私は先天性の盲ろう者ですが、周囲の人たちが「盲ろう者だっていろんなことができる」ということを教えてくれました。本当に、人に恵まれているんです。
朗らかな笑顔でそう話してくれたのは、森敦史さん。視覚や聴覚に障害のある人たちのための「筑波技術大学」の大学院に通う、盲ろう者の学生です。
至極当たり前のことですが、人は常に誰かに支えられて生きているもの。それは障害の有無を問いません。家族、友人、職場の同僚や学校のクラスメイトたち……。ぼくたちは普段から非常に多くの人たちにサポートされながら生きています。
そして、そういった関係性を成立させるのは、「相手を信頼する」という気持ち。でも、案外それが難しいものです。ましてや、目が見えず、耳が聞こえない状況下だったら、どうやって相手のことを信頼すればいいのでしょうか。
ぼくたちのそんな疑問に対し、森さんは実に明確な答えを提示してくれました。それは、誰の心にも響くもの。現代を生きるうえで、ともすれば、忘れてしまいがちな大切なこととは――。
「周囲と違う」と気づいた幼少期
森さんは現在26歳。筑波技術大学大学院で「盲ろう者が社会で活躍するための情報インフラ」について研究しています。基本的には同大学の大学院での履修は2年となっていますが、森さんは3年かけて修士課程を終える予定です。
森さんは、先天性の盲ろう者。会話をするときは、“手話”を用います。ただし、森さん自身は目が見えないため、相手の手話に“触れる”ことでその内容を理解するのです。
では、自身がその事実を自覚したのはいつ頃だったのでしょうか。
森さん:生まれた後、まず見えないということが判明しました。その後、さまざまな病院をまわるなかで、聞こえないこともわかったらしいんです。自分でそれを自覚したのは、小学校に入ってからだと思います。最初に通ったのはろう学校で、そこでは聞こえないことが普通でしたが、私だけがなぜか見えない。その後移った盲学校では、周囲が見えないなか、私だけが聞こえていないという状況で。そこで、少しずつ、“自分は見えないし、聞こえないんだ”ということを理解していったように記憶しています。
周囲の人たちと自分との違いを自覚する。幼少期の森さんにとって、それは実に衝撃的なことだったのではないでしょうか。しかし、森さんは明るくこう話します。
森さん:自分が盲ろう者であることを自覚したからといって、なにかが変わるわけではなかったんです。それは、両親をはじめ、周囲に盲ろう者のことを理解してくれている人たちが大勢いたからだと思います。小学校に入る前、難聴児が集まる施設に通っていたんですが、そこには盲ろう児もいました。だからこそ、親同士が盲ろうに対する情報交換を積極的にしていて。
その後、全国で開催されている盲ろう者の集いにも参加するようになり、最終的には地元にそれまでなかった“盲ろう者の友の会”というものも作られました。そういう場所を介して、周囲の人たちが盲ろう者に対する理解を深めていったことは、私にとっても非常に大きなことだったと思います。
森さんのご両親は、森さんが幼い頃から積極的に外に連れ出してくれていたそう。その根底にあったのは、「盲ろう者だっていろんなことができる」という想い。冒頭で森さんが口にしていたフレーズです。
森さん:両親はとにかく自由になんでもやらせてくれました。子どもに障害があると、どうしても過保護になってしまいがちだと思います。でも、両親はそうではなくて、私にできるだけさまざまな経験を積ませようとサポートしてくれたんです。私が日本語を身につけられたのも、そういった経験があったからこそだと思います。
言葉というものは、その意味と概念を結びつけて理解していくもの。その点、視覚や聴覚に障害があると、一つひとつを理解するのに相当な苦労を要します。しかし、森さんのご両親は、それをクリアするために森さんにさまざまなことを体験させました。
