【写真】笑顔のやまもとりょうさん

30代も半ばになり、私のまわりではぽつりぽつりと家を購入する友人が増えてきました。

私の両親も「結婚したら、いずれは家を買うもの」という考えがあるらしく、賃貸住宅に住み続けている私たち夫婦に家の購入を勧めることもあります。

このまま賃貸住宅に住み続けることは間違っているのか。そう考えることもありますが、私自身は、いつでも自由に動ける賃貸住宅での生活がとても気に入っています。

とはいえ、今は良くてもこれから先、歳を重ねたときに困ることがあるのだろうかという漠然とした不安はあります。事実として高齢者であることを理由に賃貸住宅の契約ができなかったり、追い出されたりしてしまうことも多いのです。

でも、それはもっともっと先のことだから。そう思い込ませて不安は見て見ぬふりをしてきました。

そんな私の気持ちを楽にしてくれる、未来に希望を感じさせてくれる人に出会いました。大手不動産会社勤務を経て、高齢者の住まい探しを手伝う不動産会社「R65不動産」を運営する株式会社R65代表取締役の山本遼さんです。

年齢に関わらず、自分らしい選択をして生きていきたいと思っている人は多いはず。そんな社会が実現するためのヒントを探すため、私は山本さんにお話を伺うことにしました。

挑戦の原動力は、自分が欲しいものを作り出したいから

【写真】笑顔でインタビューに答えるやまもとりょうさん

山本さんは、不動産会社の他、シェアハウス、スナック経営など、さまざまなビジネスを手がけています。

そんなふうに、多くのことに挑戦する原動力は、「自分が欲しいもの、自分が居たい場所、自分が暮らしたい社会」を作りたいから。

高齢者に向けた賃貸住宅を専門に扱う不動産会社「R65不動産」を起業した理由も、「自分が高齢者といわれる年齢になったときに、自分で住む場所を選ぶことができる、今より選択肢の多い社会を作りたいから」だと言います。

みなさんは、歳を重ねた後の自分がどんなふうに暮らしているだろうと考えてたことはありますか?暮らしているのはどんな場所でしょう。長く住んだ自分の家、安心できる介護施設。その時々の生活に合わせて賃貸住宅で暮らしたいという方もいるかもしれません。

でも、現代社会において、高齢者が賃貸住宅を借りることはとても難しいこと。持ち家がない、家族がいないという場合は、健康で自立して暮らせる余裕があったとしても、介護施設に入居するという撰択をしなければいけない場合も多いのです。

山本さんが目指すのは、持ち家でもなく、介護施設でもない、賃貸住宅が第3の選択選択肢となること。R65不動産では、高齢者でも借りることのできる賃貸住宅や、そういった物件を持つ不動産会社を紹介するなど、65歳以上の方の住まい探しをサポートしています。また、高齢者が賃貸住宅を借りるうえで不動産会社やオーナーが抱く不安をさまざまなシステムや保険で解消。その敷居を低くするための活動も行っています。

今でも忘れない、祖母の凛とした働く姿

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるやまもとりょうさん

山本さんは、1990年に広島県で生まれました。両親は共働きだったため、幼い頃から祖父母の家で過ごすことも多く、ふたりの働く姿を見ながら育ちました。

祖父母は、自宅で薬局を経営していました。小学生のときには、学校が終わって友達と遊んだ後や、習い事の後に祖父母の家に行って親が帰ってくるのを待っていましたね。

薬剤師だったおばあちゃんは、薬学部を首席で卒業。当時、女性が薬学部を、しかも首席で卒業するというのは、とても珍しいことだったそうです。

いつも背筋がぴしっと伸びていて、博学で聡明だったおばあちゃん。でも、人と接するときはとても謙虚で、近所の人からも愛されていました。

本当にかっこいいおばあちゃんでしたね。薬をひとつ売るのにも、しっかり話を聞いて、何十分も世間話をしたりして。学歴もあって、いろいろなことを良く知っている祖母でしたが、良い意味でそんなことを感じさせない、温かい女性でした。子供心にもその姿が素敵で、祖母が亡くなった今もその印象が残っています。

東日本大震災発生後、インターンとして滞在した被災地で気づいた、自分のできることの少なさ

【写真】微笑んでインタビューに答えるやまもとりょうさん

祖父母の家を行き来しながら育った山本さんは、高校生になりました。進学先を決めるにあたり、山本さんは自分が何をやりたいのかを考え始めます。

それでも「これがやりたい!」というようなはっきりとした目標はこの段階では見つけられませんでした。小学生の頃は考古学者になりたいと考えていたことから、将来は何かを探求する仕事に就ければと工学部に入学を決めました。研究ができて、ものづくりも好きだった自分には合っていると思ったんです。

