【写真】ストライドの事務所で笑顔のはらさん

すんごくおもしろいから。一度来てみて!

1997年から活動し、精神障害のある人をサポートしている「NPO法人ヒューマンケアクラブ ストライド」(以下、「ストライド」)に興味をもつようになったのは、そこで働く学生時代からの親友・原真衣が楽しそうに、愛情をもってそう話してくれたからでした。

精神障害のある人、かぁ……

これまでの人生で接点のなかった方たちに会うのに、戸惑いがなかったといえば嘘になります。どのような雰囲気の空間なのか、想像すると少し不安もあったから。でも、友人を信頼していましたし、「知ってみたい」という気持ちもありました。

それから、たびたび私はストライドに足を運ぶようになったのです。「一日体験」として精神障害のあるみなさんと一緒に過ごしたり、レクリエーション旅行に同行させてもらったり。

そのなかで強く感じたのは、みなさんにとってストライドが“居場所”であること。彼らは“居場所”があることの心強さ、あたたかさを享受していたのです。

なぜならここは、失ってしまった自信や能力を回復することを目標にする場所だから。治療を受けるのではありません。遊びに行くところでも、労働をするところでもなくて、その間のゾーンに存在している。「新たな経験を積んで助け合いながら、自分らしい人生を模索するために利用する場所」だったのです。

渋谷駅近く、住宅街にあるストライドはまるで“みんなの家”

朝10時、渋谷駅から歩いて15分ほどの閑静な住宅街にある建物の一室に入りました。ここがストライドの事務所であり集会所。玄関では大きなシューズラックに、たくさんの靴がきれいに並べられています。靴を脱いでそこへ入れ、「おはようございます!」と既に来ていた人たちに声をかけると、「おはようございます」と挨拶が。

親友の原真衣が出迎えてくれました。彼女は以前、精神科看護師として病院で働いていましたが、2009年からここに勤めています。

【写真】にこやかな表情でインタビューに答えてくれる原さん

原さん:みんな基本的に平日の毎朝10時に来て、15時頃までをここで過ごします。

間取りは3LDKで、広いリビングのほかに2つの事務室、面談などをするための小部屋が1つ。ソファやテーブル、キッチン、洗濯機などもあり“みんなの家”といったくつろぎやすい雰囲気です。

ストライドには、「メンバー」と呼ばれる精神障害のある人が約35名登録していて、ほかに有給の「スタッフ」がいます。登録している全員が毎日来るわけではなく、体調に合わせて通います。

この日は15人ほどが集まっていましたが、正直言って、誰がメンバーで誰がスタッフなのかは、パッと見では分かりません。ユニフォームなどがなく、外見で二者を区別するようなものがないからです。

まず、ここで自信を取り戻して社会に復帰した男性のストーリーとともに、ストライドでのある一日を紹介しましょう。

毎日通って、みんなで手づくりのランチを食べる。居場所としてのストライド

【写真】元気な様子でインタビューに答えてくれる田中さん

こちらは、現在31歳の田中直樹さん(仮名)。田中さんはここにメンバーとして通っています。今日も「おはようございます!」と元気よく、部屋に入ってきました。

みんなで輪になり、まず始まったのは「気分しらべ」。一人30秒以内で話し、その日の状態や気分を報告します。

【写真】十数名が机を囲み気分しらべをしている様子

「今日は体調がいいです」
「○○があって疲れています」

これで、その日のその人の状態をみんなで共有することができます。田中さんも「元気です」と話しました。

ミーティングをして全員で体操をした後、10時半から、ランチをつくる「キッチンユニット」と、事務作業をする「事務ユニット」に分かれて活動を始めます。ユニットの割り振りは日替わりで、一人一人がどちらかに立候補します。田中さんは今日は「事務ユニット」へ。

