【写真】笑顔のもろずみはるかさん

見るたびに、なぜか泣いてしまうCMがある。

とある香水のCMで、女優のナタリー・ポートマンが恋人と抱き合ったり、試したり、突き放したりしながらも、最後にまっすぐな眼差しで問いかけてくる。

What would you do for love?(愛のために、あなたは何をする?)

愛のために、何をするか。永遠の課題だ。

愛かもしれない感情が芽生えたとき、私はこの人に何ができるだろうかを考える。悩んでいたら話を聴きたいし、迷っていたら背中を押したい。悲しんでいるときには一緒に悲しんで、抱きしめたくなる。

でも、できないこともある。その苦しみを代わってあげたいと祈っても、今日も明日も「私」の視界が延々と続いていくだけだ。目に見えない愛を形あるものに変えたいという欲求は、誰もが持っているのかもしれない。けれどもその方法が分からないまま、ナタリーの問いに答えられないまま、今日も眠りに落ちていく。

「夫がドナーになってくれて、腎移植を受けました」

今から1年半くらい前、SNSでとある投稿が流れてきた。ライターをされているとのことで共通の友人も多かった、もろずみはるかさんの投稿だ。

3月23日、夫がドナーになってくれて腎臓移植手術を受けました。わたしは中学一年生の頃から腎臓病を患っており、急激に悪くなったのはここ2年です。慢性腎不全になり徐々に体が弱っていき、いろんなものが削ぎ落とされていく中で、最終的に残ったのは愛でした。(中略)

実は手術の前日まで、夫が本当に病院に現れるのかその瞬間まで期待しすぎないようにしていました。健康な人が体を切り刻むのですから、そりゃ怖いです。

なので、来ないなら来ないで構わない。

「だよね〜。わたしだって手術は怖かったの。ささ、透析にいってくるね」と笑って済ませようと思っていました。しかし、夫は時間通り病院にやってきてくれました。

実際の投稿はこの10倍くらいあったが、食い入るように読んだ。私自身も腎臓を手術した経験があったので、とても他人ごとには思えず、とてつもないものに出会ってしまった気がして読んだ後はしばらく動けなかった。

ここから1年も経たないうちに、リアル・はるかさんに出会う。はるかさんはすっかり元気になった様子で、お酒を片手に目を細めてお友達と大笑いしていた。なんてポジティブなオーラをまとった人なんだろうと思った。少しお話してみると、はるかさんは自身が紡ぐ文章と同じように、率直であたたかい人だった。

【写真】街道で笑顔で立っているもろずみはるかさん

以降、ライターの先輩として色々なお話をうかがった。腎臓病や移植のおかげで人生の「マイテーマ」が見つかったこと、同じく腎臓に病のある人から感謝されたこと、一方で夫から腎移植だなんて身勝手だとときに批判されることもあること。それでも、腎移植に関する情報が少ない現状を打破しようと気丈に発信を続けるはるかさんがまぶしく見えた。

でもこれまで、どうしてか腎臓をくれた夫のたくまさんとの関係性について尋ねたことはなかった。倫理とか本質的な価値観につながる話題だろうだから、避けていたのかもしれない。

What would you do for love?(愛のために、あなたは何をする?)

はるかさんにも、そう尋ねてみたかった。

夫を嫌いになったら? 離婚したくなったら?

誰かの腎臓が、自分の中で動いているってどんな感覚なんだろう。はるかさんはこう表現する。

お腹の中にある夫の腎臓は、母親のようであって、息子のようでもある。結婚というのは血がつながっていない他人同士がするものだけど、私の場合は体までつながってしまったんですよ。しかも、それが私を生かしている。私も自分の感情がいわゆる“愛”というものなのかは分からないけど、一番近い感情が“愛”なんだろうな。

【写真】腎臓の部分を抑えるもろずみはるかさん

そんなはるかさんに、夫婦間の腎移植について聞いたときから気になっていたことをぶつけてみた。もし夫のことを嫌いになったら? 離婚したくても言いづらいのでは? そんな質問をした自分が恥ずかしくなるくらい、はるかさんの答えはまっすぐだった。

