【写真】笑顔で立っているすずきゆうすけ先生

社会人になって数年、ベッドから起き上がれない日を何度か経験しました。

なぜ起き上がれないのだろう。布団のなかで自問自答してみると、仕事で何かしら失敗をして自信をなくしていることがほとんどでした。そういうときは「悩んでいる暇があるなら、仕事で成果を出すべきだ」と強く言い聞かせ、なんとか布団から這い出ようとしていました。

けれど、そう言い聞かせても、心と身体が思うように動かない日もあって、ますます自分のことが嫌いになってしまう。今でも、数ヶ月に一度は、頑張れない自分への焦りで呼吸が浅くなります。

どうして私は頑張れないのだろう?

そんなもやもやを抱え、数ヶ月前に「秋葉原内科saveクリニック」の院長 鈴木裕介先生の元を訪れました。

すると、裕介先生は優しく、けれど率直な口調で一言。

世の中には、自分の幸せに直結しない「べき」の方が多いんですよね。

【写真】質問に丁寧に答えるすずきゆうすけ先生

思えば、学生の頃からずっと、“こうあるべき”と思っている自分とそうでない現実のギャップを埋めようと必死でした。

もう20代後半なのだから、しっかり働き、ちゃんと稼がなければ。

せっかく好きなことを仕事にできたのだから必死で頑張らないと。

多少の辛い体験は自分一人で乗り越えるべきだ。

でも、その頑張りが私の幸せに繋がっているのか、ちゃんと想いを馳せたことはほとんどありませんでした。

この記事を読んでいる人のなかにも、私と同じように“こうあるべき”を頼りに、もがき続けてきた人がいるかもしれません。よかったら、少し深呼吸をして、頑張りすぎる自分との付き合い方を、裕介先生と一緒に考えてみませんか?

メンタルヘルスケアは「安心」を手に入れる土台づくり

裕介先生の大好きなゲームのキャラクターが出迎えてくれます

「秋葉原内科saveクリニック」は、秋葉原から徒歩数分、小さなビルの二階にあるクリニックです。院長の裕介先生は、内科医として働く傍ら、生きづらさを抱える知人の相談を受けたり、企業や病院に向けに講演を行ったり、ライフワークとしてメンタルヘルスケアに携わってきました。

精神科医でも心療内科医でもなく、あくまで仕事とプライベートの間で活動し始めた裕介先生。その背景には、「根源的な生きづらさ」を抱えた人たちへの尊敬がありました。

裕介先生:僕自身は、恵まれた環境で育ったので、「生きていたいと思えない」とか「死んでしまいたい」と悩んでいる人と、大人になるまでほとんど出会ったことがなかったんです。

けれど、研修医のメンタルヘルスの支援に関わっているうちに、親しい知り合いから相談を受けることが増えてきた。表ではとても高いパフォーマンスでバリバリ働いているように見えても、裏では「自分なんかが生きてていいのか」という、存在レベルでの苦しみを背負っている人がいることを知り、そういう人たちと深く接する機会が増えていきました。

彼らと関わっていくうちに、そこまでの圧倒的な生きづらさを誰にも知られずに抱えながら、絶望的な世界を今日まで生きのびてきたことに対して、単純に「凄いな」と思って。自分勝手なのは承知なんだけど、「なんとか死んでほしくないな」という気持ちになっちゃった。それと同時に、もしこの人が「生きよう!」という希望を持ってくれたときに、一体どんな変化が見られるんだろうという興味も湧いてきました。

言い尽くせないほどいろんな関わりをしていく中で、もう鳥肌が立つような変化を見せてくれることがあって。それが超ロマンティックなんですよね。「生きてても仕方ないかもな」と思いながらも、細い糸を手繰り寄せるように、何かを変えるための行動を誠実に積み重ねている人がいて。そういう人の変化がすごい美しくて、こっちもものすごく影響を受けるんです。そういうのを色々経験してきて、「あー、僕はこういう人に自分の命を使ってたらハッピーなのかな」と思うようになった。ライフワークってこういう感じなのかなと。

