【写真】ハンドコントロールを掲げて笑顔を見せる、かみむらさん

移動格差の解消をして、障害のある方たちの社会参加の敷居を下げたいんです。

輝きを持った目で、力強く発せられた言葉に「私もそんな未来を見てみたい」と心が動かされました。

お話をしてくださったのは「手で踏めるアクセルブレーキ」とも言われる「ハンドコントロール」を手がける、株式会社ニコ・ドライブの神村浩平さん。ハンドコントロールは足が不自由な人でもほとんどの車を運転することを可能にしています。

ご自身も車椅子で生活を送る神村さんは、障害者や足の不自由な人にとって、自動車での“移動”がどれほど生活に影響しているのかを強く実感しています。

自動車に乗れなければ、例えば雨が降っただけでその日の予定を全てキャンセルせざるを得ないかもしれない。

最寄りの駅やバス停まで長い道のりだとしても、手段がないのでタクシーを使うしかないこともあるそうです。

では、自動車を運転できたなら?

好きな時に好きなところへ行ける。家族や友人を隣に乗せて、楽しいドライブの時間を過ごすこともできる。新しいことに挑戦したり、新しい世界に連れていってくれる移動手段としても使用できるかもしれない。

“車に乗る”その先の未来への可能性は、測りきれないほどあります。 今回は神村さんに、ご自身のことや、「ハンドコントロール」という製品のこと、そして現在取り組んでいる“移動格差のない社会作り”についてなど、お話を伺いました。

足が不自由でも自動車を運転できる。「ハンドコントロール」

【写真】ハンドコントロールの全体写真

「ハンドコントロール」は、足が不自由な方でも、自動車のアクセルとブレーキを手で簡単に操作することを実現したプロダクト。押すとブレーキ、引くとアクセルと、機能はとてもシンプルです。

特徴は大きく分けて3つで、1つ目は取り付けが簡単なこと。工具などは不要で、ほとんどの車に5分ほどで取り付けが完了します。

2つ目の特徴は、車を改造することに比べてはるかに安価であるということ。足の不自由な方の中には車を改造して運転する方もいます。でもハンドコントロールは改造をせず、ほとんどの自動車へ取り付けができるため、費用が抑えられるのです。

そして3つ目が、どこにでも持っていけること。重さは約900グラムで折りたたみ式なので、大きめのカバンであればすっぽりおさまるサイズです。

実は車って、アクセルとブレーキだけ踏めれば、それ以外は全て手だけで操作できるんですよ。なので、脚で操作しなければならないところだけ手に変えて、なるべく安価にするということを、うちはこだわってやっています。

神村さんの愛車に案内していただき、私たちも実際にハンドコントロールの操作を体験させてもらいました!

【写真】ハンドコントロールを使って車を運転しようとする男性

早速エンジンを入れてサイドブレーキを操作し、いざハンドコントロールをぎゅっと手で握り押してみると、しっかりとアクセルが入りました。どうやら強く押しすぎてしまったようです。

【写真】ハンドコントロールを手で操作している

人差し指一本で少し力を加えるだけでも、充分にアクセルが機能する構造になっているとのこと!長時間の運転などアクセルを踏み続ける必要があるときも、楽に運転できる仕様です。 右手の指で軽く押して、左手でハンドルを操作する。たったこれだけで足を使うのと同じように運転ができてしまうなんて、想像していたよりもとても簡単で驚きました。

突然の交通事故。“かっこいい”車椅子の男の子との出会い

【写真】右手でハンドル、左手でハンドコントロールを操作する男性

ご自身もハンドコントロールを愛用している神村さん。通勤はもちろん、仕事中の営業回りや余暇など、行きたいところへ自ら運転をして移動するという生活を、当たり前のように送っています。

自ら会社を立ち上げ生き生きと働く神村さんですが、現在に至るまでには様々な困難も経験しました。

神村さんが車椅子の生活を送るようになったのは16歳のとき。人には自分から話しかける、馬が合えばすぐに仲良くなる。そんな性格の神村さんは、たくさんの友人に囲まれて元気いっぱいの高校生活を送っていました。

ところがある日突然交通事故に遭い、脊髄の損傷により脚が動かなくなってしまったのです。

交通事故から1ヶ月はずっと集中治療室で、全く動けない状態でした。だから歩けなくなっていることにも気づかなかった。だんだん頭だけ元気になってきたので、先生にいつからリハビリするのかと聞いたら、”ちょっと話があるから”と言われて。”あなたはもう歩けません”と告知されて・・落ち込んで、その日はずっと泣いていたんです。

それはまだ高校生だった神村さんにとって、あまりにもつらい現実でした。神村さんの転機となったのは、病院の紹介で知り合った、車椅子で生活を送る2つ年上の男の子との出会いです。

