【写真】笑顔でこちらをみるさかがみかおりさん

家族や恋人、友人など、他者から傷つけられた経験は、忘れたいと思っても心の奥に棘のように残ってしまうもの。それが自分の感情や行動のパターンに影響していると気づくことがあります。

そんなことを、映画『プリズン・サークル』を見ながら考えていました。この映画は、「島根あさひ社会復帰促進センター」という官民協働の刑務所で取り入れられている「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」と呼ばれる教育プログラムを取り上げたものです。

TCでは、受刑者同士が時間をかけて対話を重ねます。そのなかで段々と、幼い頃の貧困や虐待、いじめなどの経験、封じ込めていた感情に気づくようになり、なぜ自分が罪を犯したのか、これからどうするべきなのか、少しずつ意識が変化していくのです。

彼らの話を聞きながら、自分の子ども時代の家庭や学校での経験を重ねてしまうこともありました。傷つけられた/誰かを傷つけたという経験を、多かれ少なかれ誰もが抱えているのではないでしょうか。

本当につらい気持ちを吐き出すのは難しいことですが、その刑務所の中には、安心して話せる場があるように見えました。

「刑務所だけの映画ではなくて、もっと広く社会や私たちのことを考える映画にしたいと思って制作した」と話すのは、この『プリズン・サークル』の監督で、犯罪者の更生などをテーマにした映像作品を制作してきた坂上香さん。

soar理事の鈴木悠平が聞き手となって、対話を通して罪の意識に向き合うプロセス、「更生」の意味や「償い」について考えていきたいと思います。

坂上香さん
ドキュメンタリー映画監督。NPO法人「out of frame」代表。一橋大学客員准教授。「被害者」による死刑廃止運動、犯罪者の更生、回復共同体(TC)、修復的司法、ドラッグコート(薬物裁判所)など、暴力・犯罪に対するオルタナティブな向き合い方を映像化している。劇場公開作品に、アメリカの刑務所が舞台の『Lifers ライファーズ 終身刑を超えて』(2004)、元受刑者やHIV陽性の女性たちが参加する劇団を追った『トークバック 沈黙を破る女たち』(2013)、日本の刑務所でのTCプログラムを撮影した『プリズン・サークル』(2019)など。主な著書に『癒しと和解への旅』(岩波書店)、『ライファーズ 罪に向きあう』(みすず書房)。

受刑者同士が対話をすることで変わっていく

ーー『プリズン・サークル』、先日映画館で観てきました。語られている内容もさることながら、受刑者一人ひとりの語り方や関わり方が印象的でした。仲間と過ごすなかで、自分の中に閉じ込めていた感情がだんだんと外に開かれていく、そのプロセスが、僕の中にとても強く残っています。

坂上:ありがとうございます。

ーー『プリズン・サークル』では、TCと呼ばれる教育プログラムを導入している「島根あさひ社会復帰促進センター」(以下、島根あさひ)の受刑者たち数人に密着しています。「島根あさひ」では、犯罪傾向があまり進んでいない男子受刑者のうち希望する約40人が、このプログラムを受けているそうですね。 

坂上:彼らは「TCユニット」と呼ばれる教育プログラムに半年から2年程度在籍して、寝食や作業をともにしながら、週12時間ほどプログラムを受けています。心理や福祉の専門性をもつ「支援員」と呼ばれる民間職員がついて、「サークル」と呼ばれる円座での対話を繰り返していきます。

本当の意味で自分の罪に向き合えるようになるまでには、時間が必要です。なので、TCのプログラムでは長い時間をかけて、過去の人間関係について語ったり、物語に投影したり、ロールプレイをしたりするプロセスを通じて、自分がなぜ罪を犯したのか原因を探っていくのです。

受刑者の中には深刻な虐待の被害経験がある人も多くいます。そこにまず向き合わないと、自分の加害体験にも向き合うのが難しいということを、これまでの取材でも実感しています。

島根あさひ社会復帰促進センターでのTC (C)2019 Kaori Sakagami

ーーたしかに、この映画に登場する受刑者たちの境遇には、貧困や虐待、いじめ、親子関係の問題などがあります。そうした人が全員ではないかもしれませんが、いろいろな体験が積み重なって自分の感情や行動がうまく制御できなくなり、結果として犯罪に至ってしまうという人は、少なくないのだと思います。

