【写真】穏やかに話をするあみさん

こんにちは!soar編集部の松本です。

周囲の人の視線が気になる。

私は大人になってからふと、そう感じている自分に気づきました。親しい人たちと一緒にいる時はそこまで意識することはありませんが、慣れない場や初めての人と会うときは、少し緊張してしまうのです。

そんなある時、SNSで偶然「視線恐怖」と「脇見恐怖」に悩む当事者のみなさんの声を見つけました。調べてみるとどちらも社交不安障害の症状で、視線恐怖は他人に見られているのが怖いと感じること、脇見恐怖は視界に他人が入る時点で恐怖を感じることだといいます。

他人の視線を気にするという点では自分にも通ずるところがあると思い、インターネットで詳しく調べてみましたが、情報が少なくなかなか症状や体験談を知ることがきません。そしてようやく見つけたのが、今回紹介するAmiさんのブログでした。

視線恐怖と脇見恐怖の症状に長年苦しんだこと、克服までの気持ちの変化、そしてAmiさんが支えになったという仲間の存在…。Amiさんの経験はこの症状を知る上で学びが多く、共感できるところが多々ありました。

同じ症状に悩んでいる人が前向きになれるように。そして症状を知らない人には、少しでも知ってほしい。

そう考え、Amiさんに視線恐怖と脇見恐怖を経験した当事者としての経験を綴っていただきました。

また後半では、「秋葉原内科saveクリニック」の院長である鈴木裕介先生に、「脇見恐怖」と「視線恐怖」の症状の解説や、治療法についてもお話を伺っています。

「脇見恐怖」や「視線恐怖」はどういった症状でどんな付き合い方をしていけばよいのか。そしてAmiさんの回復までのプロセスを、みなさんにお届けしたいと思います。

「脇見恐怖症」に13年間悩み、克服するまでの過程

【写真】遠くを見つめるあみさん

Ami(アミ)です。私は23歳で、誰かが視界に入っていることに恐怖を感じる「脇見恐怖症」を発症し、13年間苦しみました。

2017年34歳の時に、これ以上苦しむのはもう我慢できないと思い立ち、脇見恐怖症克服を考えるようになり、グループプログラムに参加。そして同じ症状のある人が集まるオフ会などにも参加し、脇見恐怖症の仲間たちと訓練や話し合いを繰り返すことで、克服することができました。

現在は2児の母として子育てと、事務職の仕事をしながら、ブログTwitterで脇見恐怖症についての情報を発信しています。

今回は私の脇見恐怖症の経験や、症状を克服する中で学んだことなどをお伝えしたいと思います。

人見知りで内向的な性格だった幼少期

私は小さな頃、とにかく内向的な子どもでした。

人見知りがひどくて、親以外の大人と話すのはとても苦手でした。大人と話すこと自体を怖いと感じていて、何か質問されたらささやくようにして話していたのを覚えています。

小学校に入ると大人しいというよりは、内弁慶な子どもになっていったと思います。3年生になり転校した頃から、周囲の目を気にするようになりました。

自分は周りの人たちにどんな風に思われているんだろう?嫌われたらどうしよう?

そう心配することが多かったです。

でも、この頃はクラスの男子にいじわるされるようなことがあっても、先生に相談したりして対処できる強さがありました。

いじめにあい、人との関わりが怖くなった高校生

中学3年生の頃に初めていじめにあい、人との関わることが怖くなりました。いじめのきっかけは些細なことで、いじめている人たちにとってはそんなつもりはなかったかもしれません。

ですが私はこの時から、今まで無意識に人と仲良くなっていったのが、急にどうしたらいいのか分からなくなりました。さらに人に自分の素直な気持ちを打ち明けることができなくなり、思い悩む日々…診断を受けたわけではなりませんでしたが、この頃から人前で強い不安や恐怖を感じる「社交不安症」のような症例がはじまりました。

社交不安以前は対人恐怖症と呼ばれていましたが、私の場合その名の通り、人と関わることに恐怖を感じるようになりました。

当時は例えば、学校で出席をとる時に名前を呼ばれて、返事をするだけでも緊張してしまうような状態。人前で発表するときは、緊張から声がかすれて出なくなってしまい、毎回惨めな思いをしていました。