【写真】笑顔を見せて話す、かみむらさん

見た目がキムタクくらい格好良い男の子で(笑)、話すと明るくて。ただもう、かっこいいなあって思った。 初めて見た車いすの人のイメージがその子だったから、”ダサいな”とか”かわいそうだな”っていうネガティブなイメージが消えちゃったんですよね。

「車椅子=格好悪い」わけではない。落ち込んでいるより、もっと自分らしく前を向こう。もともと明るい性格だった神村さんは、自然と昔のような元気を取り戻し始めました。ご両親やご友人もこれまでと変わらぬ様子で接しながら、さりげなくサポートをしてくれたそう。

神村さんはその後、様々なことにチャレンジをし始めます。22~25歳まではアメリカに住んで、現地の大学に通学をしていました。アメリカでは、レンタカーのお店での障害者対応がすごく進んでいたり、障害者が当たり前に車に乗れるよう運転を助ける製品が多く普及していたり。この現実に神村さんは大きな衝撃を受けます。

多様な人がそれぞれ人権を追い求めるから、障害者の人が社会に出ていくことが当たり前の社会を実感したんです。“いつか日本でも障害者の方がこんな風に生活できたら”と思いました。

頑張って働いても障害者採用の枠から出れないもどかしさ

【写真】車椅子に座り話す、かみむらさん

その後日本に帰国し就職をした神村さんは、日系企業、海外企業などに勤務。様々な仕事を経験しましたが「やりたい仕事ができない」と感じていました。

日本は障害者雇用均等法があるじゃないですか。だから僕は障害者ですけど、会社に“入社することはあまり難しくないように思っています。それで色々なところで働いたけれど、どれもあまり続かなかったですね。

障害者雇用均等法では、50人以上の企業は2%以上の障害者を雇うことが定められています。そのため多くの企業が採用枠を用意していますが、その職種は限られていると神村さんは話します。

これまで経験したのは、経理部とか人事部みたいな、バックオフィスの入力作業がほとんどでした。どんなに頑張っても、障害者採用の枠からは出られかったんです。 昇進して「部長になりたい」とか「社長になりたい」とか思っても枠が用意されていない。会社の経営状態が悪化したときに、障害者採用だからと真っ先に職を失うことも経験しました。

人と接することが好きなことから、本当は営業の仕事がやってみたかった神村さん。希望を上司に伝えても、聞き入れてはもらえませんでした。

転職するときに、営業じゃなければ入社はしないと伝えたこともありました。そしたら仕事紹介してくれた人に超怒られて・・自分は社会不適合なんだなぁと思いましたね(笑)

障害のある人たちが自由に動けるようになることを目指して

【写真】車椅子で車に乗り込もうとするかみむらさん

障害者採用ではやりたいことができない。ならば自分の強みを生かせる分野で、仕事を立ち上げてみようと、神村さんは考えます。そこで思い立ったのが、“障害”が強みになるのではないかということでした。

自分には障害があるからこそ、障害のある人たちに何かを届けられるんじゃないかと考えました。さらにブレストをしていたときに、今まで一番自分の人生を助けてくれたことを仕事にしたいと思ったんですけど、「自動車を運転できなかったら、この人生形成はできていなかったな」って気付いて。

インターネットで障害者の自動車運転について調べているうちに、神村さんはとあるブログに出会います。そこには15年前に、足の不自由な人が運転できるような製品を開発していたことが記されていました。ブログを書いていたのは、「ハンドコントロール」の生みの親、荒木正文さんです。

荒木さんは開発当時、「ホンダ」の略称で有名な本田技研工業株式会社に勤めていました。でも、会社では「ハンドコントロール」は製品として売り出せないと言われてしまったのだといいます。

「定年退職して自分で事業を立ち上げたけれど、全然売れません・・」みたいなのがブログに書いてあって、これは!と思って。連絡先も書いてあったのですぐ連絡して会いに行きました。

けれども、荒木さんはすぐには営業を任せてはくれませんでした。その理由は「まだ会ったばっかりだし、よく分からないから」。

この頃神村さんは、「自分と同じように障害のある人たちが、自由に動けるようになる未来の実現」という確固たる目標を持っていました。簡単に諦めるわけにはいかず、荒木さんにもまっすぐにぶつかります。

【写真】歯を見せて笑いながら語るかみむらさん

じゃあ僕が全部買い取るので、やらせてくださいって言って。そこからは友達に片っ端から電話して、「これ、買わない?」と尋ねて回りました。

ご友人たちの反応はというと、喜んで買ってくれる方が多かったのだそう!これまでは高いお金をかけて車を改造するしかなかったけれど、ハンドコントロールを使用すれば手軽に好きな車に乗ることができると、評判になりました。

