【写真】笑顔でこちらを見ているめめさん

撮影:イシズカマコト(提供写真)

転職活動をしていた20代の頃。とある企業から、紹介会社を通じてこんなことを言われたことがあります。

学歴や経験は申し分ないが、外見が良くないので内定は出せません。

面接で一度会っただけの人から外見がマイナスだと言われたこと。そして、それが理由で就職を逃したこと。私は2つの意味で、とても大きなショックを受けました。その言葉を言われてからしばらくは、何かうまくいかないことがあると、自分の努力不足などを棚に上げて外見のせいにしてしまったこともありました。

時間が経って、気にしなくはなりましたが、あまり思い出したくない経験です。

外見で判断されることは、この社会のなかで少なからず起こっていること。自分の外見について悩んだ経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。また、今まさにそういった悩みを抱えている人もきっといるはずです。

どうしたら外見にとらわれず、自分らしく生きられるようになるのだろう。

そんなことを考えていたときに、「幼い頃から自分の髪はまわりと違うと感じていた」というmemeさんに出会いました。memeさんの髪は生まれつき量が少なく、縮れた毛質をしています。医師による診断は受けていませんが、大人になってから、「乏毛症」という自分と似た症状があると知ったそうです。

現在二児の母でもあるmemeさんは、会社員として働くかたわら、乏毛症の情報や自分の思いなどをブログで発信しています。

2016年には当事者の方と一緒に「冠花(かんな)の会」を立ち上げ、髪で悩む人やその家族が情報を交換し、悩みを分かち合える場を作りました。

【写真】笑顔でカメラを構えているめめさん

memeさん自身は、乏毛症などについて広く知ってもらうためにモデルとしてカメラの前に立つこともあります。

今回は、これまでmemeさんが抱いた葛藤や現実との向き合い方、自分を受け入れるまでのプロセスなどについてお聞きしました。

変な髪とからかわれても言い返していたのは、髪のことで落ち込むのが嫌だったから

memeさんが自分の外見が周囲と違うことを意識したのは、幼稚園に通い始めた頃でした。まわりから縮れた髪の毛を「変な髪」「ハゲ」「爆弾頭」などと言われるようになったことで、自分の髪が特別であると気付いたのです。こういったからかいは小学校低学年まで続きました。

最初は髪をからかわれることがショックで下を向いて何も言えませんでした。でも、だんだんと「変じゃないし!」「病気じゃないもん!」と強がって言い返すようになりましたね。落ち込むことが嫌だったんです。もともと負けず嫌いな性格だったのだと思います。

お母さんに「髪の毛のことでからかわれるのが嫌だ」と相談したときには、「お母さんがついているよ」と味方をしてくれました。先生たちも髪をからかうような子にはmemeさんの髪が生まれつきであることなどを説明してくれたので、理解してくれる子が増え、次第にからかわれることはなくなったと言います。

その後もmemeさん自身は、髪の毛に限らず、人と人との「違い」について考え続けました。周囲にいるさまざまな人を思い浮かべては、それぞれにある違いを見つけ、自分だけでなく一人ひとりが「違う」ことに気付きます。「私はたまたま髪の毛が違っただけ」と考え、その「違い」を受け止めようとしている自分もいました。

当時、memeさんや家族は、髪の毛が少ないことについて「病気」という認識は持っていませんでした。別の症状で行った皮膚科の先生の勧めで大学病院を受診したときも病名の診断はされず、「中学生くらいになったら生えてくると思う」と言われたので、「病気ではない」という思いを強くしたのです。

それでも、黒くて長い髪が生えている夢をたびたび見ていたmemeさん。「またあの夢を見られたらいいな」と考えながら眠りにつくこともありました。

小学校高学年になって私はおしゃれに目覚めはじめて、櫛をつかって髪をとくようになりました。その頃には髪について何か言われることはなくなってましたが、学校で私が櫛を落としたとき、男子に「お前もそんなの使うんだ」と言われたんです。

きっと量が少なくとても短い、櫛が通らないような天然パーマだったので、櫛は使えないと思われていたのだと思います。自分でも外見が男の子っぽいと思っていたし、まわりも他の女の子とは違うと感じていたんでしょうね。実際に私自身、女の子っぽいことをすることに抵抗がありました。

