人かの子どもたちを育てた経験を持つ女性の物語でした。

ウェブメディア「UMU」は妊娠・出産というテーマを通じて、様々な経験を経て「母親」になった人たちや、ならなかった人たち、そして様々な女性たちの生き方を伝えています。サイトからは、いろいろな形で、命をつなぎ育てていくことを全肯定する、しなやかで圧倒的な明るさがいつも感じられます。

UMUを運営している株式会社「ライフサカス」は、不妊に悩み苦しむ人たちの助けになりたい、という思いで、一人の女性の体験から形作られた会社です。乳がん、そして不妊、という試練をくぐり抜けてライフサカスを立ち上げた西部沙緒里さんに、今回そのスタートアップへの思いを伺うとともに、後半からは共同創業者である黒田朋子さんにも加わっていただき、ライフサカス、そしてUMUが伝えていきたい世界を深く掘り下げて聞いていきました。

頑張ればなんだってできる、充実の人生が崩れたことから始まった。

インタビュアー玉居子泰子(以下、玉居子) :メディア「UMU」を拝見して、ストーリーもさることながら、タイトルやコンセプトがすごくいいな、と思って。実際に子どもを持った人だけじゃなくて、産む人も、産まない人も、妊婦さんも、不妊に向き合う人も、「産む」にまつわる、普通だったら一つひとつのテーマとして取り上げられる人たちを一緒にして捉えての「UMU」というタイトルが画期的で。このコンセプトを考えられたのは、西部さんなんですか? 

西部沙緒里さん(以下、西部) :最初は、そうですね。不妊の人は不妊の世界でひっそり悩むし、妊娠にトラブルを抱えている人はその中で悩むし。そこに分断があり、分かり合えずにいることが、女性の人生の選択や生き方を狭めてしまうんじゃないかと思ったんです。不妊も妊娠トラブルも育児の悩みも病気も、ライフステージの中で女性なら誰でもそういうシチュエーションに陥ることはあるだろうし、境界みたいなものを限りなく解いていきたいというか、バリアフリーにできるんじゃないかなと思ったんですよね。

【写真】真剣な様子でインタビューに応えるにしべさおりさん

玉居子:すごくよくわかります。同じ女性なのに、ライフステージや状況によって「違う立場の人」になってしまう、というのは残念に思います。こうしたテーマは以前から持っていらしたものなんですか?

西部:いえ、昔は普通に広告代理店で働いていて、さらに本業とは別にアマチュアミュージシャンのコミュニティネットワークを作ったり、自分でも音楽をしてフェスを作ったり、地元群馬の地域活性の支援団体をやったりとか。いろんなことを忙しくやってました(笑)。

玉居子:すごい!どうやってそんなことができるんですか!噂には聞いていたけどすごくパワフルな方なんですね。そして、すごく健康で。

西部:そうですね。30代前半までは。病気もしたことがなく、健康そのものでした。「多方面に活動しているね、西部さん」とか「面白いことやってるね」と言われたりして、自分でも充実してるなあなんて思っていたところに、37歳の時に、乳がんが発覚したんです。そこからですね。自分なりに満たされた人生を送ってきたつもりだったのに、いきなり目の前の世界がガラガラと崩れるみたいな感覚でした。

病気を通して生まれた問い。「命の使い方は本当にこれでいいの?」

玉居子:すごくショックだったと思います。自分がそんなふうになったら、やはり恐怖にとりつかれると思いますし。その先がうまく想像できない……。でも西部さんはそこから、人生を転換して起業され、こういうサイトを作っていくまでに変わっていかれた。そこにはどういうプロセスがあったんですか。

西部:もちろんタイムラグはあって。乳がんの発覚からいきなりUMUの構想ができたわけでは当然なく、私にもまずはただ、恐怖や絶望がありました。1年間ほど断続的に休職しながら、3回手術をして。 少しずつ回復や治療をしていく中で、ふと、全く違ったところから問いを立てられた気がしたんですよね。

玉居子:問い?

