【画像】他者とともにウェルビーイングに生きるには?の文字と、ドミニクチェンさん、石井遼介さんの写真が並んでいる

地方は人が限られているから、いまいるメンバーで何とかやっていくしかない。そうすると、「目の前の人とうまく関係を築くための工夫や知恵」が積み上がっていくんですよ。

数年前、とある地方でまちづくりをしている方にインタビューをしたとき、こんな言葉が返ってきました。どきり、と胸を突かれたように感じたことを、いまでも鮮明に覚えています。

なぜそんなに衝撃を受けたかというと、わたしは東京に住んでいて、フリーランスで、結婚していますが子どもはいません。ご近所づきあいとか、職場での人間関係とか、ママ友づきあいとか、“自分で選んだわけではなく、逃れられない関係性”をほとんど持たない人間です。そして、それを「なんて快適なんだろう」と感じてきました。

東京は色々な人がいるから、「自分の好きなものを友達や家族に説明して同程度の熱量を持ってもらう」のではなく、映画の話をしたいときはこの人、哲学的なテーマについて深めたいときはこの人……といった具合に、興味関心に合わせて人とつきあうことができます。コミュニティのなかに苦手な人がいる場合はお互いが息苦しくならない程度に距離を置けばいいし、何か問題が起これば話し合うけれど、「どうしても解決できなければ離れればいい」という前提があるから、自分の意見を臆さず伝えることができる。

相手に合わせて無理に自分を抑える必要はないし、相手に変わることを求めなくてもいい。もちろん、自分や相手を変えてでも一緒にいたいと思ったらそうすればいい。

そういうスタンスが自分には合っていると感じていたのですが、この言葉を聞いて、「わたしはすぐに“距離を取る”コマンドを取りすぎだろうか、さまざまな人と深くかかわろうとすることで得られる学びや成長を失っているのだろうか?」という疑念が生じてしまったのです。

でも、実際問題、どうにも考えの合わない他者と、自分のすこやかさを保ちながら一緒にいるのって、すごく難しくない? みんな一体どうしてるの……?

そんなモヤモヤを解消できずにいたときに、soarで「他者と“ウェルビーイング”に生きるために、自分の行動をどう変える?」というオンラインイベントを開催すると聞き、参加することにしました。

ゲストは、“望ましい行動を増やし、望ましくない行動を減らし、しなやかなマインドをつくる”ための認知行動療法「ACT(Acceptance and Commitment Therapy)」の研究者であり、株式会社ZENTech取締役の石井遼介さんと、 “個人またはグループが、肉体的・精神的・社会的に満たされている”状態を示す「ウェルビーイング」の研究者であり、soar理事のドミニク・チェンさん

モデレーターを務めるsoar理事のモリジュンヤさんは、「行動にフォーカスするACTと、ありかたにフォーカスするウェルビーイング。双方の観点から、自分と他者の状況をより良くしていくために必要なことを探りたい」と話します。

一体どんな話が繰り広げられるのでしょう。わたしのモヤモヤは解消されるのでしょうか?

心理的安全性が高いチームとは、“ヌルいチーム”ではない

【写真】腕を組んでこちらをみているいしいさん

ゲストの石井遼介さん(提供写真)

まずは、石井遼介さんがご自身の仕事やACTについて紹介をしてくれました。

石井遼介さん(以下、石井):組織やチームの心理的安全性、それからリーダーシップとしての心理的柔軟性という観点から、より良いチームをつくるためのさまざまな取り組みを行っています。

心理的安全性というコンセプトについて、まだ聞き慣れない方も多いと思うので簡単にご紹介します。まず、心理的安全性が高いチームとは、「ヌルいチーム」ではありません。色々な意見を持ったメンバーがそれを率直に言い合っても安全なチーム、健全に衝突できるチームなんです。心理的安全性のあるチームは学習の速度が上がり、パフォーマンスも向上します。

ダイバーシティやインクルーシブの文脈でも心理的安全性はすごく重要です。組織の中でたとえマイノリティであったとしても、「わたしはこう思っている」と言える。そうすることで、ちゃんとチームの一員になれるんです。

