癌の患者さんだけではなく、看病をしている家族の心のケアもしている人がいる。「がん家族セラピスト」として活動している酒井たえこさんの存在を知ったのは、私の親が初めて癌をわずらう直前のことでした。
まさか、自分の親が癌になるなんて。
「がん」という病名が持つ重苦しい響き。真っ暗になった頭の中に浮かんだのは「死」という言葉でした。今朝までの平穏な生活が、もう戻ってこないかもしれない。暗い気持ちでいっぱいだったとき、酒井さんからのコラムが届きました。
「あなたは一人じゃない。家族と今を生きる幸せな時間が必ず待っているから大丈夫」
癌が見つかったからといって、明日突然別れてしまうわけではないのだから。コラムに書かれていた酒井さんの言葉に何度もうなずき、私は少しずつ、心を落ち着かせることができました。初期の状態で見つかったこと、同居する家族と協力できたことは、本当に幸いだったと思います。
でも、これが末期の癌だったら。看病できるのが自分だけだったら。癌で苦しんでいる本人の前で「看病が大変」など言えるわけがないのに・・・・・・。
きっと、私よりつらい思いをしている人がたくさんいる。酒井さんのメッセージは、もっと大きな希望になって、その人たちの心に響くはず。そんな思いを込めて、私を支えてくれた酒井さんのお話をご紹介します。
きっかけは父が癌をわずらったことだった
こんにちは!「がん患者さんの看病をしている人のサポート協会」代表、酒井たえこです。「看病をしている人の背中をさする人になりたい」との思いで発足しました。関西の総合病院の依頼を受けてリフレクソロジーや傾聴のボランティアをしたり、講演会を開催したりして、多くのがん患者さんやそのご家族の方に「あなたは一人じゃないですよ」と伝える活動をしています。
活動をはじめるきっかけになったのは、父が癌をわずらい、その看病をしたからです。
私がまだ独身で介護の仕事についている時、父の勤める会社の検診で、癌が見つかりました。癌だとわかった次の日の昼、父が私にこう言ったのです。
「たえ、お父さんな、癌なんやって」
このことを聞いた私は癌と聞いても実感なんてなく、父に「今の時代、癌なんてたいしたことないらしいよ」と軽い感じで話をしていました。
ところが数年後、父の体に癌が再発したことがわかりました。この頃までには少し癌について勉強をしていたので、再発の重みが理解できたのです。父にどのようなことがおとずれるのかもわかって、怖かった。そして、悔しかった。
実は私たち家族は幼少のころから食事を一緒に食べることのない、希薄な家族でした。
母が病気がちだったことや、いろんな歯車がかみ合わなかったこともあり、家族みんなで笑うなんてことがなかった。それでも私や兄が大人になり、両親の事情を理解できるようになって、やっと、やっと家族で食卓を囲んで笑える日が来た。そう思った矢先のことでした。
癌に家族の時間を奪われたようで、悔しかったんです。
看病の日々――ひとつのおにぎりが教えてくれたこと
父の癌が見つかってから、手術を繰り返すたびに私が看病をしていました。私は、最も中心になって看病をする、いわゆる”キーパーソン”でした。
看病の始めのうちは仕事をしながらだったので、夜勤が終わってから入院先へ行っていました。私が結婚をしたときは大阪から実家のある奈良へ週1、2回通って、食事の支度や通院の付き添いをしていました。父は癌を何度も再発し、入退院を繰り返していて、その間はいろんなことがありました。
ある日、父の容体が悪くなって、無我夢中で看病していたとき、隣の患者さんの付き添いをしていたおばさんが、おにぎりを一つ、私にくれました。
「ねえちゃん昨日から何にも食べてないでしょ、おにぎりでも食べなきゃ」
私は食欲なんてないし、おにぎりなんか欲しくないと思いましたが、いただいたものだからむげにもできず、もそもそとおにぎりを頬張りました。すると、それまでは緊張が続いて寝ることができなかったのに、この日はちょっと眠ることができたんです。
いかに自分がボロボロになっていたかということに気づかされるとともに、お腹がいっぱいになったから眠ることができたんだと思いました。
父が亡くなってからは、なんていうんでしょう、心の中がからっぽになってしまい、自宅の布団から出られなくなってしまったんです。たぶん鬱になっていたのかな?