【写真】当時を思い出しながら少し辛そうな表情をするにしべさおりさん

西部:人生、このままで行くんだろうなあなんて思っていたけど、「本当にそれでいいの?」って問いかけられたような感覚をもったんですよ。極端にいえば、がんという病を通して命の終わりが目の前に来た。そして、闘病中自分に向き合わざるをえない中で、生かされている意味とか、人生で本当にやるべきことって何なんだろう、と考えるようになったんです。

玉居子:制限が見えたからこそ、ある意味視野が広がっていったということでしょうか。

西部:「命の使い方」って私は定義しているんですけど、そんなにあっちもこっちもやらないといけないほど、大切なことは分散しているんだろうか?って、思いなおしたんです。

がんの告知よりもショックだった「不妊」。

玉居子:ご自身の病気についてそんなふうに俯瞰して見ることは、なかなかできないことだと思います。でも闘病中に、今度は「不妊」というテーマが浮かび上がってくるんですよね。不妊については、医師に言われるまでは意識していなかったですか?

西部:頭の片隅にはあったんですが、まずは目の前の病気のことで精一杯でした。でも、一番の山だった2回目の手術を越え少し落ち着いたので、主治医に相談して不妊外来を紹介していただいたんですね。それで診察を受けたらその場で、「あなたが妊娠できる可能性は、10%以下だと思います」と宣告されて、はっきりしたんです。

玉居子:そうだったんですね……。ご結婚されていますが、ご病気になるまでは妊娠のことは考えていましたか?

西部:きっと現代の多くの方と同じように、ふわりと、そのうちできるかな、できたらいいな、というくらいの感覚で。不妊かもしれない、と思ったこともなくて。でも宣告されてしまって……。

玉居子:闘病も重なって、辛かったと思います。

西部:変な話なんですが、病気を告知されて、ドーンと落ち込んだ時より、不妊と言われた方が、ショックで。落ち込んでいた期間も、ずっと長かったんです。

玉居子:それくらい、苦しいことだった。

西部:何か、人生においてここまでうまくいかないことがあるんだって、思い知らされて。がんは、もうある意味仕方がない。背負っちゃったものだからって、途中から思えたんですが、不妊はどうしてもそうは思えなくて。突然、闇に吸い込まれる感じでした。この底からの梯子も見えないし光も見えないし、上がって行き方が全く分からない。深い闇をずっと過ごしていました。

不妊の苦しみは、周りの人には見えないマイノリティだと思う。

玉居子:不妊についてはなかなか人に話せないとか、同じ立場で仲良くなっても、いわゆる「一抜け」して妊娠したらその人とはもう付き合いにくくなるとか、そういうすごくデリケートなところもありますよね。そうした孤立がまた苦しさを生むのかな、と思うのですが。西部さんの場合はどうでしたか?

西部:もちろんそれはあります。当然産めると信じてきた未来がいきなり暗転する感覚は、何とも言えない絶望でした。かつ、表にその悩みや苦しみを出せないということがあり、そういう意味で、不妊こそ、見えないマイノリティだと思っています。さらに、どう対処していいかわからないことも。不妊治療をするにしても、いつまで何をするか、ということも決められないし、どのくらい頑張ればいいのかわからない。今まで人生を頑張ってきた人ほど、どうしようもならないことに葛藤し、苦しめられてしまいます。私もそうでした。

玉居子:そんな時、ご家族や身近な人のサポートは不可欠だと思いますが、なかなか手を差し伸べるのも難しく感じることがあります。西部さんの場合、旦那様はどのように接してくれていましたか?

西部:それが、すごくスパルタで(笑)。「いちいち落ち込んで立ち止まっていてもしょうがないよ」なんてよく言われてました(笑)。私は、実はそんなにポジティブな人間じゃないんです。どこまでもネガティブなスパイラルに陥ってしまうことができてしまう。でも、夫はそういう私の性質をよくわかっていて、鬱々とした状態に居続けようとする私を、ちゃんと引っ張って浮上できるように、すごく気をつけて見てくれていましたね。

玉居子:ありがたいですね。そういう支え方って。UMUの創業パートナーである黒田(朋子)さんとの出会いも旦那さんを通してなんですよね。

西部:そうです。夫には、闘病の後半くらいから、「その経験から何かやれることがあるんじゃないの?」ということを何度も言われ、発破をかけられていました。そして朋ちゃんを紹介されたんです。

闇の中から手を伸ばす。生き直していくためのパートナーとの出会い。

——ライフサカスの共同創業者であり、UMUの創業パートナーでもある黒田朋子さんは、空間デザイナーとして活躍されてきました。彼女もまた、30代に入って突然、重い病に侵され、不妊というカードを渡された一人です。そんな黒田さんとの出会いが、西部さんの頭の中にあった光のような発想を形にする追い風になりました。ここからは黒田さんも交えてのお話が続きます。【写真】真剣な表情でインタビューに応えるくろだともこさん

玉居子:黒田さんと西部さんの出会いをお伺いする前に、まず黒田さんのご病気のことを伺っていいですか?

