【写真】笑顔で赤ちゃんを肩車しているたむらまなさん

「わたしと家族のつながり方」を模索したい

あなたと家族をつなぐものはなんですか?

血でしょうか、戸籍でしょうか、愛情でしょうか。あるいは、一緒に生活する日々や離れていても相手を思う気持ち、子どもを育てる“責任”のようなものかもしれません。

地方で、祖父母と両親と妹ふたりと暮らすいわゆる「普通の家族」で育ってきた私は、かつて親子は血がつながっていて、家族は一緒に暮らすのが“当たり前”だと思っていました。でも、少しずつ齢を重ねて、視野が広がっていくと、私が勝手に思い込んでいた”当たり前”は”当たり前”でないことがわかります。

事実婚や特別養子縁組に里親、血や法律でつながっていない「家族のかたち」もある。私のまわりには、自分の心と身体と向き合いながら、自分の家族を築いている人たちがいます。

個人の生き方、その価値観が多様であるように、家族のかたち、そのつながり方も、多様で彩り豊かなものなんだと思います。

相手と関係性を築いて「家族をつくる」ことは、自分の意思や努力だけではどうにもならない、“ままならない”ことの連続です。それでも私は、家族とのつながりを求めて、日々試行錯誤を重ねています。「普通の家族」ではなく「わたしの家族」を築いていくために。

頭ではそう思っていても、どうしても、自分が育ってきた家庭環境や世の中の「普通」や「正しさ」に心がとらわてしまうことがあります。家族に対する先入観を解きほぐして、「わたしと家族のつながり方」を模索したい。そんな思いをもって、ままならないなかでも、「自分の選択」をして、「わたしの家族」を築いている人たちに話を聞きに行くことにしました。

「虐待は、困難な状況に置かれた家族の一つの結果である」

はじめに話を聞いてみたいと思ったのは、作家でセラピストの田村真菜さん。昨年の夏に息子を産み、現在、法律婚が“当たり前”の日本社会で、「結婚せずに、産み育てる」選択をし、自分の家族を築いている真っ最中です。

【写真】赤ちゃんを抱いて優しく見つめているたむらまなさん

作家である真菜さんの処女作、自伝的ノンフィクション・ノベル『家出ファミリー』には、貧困や暴力、過酷な家庭環境のなかで、豊かな感受性でたくましく生きる10歳の少女の姿が描かれています。真菜さんの幼少時代の経験をもとに描かれているこの小説。主人公と同じように、真菜さんは過去に親からの虐待を受けて育ってきたといいます。虐待を受けた子どもの目線だけでなく、虐待をする親の目線で、置かれた環境の困難さや感情の変化が丁寧に描かれていることが印象的でした。

連日センセーショナルに報道される虐待事件を目にし、どこに向けたらいいのかわからない、怒りと哀しみとやるせなさが綯交ぜになった感情を抱いていた時も、Facebookのタイムラインに流れてきた真菜さんの言葉にハッとしました。

虐待は、その人が置かれている困った環境・状態に対する、1つの結果。虐待にいたる親や家庭は、たとえば無業、貧困、障害や病気、夫婦関係や親子関係など、たくさんの困難を抱えていて、そのひずみが1番弱い子どもに向かってしまう。虐待する親だけを一方的に責めたくない。親も悩み苦しんでいる。

子育てをしていると、たとえ困難な状況に置かれていなくても、孤独を感じ追い詰められてイライラしてしまうことがあります。自分がこの先、子どもに絶対に手を挙げることはないと言い切ることはできない。もしまわりに頼れる人が誰もいなかったら……。そう考えると、他人事ではないし、虐待をする親だけを一方的に非難することはできません。

子どもを最初から傷つけたい親なんていないのではないか。それでも、困難な状況のなかで、傷つけられてしまう子どもたちがいるのは事実です。私だって、親として子どもを傷つけてしまうことがあるかもしれない。

真菜さんの親はどんな困難とともにあったのか。真菜さんはどうして、自分を傷つけた親を責めずにいられるのか。そして今、どうやって、過去のトラウマや社会の“当たり前”にとらわれない「自分の選択」をして、「わたしの家族」をつくっているのか。