でも言葉にされるとやっぱり惨めで、いちいち傷つく自分も嫌で、複雑な気持ちでしたね。「人と人が違うのは当たり前のこと。私は髪がまわりと違うけれど、そもそも同じ人なんて一人もいない」と考えるようにしていましたが、“普通の髪”への憧れは実はとても大きかったんだなと今になって思います。

葛藤を抱えていたからこそ、生徒会長を務めるなど、みんなの前に立つことを選んだ中学校時代

【写真】スカーフを頭に巻いているめめさん

photo by LINOLEA 撮影:イシズカマコト(提供写真)

中学校では演劇部に入部し、生徒会長も務めるなど、進んで表に出ていったそう。派手なファッションが好きで、個性的な女の子だったとmemeさんは当時の自分を振り返ります。

自ら人前に立つ選択をした背景には、memeさんの葛藤やそこから生まれた想いがありました。

とある女の子が私に「なんでそんな髪の毛なの?」と質問したんです。彼女はごく自然に沸いた疑問を口にしただけ。私も「生まれつきなんだよ」と答えました。でも、そのやりとりを見ていた周りの女の子たちが、彼女をいじめの対象にしてしまったんです。

「memeちゃんに髪のことを聞くなんてひどい!悪いことなんじゃないの」って。私は髪のことを聞かれるのは、自分に興味を持ってくれていると捉えていたので、嫌じゃなかったんですが…。

中学校では「自分と違う特徴を持った人を排除する」といういじめがありました。memeさん自身は髪のことで、みんなにとっての”違うもの”になり得る恐怖もあったと言います。でも、そのときは、みんながあえて口にしないmemeさんの髪のことを質問した彼女が“違うもの”になってしまったのです。

目立つのも怖いし、いじめられるのもいじめるのも怖い。でも傍観するのはもっと嫌でした。以前も、からかいやいじめの対象になった子やいじめる子に対して何も出来きず傍観者になった自分に後悔したことがあったんです。目立たないように、周りに溶け込む自分を演じ、自分を守ることを選んでいたんだと思います。

演劇部で仲間ができたり、良いクラスメイトと出会い、人との違いを気にせず自分を出せる「居場所」を持てるようになりました。徐々に自分らしく楽しい学校生活が送れるようになり、「やりたいことをやろう!言いたいことを言おう!」と勇気が持てるようになって。

あるときクラスメイトと一緒に生徒会に入ろうという話が出たんですが、そこで「どうせやるなら生徒会長になってやる!逆にアピールしてやろう」という気持ちになり、生徒会長にも立候補したんです。

学校には、ダウン症の子がいたり、足が不自由な子がいたり、違う学年には脱毛症の子もいました。私自身もまわりから見たらマイノリティ性がある一人だったと思います。だからこそ、私が生徒会長になることで「誰でも堂々と学校生活を送れる!」と伝えたい気持ちもありました。

生徒会長になり目立つことでいじめられるのではないかと心配していたmemeさんでしたが、それは杞憂に終わりました。

いじめていた人や傍観していた人、陰で悪口を言う人、怖いと思っていた人や空気に対しての恐怖心がなくなり、以前の弱い自分を克服できたと感じたそうです。

生徒会長としての挑戦と経験は、髪の毛のことも含めて「誰にどう思われるか」という周りの基準に流されることなく自ら行動する自信になったとmemeさんは振り返ります。

次期生徒会長になった演劇部の後輩の女の子が「先輩の姿を見てかっこいいなと思って私も生徒会長になったんですよ」と言ってくれて。自分の行動に影響を受けてくれる人がいることを嬉しく思いました。生徒会には、脱毛症の女の子も参加していたんです。勝手に親近感を抱いて、堂々と生きている姿に、私もまた勇気をもらいました。

【写真】笑顔でこちらを見ているめめさん

中学生の頃のmemeさん(提供写真)

クリニックで治療をするも、期待していた効果は得られず。親に負担をかけることが辛く涙することも

中学生くらいになったら髪は生えてくる。

以前、医師から言われた言葉をmemeさんも家族も信じていました。当時は2つ結びにしたり、細く三つ編みにしたり、工夫を重ねてヘアアレンジにも挑戦。多少髪の量が増えたように感じたものの、中学卒業間近になっても生え際や後頭部は薄く、“普通の髪”にはほど遠いものでした。学校では普通に生活をしていても、街に出かけたときには同世代の人たちにじろじろ見られ、笑われることも。そんなときには強がってただやり過ごすしかありませんでした。

