【写真】砂浜に敷いたビーチマットの上を車椅子で進むきどさん

夏の思い出といえば、海に行ったことを思い出します。みなさんの中にも、子どもの頃に家族で海に遊びに行った思い出がある方も多いと思います。

でも、誰もが思うように海を楽しめるわけではありません。実は、海は車椅子ユーザーの方はバリアが多い環境で、砂浜の上を車椅子で進むことができず、海に入ることができないのです。

「車椅子でもそうでなくても、誰もが楽しめるビーチにしたい!」

神戸に、そんな熱い思いを持って活動する人たちがいます。

【写真】砂浜に敷いたビーチマットの上を、車椅子に乗った人々が次々に進んでいく。周囲の人々が笑顔で見守っている

海をユニバーサルデザインにする。いったい、どんな取り組みなのでしょう?8月のある晴れた日に、私たちは須磨海水浴場でユニバーサルビーチを体験してきました!

「車椅子でも海に入れる!」バリアを取り払うビーチマット

関西有数の海水浴場として知られている須磨海岸は、夏になると海を楽しむたくさんの人でにぎわいます。美しい海に六甲山系が迫る景色が、とても印象的です。

須磨海岸に到着して、まず目に飛び込んできたのは海岸に向かって伸びる青いマット!

【写真】市内の高校の生徒が作った看板。「みんなでつくろう須磨ビーチマット」と書かれている

長さは100メートルほどでしょうか。まるでわたしたちを「海に入ると楽しいよ!」と誘ってくれているかのようなこちらのマットが、「ビーチマット」です。

「今日は車椅子の子どもがいらっしゃる家族が、2組きてるんですよ」

【写真】車椅子に乗った女の子が、砂浜の上に敷かれたビーチマットの上を進んでいく

事前にそう聞いていた私たちがビーチマットを見ていると、女の子が手で車椅子を押しながら、海のほうに向かい始めました!

このビーチマットの大きな役割は、足元が不安定になる砂浜に平面な道をつくること。そうすることで、車椅子でも砂浜を通ることが可能になり、ユニバーサルデザインのビーチをつくりだしているのです。

女の子は、親御さんに見守られながら、ゆっくりと、でも自分の力で着々と海へ進んでいきます。

しばらくすると、先ほどとは違ったタイプの車椅子に乗った女の子が!賑やかで、なんだか楽しい雰囲気に、わたしも一緒に海に向かいます。

【写真】お子さんの乗った車椅子を笑顔で押す男性

この車椅子は、「ヒッポキャンプ」という水陸両用アウトドア車椅子。なんと、車椅子に乗ったまま海に入ることができるんです。

「さぁー!海に入るよー!」

【写真】男性らに支えられながら、車椅子で海に入る女の子

たくさんの大人たちに見守られて、ゆっくりと車椅子のまま海へ。実はこの女の子は、生まれてはじめて海に入ることができたのだそうです!

「はじめて海入ったねー!気持ちいいねー!」

これまでは、車椅子から眺めることしかできなかった海。初体験の冷たさにびっくりして、泣いてしまう場面もありましたが、海が優しく包み込んでくれ、徐々に表情が和らぎます。その様子を、大人たちが優しい笑顔で見守ります。

【写真】大人たちに囲まれて、海に浮かぶ女の子

いつも体を預けるのは車椅子だけど、今日だけは、身も心も、海に預ける。

バリアから解放されて、自由になっていく彼女たち。

はじめは心配していた親御さんも、そのリラックスした表情に、安心している様子です。

子どもたちにとっても、親御さんにとっても、新たな一歩を踏み出した瞬間に立ち会うことができて、わたしの心にも感極まるものがありました。

【写真】海の上に浮かぶ女の子を、笑顔の大人たちが囲んでいる

障害のある人が、車椅子のまま砂浜を走り、海に入ることができる。他の海水浴場では滅多に見られない光景が、須磨海岸には広がります。

たくさんの人の思いが集まり実現した、日本初のユニバーサルビーチ

子どもたちが楽しそうに遊ぶ姿も、親御さんの笑顔も、ビーチマットがあってこそ。このビーチマットは、日本初の取り組みとして、今年5月に須磨海岸にやってきました。

【写真】海に向かってまっすぐ繋がっている砂浜の上のビーチマットを、車椅子に乗った男性が進んでいく

このビーチマットを、須磨海岸に導入・運営しているのは、「須磨ユニバーサルビーチプロジェクト」のみなさん。車椅子ユーザー、ライフセーバー、海の家のオーナー、看護師、行政職員など、様々な立場の方が有志で集まり、12名のプロジェクトチームとして活動しています。

