【写真】子どもを抱きながら、微笑むやたさん

「おせっかい」という言葉に、どんなイメージをもっていますか?

辞書を引いてみると、「出しゃばって世話を焼く」「不必要に人のことに立ち入る」といった意味があるため、もしかしたらネガティブなイメージをもっている人も多いかもしれません。

私は「おせっかい」と聞いて、思い出す出来事があります。現在は青森県に移住してきた私たち一家ですが、以前は東京で子育てをしていました。ある日、生まれたばかりの次男を抱っこ紐で抱えながら、炎天下で電動自転車の組み立てをしなければならないことに。すると、アパートのお隣に住んでいたおばあちゃんに、「赤ちゃん預かるよ」と声をかけられたのです。

それまでお隣とは交流がなかったので驚き、最初は遠慮したものの、「こんなに暑いし、子どもが落ちそうで危険だから」とたしなめられてハッとしました。

私は他者と関わるとき、「こんなことを言って嫌われないだろうか」「『おせっかいだ』と迷惑がられるのではないか」という思いが浮かんでしまいますが、このおばあちゃんは、私と子どもの命を守るために「いいおせっかい」をしてくれているのだと感じました。

こうした地域での支え合いを広げるため、「健康につながる、いいおせっかいを焼く」というビジョンを掲げて活動している人たちがいます。

その中心となっている人物が、Community Nurse Company株式会社代表取締役で、コミュニティナースの矢田明子さん。

【写真】カメラに笑顔をむけるやたさん

コミュニティナースとは、職業や資格ではなく実践のあり方。地域の人の暮らしの身近な存在として「毎日の嬉しいや楽しい」や「心と身体の健康と安心」をまちの人と一緒につくっていきます。

「ナース(看護師)」といっても、病院のなかで働いているのではありません。地域の人が毎日行くスーパーや郵便局といった暮らしの動線にいて、生活に溶け込みながら実践を行っているのです。

矢田さんが活動をする島根県雲南市では、コミュニティナース的な動きをしている人たちがチームとなり、「地域おせっかい会議」を開催しています。毎月の会議でまちにおける気がかりな人や解決したいことを提案し合い、「来月までにこのおせっかいを実行していこう!」と決めて行動し、「おせっかいを焼き合う、ともに暮らしやすいまちづくり」を目指しているのです。

おせっかいを「不必要に人の領域に踏み込む」悪いものではなく、お互いが健康で幸せに生きるための良いイメージで捉え、おせっかいの輪をひろげていっている矢田さん。自分自身の経験を振り返ってみても、矢田さんの提唱するコミュニティナースというあり方には人を頼りながら、お互いに幸せな暮らしをつくっていくためのヒントが詰まっているように感じます。

困っていそうな人がいるときに、おせっかいを悪いことのように感じて、二の足を踏んでしまう私でも、あのおばあちゃんのようにできることはあるのだろうか。そんな考えから、矢田さんにお話を聞いてみたいと思いました。

コミュニティナースのモデルハウスは、みんなが“おせっかいを焼き合う”場所。

島根県在住の矢田さんに、オンライン会議ツールをつかって取材を行うと、地元の出雲弁で気さくに話してくれました。

当日、矢田さんがいらっしゃったのは、Community Nurse Companyの拠点となっている築100年の古民家「みんなのお家」。もともと地域の診療所として使われていた建物で、先生でありこの町の町長が住んでいた場所だといいます。

【写真】みんなのお家の縁側に座り子どもを遊ぶやたさん

Community Nurse Companyの拠点となっている古民家(提供写真)

すると、画面の奥に子どもたちの姿が……。「職場ですが子どももいるんですね」と言うと、「あれ、うちの子。4番目と5番目」と、矢田さんは笑います。

実は、矢田さんの著書『コミュニティナース:まちを元気にする“おせっかい”焼きの看護師』を読んだとき、自身の子育てについては触れられていませんでした。「こんなにパワフルな活動をしていて、子育てができるんだろうか」と思っていた謎が、ここで解けます。

ここはコミュニティナースだらけなんで、みんな子どもを連れてきて働いてますよ。地域の訪問にも私の子をみんな背負っていってくれてるし。本を書いたときは4人目の産後で、「産後に文章なんか書いたらいけんわ!」ってなっとったけど、そのあとまた子どもを産むことになったんだわ(笑)。