それ、ときどき言われるんですよ。でも、そういえばそんな考え方もあるよねってそこで初めて気付くくらい、考えもしなかったです。

けれどもはるかさんには、移植前、夫に対して不安だったことが一つだけあったという。「腎臓をあげたんだから○○して/○○しないで」と事あるごとに持ち出されたらどうしようと。

でもそんな心配はまったく必要なくて、夫は「あげたものはもう君のものだから」と、私の行動にはノータッチなんですよね。

たとえば、腎移植をして健康が戻ってくると同時に、味覚も研ぎ澄まされていって、私、人生で初めてワインを美味しいと思ったんです。

もちろん飲みすぎはしないけど、ワインにふけった時期がありました。私が夫だったら、これって結構ムカつくと思うんですよ。でも夫は何も言わないんです。それどころか、「はるかさんは楽しい人だね」って笑ってくれて。

“でも”、と話は続く。

あるとき、夫が椎間板ヘルニアになっちゃったんです。腎移植とは間接的に関係していて。市民ランナーだった夫は移植してから8カ月後にフルマラソンに復帰したんですけど、左右にある2つの腎臓の片方が無くなったことで走るフォームが微妙に崩れたみたいで。

痛そうにしている夫を見たら、それまでキラキラしていた世界が一気に暗くなって、ワインなんて1ミリも飲みたくなくなりました。大切な人が元気じゃない世界は、こんなに灰色に見えるんだなって。

【写真】微笑んでインタビューに答えるもろずみはるかさん

たくまさんのこととなると、にこにこと色んな話をしてくれるはるかさん。

「離婚できなくなったね」「そうまでして生に執着したかったの」

――外野の声をはねのけるくらいの強い絆が、二人の間にはあるんだと実感した。

20歳まで「慢性腎臓病」が病名だと思っていた

はるかさんは福岡で育った。ベッドタウンのため子どもが多く、なかでも特にわんぱくだった。正義感が強く、掃除をしない男子をほうきで追いかけ回したこともあった。そのためか今でも同窓会で旧友に会うと「おう…」と微妙な反応をされるのだとか。

中学1年生のとき、学校の健康診断で腎臓病が発覚する。尿検査で「たんぱく」と「潜血」の両方の数値が高く出た。はるかさんが今でも後悔しているのは、このときすぐさま大きな病院に行かなかったこと。体力には自信があったので、近所の町医者に通い続けた。

13歳で腎臓病が発覚して20歳で精密検査をするまで、私の病名は「慢性腎臓病」だと思っていました。慢性腎臓病のなかにも、色んな病気があるんです。

自分の病気が「IgA腎症」だと分かったのは、20歳を過ぎてから。大学病院で腎生検という精密検査をしてもらって初めて分かりました。そこから、パルス療法というステロイドを大量に点滴する処置をしたのですが時すでに遅しで、完治できないほど状態は進行していました。

【写真】インタビューに答えるもろずみはるかさんとライターのにしぶまりえさん

IgA腎症とは、慢性糸球体腎炎(慢性腎炎)の一つ。IgAというのは生体を守る免疫物質の一つだが、扁桃腺炎などをきっかけに違うタイプのIgAが出現し、腎臓の糸球体(血液中の老廃物や塩分をろ過するための毛細血管の塊)に炎症を起こすことで、血尿や蛋白尿が出現する病気。初期は無症状だが、進行すると腎機能が低下し、腎不全や合併症を引き起こす。

慢性腎炎のなかでは最も多く、日本では現在33,000人ほどのIgA腎症患者がいるという。

慢性腎臓病は悪くならないと生活に支障をきたす程の症状が出ないと言われています。私も高校生の頃は、疲れやすいのとむくみが出るくらいの自覚症状でした。

【写真】質問に丁寧に答えるもろずみはるかさん

「病気になってよかった」という一言が今苦しんでいる人を傷つける。だから私はあまり言わないようにしています。それでも、私は病気によって得たものも多いんです。ほら、ほうきを持って人を追いかけまわすような子だったから、じわじわと自己肯定感が下がっていく経験をしたおかげで、人の痛みが分かるようになったんです。

