【写真】ギターを手にしてポーズをとるりささん
初めまして。Moth in Lilac(モスインライラック)というバンドでリーダー、ギターボーカルをしているLisaです。私は生まれつき右手首から先がありません。そのためギターは義手を使って弾いています。

他にもファッションモデルとしての活動をしたり、体の一部に欠損がある女の子が働く欠損バーで働いたりしています。

今までもブログやSNSで時々自分の音楽やファッションについてを発信してきましたが、今回は私の生い立ちや、人生のことをお伝えしたいと思います。

「これが私の手」周囲にも正直に伝えていた子ども時代

【写真】自身の手を見ながらインタビューに答えるりささん

手のことを意識したのは、社会デビューの保育園のときでした。友達と自分を手を比べてみて、その違いに気づいたのです。

これが自分だからしょうがないかなあ。

私はそう思っていました。ただ周りの子供達からしたら私の手の形は初めて見るもので、興味を引くのかよく見られていて。虐められていた訳では無く、友達もいたけれど、保育園には毎朝「行きたくない」と言っていました。

小学生になってからは、少しずつ周囲からも私の手のことは理解されてきたように思います。そうはいっても子供なのでやはり疑問なのか、よく手については聞かれました。「生まれつきだよ」と言っても、「生まれつきってなあに?」から始まるので、何度も一から説明しなければなかったのは大変でしたね。

この頃から絵を描くこと、洋服やおしゃれが大好きで夢中になっていました。

マニキュアを塗るのも好きだった私。「どうやるの?」と聞かれるのですが、ひざと右手で挟んで、左手を使って塗っていました。大変だとかいう気持ちはあまりなくて、好きなことを私なりに工夫して楽しんでいたような感じだったと思います。

【写真】インタビューに答えるりささん

他にも、小学校の体育の授業では必ず鉄棒をやりますよね。私も例外ではなく、先生のサポートもありながら自分なりに工夫し、なんとかこなしていました。こうして日常のあらゆることで、困ったら工夫するということは私にとっては当たり前のことだったのです。

手作りの義手を使って、ギターをはじめる

【写真】幼い頃のりささん、ピアノを楽しそうに弾いている。

幼い頃のLisaさん(提供写真)

小学校高学年になると音楽に目覚め、「ギターをやりたい」と思うようになりました。母が音大を出ているのと、祖父がバンドをやっていたこと、父が矢沢永吉さんファンなことなどから、もともと小さい頃から音楽は身近な存在だったのです。以前はピアノも習っていました。

本格的にステージを目指すようになったのは、小学六年生になってから。母のCDラックにあった、ギタリストの布袋寅泰さんのアルバムとX JAPANのアルバムを聴いた時のことでした。

ギターってかっこいいな、自分もこういった音楽をやってみたい。

そう漠然と頭の中に浮かんできて、すぐにお小遣いを貯めて白のストラトキャスターを買いました。

だけど、どうやって弾くのだろう?

右手がない人が楽器弾くための、義手などの道具はありません。そこで、ホームセンターで板やねじを買って、父がギターを弾くためだけの義手を作ってくれました。

【写真】りささんのギターを弾くための義手。一部にギターのピックがついている。

私はその後も父が作ってくれる義手を愛用し続けていて、今使っているもので6〜7代目です。立って弾くときと座って弾くときで、ピックの当たる角度が変わってくることもあって、父と一緒に試行錯誤してつくってきました。今でも腕の筋肉の電気信号を介して、自分の意志で操作ができる「筋電義手」というものはあるけれど、ギター弾くための義手は、商品として世に出回っていないと思います。

バンドにモデル。好きなことで活動を広げる

中学生になってからもギターへの熱は上がり続けます。読書の時間では常に音楽雑誌やバンドスコアを見ていました。

私の中学では、個性より協調性を大切にするような環境だったこともあり、少し同調圧力のようなものも感じました。だからといって、グレて音楽の方向に行ったというわけではなく、私は素直に音楽やバンドが好きだったのだと思います。ギターに熱中して独学で弾き続けていました。