髪を伸ばしたいと願ったmemeさんは、中学校3年の終わりから、テレビコマーシャルで見た毛髪専門のクリニックに通い始めます。

私から親に通院したいと頼みました。その頃、好きな人がいて、治療して髪を伸ばして、ストレートになったら告白しようと夢を描いていたのです。

クリニックでは、頭髪の広い範囲にわたって髪の毛が薄くなる「びまん性脱毛症」と診断されましたが、原因はわからないままだったといいます。医師の指示でマッサージの施術や自宅で使うシャンプー、朝晩行うトニックのほか、食事療法なども行われました。

家族の協力のもと、通院や毎日のケアを続けましたが、効果はなかなか表れません。通院期間が延長されるにつれ、memeさんのなかにはどうしようもない辛い気持ちが溢れてきました。

専門のクリニックは、一般の病院ではないので保険は効かず、治療費がとても高額なんです。「もう1年」「さらにもう1年やりましょう」と治療を続けたのですが、その間に治療費として親が負担してくれたのは、大学にもう一度通えるくらいの大金でした。

「自分の髪が“普通”だったら、親にこんなお金を払ってもらう必要はなかったのに」と、クリニックで溢れた思いを、泣きながら話したこともあります。そんなことは親に言えないので。クリニックの方は「そうだよね。辛いよね」と一緒に泣いてくれました。

それでも治療を受けていたときは「髪が生える」と希望を持っていたのです。だからこそ、「髪が生えないのは私が頑張れなかったからだ」と自分を責める日もありました。

3年にも及んだ治療は大きな効果がみられず終了。治療を開始した頃に抱いていた好きな人への思いも、本人に告げることはできませんでした。治療をすることで「自分は病気なんだ」と実感し、ますます人と違う髪の毛であることが気になるように。memeさんは、「恋愛をするのは無理だ」と、恋をすることへの自信をなくしてしまいます。

治療をやめた後は、さらに髪が少なくなり、髪のことを考えると気持ちはますます、落ち込んでいきました。

治療中の辛い気持ち、その後髪が少なくなったときの思いは、親や友達には話せなかったので、日記のように辛い気持ちを文章にして発散していました。

親友との出会いで、初めて自分から髪のことを話すことができた

髪の毛については、治療で結果が出ず辛い思いをする一方で、治療開始後に入学した高校では空手部に入部し、また留学も経験するなど、memeさんは充実した時間を過ごしていました。自分から髪のことを話さないようにしていた、それまでの心境を変えるような出会いもあったそうです。

私は「どうしてその髪なの?」と聞かれれば「生まれつきだよ」と答えていましたが、自分から髪について友達に話すことはありませんでした。周りから「髪が変」「なにか違う」と思われているのは分かっていましたが、髪を気にしていると思われたくなかったんです。

専門クリニックに通っていた時期にあった部活の合宿では、処方されていたトニックを塗ったり、サプリメントを飲んだりするのは、トイレのなか。人目を避けていたそうです。それは、クリニックに通っていることや、髪の治療をしていることをまわりに知られるのが絶対に嫌だったから。

そんなmemeさんの考えを変えたのが親友の存在でした。

彼女は入学したばかりの頃、ごく普通の会話のなかで「その髪は生まれつきなの?」と聞いてくれたんです。中国出身の彼女は、「中国ではこんな治療があるよ」と教えてくれて、私も自然と「専門のクリニックに通っているんだ」と話すことができました。

あるとき、彼女が論文大会で優勝してみんなの前で論文を読み上げたんです。「中国から日本に来たとき、日本語が出来ないことでいじめにあっていた。けれど、努力して日本語を覚え、高校で私と親友になり、友達もたくさんできて、今はとても充実している」という内容でした。

彼女にそんな過去があるなんて知らなくて。また私と親友になったことが彼女にとって力になっていたことも初めて知りました。とても嬉しかったし感動したんです。そこから、どんなことも言わないと伝わらないんだなと思うようになりました。