じわじわと自己肯定感が下がっていく。病気によってはるかさんは長い間「不完全な人間だ」だと自分にレッテル貼りをしてきた。

副次的なもののなかでも最も大きいのは「出産できないかもしれない」という十字架だった。妊娠をすると、母体の腎臓には大きな負担がかかる。リスクがあまりに大きいために、腎臓病と出産可能性とは切っても切り離せない関係なのだ。

はるかさんも29歳のときに妊娠を経験する。それが人生を大きく動かすことになる。

「病気で子を授かれんかもしれんけど、それでも結婚してくれる?」

夫のたくまさんとの出会いは、新卒で入社したIT会社。新入社員研修で1カ月過ごした研修センターで、はるかさんはたくまさんにロックオンした。

自分では隠しているつもりだったんですけど、もう顔に好きって書いてあるくらいあからさまだったらしくて。「ねぇ、もろずみ君」ってやたらと話しかけるし、夫に「髪の毛、後ろで結んだほうが可愛いんじゃない」と言われたら、さっそく翌日からバシっと結んでいくみたいな。

恋愛経験のあまりない夫でもすぐ私の好意に気付いたみたいでした。

【写真】笑顔でインタビューに答えるもろずみはるかさん

1カ月の研修期間を経て、広島配属だったはるかさんと東京配属だったたくまさんは離れ離れになるが、それを機に二人の付き合いはスタートした。

その頃、はるかさんは外食をしない生活をしていた。外食は塩分が高い。サラダ一つをとってもドレッシングがたっぷりとかけられている。慢性腎臓病であることを知らされたときから塩分やたんぱく質には気を付けてきたため、「外食なんかしたら早死にしちゃう」と、友人からの誘いはできるだけ断っていたという。

腎臓病って、サイレントキラーって言われているんです。足がむくんだり目の下のクマが濃くなったり、疲れやすくなったり、それくらいしか自覚症状がなくて。実際には自覚がない間にも着実に悪くなっていっているんですけど、恋をしたり、夢だったアメリカ生活を実現したり、希望に溢れた生活をしていると、ときどき自分が病人であることを忘れてしまうくらいでした。

3年でIT会社を辞め、アメリカで音楽活動をしている姉を手伝うため渡米。帰国後28歳で結婚するまで、たくまさんとはほとんどの期間を遠距離恋愛で過ごした。

物理的に一緒に過ごした期間はそう長くなかったが、はるかさんには自信があった。この人と一緒にいれば、私はまっとうに生きられる。羅針盤を見つけたような、そんな自信だ。

結婚についてお互い考え始めた頃、どうしても言っておかなきゃと思って「病気で子を授かれんかもしれんけど、それでも結婚してくれる?」って聞いたんです。

すると夫は「子どもが欲しくて結婚するわけじゃないし、一緒に長生きして、二人で温泉にでも行けたらいいね」って言ってくれて。すぐに式場を探して、互いの親族と親友だけのシンプルな式を挙げました。

【写真】微笑んでインタビューに答えるもろずみはるかさん

結婚から1年が経った頃、はるかさんは生理が遅れていることに気付く。病院に行くと、お腹の中に新しい命があることを知らされた。

妊娠して、ようやく一人前になれた気がした

妊娠を知り、初めは「やばい」と思ったというはるかさん。新しく制作会社でコピーライターの仕事を始めたばかりだったこともあり、仕事のことと腎臓のことで焦りを隠せなかった。

最初こそビックリしたんですけど、それでも病院で色んな人に「おめでとうございます」と言われたり「順調に育ってますね」と経過を知らされたりするうちに、不安な気持ちがだんだんと幸せな気持ちに変わっていきました。10年以上子どもを産めないかもしれないと思って生きてきたので、つわりすら愛しくて。たくまさんとの子というのも嬉しかったし、ようやく女として一人前になれたような気がしたんです。