こうして荒木さんから買い取ったハンドコントロールをすべて売り切った神村さん。これで一緒に会社を始められると思った矢先、荒木さんから突然の連絡が入ります。それは「がんになってしまった」という報告でした。

荒木さんに、もう余命短いから、この事業を全部上げるからやってくれって言われてしまって。

それを聞いた神村さんは、大きなショックを受け悔しさを噛みしめました。それでもハンドコントロールの社会的ニーズと、足が不自由な人の移動を助ける可能性を確信していたため、荒木さんの意思を引き継ぐことを決断します。

大急ぎで荒木さんからハンドコントロールの設計など全てを教わり、神村さんは2013年に株式会社ニコ・ドライブを創業。その後2014年に、志半ばで荒木さんは亡くなりました。

車に乗ってしまえば障害は関係ない。誰だってバリアなく運転ができる

【写真】株式会社ニコ・ドライブの看板

荒木さんの思いを継承した形でスタートしたニコ・ドライブ、創業時は神村さん一人で、通販での販売のみを行なっていました。

事業を始める中で神村さんは、足が不自由な人が社会参加をするために、自動車での移動がいかに重要なのかということ。しかしそれに対してサービスが全く普及していないという現実に直面します。

障害などのために一般的な車に乗れなくて困っている人はおよそ30万人。これって非常に小さいマーケットなんです。自動車という大きい市場のうちの、30万人のための事業がこれまでなかった。それで取り残されてしまっていた領域です。

簡単に言うと脚が動かない人にとって、車って脚と同じなんですよ。なので、歩くのと同じくらい、社会に参加するのに必要なツールです。

例えば雨が降った時。足が不自由な人の中には、どこに行くにもタクシーを呼ばなければならないという人もいます。または出かけることを諦める、全て予定をキャンセルすることが当たり前となってしまっているケースもあるのだとか。

足の不自由な人が自動車を運転するためには、たくさんのハードルがあります。教習所では免許が取れない現状もそのうちの一つです。

改造車の導入には数百万円くらいかかるんです。教習所に来る人の中で、改造車を利用する人が年に1~2人来るくらいの需要だと、赤字になっちゃうので、なかなか教習所も1人のために何万円も払えないんですよね。

自動車を特殊改造している方も多いですが、車が壊れてしまった時など、他の車に乗らなけらばならない場面で困ってしまいます。ハンドコントロールを見にくるお客さんの中には、事故により1ヶ月など一定期間修理をしなければならなくなり、やむを得ず毎日タクシーで通勤している、という方も多いそう。

でもハンドコントロールを利用すれば、レンタカーも代車でも、教習所で免許を取得するときにも、好きな車を運転することができるのです。

【写真】かみむらさんと、話を伺う取材チーム

車は運転さえできれば、足が不自由なことも障害も関係なく、健常者と全く同じように移動ができる。だからこそ、“車を運転する”までの工程をハンドコントロールでサポートしたいのだと神村さんは語ります。 「バリアフリー」の考え方についても、こう続けてくれました。

障害者とか、少数派の人たちに対して、社会がその人たちを受け入れていこうよっていう発想って、主語が一般人なんですよね。でも僕にとっての主語は障害者なので、障害者側が今ある一般の社会にアダプトできれば、もうそれはバリアフリーだという考え方をするようにしています。

新しいものを作るということだけではなく、足りない欠片を埋めれば、もうバリアフリーになるよねと。ハンドコントロールを使ってもらったらもっと手軽にバリアフリーになるんじゃないかなって思うんです。

どちらか一方から働きかけて、バリアを取り除くことだけがバリアフリーではない。障害のある人もない人も、新しいものをつくったり、足りないことを補ったり、お互いに工夫することが、より良い社会への実現につながるのかもしれません。

移動格差のない未来の実現のために。何度でも伝え続けること

ニコ・ドライブではハンドコントロールのレンタルサービスも行なっています。

ニコ・ドライブは現在創業3年目。取扱店舗を増やし続けていますが、全て順調に進んだだわけではありません。神村さんは営業に回っても、断られることがほとんどだったと振り返ります。

駅とか街中で身体が不自由な人がいたら、助けを差し伸べようとしてくれようとする人はたくさんいる。でも、いざ自分が食べていくためのビジネスに置き換えたとき、障害者の人を雇ったり、障害者向けサービスを扱うことに、リスクを感じてい人が多いという現状があるんです。

営業先からハンドコントロールの営業を断る理由として、「障害のある人のためにわざわざ取り扱いなんてできない」「障害者への取り組みには興味ない」などと、冷たく告げられてしまうこともあります。