坂上さんは、この『プリズン・サークル』の前に、アメリカでTCについての映画も撮られていますが、もう少しTCについて教えてください。

坂上:TCは英国の精神病院で始まって、60年代以降に米国や欧州各地に広まったんです。

「Therapeutic Community」の略で、「治療共同体」と和訳されることが多いのですが、日本語の「治療」には「医者/患者」「治療する人/される人」といったように役割が固定されているイメージが強いので、映画では「回復共同体」という訳をあてています。

TCとは、問題を抱える当事者が治療の主体となって、コミュニティとして相互に影響を与え合い、新たな価値観や生き方を身に着けることで人間的成長を促すアプローチであり、場のことです。

2004年に公開した映画『Lifers ライファーズ 終身刑を超えて』で取り上げたカリフォルニア州の刑務所では、日本とは違って犯罪傾向が進んだ人、重罪を犯した受刑者を対象にTCが行われています。

そこでは受刑者同士が刑務所内で徹底的に語り合い、新しい人間関係を構築して、問題行動に頼らなくても生きていける方法を学んでいました。

ーー「島根あさひ」は、その方法を日本で唯一取り入れている刑務所なんですね。

坂上:はい。私は海外でのこうした取り組みをずっと見てきたのですが、「日本ではどうか」と問われた時に、TCのことをちゃんと理解して取り組む人がいるのだろうか、という点で疑問を持っていたんです。

日本でアメリカの事例を紹介したときには「日本人は口下手だから、アメリカのような本音の語り合いは無理だ」とも言われました。でも、実際に「島根あさひ」に行ってみたら、びっくりするくらいTCが機能していたんです。

【写真】インタビューに応えるさかがみかおりさん

ーー最初から、みなさんTCで自分の感情を出せるものなのでしょうか。

坂上:いえいえ。そんなことはありません。初めのうちは、何やっているのか分からないんですよ。みんながすごく感情を出しているのを見て「怖い」と思ってしまう受刑者もいます。

反対に、どんどん人に合わせて、「そうすっよね」としゃべくりまくる人もいるんだけど、いざ「子ども時代の話をしよう」となると、急に黙ったりする。そういう感じで突然話せなくなることも、TCのステップのひとつ。

長くTCのプログラムを受けていると、そんなプロセスも分かるようになるので、受刑者の先輩たちが相手の状態を見ながら、うまく話を引き出していきます。

実際に、アメリカなどでは、当事者がトレーニングを受けてスタッフになることも少なくない。そうやって、自分の被害体験をちゃんと仲間が聞いて受け止めてくれるんだという経験を重ねていくことで、だんだんと自分の人生や罪に向き合えるようになっていくんです。

白と黒ではなく、「曖昧」を大事にするプロセス

ーー映画を観て、塀の「中と外」、「彼らと私」を隔てるのは一体何なのかということをすごく考えました。人生で刑罰を課されて刑務所に入ったという経験がない限り、彼らと立場や経験を共有できない範囲もあるでしょうし、そんなに軽々しく「人間みんな一緒だよ」なんて言うつもりはないんですが…。

それでもTCの中で語られる彼ら自身の被害経験、あるいはその結果犯した罪に至るまでのプロセスの背景を、一つひとつ解きほぐしてみると、同じような経験、傷つき、あるいは傷つけた経験を全くしたことがない人なんて、いないんじゃないかと感じました。

映画を見て、今までの人生で僕が傷つけてしまった人たちのことを何度も思い出しました。それから、彼らほど厳しい状況ではなかったけれども、自分自身も集団から排除されたり、いじめや支配に近い関わりをされたりしたこともあった。

だから、塀で隔てられている彼らと自分は本質的に何が違うんだろうかっていうことは、すごく考えさせられたんです。

(C)2019 Kaori Sakagami

坂上:そういう感想をもらうことは多いです。刑務所が舞台だけど、私は刑務所についての映画を作ったつもりは全然なくて。むしろ刑務所を舞台に、もっと広い社会、私たちのことを考える映画にしたいと思って作りました。

実際に、自分のやってきたこととか、自分が受けてきたことを重ねて映画を見る人もいましたし、「こうやって本音で話せる場があることが、うらやましい」という感想もたくさんあります。もっと彼らと自分との間に線を引いて観るかなと思っていたので、そうした反応は意外でした。