【写真】歩道橋の上でギターを持っているりささん

その後は音楽専攻のある高校に進学し、初めて人にギターを習うようになります。講師は甲斐バンドの田中一郎さん、BOWWOWの斉藤光浩さんといった現役ギタリストたち。与えられた曲や、自分が聴いているバンドの曲を一緒にセッションする授業だったので、アドリブがきき、実践に強くなれるものでした。

なにより講師の人たちが、いちギタリストとしてお話してくれるのが嬉しかったです。卒業した今も仲良くさせてもらっていて、あの時の経験は今私にとっても大切なものになっています。

校内ではガールズバンドを組み、学園祭でライヴなどの活動もしていました。この頃から「バンドを組んで表に出る活動をしていきたい!」と思いが強くなっていきます。

バンドやりたいな。

SNSでそうぽろぽろと呟いていたら、とある個人事務所の人がコンタクトくれました。

こういうバンドを作ろうと思っているからギタリストやってくれないか?

そこから2013年にバンドを結成。今のバンドの原型です。

【写真】バンドでライブをしているりささん。ボーカルの隣で、髪をたなびかせながらギターを弾いている。躍動感が感じられる。

バンドのライブの様子(提供写真)

他にも、学校帰りに原宿によく通っていたことから、たまたま声をかけられて、Tokyo Fashionという海外の方が運営する、日本のファッションをスナップするサイトに取り上げられたことがありました。それをきっかけに、ブランドのオーナー、デザイナー、ライター、カメラマンといった方に出会い、モデル事務所にも入り、ショーモデルやブランドの通販サイトモデルとしても活動していました。

「右手首がないわたし」は周囲にとってもきっと当たり前のこと

【写真】ライブで演奏中のりささん。ギターを上に掲げながら演奏している。とてもかっこいい。

ライブにて演奏中のLisaさん(提供写真)

ライヴでギターを弾いていても、ほとんどの人は義手を使ってギターを弾いているということに気づきません。ステージから降りてお客さんと話すときに、初めて気づいたと驚かれることはよくあります。

ネットで繋がっている人たちは全く気づくはずもなく、 ブログやSNSに手のことを書いたときに初めて「そうだったのか!」と思う人が多いようです。

【写真】義手でギターを弾くりささん。

弾くたび義手が当たることで、ボディが傷だらけになってしまったのだそう。

なんでもできるんだね。

ギター上手いですよね。

そんなふうにコメントをもらったりもします。義手や、それにまつわるギタープレイについてもですが、ファンの人は「Lisaが作る音楽が好き」って言ってくれる人ばかりで幸せです。私の障害については、「それがLisaであり”当たり前”」と思ってもらっているからなのだと思います。

「やりたいことをなんでもやりなさい」両親からのサポート

幼いころから父も母も、基本健常者と変わらないように接してくれています。

できないことが多い分、努力しなさい。

やりたいことをなんでもやりなさい。

よくそんなふうに言ってもらいました。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるりささん

先ほども書いたとおり、父は義手を作り続けてくれていますし、母は私の髪の毛をカラーしてくれたり、ファッションの話なども一緒にすることが多いです。またバンドの活動を広げるためにどんな発信をしたら良さそうかなどの、情報をくれることもしばしば。

私は他の人にできないことをやりたい。自分を表現し、もっとたくさんの人に知ってもらいたい。こういった思いを持ち続けることができるのも、両親のサポートがあるからだと思っています。

欠損がある女性が集まる「欠損バー」

2015年にテレビ番組BAZOOKA!!!で、体に欠損がある女性が集まる企画が開催され、出演したことがありました。そこで「ブッシュドノエル」という、欠損がある女性が働く「欠損バー」で働く人たちや、立ち上げた方に出会います。

それからかなり日は開くのですが、たまたま欠損バーでスタッフを募集しているツイートをみて「私もやってみようかな」と思っていたところ、運営の方も私を気にしてくれていたようで、参加することに。2018年4月から働いています。

【写真】笑顔でインタビューに答えるりささん

欠損バーはのほほんとしたガールズバーのような雰囲気です。お客様は男性が多いですが、女性のお客様も来てくださっています。みなさん欠損女子と話す機会を大切にしてくれいて、中にはお客様で欠損のある方がいらっしゃることも。義手や義足が好きという方など、コアなものが好きな人もいてお話するのが楽しいです。