幼少時代から今にいたるまでの過程、真菜さんと家族をつなぐものを紐解いていきます。

教育熱心な母の行き過ぎた躾と、“エリート”だった父の無関心

母はとても教育熱心でした。

真菜さんはどんな家庭環境で育ってきたのか、幼少時代の記憶を手繰り寄せてもらうと、母に対するそんな答えが返ってきました。

料理にはオーガニック食材を使い、冷凍食品やファーストフードは食べさせない。幼稚園・保育園に預けることもなく、自作のドリルで、読み書きや算数など、勉強を教える。子育てに対する意識が高く、教育熱心な母。自宅で「英才教育」を受けた真菜さんは、2歳になる頃には九九が言えるようになったそう。

母は真面目で一生懸命でした。その一方、2歳になって妹が生まれた頃から、心が不安定になって、時にヒステリーを起こして、私たちに手を上げるようになりました。余裕がなかったんだと思います。

母の「躾(しつけ)」と称した熱心さは、あらぬ方向へ向かうことも。母のすすめで子役の仕事を始めた真菜さんの足が真っ直ぐ伸びるように、夜眠る際に、足をロープで縛りつけることもありました。当時の真菜さんにとっては、それが習慣で、自らロープを持っていくこともあったといいます。

今思うと、ゾッとしますが。当時は「母の言うことだから」「母が喜んでくれるから」という気持ちがあったんですね。

【写真】インタビューに答えるたむらまなさん

編集や翻訳、著名な華道家のマネージャーを務め、仕事に対して真面目な、高学歴の“エリート”とも言える父。台所に行くだけで「男が台所に立つなんて」と祖母がこぼすような家庭で育ってきた父は、家事は一切せず、育児にもほとんど関与しない。外で仕事をし、専業主婦の母に、そのすべてを任せ切っていました。ところが、真菜さんが6歳になる頃、父はパニック障害となり、電車のなかで倒れ、以来、仕事へ行けなくなります。次第にお酒に溺れるようになり、家には日中から酒ビンが転がっていることも。

働きに出られなくなった父に代わって、専業主婦だった母は仕事を始め、家計も、家事育児も全部一人担うようになります。

それぞれ仕事と育児に真面目だった父と母。その頃から、仕事を失い酒に溺れた父と仕事と家事育児に追われストレスを抱えた母の“困難”は、「暴力」というかたちで子どもたちに降りかかるようになっていました。

避難したいと思ったこともあったけれど、家庭以外の場所を知らなかったし、ほかの選択肢を持っていなかったので、親を好きでいないといけない、親から好かれないといけない、と思っていました。良い時期と悪い時期があって、常に暴力を振るわれていたわけではないので。

家庭と学校以外に見つけた居場所。育まれた「自尊心」

はじめて家庭以外の場所を知った小学校にも、真菜さんは「居場所」を見つけることはありませんでした。母の「英才教育」を受け、幼稚園・保育園に通わなかった真菜さんは、集団教育に馴染めず、みんなと歩幅を合わせて進むことに強烈な違和感を持ちます。

小1の読書感想文として、当時好きだった「レ・ミゼラブル」を題材に書いたら、みんなが理解できないから書き直せと言われて、なんでみんなと合わせなきゃいけないんだろうって。子どもの個性ではなく、大多数に合わせる教育であることがわかったので、席に大人しく座っている義理はないと思ってましたね。

親の勧めで公立から私立へ転校したものの、やっぱり馴染めず、学校自体が合わないことに気づいた真菜さんは自ら通うことをやめました。「自分のことは自分で決めなさい」というスタンスの両親も無理に通わせるようなことはなかったといいます。

小学校に通わなかった時間は、幸福な記憶として残っています。

母が取り寄せてくれた教科書で自分のペースで勉強し、父の蔵書や図書館で借りた本を好きなだけ読み耽り、外へ出て自然のなかで虫や動物と戯れて過ごす。誰にも何にも制約されない、自分だけの自由な時間は、真菜さんにとって、かけがえのないものでした。