腎臓病患者の出産にはリスクが伴う。けれども、腎臓病がありながら出産をした人たちだってちゃんといる。たくさんの前例がはるかさんの幸福感を支えていた。

妊娠20週に差し掛かった頃、「一緒にエコーを見ようね」と夫と行った検査で、いつもの担当医とは違う医師が何やら深刻な顔をしている。信じられないとでも言うかのように、二人にこう告げた。

産むつもりですか? とてもじゃないけど、やめた方がいい。

妊娠により、はるかさんの腎臓は急激に悪化していた。このままだと子どもが育たない、母体も透析になるだろう、無理に出産をしたら死ぬ可能性だってある、と。

なんでそんなことを言うの、私は自分が死んでも絶対に産みます、って押し問答になりました。夫はショックで、診察室で倒れてしまいました。私は、絶対に折れたくなかった。せっかく来てくれた奇跡をふいにするなんて……。

納得できずに帰ると、私以外の家族はみんな産むべきじゃないと言ってきて、私ももうパニックになってしまって……。

【写真】質問に丁寧に答えるもろずみはるかさん

少しだけ落ち着いたとき、はるかさんは医師の言葉を思い出していた。

妻も子も死ぬか、障害を抱えた子どもが産まれる。残された夫は、一気にそれらを抱えなければいけなくなるんだよ――。

医師が提案してくれたのは「仕切り直し」ということでした。あなたはまだ若いんだから、今後も妊娠のチャンスはある。きちんと腎臓を治してから、もう1回頑張ればいい。今この子だけを諦めなさいって。私は死に至らずとも、症状が重篤になることは目に見えていました。

確かに医師の言う通り、たくまさんに背負わせるものが多すぎる。

それで泣く泣く、子どもを諦める決断をしました。

せっかくやってきてくれた我が子に、ようやく取り戻した“一人前の自信”。失うものが多すぎたため、はるかさんは思考を停止させようと努めた。何も考えないように、何も感じないように。

日本での中絶は、妊娠21週6日までと法律で決まっています。私はぎりぎりの20週でした。20週の赤ちゃんの身体はもう丸みを帯び始めていて、胎動もありました。12週以降の中絶は人工的に陣痛を起こして流産させる方法をとるんです。

本当に産むみたいに。275gまで成長した我が子を抱いたとき、まだ手がぴくぴくと動いていて。それがあまりに衝撃的で、それから何年も一切笑えなくなりました。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるもろずみはるかさん

一連をずっと隣で寄り添ってきたたくまさん、普段あまり感情を見せることはないが、このときばかりは隠れて泣いていたそうだ。

疲れやすいため、会社を辞めフリーランスに

お腹から子どもがいなくなって、数週間、数カ月、数年。はるかさんはショック状態が続き、しばらくの間心を無くしていた。それだけではない。追い打ちをかけるかのように、腎臓の数値は妊娠前とは比べ物にならないくらいに悪くなっていた。

IgA腎症に加え、ネフローゼ症候群も発症した。

ネフローゼ症候群とは、尿にたんぱくがたくさん出てしまうために血液中のたんぱくが減り、その結果、むくみが起こる症状のこと。

はるかさんは以前に増して疲れやすくなり、身体にかゆみも出るようになった。心はからっぽで身体も動かない。家事ができず、ただ家でぼーっと過ごすだけの日々が続いた。会社勤めができないのでフリーランスのライターになったが、頑張りたいのに身体が動かない。

たっぷり睡眠をとっても、翌朝、身支度をするだけでぐったりと疲れてしまう。

外出する前には「1時間寝てからでもいいですか」と休み休みやっていました。子どもがいないなら、せめてライターとしては一人前にならないとと思っているのに、思考が追いつかないから質の悪い原稿を量産してしまって。私を信じて仕事をくれた人たちにかなり迷惑をかけたと思います。

