【写真】神戸の港を背景に立つ、ゆうかさん

こんにちは!「LASS to the dream」代表のyu-kaです。私は、発達障害の一種であるADHD(不注意優勢型)の当事者です。

現在は、大人の発達障害の方へのインタビューや、発達障害にまつわる講演活動などをしています。

きっと発達障害で悩んでいる当事者の方、支えたいと思っている周囲のご家族や友人の方はたくさんいらっしゃるはず。私自身も今までたくさんの葛藤がありましたが、今は自分の特性を活かしながら暮らしています。

今日は、自分自身が長年お付き合いしてきた「発達凸凹」について、みなさんにお話できたらと思います。

おっちょこちょいで、忘れ物が多くて。そんな自分を抑えてすごした子ども時代

子どもの頃の私は、おとなしくて、おっちょこちょいなところがある子でした。そして、癇癪を起こしたり、イラッとするととても顔に出やすい性格でもありました。

たとえば、通っていたスイミングスクールでは入水前に体操をするのですが、自分がお手洗いに行っているときに先に体操が始まっていたことに対し、すごく怒っていました(笑)。英会話教室のパーティーで、一文字、名前を言い間違われたとき、それだけでイラッとしてしてしまったことも。

思い返すと、周りの人からするとどちらでも良いような場面で、やけに傷ついたり、心が反応してしまっていたような気します。

一方で、ピアノを弾いている時間が大好きでした。「過集中」の特性があるからか、何時間でも没頭して練習していました。ピアノに向き合うことで一人の時間を持つこと、またピアノの音色を聴くことで、気持ちが穏やかに落ち着くこともあったのだと思います。

小学校に入学してもその性格は変わらず、親から先生に渡す書類には「うちの子は癇癪を持っている」と書かれていました。それを見た私は「静かにしなきゃいけないんだ」と思うようになります。そしていじめられたこともあいまって、自分を抑えながら過ごす日々が始まりました。

その頃は物と自分との距離感を掴むのが苦手で、頻繁にコップに手をぶつけて飲み物をこぼし、カーペットを汚してしまったことも。叱られたくなくて、幼いながら隠そうと必死に拭いていたのを覚えています。

学校でも忘れ物をしたり、手提げや水筒を机の横に下げて帰ってしまうといった置き忘れを繰り返していました。勉強は好きで、困り感はなかったものの、テストで単位を書き間違えたり、問題を早とちりしてしまうこともしょっちゅう。そのような凡ミスに対して、何回同じこと言ったらわかるの?と親によく注意されていました。きっと親も、私を心配しているがゆえに言ってくれていたのでしょう。でも当時の私は、「自分はダメな子なんだ」と思い込み、自己肯定感がどんどん下がっていったのです。

「何回も失敗をしてしまう自分は、ダメな子なんだ」

【写真】柔らかな笑顔を見せるゆうかさん

中学生になっても、小学生のときと同じ状態が続きました。体操服を忘れたり、よく失くしものをしたり。私はよく、携帯や財布などを「ぽん!」と置いて立ち去ってしまいます。でも、自分では置き場所に全然記憶がないんです。そんな失敗をするたびに、「すごくだらしないな」「何回も同じ失敗をするダメな奴だな」と傷ついていました。

周囲にそういう自分を肯定してくれる人はいなくて、そもそも、「いくら注意していても、大事な物を失くしてしまう」という困りごとが、周りに一切ばれていませんでした。その頃の友達や先生に「私はADHDです」と今打ち明けても、おそらく「全く分からなかった」と言われると思います。

たとえば、ADHDの症状の一つである「多動性」が目立つ男の子だと、授業中に走り回るなど特性が分かりやすくあらわれ、先生から目をかけられることもあるでしょう。でも自分はADD(不注意優勢型のADHD)なので、あまり特性が目立たなかったから、周囲の人からの助けを借りられなかったのではないかと思います。

高校生の頃は、軽音楽部で部長を任されていました。でも段取りや全体のスケジュール感を見渡すのがやけに苦手で、演奏会に向けてどのような準備をしたらいいのかを計画できませんでした。おまけに人に報告や相談をするのも苦手で、ついつい一人で抱え込んでしまうことも多かったです。瞬時に判断しテキパキと動くことも苦手だったので、リハーサルの当日、固まって立ち尽くしてしまったこともありました。

なんだか周りとは違う自分、どうしたらいいのだろう?