その気づきをきっかけに、memeさんは空手部の親しい仲間に手紙を書くことを決意。自分の髪のこと、専門のクリニックに通っていること、これからも仲良くしたいという気持ちを手紙にしたためたのです。

「最初は髪が気になったけど、今はそんなこと全然気にならない大切な友達だよ」と手紙に返事をくれる子、肩をポンと叩いて「そんなこと気にしてないよ」と合図してくれた子。反応はそれぞれでしたが、みんなが受け入れてくれたと感じました。

それが自分から髪のことを話せた初めての経験です。話したことで、気持ちが楽になったし、友達ともっと深い関係になれたと思いました。

ぶつかりながらも、育んだ信頼関係。いつしか彼には髪のことも話せるように

良い友人に囲まれた学生生活でしたが、恋愛には一歩踏み出すことができずにいました。大学生になっても、恋愛をすることはどこか諦めていたと話します。

友達と「あの人かっこいいよね」「あの人のこと好きかも」と話すことはあっても、そこまででした。髪のことがあるからそれ以上進めないなと思っていたんです。好きな気持ちを伝えても相手は困るだろうなという考えが強くなっていました。もし、“普通の髪”だったら恋愛できたんだろうなと一人で悶々とすることもありましたね。

【写真】笑顔でこちらを見ているめめさん

photo by tenbo、撮影:Yuka Uemura(提供写真)

そんなmemeさんに好意を寄せたのが、のちに夫となるサークルの仲間でした。彼から告白されたとき、実はmemeさん、そこまで好きという気持ちはありませんでした。でも告白されるのは初めての経験で、まわりから「いい奴だから付き合ってみなよ!」と言われたこともあって、付き合い始めることにしたのです。

彼が「好きだ」と言ってくれたときは、とても驚きました。この髪の私を好きになってくれる人がいるんだって。当時は男性から恋愛対象として見られることはないと思っていたんです。

デートで手をつないで街を歩いているときに、ふとガラスに映る自分の姿が目に入り、“彼は私の髪を恥ずかしく思ったりしないのだろうか”と心配になることもありました。素のままでも問題ないと思う気持ちと、帽子を被らないと彼に申し訳ないという気持ちのあいだで葛藤したことも。

memeさん自身が付き合っていることを受け入れられずに、何度か別れたいと告げたこともあったそうです。それでも彼は「別れたくない」とmemeさんとの関係を大切にしてくれました。

ところがある日、2人で一緒に雑誌を見ていたときに「この髪型かわいい」と彼が指差したのが、おだんごのヘアスタイルでした。付き合い始めてからも、自身の髪の悩みについて話ができていなかったmemeさん。

彼の一言でそれまで強がっていた気持ちが一気に溢れ出したのです。そのなかには「やっぱり “普通の髪”がいいんだな」という切ない気持ち、「そんな髪型できないし」という情けない気持ち、「できないことが分かるのに、なんで私に言うんだろう」という怒りの気持ちが混ざり合っていました。

話をすることもできず彼に冷たい態度を取ってしまったmemeさん。それを心配して彼が電話をくれたとき、泣きながら、髪に関する自分の気持ちを初めて話せたのです。

彼が私の髪のことをマイナスに捉えていると思ってしまっていたんです。その後、すぐに駆けつけてくれて「おだんごヘアのことは悪い意味ではなかったし、memeの髪のことは恥ずかしいとか嫌だと思ったこともない」と言ってくれました。

それからですね、彼に対して本当の信頼を持てるようになったのは。徐々に彼には髪の話もできるようになりました。今では夫婦となり、お互い髪をネタに冗談も言い合えるし、なんでも気持ちを話せる心強い存在です。

ウィッグはおしゃれを楽しむためのもの。だから大学では自分の髪で過ごした

彼と付き合うようになってから、「性格が丸くなった」というmemeさん。

たとえば、ウィッグに対する気持ちにも変化がありました。それまでウィッグなどは着けずに自分の髪で過ごしてきたのは、頑なに「これまでこの髪で生きてきたのだから、ここで着けたら負けだ」と思い続けてきたから。でも、だんだんとウィッグをポジティブなものとして捉えられるようになったのです。

【写真】成人式でウィッグをつけているmemeさん

成人式の様子(提供写真)