【写真】質問に丁寧に答えるもろずみはるかさん

書けなくても締切はやってくる。追い込まれて提出するが、修正が多く編集者を困らせる。八方ふさがりの状態だった。それでも、ときどき綺麗な格好をしてインタビューに出かけるライターの仕事は、そのときのはるかさんにとって唯一社会に何かを還元できる手段で、仕事があることがぎりぎりの自分を保たせてくれた。

その間たくまさんは何も言わず、洗濯をしたり弁当を買ってきたりして、ただはるかさんと同じ時を過ごした。

夫は、他人のことを何一つ変えようとしない人なんですよ。どんな小さなことでも、人を変えようとしない。昔も今もそうですが、それが本当にありがたくて。辛い人のそばにいるってすごく辛いはずなのに、家事ができない私に対しても、何一つ言わない。ただただそばにいてくれました。

新たに生まれた「腎移植」という選択肢

あなたの腎臓は、東京オリンピックまでもたないかもしれない。

医師からそう告げられた。しかし36歳のとき、はるかさんに新たな選択肢が生まれる。中学の頃、慢性腎臓病と聞かされたときからなんとなく人工透析は覚悟していたが、透析のほかにも「腎移植」という手段があるらしい。

腎移植がそれほど広まらないのは、ドナーになってくれる人が少ないから。脳死や心肺停止になった方から腎臓をいただくとなると、平均15年待ちなんです。

その間に亡くなってしまわれたり、つらい透析生活を余儀なくされたりという方がたくさんいます。健康な人からいただくとなると「人からもらってまで健康にこだわろうとは思いません」という人たちもいるそうです。

【写真】インタビューに答えるもろずみはるかさん

人工透析とは、老廃物をろ過する腎臓が機能しないために、2日に一度太い針を指して血を入れ替える処置のこと。日本に透析患者は33万人ほどいる。国民の378人に1人は透析患者だ。

それほどポピュラーな透析だが、患者の負担はかなり大きい。身体的にも、精神的にも、時間的にも、経済的にも。2日に一度、4時間を透析に充てなければならないため、遠出はできなくなるし、痛みもある。経済面では、日本には医療費の公的助成制度があるので月に1万円から2万円ほどだが、それでも一生続けなければならないとなると膨大な額になる。

腎移植の成功は「生着率」で決められる。「5年生着率が90%」というと、100人中90人の移植した腎臓が5年経っても問題なく動いているということ。はるかさんの通っていた病院では、ここ10年の症例の5年生着率は95%とのことだった。

腎移植が物理的に可能であることは分かったが、「健康な人から腎臓をもらう」という心理的ハードルは大きい。しかも相手が夫となると……。

はるかさんはどのようにそれを乗り越え、決断に至ったのだろうか。

【写真】笑顔で街道を歩くもろずみはるかさんとライターのにしぶまりえさん

意を決して夫に「腎臓をください」と言ったわけではなくて、夫は前々から「いつでも僕のをあげるからね」と言ってくれていたんです。とはいえ、簡単に決めるわけにはいきません。ドナーの第一候補は両親でしたが、35歳のときに母が亡くなり、父は糖尿のため不適合に。いよいよ僕だねと、じわじわとドナーになる決意をしてくれたようでした。

はるかさんは悩んだ。自分が悪くした腎臓なのに、愛する人の健康な身体を傷つけることが本当に正しいことなのか。腎移植を受けた人たちは本当にその後幸せになっているのだろうか。考えて考えて、ようやく一つの結論に達した。

それは、「二人で長生きをする」という選択。

私が透析になって鬱々とした日々を過ごしていても、夫はおそらくずっとそばにいてくれる。それはそれで辛いですよね。だから夫のためにも、にこにこしながら生きていきたいって思ったんです。

子どもができないかもしれないなら、二人で温泉に行ってゆっくりしようねって約束したので。結婚した以上は、この人を幸せにするのが私の役目。はるかさんのためじゃなくて、自分のために腎提供をしたいと言ってくれる夫に甘えようと決めました。