Googleでも心理的安全性を重視しています。優秀な人がいるといいチームになると思われがちですが、「チームに誰がいるか」よりも、「チームにいる人がどうコラボレーションするか」の方が、チームに大きなインパクトを与えることが明らかになっています。

心理的安全性をもっと深く理解するために、心理的非安全性について考えてみましょう。心理的に非安全なチームは、罰や不安でメンバーをコントロールします。たとえば、課題を見つけてチームのために良かれと思って提案すると、褒められもせず、単に自分の作業量が増えてしまったり、新しいアイデアを提案すると頭ごなしに「それは本当にうまくいくの?」と否定的な態度をとられてしまったり、あるいはせっかく挑戦してがんばっても、失敗すると犯人探しが始まったり。

一つひとつは職場でよくある反応ですが、実はこういうとき「小さな罰」「小さな不安」を与えられているように人は感じるんですね。本当は意見をうまく対立させること、「僕の視点からはこう見えます」「わたしからはこう見えます」と色んな視点が出ることが大切なのですが、多くの職場・チームでは「意見が対立すると人間関係にヒビが入ってしまう。だったらそこまでして言わなくてもいい」という思考に陥ってしまう。それが心理的に非安全なチームです。

心理的安全性のあるチームはこの逆で、罰や不安を避けるために頑張るのではなく、生産的ないい仕事をするために健全に意見を対立させることができるチームです。そのために必要なのは、①話しやすさ②助け合い③挑戦心④新奇歓迎です。つまり、意見を言っても、助けを求めても、挑戦しても、個性や自分らしさを出しても安全ということです。この4つが揃っているときに、心理的安全性が生まれます。

こういうチームは勝手に生まれたりはしません。誰かがリーダーシップを発揮して、一つひとつ良くしていくしかないんです。でも、チームはそれぞれ状況や歴史が異なるので、隣のチームでうまくいったからと言ってこちらのチームで同じことをしてもうまくいかないかもしれません。リーダーには、チームによって柔軟に対応する心のしなやかさ、「心理的柔軟性」が必要です。

困難に直面したときに、変えられないものを受け入れること。わたしなりの、あるいはチーム・プロジェクトにとって「大切なこと」に向かい、変えられるものに取り組むこと。これまでやってきたことが本当に必要なのかそうでないのかをマインドフルに見分けること。この3つがチームをポジティブな方向に導くだけでなく、日々有意義な時間を過ごすという意味でも重要だと考えています。

心理的柔軟性の肝は、「うまくいく行動をしましょう」ということです。心がしなやかであれば、「役に立たない行動でもずっとやり続けてしまい、過去のしがらみにとらわれている」ような状況からも抜け出しやすくなります。

次に考えたいのが、他者とどう向き合うか。僕はできるだけ人と柔軟に向き合いたいと思っています。たとえば、頭で「あいつは悪いやつだ」と考えてしまうと、あたかもそれが揺るぎない現実のように感じられてしまう。そこからうまく脱出できるといいなと思っています。

“思考と現実”は、“苦悩と苦痛”の関係で説明するとわかりやすいかもしれません。たとえば、いま右手をつねってみてください。痛いですよね?「いま・ここ」に刺激があって痛い、これが苦痛です。一週間後にはこの痛みはなくなっているはずですが、もし、「イベントで右手をつねらされた、本当に許せない」と思ったりしたら、それは苦悩です。「いま・ここ」に刺激が無いにも関わらず、不快になっているからです。

苦痛は現実ですが、苦悩は思考であって、現実ではないんです。思考の方に対処する時間を使いすぎると、やりたいことをやる、ハッピーに生きることの妨げになってしまう。にも関わらず、わたしたちはつい、“思考=現実”と捉えてしまい、「思考」を真に受けてしまいます。

“思考=現実”と捉えることの問題は、“白か黒か”で考えるようになることです。そうすると大抵の場合、人は「相手がいかに間違っているか、自分がいかに悪くないか」という証明をはじめます。でも、「相手に問題があり、わたしはそれに困らされている」と思うとき、実はわたし自身も問題の一部であることが多いんです。