ーーTCを受けたからといって、一朝一夕で「反省しました」と変わるわけではなくて、語り合うことを通して、「自分は今こういうことを感じてる」とか「こういう体験をしてきたんだ」ということに初めて気づき、人生の見直しというか、物語の編み直しをしていく。そこから、ようやく自分がしてしまったことへの受け止め方が変わってくるわけですよね。

映画でも、最初のうちは「盗みは悪いことだと思ってない」とはっきり言う人もいましたよね。でも、それに対してTCの支援員も答えを押し付けるのではなく、問いを投げかけながら伴走していく。それがすごく印象的でした。

坂上:支援員の言葉で印象に残っているものはたくさんあります。たとえば「僕たちって反省させられることに慣れていますよね。何か悪いことしたら、謝れ、反省しなさい、ってずっと言われてきませんでしたか?」と支援員が言うと、みんなが「うんうん」っていう感じになる。

今の日本社会を見ていてもそうじゃないですか。不祥事を起こすと、テレビの記者会見で何十秒かずっと頭を下げるみたいな。すごい象徴的だけど、私たちはあれをずっと見させられてきているし、子どものときから、何かあるとまず「謝りなさい!」と言われて、訳も分からないまま謝らされる。

だけど、「ここでやるのは、そういうことじゃないんだよ」って支援員は言うんです。それを聞いて、なかにはキョトンとしちゃう人もいる。

「だって反省しなくちゃいけないんじゃないんですか」みたいな。だけど、そういう言葉を日々投げかけられて、さらにいろいろな人の本音、「本当は悪いと思ってないし」みたいなのを聞くなかで少しずつ変わっていくんです。

自分が反省だと思ってきたものではない「本当の反省」というものがあって、それはどういうものなのかを体感していく訳ですよね。

坂上監督がはじめて島根あさひ社会復帰促進センターを訪れたときのワークショップの様子(C) 2009 Rod Mullen

ーー支援員が「曖昧な気持ちを大事にしてください」と話しかける場面もありましたね。

坂上:あれは毎日のように言っている言葉なんです。曖昧でいいんだよって。ネガティブな感情を持つのも当然だし、どうしていいか分からない感情もそのまま持ち続けてください、ちゃんと感じてください、と。それがとても重要なことで、「白/黒」、「反省したか/していないか」だけではないんです。

表層的ではない「本当の反省」に至るまで

坂上:印象的だったのは、撮影させてもらう相手に、最初はカメラ抜きで話をする機会をもらうんですけど、大抵の人は「ものすごい反省してます」というのをアピールしてくるんです。でも、そういう人はプログラムに入ると崩れる場合が多いんですよ。自分が本当には反省していなかったことに気付いていくので。

社会は「本当に申し訳ないと思ってます」っていう言葉を聞きたがっているんだけど、実はもっといろんなことを吐き出していって、違う心の状態になるところまで行きつかないと、「本当の反省」には至らないんだと思います。でも、そういう場が、今まではほとんどなかったんですよね。

ーー映画のパンフレットに、臨床心理士の信田さよ子さんが「『更生』とは何か?」という文を書かれています。その中に「規律を守り反省という賞味期限切れの言葉を口にしていれば長い刑期をやり過ごせるというのではあまりに甘すぎるのではないか。受刑者にとって一番おそろしいのは、被害者の苦しみを真の意味で知ることだと思うからだ。それこそが彼らにとっての刑罰であるはずだ」という表現があります。

映画の中で印象に残っているのは、受刑者の一人、27歳の「健太郎くん(仮名)」が実際にやった犯罪(強盗傷人、住居侵入)について、ほかの受刑者たちが被害者やその家族を演じるロールプレイです。泣きだしてしまう健太郎くんに、被害者役の仲間が「それ、何の涙なんですか?」って詰め寄るシーンがありました。

あれは「自分が楽になろうとしている涙なんじゃないか」と感じとって言ったわけですよね。もし、こうしたTCのプロセスを経ることなく、彼がいきなり被害者家族に会っても、あそこまで自分の気持ちを掘り下げられず、表面的な反省でおわってしまったんじゃないかと思うんです。

受刑者同士でのロールプレイで泣き出すことも(C)2019 Kaori Sakagami

坂上:あのロールプレイのあと、健太郎くんが「自分が思っていたのと違うことを、きっと被害者の方は思ってるんだろうなって思いました」と言うんですよね。そのことに気づけたのがすごいことだと思う。