自分が周りの人からネガティブな評価を受けているのではないか…。

そう気になり過ぎてしまい、常に周囲を意識して心が休まらなくなりました。普通の人がごく普通にしていることにも緊張を感じ、ただ生きているだけで、全力疾走しているような息苦しさがありました。

それでも心配をかけたくなくて、親に相談することはできませんでした。そもそも不安を具体的に言葉で表現することも、当時は思いつかずにいたのです。

当時は、流行っていたお笑い番組でコントを見て笑うことで、気持ちを紛らわしていたことを覚えています。

また高校で演劇部に入ったことも心の支えになりました。舞台上は特別で、人への恐怖心はなく、唯一感情を解放できる場所だったのです。普段は不登校だけれど部活だけは来ている、という友達もいたほど、部内では何でも言い合える雰囲気で、私も打ち解けることができました。

一人暮らしが始まり不安が強くなり、社交不安障害に

その後は東京の大学に進学し一人暮らしをすることに。私は実家で暮らしていた時、「周りから干渉されて生活が窮屈だ」と感じていました。

やっと誰にも干渉されずに好きなことができる!

初めての一人の生活に心躍らせていましたが、実際は一人で暮らしはじめて解放的になると、とてつもない孤独感に苛まれてしまいました。大学の授業や、好きだった音楽や本の内容ですらまるで頭に入らず、苦しみだけになってしまうほど。

なぜ私は、他の人と同じようにごく普通に生きていくことさえできないのか。

自分では全く分からず、大学一年目は精神の揺れにかなりしみました。

ただ生きているだけでこんなにも苦しいのは、精神に疾患があるせいではないか?

私は高校で不安を感じていた時、こんなことを考えていました。ですが最初は精神科に行くことには抵抗がありました。当時うつ病などの精神疾患は今ほどメジャーではなかったですし、どんな患者さんがいるのか想像もつきませんでしたから。

そんな時に偶然「精神科に行ってみよう!」というようなタイトルの漫画に出会ったのです。読んでみると、精神科がどんな場所なのかや、作者の方が受診している様子などがわかりやすく説明されていて、抵抗が和らぎました。

そうして実際に精神科に行ってみることに。通っているうちに、精神科に対する偏見はだんだんなくなっていきました。当時先生には「症状は性格が原因でもある」というようなことや、「緊張してしまうとしても、そのままの生活を続けなさい。緊張を避けるのはやめましょう」とアドバイスしてもらったことを覚えています。薬の処方もしてもらっていました。

【写真】ゆっくりと歩いているあみさん

さらに、大学3年生になってからは神経科を受診。そこで神経症(現在でいう社交不安障害)と診断さを受けました。その後は薬物療法を続ける中で抑鬱状態になりながらも、なんとか大学を卒業することができました。

視線恐怖症の存在を知り、自分にも症状が出るように

大学卒業後、私は洋服の販売員としてアルバイトをしていて、いつか正社員になることを目指していました。しかし、店長からのモラハラで心身のバランスを崩し、食事が取れなくなりかなり痩せてしまいました。

精神状態も体もボロボロの状態。さらに仕事でも失敗の連続で正社員への道は程遠く、絶望を感じていました。そこで必死に自分の夢について考えたのです。

この会社で働き続けて、モラハラをする店長のようになるのは私の夢ではない。それよりも心身ともに健康になって家族を作りたい。

そう思ったのです。そして、今は自分の心身を治すのが最優先だと考え、アパレルのバイトを辞めて実家に帰ることを決めました。

実家に帰り、少し体を休めてから事務職に転職をしましたが、それでもまだ心身の状態は非常に悪い状態で、人と会話をするのも困難なほどでした。普通に話すこともままならない…そんな状態で仕事を覚えるのはすごく難しく、辛いこと。そんな状態でまたしても上司から、モラハラを受けるようになりました。

23歳の頃、テレビでたまたま、他人にみられているのが怖い・目線が合うのが怖いなどの症状がある「視線恐怖症」に関する番組を見ました。確か人と目を合わせるのが怖いという「自己視線恐怖症」についての特集だったと思います。番組には実際に視線恐怖症で困っている男性が出演していて、確か生活の中で困っていることなどを紹介していました。