8人前後のお客様がカウンターテーブルに座って、1時間半程お話をすると「欠損」がマイナスなイメージではなくなることが多いようです。

欠損があるという共通点はあるものの、働くスタッフはキャラクターも好きなものもさまざま。欠損があること以外の話でも盛り上がりますし、色々な話が気軽にできる場所だと感じています。

欠損バーに参加するまで私と同じ障害を持つ女の子と接する機会があまり無かったので、バーの女の子達の障害への向き合い方や、日常生活の話から視野を広げることができました。障害が自分にとって、周囲にとって、どんな存在なのかは一人一人違います。お互いを認め合うという思いやりについても、改めて考えさせられました。

【写真】ギターケースを背中に背負っているりささん

私はSNSで自分のファッションを発信していますが、写真の角度や洋服が長袖だったりすると、隠れちゃうことも少なくありません。もちろん写真によっては欠損がはっきりとわかるものもあります。

なんでこっちだけないの?

そういったコメントがくることもあります。スナップサイトに掲載してもらうときも、プロフィールには書いているのですが、読まない人も多いので私の欠損に気づくタイミングは人によってまちまち。だったらバーンと表に出せちゃうのがあるといいなって思っていたことも、欠損バー参加の理由の一つでした。

人に元気を与えられることもあるから、”ありのままの自分”でいることを貫いていこう

【写真】インタビューに答えるりささん。りささんは網タイツを吐き、厚底のブーツを履いている。とてもおしゃれだ。

小学生の頃、偶然同じ症状の男の子が同じクラスにいました。その子は健常者の手のようにするために、学校に通いつつ、手術をして指を伸ばしていました。その様子を見て、欠損に対して治療をするかどうか、どうやって向き合うのかは人それぞれなのだとなと感じました。

私の場合は手の欠損を隠そうと思ったこと一度もありません。なぜかはもう覚えていないですが、小さい頃から常にオープンでした。隠すという概念がそもそも無く、私にとっていわゆる人と違うことは特別なことではあるけれど、恥ずべきことではなかったのです。

欠損バーの子も自分の欠損を、大事なものの一つ。表現の一つとして捉えている子が多いように思います。

ただそれでも、会社で事務の仕事をしていたり、飲食の仕事をしている子は仕事上で不便なことがあったりと、大変でもあるようです。実際、欠損が理由で飲食店等の入社を断られてしまうこともあると聞き、悲しく思いました。

障害には色々なものがありますが、私は長袖を着たり、隠そうと思えば右手首を隠すことができるため、比較的わかりづらい障害なのだと思います。「全くわからなかった」と驚かれたこともあるくらいです。

それでも、電車内や街中で人目を感じることは少なくないです。深く聞かれたりはしないですが。

【写真】歩道橋の階段で座りポーズをとるりささん

Lisaさんを見て私も頑張ろうと思えた。

以前精神的にきつい状況のある子に、こんな風に言ってもらったことがあります。

私は特に何もしていなくても、元気を与えてあげられていることがあるんだ。それなら、その子の為にも”ありのままの自分”でいることを貫いていこう。

改めてそう思うきっかけになりました。

仕事でもプライベートでも新しく出会う人には、挨拶のとき手のことを伝えて、握手をするようにしています。ネットで知り合った場合も伝えます。私は欠損についてはどんどんオープンにしたいと思っています。“右手首から先の欠損”はもはや自分のファッションの一部であり、仕事道具の一つでもあるのです。

不便なことがあっても「やりたいこと」を見つけてからは沈んだことはない

小さいことかもしれないけれど、欠損があって大変なことももちろんあります。例えば電車の改札は右利き用なので、基本左手を使う私にとっては通過するのが難しいのです。今はバッグに伸びるストラップ付きの定期を入れるという工夫をしています。

他にも、小袋を開けるのが難しかったり、髪を結う時、靴紐を結ぶ時、ボタンをかける時なども、工夫が必要です。私は普段から、義手など右手をサポートするプロダクトは使っていません。義手を使うのはギターを弾く時のみ。基本的にはいかに左手をうまく使うかで頑張っています。