「それ、何の涙なんですか?」っていう言葉をきつく感じたという感想ももらいましたが、あのとき被害者役を演じた人たちも、みんなそれぞれ加害者であり、自分たちの被害者がいるんですよ。

しかも、健太郎くんが、「最初は衝動的にやりました」と言っていたのに、「実はネットでちょっと調べていました」みたいに、裁判では言わなかったことを少しずつ明らかにしていってるのも見聞きしている。

それ以前に、健太郎くんは、自分が過去にひどいいじめにあっていたことを語れるようにもなっていました。

そういうプロセスに彼らはずっと立ち会ってきて、健太郎くんが変わってきていることを知っていたからこそ、あえて厳しく「それ何の涙ですか?」と聞いたんだと思うんです。健太郎くんに向けて吐いてる言葉は、実はそのまま被害者から自分に向けられた言葉でもあるわけです。

厳罰化の流れと広がる自己責任論

ーー2つの椅子を使ったワークもありました。傷害致死で服役している29歳の翔くんが「人を殺したら死ななければならない」という思いにとらわれながらも、一方で「いい死に方をしたい」という願望も捨てきれずにいる。そんな自分の内面での葛藤を、「いい死に方をしたい自分」と「それを許せない自分」の2つの椅子に分けて、本人が交互に座って対話していくワークです。

ここでも「いい死に方をしたい」っていう気持ちをただ肯定してあげる、みたいな簡単なことではなくて、二つの葛藤をもったうえでどう生きていくか、ということと向き合っている。こうしたワークで本音を徹底的に吐き出すことがなかったら、どこかの時点で彼はもしかしたら爆発していたんじゃないかと思いました。

坂上:彼の中には「人を殺したら死ななければならない」っていう論理があるのですが、それって死刑の論理なんですよね。「殺したやつは殺されて当然」という究極の報復の論理を、彼は内面化している。それにもかかわらず生き残ってしまった自分を責めてる訳です。でも、そのままでは生きることが苦しい。だから彼は将来の展望もずっと持てないでいました。

あのワークをやったことで、「死ななくても償いを考えることができるんだ」という風に思えたわけです。その後、何回かインタビューしてるんだけど、その度に彼はロールプレイのことを話す。それくらい、すごく大きな経験だったんですよね。

TCで行う自分の感情に気づくワーク(C)2019 Kaori Sakagami

ーー「殺したら死ななければならない」という発言って、すごく社会を写し取っていると思うんです。死刑制度などを含めた、日本社会での刑罰の考え方が、きっと彼の内面にすごく影響している。厳罰化を求める空気もあると思うんですけど、その背景にあるのは何なのでしょうか。

坂上:日本は昔から死刑の支持率が一定して高いんですよ。アメリカの場合は、すごい高い時期と、バンと下がる時期があって、今は死刑反対の世論のほうが強いです。その背景が何かというと難しいんだけど、日本の学生に教えていると、最近の傾向として「自己責任論」が徹底されてきているのは感じています。

注:令和に入ってからの「基本的法制度に関する世論調査」の概要によると「死刑もやむを得ない」が80.8%となっている。

大学で死刑について講義すると、ここ数年はびっくりするくらい冷たい反応がかえってくることがあるんです。たとえば、コメントペーパーに一言だけ「あなたの今日の講演は気持ち悪かったです」と書かれている。こういうコメントは、7、8年前にはなかったものです。

「私は最初から死刑に賛成です。あなたの意見を聞いてちょっと心が動いたけど、でもそれは変わりません」というようなコメントは前からあるんだけど、「気持ち悪い」というのは、もうコミュニケーションではないと思うんです。

相手を遮断するセンテンスですよね。対面ではきっと言わないような、「あなたもそんなこと言われたら嫌じゃないかな」と思うような、相手を不愉快にする言葉を書いている。

ーーそのコメントペーパーには、学生の名前も書いてあるんですか?

