もし自分のなかにある「つらい気持ち」とうまく付き合えたら、すこし心が軽くなるかもしれない。自分以外の誰かのこころに寄り添えたら、支えあえる社会の一歩になるかもしれない。
こういった思いを持った私たちsoarは、以前取材させていただいたNPO法人『OVA』伊藤次郎さんにあらためてお話を伺うことにしました。伊藤さんが取り組んでいるのは、インターネット・検索連動広告をつかった自殺予防の取り組みです。
国が定める「自殺対策強化月間」でもある3月。
ふと感じる「つらい気持ち」、気分の落ち込みとどう向き合っていくか。こころのセルフケア、そして伊藤さんが大切にする「誰かを支える存在になる」というあり方について伺うことができました。
自分のこころのSOSに気づいてあげるために
伊藤さんはソーシャルワーカー(精神保健福祉士)としてストレス対処する「ストレスマネジメント」の研修も行なってきました。そんな伊藤さんにまず伺ったのが、こころのセルフケアについて。知らず知らずのうちにストレスを溜め込んでしまわないよう、どういったことに気をつけていけばいいのでしょうか。
ーー伊藤さんーー
まず私がおすすめしているが、自分の「カラダ」や「こころ」や「行動」にどうストレスが表現されるか、あらかじめ知っておくということです。そして、そうなった時、どんな風にストレスに対処していくか、メニューも同時に持っておくといいと思います。
具体的な方法として、「ストレスが溜まると私はこうなる」「こういうときに気分が落ち込む」ということを紙に書き出してみる。なんでもいいんです。そのパターンが現れたときに「あ、サインだ」と気づくことができればOKです。
たとえば「甘いものや辛いものが無性に食べたくなる」「刺激的なホラー映画が見たくなる」とか。あとはカラダや体調に変化があったときもそう。蕁麻疹(じんましん)が出たり、朝起きれなくなったり。雨の日は気持ちが落ち込むなども同じです。
つまり「ストレスが溜まると自分はこういう行動が多くなる」「カラダやココロがこうなる」ということをあらかじめわかっておく。「あ、ストレスが溜まってるんだ」と思えてはじめて対処しようと思えるわけです。
私はストレスとこころの関係は「お風呂の釜」のようなものだと捉えています。蛇口から出てくる「水」がストレスで、こころの器が「釜」です。蛇口から出た「水」はどんどん「釜」に溜まっていきます。どこかで栓を抜いてあげないと「水」は溢れ出てしまう。
「水=ストレス」が溢れ出てしまうと病気になってしまったり、強い生きづらさを感じたりということがあります。なので、自分自身で行動やカラダの変化から、ストレスの溜まり具合に気づくための「アラーム機能」を設けておく。「7割くらい水が溜まっているからよくない」「これは危険信号だ」といった風に。
あとは話すことで整理されるので、誰かに話を聞いてもらうのもいい方法です。「人に話す」ということは私たち援助者が大切にしていることのひとつ。「自分が感じている感情」を含めて他のスタッフに聞いてもらう。相談される側も人間ですから、イヤなこともあるし、つらいこともあるわけです。ちゃんと吐き出さないと耐えられなくなってしまいますので気をつけていきたいポイントですね。
ストレスを抱えてしまった時の、2つのアプローチ
ストレスが溜まっていっていることに気づくために、書き出す、話すなどできることを具体的に教えてくれた伊藤さん。続いて「溜まってしまったストレス」への対処について、2つあるアプローチを伺うことができました。
※ストレスというと全て「悪者」のように感じますが、伊藤さんによれば「ストレスは人生のスパイス」という言葉もあり、場合によって向上心につながることもあるそうです。ここでは自身のこころの過度な負荷になる「良くないストレス」を前提にお話を伺っています。
ーー伊藤さんーー
一つ目の対処法は、いわゆる「ストレス解消」です。専門的にいうと情動焦点型コーピングと言います。自分の好きなことをして、先ほどの比喩でいえば「お風呂の釜に溜まってしまった水を少し抜いてあげる」ということ。「ストレスが溜まっている」ということに気づければ、どなたでも対処できるアプローチです。
具体的には、イヤなことがあった時にゲームをしたり、運動をしたり。みなさん無意識にやってることも多いかと思います。たとえば、「旅行へ行く」などもストレス解消におけるメニューの一つとしていいと思うのですが、どうしてもお金や時間がかかってしまいます。ですので、普段からできる“あまり負担にならないストレス解消法”をいくつか持っておくといいですね。また、夜中にゲームをしたり、たくさんお酒を飲んだりするのは最も大切な睡眠の時間を削り、眠りの質を悪くしてしまう可能性があるのでおススメしません。
二つ目の対処法は、ストレスの原因となっている問題そのものを消し去るというもの。先ほどの「お風呂」の例えでいえば「蛇口を閉めて水が出てこないようにする」ということ。これは問題解決型コーピングといいます。問題を抱えた時に、他人の力を借りながら問題の解決に取り掛かります。