【写真】微笑んでインタビューに答えるすずきゆうすけ先生

「メンタルヘルスケア」と聞くと、カウンセリングを行ったり、気分を整える薬を飲んだりといった、具体的な治療法が思い浮かぶのではないでしょうか。

しかし、裕介先生はメンタルヘルスケアをより広い意味で捉えていました。

裕介先生:生きづらさの本質は「安心の欠如」です。いま自分が生きている世界に対しての基本的な信頼がない。そういう人には、まず安心して、自分に向き合えて、語ることができる場所が必要です。そのための土台を整えるサポートをすることが、メンタルヘルスケアにおいて一番大切だと思っています。

居るのはつらいよ』を書かれた、臨床心理学者の東畑開人さんは、メンタルヘルスケアを、相手の傷に寄り添ってニーズに応えるケアと、相手の傷と向き合って症状を治すセラピーに分類されていました。

「医師」はセラピーを提供するのが主な役割という認識がある思うんですけど、僕は「個人」としての関係性がまず先にあることがほとんどだったのもあり、どちらかというとケアに近い関わり方がメインなのかなと感じています。

まずは、攻撃も否定もされないという安心の上に、抱えている苦悩を話せる状態にすることが第一で、そこから人生を編集し直すお手伝いをしていきたいと考えています。

【写真】質問に丁寧に答えるすずきゆうすけ先生

メンタルヘルスケアの話のなかで「人生を編集する」という言葉が出てくるのは、少し意外でした。けれど、裕介先生いわく、他人の期待に合わせて選んできた人生を編み直すことは、人の抱える生きづらさを解消する上で欠かせない営みだそうです。

裕介先生:誰もが少なからず、親や世間から、知らず知らずに「こうあるべき」をインストールされているんですよね。〇〇歳で結婚して家を持つべきとか、公務員と結婚するべきとか。時代の変化によって価値観そのものが揺らいでいるのに、幼少の頃から刷り込まれてしまっているものだから、なかなか脱ぎ捨てられない。親や世間の期待と現実の狭間で苦しんで、自分を肯定できない人は増えているように思います。

あらゆる「こうあるべき」のなかで、自分を本当に幸せにしてくれるものなんてそんなにない。だから、それが本当に心から望んでいる「べき」なのか、ただ苦しめられている「べき」なのかを、自分で判別するのが大切です。

他人の期待にとらわれてブレーキを踏めない自分

自分を苦しめているだけの「こうあるべき」を捨てていく。脱ぎ捨てた先にある自由に憧れる一方、本当は乗り越えるべき壁、応えられたはずの期待から逃げてしまわないかという不安もよぎりました。20数年間生きてきて、苦しんだ先で得られた成長、周囲の期待に応えようと頑張って獲得した成果は、確かにあったからです。

その不安を裕介先生に伝えると「メランコリー親和型」という耳慣れない言葉を教えてくれました。

裕介先生:「メランコリー親和型」は、ドイツの精神医学者H.テレンバッハが提唱した、うつになりやすい性格の傾向です。特徴としては、几帳面、責任感が強く完璧主義、他者を重んじる…。思い当たる節がありませんか?相手の期待に応えようとして、つい限界まで頑張りすぎてしまう。自分にもとても厳しい性格です。

「メランコリー親和型」の傾向が強い人は、厳しい環境に自らを追い込み、成果を出し、周囲の信頼を勝ち取ってきたタイプが多い。だからこそ、その「必勝パターン」から抜け出すのを恐れてしまうのです。

まさに、私が抱いた不安とぴったり重なっています。

裕介先生:期待に応えようとして頑張ることは否定しません。でも、人の期待をエンジンにしていると、フェンスにぶつかるまで、自分でブレーキを踏めないのが問題なんです。仕事でもプライベートでも、限界まで心身を追い込まないと止まれないし、休むのも下手なので回復にも長い時間がかかってしまう。

きっと「期待には応えなければいけない」と決めつけているかもしれないけど、無理なんですよね。すべての他人の期待に応えつづけるなんて、絶対にできない(笑)だから、自分を本当に大切にしてくれる人をしっかりと見極めて、その人との関係を大切にできるように取捨選択していった方が良い。自分を本当に大事にしてくれる人を大事にすることが、自分を大事にすることにつながる。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるすずきゆうすけ先生