【写真】ランチをつくるキッチンユニットの方々

【写真】大きな鍋で料理をつくる様子

「キッチンユニット」は、予算内の献立を話し合って決め、材料の買い出しに行き、料理をします。「事務ユニット」の作業内容は日によってさまざまです。会計の計算をしたり、入力作業をしたり、書類を整えたり、いろいろな作業をします。

【写真】キッチンユニットの方々がつくったランチ

12時頃、ついにランチタイム!ひとり一食300円を支払います。この日の献立は、夏野菜カレー、グリーンサラダ、甘夏。田中さんは、「とてもおいしいです!」とペロリとたいらげました。みんなで自炊をするからこそ、家庭的な雰囲気もあるのかもしれません。

日にもよりますが、和気あいあいとサークルのような活気ある雰囲気のなかで食べる……のではありません。さまざまな体調や状況を抱えるメンバーがいるので、おだやかにおしゃべりをする人もいれば、黙って食事をとる人もいます。

それでもそれぞれが、ここにいることが心地よく、ここを“居場所”だと感じているのです。

【写真】机を囲みランチを食べる様子

その後は15時まで作業の続きをして、一日の活動は終了です。16時までは滞在可能でそれぞれ好きなことをしてよく、みなさんは自分のタイミングで帰宅していきます。

体調が悪いときにはサポートを得られるから、仕事をしやすい

【写真】ランチを終えてより活力の溢れる田中さん

実は田中さんは、なんとランチの後から「出勤」します。13時から17時までの一日4時間、ある技術研究所で検査の梱包のお手伝いの仕事をしているのです。

これが、ストライドの特徴の一つである「過渡的(かとてき)雇用」という雇用形態。「過渡」という言葉は「古いものから新しいものへ移り行く途中」という意味をもちます。

ストライドが働く機会を提供しますが、雇用主と田中さんは直接契約し、少なくとも最低賃金以上の一般と同等の給料が直接支払われます。最大の特徴は、体調が悪く欠勤するときには「ストライド」のスタッフや他のメンバーが出勤をカバーして仕事をやりとげること。これを「ストライド」が保証しているので、雇用主も過渡的雇用を受け入れやすいのです。

ここで労働に慣れ、経験を積みながら、正規雇用などを目指すことができます。作業所の一般的な「工賃作業」とはまったく別の、まさに「移り行く途中」の人のための雇用形態なのです。

ストライドに出会って、彼の人生はどのように変わったのでしょうか。

【写真】真剣な表情で作業に取り組む田中さん

田中さん:僕は高校生の頃から、自分で精神を制御できなくなりました。マイナス思考ばかりしてしまって、考えを整理・整頓できなくなったんです。初めて病院に行ったのは19か20歳のとき。統合失調症と診断され、その診断が自分にとって一つのターニングポイントになりました。病気だとわかったことで、自分と向き合う時間ができ、家族もサポートしやすくなりましたから。

その後、アスペルガー症候群だとも診断されました。僕の場合、失敗したことにとらわれてこだわってしまう傾向にあったんですね。

現在は、体調が安定していて、3週間に一度通院して、薬は毎晩寝る前に1錠だけ飲んでいるという田中さん。

田中さん:2011年の年末に、郵便局で短期アルバイトをしたんですね。そのときに、ふっと気づいたんですよ、「余計なことは考えず、必要なことだけ考えればいいんだ。仕事のことを考えよう」って。悟ったというと大げさかもしれませんけど、僕にとってはそれが二つ目のターニングポイントになりました。

「ストライド」に通い始めたのは2012年から。主治医が紹介してくれて、存在を知ったといいます。はじめは週2、3日来ていましたが、徐々に体が慣れてきて、週5日に。

自宅にこもりがちだった以前の生活と比べると、それは田中さんにとっては劇的な変化でした。「初めて来たときに違和感が全くなく、いい意味で何も考えずに入ることができる雰囲気でした」と、ストライドの印象を話します。