森さん:たとえば、“海”という言葉。健常者であれば、テレビや本から海のイメージを掴み取り、理解することは簡単です。でも、盲ろう者にはそれができない。そこで私の両親がしたことは、私を実際に海に連れて行くということ。海に入って、潮の匂いや波の動きを感じることで、海の概念というものを理解させてくれたのです。
実際に“海”を体感したことで、言葉の意味がすんなり理解できたという森さん。それはまるで、ヘレン・ケラーが「WATER」という単語を理解したときのエピソードと重なります。
森さん:また、“夢”という非常に抽象的な言葉を教えてくれたこともありました。きっかけは、たまたま私が見た夢の話を両親にしたこと。寝ている間に見た夢のことを話すと、はじめはなんのことなのかわかっていない様子でしたが、やがて『それは夢っていうものなんだよ』と説明してくれました。私の両親は、そうやって一つひとつの体験をもとに、言葉を教えてくれたのです。
障害があることで家に引きこもってしまうことも少なくないなか、森さんは、ご両親の協力もあり積極的に外の世界と関わるような子どもとして育っていきました。
そして、盲学校やろう学校を経て、森さんのなかに生まれたのは「大学に進学したい」という想い。それは、盲ろう者としては非常に難しいことかもしれない。けれど、障害を理由にせず、少しでも可能性があるのならば挑戦したい。その結果、森さんは見事大学進学、そして大学院への進学をも果たしたのです。
大勢に支えられ、大学院生に
現在、森さんが通う「筑波技術大学」は、視覚や聴覚に障害のある学生を対象とした学び舎です。けれど、全盲ろうの学生の受け入れははじめてのこと。当初は大学側にも戸惑いがあったといいます。
しかしながら、現在では万全の体制が整えられています。寮から研究室や教室までの道のりには、森さんがひとりでも困らないように点字ブロックを配置。授業内容は手話通訳者が触手話で通訳し、日常生活は学生ボランティアがサポートしてくれています。
また、パソコンでレポートを作成する際には、画面上の文字を点字で表示する“点字ディスプレイ”を活用しています。これを使い、森さんは課題に取り組んでいるそうです。
盲ろう者のための“スマホ”と言えるようなものも。それがこちらのブレイルセンス、通称“点字情報端末“です。これは単体でインターネットに接続することが可能で、ここからさまざまな情報を獲得しています。
さらに森さんは、呼び出しのベルや災害発生時のアラームを振動で教えてくれる機器を身につけたり、健常者と会話する際に活用する点字に対応した五十音表を持ち歩いたりと、さまざまな工夫をしています。
森さん:基本的に、自分でできることは人に頼らず自分の力でやるようにしています。部屋の掃除や簡単な食事の準備などは、自分でしていますね。ただ、視覚情報に頼らざるを得ないことは、どうしても助けが必要で。具体的には、目覚まし時計のアラームを設定するとき。正しい時間に設定できているのかどうかは確認しようがないので、友人に見てもらわないといけないんです。
意識をしていないだけで、世の中には「目で見ること」を前提としたものが溢れています。森さんにとって、それらは非常に厄介なこと。その最たるものが、「移動」ではないでしょうか。
周囲の交通状況を確認し、目的地までの移動手段を調べ、電車やバスに乗り込み、目的地で降りる。この一連の流れには、視覚から得られる情報を的確に処理することが求められます。けれど、森さんにはそれが難しい。そんなとき森さんは、周囲の人たちの力を借りるのです。
森さん:たとえば、大学から実家まで帰るとします。まずは大学の友人にお願いをして、つくば駅まで送ってもらうんです。駅では駅員さんに助けが必要なことを説明し、電車に乗るところまでをサポートしてもらいます。すると、目的地の駅でも駅員さんがスタンバイしてくれていて、改札口まで同行してくれます。そこで迎えに来てくれていた人と合流して、家まで向かうのです。大学から家までの距離でも、実に大勢の方がサポートしてくれています。