振り返ると、12歳まで義務教育を受けなかったことは、私としては、よかったと思っています。生まれ持った性質もあると思いますが、他人と比較することなく、人の目を気にせず、好きなことができるようになったので。小学校に通っていたら、自尊心が失われていたんじゃないかなあ。

【写真】笑顔でインタビューに応えるたむらまなさん

真菜さんは、この時の経験、自然との触れ合いを通じて、家庭や学校で得られなかった「自尊心」を育んだと言います。

学校の先生も好きじゃなかったし、親ともうまく関係性を築けなかったけど、動物や虫たち、人間以外と触れ合っていると、人間関係がすべてではなくなるんです。人だけと付き合っていると、人からの評価が気になって、関係性に悩んでしまう。

でも、それ以外の世界とつながっていると、ある程度距離を置くことができるし、自分を肯定できる。その意味で、私にとって、人間以外と付き合うことは、とても大事なことなんです。

『家出ファミリー』のなかでも、大人を頼ることができない過酷な環境に置かれた主人公の唯一の”拠り所”として、愛犬ダンの存在が際立っていました。

突然の記憶喪失。「素晴らしいギフトだね」

家庭内の暴力や貧困と隣り合わせにありながらも、自ら学校に通わない道を選び、本の世界に潜り込み、自然と触れ合い、自尊心を育んでいった真菜さん。

そんななか、小学校6年生になる年、家族で鎌倉にある父方の実家に引っ越し、祖母と叔母とともに暮らすことになります。学校へ行かないことで、祖母と叔母から母が「あなたの育て方が悪い」と責められる姿を見た真菜さんは、“空気を読んで”、小6の夏からしぶしぶ学校へ通い始めることに。

学校はやっぱり楽しくはなかったけれど、初めて友だちができて、新鮮ではありました。ただ、学校帰りに友だちの家に遊びに行って、自分の家庭との違いがわかって、“やっぱりうちはおかしいんだな”と、居心地の悪さを感じることもありました。

中学に上がると、同じような家庭環境にあって、親に対する怒りのようなものを話せる友人ができます。その頃には、成長して背丈が伸びた真菜さんに対する身体的な暴力がなくなったこともあり、素直な気持ちを共有できる友人の存在は心を少しだけ軽くしました。

中学2年生の頃、友人たちと(提供写真)

高校時代、“クリエイティブ”に関心を持った真菜さんは、美大入学を目指し、予備校にも通って、勉強に励みました。ところが、受験期になって、それまで入学金としてコツコツ貯めていたお金を親が使い切ってしまったことが発覚。翌朝目覚めると、ストレスからか記憶喪失に。美大受験は叶わなくなってしまいます。

1年浪人して、美大や私立よりも学費が安い国公立の大学受験に臨むことにしました。しかしセンター試験当日、体調を崩して、駅で倒れてしまう事態に。そこから進路を変更し、なんとか無事、ICU(国際基督教大学)に合格。

大学に入学するも、真菜さんにはふたつの“困難”がありました。そのひとつは、記憶喪失。記憶を喪失して1年が過ぎても、記憶はなかなか戻らず、自分が何をしてきて、何をしたかった人間なのかが思い出せませんでした。もうひとつは、聴覚情報処理障害。大学のヒアリングテストで会話を聴き取れなかったことをきっかけに、検査をしたところ、障害で音がうまく処理できず音声が聞き取れていないことが判明しました。

“困難”とともにあった真菜さんに“希望”を与えたのは、クリスチャンであるICUの先生の存在でした。

入学後、ICUの先生に記憶喪失や障害のことを伝えたら、「それは君にしか経験できないことだから、素晴らしいギフトだね」という言葉が返ってきて。そのままの私を肯定し、個性のひとつとして受け入れてくれたんです。ICUの環境は私の肌にすごく合っていましたね。

真菜さんがはじめて学校に自分の居場所を見つけた瞬間でした。ICUは授業数も課題も多く、授業は基本的に英語。勉強する時間を確保するためにも、真菜さんは当時暮らしていた鎌倉の実家を出て、大学の近くで下宿を始めます。親との物理的な距離が生まれたことで、真菜さんの気持ちは少しずつ楽になっていきました。