もし、問題の一部ですらないのであれば、それは、わたしには関係のない、遠い世界の問題です。であるならば、わたしにはこの問題は解決できません。一方、わたしが問題の一部なのであれば、わたしの行動を柔軟に変えることで相手も変わるかもしれない。あるいは問題が問題じゃなくなるかもしれない。

「あいつが絶対に悪い」という思考が浮かんできたら、もう少し思考を軽く持って、自分が変えられることはないかと考えて行動すること。その方が結局はストレスがなくなり、日々がもっとカラフルになっていくんじゃないかと思っています。

他者との関係性がウェルビーイングを左右する

【写真】こちらをみているドミニクチェンさん

ゲストのドミニク・チェンさん(提供写真)

ドミニク・チェンさん(以下、ドミニク):ウェルビーイングを起点に、分野横断的にさまざまな調査研究を行っています。ウェルビーイングとは、人の心が満たされ、いきいきしている状態を指します。現在は、個々人が自分のウェルビーイングの要因を自分で定義していく、という活動もしています。ウェルビーイングには色々な理論や先行研究があり、それを知ることも重要ですが、ボトムアップで個々人が考えることも大事だと考えているからです。

ワークショップやアンケートを通して、ウェルビーイングに関する人々の意識がどういう風に変化しているか、国ごとや地域ごと、文化によってどう変わるかを調査しています。

総じて、“コミュニケーションと表現”に軸を置いて、他者との関係においてウェルビーイングがどう実現できるかをずっと考えてきました。いまお話したようなことを仲間とまとめたものが、今年2月に発売になった『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』という本です。

帯に「わたしの幸せからわたしたちの幸せへ」と書いてあるように、「自分自身で完結するのではなく、他者と自己との関係性を組み込んでウェルビーイングを追求することが大事なんじゃないか」という問いのもと、さまざまな方にご登場いただいて語ってもらっています。

本の中でも紹介したエピソードなんですが、1300人の大学生に、自分のウェルビーイングを決める要因を3つ挙げてもらいました。そこで挙がった答えを、「I(個人)」「WE(社会)」「UNIVERSE(世界)」の3つのレイヤーに分類します。そうすると、3つのうち1つでも「WE」、つまり他者との関係性が入っていた人の割合が60%ほどだったんです。

これは新型コロナウイルスの感染が拡大する以前に行った調査ですが、同じような調査を先月、日本の約800人の学生で集計してみたところ、3つの要素のうち1つでも他者との関係性が入っていた人の割合が75%に増加していました。

この結果が有意なものなのかはこれから分析を重ねる必要がありますが、ひとつお伝えしたいのは、一人の人間の中でも何が自分のウェルビーイングを決めるのかは変動していくということです。今日書いて、来週もう一度書いてみたら全然違う因子が入っているかもしれない。固定化されないものだと自分自身で気づくためにも、我々は自己定義を薦めています。

今日、石井さんとは、心理的安全性というワードと絡めて、“傾聴”について意見を交わしたいと思っています。傾聴には耳を傾ける人と耳を傾けてもらう人が存在するわけですが、傾聴という行為は両方のウェルビーイングに貢献するのではという仮説を持っています。まだここはしっかりと言語化できていない部分なので、石井さんとのお話を通して、傾聴が職場での心理的安全性とどう関わるのかについて深堀りできればと思っています。

心の中に「他者の視点」を、“軽く”取り入れる

【写真】笑顔でこちらをみているモリジュンヤ

モデレーターのモリジュンヤ(提供写真)

モリ:お二人ともそれぞれのアプローチで、人が他者とよりよいコミュニケーションをとり、ウェルビーイングに生きていくための方法を研究されていますよね。お互いの話を聴いて、どのようなことを感じましたか?

ドミニク:石井さんに「柔軟に発想を変えることが大切」とお話いただきましたけど、一人でやるのは難しいなと思うんですよね。自分自身の経験を振り返ると、「あのとき自分はすごく柔軟に変われたな、惰性に流されずに新しい行動が取れたな」というときには、いつも周りにいい理解者がいました。だから、自分を理解してくれる人の存在が、心理的柔軟性をつくりだすためにとても大事なんじゃないかと思います。

モリ:頭ではわかっているけど実行するのが難しい、ということってありますよね。これは苦悩だとわかっているのに苦悩してしまう。そういうときに、人から何かアドバイスや感想をもらうなど、人との関わりによって自分を客観視できる、ということはあるかもしれません。石井さんは心理的柔軟な状態をつくるにあたって、他者の影響をどう捉えていますか?