黒田朋子さん(以下、黒田):はい。私は2011年5月に急性骨髄性白血病になりました。告知されたその日に、「すぐにでも抗がん剤の治療を開始しなければならない」と言われて、抗がん剤治療の同意書にサインを求められました。大量の抗がん剤治療は、自分の中の細胞を全部殺すような治療なんです。渡された同意書の中に、心臓発作や治療による二次がんのリスクなど、たくさんの副作用が羅列されていて、その中に「不妊」と書かれてありました。治療の重篤な副作用についてはしっかり説明を受けましたが、不妊については、授かりにくくなることを意味するのか、それとも完全に産めなくなるということなのか、詳しい説明はないまま、治療が始まったんです。

玉居子:突然のことが、怒涛のように起きたんですね。

黒田:バーッとドラスティックに変わっていきましたね。まずは自分の病気を知ろうと思って調べていたら、いや、これはもう全然子どもはできないという話なんだ、とわかって。その時に情報難民みたいな状態になってしまった、という思いがずっとあってね。それで後になって、同じ病気じゃなくてもがんや不妊で苦しんでいる人がいるなら、自分の体験を伝えられるところは伝えたいと思っていたところ、沙緒里ちゃんにあったんです。彼女のご主人の会社をデザイン面で手伝っていた時に、「歳も近いし、妻に会ってやってくれないか」と言われたのがきっかけですね。

西部:私は群馬の実家と東京を行き来して、療養生活の後半を過ごしている頃でした。

玉居子:最初はどんな話を?二人で何かビジネス的なことをしようというふうに、すぐにはならないですよね?

西部・黒田:全然(笑)。

西部:その頃って、暗黒の時期がまだ続いていた頃で。全ての物事とか人とかに対して、家族以外は信頼できないみたいな、疑心暗鬼なところは残っていたんです。だから朋ちゃんに対しても、少しずつ話せるようになった、という感じでしたね。

黒田:そうだったね…。

【写真】インタビューに応えるにしべさおりさんとくろだともこさん、ライターのたまいこやすこさん

西部:私は、その時、本当の意味で生き直して、世界を作り直していく必要があったんです。そのために人を受け入れ直していく過程として、必要なパートナーとして、朋ちゃんと出会ったんだろうなって。徐々にですけれど、そう思えるようになっていきました。

玉居子:黒田さんにとっては?お互いにそう思われましたか?

黒田:そうですね。私自身は、退院から3年ほど経っていて誰かの支えが必要な時期は過ぎていたんですけど、沙緒里ちゃんは、まだすごく落ち込んで辛そうで。まず目の前の彼女を支えてあげたい、この人の力になれるのならなんでもしてあげたい、という気持ちだけでした。

がんのことではなく不妊のことを。後ろを向くのではなく前を向く選択。

玉居子:そういった二人が出会われて、実際にUMUの立ち上げに到達するにはどんな過程があったんですか? 

西部:ちょうど私が、最後の手術からの療養を終え会社復帰を果たした頃、スパルタな夫にそそのかされて(笑)、地元で開催された「群馬イノベーションアワード」というビジネスコンテストに出たんです。そこにライフサカスの事業の原型となる構想をぶつけてみたら、ファイナリストに選んでいただいて。

玉居子:わぁ、そこがまたすごいですね!その時は、どんな構想だったんですか?

西部:不妊治療をしている女性に向けてのポータルウェブサイトのビジネスアイデアです。でも、最初は事業を興す気はなくて、構想もふわりとしたものだったんですよ。会社員を辞めるかどうかも決めてなくて、これまでみたいに社外プロジェクト的にできたらいいな、というくらいだったんです。でも、そんな時に朋ちゃんにも会って、一緒に何かやろうとなったり、チームに加わってくれる人や外から助けてくれる人が出たりと、諸々のファクターが揃い始めて。急に追い風が吹いた気がしました。これはやらないとね、って。

玉居子:黒田さんは西部さんに出会う前に、闘病や不妊のことを通じてどのように考えていましたか?

黒田:そうですね。私は骨髄移植をして、ドナーさんから命を頂いて、今生きているんです。「生かされている」という意識が強く生まれたことで、人生のありがたさや重みを考え続けてきました。「もしこのまま生き続けることができるのなら、自分ではない誰かのために役に立つ人生を送りたい」という思いが生まれて、ドナーさんには直接的に恩返しはできない分、自分のいのちを誰かのために使って、社会に還元できたら、とはずっと考えていました。

玉居子:具体的には何か活動をされていましたか?