「やさしい嘘はやめてほしい」と日記を開始

腎移植を決めてから、その日を迎えるまでの期間がまた大変だった。

「二人で長生きをする」と決めたものの、30代の働き盛りの夫を病人にしてしまうことが、ただの自分のエゴなのではないかと苦しんだ。また、腎臓をあげると言ってくれているたくまさんの本心も分からなかった。

思いやりがある人は、時にやさしい嘘をつきます。ドナーは手術までの数ヶ月間、心臓や肺といったあらゆる器官のメディカルチェックを受けます。その中に「自発的提供意思の確認」という項目があって。命に関わる重要な決断だからこそ、医療倫理の観点から「本当にそうしたいのか」を確認するんです。

夫はやさしい人だと知っていたので、このときばかりはやさしい嘘はやめてほしいと思いました。腎提供した後で後悔しても、もう後戻りできないからです。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるもろずみはるかさん

そこではるかさんとたくまさんは、それぞれの思いを日記に綴ることにした。ルールは、相手に遠慮しないで正直な思いを書くこと。すべては、夫のやさしい嘘を見抜くために。

はるかさんは申し訳ないと思いつつ、夫の日記を覗き見た。「そこは、ホラーの世界でした」とはるかさんは振り返る。

「はるかさん!」と無邪気に肩に手を置かれた直後に書かれた日記には『はるかさんに触れてみた。よかった、嫌悪感はない』と書かれていた。またあるときは『なんで遅くまで仕事をしているんだ。はるかさんのために腎臓を取られる人間の気持ちを考えたことがあるのか』と書かれていた。

一方、こんな記載もあった。『なるべく健康な腎臓をはるかさんにあげたい。お酒を断とう』だとか『風邪を引いたら移植手術が延期になる。毎日マスクしよう』というものも。重度の花粉症でもマスクをつけたがらないたくまさんを知っていたので、そこでの彼の覚悟と温かい思いを知った。

夫は私に対して、責任も嫌悪感もどちらも感じているようでした。一人で抱えきれなくなった私は、葛藤を主治医にぶつけました。「愛する人の体にメスを入れるなんて私のエゴですよね。そんなエゴ許されますか」って。

すると医師は悲しそうな顔で「それでは僕らは世間様に顔向けできないような治療をしているということになっちゃうよ」と。

そのときの医師の顔を見て、私も覚悟を決めたんだと思います。腎移植が現段階では最善で唯一の根本治療だと信じて、人生をかけて患者に向き合っている医師たち。夫と医師を信じて、私も人生をかけてみようって思いました。

【写真】微笑んでインタビューに答えるもろずみはるかさん

手術はおろか、入院をしたこともなかったたくまさん。たくまさんが両親に「ドナーになることにした」と報告したとき、両親は「そうか……」とうつむいていたという。反対されることはなかったし、自分の意思を尊重してくれる両親であることも分かっていたが、特に母親(義母)の悲し気な表情が印象的だったと教えてくれた。

私は「良くなる痛み」、夫は「失う痛み」

手術当日、はるかさんはたくまさんが現れなくても傷つかないように、別の意味で心の準備をしていた。やっぱり怖くなってしまったと言われても、「だよね〜。わたしだって手術は怖かったの。ささ、透析にいってくるね」と明るく言えるように。

けれども、たくまさんはちゃんと病院にやってきた。

ドナーの手術は3時間、レシピエント(受給者)の手術は5時間ほどかかる。

レシピエントはICU(集中治療室)に1泊して異変が起こらぬよう慎重に経過観察をするが、はるかさんは全身麻酔がとけて目を覚ましたとき、反射的にたくまさんの姿を探した。

無事に目が覚めたら、真っ先に夫にお礼を言うんだって決めていました。もちろん術後のダメージはあったけど、それくらいは織り込み済み。私は「良くなる痛み」だから大丈夫なんです。心配なのは夫の「失う痛み」でした。痛がっている夫を見て、私もまた辛い気持ちが蘇ってきました。