当時ただでさえ社交不安症で、人と関わるのが怖くて、人を信用出来なくなっていた私。「視線恐怖症」はとても恐ろしい病気のように感じられました。

もし私がこの症状になったら人生が終わる。絶対になりたくない。

そう思うほど衝撃を受けました。ですがそう思った途端に、隣にいた妹と視線を合わせられなくなってしまったのです。以後、私は両親以外の目を見れなくなりました。

視線恐怖と脇見恐怖に苦しむ

みられているのが怖い、目線が合うのが怖いなど、他人からの視線に対する恐怖がある「視線恐怖」。似ているものに、「脇見恐怖」があります。脇見恐怖は、視界に他人がはいっている時点で恐怖心を抱き、視界に入った人全員を自分が見ている、と勘違いしてしまうなどの症状が一般的です。

私の場合は、テレビ番組の影響で視線恐怖の症状が出たあとに、「勝手に視界に入ってきた人はどうすればいいんだ」と考えが浮かび、「脇見恐怖」の発症につながりました。

特に職場では強く脇見恐怖の症状が出てしまい、とにかく人が視界に入ることが怖かったです。具体的には私は下記のような症状がありました。

・人が歩いてくると異常に意識して、見たくないのに見ずにはいられなくなってしまう
・視野に入っているだけで、「見てしまっている」と勘違いし「自分の視線は他人に迷惑をかけている」と罪悪感に苛まれる
・人の咳払いや、舌打ち、手で髪をいじるようなしぐさ、貧乏ゆすりや独り言などを、「私の視線のせいで相手が不快に思い、当て付けでしていること」と思い込み勝手に傷つく

この頃の私は「人が視界に入ること=おかしなこと」と思い込んでいて、人を視界に入れないために必死に努力していました。一所懸命視野を狭めようとしたり、人が視野に入らないよう目隠しになるようなものを自分の机に置いたり…

他にも「自分ルール」といって、見て大丈夫な場所や、見てはいけない場所がありました。例えば、毎日通っている職場でも苦手な人の席の周辺などは怖くて見れないけれど、さほど意識しないで済む人の席周辺は自由に見ることができる、などです。

自分ルールは脇見恐怖から逃れるために作るもの。ですがやがてたくさんのルールにがんじがらめになり、自ら生きにくい状況を作り上げてしまうこともあります。

例えば外食はしない、映画館へは行かないなどの自分ルールを持つ人もいますが、その場合回避行動を繰り返すことでさらに漠然とした恐怖が増して、より一層脇見恐怖が強化されていってしまうこともあるようです。

この頃私は症状から抜け出したいと脇見恐怖症に関する書籍を探しましたが、一冊も見つけることができませんでした。また心療内科で話を聞いてもらい投薬治療も受けましたが、脇見恐怖症の知識を持っている医者には出会えませんでした。

【写真】インタビューに応えるあみさん

なんとか策はないかと受けた心理カウンセリングでも、当時の私はカウンセラーのアドバイスを聞き入れることができなかったのです。認知の歪みがあったことで、いくらアドバイスをされても「この人は分かってくれない」という印象しか持てなかったのだと思います。

何か脇見恐怖症治療に役立つものはないか…

そう考え心理学や自己啓発などの本もたくさん読みました。残念ながら脇見恐怖症治療に直接つながる訳ではありませんでしたが、これらの本は「心を癒す」という面ではとても役に立ちました。今は心理に関するたくさん本を読んで良かったと思ってます。

「誰も気にしていないよ」という言葉が支えに

人が視界に入っているということは、その人も自分の存在に気づいているということ。私は人に迷惑をかけてしまっている…

そう思い込んでいた当時は、「脇見恐怖があることを人に知られたら人生が終わる」とすら思っていました。カウンセリング以外では誰にも相談できませんでしたし、「この感覚はなった人にしかわからない」と考えていたんです。