私が東京で子育てしているときは、一人で子どもたちを見なくてはならないので目が離せず、気を抜く間もありませんでした。みんなで子育てしてくれて、常に誰かしらの大人の目がある……そんな環境に、感激してしまいました。しかも、こんな副産物も。

いろんな大人と関わるから、いつのまにか子どもがたくさんの魚の種類がわかるようになってたり、オムツが取れたりしてるの。ははは!コミュニティナースすごいなって。親だけでは教えられないこともあるから、本当に助かってます。

【写真】みんなのお家に集まり楽しそうに笑う地域の人々

みんなのお家は地域の人が自然と集まる場所になっている(提供写真)

矢田さんが代表を務めるCommunity Nurse Companyは、コミュニティナースの育成や普及に関する支援をはじめ、医療従事者、介護従事者などの人材の育成支援、教育カリキュラム開発、研修やモデルづくりのコンサルタントを行っています。

矢田さんがこんなに精力的な活動ができる背景には、互いに支え合える、コミュニティナースの存在があったのだと実感しました。

父の「死にたくない」の言葉が突き動かした。

病院のなかにとどまることなく、地域でおせっかいを焼く活動をはじめたきっかけは、矢田さんのお父さんがガンになり、闘病の末に亡くなったこと。矢田さんが26歳、お父さんが54歳のときでした。

父は「もっと元気で長く生きて、子どもや孫、近所の人と楽しい時間を過ごしたかった」と明確に意思表示をしたんですよ。「死にたくない、死にたくない」と。このニーズって、隣のおっちゃんもその隣のおっちゃんも持ってるわなと。たくさんの人が持っているニーズなはずだって思ったんです。

ささやかでも、元気で長く生きて、楽しい時間を好きな人と持ちたいーー。そういうニーズがある中で、なぜそれが父に叶わなかったかを矢田さんは考えました。

病気になる前に、仕事に精一杯で圧倒的に考えるきっかけがなかったりとか、自分が元気でいるために体を整える時間をほとんど捻出できていなかったりとか。

元気である間は無自覚である潜在的ニーズなんだけれども、もし健康について考えるサポートがその人たちにあったかたちでちょっとでもあれば、一歩踏み出すきっかけになれるのではないかと考えました。

「お父さんのためにもっと自分ができることはなかったのだろうか」と無力感を覚えた矢田さんは、看護師を目指すことに。当時すでに結婚・出産しており、島根県合同庁舎で事務職に就いていましたが、お父さんが亡くなったのをきっかけに、もう一回大学に入り直したのです。

学問はなんでもよかったんですよ。お父さんの看取りのときに、医者、介護、看護、薬剤師、栄養士とかいろんな人がいたんですけど、看護師さんはずっと関わってくれて、父も信頼している様子だったので、看護師を目指そうと思ったんです。

こうして2008年に島根県立大学短期大学部看護学科に入学した矢田さんは、主に海外で活用されている「コミュニティナーシング」という看護の実践のことを知ります。

例えば、タイでは医療ボランティアがまちの人々の暮らしに溶け込んで健康のケアをしていますし、オランダでは看護師・介護士からなる非営利の在宅ケア組織があり、治療のサポートなどを行います。

これこそ、矢田さんの目指していた「病気になる前の普段の暮らしに溶け込む看護」でした。

ただ日本では前例のない活動だったので、入学の翌月から学生サークルとして5人ほどのコミュニティナースのチームを結成。さっそく出雲市内のカフェを借りて、子育て中のお母さんを対象にしたイベントを開催します。子育て中の女性は、子ども中心の生活になり、自分の健康がおろそかになってしまう人が多いという理由からでした。

余命宣告を受けた女性の話をしたり、健康をテーマにした情報発信を行ったりしたことをきっかけに、参加者のなかからガン検診を受けて早期発見された人もいたのだそう。

「コミュニティナース」は資格の名前じゃないんです。たとえば、自分から誰かを思ってコミュニケーションしたときに、「今あなたがやったことってコミュニティナースだったね」って声をかけるみたいに、気持ちの表現の有り様にコミュニティナースっていう言葉をつけてるんです。その人が嬉しい、楽しいと思ってくれるような種をフックにしながら関わりをつづけ、結果的に心や身体の元気を高めていくあり方そのものなんです。

思いを持った人たちが、けっして専門性がなくても誰かの力になれる。矢田さんのアイデアから生まれた温かなムーブメントは、共感して参加する人がどんどん増え、地域で広がりを見せていきました。