坂上:ちゃんと名前も書いてあるんですよ。でも、私はゲストできている講師なので、今後会ったり話したりする機会はない。それが分かっているから書けるんだと思います。

もしかしたら、「いい学校に入って、いい会社に入ることが大事」みたいな社会の価値観の中で育てられてきたことで、自分の価値観と合わない相手を見下したり、切り捨てたりする傾向があるのかな、とも感じます。

この映画の中でもそうだけど、社会の中でいじめが及ぼしている影響も大きいと思うんですよね。撮影してる時にも、受刑者のエピソードはいじめの話だらけなんですよ。

いじめの影響を受けていない人がいるのかなって思うくらい、いじめたり、いじめられたりを経験している。教室の中にもヒエラルキーがあるから、いじめられないように気を付けないといけないわけです。

そういう緊迫した窮屈な人間関係の中で生きてきた人たちほど、他罰傾向にあるように感じます。「自分はこんなに苦しくても頑張っているのに好き勝手やっていて、許せない」という風になっちゃう。

それは、その人たち自身が「助けられて生きている」という感覚を持てないまま育ってきたからじゃないかと思うんです。「そんなの自分の責任でしょ」って言われ続けてきた人たちが、他人を同じように切り捨ててしまう目で見るのは、ある意味当然なのかもしれない。自己責任の成れの果てで、すごく悲しいことですよね。

【写真】インタビューに応えるさかがみかおりさん

ーー坂上さんにそのコメントペーパー越しに言葉を投げつける人達を捕まえて説教しても、やっぱりシャットダウンされるだけだと思うんですよね。

正論だけでは、なかなか難しいことがある。じゃあ、そういう頑なさを持ってる人に対して、どういった形で橋をかけて対話をすることができるんだろうなって。映画だったり、私たちsoarのようなメディアだったりが、何か架け橋のような役割を担うことはできるのでしょうか。

坂上:難しいですね。やはり時間をかけてかかわっていかないと、そんなに物事というのは変わらないと思います。

ただ、面白いなと思ったのは、この映画に対してネガティブなコメントをもらうこともあるのですが、ネガティブなことを言いつつも、「この人、きっと変わりたいんだろうな」とか、「そうじゃないものに行き着きたいんだけど、どうしてもそういう考えになっちゃうんだろうな」というのを行間から感じることがあるんです。

「今まで自分は他罰的で厳罰的な思考だったんだけど、この映画を見て気づかされた」とか、「すごい揺れていて、どう考えたらいいんでしょう。困惑してます」みたいなツイートも流れてきます。もちろん「すごく共感しました」という感想も嬉しいけど、「揺れています」みたいな感想があると「よっしゃ」って思うんですよね。 

「赦し」や「和解」を強要することは暴力になる

ーー 一方で、TCのような取り組みを見ても「やっぱり犯した罪を許せない」と感じる人もいると思うんです。坂上さんは、加害者だけでなく被害者側の方たちにも会う機会は多いと思いますが、「償う」とか「赦す」というのは一体どういうことだと考えていますか。

坂上:こういうテーマを25年くらいやってきていますけど、私のなかには「赦す」とか「和解」についての結論はありません。

でも、少なくとも「赦し」というのは、結果的に起こることだと感じています。いろいろなプロセスを経た先に赦しや和解が「起こり得る」ということであって、赦されること、赦すことを目的に何かをするということではない。そういう風に設定するのは違うと思います。

被害者の中には「加害者を赦しました」と仰る方もいますが、それをみんなに強要するのは暴力だと思うんです。事件が100通りあるとしたら、被害者も100通りいる。殺人事件には被害者だけでなく残された遺族もいて、それぞれまた状況や感情は違います。

被害者の方から「坂上さんは加害者の肩を持って、赦しや和解を強要している」と誤解されることもありますが、けっしてそうではありません。

「償い」を表す英単語はいくつかあるのですが、そのなかでも‟atonement“は、宗教的な意味で「和解」や「贖罪」を指し示す言葉です。

書籍の『ライファーズ 罪に向きあう』にも書いたのですが、心理学者で神経科学者のダイアン・H・パウエルがこの言葉を取り上げて、「贖罪」というのは、相手に赦されるかどうかを抜きにして赦しを乞うことと、反省の気持ちを何らかの形で表現することの両方が不可欠だと言っていて、それが今のところ私には一番腑に落ちるものです。

右上が書籍『ライファーズ 罪に向きあう』(みすず書房)

ーー日本での、被害者のケアの状況については、どのように見られていますか。

坂上:何人か長くかかわりをもっている被害者の人たちの話を聞いていると、「犯罪被害者等基本法」のような法律はできたけれど、それでも被害者に対するケアは全然足りていないと感じます。

そういうなかで、加害者のことだけをお話ししても、被害者の方には届かないのは当然のこと。だから、加害者の更生に取り組むと同時に、被害者の支援についても国がちゃんとやらないといけない。