黒田:これまで何度か、体験を本にしては、というお誘いをいただくことはありました。でも自分の苦しかった体験だけを自分語りで本にするのは、ごく限られた人にしか響かないメッセージかな、という思いがあったんです。それに、何度も過去を振り返る作業は、苦行のようで。いつまでも自分が病人だと思い続けなくてはいけなくて、後ろに向かう行為のように感じていたんです。

玉居子:それでも西部さんに会って話を聞いた時は、違った?

黒田:彼女の頭の中の構想を聞いた時、それだったら「前に行く行為」だなって思えたんですよね。不妊に関して、情報が多岐に当事者に伝えられてないことや、サポートがないことなど、課題や疑問点を具体的に解決することもできる。私たちは、二人ともがんを患ったけれど、いつまでも病気だけに捉われていたくないと思っていて。だから「がん」にフォーカスするのではなく、同じく二人の共通項としてあった「不妊の女性」に向けて何かできることを、と考えられたのが良かったんだと思います。

西部:そこから、不妊の女性を応援する会社「ライフサカス」を立ち上げようとなって。最初に、「暗闇の中にこそ光はあり、苦悩の中からこそ希望は生まれる」という私たちの世界観を発信しようということになりました。この世界観を伝える最良の方法として、生身の「人」のパワフルな体験やリアルな言葉を通じ、葛藤のプロセスとその先に拓けた未来を語ってもらおうと思ったんです。ここにUMUの原型が生まれ、チームで議論を重ねながら構想が進んで行きました。

UMUを通して見えてきた、「ままならない人生」と「選択」の意味。

玉居子:UMUを立ち上げられて、「子どもを持つ」「産む」ということを軸に、色んなパターンの生き方や選択をしている人にお話を聞くようになって、お二人の内側で変化していった部分はありますか?【写真】少し微笑んでインタビューに応えるにしべさおりさん

西部:すごくありましたね。不妊とか子どもを持つということについて、徹底的に自分に向き合ったり、様々な体験をしてきた人の声をリアルに聞いていくうちに、やっぱり、「人生はままならないことが当然なんだ」ってことが腑に落ちました。それまではどこかやっぱり、「それでも自分が頑張ればどうにかなる」っていう驕りが拭えなかったんです。不妊に対しても。でも、いろんな人のお話を聞いていて、当然幸せな時ばかりではないのが人生で、葛藤し続けていくのが人生、ということがリアルに納得できるようになりました。

玉居子:UMUは、人生をどう選択していくか、というそれぞれの物語でもあります。でもままならないこと、の渦中にいるときは、選択肢がないように感じる人も多いかと思います。

西部:例えば不妊治療の結果とか起こった物事は選べないですよね。いいことも悪いことも、人生に「起きてしまうこと」を選べる選択権は、自分にはないことがほとんどです。でも、その起きたことをどう捉えるか、考えるか、その次の一歩をどう踏み出すか、という選択権は自分側にあるはずだって、私は信じているんです。そのことを伝えたい。もちろんそう思えるようになるまで、それぞれのタイミングはあると思うんですけど。

黒田:私は、もう「死」を目の前にするような病気を得た時、こんなにも選択肢がないんだって実感したんです。治療で髪も眉毛も全部抜けて、病院の中で食べるものも限られて、治療もうまくいくかどうかわからない。そんな中でも、生きる、ということだけを選びとるために、必死でした。それくらい選択肢がないとともに、根源的な選択を迫られていたんです。その時に生きるということだけで、大きな選択肢を与えられているじゃないって、思えるようになりましたね。

「子どもを産めない」ことより、先の自分の人生を選びたい

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるくろだともこさん
玉居子:黒田さんは、先ほど、ご自身の病気のことを深く掘り下げたり、過去のことを思い続けて自分で整理したりすることは「後ろ向きな行為」とおっしゃっていました。不妊についてフォーカスすることは、違ったのでしょうか?

黒田:もちろん、不妊についても同じように痛みも感じます。だけどもう6年以上、私は自分の不妊と向き合っているんですね。何度もなんども悩み、いろんな思いを抱いてきました。子どもを授かれないことへのネガティブな想いとか、説明不足だった医師に対する憤りとかですね。

玉居子:子どもを授かることができた方への羨ましさとかそういった気持ちも、不妊治療中の多くの方は持つこともあるかと思うんですが、その辺りもですか?