手術後のはるかさんのご様子(提供写真)

二人は共に少しずつ回復し、1週間ほどで退院した。傷口は生々しく、自分の身体を見るのも、相手の身体を見るのも怖かった。

手術直後は、とてもじゃないけど互いに欲情しない日々が続きました。

傷は痛いし、見た目も荒々しい……。

このまま男女の関係が無くなったらどうしようと、怖かったです。でもたくまさんも同様の心配をしていたのか、2カ月くらいでまた一緒に寝て、営みも戻ってきました。「男と女に戻れた、よかった」って内心本当に安心しました。

一生夫のことを嫌いになることがない装置がお腹にある

腎移植から半年後、はるかさんとたくまさんは偶然テレビで腎移植の番組を見ることがあった。そこではまさにドナーから腎臓を取り出す瞬間が映っており、二人ともぞっとして顔を見合わせた。「とんでもないことをしてしまったね」と苦笑いをしたという。

はるかさんは、たくまさんからもらった腎臓に手を当ててこう言う。

少なくとも私が確信してるのは、私は一生夫のことを嫌いになることがない“装置”をお腹の中に埋めていただいた。この子が私のメンタルまでコントロールしてるんじゃないかっていうくらい、心も身体も元気です。夫がくれたこの腎臓が、他の臓器や脳みそにポジティブキャンペーンをしてくれているんだってよく分かります。

【写真】腎臓の部分を抑えるもろずみはるかさん

腎移植から1年半がたった今、はるかさんはいくつかのメディアで腎移植に関する連載を持ち、テレビ取材を受けることもある。それほど腎移植の情報はなかなか表に出てこない。ときに懐疑的な意見を投げかけられても、顔出しで発信するのをやめない理由は、腎移植という選択肢があることを病と生きる患者たちに伝えたいからだ。

私が今こうやって体験談をせっせと書いているのも、悩んでいたときに腎移植の情報がもっとあったらよかったなって思うからなんです。腎臓を一つ無くしたドナーは本当に大丈夫なのか、レシピエントの健康は本当に復活するのか。

医師は色々と教えてくれるけど、当事者が腎移植を経て、本当に幸せになっているかは分からない。だからこそ私が書いているんです。

批判もときに目にしてしまうが、それ以上にはるかさんのもとには感謝や励ましの声が届く。

うれしいのは「あなたが移植で幸せになったということを知って、私も一歩踏み出せました」という声ですよね。それがまさに、私自身が怖かったことなので。

当事者のブログは結構あるんですけど、ドナーとレシピエントの思いを地続きで綴ったものってなかなか無かったんです。ドナーの気持ちを知りたいレシピエント、レシピエントの気持ちが知りたいドナー。当事者の人たちが考えるための道具を提供できているんだなって。

(はるかさん、たくまさんご夫婦/提供写真)

たくまさんにも、メールで思いを聞いてみた。ドナーになって後悔をしていないか。同じ境遇の人がいたら、何と声をかけたいか。たくまさんはこう答える。

手術後に血液検査をしたら、クレアチニンという腎機能を示す数値がちょうど半分になっていました。健康診断でオールAしかとったことしかない自分にとっては、ものすごい喪失感でした。この気持ちをすぐにはるかさんには伝えられませんでした。

腎提供は、本当に納得した上で決断をしてほしいです。単に臓器を提供するだけではありません。誰かのために自分の人生を削って、その後の人生で何かマイナスなことが自分の身に起きても後悔しない、他責にしない覚悟が必要なんです。

自分には「はるかさんのために」という気持ちもありましたが、最終的に決断をしたのは、はるかさんと一緒に長生きしたいという自分自身の目的を実現させるためでした。

「愛のために、あなたは何をする?」

はるかさんとたくまさんから感じたものは、「向かい合う愛」ではなく「横並びの愛」だった。相手を人生の目的とするのではなく、二人で共通の目的を目指す生き方。束縛もなく、強制もない。「長生きして、二人で温泉に行く」というゴールをめがけて歩む、同志のような愛。