規則正しく来るようになって体調が整い、2014年3月からいよいよ過渡的雇用として勤務を始めました。

【写真】丁寧にインタビューに答えてくれる田中さんと見守るはらさん

田中さん:はじめは働くことに慣れなくて、大変でしたね。休日は倒れてました(笑)。今は大丈夫ですけど。ただ、やりがいがすごくありましたね。自分に週5日労働に耐える力があるのかどうか、不安がありましたけど、自分の体で実験できましたから。自信がつきました。絶対に週5日出勤しなくてはいけない仕事に比べると、過渡的雇用はサポートを得られるので始めやすいと思います。

過渡的雇用で働き始めてから、田中さんは働き続けるためのコツを見つけたのだそう。

田中さん:仕事って、終えるたびに「よくできました」なんて言われませんよね。だから、何も言われなかったら合格、何か指摘されたら直せばいい、もしも相手から感謝されたら120点、って思って働いています。

田中さんは、仕事を続けるための体力を養い、モチベーションを維持する方法まであみ出していたのです。

「ストライド」は実践の場、仲間のいる場所であり、目標への努力を形にしてくれるいいところ

過渡的雇用では、労働時間は「週に 15~20 時間」と定められている一方で、障害者雇用は週20時間以上働くことが条件です。田中さんの場合は週に20時間の労働経験を積んでいるので、今後は障害者雇用の枠に挑戦することも視野に入れられるのです。「心強いし、自信にもなります」と田中さんは話します。

田中さん:これからは過渡的雇用を足がかりに、障害者雇用や正規雇用を目指していきます。もっと頑張り、より上を目指した就労訓練や仕事をしたい。8月からパソコン講座も受けてみようと思っています。

ストライドに通い始めたことは、田中さんにとてもポジティブな変化を生み出しています。

田中さん:「ストライド」は僕にとって、自分をもっと洗練、というと変ですけど、自分という存在を一人前にするための訓練の場、実践の場であり、仲間のいる場所です。目標への努力を形にしてくれるいいところでもありますね。いい関係を築けてよかったって思っています。

自分自身を乗り越え、根底から変えるには、僕の場合すごく時間がかかりました。長かったですね。2、3年くらいで改善していれば、とか……、もっと要領よくいきたかったですよ。

そう話す田中さんに、精神障害に悩んでいる人へのアドバイスやメッセージをお願いすると、こう答えてくれました。

田中さん:やはり頭の中の整理・整頓ですね。何かの拍子につまずくことってあるじゃないですか。そういうとき、ちょっとしんどいかもしれないですけど、邪魔になるものをどけたり、うまくいかなかったところを置いておいて、必要なことをやるんです。道端の石ころをよけて歩くように、頭から除外するんですよ。こだわってもしょうがないから。必要なことをチェックして、もう一回やって「合ってたな、こうすればいいな」と比較すればいいんですよ。

田中さんの人生を大きく変えた「ストライド」。組織はどのように成り立っているのでしょうか。

メンバーとスタッフが横並びの関係で“共働する”「クラブハウス」

「ストライド」は、1940 年代にニューヨークで始まった精神障害者支援を基盤にした「クラブハウス」というモデルで成り立っています。「クラブハウス」は世界クラブハウス連盟が認定するものです。世界34か国の320か所にあり、日本には「日本クラブハウス連合(Japan Clubhouse Coalition)」として都内に3つ、都外に3つで計6か所あります。

先述した過渡的雇用も「クラブハウス」のプログラムの一つです。メンバーが過渡的雇用、援助付き雇用、一般就労を通じ、社会で賃金を得ることを可能にしています。

【写真】壁にかけてある張り紙にはストライドクラブの改善点が書かれています

もう一つの大きな特徴は、「クラブハウス」を運営維持するための仕事を、メンバーとスタッフが横並びの関係で“共働する”こと。「スタッフが指示をして障害者がそれをやる」という関係ではなく、お互いに尊重して協力し、仕事を行うことを通して自助力を育みます。