ただ今の夫に出会って、夫には脇見恐怖の症状が出なかったので、安心して一緒にいることができました。そして26歳で結婚した後に、勇気を出して自分の症状を話したのです。かなり緊張しましたが、夫は「誰も気にしてないよ!」と言ってくれました。

そして28歳で妊娠。職場の人も優しくしてくれましたし、横断歩道で車が停まって待ってくれるなど人のやさしさに触れる機会が増えていく中で、徐々に人と目を合わせられるようになっていきます。おそらく、妊娠をきっかけに周囲への信頼を取り戻していったのだと思います。

その後も子どもを預けた保育園で、先生と信頼関係を築けたことなど、子どもがいるからこそできた人との繋がりに感謝することは多々ありました。

このタイミングで徐々に視線恐怖は消失しましたが、脇見恐怖の症状は消えることはありませんでした。

「脇見恐怖に縛られることなく自分の人生を生きていきたい」

脇見恐怖の症状は復職後の職場でも続いていましたが、2017年、34歳のある日をきっかけに、少しずつ変化が訪れます。

それは職場での席替えがきっかけでした。それまでは同僚と横並びで仕事をしていたのが、対面形式へ変更すると伝えられたのです。脇見恐怖があった私にとって、席順の話は死活問題。対面形式になって、仕事中も常に人が視界に入ることを考えたら、二日間胃を痛めて休むくらいに不安になってしまいました。

このことを夫に相談したら「上司に相談するべき」というアドバイスをもらったのです。そこで勇気を出して上司に相談してみることにしました。

なんだ、もっと早く言えよ

上司はこう言って、ありがたいことに病気を理解しようという姿勢を見せてくれ、パーテーションをつけてくれました。さらに「私の視線がみんなに迷惑をかけていると思っている」ことを話すと、「思い込みだよ」と言ってもらえたことも嬉しかったです。

私は視線恐怖・脇見恐怖の症状に苦しんできましたが、この時まで本腰をいれて治すには至っていませんでした。

もう脇見恐怖に縛られることなく自分の人生を生きていきたい!

そう思って脇見恐怖症を克服することを決意しました。

その後、インターネットで視線恐怖・脇見恐怖に関するグループプログラムを教えてくれる先生の存在知り、参加することに。脇見恐怖は「視界に入った人全員を自分が見ていると勘違いをしている状態」であるため、認知を正すための講義を受けました。

他にも、マインドフルネス瞑想や会話の練習、呼吸法などを学びました。

プログラムでは、実際に脇見恐怖症で苦しんで克服された先生が、症状のことや回復への道のりを教えてくれる場面もあります。これは症状の理解につながるとともに、「どう頑張っても治らなかった脇見恐怖症を治せるんだ!」と強い希望が湧きました。

そして、脇見恐怖症の人は、人が視界に入ってくることはおかしいと誤解していること。一般的に人は人が視界にはいっても特に気にしていない、ということを教えてもらって、目からウロコが落ちました。というのも私は長年、人がどんなふうにものを見ているのだうと疑問に思っていたのです。

【写真】街中を歩いているあみさん

他にも脇見恐怖が起こるシチュエーションを作り、症状が出ている自分を動画撮影し後から確認する「ビデオフィードバック」がとても役立ちました。例えば人と向き合って座るシチュエーションで、私は「脇見恐怖のせいでおかしな行動をしている自分が映っている」と思っていました。

ですが実際は、全く普通の自分の姿しか映っていません。つまり、脇見恐怖が出ていても、私は傍目から見たら何もおかしくないし、ましてや迷惑などかけていないのだということを知りました。

脇見恐怖がある当事者8人が集まった時も、不審な視線を投げかけている人は誰一人としていませんでした。

脇見恐怖の症状でおかしな行動を取っている人なんて誰もいない。

これらの経験は、自分に対する自信を取り戻すことにつながりました。私は今まで一人で悩んできましたが、プログラムを通して先生や、同じ悩みを抱えた人と出会えたことも励みになりました。

克服のために一緒に頑張る、仲間の存在

克服のために一緒に頑張ろう。

そういう気持ちをもつ仲間の存在が嬉しかったので、以来、脇見恐怖の症状がある当事者で集まる「オフ会」の場も大切にしています。

Twitter上で見つけた脇見恐怖の症状がある当事者の人の紹介で、栃木県で開催しているオフ会にも出会い、こちらには現在も参加しています。治そうと頑張っている人たちと出会えるのは励みになるし、情報交換もできるのでとても良い機会です。

オフ会では参加者同士、脇見恐怖が出ている時は積極的に打ち明けるようにしています。

今あなたに対して脇見恐怖の症状がでていますが、分かりますか?