石井:心の中に他者を住まわせる、ということが大事だと思っています。苦境に陥ったときに、「尊敬している師匠だったらどんな目線でどんな言葉をくれるだろう?」と勝手にシミュレーションしてみると、すごくいいアドバイスをもらえたような感覚になることがあるんです。他者の視点を借りていても自分の中から出てきた言葉なので、「自分にもすばらしいメンターのようにアドバイスをする力があったんだ」と発見することにもなります。

ドミニク:めちゃくちゃわかります。僕の場合、神様みたいに思っている人が4人いるんですが、自分にはない心理的柔軟さを持っている方々なので、困難に巡り合ったときに「この人たちだったらどう考えるだろう、どう行動を取るだろう」と想像しています。

関連するかもしれない話として、最近、「文学作品を読むことが、心の理論を鍛える」という心理学の研究論文を読んでいました。ノンフィクションではなくフィクションを読むことで、他者の心がどう動いているかを理解する能力が高まったり、現実世界で他者に対する共感が増えたりするそうです。

石井:ノンフィクションではダメというのが面白いですね。

ドミニク:そこはもっと研究が必要で、フィクション/ノンフィクションの区分ではなく、物語性が肝なんじゃないかと思っています。ノンフィクションも色々ありますが、一般的にフィクションの方が物語を語る力が強いという点はあるかもしれませんね。これは石井さんがおっしゃった「心の中に他者を住まわせる」というところに通じるなと思います。

モリ:物語を通して、「他者がどう考えるか、どう感じるか」想像する力を養うということですね。

一方で、苦痛と苦悩の話で言うと、苦悩って“物語”だと思うんです。「こういうことをしたから、きっとあの人は自分のことが嫌いに違いない」と、自分で物語をつくってしまう。物語によって自分が豊かになることもあれば、自分が勝手につくりだした物語で自分を苦しめることもある。そういったことを適宜見極めるだけのマインドフルな状態を獲得していかないといけないな、と思いました。

石井:ACTでは「物語が“軽く”持てるといいですよね」という考え方なんです。「わたしはこういうキャラだからこういうことはできない」と物語が強固になりすぎてしまうと、新しいチャレンジができなくなる。そうするともったいないですよね。

自分と相手の“価値づけされた行動”を知ることで、うまく助け合えるようになる

モリ:ACTの考え方に、“価値づけされた行動”というものがありますよね。それとドミニクさんが話してくれたウェルビーイングの定義の話がリンクしそうだなと思っているのですが、その前にまず石井さんに、説明をお願いできますか?

石井:わかりました。“価値づけされた行動”とは、「これをやっているだけで楽しい」と感じる行動のことです。やっている行動それ自体が楽しいということ、見返りやご褒美がなくても楽しいこと。たとえば釣りが好きな人は、魚を手に入れたいのではなく、釣りという行動そのものが好きなんですよね。「スーパーで魚を買ってくるから釣らなくていいですよ」と言われても嬉しくない。

ちなみに僕の場合は「説明する」ということ自体が、“価値づけされた行動”で楽しいので、いまこの時間はすごくハッピーです。

ドミニク:面白いですね。“他者との関係性”というテーマに結びつけて考えると、「その楽しさは理解できないけど、周りの人がハマっていることに対して興味を抱く」ということがあると思います。

僕はよく、大学の初回講義で、齋藤孝さんの偏愛マップを使うんです。自分が偏愛していることをバーっと書いて隣の人と話すのですが、最初は理由が全然理解できないんですよね。なんでそんなに釣りが好きなのか、なんでそんなにアイドルにハマっているのかとか。でも、それについて楽しそうに話している人を見るとその人のことが好きになってくるというか、「こういう楽しみ方があるんだ」と自分の世界認識のバリエーションが拡張されていく。