私が一番苦労したのは、大学生の頃。アルバイトを始めるようになってから、ようやく自分が「なんだか周りと違う」と気づいたのです。

私は接客が好きだったので、ホテルでの配膳やカフェのホールやバックヤード、ステーキ屋さんなどの飲食業で働きました。でも私にとって日々のアルバイトは「必死で食らいつかないといけない、命がけの時間」。どのバイトも長くは続かなかったのです。

私はどこで働いていても、メモをしたにも関わらず指示を忘れたり、オーダーをとったのにキッチンの人に渡すのを忘れて放置していたりしていました。一緒に働いている人はみんな「最初はそうだから。慣れるから大丈夫!」と励ましてくれていました。ただ、段々とどうやらそうではないと気づきはじめます。

【写真】明るい表情を浮かべて語るゆうかさん

たとえば何度入っている現場でも迷子になってしまったり、手先が不器用で髪型を整えることができなかったり。レジ業務でも、機械の操作を何回見ても覚えられず誤算が多く、お客さんが並んでいると焦って「わー!」と頭が真っ白になっていました。

同じ時期にアルバイトを始めた同期の友達は、私にはみんな平然と仕事をしているように見えて、すごく遠い存在のように感じてしまって。まるで自分だけ置いてきぼりになったような寂しさでいっぱいでした。

自分の中で120%の力を出しても、「もっと早く」「テキパキと動いて」と言われる。

もうどうすればいいか分からない…

私は途方に暮れていました。

ある日私は、救いを求めてインターネットで「アルバイト 要領が悪い」と調べました。するとYahoo!知恵袋などで、「それは意識が甘い」「覚える気がないんでしょ」といった厳しい言葉が並んでいるなか、一番最後にこんな投稿がありました。

友達が悩んでて発達障害と診断されていたよ

これを見て「私、たぶんこれだな」と自分のなかで確信したのです。実際に「発達障害」というワードで検索して見つけたチェックリストを試してみると、「傾向があります」と診断の受診を促す結果が。そこで私は検査を受けてみよう、と決めました。

「発達障害かもしれない」そうわかったことは、安心につながった

【写真】マグカップを握るゆうかさん

まず私は、大学の心理センターに「発達障害かもしれない」と相談しに行きました。すると、日常生活や大学生活、アルバイトなどで困ってることについて、ヒアリングしてくれました。

どうやら困りごとがありそうだと判断され、検査を受けたほうがいいということで、心理・臨床センターを紹介されたんです。

そこでは知能検査を3時間ほどかけて行いました。そのときは口頭で言われた数字を覚え逆から言い直す、4コママンガのようなものを渡され順番通りに並べるなどのテストが。積み木を完成させる、絵を見て抜けている箇所を答えるといったテストは、全く解けなかったのを覚えています。

検査結果では、知能ごとの凸凹が大きく、発達障害の傾向があると診断されました。その後の問診では、医師に「見た感じは全然わからないけど、ADHDの症状があるね」と言われました。発達障害があっても本人が困っていない場合は診断がつかないこともあるそうですが、私の場合は、やはり日常生活で困っていると判断されたため診断がついたようです。

発達障害だと診断を受けて、納得してスッキリした部分もありました。

その一方で、「私は障害があるんだ」という事実は重くも感じました。20歳でいきなり「障害者」というラベルが貼られたように感じ、戸惑いがあったのかもしれません。

でも、医師が泣きそうな目でこんな風に言ってくれたんです。

視覚から情報を得ることが苦手なので、状況を見てどう動くか判断するホテルの配膳では、広い空間でグラスの数を数えたり大変だったと思います。

その言葉で私は、泣き崩れていました。頑張っても頑張っても出来なかった原因が、やっとわかった。きっと安心して、救われた気持ちになったのだと思います。

「自分には何ができるだろう?」自分らしさを模索した就職活動

発達障害の診断を受けたのは、大学3回生のとき。ちょうど就活が間近に迫った時期です。

その頃からわたしは、就活の対策を考えて、一人でブログに自分の特性について整理をしていくようになりました。

例えば、グループワークでたくさんの人の意見が飛び交うと、私は話の流れについていけなくなります。でも選考は突破しなければ、次に進めません。

「自分は何ができるんだろう?」と考えて、聞き役は得意だから、共感を述べたうえで一言付け加えよう、など自分なりに分析していました。

【写真】神戸のポートタワーを背景に、微笑むゆうかさん

ほかにも、発達障害に向いてる業種、向いていない業種を調べたり、専門の先生に「こういうのやめたほうがいいんじゃないか」と言われたら忘れないようにメモしたり。自分なりに様々な努力をしました。