中学時代と高校時代は大きな目標を持つこともなく、だらだらと過ごしてしまったという山本さん。大学では思う存分、いろいろなことにチャレンジしよう、そう決意して、意気揚々と大学に入学しました。

進んだ大学は愛媛県。いろいろな条件から、愛媛県か山口県か島根県の大学が選択肢にありました。山を渡るなら、海を渡った方が面白そう!と、山本さんは愛媛県を選んだのです。

入学前に掲げた目標通り、初めて行ったイタリアを皮切りに、海外へ出かけたり、英語を勉強したり、研究に没頭したり。大学生活はとても充実したものでした。

順風満帆な大学生活3年目が終わろうとしていた3月、東日本大震災が発生したのです。

就職活動のために、東京に滞在していたときのことでした。東京も電車が止まったり、混乱していましたよね。そんななか、友達から「募金活動をしよう」という電話がきて、地震発生の5日後には愛媛で募金活動を始めました。

募金活動をするには、さまざまな届け出が必要です。また場所によって全く反応が違ったり、集まった募金をどこに振り込むかを考えたり、走りながらそういったことに対応したので、とても大変だったけれど、勉強になったという山本さん。

地震が起きた4ヶ月後の7月、募金活動の仲間とともに、内閣府のプログラムを通して被災地である岩手県にインターンとして滞在しました。

受け入れ先の会社で、企業が地域のために何ができるかを考えたり、瓦礫の撤去や溝掻きなど、滞在期間の2週間で行ったことはさまざま。ですが、山本さんが感じたのは、今の自分にはできることは、本当にわずかしかないんだということでした。

【写真】インタビューに答えるやまもとりょうさん

地域のために何かやりたいと思っても、事業にきちんと落とさないと続かないんだということを痛感しました。「学生だからできること」という声にも、反論の余地はありませんでしたね。

地震が発生した直後から募金活動を始め、現地へ来る前は「何かやってやるぞ!」という気持ちでいました。ですが、実際は2週間では何も変わることはなかったのです。

岩手から帰るときに、山本さんを受け入れてくれた会社の社長がこんな言葉をかけてくれたといいます。

「岩手のことを想ってくれるのは嬉しいけど、お前はお前が頑張りたいところで頑張れ」

そのときは突き放されたのかなって感じたのですが、この言葉は今も僕の救いになっているんです。それまでも被災地に対して想いを持って活動していたのですが、被災地で活動することが全てではないんだと気づかされました。被災地ではなくても、僕自身がどこかで頑張ることが、まわりまわって社会のためになればいい。そんなふうに考えられるようになりました。

効率よく働くことで、社員のなかで、売上ナンバーワンに

【写真】微笑んでインタビューに答えるやまもとりょうさん

就職活動中、さまざまな企業を模索するなかで、「なんだかこの会社、いいな」と思ったのが不動産会社でした。縁あって、山本さんはその会社に内定。全国に支社がある不動産会社の愛媛支部で、社会人の一歩を踏み出すことになったのです。

入社後、先輩からは「効率良くやることが、仕事をするうえで、すごく大切なことだ」と教えられます。

確かに“効率”は仕事をするうえでの大切な要素のひとつだと思います。そして当時の僕は、効率よく仕事をこなすために、無意識的に効率が悪そうなお客さんは断っていました。

不動産会社で働き始め、違和感を感じることもあったといいます。そのひとつが、留学生が部屋を借りられないこと。留学生はそのほとんどが一人で日本に勉強しに来ているので、日本に連帯保証人になってくれるような人がいません。留学生として来日しているのに、部屋が借りられないということに山本さんは違和感を感じたのです。

でも、そんなことにも蓋をして、効率的に働き続けた結果、入社二年目で、全社のなかで売上が一番になるという偉業を達成しました。

その結果は素直に嬉しかったです。でもその一番だとか、売上の数字が嬉しかったのはその一瞬だけでした。本当に嬉しかったのは、お客さんが喜んでくれたことや、一番になったことで職場のまわりの人たちが一緒になって喜んでくれたことだったんです。

社会人になって二年目。山本さんは、自分自身の喜びややりがいは人との関わりあいの中にこそ生まれるのだと少しずつ気づき始めました。

80歳のお客さんのために200件の電話。自分が歳を重ねたときに、こんな社会では生きたくない

全社員のなかで売上が一番になった山本さんは、「頑張ったから、さらに東京で修行しておいで!」という言葉に背中を押され、東京へ異動することになりました。

東京で働き始めてすぐ、80代の女性のお客さんを対応することに。その方に言われたのが「ここで不動産会社5件目です」という言葉でした。

何がショックだったかって、僕自身もそのときまさに断ろうとしていたんですよ。それまでの効率性を意識して、無意識に。断ることが当たり前になっていた自分自身の行動がショックでした。