黒田:そう。でも開き直りではなくてね。何回も考えて、咀嚼して、「でも、子どもがもう産めないとして、それがそんなに落ち込むことなのか?」って思うようになったんです。ネガティブなことと捉えずに、じゃあ、違う生き方があるよね、って思うようになった。子どもを産む人もいる。産まない人もいる。大事なのは、それぞれの人生を選んで生きていくことじゃないかって。

玉居子:それこそ、まさにUMUに登場するいろいろな方たちのストーリーですね。

黒田:お話を伺っていると、みなさんいろいろと大変な思いを乗り越えていらっしゃることが分かります。一見何事も無かったかのように見える方も、一人ひとりドラマがあり、ストーリーがあります。その生き方を伝えていけるのは、嬉しいですよね。

西部:そういう苦しい時期というか、見たくないものと向き合わざるをえない状況、ままならない状態に陥ることこそが、人生の骨子であり、大切なエッセンスなんですよね。そこからの学びや経験が、振り返ると、次の扉を開くきっかけになっていると思うから。だから、その部分こそ分かち合い、シェアしていきたいことです。

玉居子:お二人がご自身の生き方を捉え直すと同時に、UMUメディアを運営・展開される意味も深まっていったんですね。

不妊は社会のテーマ。それを意識しながらまずは目の前に苦しんでいる人に寄り添いたい。

玉居子:現在、ライフサカスはUMUを通して様々なストーリーを発信するほか、不妊治療に役立つアプリ開発を行っているということですが。具体的にはどのようなアプリなんですか?

西部:ひと言でいうと不妊治療当事者のための治療履歴のサポートツールです。不妊治療ってすごく行程が複雑だし、いつまで続けていいかわからない、いくら使えば授かれるのかがわからない。仕事との両立も大変で、本人は突如として様々な困難に翻弄されることになります。そういうことを一旦整理して、自分に治療のイニシアチブを持ち、選択する力を取り戻すお手伝いができるようなものを、と考えています。

玉居子:なるほど、今までにないものだから、きっと不妊で苦しんでいる人の助けになると思います。ただ不妊って、現在その立場に置かれた人だけの問題でなく、仕事と妊娠、子育てとの両立だったり、生まれてから大人になるまでの教育だったりという問題も孕んでいるかとは思うのですが。その辺りはライフサカスとしてどのように考えていますか?

西部:もちろん、そこは大切に考えていて、例えばそれこそ妊娠しようと思うよりちょっと手前にいる若い世代に対して、何かできることがあるかもしれないと思っています。そもそも人が子を授かって親になること自体の、社会的な価値観や考え方に、どこかバイアスがかかっていて、その結果、苦しむ人を増やしているんじゃないか、という気もしていて。

玉居子:そうした大きなテーマにも取り組んでいきたい、と。

西部:ただ、自分たちが「苦しんだ人たち」だから、まずは今、苦しんでいる人、苦しんだ人たちに寄り添い続けたいという思いが最初にあります。前述した通り、不妊は見えないマイノリティ。当事者には想像を絶する苦しみがあるのに、なかなか助けてと言えず気づいてももらえない世界です。その現実を見過ごせないと、痛感したからこそ、私たちは、何より当人が希望を持ち「その先」の人生を選び取れる未来を、作っていきたい。そこにはブレずに取り組み続けながら、今後は並行して、UMUやライフサカスの事業全体を通して得た知見をもう少し広いアプローチに活かしていくことも考えています。

妊娠していることを手放しで喜べない。この不思議な葛藤も大切にしたい。

——西部さんは取材当時、妊娠九ヶ月。ほっそりとした体ながら、お腹はしっかりと大きくなっています。実はこの日、西部さんの体調はあまり良くなく、インタビュー先に着いた時には、肌寒い中汗をかいていました。息を整えて、一呼吸ついてから、インタビューに答えてくださっていました。
【写真】インタビューに応えるにしべさおりさん

玉居子:体調、少しは良くなってきましたか? 大丈夫ですか?