ここには、スタッフ専用またはメンバー専用の場所がありません。「みんなで運営している」という考え方で運営しているからです。例えば、宿泊レクリエーションの行き先を決めるときには、それぞれが提案してから、みんなで話し合って相談し、決定します。運営にみんなが参加することを大切にしています。だからこそ、メンバーはここを自分の“居場所”だと感じやすいのです。

このように「ストライド」は“居場所”や“仕事”を提供し、メンバーの相談にものる“心の拠り所”にもなっています。

また、メンバーになる条件は、障害福祉サービス受給者証(以下、受給者証)を持っていることや、クラブハウスの基準を尊重してお互いに助け合う気持ちのある人。統合失調症や発達障害のある人が多数で、就職したOBが来ることもあります。

メンバー登録料はかかりませんが、事務作業などに対してメンバーに報酬が支払われることはありません。その交通費は支給されるため、ランチ代の300円のみが自己負担となります。

【写真】真剣な眼差しで集会を行うメンバー

主な収入源は、区、都、国からの報酬や補助金。そこからメンバーの交通費やスタッフの人件費、光熱費などにまわされます。

ストライドは福祉に積極的に取り組んでいる渋谷区からも、応援されています。不定期なクラフト活動として名刺や手ぬぐいを制作しているストライドに、福祉部から名刺や手ぬぐいのオーダーがあるのです。イベントなどに合わせて区から依頼されることもあれば、個人からの依頼もあるそう。

「ストライド」のスタッフは一番話を聞いてくれます

田中さんのように働いている人だけでなく、ストライドにはさまざまな状況にある人がメンバーとして在籍しています。仕事はせずに“居場所”としてのストライドを実感している二人のメンバーにお話を聞きました。

まずは、現在43歳の山岸䘺(ただし)さん。

【写真】過去を思い出しながら丁寧にインタビューに答えてくれるやまぎしさん

「私は15歳の頃から強迫症状が始まりました。どうしても気になっちゃうんです。こだわり、確認というか、強迫観念が頭をよぎって、それを考えないと不安になってしまう。その強迫神経症で、高校の三年間は入院していました。一番症状が出ていたのはこの入院中で、つらかったですね。専門家によると、統合失調症からくる軽い強迫症状が出ることもあるそうです。

退院してからも、症状が出て悩まされました。苦しかったのはお風呂に入って髪を洗うのにすごく時間がかかってしまうこと。通院のために『髪をきれいにしないといけない』、洗っていても『まだすすぎ残しがあるかもしれない』と思い込んでしまうんです。夜8時ごろお風呂へ入ったのにも関わらず、トイレにも行かないで裸のまま、翌日の午前中まで何時間も入っていたこともありました。

それを病院の先生に話したら、「通院のために髪を洗ってそんなに時間がかかっているのか。それだったら、次回からは洗ってこなくてもいいですよ」って言われて、それからはもうピタッと、髪を洗う時間が短くなりましたね。そんなふうに何かきっかけがあれば、改善していけるんです。

17歳から30歳くらいまでは、世田谷区にある作業所にいました。30代前半はどこにも所属していませんでしたが、36歳くらいからは目黒区の作業所にいたんです。ろうそくなど、作ったものを販売して工賃をもらっていたんですけど、2年の利用期限があり、そこを出されたんですよ。そこで『次に行く作業所を紹介してください』とお願いして、2012年から、火木金の週に3日『ストライド』に来るようになったんですよ。

これまでお世話になった作業所では、話を聞いてくれる人はいても、親しくなれる人がいませんでした。『ストライド』のスタッフは一番話を聞いてくれます。特に男性スタッフと親しくしていますね。だから、居心地がいいんです。大変充実しています。ここに通っている意味があると思うし、達成感がありますね。