関係性をコーディネートすることが大事。

2011年、矢田さんが看護学科3年生のとき、出身地である出雲市の隣にある雲南市が主宰する次世代育成事業「幸雲南塾」に参加しないかと声をかけられます。「いろんな人に会えそうだから、コミュニティナースのヒントになるかもしれない」という気持ちで、1期生に。講師によるケーススタディセミナーや、ビジネスプランを立案していくグループワークを行いました。

そこで矢田さんが生み出したのは、高齢者と障害者、子どもから大人までごちゃまぜになって“おせっかい”を焼き合い、日常を支え合うという、現在の活動に通じるビジョンでした。いざ矢田さんが自宅の畑スペースを開放してみると、いろんな人が集まり、人と人とのつながりができていきます。

【写真】幸雲南塾の活動写真。拠点の前でカメラに笑顔を向ける参加者の方々

幸雲南塾での活動の様子(提供写真)

この活動のなかで印象的だったのは、参加したことをきっかけに知的障害のある女性が職を得たこと。

彼女に「何が得意?」と聞くと、「ミニトマトのお世話なら得意」と答えたから、ミニトマトの栽培を任せたの。すると、黙々と雑草抜きや肥料やりなどを行って、農作業を進めてくれた。それをきっかけに就労支援者と出会った彼女は、清掃の仕事に就いたんです。

矢田さんがしたことは、本人に得意なことを聞いて、それが実行できる場をつくるという、とてもシンプルなもの。それでも、人と人との出会いによって、状況が好転することがあると実感した出来事でした。

自分がすべてのおせっかいをしていくことには限界があるからね。相手の強みに合わせて、別の人の“おせっかい力”を引き出していけばいい。いろいろな人の関わりをつないでいくほうが持続可能だとわかったんです。

コミュニケーションをとるとき、矢田さんは大切にしていることがあるといいます。それは、観察者になること。相手の感情に関心を向けて、人が生き生きとするために周囲がどう関わるのかを意識するといいます。

私は、「一歩踏み出したい」という人がいたときに、ついつい自分の興味のあることを押し付けてしまいそうになります。でも自分がすべて引き受けようとするのではなく、関係性をコーディネートするという考え方があるとわかり、大きな学びになりました。

所属を超えてチームコミュニティナースを編成した、地域おせっかい会議。

おせっかいの大切さを見出した矢田さんは、患者や体調の悪い人は医療業界のプロに任せることにして、病院へ行く予定のない人たちに別の角度からアプローチする方法を考え、まちづくりの分野に進むことに。そうしてはじめた活動のひとつが、2019年に所属を超えて“チームコミュニティナース”を結成した、地域おせっかい会議です。

幸雲南塾の修了生のなかには、コミュニティナースのようなプランを行っている人や、飲食業や観光業、教育の事業を立ち上げた人もいます。そういったプレイヤーたちと一緒に、“チームコミュニティナース”になったら強いなって。

看護師の資格の有無は関係なく、各々の得意な分野で、まちと関わっていく。それが、矢田さんが目指した“チームコミュニティナース”のかたちでした。

早速、地域で活躍する各業界の起業家や、プレイヤーたちに声をかけて「みんなでチームコミュニティナースになってくれんか」「あんたたちは人のニーズの拾い方も超うまいし、何よりも自分たちで創業してやってきている」と話すと、喜んで「やろうぜ!」と言ってくれたのだそう。

精力的に活動を広げていくお話を聞いて感じたのは、矢田さんの“巻き込み力”。何か地域の役に立ちたいと考えている人たちに働きかけ、きっかけづくりを行う。これもまさに、地域の関係性のコーディネートといえそうです。

【写真】地域の方の家を訪れるやたさん。地域の方と顔を見合わせて笑顔を浮かべている

地域の方の家を訪れ、話をする矢田さん(提供写真)

「本当におせっかいしたいのか?」を見つめ直す。

頼り合う関係性を素敵だと感じる一方で、なかなかその一歩を踏み出せない自分にも気付きます。コミュニティナースのあり方や、おせっかいを焼き合う地域に憧れはあるのですが、不安を感じてしまうのです。どうしたらいいのだろう、とその思いを矢田さんにぶつけてみると……。

「これがやりたい」「なんでやれてないんだ」「具体的には私は何を怖がってるんだ?」みたいなのが自分で整理できればいいと思いますよ。くりもっちゃん(ライターである私、栗本を矢田さんはこう呼んでくれた)、どうしてやりたいのに、できないんだろうか?