それから、加害者と被害者が会って謝罪する場を橋渡しする仕組みも必要だと思っています。本当は被害者の人も謝罪を直接聞きたいかもしれないし、加害者である彼らがどう生きてきたのかを知りたいと思うかもしれないですよね。

もちろん希望されない方もいますので、無理にすることではありませんが、そういう意味では足りないものだらけなのが現状です。

罪と向き合い、一人の市民として生き直す

ーー「島根あさひ」のように先進的にTCのようなプログラムを組み込んでいる刑務所は、まだまだ少数派です。刑罰を科すことと、TCのような回復のための取り組みを、坂上さんはどんな風に共存させていくのがいいと考えていますか?

坂上:国や文化によって犯罪者への処遇とか更生のあり方が違うのは当然なんだけど、海外と比べると日本の刑務所は「規律」と「管理」が厳しいんですよね。しょっちゅう怒号も飛んでいます。

本来、TCをやるためには環境が大切なのですが、日本の場合は、刑務所自体の拘束性と、一人ひとりを尊重するTCのあり方とギャップがすごく大きい。

この映画を海外で見せると、受刑者たちが「起立、礼!」みたいにしている場面で「えー!?」ってなります。「極端な規律と管理がある環境とTCがどうやって共存してるの?」「この矛盾は何?」とびっくりされて、「説明してくれ」って言われるんです。

【写真】インタビューに応えるさかがみかおりさん

坂上:そういう環境を一気に変えるのは難しいけれど、ただ単に罰を厳しくして、長く刑務所にいれば自然と罪の意識がわいて彼らが変わる、というわけではありません。

まず、罪に至るまでの人生を振り返る必要がある。自分の身に何が起こってきたのか。そのうえで、自らが犯した罪に向き合っていく。

そして再び私たちの地域のなかで一人の市民として生き直し、新しい関係性を作っていくことができる、そんな機能を果たすものに、刑務所をしていかなくちゃいけない。「じゃあ、どういう形にしていったらいいのか」ということを考える素材を、この映画で提供したい。

ーーTCを経験した受刑者の再犯率は他の出所者の半分以下だそうですね。

坂上:そうなんです。「島根あさひ」では犯罪傾向の進んでいない人を対象にしていますが、アメリカのように深刻な犯罪をした人たちにもTCをやるべきだと思っています。

社会のなかに本音で自分の思いを語れる場所を

ーーこの映画を見て「うらやましい」という感想が結構あったという話をされていました。

坂上:海外のインディペンデント映画などは、「ワーク・イン・プログレス試写」といって早い段階から試写をして、いろいろな意見をもらいながら仕上げていく手法をとることが多いのですが、この映画も完成するまで20回くらいワーク・イン・プログレス試写をしているんです。

その試写の段階から、「私もここに参加したい」「もっと聞いていたい」「刑務所の外には、こういう場はないんですか?」とか、「うらやましい」という感想を何回も耳にしました。それだけ社会のなかに自分の本音が語れるとか、受け入れられる、素のままでいられる場所がないってことですよね。だから、「なんで刑務所の中でできて、外ではできないの?」ってなる。

ーー日本でも、「居場所とかコミュニティって大切だよね」っていう認識や関心は徐々に広まってきているとは思いますが、だからといって話しにくいことを安心して語れる場ばかりではありません。

それぞれ自分の中に話したいことをいろいろ持っているけど、相手に弱さを見せることへの不安や恐怖をなんとなく抱えているんじゃないかなと思います。

安心して語れる環境が持ちにくいというみんなのモヤモヤが、この映画を観たときに「うらやましい」という形で出ているのかもしれないですね。

坂上:もっと早い段階でTCのような場に出会えていたら、犯罪まで至らずに済んだ人たちもいるかもしれない。

たとえば、アメリカの小学校などでは、自分の感情を受けとめて理解し、表現する能力(エモーショナルリテラシー)を小さい頃から育むトレーニングを取り入れているところもあります。

日本でどういう形でやるのがいいか、まだわかりませんが、外の社会でもTCのようなことが普通にできるように、これから広めていきたいですね。

【写真】はにかんでインタビューに応えるさかがみかおりさん

関連情報:
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『プリズン・サークル』 HP
『ライファーズ 罪に向きあう』みすず書房 HP

(撮影/加藤甫、編集/工藤瑞穂、企画・進行/木村和博、協力/佐藤みちたけ)