実は日本には、このビーチマットを製造・販売しているメーカーがないのだと言います。

最初はヨガマットやベニヤ板などで代用できないか、何度もチャレンジしてみたそうですが、障害のある人たちが利用するのだから、安全性は絶対に妥協できない。その点ではビーチマットに勝るものはないと判断し、アメリカからの輸入に決めたのだそうです。

ビーチマット代用案検証会のようす

ですが、海外からマットを購入するために必要な金額は、なんと130万円。なんとしても、「海に入りたい!」というたくさんの人たちの願いに応えるため、チームのみなさんは必要なお金を共感してくれた人たちから集める、クラウドファウンディングに挑戦しました。 このクラウドファンディングは大きな話題となり、167人から159万円もの支援が集まりました!たくさんの人の思いが集まり、やっとビーチマットを購入することができたのです。

本当にこのマットがないと、車椅子で砂浜をいけないの?と疑問に思う方もいるかもしれません。

私自身も、車椅子ユーザーではないので、それが大変なことなのかどうか、最初はわかりませんでした。

実際に、砂浜の上で車椅子を押してみたところ・・・。

【写真】車椅子のタイヤが砂浜にめり込んでしまっている

タイヤがすっぽりと砂に飲まれてしまって、全然動かすことができません。コンクリートで押した時の何倍も車椅子が重く感じられます。 ビーチマットなしでは、砂浜の上を車椅子で通ることができず、「車椅子ユーザーは、コンクリートの岸辺から、海を眺めることしかできない」という声にも納得がいきます。

【写真】ビーチマットを敷いて車椅子を走らせた時の様子。タイヤが一切めり込んでいない

でも、ビーチマットの上なら、そのような心配なく、車輪を自由に動かすことができます。このマットのおかげで、車椅子だけに関わらず、ベビーカーも押しながらビーチを進むことができます。

マットは、すっかり須磨海岸の風景に溶け込んでいて、健常者も車椅子ユーザーも関係なく、誰もが笑顔でその上を歩いていました。こんな風に、「誰もが活用している」ということこそ、本物のユニバーサルデザインなのではないか、と私は感じます。

【写真】老若男女に囲まれながら笑顔でビーチマットの上を進む車椅子の男性

「海に行くという家族の目標が叶って、とても嬉しいです

ビーチマットが敷かれたことで、はじめて海に入ることができた、障害のある子どもたち。生まれてはじめて体験した気持ちは、どのようなものだったのでしょう?

二人の女の子たちは友達で、ビーチマットがニュースで取り上げられているのを見て、奈良から駆けつけたのだそうです。

ヒッポキャンプで海に入っていたのは、中井セレンちゃん。お父様の誠さんにお話を伺うと、セレンちゃんは髄膜炎、水頭症、てんかんの合併症があり、普段から車椅子を使用して生活をしていると言います。

【写真】なかい家のみなさんの集合写真

誠さん:これまで温水プールには入ったことがありましたが、海にはたくさんバリアがあるので踏み出せませんでした。これまで水に入ったことがなかったので、はじめは驚いて泣いてしまいましたが、段々とリラックスして気持ちよさそうで!みんなでわいわいやっているのが、この子も楽しいみたいです。

誠さんは「海に行くという、家族の目標が達成されて嬉しい」と、家族の夏の思い出ができたことを笑顔で喜んでいました。

中井さん一家と一緒に来ていた佐藤ゆうかちゃんは、海で遊べてとても嬉しそうな笑顔。

【写真】さとうゆうかちゃんが、家族に囲まれて笑顔で両手をあげている

お母さまの慶子さん:これまで砂浜では、車椅子を担がないといけなかったんです。健常者目線でつくられている施設が多くて、他の場所でもたくさんバリアを感じます。障害がある子がいる家族は、遊びに出かけるという選択をしにくいので、ビーチマットのような取り組みがあると選択肢が広がって嬉しいですね。