自分のままで大丈夫と思うための“自己肯定感”を育む

フェンスにぶつかるまで走り続けるのは嫌だと思う一方、周囲の期待に応えられない自分をイメージすると、胸のあたりがざわざわしました。無意識のうちに「自分は期待に応えるべきだ」と言い聞かせてきたのかもしれません。

成果を出せなくたって、期待に応えられなくたって、自分は自分。そう受け入れ、頑張りのブレーキを使えるようになるには何が必要なのでしょうか。

裕介先生は、自己肯定感と自己効力感という二つの言葉から紐解いていきます。

裕介先生:自己肯定感っていうのは、「自分が自分であって大丈夫」っていう感覚のことなんです。生きづらさを持った人たちの中にも、「自分は大丈夫」だと言っている人はいるけど、それは「自分は成果を出してなくても大丈夫」ではなくて、「成果を出しているうちは大丈夫」なんです。それは、自己肯定感ではなくて、「自分はできる」という自己効力感。この二つを勘違いしている人が意外と多いんですよ。

成果を出して「他者に貢献したぞ!」と感じても、高められるのは自己効力感のみ、自己肯定感は無関係なのです。

裕介先生:自己肯定感は「浮き輪」のようなものだといわれています。人生という海のなかで、ネガティブな感情の波に襲われても、浮き輪があれば浮上できる。ショックなことがあっても、「自分は大丈夫」と思えていれば復活できる。でも、その浮き輪がないと、日常生活の中のネガティブな感情の渦にも簡単に飲み込まれて沈んでしまい、なかなか浮かび上がれずに息ができなくなってしまう。これだと、生きづらくて仕方ない。実はものすごいハンデ戦を強いられているのに、それが他の人からは決して見えないんです。超ハードモードですよね。

グロテスクな部分も共有できる“善き友”を探して

なぜ頑張れないんだろうと布団に潜り込んでいる間、まさに海で溺れそうな息苦しさを感じていたのを思い出します。自己肯定感という浮き輪を手に入れたい…!前のめりになる私に、裕介先生が具体的な方法を説明します。

生きづらいというのは、人生をコントロールできているという感覚に乏しい、ということです。人生のコントロール感を得るためには、3つの基本的な信頼が必要だと言われています。それが、「自分は大丈夫」(自分への信頼)、「他人は信頼できる(他人への信頼)、「世界は安全で怖くない」(世界への信頼)と思えることの3つです。

「自分は大丈夫」というのがまさに自己肯定感ですが、これは一番ハードルが高いと思うので、まずはその他の二つを積み重ねていくことが大切だそうです。

【写真】質問に丁寧に答えるすずきゆうすけさん

裕介先生:自分はもっと頑張らなければダメだ、と決めつけている状態から、自分はこのままで大丈夫だと感じられる状態までは、結構な距離がある。

たった一人で、「自分は大丈夫だ!」と意識を変えられる人は稀なので、まずは「この人だったら“頑張らなければダメ”って言わなさそうだな」と思える人を探して、頼ってみること。頑張っていてもいなくても、稼いでいても稼いでなくても良い。とにかく存在を肯定してくれる存在です。

裕介先生はこうした相手に出会えることの重要さをブッダの教え「善き友」になぞらせて説明します。これは、ブッダの弟子、アーナンダの話に出てくる言葉だそうです。

裕介先生:ある日、弟子のアーナンダがお釈迦様に「仏法を学んで修行する善き友を得ました。ということは、修行の半ばをすでに達成したと考えているのですが、どう思われますか?」とたずねたそうです。

すると、お釈迦様は「そうじゃない」と答えた。アーナンダが少しガッカリしていたら、お釈迦様がこう言った。

「善き友をもち、善き友がいることが修行のすべてだと知りなさい」

きっと、人生も善き友を得ることがすべてだと思うんです。善き友がいれば安心できる。心安らげる足場があれば、仮に辛い出来事があっても、建て直していける。自己肯定感が低い人、つい他人の期待に応えようとしてしまう人は、まず善き友と出会えるよう、頑張ってみてほしいです。