「自分の仕事」を得て親からの自立。回復の過程

親からの虐待と貧困、そして記憶喪失に聴覚情報処理障害。言葉を並べるだけでも壮絶な人生を、どこか客観的に淡々と振り返る真菜さん。その過程で、どんな“生きづらさ”を感じ、どうやって克服してきたのか。そんな問いをぶつけると、真菜さんは「“生きづらさ”を感じていたのかなあ?」と首をかしげました。その理由を尋ねてみると、「うーん」と考えながら、言葉を紡ぎます。

常に動いていたからかなあ。母親から入学時にまとまったお金をもらって、足りない分は自分で稼がないといけなかったので、週5で大学に通いながら、週4日派遣社員として働いていました。これまでの人生で一番忙しかったですね。体と頭を常に動かしていたので、一人悶々と考える暇がなかった。たぶん、“生きづらさ”を感じる暇がなかったんですよ。

在学中から、勉強をしながら、ニュース編集者として、忙しく働き、当時の睡眠時間は3時間を切るほど。それでももちろん、負の感情を抱かなかったわけではありません。

一つ理由を挙げるとすると、私は書くことが好きだったから。幼い頃からずっと、日記をつけていました。人に相談できるタイプではないので、書き出すんです。自分の置かれた状況や気持ちを書くことで頭が整理されて、負の感情も一旦忘れられるし、客観視できる。誰かに読ませるためではなく、自分のために書くと、すっきりします。

【写真】インタビューに答えるたむらまなさん

大学卒業後、真菜さんは社会起業家の支援をするNPOに勤務。その後、26歳の頃に独立し、フリーランスの書き手として活躍します。ちゃんとお金を稼げる「自分の仕事」を手にしたことは、真菜さんの過去の傷を癒し、自尊心を支えてくれました。

自分で稼ぐことを通じて、社会から認められているという感覚を得たので、自尊心を保つことができました。自分を応援してくれる人もいて、仕事を通じて、人とはじめてたしかな信頼関係を築くことができた。親と物理的な距離をとって、経済的にも自立したことで、ある程度、自分が親にされてきたこと、怒りや恨みの感情に、折り合いがついていったんです。家庭以外に、仕事という役割と居場所ができたことも大きいですね。

また、並行してボディマッサージを学び、サロンを開業。セラピストとして、お客さんの身体と心を癒す仕事を通じて、真菜さんは自分の人生に「納得感」が得られたといいます。

セラピストの仕事は、相手の気持ち、“空気を読む”ことが求められます。私は虐待を受けていたことで、親の心、空気を読む力が発達しているんだと思います。その力を仕事に活かすことで、ネガティブな経験をポジティブな力に変えられる。過去の経験があったから、今の自分があるんだと思えているんです。

「産みたい、でも、結婚はしたくない」

真菜さんが書くことに加えて、セラピストの仕事を始めたのは、幼少時代の経験に紐づく、ある思いがありました。

幼い頃、人間関係から外れたところで居場所をつくってくれた動物たちは、私にとって大切な存在です。でも、私が書いた文章や言葉では動物たちとは通じ合えない。そんななか、伝説的な舞踏家であるピナ・バウシュの踊りを動物たちがじーっと見つめている映像を見て。まるで会話をしているようだったんです。

その姿から、私も非言語のコミュニケーションを取れる術を身に付けたいと思い、ボディワークを学び始めました。動物のみならず、人とも言語だけでしかやりとりできないことを窮屈に感じていたんです。

真菜さんはボディワークを始める前から、狩猟同行や解体をしています。きっかけは、2011年の東日本大震災直後、執筆の仕事で東北の猟師を取材する機会があり、衝動に駆られたこと。

私は昔から、畑仕事はしていたので、野菜は採れる。でも、動物の肉は獲れない。猟師さんの話を聞いて、そのことに衝撃を受けたんです。自分で食べる肉を自ら獲れるようにしたい。そんな焦燥感に駆られて、そこから猟師さんについて、動物の解体をするようになりました。

解体を経験するうちに、真菜さんは動物にも“旬”があることに気づいたといいます。

動物には生殖適齢期があって、解体をしていると、そういう動物の”旬”がわかるように思います。自分に置き換えてみた時、医療がどんなに発達しても、人間の生物としての生殖適齢期はあまり変わらないだろうと思ったんです。人間の身体的に妊娠しやすい時期は20代といわれています。当時26~27歳だったので、「はやく産みたいな」と思ったんです。