話を聞いてみると、その方がそれまでに訪ねた不動産会社ではやはり門前払いをされたといいます。目の前のお客さんのためになんとかしたい、という想いを持った山本さんは、そのお客さんを断ることはせず、その方のために賃貸住宅を探すことにしたのです。

不動産会社や大家さんなどに電話をして、80歳の女性が借りる家を探していると切り出すと、返される言葉はどこも一緒、「私のところにはありません」「他をあたってください」。

後輩と協力して、電話をかけた先は200件以上。そのうち良い返事をしてくれたのはたった5件でした。

200件電話をかけて、5件だけってありえない数字なんです。これは大変なことだと思い始めました。今の社会では、持ち家がない高齢者は介護施設に入居する以外の選択肢がない。僕自身が高齢になったときに、そんな狭い選択肢しかない社会で生きたくないと思いました。

そんな社会に一石を投じたいと、新卒から3年と1ヶ月働いた会社を退職。山本さんは起業への道を歩み始めます。

孤独死など、高齢者の賃貸を阻む大きな課題

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるやまもとりょうさん

高齢になると、賃貸住宅は借りにくい。漠然とその事実を知っている人も多いのではないでしょうか。なぜ、高齢になると賃貸住宅が借りにくくなるのかを山本さんが説明してくれました。

高齢の方に賃貸住宅を貸すうえでの課題は、3つあると言われています。1つが孤独死。2つ目が入居中のトラブル。3つ目が、そもそも業界内に知見がないことです。

なかでも、一番大きな課題が孤独死。一人で住んでいる部屋のなかで亡くなった場合、その後長い時間誰にも気付かれない可能性があります。そうすると、部屋のクリーニングにお金や時間がかかることはもちろん、次の借り手が見つからない、見つかったとしても賃料を下げなくてはいけないなどの問題が出てきてしまうのです。

入居中のトラブルについては、入居したときには元気だったとしても、その後認知症などにかかるリスクや、それに伴う暴力行為や徘徊などを心配する不動産会社や大家さんが多いのだそう。

また、入居者が死去した後の家財道具の処分や法的な契約の解除の方法など、業界のなかでもまだまだ実績が少なく、知見が蓄積されていない状態。確かに不動産会社や大家さんが、高齢の方に賃貸住宅を貸すことはリスクになり得ると考えるのは仕方ないことなのかもしれません。

でも、と山本さんは続けます。

これらは決して高齢者だけの問題ではないんです。大家さんや不動産会社のなかには、先々のリスクを減らすために、40歳以上は断るというところもあるくらいなんです。たとえば、30代、40代から賃貸住宅に住み続けてそのままそこで年齢を重ね、高齢者になるということは珍しい話ではありません。

40歳と聞くとぐんと自分の年齢と近づいてきたという人も多いのではないでしょうか。

私たちが暮らす現代は、めまぐるしく変化が起こり、さまざまな選択肢が増えたとも言われています。でも、気づけば住む場所については、これまでの仕組みがこの先ずっと続いていきそうな状況なのです。

いくつになっても豊かな暮らし。亡くなった祖母を想って掲げたビジョン

【写真】笑顔で立っているやまもとりょうさん

山本さんが起業を考えたときに思い出したのは、薬局で働くおばあちゃんの姿でした。

おばあちゃんは78歳で亡くなりましたが、最後まで自立した生活を送っていたのだといいます。

10年間はがんで闘病していました。最初の方は僕も知らなくて。体調悪くなると病院に行くんだと聞いていました。でも実際、病気だとは思えないくらい元気だったんです。亡くなる2年前まで薬局での仕事も続けていましたから。

がんを宣告された後も、変わらない生活を続けてきたおばあちゃん。亡くなる2年前、76歳のときに「これ以上の治療法はない」と病院で告げられます。

それを受け入れたおばあちゃんは、薬局をたたみ、家を売り、山本さんの叔母である、自分の娘の家に引っ越していったのです。

そんなふうに自分の幕引きを、しっかり自分で考えて決められるって、本当にかっこいいですよね。

どういう支えがあれば、おばあちゃんのような自立した生活を送ることができるのだろう、と山本さんは考え始めました。

そうして行き着いたのが、R65不動産のビジョンでもある「いくつになっても豊かな暮らし」という考えだったのです。

今のままだと、高齢になったときに「自立した暮らしを送りたい」という気持ちと、健康な心身があったとしても、選択肢がものすごく狭いんです。持ち家か、介護施設か。その二択だけではなく、第3の選択肢として賃貸住宅があってもいいんじゃないかなと思ったんです。