栗本:うーん、そうですね。人と関わったときにすごく依存されたら困るとか、どこまで責任持てるのかなと考えてしまっている気がします。やってみないとわからないのでしょうけれど、そこまでの一歩が出ないのかもしれません。

でも、踏み出してはみたいんだ?

そう矢田さんに問われて言葉が詰まってしまいました。私は本当に、その一歩を踏み出したいのだろうかと。矢田さんは笑いながらこう話してくれました。

ははは。そういうことじゃない?おせっかいをある種“他人ごと”として、それはすごくいいことだろうなぁ、やれてたらいいんだろうな、という次元で“よろしいこと”と認識しているのかもね。「あ、個人の単位でめちゃくちゃやりたいかって言われたらそういうわけでもないんだな」ってことをちゃんと知る……そのほうが大事だと思う。

言われて、目から鱗が落ちるようでした。社会的にいいことだと思っても、本当にやりたいわけじゃなければやらなくてもいい。そう思ったら気が楽になりました。

別に、そんなにいつでも“優しい人”じゃなくてもいいと思うんだわ。なので、「社会的にはいいことだと思うけど、私個人の単位でいうと今そんなに関わりたいと思っていないかも」みたいなことをちゃんと知っておくことだと思いますよ。

そういうときは、やりたい人に任せているだけでいいんだよ。きっと、くりもっちゃんは直接じゃない、なにか心がすごく動いたりしたときに、自分を伸ばしたり活躍すればいいと思う。やりたくてやりたい人のことは「いいじゃん、がんばれがんばれ」って応援してあげたら。

【写真】地域に住む方の横に座り笑顔を向けるやたさん

「やりたくてやりたい人がやればいい」と話す矢田さん(提供写真)

地域の人におせっかいを焼きたいわけではないことが発覚してしまった私に、「自分を犠牲にしてまで相手を助けるおせっかいは意味がない」、「自分の強みややりたいことと重なるときにやればいい」と、矢田さんは明るく声をかけてくれました。

一歩踏み出せない自分を責めるのではなく、実践している人を応援する。そして、本当に踏み出したくなったときには惜しみなく力を発揮しよう!そう、決意を新たにしました。

身近な人が元気ないときに遠慮してしまうのは「自分の保身」?

地域におせっかいを焼くことまでは手を出せない私ですが、身近な人に元気がないときは声をかけたいもの。しかしながら、思い返してみると、同僚や友人に「何かあった?」と聞けないことがありました。「あまりでしゃばって聞かないほうがいいのかな、踏み込んでほしくないのかな」と勝手に想定してしまうところがあります。

そんな思いを話してみると、またしても矢田さんの言葉にハッとさせられました。

「嫌われたらどうしよう」、「関わって結果的に依存されたらどうしよう」。これって基本、自分の心配だと思うんですよ。相手のための心配じゃないような気がする。

「自分の心配」。そう指摘されて、悔しいことに納得してしまいました。直接的に相手のためになることなら踏み込めるのに、相手の感情やメンタルの調子に関する心配になると「これ以上、立ち入るのは失礼かな」と感じてしまうのです。そのことについて、「健康のことよりも“わからなさ”があるんじゃない?」と、矢田さんは続けます。

人は、調子いいときも悪いときもあるだろうけど、友達だって体調が悪くなったり、ならなかったりするじゃん。

熱が出ている人にスポーツドリンクを渡そうとして、「迷惑だと思われたらどうしよう」って思わないでしょう。それは自分も熱を出したことがあって、そういう気遣いが嬉しいと想像できるから。でも、メンタルのことだと、自分が想像できないから自分を守ろうとしてしまうんじゃない?