【写真】ベンチに座って笑顔でインタビューに答えるたむらまなさんと抱かれている赤ちゃん

「子どもを産みたい」。たとえば私がそう思ったら、まず「結婚」することを考えるでしょう。一般的にも、結婚したから子どもをつくる、子どもを産みたいから結婚する、子どもができたから結婚するといったように、結婚と子どもを結びつけて考える人が多いのではないかと思います。でも、真菜さんには「結婚したくない」という確固たる思いがありました。

3歳の頃から私は結婚しないと言っていました。というのも、親族のなかでは、女性で大学を出ているのは私しかいないくらい、嫁になるのが基本コースなんですよ。昔から「ちゃんとしたお家にお嫁に行けてよかったね」みたいな会話に違和感を持っていて。私も幼い頃から「あのお家がいいんじゃない」と言われていたんですが、その度に「私は結婚しないで、自分で働いて生きていく」という思いを強くしていました。

育ってきた家庭環境に対する反発心だけでなく、現行の結婚制度に対しての違和感もありました。

どうして、国に男女一人ずつでペアを組んで結婚することを決められないといけないんだろうって疑問に思っていました。同性婚も認められていない日本において、人権尊重の意味合いでも、結婚制度には賛成できない。その意思表示として、私は結婚しないと決めていました。

「結婚しないで、産み育てる」家族のかたち

明確な意思を持って、「結婚しないで、産み育てる」方法を探るなか、もともと知り合いだった現在のパートナーとの子どもを授かりました。ひとりで育てることも考えましたが、話し合いを重ね、パートナーも子育てに参画することに。お互いの親にはそれぞれ挨拶に行き、「特に結婚はしません」と告げました。

真菜さんは、独特な感性で妊娠・出産を振り返ります。

これまで解体をしてきて、動物との関係が、一方的に人間が“食べる”だけで対等ではないことを悲しいなと思っていました。自分がこれまで食べてきた動物に申し訳が立たないから、熊に食べられて死にたいと思っていたくらいで(笑)。

でも、妊娠・出産を経てはじめて、カルシウムを取られて虫歯になったり、授乳をしたり、子どもに“食べられている”感覚がしたんです。食物連鎖に参加できている気がして、すごく嬉しかったです。

真菜さんは助産院で、医療行為は行わない「自然出産」と呼ばれるお産を経験。分娩台の上ではなく、一軒家の畳の部屋の布団の上で、立て膝になっていきむ。無事、元気な男の子を出産しました。

【写真】生まれて間もない赤ちゃん

出産に立ち会ってくれたパートナーが撮影(提供写真)

妊娠・授乳期は、子どもに“食べられている”感覚から動物により近づけたことに喜びを感じる一方、働く個人として、自尊心が揺らぐこともあったそう。

妊娠中、低置胎盤になって働けなくなった時期は、稼ぎもなくて、自尊心が下がりましたね。出産後も思うように働けなくて、パートナーに頼らざるを得ないこともありましたし。私の自尊心を保つためには、働くことは重要な意味を持っていたことに気づきました。

真菜さんは現在、0歳の息子さんを「保育ママ」に預けて、仕事へ復帰。パートナーと息子と3人で暮らしています。

真菜さんは、男性に対して、あまり恋愛感情はないといいます。パートナーには別の恋人がいるときもあり、ふたりは恋愛関係にはありません。、真菜さんにとってはあくまで「子育てプロジェクト」におけるパートナー。「胎児認知」はしていますが、戸籍は別々。ふたりは、「父と母」ではあるけれど、「夫と妻」ではないのです。

私たちはほかに恋人がいてもいいというパートナーシップ。合理的な選択をしたと私は思っています。一般的に出産適齢期といわれている20〜30代で、仕事もして、子どもも産んで、人生のパートナーも見つけて、全部を一気に担うのは難しい。どこかにひずみが生まれてしまうなら、子どもを産み育ててから、パートナーを見つけてもいいという考えです。