これはまさに、“やさしさのバトンリレー”のようなもの。森さんが直面する困難を乗り越えてこられたのは、誰かひとりではなく、何人もの人たちのやさしさに囲まれてきたからなのでしょう。
それは大学に進学するときも同様。森さんが進学を志した際、実に何十校もの大学からそれを断られてしまったといいます。
森さん:いまはまだ、盲ろう者という存在があまり理解されていないので、進学するときは本当に大変でした。「試験を受けたい」と伝えても、「通訳者が手配できない」「環境が整えられない」と立て続けに断られてしまって……。何十校もあたって、試験が受けられたのはたった2校だけでした。
しかし、そんな状況を乗り越えることができたのも、周囲のひとたちのおかげでした。
森さん:厳しい状況でも諦めなかったのは、いろんな人たちがサポートしてくれたからです。両親、通訳者や支援者の方たち、そして同じ盲ろう者としてがんばっている人たち。そういった人たちの協力や応援があったことは大きかったと思います。
驚くべきは、その言語力の高さ
現在、「筑波技術大学」大学院にて、盲ろう者のためにできることについて研究をしている森さん。その様子について、指導教員である佐藤正幸先生はこう話します。
佐藤先生:驚かされるのは、その言語力です。彼には毎週英語論文の和訳を課題として出しているんですけど、他の学生と比べても遥かに言語力が高い。よくここまで言葉を理解しているな、と毎回唸らされています。大学院で重要なのは、“自分でなにを切り開いていくのか”という姿勢。受け身なだけではダメなんです。その点、森くんは自ら動き出そうとする意欲が高いですね。
佐藤先生は、森さんが入学するにあたって、大学院側の受け入れ体制を整えようと奔走したひとりなのです。
佐藤先生:正直、プレッシャーはありました。でも、それ以上に応援したい気持ちが強かったんです。だから、森くんが通っていた大学にも話を聴きに行きました。無事に入学してくれたので、あとはもう応援するだけ。いつもニコニコしていて朗らかな学生ですから、周囲にも自然と人が集まってくるんです。そういった環境を活かして、本当にやりたいことを実現させてもらいたい。後身のためのフロンティアになってもらいたいと思っています。
森さんは、人に愛される魅力の持ち主。副指導教員であり、教育研究面での支援担当として森さんをサポートする白澤麻弓先生も、同様のことを話してくれました。
白澤先生:森くんはとにかくかわいらしい子。人を惹き付ける魅力があるので、支援しようという気持ちだけではなく、単純に話がしてみたいという想いから人が集まってくるんです。
そして、白澤先生もまた、森さんの言語力を高く評価しているといいます。
白澤先生:私がいつも聴覚障害のある学生たちを指導するなかで目の当たりにするのは、聞こえない学生たちが言葉を獲得する難しさ。彼らにとって、自然なやり取りを身につけるのはとても難しいことなんです。でも、森くんはすごい。たとえば、アポを取るとき。連絡をするタイミングや返事を催促する文章など、そのどれもがとても自然なんです。健常者の学生ですらできないようなやり取りを自然にこなすので、それにはいつも驚かされますね。
白澤先生は、森さんの支援担当者として、間近で活躍を支えてきました。だからこそ、今後の森さんにかける期待は大きいそう。
白澤先生:森くんには、やりたいことをすべて実現させてもらいたいです。研究としてやりたいこともあるでしょうし、あるいは彼女を作ったり友人と遊びに行ったり。森くんは盲ろう者としてのモデルケースになりつつありますけど、それだけではきっと窮屈でしょう。だからこそ、ときには周囲に迷惑をかけるようなことだってしてもらいたい。飲みすぎて二日酔いになったりね(笑)。
そのうえで、私たちにできることがあるなら全力で支えますし、森くんがやりたいことを見つけたときに、それを迷わず打ち明けられるような環境を整えておきたいと思っています。