障害のあるなしにかかわらず、たくさんの大人や子どもと遊べたことも、いい機会になったのだそう。ビーチマットは「海に入ることができる」だけではなく、障害があるひとたちにとって、人のつながりを生み出す機会にもなっているのです。

ふたりの車椅子ユーザーの想いが、須磨の海でシンクロして実現

このプロジェクトは、ふたつの「運命的な偶然」が重なったことがきっかけで始まりました。

発起人は、自身も車椅子ユーザーである木戸俊介さん。もともと東京の広告代理店に勤務しバリバリ働いていた木戸さんは、2年前、交通事故に遭い、脊髄損傷になりました。下半身麻痺で車椅子を使って生活しなければいけない状況になっても、木戸さんは歩くことを諦めませんでした。

【写真】ビーチマットの上を一人で進む、車椅子に乗ったきどさん

「歩くためのリハビリ」が行われているオーストラリアに、リハビリ留学をした木戸さんは、そこでビーチマットと出会ったのです。 オーストラリアのゴールドコースト・バーレイビーチのビーチマット[/caption]

木戸:車椅子になり、大好きな海にはもう近づけないと思っていました。でもオーストラリアで見た光景は、ビーチマットが1本あるだけで、車椅子でも健常者と同じように砂浜を進み、家族で海を楽しんでいたんです!

帰国した木戸さんは、故郷である神戸での生活をはじめますが、物理的にも心理的にもバリアが多いことを感じます。

木戸:ビーチマットが須磨にあったら、神戸はもちろんのこと、日本中にも大きなインパクトがありますよね。そう思って、オーストラリアで出会った「ユニバーサルビーチ」を広げようと動き始めました。

オーストラリアでのビーチマットの出会いが、木戸さんの地元である須磨の海とリンクした。これがひとつめの偶然となり、プロジェクトが動き出します。

【写真】男性に支えられ、車椅子に乗ったまま海に入るきどさん

ビーチマット導入に向けて進むに連れて、有事があれば、確実に命を守ることも必要になります。そこで、プロジェクトチームは、神戸ライフセービングクラブ(以下「KLSC」)の力を借りようと連絡しました。これが、ふたつめの偶然です。

木戸:そこには日本で唯一の車椅子ライフセーバーである古中信也さんがいて、まさにビーチマットを神戸の海に導入したいと考えていたところだったんです。そして僕がビーチマットを体験したバーレイビーチのライフセービングクラブと、KLSCは姉妹クラブだったんです!こんな偶然ありますか!?

日本で唯一の車椅子ライフセーバーがユニバーサルビーチにかける想い

【写真】ライフセーバーの服を着て、ビーチマットの上で車椅子に乗るふるなかさん

その日もライフセーバーとして、須磨海岸の安全を守っていた古中さん!赤と黄色のカラフルなユニフォームが、砂浜に映えます。

古中さん(以下敬称略):車椅子ライフセーバーとして活動する中で、神戸の海をバリアフリーにしたいと思っていたところ、木戸さんから「ビーチマットの導入を考えているのでライフセーバーとして協力してもらえないか」と、声をかけてもらいました。「もちろん、ぜひ一緒にやりましょう!」と、プロジェクトチームとして動き出しました。

それは、古中さん自身の車椅子ユーザーとしての経験から、湧き上がった思いだったと言います。

古中:仲間の助けをもらって、車椅子になってから一度だけ海に入ったことがあります。車椅子ごと担いでもらわないといけないので、遠慮してしまう部分があります。そこまでしないと海に近づけなかったのですが、このマットひとつあるだけで、気軽に海に近づけるのは非常に大きいですね。