例えばSNSで友達が「つらい」みたいにつぶやいても、私にはインフルエンザで寝込んでいる状態と同じように見えてて。そうなると、ポカリスエットを持っていって、「最近つらそうだけど大丈夫?ポカリ置いとくけん、よかったら飲んでよ」って言う。それで「余計なお世話だ!」って言われたら、「あ、ごめん」てなるじゃん。

矢田さんの言葉になんだか、肩の荷が降りるような気持ちがしました。悩んでいそうな人には、スポーツドリンクを渡すような気持ちで、あまり思いつめずに声をかけることができるといいのかもしれません。

【写真】まちのカフェに集まり、お互いに助け合う地域の人々

まちのカフェに集まる地域の方々。様々な年代の方がごちゃまぜになって助け合う(提供写真)

そんな矢田さんでもおせっかいを躊躇するようなときはあるのでしょうか。おそるおそる聞いてみると、自分が認識している2つのパターンについて話してくれました。

一つは、自分がめちゃめちゃ忙しいとき。「してあげたほうがいいとわかってるけど、私、今日は参観日があるんだよな」みたいなときは躊躇しますね。そういうときは、自分の都合を優先して、心のなかで「まぁ、おせっかいはまたで!」って思って参観日に行きますね。

もう一つは、周囲にも波紋を呼びそうなとき。「その“おせっかい”しないほうがいいんじゃないの?」と周りのひとに気遣って言われるときには、躊躇するというよりは、自分がすべき配慮を検討する。その助言をくれた人にまずは聞いてみます。

例えば、「家族のことを無視しておせっかいすると、『うちの家族を、勝手に家から連れて出ないでよ』と思われるかもよ」と言われたら、「じゃあ、ご家族に事前確認さえ取れたら大丈夫そうですかね」と相談してみるとか。

自分ができないときに無理してまでおせっかいを焼かないこと。そして、不安要素があるときには、解決策を検討したうえでおせっかいをすること。私はつい、妄想や想像ですぐに行動をしてしまいそうになりますが、矢田さんはきちんと状況を把握したり関わる人の話を聞いてから実践する。直感で動いているのかと思っていたのですが、本当はすごく“リアリスト”だと感じました。

そして矢田さんは無理しておせっかいを焼いているのではなく、楽しんでいるように見えます。私たちにも、普段の“おせっかい”を、より楽しくしていくためにできることはあるのでしょうか?

ポカリスエットを置いておくだけで、“おせっかい”としては成り立ってるけど、私はこれを面白がろうとしてしまうわけよ。90年代のポカリスエットのCMの名シーンとかをわざわざA4で印刷したのを添えて渡すと、同世代の人は面白がってくれるから(笑)。そしたら、“おせっかい”したくなっていくの、自分が。面白い、面白い!みたいな。

「喜んでもらえたら」という他者への期待でおせっかいをするのではなく、「自分が面白くて、やりたいからやっている」というシンプルな動機が、矢田さんの根本にあるのでしょう。

もちろん人と関わるとき、自分の感情だけを優先しすぎていないか気をつけなければいけませんが、「あの人のためにやってあげたのに」と期待を裏切られて他者を責めたりしないためにも、まず自分起点の思いを大切にするのは必要なこと。私もこれからは、疲れている友人に栄養ドリンクとメモ添えて渡すくらいのおせっかいから、楽しみながら実践してみようと思います。

おせっかいを焼く人、焼かれる人と、立場が固定化しないために。

友達や同僚相手なら、“おせっかい”を焼き合うことができると思います。でも、例えば一人暮らしの高齢者の方におせっかいを焼こうとしたときに、おせっかいを焼く人、焼かれる人、といったように立場が固定化されることがあるのではないかと感じてしまいます。そうならないように矢田さんが意識していることはあるのでしょうか。

どっちが上とか、一人でがんばらんととか、そういうふうに考えたことがないですね。

例えば、最初は「おせっかいしてあげたほうがいい」と言って関わった60歳の方がいるんですよ。もともと教員だったんだけど、うつ病になってそのあと統合失調症になったの。今では、その方はコミュニティナースに地元のことを教えてくれる先生役もしています。畑もつくってくれてるしね。

【写真】みんなのお家の前で集合写真をとる地域の中学生たち。元気いっぱいにガッツポーズをしている

みんなのお家にコミュニティナースを学びにきた中学生たち(提供写真)

ちょうど話しているそのとき、「あ、今こられたわ」と矢田さん。立ち話をしてから戻ってきてくれました。

そこでメモ書いてる!はははは。今度、先生役を頼んでるからさ。勉強したり、パソコンをやったりしとる。ありがたい。

【写真】笑顔で微笑む先生役の地域の方とスタッフの方

みんなのお家にはまちの方が訪れ、得意を生かした役割を担っている(提供写真)

サポートが必要な人に対して、「やってあげている」と思ったり、弱い立場であることを強要して関係性を固定化したりするのではなく、足りないところを補い合う。そんな「お互いさま」を自然と実践している様子が垣間見えて、とても素敵です。