そんな日々を過ごしていたあるとき、気がついたんです。
「あれ?なんで私は布団から出られない毎日を過ごさないといけないんだろう」
そしてこうも思いました。
「看病をしている間に抱え込んでしまった辛さや寂しさが、今こんな形で表れているんじゃないか。あの病室で一緒だったおばさんたちもまた、同じ思いをしていたんじゃないか」
そう思ったらいてもたってもいられなくなり、父の看病をしていたころ、自分は本当はどうしてほしかったのかを考えました。
看病をしていた私は、食べることも忘れていました。息抜きをするなんて罪悪感でいっぱいで、とてもできませんでした。でも本当は、おにぎりをくれたおばさんが言っていたように、看病をしている者こそが食べなきゃいけないし、悩みも軽くしておかないといけなかったんです。キーパーソンが倒れたり、心を壊してしまっては、患者に悪い影響を与えてしまうんじゃないかと気づきました。
いろんなことを気づいたとき、私は布団から出て、自分は何がやりたいんだろうと考えました。
人の手の温もりで「ほっとする」安心感を届けたい
みなさんは子どものころ、先生に叱られたときや友達とケンカをしたとき、お母さんが優しく背中をさすってくれて、ほっとしたという経験があったのではないでしょうか。
私自身、父を看病をしていたときは緊張の毎日でした。あのとき、誰かの手で背中をさすってもらっていたら、素直にほっとしたんだろうなと思いました。
それで、「ほっとする=マッサージ」と、ぱっと浮かんだんです。
「ほっとする」という気持ちはとても重要な感情です。ほっと息をつくとき、私たちは「不安」「苛立ち」「悲しみ」なども少し吐き出しているんです。今ぜひやってみていただけるとわかるかもしれません。「ほっ」と小さく息を出すことで得られる、少しの心の空間を。そして、人の手の温もりで感じる安心感を得ることができます。
マッサージだ!と思い、すぐに柔道整復師専門学校のテストを受けるべく、毎日必死で勉強したんですが、2回も落ちてしまいました。年齢も30歳を超えていたので、そんなに受験に時間を割くこともできない。そこで、癌に関する活動をしているセラピーの専門学校をさがしたところ、リフレクソロジーの学校があったので、迷わずそこに入学しました。
リフレは生きている瞬間に気づく「きっかけ」
リフレ(リフレクソロジー略)の学校には、ホスピスでのボランティア活動を行うチームがあり、私は2年半ほど活動をしていました。
ホスピスではいろんな体験をさせていただきました。一番心に刻まれているのは、思い上がっていた自分の高くなった鼻を折ってもらったことです。
リフレで患者さんの体調を楽にしてあげられる。ご家族の気持ちも楽にしてあげられる。当時私は日本とイギリス両方のリフレライセンスを取得し、ホスピスという滅多に入れない場所でのボランティア活動をしている自分に酔っていました。
ある日、医師からリクエストがあり私は以前リフレを受けてくださったことのある患者さんの病室をたずねることになりました。
トントン
ドアをたたいてみましたが、返事はありません。そっとドアを開けて「こんにちは、前にも来ましたリフレの酒井です」と入ってみると、患者さんはベットで寝ています。近づいて顔を見ると、スース―と寝息をたてて静かに寝ていました。
しかし数秒たって、寝ているのではないということに気づきました。昏睡状態のように寝ていたのです。そのような患者さんを前に途方に暮れながら、リフレをやるべきかどうか、私は悩みました。
医師からはオッケーが出ているけど、この方をリフレで楽にしてあげることなんて無理だ。まして、この患者さんは何をされているかわからないんじゃないか。
悩んでいるとき、患者さんの息が聞こえました。
「スース―」
私は患者さんに近づき、そっと患者さんの手に触れてみました。温かく、以前と同じ肌触りがしたのを感じ、生きているんだなと思いました。
この患者さんは今、確かに生きている。