女性の選択肢として、必ずしも、“結婚して子どもを産む”というかたちじゃなくても、“適齢期に産んでからパートナーを見つける”、“結婚しないで子どもを産む”というかたちもあり得る。

それに、肉体的、経済的、精神的、すべての要素をひとりに依存する関係性は、リスクがあると思います。依存先を増やして、それぞれを別の人に求める選択肢を持ってもいいと思うんです。

【写真】笑顔でインタビューに答えるたむらまなさんは赤ちゃんを肩車している

なるほどたしかに。でも合理的な選択だとは頭ではわかっていても、やっぱりどうしても、感情がついていけない。たとえば、“嫉妬”とか、その関係性に困難が伴うことはないのでしょうか。

恋愛的な嫉妬はあまりないですね。ただ、私がワンオペで子どもを見ている時に相手が恋人と会っていたり、自分の仕事に忙しくしていたりすると、「自由な時間が多くもててうらやましいなあ」みたいな気持ちにはなります。

恋愛感情や既存のかたちにとらわれない現在のパートナーシップに至るまでに葛藤はなかったのでしょうか。

私も10代の頃はパートナーシップは1対1で結ぶものだと思っていたし、理想だけを言えば、自分のことだけが好きで、子育ても全部平等にコミットしてくれる相手がいたら都合がよかったのかもしれない。

でも人間はロボットじゃないから、自分にとって都合がいい、自分にとって便利というだけの関係ではダメかなと思う。これまでお付き合いしてきたなかで、複数の人を好きになる人もいて、私のなかに少しずつ、あきらめを含んだ寛容性が生まれていったんです。

どう人を好きになるかは自由だし、ポリアモリー(複数の人と同時に性愛関係を結ぶ人)の方もいるわけで。相手を自分の都合のいいようには変えられないし、私も相手の求めるようには変われない。お互いが”自分らしく”あることが大事だと思っています。

「家族として、いいチームでありたい」と話す真菜さんは、自分たちの家族のかたちを仕事に置き換えて考えます。

働き方にたとえると、法律婚は“正社員”で、私たちの関係性は”業務委託”。お互いに必要としている部分で関係を結んで、他に求められることや足りない部分は、別の関係を結んでもらう。その人がより自分らしい仕事をして社会のなかで活躍してもらえたら嬉しいので、1つの会社に染めようとは思わない。会社を一旦離れてみて、また必要になったら、戻ってくるのもありですね。

個人の働き方と同じように、家族のあり方にも、もっと多様な選択肢があってもいい。真菜さんは自分にあった選択肢を選び、自分たちの家族のかたち、関係性を築いています。

家族とは? 個人として幸せになるために「自尊心」を育む場所

真菜さんが今、「家族」として思い浮かぶのは、パートナーと息子のふたり。真菜さんと家族をつなぐものはなんだろう?

うーん。私たちは、制度や戸籍でつながっているわけじゃないから。パートナーとは、恋愛感情はないけど、今は、息子のためにいい家庭環境をつくってあげたいという気持ちでつながっているんだと思います。その気持ちは今後、変わっていくかもしれないけれど。

では、真菜さんにとって、家族とは?

家族とは、自尊心を育み合う関係性を築けたらいいなって思っています。うちもそうだったけど、親に自尊心を削られてしまう子どもも多い。息子には、家庭のなかで、自尊心を育み、将来、自分の道をちゃんと歩んでいってほしいと思っています。それは、パートナーに対しても同じで、今は私と子育てにおけるパートナーシップを結ぶことで何かしらを得てもらって、将来、自分らしい道を選んでもらえたら。それは自分に対しても同じ。

息子やパートナー、好きな人には幸せになってほしいと思うけれど、それを実現するのは必ずしもずっと自分じゃなくてもいいかなって思っています。生き方や価値観が異なって、もっと自分らしく生きやすい選択肢があれば、そっちを選べばいい、と。

うちに限らず、家族って、もともと可変的なものだと思うんですよ。親元を出たり、パートナーが変わったり、子どももいずれは独立するでしょう。それぞれが個人として幸せになるために、今は家族でいるという感覚なんです。