成人式で着物を着るときの髪型を悩んでいたmemeさんは、友達がボブウィッグを着けたいと話していたのを聞いて、ウィッグの選択肢を知り、初めてチャレンジしてみることに。お母さんと一緒にサイトを見ながらボブヘアーのウィッグを注文しました。

届いたウィッグを初めて着けたときには、「髪の毛があるってこんな感じなのだな」と、とても嬉しく感じたのだとか。

それからはおしゃれの一環としてウィッグを着けるように。帽子と同じスタンスなので、学校ではこれまで通り、ウィッグは着けずに自分の髪で過ごしていました。でも、デートや友達と外出するときにはウィッグでおしゃれを楽しむようになったのです。

ウィッグを着けると街を堂々と歩けました。それまでも堂々と歩いていたんですけど、それは、「見られているけど私は気にしていない」という意味の堂々だったんです。ウィッグだと髪を気にすることも、気にされることもなく、街を歩く人のなかに紛れることができて、本当に気持ちが楽になりました。

彼も友達もウィッグを着けたmemeさんをみて、「いいね!」と褒めてくれたそうです。友達が「別の髪型をしてみたい」とお店でウィッグを一緒に買ってくれて、お出かけのときには一緒にウィッグを着けてくれたこともありました。その経験は自分だけが特別という意識を持つことなく、おしゃれを楽しむひとつの手段として、ウィッグを受け入れられるきっかけにもなったのです。

【写真】ウィッグを着用し微笑むめめさん

撮影:イシズカマコト(提供写真)

普段の自分を見てほしい。ウィッグを着けずに挑んだ就職活動

ウィッグはおしゃれを楽しむものと捉えていたmemeさんは、アルバイトや就職活動は普段の自分を見てほしいという気持ちで、自身の髪のままで挑戦。でも、住宅の営業職を希望して始めた就職活動では壁にぶちあたり、なかなか内定を取ることができませんでした。

そのとき思い出したのが初めてアルバイトをしようと思ったときのこと。飲食店で接客を希望していたのに、「お客さんに病気の子を働かせていると思われると困るから」などという理由でキッチン担当に回されたのです。memeさんは「髪のせいで好きな仕事に就けないかもしれない」と不安に駆られました。

もちろん原因は違うところにあったのかもしれませんが、過去の経験からだんだん髪のせいで仕事が決まらないと思うようになりました。でも、アルバイトでは接客業で評価された経験もあったので、住宅だけではなくいろいろな業種の営業に希望を広げて外見で判断しない会社と出会うまでやろうと考え直したんです。この頃は、ウィッグを着けることは負けだと思っていました。本当の自分の姿で内定をもらって、仕事に就きたかったんです。今思うととても頑なでしたね。

諦めずに就職活動を続け、memeさんは広告営業職の内定を取ることができました。入社した会社では、飛び込み営業として自転車で街を走り回りながら働くことになったのです。

当時、memeさんの髪はますます少なくなっていて、おしゃれでウィッグを被る自分と、本当の髪の自分の姿とのギャップに落胆することもありました。

本当の自分の姿のまま中身で勝負したいと希望を持って就職したものの、入社時は新しい人との出会いや関係性を作っていくことに、大きな不安があったといいます。

仕事は見た目ではなく成果だ、髪を理由にしちゃいけないと思ってはいたものの…。優秀でキラキラして見える同期と自分を比べて「自分は一歩劣っている」と考えてしまいました。

成果も出せず、上手く周りに自分も出せず、そのことをどこかで髪のせいにしているうちに半年が経過。そんななかでも髪のことなど関係ないように接してくれる上司や先輩たちのおかげで、だんだんと仕事の面白さに気が付いていきました。そして、「とにかくできることを一生懸命やろう」と毎日を必死に過ごすうちに、memeさんはできないことを髪のせいにする自分の殻をやぶることができたのです。

“普通の髪”が良かった。本当の気持ちに気付けたのは、ブログで自分の思いを綴ったから

その後、memeさんは学生時代から付き合っていたパートナーと結婚するため上京。転職活動を経て、新しい会社で働き始めました。これを転機に、普段からウィッグを着けて生活をすることを決めます。