他人に迷惑をかけないようにと無理して抱え込むことの多かった私は、いつのまにか他人にも頑張ることを強要するような気持ちが少なからずあったように思います。

人と頼り合うことは、もしかしたら真に人を尊重することにつながるのかもしれません。

「マイベストサポート」は、本人が一番知っている。

地域とのつながりについて考えたときに、東京に住んでいたころのことを思い返してみると、近所の人たちとのつながりが薄く、お隣に住んでいたおばあちゃんくらいしか話したことがありませんでした。私たちが地域や、身近なコミュニティのなかで、関係性を広げていくためにまずできることとして、“挨拶”があると矢田さんは話します。

「おはようございます」と自分から声をかけると、地域住民とのつながりを持ちたいという人は「おはようございます」と返してくれるし、お互いに時間があれば「あら、お子さん大きくなったね」みたいな感じで立ち話がはじまったりする。逆に、ニーズがない人って立ち話にならないじゃないですか。コミュニケーションの最初のきっかけとして挨拶は大事だと思います。

矢田さんのように明るくてパワフルな人なら、グイグイっと地域住民との距離を縮められるのでは…と思っていたのですが、まずは挨拶から関係性を築いていることを知り、必要なのは特殊能力じゃなく、日常のコミュニケーションなのだと気付きます。

また、困っていそうな人を見かけて、何をしたらいいかわからないときにも、まずは声をかけてみることからはじめるそう。

例えば、足を引きずっている人が横にいたら、私だと専門的な知識もあるから、「麻痺があるときはどっち側に立ってあげればいいか」みたいなことを知ってるんだけど、それでも「どんなふうにするとベスト?」と聞くようにしています。自分の今までの経験や暮らしの中から、“マイベストヒットサポート”は本人が一番知っているから。

矢田さんと話していると、自分はコミュニケーションをサボっていたな、と感じさせられます。いろんなことを考えすぎて、結局声をかけられなかったこともありました。考える前にまずは声をかけて聞くことができるようになれたらと思います。

おせっかいが社会インフラになる未来。

矢田さんの“おせっかい”は、「不必要に人のことに立ち入る」のではなく、「必要かどうかを相手に確認しながら、必要なぶんだけ手助けする」ことでした。心地よいおせっかいが、お互い様になったらどんなにいいでしょう。

小さな地域ではじまったコミュニティナースを全国に広げるために、今後チャレンジしてみたいのは、これをビジネスにすることだといいます。

コンビニが当たり前なものとして存在しているのは、ビジネスが成立しているから。そこに市場経済ができあがって、それを担う人がちゃんといるから社会インフラになる。

学生時代に結成した、チームコミュニティナースのメンバーたちは、卒業するときに、ボランティアではお金を稼げないからと、病院や行政に就職していったんよね。そのままやりたがってたんだけど。だから、そのコミュニティに助け合いを生み出す活動をしっかりビジネスにして社会に広めて、関わる人もきちんと生活できるだけの収入を得られる仕組みをつくりたい。

コンビニみたいに、コミュニティナースが生活のなかに存在したら……。そんな未来を想像すると、とても明るい気持ちになりました。“おせっかい”を焼き合う関係性が、今よりも醸成されているのではないでしょうか。

矢田さんと話す前から、すごくパワフルな人なんだろうと予想していましたが、勢いで押し進めてしまうのではなく、相手の話を傾聴したり、丁寧にコミュニケーションをとったりしていることがわかり、人と接するうえでの学びが多くありました。

また、「こういう取材をしたら、自分も何か行動しなくてはならなくなるぞ…」と少し身構えていたのですが、矢田さんが「めちゃめちゃやりたいわけじゃないなら、無理しなくていいんだよ」と言ってくれたことで、気持ちが楽になりました。自分を犠牲にしてまで、他人のことにおせっかいを焼くのではなく、楽しんでおせっかいを焼いている矢田さんや、私に声をかけてくれたあのお隣のおばあちゃんみたいに、相手のことを純粋に考えておせっかいを焼けるようになりたいです。

地域の人たちにまではまだ踏み込めない私ですが、まずは家族や友人など、近しい人たちから、おせっかいをはじめてみようと思います。

【写真】縁側に座りながらカメラに目線を向けるやたさん

関連情報:
Community Nurse Company株式会社

(編集/工藤瑞穂、企画・進行/岡本実希、協力/山田晴香)