3回生の1年間はひとりで就活の分析をつづけていて、誰にも悩みは打ち明けませんでした。

それは、以前ちらっと友達に自分の特性の話をした時に、「そういうことは誰にでもあるよ」と言われたから。ミスが多かったり、物忘れが多いなどは、発達障害ではないとしてもよくある特徴です。私の場合はその頻度が極端に高いことで悩んでいたのですが、友達が優しく励ましてくれたことで、逆に誰にも言えなくなってしまったんです。

【写真】微笑みながら話すゆうかさん

でも、そんな私の人生を変える転機がありました。それは4回生のときに参加した、とあるNPO法人のキャンプでの出来事です。

「自分の人生を話す」というワークショップの最中に、思いきって自分がADHDであることを話してみました。すると、「自分もそうだよ」と打ち明けてくれた参加者がいたんです。またスタッフさんのパートナーや友達のなかにも、発達障害がある人がいることを教えてもらいました。

凸凹があるからこそ、みんなこうして団体を立ち上げているよ。みんな私の大好きなでこぼこさん。

その人からもらったメモには、こんな言葉とともに、その方々が立ち上げたNPOや団体名の屋号が書かれていました。それは、初めて身近に当事者の方がいると知った瞬間でした。それまでずっと一人ぼっちだった私は、それがすごく嬉しかったです。

発達障害である自分を開示しても、きっと受け入れてくれる人たちがいる

キャンプのスタッフの人から、私はあるTEDxでのスピーチを教えてもらいました。その映像を電車で見ながら、私はいつのまにか号泣していました。

お話していたのは、NPO法人オトナノセナカ理事の小竹めぐみさんです。ご自身の凸凹を受け入れて、前に進んでらっしゃる小竹さんのことばは胸に響くものがありました。

小竹さんの「子どもは当たり前のように“凸凹”を助け合っていたことに気づいた」という言葉を聞いた私は、「発達障害のあるなしに限らず、みんなで凸凹を助け合う社会が出来たらいいのに」と心から思いました。そして、願わくば私もそういった環境作りに関わりたい、と強く思うようになったのです。

その後、メモ書きで教えてもらったNPO法人cobonでインターンをする機会をいただいたとき、小竹さんと実際に対面することができました!電車を逆方向に乗ったり、待ち合わせ時間に間に合わなかったり。でも小竹さんは、自然と周りの人にそのことを開示していました。

本当に自分の凸凹を受け入れるって、こういうことか。自分は弱い部分がばれないようにずっと隠そうとしていたけれど、それはまだ本当の意味では受け入れられていない証拠だったのかも。笑いながら開示するって素敵だな。

そんな風に思いました。そして、周りの人もその凸凹の特性を可愛がっているように見えました。行動力や、独特な視点、アイデア力を活かして、仕事で価値を生み出されている小竹さん。本当に出会えたことに感謝しています。

初めての就職。ひとりで自分の特性に向き合うことはつらかった

【写真】石段に腰掛けるゆうかさん

様々な出会いがあったことで、就活は前より自信を持って望めるようになりました。興味のある業界・職種があったなかで、自分の適正を考えて絞りながら選考を受けるという工夫をした結果、見事志望していたところに就職が決定!

面接の際には、しっかりと得意なことと苦手なことを説明しました。でも私は、「発達障害がある」とは打ち明けてはいなかったのです。

ある程度自分自身について分析をしていたので、工夫すれば、全て乗り越えられると思っていた部分がありました。ただ実際に就職してみると、多数のタスクを並行して行うことは想像以上に大変でした。

頭の中で仕事の完成形をイメージすることが苦手だったので、ガントチャートをつくったり、そういった工夫で乗り越えられたことも多かったです。でも特性のせいでどうしてもできないことがあり、いっぱいいっぱいになることも…。ミスをすれば、もちろん職場の人は発達障害だなんて知らないので、叱られました。

みんなは6,7割のパワーでできる仕事なのに、私は10割を超えた力でやっている…。

そんな気さえしました。

いつコップから水が溢れるか分からないような、ギリギリな状態で一人で悩みを抱え込む毎日。とうとう私はうつ病になってしまいました。

そのとき、「たくさんの人と仕事で関わる中で、自分の特性にひとりで向き合い自己解決するということは、難易度が高すぎる」と身をもって実感しました。

就職するとき、障害をオープンかクローズにするかは当事者にとって非常に迷いどころだと思います。でも今となっては、あのとき自分の特性をオープンにしなかったことをとても悔やんでいます。

発達障害のある人は、言葉の感じ方や物事の捉え方が、周りの人と少し違う部分もあります。発達凸凹の方とそうでない方が一緒に働くのはある意味、「異文化理解」のようなものが必要なのかもしれないと思います。