そして今のこの時間、〇時〇分、患者さんと私は同じ空間で、同じ空気を吸って同じ時を過ごしている。つまり私は、この人が今生きていることの証人になれるのではないか。私にできることは「証」になること。それ以上でも、それ以下でもない。
リフレで気持ち良くしてあげようなんて思い上がりもいいところでした。「死」という私たちが知らない世界に踏み込もうとしている、その境地に立っている人に対して、こちらのあさはかな「楽にしてあげよう」という気持ちは通用しない。今までの私の「何かをしてあげたい」という気持ちは、おごりでしかなかったことに気づかされた一日でした。
このことがあってから私は、リフレは、患者さんやご家族の方が「今」という時間をともに生きているということに「気づくきっかけ」になれればいいなと思うようになりました。
ホスピスのボランティア期間を終え、すぐに一人で「がん患者さんの看病をしている人」の相談にのらせていただきました。すると、口コミで私のことを知った人たちが「私の母が癌になったんですが、どうすればいいのかまったくわからず困っています」や「祖父が末期癌になってしまい自分は何をしてあげられるか?」と相談に来られるようになりました。それと同時に、このサポートに興味がありますと声をかけてくれる人もでてきて、約5年前、「がん患者さんの看病をしている人のサポート協会」を発足しました。
ボランティアで関わってくれているメンバーはそれぞれに個性的で、ストーリーを持った人ばかりです。みな優しく、中には自身が癌を経験したという人もいます。「療養中、家族にどれだけ心配をかけたかと思うと、このサポート協会でお手伝いをすることは、これから癌になる人とその家族への励みになると思うんです」と話してくれます。自分の身内には癌になった者はいないけれど、家族にサポートは必ず必要なはずなので、一緒に活動をしたいと言ってくれる人もいます。
みんなで家族の悩みや孤独をどうやったら分かち合えるのか、未来へのきっけになれるのかを模索しながら、前向きに活動を続けています。
癌の恐怖に負けず、ともに生きている時間を大切にするために
ところで、「第二の患者」という言葉を聞いたことがありますか?患者さんと同様に、がんによって感情が揺れ動き、精神的にも負荷がかかることから、がん患者の家族は「第二の患者」といわれています。
わたしは、もう少し違う目線で「第二の患者・がん患者さんの看病をしている人や家族」を、「がん家族」と呼んでいます。
今や癌は一人で戦うものではなく、家族や友人も一緒に生活の一部として長く付き合っていくものとなっています。患者さんの家族も、瞬発的な看病だけではなく、一緒にごはんを食べ、病院に通い、笑い、時にはケンカもする。普通の暮らしに癌が入っているというイメージです。
だから、癌に全てを奪われている場合じゃないんです。生活は止まることなく続いているんですから。
しかし、看病をしている「がん家族」の中には、自分が抱えている不安・悲しみ・辛さに向き合うことができず、社会から孤立したような孤独感に苛まれている人が多くいます。「私が助けてもらうなんて」と思っていることも多いのです。
私も以前は「癌=死」と連想しました。ドラマなどの影響でそのように頭に刻み込まれている方も多いと思います。私も乳癌だと診断され、がたがたと体が震えたことがありました。後に癌ではなかったと判明し主人と一緒に胸をなでおろしましたが、その恐怖は癌だと告げられた者にしか分からない恐怖だったと思います。
私は、このとき感じた「恐怖」について考えました。
今まで関わってきた患者さんやその家族の中には、余命数か月と告げられても十数年生きている人や、再発を乗り越えながら生き生きと活動されている人もいる。私たちは昔からの「癌=死」というイメージに支配されているだけかもしれない。そんな恐怖に、生きる可能性や希望を奪われたくない。恐怖は、何も生み出さない。