僕が売り込んでいるから障害者って気付かれなかったりするんですけど、僕は障害者なんですよ。その断り文句は、障害者を、つまり僕をも否定しているなぁみたいな。そういうことは本当にいっぱいあります。

“足が不自由な人”や“障害のある人”というのは神村さんご自身のことでもあるがゆえに、ことばの上では間接的であっても、神村さんを深く傷つけるはずです。でもこれに対して神村さんは「断られることはしょうがないですよ。」と気持ちがいいほどに言い切ります。

その上で、”なんども諦めずに伝え続ける”ことを実践しているのだそう。

【写真】手振りを加えながら話すかみむらさん

「移動格差を解消したいので、力をお借りできませんか?」って何度も通い続けると、3,4回目で「やっぱりやろうかな」と言ってくださる人は結構います。そんなに言うんだったらって耳を傾けてくれて、だんだん理解して応援してくれる。それで今や仲良しの取引先さんになっていたりするんですよ。

ちなみに何度も粘ることの大切さは、営業の本に書いてあったので実践しています(笑)

「障害のある人のためと言われてもよくわからないから取り扱うことはできない」そう断られてしまうと悲しい気持ちにもなりますが、“知らない”ことで保守的になってしまうのは、当たり前のことなのかもしれません。徐々に知ってもらうことができれば、共感してくれたり、取り扱いを決めてくださることもあるのです。

「知る」に至るまでのプロセスのために営業として何度も足を運ぶ。最初はうまくいかなくてもその先を信じて、見据えて、足繁く通う神村さんの努力により、少しずつハンドコントロールは広がってきました。

それと、僕たちの製品を喜んで使ってくれるお客さんたちがいるから、受け入れてくれるから。何回振られても心はそんなに揺らされないです。本当にありがたいですね。

車が生活を、人生を、ガラリと変える

通勤や送迎、旅行などの余暇、あらゆる移動の過程でハンドコントロールは人々を助けています。ハンドコントロールを購入したことで、障害のあるお子さんが自動車免許を取ることができた。生まれた時からずっと親御さんが送迎をしていたけれど、今ではお子さんが自分で移動ができるようになり、自立につながったという声もありました。

他にも、60歳でリタイアしてから再就職のために「ハンドコントロール」を利用して、タクシーの運転手になった方もいるのだとか。その方はタクシー運転手になるための免許を取り直すときからハンドコントロールを使用し、タクシー運転手となった今も持ち込んで働いています。 またハンドコントロールを利用する人のうち、約3割ほどは一時的に怪我をしてしまったという人。

「治るまでは車を運転できないと思っていたから助かりました」との声も多く寄せられています。

移動格差を解消して、障害者の人たちの未来を切り開く

【写真】ハンドコントロールを用いながら運転する様子を見せてくれるかみむらさん

神村さんが目指すのは「移動格差の解消」。ハンドコントロールを売ることだけが目的なのではなく、その先を見据えた行動を様々行なっています。

例えば障害者でもレンタカーを借りられる未来を目指すことも、そのうちの一つ。

アメリカ在住時、神村さんは障害のある人も堂々と社会に出ていた姿を見ていました。障害があってもレンタカーを借りられる環境も当たり前で、ご自身も気軽にレンタカーを利用していたそう。その頃から、いつか日本でも実現したいと強く思っていたのでした。

レンタカー会社さんと組んで、2020年までには、日本でも障害者がレンタカーできる未来を実現したいなって、本気で思っています。

また足が不自由な方も免許が取れるようにと、教習所でハンドコントロールを使ってもらうよう提案も行っています。こちらも営業と同じくコツコツと、数を増やしていっているところなのだとか。

【写真】車椅子に乗り、笑顔を向けるかみむらさん

何かに挑戦するときに障害を負い目に感じることは全くない。

神村さんは小さい頃から明るく活発な性格で、それは車椅子の生活となってからも全く変わりません。「人の性格ってあんまり変われないらしいですよ」と笑いながら話してくれました。

ある日突然交通事故に遭って、歩けなくなってしまった。けれども前を向いてやりたいことに真っ直ぐ取り組む神村さん。何が起きたとしても、いつだって自分に正直に生きる姿は、多くの人を勇気付けてくれるでしょう。

ハンドコントロールによってこれまで移動が困難だった人が、自由に移動ができるようになったならば、行動の可能性はぐんと広がるはず。プロダクトを販売するという域を超えて、市場の形成へ取り組む神村さんのチャレンジはまだまだ続きます。

「移動格差の解消」によって切り開かれる未来を楽しみに、今後も神村さんやニコ・ドライブを応援したいと思います。

(写真/工藤瑞穂、協力/野田菜々)

関連情報 株式会社ニコ・ドライブ ホームページ
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