善き友がいるという絶対的安心感は、ピンチのときの心の拠り所になる。それがあることによって、辛い境遇や危険を乗りこえていくことが出来るようになる。裕介先生によれば、そうした安心感のある深い信頼関係を「心の安全基地」と呼ぶそうです。善き友と安全基地。どちらもゼロからつくっていくのはなかなか大変そうに思います。

裕介先生:自分のすべてを開示する勇気がないと、なかなか安全基地はつくりづらいかもしれないね。もちろん、急にすべてを見せられなくても良いと思うんだ。でも、せめて小出しにしてみる、相手に寄りかかる練習をしてみてほしいです。器用な人は、寄りかかるフリができてしまうんだけど、そうではなくて。心から思っていることを開示してみること。

【写真】笑顔でインタビューに答えるすずきゆうすけ先生とライターのむかいはるかさん

いきなり、すべてを開示しようと焦るのではなく、ゆっくり小出しにしてみる。とはいえ、想像してみると、やっぱり少し緊張します。

裕介先生:大丈夫、大丈夫(笑)「こういうの辛いんだ」とか「あれが苦手なんだよね」とかいう自己開示が、信頼の上に成り立つリアルなものであるとき、開示された人は相手のことを愛おしいと思うものだから。それを、「自己開示の返報性」というのね。

以前、「やる気あり美」の太田尚樹くんが「みんな違って、 みんなキショい」と言っていて、僕もその通りだなって思ったんです。人は誰もが必ずグロテスクな部分を抱えている。それを開示し合って初めて、対等な関係を結べるんだよね。

人に頼るのが苦手なお人好しって、周りの話ばかり聞いて、自分の話はあまりしないですよね。それは気遣いなんだけれど、相手だけが自己開示しているという点で、フェアではないともいえる。それを覚えておくと、少し自己開示しやすくなるんじゃないかな。

【写真】すずきゆうすけ先生の大好きなゲームのキャラクターが天井からぶら下がっている

弱さを共有すると相手に負担になってしまう。そう感じてしまう人は、少なくないのではないでしょうか。でも、弱さやいびつさを認め合うことでより強くなる信頼関係もあると、裕介先生は考えているのです。

裕介先生:自分がイマイチだな、しょっぱいなって思っている部分って、実はその人の魅力と密接につながっているんだよね。そのいびつさを受け入れてもらえた、それによって、一層相手と深い関係が築ける。その経験があれば、きっと自分に対して「嫌いだけど仕方ないな、今世はこれでやってみるか」って思える。

もちろん失敗することもあります。僕も何度も失敗しながら学んできました。でも、誰に体重を預けるべきか、誰を信頼するべきか、どれくらい寄りかかっていいのかは、実践でしか学べない。間違えたらやり直したら良いんです。その繰り返しのなかで、弱さを通して人とつながる経験と知性を貯めていけたなら。きっと「自分は頑張らなくたって大丈夫」と胸を張って言える日が来るはずです。

裕介先生の辛い時代を支えたゲーム「ドラクエ」のキャラクターと一緒に記念撮影

「自分のままで大丈夫」と思える日を信じたい

勇気を出して、人に弱さを開示し、頼ってみる。そうやって「自分はこのままで大丈夫」という自己肯定感を育んでいけたなら。きっと、知らず知らずのうちに身につけていた“べき”から開放されて、今よりも健やかに生きていけるはず。

この取材の日以来、わたしは少しずつ人に頼ることを試しています。まだまだ、いびつさをありのまま開示するまではいかないけれど。「自分は自分のままで大丈夫」と思える日まで、“修行”を続けてみるつもりです。

今、頑張らなければいけないと思って苦しんでいるあなたや、自分が好きになれず辛い気持ちを抱えているあなたも、少しずつ“善き友”をつくる練習をしてみませんか。

なんて、ハードル高いですよね。でも、誰もがいびつさを通してつながっている社会を想像してみると、頑張りすぎる私たちも、肩の力を抜いて生きていける気がしませんか?裕介先生と話していると、その希望に賭けてみたいと思えるんです。

【写真】微笑んで立っているすずきゆうすけ先生とライターのむかいはるかさん

関連情報:

秋葉原saveクリニック ホームページ

(写真/高橋健太郎)