森さんがより一層活躍し、羽ばたいていくこと。それは後に続く、障害のある学生のためでもあります。佐藤先生も白澤先生もそれを見据え、日本の障害者支援が大きく変わっていくことを願っているのです。
そして、森さんについて話すとき、おふたりは希望に満ちた目をされていました。それはきっと、森さんと触れ合うなかで、先生たちも非常に多くのことを学び、得ているからではないでしょうか。そういった意味では、支える側もまた、支えられているのです。
当事者として、盲ろう者に対する理解を広げていきたい
さまざまな困難を乗り越えてきた森さんが、今後目指していく場所とはなんなのか。ぼくたちのシンプルな問いかけに対し、森さんはゆっくりと話し出しました。
森さん:やはり、盲ろう者に対する理解を広げていかなければと思っています。ここ最近、さまざまなメディアに取り上げてもらったことで、実際に助けてくれる人が増えたように感じているんです。「盲ろう者のことがわかりました」「どんな風に支援すればいいのかはっきりしました」と言ってくださる人たちもいて。私ひとりの力では、大きく世界を変えることはできないかもしれません。でも、私が進学できたように、盲ろう者の可能性を広げていきたいんです。
はじめは、支えてもらう側だった森さん。けれど、大勢の人たちと出会い、自分の夢を一つずつ叶えていくなかで芽生えたのが、「盲ろう者のためになにかしたい」という想い。今度は自分が困っている人たちのサポートをしたい、と思うようになったそうです。
森さん:盲ろう者を取り巻く環境には、さまざまな課題があります。通訳者が足りないこと、そのサポートを受けられる時間が限られていること、盲ろう者が学べる場所、働ける場所が少ないこと……。それらを解決することで、私自身はもちろんですが、他の盲ろう者のためにもなればいいなと思っています。
そして最後に、森さんは障害の有無を問わず、誰しもに共通する大切なことを教えてくれました。
森さん:障害があってもなくても、やりたいことは自分で決めればいいですし、諦める必要なんてないと思うんです。困難にぶつかったとしても、決して諦めなければ前に進むことができる。そう思えるようになったのは、周囲の人たちが同じように諦めずに支えてくれたから。悩みがあれば、すぐに相談して解決策を探す。
そのために大事なのは、人を信じること。付き合いを重ねていくと信頼も深まりますし、人となりもわかります。そうやって関係性を築いていくことが重要なんだと思うんです。人はひとりでは生きていけませんからね。
お話を聞いて、ひとつ気づいたことがありました。それは、森さんが大勢の人たちに支えられているのは、「盲ろう者だからではない」ということです。
森さんはひとりの人間として、目の前の人と真摯に向き合ってきました。自分でできることは自分で行う。でも困難なことは正直に打ち明け、助けてもらった際には心から謝意を示す。だからこそ、森さんの周りには自然と人が集まってくるのです。
実はぼくは、幼い頃から友達を作るのが苦手でした。それは大人になってからも変わらず、常にどこか一線を引いて人と接してしまっています。それは、傷つくのが怖いからだったのかもしれません。そして、いつのまにかそれを周囲の人のせいにもしてしまっていました。
どうしてぼくのことを理解してくれないのだろう。どうして優しくしてもらえないのだろう。
でも、それは違う。一線を引き、相手がそれを飛び越えてくるのを待つのではなく、自らがそれを飛び越え、相手に歩み寄ることが必要だったんです。
臆病なままでは、誰ともつながることはできないんだ。森さんの生き方を目の当たりにし、それを悟った瞬間、インタビュー中にも関わらず、温かい涙が流れました。
「人はひとりでは生きていけない」
ありふれた言葉かもしれませんが、様々な経験の中で生き抜いてきた森さんの思いは確かにぼくの心に響いたのです。
支え合って生きるために、まず信頼関係を築くこと。森さんが教えてくれたことは、これからの人生の指針になっていくような気がしています。
関連情報:
筑波技術大学 ホームページ
(写真/田島寛久)