山本さんが掲げた「豊か」とは、決して物質的なことだけを示しているわけではありません。本人が自立して、自由に生きられることこそが豊かさだと山本さんは考えているのです。

これまでの課題を解決することで、賃貸住宅の可能性をさらに大きく

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるやまもとりょうさん

高齢の方が第3の選択肢である、賃貸住宅での生活ができるようになるための事業として、当初山本さんは高齢の方でも借りることができる物件を集めたサイトを立ち上げようと考えていました。

それで物件を集め始めたんですけど、やっぱりなかなか集まらなくて。集まってきても、高齢の方が賃貸住宅の申し込みや手続きをするのは大変なので、そのあたりはサポートが必要だなと感じました。なので、途中からサイト運営ではなく、不動産会社に切り替えことにしたんです。

その背景には、住む場所がなく入院している病院から出られずに「帰る場所がない」と泣いている人や、賃貸住宅を追い出されそうになって困っている高齢者との出会いもありました。

現在R65不動産は、法人化して3年目に入ったところです。最初は戦略もなく、見切り発車してしまったようなところもありました。でも家を借りられなくて本当に困っているという方々との出会いがあって、もっと頑張らなくてはと改めて思うようになったんです。

これまでの4年間で、山本さんは、高齢者が賃貸住宅を借りるうえでの、課題をさまざまな方法でクリアしてきました。

たとえば、孤独死については、NECと見守り機器を開発。見守り機器は現在二種類あり、ひとつめは、電気の使用量を数ヶ月分記録し、そのデータを元に「いつもと違う」電気の使用量を検知することで、登録されたメールアドレスに異常を知らせるシステムです。もうひとつが、照明の前を12時間あるいは24時間誰も通らないとそのことを異常として伝えるもの。

技術的には、完全に見守るということも可能です。バイタルを取ったり、監視カメラをつけたりすれば亡くなる前に見つけることもできるでしょう。でもそれでは、自由な生活とは言えませんよね。プライバシーが確保されて、自由もあって、でもいざ亡くなったときには綺麗な状態で見つけてあげられるというのが大切だと思っています。

万が一部屋で亡くなったとしても、原状回復の費用保証や、遺品整理、特別な清掃などを賄う保険も整備。見守り機器と保険をセットにした「R65あんしん賃貸パック」で、山本さんは賃貸住宅の可能性を増やし、大家さんが安心して高齢の方に部屋を貸し出せる仕組みを作ってきました。

それに加え、山本さんは、「物件数を増やし」「情報を整備し」「より多くの高齢の方に届ける」ために、サポーターを募集。より多くの方と一緒に未来を作るために、株式ではなく、寄付を募るサポーターという形を選択しました。

少しおこがましいかもしれませんが、応援サポーターの方にお返しできるのは、利益ではなく、「いくつになっても豊かな暮らし」を送ることができる未来だと思っています。それをみんなで一緒に作っていくというイメージで“サポーター”という制度に行き着いたんです。

また、R65不動産のホームページに物件情報を掲載することができる、「R65パートナー不動産会社」も募集。これは、山本さんの元に届く「ノウハウを教えて欲しい」「もっと物件を掲載してほしい」「フランチャイズとして加盟したい」という声から思いついたものです。

ありがたいことではあるのですが、フランチャイズとして共有できるほど、まだ情報が整理できていないという現状もあります。でも、入居希望の方からは、弊社が提供している東京を中心とする一都三県以外からもお問い合わせをいただくことも多いんです。なので、ニーズやノウハウを弊社だけで抱えるのではなく、パートナーとなっていただくことで一緒に市場を広げていきたいと考えました。

パートナー不動産会社は月額3万円を支払うことで、R65不動産のサイトに会社や物件情報を掲載できるように。入居希望の高齢の方と直接コンタクトが可能になること、管理希望の大家さんにPRができること、この2点が大きなメリットです。

最近ではパートナーさんが増えてきたので、経営も少しずつ安定してきました。でもやっぱり、仕事をする上での喜びは数字より、お客さんに喜ばれたり、人と関わることで生まれるという部分は変わりません。高齢のお客さんからラインで「今の家最高!」というメッセージとともに「HAPPY!」みたいなスタンプが送られてくることもあるんですよ。そういうのが嬉しいんです。