ランチはいろんなおかずや食材が出て、おいしいです。私は血液の病気である脂質異常症(高脂血症)で、栄養のバランスがとれていなかったんですが、ここで食べているおかげで脂質異常症(高脂血症)の数値が改善してきています。よかったなと。

病院には今でも毎月行っていますよ。以前より、症状は安定しています。2016年からはメンバーの代表者をしています。『やってみませんか』と男性スタッフから言われて、始めたんです。代表者の会議に出たり、5つのクラブハウスが加盟している任意団体の会計を担当しています。代表者になってから、周りとの交流や関わりを柔軟に考えて動けるようになったと思います。

【写真】やまぎしさんの真剣な横顔

約20年通う「ストライド」は、私を生かしてくれるところ

次は、「ストライド」に約20年通っている、現在66歳の小松久子さん。

【写真】顔の前で手を合わせて照れながらもインタビューに答えてくれるこまつさん

「私は高校生だった頃から、いじめや受験勉強のストレスで眠れなくなってしまいました。睡眠薬が効かなくて、クリニックの神経科に7ヶ月入院したんです。退院後、高校へまた通っていいと言われて、16、17才のときに1学年下がって編入しました。

編入後、友達ができなくて。友達ができてもあまり付き合わないっていうか、寂しくなっちゃって、また入院したりしていたんです。神経科への入院は7回ぐらい繰り返しましたね。けど、勉強ができなかったことが不眠の一番の原因じゃないかな。

そんな感じで、40歳を過ぎるまで入退院を繰り返しました。20歳のときにウェイトレスをやったりして働いていたこともありましたが、眠れないのと、気持ちが安定しないというか、生活ができないというか。眠れなくて辛くて、なかなか治らないんですね。なんでそうなったか分からないんだけど、いまだに薬を飲まないと眠れないんです。飲めば7、8時間は眠れます。

40歳を過ぎてから、作業所に通うようになりました。作業内容は、封入作業、公園清掃、アパート清掃、配送センターでのお中元などの宛名貼りなどです。これらは工賃が月に21,500円ぐらいかな、もらえました。仕事のほか、バレーボール大会などのいろんな催し物にも参加していました。

ストライドに来たのはその後で、19年か、20年前です。ストライドができて1週間ぐらいの、設立間もない頃でした。作業所のような仕事ではなくて、ストライドでは事務ユニットとキッチンユニットに分かれて活動します。最近はキッチンユニットにばかり入っているんですけど、前はよく事務ユニットに入って、交通費の計算をしたり、パソコンでチラシなどの文章を打ったりしていました。知らないことを覚えられるのが、楽しいんです。

【写真】笑顔でインタビューに答えてくれるこまつさん

作業所で工賃が出るのは嬉しいんですけど、工賃だけでは自分のプラスにはならないので。ストライドでは、いろんな時間を過ごせます。何才までかはここにいて、具合がよくなったら、仕事を得て働いて、お給料をもらってやっていきたいなぁと思っています。ここは居場所になっているんです。

毎日家にばっかりいると時間を持て余してしまうし。ここに10時から15時までいて、家に帰って過ごしやすいです。規則正しい生活が送れてるなと思って。

昔は体調が悪かったので、近所からタクシーで通っていたんですが、60歳を過ぎてからもっと遠くに引っ越して、今は電車でここまで通っています。私にとっては大進歩です(笑)。60歳を過ぎてからのチャレンジでしたけど、電車で通うのは楽しいですよ。

ストライドは、私を生かしてくれるところ。同居している家族が亡くなって一人になったら、ここにいれば、仕事やまた次のところを探してもらったりできます。とても貴重なところだなと思います。」

「その人が生きていること自体、それでいいか。その人そのままでいいんじゃないの?」と肯定する

こうして、さまざまなメンバーを支えている「ストライド」の取り組み。病院でもなく自宅でもないところに、居場所があると、人はより生きやすくなるのではないでしょうか。

ここで働くスタッフはどう感じているのか、冒頭に登場した原真衣さんに聞いてみました。

原さん:病院で精神科の看護師として働いていたときは、治療が大事な仕事の一つでした。薬がどうやって効いているか、一日のリズムがこんな感じだ、という観察をして、必要な情報を医師に提供していました。