そこで聞いた話がいつの間にか自分の中で醸成されて、ある日その楽しさを発見できるかもしれない。異質な人ほど、お互いに世界を広げるトリガーとして関係しあえるんじゃないかなと思います。それってまさに、心理的安全性だなって。

石井:偏愛マップは、「みんな違っていていい」と直接教えるのではなくて、体験を通じて伝わる感じがすごくいいですよね。自分の好きは否定されないし、同じように相手の好きも聞けるし。相手の話に耳を傾けて熱心に聞くと考えると、傾聴に近い気がします。

モリ:自分が理解できないことに関心を持つことって、ある種の柔軟さでもあると思います。石井さんが「心理的安全性のある組織は学習する」と言っていましたが、自分がわからないものをキャッチしていくことって柔軟さがないとできないんじゃないでしょうか。

石井:今の文脈でいうと、soarに“弱さを認められる組織づくり”に関する記事がありましたが、そのあたりも価値づけされた行動に近いのかなと思います。「これは自分のやりたいことだ」というものがわかると、ほかの人にもそういうものがあるだろうなと思えて、「この分野ではこの人に敵わないし、敵わなくていい」と割り切れるようになる、みたいな。

自分のできることとできないことが明確になった上で、他者といい感じの助け合いができるようになる。「私はここしかできないから」といい意味で弱さを見せられるリーダーっていると思うんですが、それを思い出しました。

傾聴は、”される”側だけでなく、”する”側にも良い影響があるのでは?

ドミニク:最近、ほぼ日の元CFOで、現在はエール株式会社で取締役をされている篠田真貴子さんとお話しする機会があったんです。エールでは企業向けに1on1の傾聴セッションを提供していて、その事業を通して“傾聴してもらうことの価値”はすでに実証されているそうなんですが、篠田さんは「傾聴する側にも学習や成長の効果があるのではないか」という仮説を持たれていました。

その時、篠田さんに紹介したのが、soarの理事でもある鈴木悠平さんとグラフィックレコーダーの清水順子さんが開発した、モヤモヤを共有するワークショップです。初対面の5人が1時間半、1人のモヤモヤを聞くというもので、誰もアドバイスをしないし、説教もしない。悠平さんがモデレーションをしつつ、清水さんがひたすらグラフィックに翻訳する。

時おり、沈黙が流れるんですが、全く気まずくないんですね。これって一体何なのかが自分たちも不思議で、そこを一緒に研究してみよう、と話しています。

ただ、傾聴も、形骸化してしまうとマネジメントテクニックになりかねない危険性があるかもしれない。相手が話していたら適当に目を見て頷いて、ときどき相手が言った言葉をそのまま繰り返して、ということをしてさえいれば心理的安全性が生まれる、というような。もちろんそういう態度は大事なのですが、「相手をうまくマネジメントする」というコントロール思考にもつながりかねないと危惧しています。

たとえば、若手社員と傾聴の上手な上司がいたとします。若手社員は普段その上司と話すとすごく心が楽になるなと感じていたけど、ある日その上司が「こういうテクニックを使うとみんな信頼してくれるんだよね」と会話しているところを聞いてしまった。そうしたら、ちょっとショックを受けるんじゃないかと思います。

「自発的にその人の話を聞きたいから聞いている」傾聴なのか、「マネジメントの手法」としての傾聴なのか。その差異は心理的安全性にすごく関わるんじゃないかなと思うのですが、石井さんはどう考えますか?

石井:結局は、話をしている相手のことをマインドフルに受け止めていないといい傾聴にはならないと思います。ただ、「これで相手の行動をコントロールしよう」と思っていたとしても、それをやりきると、結果として相手の状況に本当に寄り添えるいい人になるんじゃないか、という仮説を持っていて。

傾聴とは違うのですが、「管理職が部下に理由を告げてお礼を言うと、その部下のモチベーションが上がる」ということが研究によってわかっています。それをテクニックとして応用しようと思ったとして、理由をつけてお礼を言うには部下がどこでどんな風に頑張っているかをしっかりと見ていなければいけません。テクニックとしてでもそれをやりきれば、気がついたら器の広いいい上司になっているはずなんです。なので、形から入るというのもそれはそれでアリなのではと思います。