一般の方がA、発達障害のある人がBだとします。Aのなかの常識や「当たり前」のようなものをBが理解することはもちろん大切なのですが、Bの特性や文化について積極的に話したとしたら何か変わるかもしれません。

発達凸凹を活かして生きる人たちのストーリーを、悩んでいるひとに届けたい

【写真】ラスのメンバーとの集合写真

仕事の休職期前後に、2016年にブログを通じて出会った当事者のemoやその仲間と、「LASS to the dream」(以下LASS)の活動を始めました。LASSでは、大人の発達障害当事者へのインタビューをし、記事としてHPに掲載しています。

20歳でADHDの診断をされたとき、私は「当事者がどんな風に仕事をしているのだろう」と、当事者が集まる掲示板をずっと見ていました。でもその内容は「発達障害だから、仕事は絶望的」「わい 発達障害、人生 オワタ」といったものばかり。見ていて気分が落ち込んでしまいました。

私が見たかったのは、発達凸凹の特性をどのように活かすか、といった前向きな内容のもの。発達障害があっても、自分を活かして仕事をしているひとのインタビュー記事を読みたかったのです。

「だったら自分でつくろう」そう思って、今この活動をはじめました。

LASSでは、大学4回生で出会った「発達障害がありながらもイキイキと仕事をしている方が居るとことを伝えたい」、「発達凸凹の凸の部分を伝えたい」と思っています。

【写真】ラスの取材風景

私は人のポジティブな面に目を向けることが好きです。なので、取材の最中にはその人の素敵な部分を見つけたり、得意なことについて聞いたりして、それを本人に伝えてています。

どうしても凸凹があると、「凹」の部分を自分で攻めてしまったり、周りの人から叱責されたりして、自信をなくすこともあるかと思います。だから私は、自己肯定感を上げる一つのきっかけになるかもしれないので、「その人のいいところ=凸を見る」ということを大切にしています。

取材させていただいた方のなかには、「そういうこと、あるある」と共感することで、「幼少期からの自分を受け入れられたような感覚になった」と言ってくださる方や、「へこんでいるところばかりを見てしまって自信がなかったけど、人と人をつなげるのが得意だと気づき、そういう役目を積極的に活かすようになった」と言ってくださった方もいました。

自分の特性を伝えみんなに協力してもらえば、楽しく働くことはできる

休職後、私は仕事を辞め、LASSの活動を続けていました。

あるとき、発達障害者の当事者が集まる自助会に足を運んだ時に、名刺交換した方が発達障害に関する自社サービスのチラシを渡してくれました。面白そうだな、意義の高い取り組みだなと思っていたところ、社長が挨拶したいと言ってくださり、インターンとして手伝うことになったのです!そして数か月後には、その企業に就職をすることができました。

【写真】女性と会話するゆうかさん

私はアイデアが湧きやすいので、今の仕事では企画に携わっています。「こういうところに視点を当てて取材すると面白いんじゃないか」などを考えることは得意だし、自分が活かされてるなと感じます。人を紹介するのが得意なので、それで新たに仕事が始まったりするのも嬉しいです。

前職での反省を活かし、今の職場では、自分の取扱説明書をつくって渡しました。取扱説明書には、私が得意なこと、苦手なこと、助けてもらったらできることなどが書かれています。

それをあらかじめ渡すと、「会社としても助かる」と言ってもらえました。書かれていることをもとに、今は仕事の進め方も以下のような協力をしてもらっています。

・曖昧な指示が苦手なので「今日はこれとこれをやる」とメールで指示をもらう

・「急がないから」など曖昧や言葉が分かりにくいので、◯日◯時までと、明確に指示してもらう

・パワーポイント、エクセルを綺麗に整えるのが、視覚が弱いため苦手。相談したら「早く仕事を回すことの方が重要だから、とりあえず6割の状態で出してといいよ」と言ってもらえた。

このような配慮をしてもらうことで、「どうしよう」と固まったり、不安に思う時間が減り、少しずつですが仕事が早くなったように感じます。社長がチームとして成果を出せればよい、という考え方なので、自分自身苦手なことがありつつも、どのようにすればチームに貢献できるかを一番に考えています。

【写真】現在ゆうかさんが勤める企業のスタッフらの集合写真

そして、自分の「認知特性」を知ることで、自分の凸、得意なところを見つけやすく、仕事や趣味でもそれを活かすことができます。

私の場合は、発達障害と診断を受けたとき、視覚から得た情報を記憶するのは苦手だけど、聴覚からは得意だと言われました。音楽が得意だったり、話の内容は覚えている方だったので、それは自分でも自覚がありました。