今思えば、病院では患者さんを管理しすぎていたように思います。”当たり前”に近づけるために、指導する感じでしたね。でも、その人がよければ実は問題がないことだってあったと思うんですよね。

病院で働いていたときは「健常者のいる社会の物差しで見て、それに近づけようとしていた」と話す原さん。しかし、転職して「ストライド」に入ると、その物差しは通用しないことが分かったといいます。ストライドで何より大切にしているのは、本人が本当に望んでいることは何なのか、という視点でした。

【写真】優しい表情で話すはらさん

原さん:ここには、「その人らしく生活できるのであれば、まぁいいでしょう」という判断が強く根付いています。尊重するとかそういう次元でもなくて。尊重するっていうと、なんというか、それが正しい・正しくないっていう価値観が出てきそうであれだけど。「その人が生きていること自体、それでいいか。その人そのままでいいんじゃないの?」と肯定する感じです。

原さんは、笑顔でつづけます。

原さん:毎日顔を合わせているからこそ、顔を見たり口調を聞いたりすれば体調がすぐに分かります。来客などで外部からの刺激があると具合が悪くなる傾向がある人がいれば、あまり刺激を与えないような支援をしたり、そういうふうに細かい調整もしています。必要なときは背中を押し、必要なときはかくまいます。ここはメンバーさんが自分らしく、居心地よく目標に向かっていく場なんです。

【写真】てきぱきとランチをつくる方々

ここはただの「ハコ」としての集会所ではなく、そうしたスタッフのあたたかい目配りやプロとしての経験値、「クラブハウス」の仕組みなどが相まって、落ち着いた雰囲気をつくりあげています。メンバーさんとの長いお付き合いを通して、スタッフがその人のことをよくわかっていて頼れる存在になる。それが何よりのストライドの強みであり、この居場所に安心できる空気を生み出しているのです。

「寄り添う」ということは、その人自身がどんな人生を歩みたいかをともに考えること

私がいちばん心を温められたのは、原さんが精神障害のある人をサポートする今の仕事を心から楽しんでいて、みなさんのことを「大好きです(笑)」と話していたこと。

原さん:精神障害がある人たちは、自分と変わらないなと思っています。何が彼らをそうさせているのか、どういうことがあったら変わるのか、よく考えます。人の精神って繊細ですから、自分もいつ病気になるかわからない。でも、今自分は元気で動けるから、メンバーさんが困っていることに手を差し伸べられる。だからやっている、という感じはあるかな。

【写真】まっすぐな眼差しで話すはらさん

原さんは、彼らに「近しさ」を感じているのです。原さんをはじめとしたスタッフの「つまずいてしまった人たちに向き合う姿勢」に感銘を受けました。「寄り添う」とは、傾聴や見守りといった行為だけをいうのではない。その根底に「繊細さもたくましさも併せ持つ人間の精神に、強い興味・関心を寄せること」があるのだと、教えられたのです。

支える側と支えられる側が対等な関係性をつくり、同じ空間で共に過ごしているストライド。ここは、手を差し伸べ「どのような人生を歩みたいのかを伸び伸びと考えてもらう場」を提供しています。

ピンときた方がいれば、ぜひストライドやクラブハウスのドアをノックしてみてください。つまずいた姿勢のまま考えるのではなく、一旦立ち上がり、寛げるソファにでも座って考えたほうが、きっと人の思考は豊かなはずです。

【写真】まんべんの笑みを浮かべるはらさん

関連情報:
NPO法人ヒューマンケアクラブ ストライド ホームページ
日本クラブハウス連合 ホームページ

(執筆/小久保よしの、写真/田島寛久、協力/井上いつか)