癌は生活の一部としてお付き合いをしていかなくてはいけない病。看病をしている家族の心のケアは必要なことなのです。患者さんも「がん家族」の方も、癌という病気が持つ恐いイメージに負けず、ともに生きている時間を大切にしていくために。
突然がん家族になった方々へ「あなたはひとりじゃないよ」と伝えたい
病院でリフレを行い、患者さんやご家族に気持ちよかったと言ってもらえることはもちろんあります。でも、大半の方は本当に苦しい中にいらっしゃるので、実際には、やってよかったという達成感だけでなく、いろんな感情がこちらも湧き出てしまうのです。
この患者さんや家族は、健康な未来があると信じている方とは全く違う気持ちでいる。自分に明日があるのかないのかも分からないという真っ暗闇の中にいるという人がほとんど、本当は。リフレを通して、この人はこんなにもしんどい思いをしていたんだということが初めて分かって、それが余計に悲しい。それでも、この時間を持てたという奇跡が、うれしいような、でもやっぱり悲しいような。そんな感じですね、マッサージさせていただいたあとは。
ただ、確実にわかったことがあります。ご家族がこの時間を持てたことによって、自分の心にいろんなことを溜めてしまっていたと気づいてくださるということです。
気づいてくださったら、もう大丈夫。後はご自身でなんとかするか、運命が助けてくれると信じています。
人間は思っているほど弱くはないので、きっかけさえあれば何とかなる人は大勢います。でも、がん家族の方は自身の状態に気づくきっかけが少ないので、私たちサポート協会が声をあげて「あなたは一人じゃないですよ」と伝えています。
私が父の看病をして数年経ったときは、父の入院先に寝泊まりし、24時間つきっぱなしでした。そのときの私は、孤独と不安が最高潮になってしまっていたんです。心を埋め尽くすのは、社会から切り離された孤独や、この人が亡くなるであろうという孤独。ついには看病があまりにも辛くなり、お父さんに早く死んでほしいとさえ思ってしまった自分への嫌悪感。真っ暗闇というイメージ。
だから、いま看病をしている人に、暗闇の中でもあなたはひとりぼっちじゃないよ、あなたを見ている人はここにいるよ、というメッセージを伝えていきたいです。
私たちは非力です。でも、温かい心があるから人として生きていけるんです。この温かい心は、自分自身に気づくだけで取り戻せるものなのです。
その先には必ず、大切な家族と今を生きる幸せがまっているので、安心してくださいね。
「がん患者さんの看病をしている人のサポート協会」代表・がん家族セラピスト
酒井たえこ
「どんな時間を生きていこう」と、もう一度前を向くことができるように
病院などでのリフレクソロジーのほか、講演活動や、喫茶店で看病の悩みを聞く活動もしている酒井さん。今年8月には、「がん患者の家族を救う55のQ&A」という本を出版されました。看病をしている家族がお守りのように持ち、必要な状況になったら何度でも読み返せるようにと、約10年間の経験に基づいたアドバイスが載っているそうです。
命の重みや愛しさは、大きな悲しみと向き合ってはじめて、感じるものなのかもしれません。だからこそ、癌を患ってしまったからすべてが終わりなのではなく、ともに生きている今という時間を大切にする。「これからどうなってしまうんだろう」という不安な気持ちが「この人とどんな時間を生きていこう」という前向きな気持ちに変わったら、残された時間はたとえ短くても、かけがえのない時間になるはずです。そのちょっとしたきっかけを、酒井さんは手と手を通して伝えているのだと感じました。
いざというとき、身近にいる大切な人の力になれるように。そして、自分を励ますことができるように。「がん家族」の方にも、今はそうでない方にも、酒井さんの「ひとりじゃない」というメッセージが届いてほしいと思います。
関連情報:
酒井たえこ著「がん患者の家族を救う55のQ&A」(アマゾン・楽天・全国の書店にて発売)
「がん患者さんの看病をしている人サポート協会」HP
(イラスト/ますぶちみなこ、監修/井上いつか)