いつか事業がなくなることが理想。社会から課題がひとつ消えたということだから

【写真】街中で真剣な表情のやまもとりょうさん

山本さんは、現在R65不動産のほかに、3つの事業を立ち上げています。それがWEBサイト「ポックリ物件.com」、6棟のシェアハウス、そしてスナックの運営です。

ポックリ物件.comは、前入居者が居室内で自然死した賃貸物件を集めたサイト。2019年3月から公開を予定しています。

「事故物件」という言葉がありますが、たとえば自然死で眠るように亡くなられた場合も事故物件になるんだろうか、と考えたんです。さまざまな不動産会社にヒアリングしましたが、反応は各社さまざま。でもよく考えると自宅での自然死は幸せなことですよね。そんな幸せな生涯を終えた人が暮らした部屋に暮らすことは、意味のあることなんじゃないかと考えて、このサイトを立ち上げることにしました。

ポックリ物件.comでは、借りる側が通常より少し安い賃料で住めることはもちろん、前入居者が最期まで住みたかった家、死ぬまで住みたい家に住めるということをメリットを掲げています。

また、「こんな物件があるからやってみない?」と知り合いの大家さんから持ちかけられて始めたのが、シェアハウス。それまで山本さんは、生活や住空間を誰かとシェアする必要はないと考えていたのだそう。

でも、よく考えると僕は社会人になってから東京に出てきたので、友達が少なかったんですよね。学生時代はみんなでわいわい集まって楽しかったなと思っていました。もし、シェアハウスをやったらリビングがそんなみんなの集いの場になったりするのかもしれないと気づいたんです。

そして、最後がスナック。これも家以外にみんなが集まる場所があったら楽しそうという考えから始まりました。

シェアハウスって、シェアするとは言っても、家なので、内の世界ですよね。外の世界というのも作りたいな、と思いました。今は日替わり、曜日ごとに違う人がオーナーを務めるスナックをやっています。月曜日は〆に手打ちうどんが食べられるスナック、水曜日は大人のファミレスなど、同じ店でありながらその日ごと、オーナーごとにテーマが変わるシェアスナック、みたいな感じですね。

Twitterでスナックの日替わりオーナー募集告知をしたところ、「やりたい!」という挙手が数多くあり、ほぼその告知のみで決まったといいます。

R65不動産を含め、さまざまな事業を手がける山本さんですが、その原動力はすべて、「これがあったらいい」「こんな場所に住みたい」「こんな社会なら生きやすい」という、山本さん自身の願いや欲求がベースです。

R65不動産については、その存在がなくなることが、僕自身の願いでもあるんです。R65不動産がなくなるということは、高齢者が賃貸住宅を借りることの困難がなくなるということだと思うので。

いつでも“わくわくする方”を選択して生きていく

「自分が生きやすい社会を作りたい」これは山本さんのインタビュー中に何度も出てきた言葉でした。でも、山本さんの話を聞くと、大学時代のボランティア、不動産会社勤務時代、そして、現在に至るまで、自分のためのさまざまな行動がまわりまわって誰かのためになっていることが分かります。

正義感、みたいなものはないんです。誤解を恐れずに言うと、今、高齢者が賃貸住宅を借りられないのも、僕自身じゃないから別にいいやという気持ちもあります。でも、借りられて喜んでいる姿をみるのは物凄く嬉しいんです。自分が実現したい社会で誰かが幸せになるのは嬉しいですよね。

自己犠牲のうえに成り立つものは、結局は続かないと山本さん。今は、自分が幸せだからこそ、いろいろなものをまわりにシェアできているといいます。

いつでも「わくわくする方」を選んで生きていきたいと思っています。その結果、ひとつでも社会課題が解決するなら嬉しいですね。

【写真】笑顔でインタビューに答えるやまもとりょうさん

「僕自身が高齢になったときに、選択肢の多い社会で生きたいから」山本さんは、自分自身の願いを叶えるために、R65を立ち上げました。

歳を重ねたから、この生き方しか選べない。そうではなくて、歳を重ねても選択肢がちゃんと用意されていて、自分の意志で生きることができる。それが人生の豊かさにつながり、人が幸せに生きていける可能性を広げてくれるのでしょう。

そんな社会の実現のために活動を続ける山本さん、そしてR65不動産をこれから応援していきたいです。だって私自身も、山本さんが抱く願いと同じく、これから、歳を重ねた後も自分の人生にわくわくしながら生きていきたいと思うから。

【写真】微笑んで会話をしているやまもとりょうさんとライターのあきさだみほさん

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(写真/土田凌 、編集/工藤瑞穂、協力/杉田真理奈)