という場面でも、症状が周囲に気づかれていたことは私の経験上では一度もありません。おそらく、本人が意識してしまっているだけで、周囲から見るとごくごく普通に見えるのだと思います。

全然気づきませんでした。あなたはおかしくないですよ。

そう伝えると当事者の方は安心します。他にもプログラムの時のように動画撮影をしたり、生活の工夫や、役に立った本などを紹介して、試し合ったりしています。

一人ではできないことも何人かで集まれば、できることがきっとある

現在の私は、脇見恐怖が出ることはほとんどありません。それでもたまに、自分がネガティブ思考に陥っている時などに気持ちが不安定になり、少し症状が出ることもあります。またあくまでも私の場合はですが、気圧の変動がある時、生理前や生理中ホルモンバランスが崩れるタイミングでも症状が出やすいです。

それでも仲間とともに励まし合いながら、日々を過ごしています。

「脇見恐怖症」のことをまだ知らないという方も多いかもしれません。そんな人たちに伝えたいのは、「世の中には様々な恐怖症を持っている人がいる」ということ。少しでも関心を持ってくれる人が増えると嬉しいです。

【写真】インタビューに応えるあみさん

私がそうだったように、脇見恐怖症がある人は自分を責めている方が多いと思います。だけど、本当は迷惑な存在なんかではないということを知ってほしい。そして症状を隠すために生きていくのではなく、本来の目標や夢のために生きてほしいのです。

例えば私の場合、自分の目標のために行っていることはオフ会とTwitterとブログです。将来は、脇見恐怖症で苦しむ人たちをサポートする仕事がしたいと思っています。脇見恐怖症の本を出したいし、カウンセリングや、講演会もしてみたい。だから今はできることからはじめてみています。

相談すれば手を差し伸べてくれる人は必ずいます。実際数名ですが脇見恐怖症に対応したカウンセラーもいますし、今はSNSの力のおかげで情報を集めるのがとても簡単になりました。10年前ではとても考えられないことです。

どうか一人で悩まずに、自分のために小さくてもいいから行動をしてみてください。自分にとって有益な情報をくれる人に、相談してください。一人ではできないことも何人かで集まれば、できることがあると私は信じています。

一人でも多くの脇見恐怖のある人が、回復していきますように。そう心から祈っています。

症状と自分を結びつけて自分のことを否定しないで

Amiさん、視線恐怖や脇見恐怖の症状と向き合い、仲間とともに工夫を重ねてきたこと。そして克服までの道のりを教えてくださり、ありがとうございました。

もし自分や周囲の人が視線恐怖や脇見恐怖のような症状で悩んでいるとしたら、どのような対処ができるのでしょうか?

医師としてのアドバイスを「秋葉原内科saveクリニック」の院長である鈴木裕介先生にお聞きしました。

ー「脇見恐怖」と「視線恐怖」という症状について、医学的な観点から症状や原因について教えていただけますでしょうか?

鈴木先生:脇見恐怖、視線恐怖という病名はありません。人と接する場面や、人からの注目を浴びる可能性がある場面に対して、生活に支障が出るほどに不安や恐怖を感じてしまう「社交不安障害(社交不安症)」の症状のひとつとして分類されています。

こちらは「視線」そのものが恐怖の対象ではなく、「自分が変に思われていないだろうか」と恐怖を抱くことから始まります。

視線恐怖は他人からの視線への恐怖ですが、脇見恐怖は「自分の視線が相手を不快にしていないか」という恐怖で、「自己視線恐怖」ともいいます。どちらも、自分の要素が他人から見て変ではないか、と気にし過ぎることで起こる恐怖ですね。

「快・不快」を判断する脳の中の扁桃体が過剰に反応することで、それほど危険ではない場面でも強い反応が引き起こされてしまいます。その恐怖体験の強烈さゆえに、同じような状況に陥ることを避けようとします。しかし、避けようとすればするほど恐怖の対象を意識することになり、恐怖体験の記憶がどんどん強固になっていくという悪循環が起こります。

ーAmiさんのように病院へ行っても、医師が脇見恐怖や視線恐怖の症状を知らないこともあるかもしれません。そういう場合は何ができるでしょうか?