それまでウィッグはおしゃれのためのもの、と考えていたmemeさんが仕事でもウィッグを着けることにしたきっかけのひとつが、ブログで自分の思いや髪にまつわる情報を発信し始めたこと。自分の気持ちを素直に書き綴ったことで、本当は髪を気にすることのない生活を送りたいと思っていることに気付いたのです。

【写真】カメラに目線を送るめめさん

(提供写真)

ブログには、子どもの頃からそれまでの自身の経験を写真とともに綴ることも。ときに真面目に、ときにコミカルに綴られる文章は、同じように髪に悩みを持つ多くの人に届きました。

ブログを通じてつながった髪に悩みを持つ人たちに実際に会うためにオフ会に参加したほか、memeさん自身もイベントを主催。それまで髪について共感し合える人がいなかったmemeさんにとって、髪のことを隠すことなく話せる人との出会いはとても大きなものでした。

また、memeさんが、乏毛症を知ったのもブログを通した出会いがあったから。同じような状態の髪の人がすでに乏毛症だと診断されていると教えてくれたのです。

ブログに書き綴ったり、同じ境遇にいる人と話したりすることで、自分の気持ちの棚卸しができました。以前は自分では髪のこともポジティブに捉えていて、この髪が嫌だってことを認めたくなくて。でも、自分の気持ちを素直に吐き出したことで、本当は辛かったし、“普通の髪”で生活したかったんだと分かりました。

やっと自分の本当の気持ちを認めることができて楽になったし、ウィッグで日常生活を送ろうと思えるきっかけにもなったんです。今ではウィッグを着けて生活するのが当たり前で、ウィッグや帽子、スカーフなどを着けていないと、すっぴんをさらしているような、心もとない気持ちになるので、自分の髪を隠すアイテムを着けずに出歩くことはしません。

自分と向き合う時間を経たことで、客観的に自分の人生を捉えられるようになったとmemeさんは話します。

ただひたすら辛いと思って生きていたら、もっとしんどかっただろうなと思うんです。見た目への引け目があって、それでも負けないと強がっていた時期があったからこそ、外見以上に人間性を磨くことを意識して、常に挑戦してきました。その過程で、人間にとって何より大事なのは、見た目よりも本質だと心から思えるようになったんです。

そういった経験や気づきは、私の財産であり、私に自信を与えてくれています。だから「私、本当にがんばったね。そのおかげで今がある。辛いときは、素直に辛いと言ってもいいいよ」って、やっと自分を受け入れることができたのかなと思っています。

誰にも分かってもらえないと悩む人の拠り所に。当事者やその親のために「冠花の会」を立ち上げ

ブログを通して、たくさんの髪に悩みを抱える人に出会ったmemeさんは、自分と似た症状である乏毛症の人のための会を立ち上げたいと考え、一緒にやりたい人がいないか呼びかけました。その呼びかけに、当事者や乏毛症のある子どもの親など13人が手をあげてくれたそうです。

【写真】笑顔で花冠をつけている冠花の会のメンバーとmemeさん

冠花の会のメンバーとmemeさん photo by 冠花の会(提供写真)

ちょうど乏毛症の新薬の開発をしているというニュースが出ていて、当事者として何かできることはないかと考えていたんです。「ネットワークを作っておくといいはず」と乏毛症のお子さんの親御さんからアドバイスをいただいたので、乏毛症の会を立ち上げることにしました。集まってくれた方々と目的や運営方法などを話し合い、2016年に開始したんです。それが「冠花(かんな)の会」です。

「冠花の会」では当事者同士の全国での交流会や、ウィッグの試着、ヘアアレンジの講習会、写真撮影会などを行っています。

冠花の会の由来は、乏毛症のふわふわな髪。その髪を花の冠に見立てて名付けました。また、冠は英語で”The best(一番)”の意味もあり、そのままでみんなそれぞれが一番だという意味も込めたと言います。

今では髪の毛の量が少なかったり、縮れていたり、伸びなかったりする子どもが幼いうちに乏毛症と診断されることも多く、乏毛症の子どもをもつ親の参加も増えているそう。

乏毛症はまだまだ情報が少ないし、過去の私がそうだったようになかなか同じ症状の人と繋がれないこともあります。冠花の会を通じてそういった人たちが繋がることはもちろん、誰にも分かってもらえないと悩む人にとっての拠り所になれたらいいなと思っているんです。