お互いの意見を交わす「対話」、一緒に答えをつくっていく「共話」

ドミニク:なるほど、行動によって意識が変化するということですね。たしかに相手の存在が自分のなかに移入してくるような「開かれ」が生まれれば良いのかもしれませんね。それと関連して、「対話と共話」についてもお話したいのですが、日本語教育学者の水谷信子先生という方が、海外からの留学生で日本語が上手になる人たちを観察していて、「彼らは対話ではなく共話がうまいんだ」と気づいたそうです。

対話って、基本的に“Aさんが話している時にBさんは黙って聞いて自分のターンを待つ”という構造ですよね。でも共話は「共に話す」と書くように、話し手と聞き手が一緒にフレーズを作りあいながら、会話を進行させていく会話のこと。Aさんが喋っている間もBさんは黙って聞いているわけではなく、会話に積極的に参加していて、2人で言葉を出しあっていく。これが先ほど石井さんのおっしゃっていた「テクニックがその人の人格を作る」ということと近いんじゃないかと思って。

たとえば日本の会話は、英語の会話よりも相槌が2、3倍も多いという計量分析もあるんです。日本語は主語を省略して話せるし、文化的な習慣としてフレーズを途中で止めて相槌を待つ文化がある。これをアメリカなどでやると、未熟な話し方だと思われてしまうという文化的差異もあります。

共話の話で何が面白いかというと、時々シンポジウムやトークイベントなどで共話が発動して暴走してしまう時があります。そういう時を思い返すと誰が何を言ったか覚えていないんですよね。「わたし」という個が群の中にいるのではなく、「わたしたち」としか言いようのない連帯感で包まれている。そのことがすごく心を温かくしてくれるのが面白くて。

だから石井さんが「お礼を伝える行為を通して相手への注意が増す」とおっしゃっていたのはなるほどな、と思いました。

石井:共話って初めて聞きましたが、面白いですね。いいブレストや会議ができたあとって、みんながそれぞれ「あのアイデアは俺が出した」と思っていたりするんです。それに近いのかもしれないと思いました。

あと、言語行動理論(RFT)の中に「イントラバーバル」というものがあって、これは例えば「誰かが頭のフレーズを歌うと別の誰かが後ろのフレーズを歌うこと」がそうなのですが、これと共話って近いのかもしれません。

イントラバーバルを数分繰り返すだけですごく仲良くなれるんじゃないかな、という気がしています。こっちが「イントラ」って言うとあっちが「バーバル」と返してくれる、それだけでわかりあえている感じがする。単純に「仲良くしなさい」と言われても仲良くなれないけど、ある行動を取ることで気づくと仲良くなっている。そういうことに面白さを感じているので、この文脈で共話をもっと掘ってみたいと思いました。

ドミニク:いまのイントラバーバルの話で、アフリカで人類学のリサーチをされてきた川田順造さんの話を思い出しました。西アフリカにモシ族という民族がいて、彼らは夜な夜な集会を開くそうなんです。テレビもラジオもないのでその集会がみんなの楽しみになっているんですが、何をするかというとおとぎ話をするんですね。最初に一人の語り部がお話を始めるんですが、その人が話を忘れたり、続きが言えなくなったりすると、隣で聞いていた人たちが話を繋げたり、代わりに話を進めたりして、どんどん話者が変わっていく。

川田さんの観察だと、その集会を行う習慣によって、ある種の共話としか言いようがない場面が生まれていて、そのことが連帯感に寄与しているのではないか、というお話でした。

「健全な対立」のために必要なこと

ドミニク:石井さんのお話ですごく大事だと思ったのが、異なる意見を健全に対立させるということです。いま、「差別的な表現をなくそう」というポリティカル・コレクトネスが過剰だと受け止められている向きもあり、コンプライアンスを遵守しようとするあまり、健全な対立が阻害されている側面もあるのかもしれない。だから、石井さんが「健全な対立ワークショップ」を開催するようであれば、僕はすぐに飛びつくと思います。

石井:いいですね、むしろ一緒につくりますか。

ドミニク:ぜひやりたいです。たとえば、共話で融和した直後に健全に対立する、といったことをやるのはどうでしょう。温泉と水風呂に交互に入るみたいに。

石井:それは柔軟性がすごく鍛えられると思います。

モリ:健全に衝突するために、おふたりが具体的に心がけていることはありますか?