鈴木先生:書籍などが少なく、正しい情報にアクセスしにくい現状があると思いますが、実名のクリニックや、医療関係者が運営するサイトによる解説など、比較的信頼性の高い情報発信は出てきています。そうした情報を参考にしてリテラシーを上げつつ、安心してかかれるところを根気強く探していくというのが現状だと思います。また、医療機関に「このような症状について相談できる先生を紹介してもらえませんか」と相談してみるのも良いと思います。

ー他人の視線が気になるというのは、私自身「少しわかるな」と思う気持ちもありますが、どこからが症状と呼べるものなのでしょうか?

鈴木先生:恐怖というのは自然な感情ですよね。しかし、対人の局面での過剰な不安によって動悸や冷汗などの身体症状が出るなど、精神的・肉体的な苦痛が大きい場合や、視線が気になりすぎて「人に会いたくない」「職場にいるのが辛い」など、日常生活に影響が及ぶまでに至る場合を、症状ととらえて良いでしょう。

ーもし今症状に悩んでいる人は、どのように治していくことができるのでしょうか?

鈴木先生:社交不安障害にはおもに認知行動療法、薬物療法が適応になります。視線恐怖に関しては、安全なところで恐怖を引き起こす体験を繰り返し、「実は大したことないのだ」という安心の記憶に上書きしていく作業をおこなう「暴露療法」が選択されることが多いようです。

また、「森田療法」といって、「不安や恐怖という感情はコントロールできないから、感じるのは仕方がない」と、あるがままを受け入れていく手法もあります。扁桃体に作用して恐怖反応を和らげる薬や、不安をおさえる薬を使うこともあるでしょう。

ただ、治療が長期化することも多いため、完全にコントロールをしようというよりは、それによって起こる生活被害が改善することをまずは目指していきます。

「自分の要素が他人を不快にしている」という信念と、それに伴う自己否定感は、本当に苦しいものがあるでしょう。しかし、「自分に何が起こっているか」を深く理解し、それを共有できる「誰か」を見つけることができれば、事態は必ず良い方向に動いていきます。

「あなたが問題」なのではなく、「問題が問題」なのです。症状と自分を結びつけて自分のことを否定するのではなく、「症状」という個別の問題に対処する、という認識を持ってもらうことが大切なのではないかと思っています。

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Amiさんや鈴木先生の話を伺って、視線恐怖や脇見恐怖の症状はなくても、人の視線が気になるという感情自体には、私とも共通点があるのだと改めて実感しました。そして同じ感情でも、程度によって日常生活に支障をきたすほどの症状となること。そこには計り知れない苦しみがあるのだということも知りました。

だからこそ、自分と関係のないことだとは思えず、この症状を多くの人に知ってほしいと思ったのです。

一人で症状と向き合ってきたAmiさんが会社で症状を打ち明け、克服の決心をし、ビデオフィードバックや周囲の人の言葉によって客観的に自分を見つめ、自信を取り戻していく…少しずつだけれど確実に、自分で自分を変えていくその過程に、私は強く希望を感じました。

Amiさんはきっと脇見恐怖という症状を通して、自分自身の内面と向き合っていたのではないかと思います。

自分にしかわからない弱さやコンプレックスによって自信を失うことは、病気や症状に関係なく誰にでも起こること。

どうか一人で悩まずに、自分のために小さくてもいいから行動をしてみてください。

この先自分と向き合うことが必要になった場面では、Amiさんのこの言葉を思い出して、私も一歩ずつ行動を重ねていこうと強く思いました。

関連情報:
Amiさん ブログTwitter

(編集:松本綾香、撮影:川島彩水、企画進行:谷垣内絢子、糸賀貴優、監修:鈴木裕介)