身近なひとから、客観的に自分の凸について教えてもらうことで、自分のいいところを発見してそれを伸ばしていくのがいいのではないかと思います。

その人が得意なこと、苦手なことはなんなのか。よく見てあげてほしい

【写真】笑顔で話すゆうかさん

発達に凸凹がある。それ自体は、けっして悪いことではないと私は思います。そして、人間みんなそれぞれ凸凹があるのは自然なこと。

ダブルブッキングや、大切な物の置き忘れ、ミスが多いなどの失敗体験が多かったので、診断前までは私はよく自分を責めていました。しかし、「凸凹がある自分」を受容するようになってからは楽になりました。

何かあってもまず、「こういう特性を持った自分だから、どのように工夫したらいいかな?」と考える。失敗して落ち込んで終わりだったのが、その先を少しずつ考えられるようになったのです。

発達障害があること自体を受け入れるのは、時間がかかると思います。でも、そんな自分をまるごと受け入れたときに、見える景色が少しずつ変わってきます。

診断されたばかりの方がいたとしたら、「悩んでいるのは一人じゃない!大丈夫だよ」と伝えたいです。当事者の自助会も、各地で盛んに開かれているので、足を運んでもらうのもいいかもしれません。

そして、もし周囲に発達障害の当事者がいたとしたら、一人ひとりが何で困っていそうなのかを見てあげてほしいなと思います。診断名が同じだとしても、みんな得意不得意なことがバラバラだからです。

ただ、その「得意不得意な差が大きい」ということは、共通しているはず。特に働くという場面で、「不得意さ」の度合いが高いばかりに、引け目を感じたり、肩身の狭い思いをしている当事者が多いと感じています。

自分が「当たり前にできる」ことだから「誰でもできる」ではなく、その人が何が得意で何が苦手かを見てもらえるとうれしいです。得意を活かし不得意なことを助け合う。そんな「働く場」が広がれば、発達障害の人だけでなく、そうでない人にとってもきっと働きやすくなるはずです。

今私は、発達障害のある人たちの離職を防ぐプロジェクトに関わっています。このシチュエーションでは、発達障害のある人はこんな風に思って行動している。だから、このように指示をすれば良いのではないか?というアドバイスを、当事者の目線を交えて伝えています。

発達障害のある人やその周りの人が、お互いに理解しあい働きやすくなるにはどうすれば良いか。自分自身、今後ともどんどん模索していきたいと思っています。

「自分だからできること」は「誰かの役に立つこと」になるかもしれない

【写真】まっすぐにカメラを見つめて笑顔を見せるゆうかさん

発達の凸凹は、目に見えません。だから当事者も周りの方も、向き合うことが難しいことも多いはず。でも私は発達障害があることで、必然的に自分と向き合うことが増えました。自分や周りの方の凸凹を受け入れるということは、本当に大変なこと。でもそれによって、きっと成長出来ると思います。

人はみんな凸凹で、それが尊いことなのだと思います。

自分自身、それをひた隠しにして振る舞っていた頃より、「実はこれがすごく苦手です」「助けてください」と少しずつ素直に言えるようになったことで、心が軽くなり「本当の居場所」を作れた気がします。

これからも凸凹を開示することで、周りの人にも凸凹を開示しやすくなるきっかけになったらいいなと願っています。私自身も、発達障害だけでなく、周囲の人のいろんな特性をもっと受け入れられるような人になりたいと思います。

そして、発達障害であることで、人それぞれ得意なこと苦手なことがあると気づけました。それにって、周りの人に対して「許せること」の幅が広がったことが一番の財産だなと感じています。「普通はこうでしょ」と自分自身が誰かに言いたくなる場面もありますが、「普通」という基準は自分で勝手に作っているだけなのではないか、と立ち止まる大切さも知ることが出来ました。

自分に対しても、「苦手なこと」については、「普通できて当たり前」と責めるのではなく、「昨日の自分より出来るようになったか」と絶対評価をするようになりました。それが、今、自分らしく生きるために大切にしていることです。

私は趣味で、発達障害について表現した曲を作り、ピアノで弾き語りをしています。仕事に限らず、そんな小さな「自分だからできること」を見つけて、誰かの役に立つことが出来たらと思っています。それがゆくゆくは、自分らしく生きる道を広げてくれると信じています。

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2018年7月にYu-kaさんはLASS to the dreamからは脱退。
現在は『Builders〜ADHD才能発掘・励まし会〜』所属 Twitter

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(写真/向直弥)