これからの継続的に冠花の会の活動を続けていきたいというmemeさん。これから乏毛症だと診断された人、乏毛症かもしれないと気付く人が孤独を感じないように、また人生のステージで情報が必要な時や相談したいと思うときに、すぐに仲間と繋がれるような会でありたいと話します。

乏毛症を多くの人に知ってもらいたい。モデルとして自分の髪で人前やカメラの前に立つことを決意

【写真】ASPJの仲間と一緒に和服を着ているめめさん

モデル仲間と一緒に。左から2番目がmemeさん(提供写真)

memeさんは、現在モデルとしても活躍しています。そのきっかけは、冠花の会を立ち上げた約2年後に、脱毛症、抜毛症、乏毛症、治療による副作用などで髪に症状を持つ女性や子どもたちのコミュニティ「ASPJ(Alopecia Style Project Japan)」と出会ったこと。

ASPJと冠花の会合同で、乏毛症のそのままの髪に冠を付けて撮影会を行うことに。そこで、memeさんは久々にウィッグを着けずに髪を人前にさらして写真撮影をしました。

そのときに、ブログと違って私の髪について知らない人もたくさんいるFacebookに写真とともに投稿したんです。「髪の毛のことを知らない人もいると思うけど、私は乏毛症と似た症状があり、多くの人にこの髪のことを知ってもらうための活動をしています」って。その投稿で乏毛症のことを初めて知った人も多くて、やっぱり知らない人が多いんだなと実感しました。

乏毛症と聞いて、誰もが髪型をイメージできるくらい一般的になればいいなと考えていたmemeさんは、tenboというファッションブランドのチバリーアフリーアートプロジェクト2019のファッションショーモデルに応募し、チャンスをつかみました。

【写真】ファッションショーで歩くめめさん

プロデュース:hii、撮影:一色卓丸、ブランド:switchplanning(提供写真)

日常生活ではウィッグを着けて生活しているので、モデルとして久しぶりに自分の髪で人前に立つことへの緊張もあったそう。また母親であるmemeさんは、息子さんの気持ちも気になったといいます。

もちろん家では息子に自分の髪の毛を見せてはいましたが、外でウィッグを外した私を見てどう思うのだろうと気になっていました。外に出られると分かっているからか、ウィッグを着けると喜ぶので、髪があるお母さんの方がいいのかなと思っていたんです。でも、そのままの髪でモデル活動をしている私を見て「お母さん、かっこいい!」と言ってくれたので、どんどん外に出ていこうという気持ちになりました。

息子には「お母さんはそのままの髪を恥ずかしいと思って、隠すためにウィッグをしているのではなく、おしゃれのためにウィッグをしている。そのままの髪もお母さんだし、ウィッグの姿もお母さんに変わりはない」と知ってほしいと思っています。

memeさんは現在、モデルとして乏毛症を多くの人に知ってもらうために、ウィッグを外して人前やカメラの前に立っています。

悩んだけど結局は単なる髪型なので、好きなものを選べばいいんですよね。ウィッグを着けたいときは着けたらいいし、やめたいと思えばやめたっていい。違う髪型のウィッグを着けたっていい。オシャレな帽子やスカーフだってひとつのヘアスタイル。自由に選択して、これが私だと思えるような生き方ができればいいなと思います。

自分のことを知ってほしい。そのためにウィッグを着けていることを伝える

ウィッグを着けずに生活していた頃は、言わなくても髪に症状があると分かっってもらえましたが、ウィッグにしてからは言わないと症状については理解してもらえません。

髪のことを伝えた方がいいのか、伝えなくてもいいのかと悩むこともありました。いざ、この人に伝えようと決めても、どうやって伝えたらいいのか分からず、もどかしい思いをすることも。

memeさんは、なぜ相手に髪やウィッグのことを伝えたいのか改めて考えてみました。すると、単に髪やウィッグのことを知ってもらいたいのではなく、本当の自分を知ってほしいという思いがあることに気付いたのです。

【写真】凛とした表情で横を向いているめめさん

撮影:イシズカマコト(提供写真)