たくまさんはたくまさん。ちょっと母親との関係に似ています。母親を裏切るってなかなかないじゃないですか。イライラしてもケンカしても、母親は母親だから。その感覚に似ていて、夫を裏切るとか夫が夫じゃなくなるっていうのは、そもそも考えられないんですよね。

【写真】笑顔でインタビューに答えるもろずみはるかさん

20代の頃の関係性は、焦がれるような恋だったという。

今になって友達から「年中たくまさんたくまさんって、本当にうざかった(笑)」と打ち明けられたこともある。嫉妬もしたし、愛の確認もした。

腎移植を経てはるかさんが得たものは、信じるという形の愛なのかもしれない。

夫の人を変えようとしない性格って、私の中で結構大きいんです。私に対するジャッジの目が一切ないんですよね。

締切前になると、髪はぼさぼさになって、食事も雑になって、家も汚くなるんです。さすがに何か言われるかな…?とドキドキしていても、相変わらず上機嫌で「おはよう」と起きてきて「じゃあ、行ってきます」と何事もなく去っていく。

私はというと、昔は夫の声が小さめなことにイライラしたり、行動について何かとジャッジしていました。でもノージャッジメンタルな夫と過ごしているからなのか、その人の腎臓が私の中にあるからなのか、私ももう小さなことは気にならなくなりました。

人を変えようとしない。人をジャッジしない。はるかさんが、夫の好きなところを自分自身にも身に着けていった背景には、もう一つ「想像力」の力があった。

移植をしてから、想像力が爆発するようになったんです。例えば、誰かの病気の話を聞いて、辛かっただろうなと胸を痛めたり。イライラしている経営者がいたら「そりゃ従業員を数百人も抱えて大変でしょうね」と思うし、コンビニ店員がミスをしても「商品がすぐ入れ代わるから覚えるのも大変だよな」と思う。

みんな色々な事情を抱えて生きている。私一人の感情にフォーカスして怒ったり、嫉妬したりすることがなくなったんです。

【写真】笑顔でインタビューに答えるもろずみはるかさん

私は病気が発覚して以来ずっと自己肯定感が低かったけど、腎臓病とたくまさんのおかげで、自分の身体が自分だけのものじゃない、あらゆるものに支えられて生きているんだと分かりました。

夫はもちろん、医師、看護師、健康保険で支えられた以上、納税者の人たちにも。色んな人がこんなに支えてくれたおかげで、自分は価値がある人間だって心から納得できたんだと思います。

はるかさんは今、心掛けていることがある。それは、与えられる前に与えること。

人って合わせ鏡だから、とにかく笑顔を振りまくようにしています。コンビニで働いている外国人の方とかね。私が笑いかけると、向こうも笑顔で返してくれて、そんな小さなことが自分をすごく上機嫌にしてくれる。

人生って、いかに自分をなだめて、ハッピーに生きるための術があるかも大切な技術だと思ってるんです。だから夫のためにも、今日私と関わる人のためにも、まずは自分がハッピーでいたいなと思っています。

What would you do for love?(愛のために、あなたは何をする?)

はるかさんの答えは明白だった。相手を変えようとしたり、ジャッジしたりしないこと。相手に対して想像力を持つこと。相手の幸せのために、まず自分がご機嫌でいること。相手の主体を信じること。

【写真】笑顔のもろずみはるかさんとライターのにしぶまりえさん

一つ気付いたことがある。はるかさんが愛について語るすべての主語は「自分」だということだ。相手にこうしてほしい、こんな風に愛してほしい、と対象に依存するものは一つもなかった。笑顔が見たければ、自分から笑顔を向ける。変わってほしければ、自分が変わってみる。愛されたければ、自分から愛してみる。

依存しない二つの主体が重なるときに、きっと愛のパワーというのものが発動するんだろう。

(編集/徳瑠里香、写真/馬場加奈子、協力/三澤 一孔)