【写真】ビーチマットの上を車椅子で進むふるなかさん

古中さんは、大学生の頃、このクラブでライフセーバーとしての活動をはじめました。ところが3年目の夏に、命を失いかねない事故で、首の骨を折り、脊髄損傷になりました。重い障害を持ったにもかかわらず、人の命を救う現場に復帰することは、勇気のいる決断です。

古中:命を失いかけたからこそ、生きられることのありがたさを感じ、「ライフセービングを通して、自分の経験や命の大切さを伝えていきたい」と思いました。ライフセービングの教科書の冒頭には、「障害があろうとなかろうと、強い思いがあればできる」と書かれています。つまり、ライフセービングは「自分にできることをする活動」なんです。だから私は、現場に出ることは難しいですが、現場のメンバーと連絡を取る責任者や、学生チームの育成指導をしています。

【写真】ライフセーバーの服を着用して話すふるなかさん

障害を持っていても命を救う現場に立ち続ける信念を、古中さんは語ってくれました。

古中さん:体が動かなくても、口で伝えることができるかもしれない。障害者であるわたしがチャレンジして社会に出ていくことで、社会の理解が深まって、バリアや偏見がなくなってほしいと思っています。

今まであきらめていたことにチャレンジできた、そんな経験をたくさんの人たちに

プロジェクトのとりまとめ役を担うのは、秋田大介さん。神戸市職員として、1,000組の神戸好きの人々のメッセージ動画を作成発信する神戸のプロモーションプロジェクト「1000 SMiLE Project」を立ち上げました。一方プライベートでは、神戸を良くするアイデアを形にすることをサポートをしておりこのプロジェクトも、そのひとつです。

【写真】楽しそうな表情で話すあきたさん

秋田さんは、須磨海岸をユニバーサルビーチにすることの可能性を教えてくれました。

秋田さん(以下敬称略):障害者やその家族は、これまでいろいろなことを諦めてきています。だからこそ「ビーチマットのおかげで海に入れた!」というだけではなく、諦めてきたことにチャレンジすることで「あ!こうやって工夫すればできるんだ!」と、気づくきっかけにしてもらいたいと思います。そしたら、発想がポジティブに変わると思うんですよね。例えば「海にいけたら、次は山にいけるんじゃないか」というふうに、考え方を変えて、行動するきっかけにしてもらえたら嬉しいです。

秋田さんはワクワクとした表情をしながら、これからのビジョンを語ります。

【写真】ビーチマットの上を車椅子で進む男性と、それを後ろから押す子どもたちの後ろ姿

秋田:まずは須磨の海に毎年、ビーチマットを設置できるようにしたいです。「去年はあったけど、今年はないの?」とならないように、須磨でプロジェクトを継続することが目標です。須磨が成功事例になれば、舞子でやる、湘南でやる、と展開していくことができます。最終的には、日本全国のビーチが「みんなで遊べるユニバーサルビーチ」になることが理想ですね。このマットを持って全国のビーチに「出張」して、この体験を様々な人に共有していくことも考えています!

須磨海水浴場を日本一のユニバーサルビーチに。そして全国に

「須磨海岸を日本一のユニバーサルビーチにして、全国のモデルにしたい」

インタビューの最後、みなさんは口を揃えてこう言いました。

【写真】きどさんとふるなかさんが、海を背景に並んでいる

私は、須磨ユニバーサルビーチプロジェクトの皆さんが、きらきらとした目で思いを語る姿に、日本中に「みんなで遊べるユニバーサルビーチ」がたくさんできる日が待ち遠しくなりました。

ビーチマットは、障害のある人やその家族がこれまで越えることができなかったバリアを越える手助けをします。

「須磨ユニバーサルビーチプロジェクト」が全国に広まれば、きっと「海のバリア」の存在が多くの人に伝わるとともに、ユニバーサルビーチの意義が理解され、意識も変わっていきます。

来年も、再来年も、ずっとこの須磨海岸が誰もが楽しめる海であるよう、私もプロジェクトを応援していきたいと思います。 【写真】きどさんらを囲むsoar取材チーム

関連情報: 須磨ユニバーサルビーチプロジェクト ホームページ

(写真/二神亨、取材協力/工藤瑞穂)