西部:はい。だいぶ。落ちついてきました。実は妊娠がわかってからずっと、調子がいい時ってあまりなくて、急に冷や汗が出たり、今日みたいに動けなくなったり、とか。体調が定まらなくて。妊娠はしたけれど、お花畑が咲くような感じではない(笑)。

黒田:そうだね。初期の時から割と苦しんでいるからね。あまりハッピーという感じじゃないね(笑)。

西部:闘病、不妊を経て、一時は妊娠出産を諦めることも覚悟していたので、新しい命を迎えられることはもちろん嬉しい。素直にそう思えています。でも……同時に、どこか、葛藤があるんです。

玉居子:葛藤。それはどういう? 先ほどの、不妊治療中の方への配慮という意味においてですか?

西部:そのことも含めて、ですね。色んな葛藤が自分の中にもやっぱりあるんだなあ、ということを改めて知りました。治療中だった時には、こどもを授かった人を羨ましいと思う気持ちも正直あったし、自分が授かった今は、また別の不安や悩みが生まれて、無条件に幸せという状態には無いというか……。

黒田:それはもう、沙緒里ちゃんの人生なんだから。「次のステージに行きます」ということでいいと思うんだけどね。

西部:そうだね、朋ちゃんが言うように、人は人、私は私だからって思えたらいいんだけど。どんな選択も、どんな人生もすばらしいというメッセージを伝え続けたい自分がいながら、かたや、自身が不妊を経て母になるというトランジションを完全に受け止めきれていないというか、心が追いついていないところもあって。

玉居子:たくさんの人のお話を聞いてきて、ご自身も様々な苦しさを体験されたからこそ……ですね。

西部:ただ、こういう生々しい感情の間で混乱している自分もまた、なかったことにしたくないな、とは思います。不思議な葛藤の中で九ヶ月過ごしているプロセスが、いつかまた、ライフサカスの事業やUMUヘの思いとして何か新しい観点をくれるのかな、と。

黒田:それは、まちがいないよね。きっとまた変わる。そのダイバーシティがこれからの私たちにとっての強みになると思う。母になる西部沙緒里が、この問題に向き合ったら何が見えてくるのか、切り口がどう変わるのか。その点は私もすごく期待している部分です。

玉居子:UMUというメディアひとつとっても、価値観の多様性や新しい視野を与えてくれるという意味で、すごく画期的な活動を社会全体に向けて行われていると感じます。

黒田:UMUをやってて意外だったのが、全く想定していなかった人からの声をたくさん頂けたことなんです。例えば20代の男性が、「これは命の話ですね」「これは僕の話かもしれない」とコメントをくれて。これは生き方の話だし、家族のあり方の話だって。そういうご意見が結構あって。

西部:それを聞いた時に、すごくシンプルに言いかえれば、妊娠・不妊のことって命を生み出すことと直結していることで、本質的には全ての人が当事者なのかなって思えるようになりましたね。

玉居子:UMUに関してはみんなが当事者ということですね。

西部:もちろん、一番は、まず不妊で苦しんでいる人たちに具体的な手助けや、視野を広げるお手伝いを、という思いがあります。でもいずれは、「産む」ということを新たな角度から再定義したメディアに、もしかしたらなれる可能性があるのかなと。読者の方々からの声で、その兆しが感じられていることが、何より嬉しいですね。

【写真】街道で微笑んで立っているにしべさおりさんとくろだともこさん

——重い病や不妊は、誰もが体験することではありません。体験していないことを自分のこととして想像し、共感することは難しいことです。私もつい、「あの人は辛い体験をしたのに、今はこんなに頑張っててすごい」というような簡単な感想でまとめてしまいそうになります。

でも、UMUを通して様々な体験をした人のストーリーに触れたり、西部さんや黒田さんの人柄に触ると、大切なことは、そうではないんだ、ということがわかります。

人生は思い通りにはいかない。二人が言うように、それが生きていることだから。

きっとこの先、私も、誰でも、二人が感じたような突然の圧倒的な絶望や選択肢のなさに向き合う日が訪れるかもしれません。出産に関することであれ、別のことであれ、きっと私たちは、二人と同じように、苦しみもがくことになるのだと思います。

でも、何かが起きた時、「その先にある道をどう選ぶか」という西部さんの言葉を忘れたくない。たとえ時間がかかったとしても、その向こうにある光を見つけて、自分を取り戻す選択をしていくことはできるはず。お二人と話しているうちに、そんな風に強く願っている自分に気がつきました。

そして、今も自分自身に、日々どう生きるのかを問い続け、選択し続けている彼女たち二人の姿勢にこそ、UMUというメディアが伝えようとしている、人生の希望の光が宿っているのだと思います。【写真】笑顔のにしべさおりさんとくろだともこさん、ライターのたまいこやすこさん

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