いろいろ考えましたが、ウィッグを変えて「髪型変えたんだね」と声をかけられたときなどに、「実は乏毛症でウィッグをつけているの」とさらっと伝えてみたり、メールで「実は乏毛症でウィッグを付けていて、こんな活動をしているの」とファッションショーに誘ってみたりもしました。

すると、「全然ウィッグだと気付かなかった!」「ウィッグで気軽に髪型を変えられるのはいいいね」と言ってくれたり、また活動を応援してくれたりとポジティブな反応が返ってきたのです。memeさんのまわりにいる人は、髪のことを自然に受け入れてくれる人ばかりでした。

「この髪で良かった」その気持ちがその後の人生を変える

「私、この髪で良かった!」

冠花の会でお花で作った冠を頭に飾って写真を撮る撮影会を企画したときに、参加者の女の子の1人がお母さんに言ったこの言葉がmemeさんは忘れられないといいます。

みんなと違う髪が嫌になることもあるけど、この髪で良かったって思えることが1つでもあると、その後の生き方が変わってくるんじゃないかと思います。その女の子がこの髪で良かったと思える経験を作れたことが本当に嬉しいんです。

そう話すmemeさんにも聞いてみました。「その髪で良かったですか?」と。memeさんの答えは、「はい」でした。

もちろん思い返せば、嫌だったこと辛かったこともあります。でも良かったと思ったこともたくさんあるんです。冠花の会を発足したのもこの髪だからこそだし、この髪を通じてたくさんの人と出会いました。ウィッグを着けずに生活していたときも、「この髪でよく頑張っているね」と思ってもらえたこともあります。

偏見の目で見られることもあるけれど、温かく見守ってもらえたり、応援してもらえることもあるんです。何よりも、この髪だったからこそ経験できたこと、たくさん考えたこと自体が、私の人生や人格をより豊かにしてくれたと本当に思うんです。

外見で辛い思いをする要因は、髪だけではなく、一重まぶたや、体型、鼻や目の大きさなど、さまざまです。自分の外見にコンプレックスを抱えている人へ、memeさんはこんな言葉を贈ってくれました。

【写真】花冠をつけて笑顔で鏡を見ているめめさん

photo by 冠花の会(提供写真)

外見の悩みを持つ方には、自分の頑張りを認めてあげてほしいです。辛い気持ちや複雑な感情があることをぜんぶ丸ごと大丈夫だよと受け入れてあげてほしい。外見のコンプレックスから、人との関係の築き方で悩む人はとても多いと思います。でも、相手が自分の外見をどう捉えているかは、傍から見ても分かりません。だからこそ、人間関係や環境は自分から歩み寄っていくことで変えられる場合もあると感じています。

偏見を持たれることもありますが、それは「無知」が生み出しているだけかもしれない。自分がその人とどう関わっていきたいのかを軸に相手と向き合うことが大事なのかなと思います。一歩踏み出した先には、分かってくれる人もきっといるし、良さを見出してくれる人もいるはずです。

内面は努力で変えられることもあるけれど、外見はどんなに努力を重ねても、自分が望むようには変えられないことが多いもの。でも、こちらから歩み寄ることで受け入れてもらえることも、どうしてもダメなら別の場所を探すこともできます。

memeさんとお話をした後、冒頭に書いた転職活動でのことを思い返しました。

もしも、「学歴や経験は申し分ないが、外見が良くないので内定は出せません」と言われた企業に、入社できていたとしても、仕事を始めた後に、価値観の違いが生じて苦しい思いをしたような気がします。

誰も自分の外見で悲しい思いをしなくなるために、私たちは何ができるのか。そのひとつが“歩み寄り”であると私は思います。互いの価値観を分かち合いながらコミュニケーションをとることによって、そのズレを解消できるかもしれません。

相手と自分の違いのせいで、拒絶されそうになったら、あるいは拒絶してしまいそうになったら、ぜひmemeさんのことを思い出してみてほしいです。理解してくれる人はきっとどこかにいること、そして私たち一人ひとりが誰かの理解者になれることを。

私で良かった。

一人でも多くの人が心の底からそう言えるようになりますように。

関連情報:
冠花の会 ホームページ
memeさん Instagram ブログ

(編集:徳瑠里香、企画・進行:佐藤碩建、松本綾香、協力:伊賀有咲)