右手はアクセサリーがつけられず、指輪もつけられないのでアクセサリー感覚でアームカバーをつけたりしました。

【写真】りささんの左手には、ラバーブレスレットがいくつかつけられている。

Lisaさんがデザインしたバンドのオリジナルグッズ「ラバーブレスレット」

ただ、その他で何かで悩んだ時期は意外にこれといってなく、やりたいことは音楽とファッションの道だ志したときから、心が沈んだことはないです。やりたいことが明確じゃない場合は、「私どうしたらいいのだろう」と悩む人はいると思います。でもそれは欠損に関係なく、きっと誰にでもあることですよね。

【写真】りささんがデザインしたシルバーネックレスの写真。アルファベットのMという形が二つ重ねられている。

バンドのオリジナルグッズ「シルバーネックレス」のデザインもLisaさんが手がけました。

ファッションでも、音楽でも好きなことをやれていて自分がしっかりしていて憧れの存在。私も頑張って表に出ていきたい。

そんなようなことが綴られていました。その子は、手紙をくれた数年後なんとアイドルとして活動をはじめたそでうす。それを聞いて、自分の”憧れ”の想いを持って夢を叶えたのだなと、感動しました。ファンでいてくれることや、こうして思いを届けてくれることは私にとって、本当にありがたく、励みになっています。

こうした周囲の人たちの応援とともに、私は夢を追い続けているのです。

「自分発信」で夢を叶えたい

【写真】歩道橋の上でギターを持ちポーズをとるりささん

“困難”は人によって捉え方も違えば、耐えられるキャパにもきっと違いがあるのだと思います。だけど私の場合の話をするならば、私はまず自分が動いていかないとどうにもならない。やりたいことを実現するために、突き詰めていこうと、これまで生きてきました。

そのためには基本的なことをとにかくやる。目標を定めて、そこにいくためにはどうしたら良いかのプロセスを全て洗い出して、全部やるということを繰り返してきました。それがたとえ小さなことだとしてもです。

例えばバンドを始めた頃は、まずはメンバーと一緒にステージに立つことが目標でした。そこで演奏面の努力はもちろん、SNSを駆使するなりしてなんとか叶えることができました。

その次の目標はアルバムを出すこと。お金がかかることなので、ただライヴをし、バンド活動をするだけでは集まりません。いかに他の人に「このバンドはいいよ」と言ってもらうかが大事なはず。発信していかないと届かないと思い、自分からの発信を続けてきました。

その次の目標は、大きい海外のフェスやイベントに出ること。今はここの段階です。今までの努力の積み重ねに加えて、もっともっと発信していくことが必要だと思って日々活動をしています。

【写真】笑顔でインタビューに答えるりささん

私は常に心がけているのは「自分発信」。受け身ではなく、自分から夢を叶えていきたいです。

私はギターをやっていてよかったなと思っています。良いことばかりではなく、悪いことも面と向かって言われます。それは私がハッキリしていて、やりたいことも明確だから。

音楽活動の中で、もちろんつらいこともあるけど、何かが自分を奮い立たせます。私は今こうして夢を実現するために大変なことと直面することはあっても、欠損のことで悩むことはありません。誰だって悩む事は色々とあると思います。誰かにとって欠損は悩みの一つかもしれない。でも今の私にとってはそうではない。

むしろこういう欠損がありながらもハードな音楽ジャンルで活動している人は、きっと私しかいないと思っています。メンバーチェンジとか、ライヴハウスでのイベントがうまくいかなかったことなど、色々な困難なことがあっても、そんなのは関係ないと糧にしてこれまでやってきました。

もっといろんな人に見てもらいたい、知ってもらいたい。こういう人間もいるんだよと伝えたい。

そんな思いを糧にして、これからも努力を続けていこうと思っています。

この記事を読んでくださった方の中には、今何かにつまづいている人もいるかもしれません。一歩踏み出すためには、自分磨きをしたり、考え方を変えてみたり、ほんの小さなことからでも良いと思うんです。一緒に、自分の可能性と世界を拡げていきましょうね。

【写真】ギターケースをせおい、笑顔をみせるりささん

関連情報
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(写真/馬場加奈子)