個人として幸せになるために、家族という関係性を結ぶ。それぞれ価値観、幸せのかたちが異なる個人が、家族という関係性に縛られないためにも、真菜さんは、制度や社会的な風潮にとらわれない「自分の選択」を重ねています。

【写真】赤ちゃんを優しくみているたむらまなさん

虐待を受けた過去がある真菜さんは、自分の家族をつくること、子育てをすることに対して、不安や恐怖はなかったのでしょうか。

ありますよ。息子を産む前は、子どもを可愛いと思えるかどうか不安でした。実際に産んでみたら、可愛いと思えたんでよかったんですけど。子育てをしているなかで、パートナーや保育ママの息子との関わりを見て、学ぶことも多くて、家族運営における自分の欠陥を感じることもあります。たとえば、私には息子のお祝い事を家族でするという発想すらなかった。

私の親も自分が虐待をしてきたとは思っていないので、自分が気づかないうちに子どもを苦しめてしまうんじゃないか、いつか親と同じ癖が出るんじゃないか、という恐怖もあります。でもだからこそ、自分で察知できなかったとしても、まわりの人たちに気づいてもらえるように、家庭を開いておきたいと思っています。

実際に真菜さんは家庭を開いていて、たとえば産褥期には、30人ほどの友人たちが交代で自宅を訪れたそう。特別何かしてくれなくても、ただそこにいてくれるだけで、話し相手になってくれるだけで、支えになることがある。お母さんと子どもが1対1で向き合わずに孤立しない環境は、心強い。

出産から1週間後、ごはんをつくりに来てくれた仕事仲間と(提供写真)

虐待は、困難な状況に置かれた家庭の一つの結果である。

真菜さんはそのことを知っているから、親である自分が孤立した困難な状態にならないように、依存先を増やして、セーフティネットを張る。今は、子育てのパートナーや友人以外にも、息子が2ヶ月から通い始めた保育ママの存在にも支えられているといいます。

「正しい家族」ではなく「わたしの家族」を築いていく

虐待で悲しい思いをする親子が少しでも減るように。既存のあり方や正しさに追い詰められず子育てできる社会であってほしい。

その願い通り、真菜さんは、既存のあり方、世の中の「正しさ」にとらわれず、追い詰められない子育て、縛られない家族のかたちを模索しながら、実践しています。

自分の負の感情や過去のトラウマ、社会のなかで抱く“違和感”にフタをせずに、書き出して、思考し続ける。自分の依存先を家族ひとつに絞ることなく、複数のセーフティネットを築きながら、“自尊心”を持った個人であり続ける。

真菜さんは“生きづらさ”を感じてしまいそうな過酷な状況にありながらも、立ち止まることなく、悶々とひとり潜り込むことなく、自分の道を切り開いてきました。世の中の“当たり前”を問い直し、「産みたい」「結婚したくない」といった自分の思いに正直に、自分が“生きやすい”選択を重ねています。

いや、もしかしたら、法律婚がベースとなる日本社会でそれ以外の選択をすることは、“生きやすい”わけではないかもしれません。それでも、自分の疑問や違和感にフタをせずに、素直に自分がいいと思った道を選ぶ。勇気がいることで、時に困難が生じることかもしれないけれど、自分に嘘をつかないことで、結果的に“生きやすく”なるのかもしれない。

真菜さんの既存の価値観に縛られない選択は、私の知らず知らずのうちに凝り固まった家族に対する固定概念をほぐしてくれます。

大きな選択は難しくても、自分のなかに生まれた負の感情や違和感にフタをせず、日々の小さなことから「自分の選択」を積み重ねていきたい。「正しい家族」ではなく、「わたしの家族」を築いていくために。

【写真】ライターのとくるりかさんと赤ちゃんを抱いて笑顔のたむらまなさん

関連情報
田村真菜さん Twitter
田村さんが運営する産褥期・産後の訪問ボディトリートメント「ハハナル」 ホームページ

soarではライターの徳瑠里香さんとともに、「わたしと家族のつながり方」をテーマに、「自分の選択」をして、「わたしの家族」を築いている人たちに話を伺う企画を展開しています。

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(写真/中里虎鉄)