石井:基本は率直に話すことですかね。「違和感があるのに言わない、言えない」ということってあると思うんですが、率直に「これってこうじゃないんですか?」と聞いてしまう。まずは疑問や意見をテーブルの上に出してみるというのが大事なんじゃないかと思います。

テクニック的なことだと、上位役職者から話さないようにする。上の方の人が「こう思う」と言うと決まってしまいがちなので、役職や権限がない人から意見を披露していって、それを詰めたりしない、ということが大事なのではとないかと思います。

ドミニク:「健全な対立」と聞いて思い出したのが弁証法です。弁証法って、Aという意見があったら、反証のBという意見をひねり出して、AとBの対立しあうものを自分でウルトラCに昇華するというものなんですね。僕はフランスの教育を受けてきたんですけど、フランスでは高校三年の時に哲学が必修科目で、弁証法を教えられるんです。

そのせいか、フランス人って酒場とかパーティとかで政治談義をすることが好きな人が多いんですが、時々議論のためにロールプレイするんです。「左の人ばっかりで集まると意見が同じでつまらないから、俺は今から右寄りの人やるわ」みたいに。

で、僕もあまりにも均質的で気持ちよすぎる集団の一部になると、フランス人的な天邪鬼気質で、あえてテーブルに反対意見をポンと出して、場を凍りつかせるみたいなことをやったりするんです。そうしないと逆に気持ち悪いと感じる時があります。今日の石井さんの話を聞いていて、柔軟に変化しつづけていくことをみんなで受け入れて、価値づけていくっていうことが関わっているなと感じましたね。

モリ:ありがとうございます。

石井:いい対話というか共話というかができた気がしています。前もって用意してきたこと、期待してきたこと以上の知識や気づきが出てきたというか。僕の主張はひとつで、「心理的柔軟性を磨いていきましょう、できればみなさんで一緒に」というものなんですが、今日は自分の正解がひとつ拡張したな、と思いました。ありがとうございました。

ドミニク:僕もです。ウェルビーイングって言葉がややもするとマジックワードになりがちなので、具体的なテーマとして僕自身も自分の家庭や学校で関わる人の心理的安全性を高めたいですね。そういう課題とヒントを両方もらったなと思っています。ありがとうございました。健全な対立ワークショップ、ぜひやりましょう。

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心理的柔軟性を持つこと、物語を通して他者の視点を取り入れること、自分と相手の”価値づけされた行動”を知ること、傾聴や共話を上手に取り入れること、健全な対立を意識すること……。

他者とウェルビーイングに生きるためにどんな行動が取れるのか、石井さんとドミニクさん、それぞれが深めてきた知識や考えが交錯し、気になるキーワードがたくさん出てきたトークイベントでした。

ただ、冒頭で書いたわたしのモヤモヤがスッキリ解決……ということにはならず、むしろたくさんの「?」で頭の中がいっぱいに。

「メンバーのアイデアに否定的意見を出さなければいけないときはどうしたらいいんだろう?」「共話は“相手の気持ちを察して合わせないといけない”という同調圧力にもつながるかもしれない。その危うさを踏まえた上で、共話や“わたしたちという一体感”が求められるとしたら、それはどうしてなんだろう?」などなど、一つひとつをじっくり掘り下げてみたいな、と思いました。

明快な答えは得られなかったけれど、考えるための足場やヒントとなる問いはたくさん散りばめられていた今回のトークイベント。私も今日のお話をふまえて、他者との関わりについて考えを巡らせてみたいと思います。

関連情報:
石井遼介さん Twitter
著書『心理的安全性のつくりかた

ドミニク・チェンさん Twitter
著書『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために

(執筆:飛田恵美子、編集:工藤瑞穂、企画・進行:松本綾香、協力:田中みずほ)