「なにが問題になっているのか」「患部はどこか」ここは人によってさまざま。たとえば営業職として働く方が「目標数字が達成できない」であったり、職場の人間関係がうまくいかないであったり、病気を抱えていたり。
問題解決の能力を育む上で「今まで問題だと思っていたけど、それは問題ではなかったんだ」と自身の認知を変えていくという方法もひとつではあります。ただ、そう簡単に認知を変えることはできないもの。そのため、何がストレスになってるのか遡ってみて、その根本となる問題が解決できそうかどうか。もし自身で解決できないこと、環境や他者に依存するものであれば、思い切って環境をガラッと変えてしまった方が私はいいと思います。
いいときも、悲しいときも「気持ち」を受け入れるということ。
お話を聞くなかで湧いてきたひとつの疑問が。
それは先の「自分で解決できない問題」がストレスの原因だった時のこと。どのようにしても環境を変えられない場合には、どうすればいいのかということでした。
たとえば、天気やまわりの環境に左右されて気分が落ち込んでしまったり、誰かと比べて幸せな気持ちになれなかったり。そして自分のことが好きになれず、生きづらさがあったり。
こういった感情とどう向き合っていくか。伊藤さんとの対話は、もう一歩深い部分へと展開していきました。
ーー伊藤さんーー
あくまで私の個人的な考え方ですが、「変化は受容からしか始まらない」というものがあります。「すべてを受け入れる」ということ。私はどんなに良くないことを考えたり、起こったりしても「それでいいんだ」と思うようにしています。
自分の感情は「すべてOKなものである」「良くも悪くも今がベスト」と考えているのです。じつは感情に「良い」も「悪い」もないのかもしれません。悲しい、つらい、生きづらい、すべての感情がその時、その人にとって正しいものなのではないでしょうか。
もしかしたら理想と現実の間に大きなギャップがあり「こんな自分や嫌だ」「変えたい」という気持ちが、生きづらさにつながっていることがあるかもしれません。ただ「その気持ちになっている自分」は正しいのです。つまり、落ち込んでる時も、その瞬間は「何かしら肯定的な意図があるからこそ落ち込んでいる」と捉えていく。
元気のない人がいた時、まわりから「元気を出して」と言われても元気は出せないですよね。当人としてはそれで苦しんでいるわけで。であれば、「元気がでないときは元気を出さなくてOK」なのです。自分で「ああ、落ち込んでるんだ。つらいんだ」ということを受け止めていく。「いまの自分でいいんだ」と思うことができた時、初めて次に進めるのだと思っています。そう考えると、いつでも私は私でいていい、あなたはあなたでいていい、ということになりますね。
支える側、支えられる側ではなく、「支え合っていく」ということ
もし、悲しいとき、つらいときにも「そのままの自分でいい」「それが今のベスト」と思えたらすてきなこと。自分の感情を否定するのではなく、わるいときも、いいときも、古くからの友だちのように見守り、受け入れ、付き合っていく。
ただ、簡単にはいきそうもありません。そう思えるようになるためのヒントはどこにあるのか。ひとつお話を聴きながら感じたのは、伊藤さんは自分以外の「他者」と向き合い、その人たちの気持ちに肯定的に関わってきたということ。
最後に「他者との関係性のなかで自分が生きる」ということについて触れたいと思います。
ーー伊藤さんーー
私自身は、自分のこころを受けとめる前に「まず人を受けとめつづける」ということが大切な行動だと考えています。よく「自分が幸せでなければ、人を幸せにできない」といいますが、本当にそうでしょうか。私は「人の幸福を願うから、人は幸福になれる」くらいに思っています。
まずは自分のほうから誰かの気持ちに思いを馳せていく。受け止める。たとえ、その人が社会的にバッシングされていたとしても、その人なりの肯定的な意図は見出せるもの。そういったトレーニングを日々していると、自分自身のあらゆる気持ちも受け入れられ、嫌だった自分も許せるようになりました。
10代の頃、私はとても「自分」にこだわっており、「こう思う自分は嫌だ」とか「こんな自分は許せない」と考える時期がありました。でも、一度「自分」がどうこうではなく「他者」を見るようになったら幸せが感じられるようになりました。
人は人と影響を与え合って生きている存在ですよね。他者との関係の中でしか生きていけない。たとえば、学校、家庭、恋人、仕事、友だち…どんな場所で誰と一緒にいる時が「本当の私」なのだろうと思ったことはありませんか? 私は「自分」にはさまざまな顔があっていいし、どれも「私」なのだと思います。どれか一つだけが「本当の自分」というわけではありません。
そんな私たち一人ひとりによって構成されているのが社会です。私たちはそのなかで生きています。私たちが生きる社会がどういうものか、決めているのは「私」と「あなた」です。
「人間は信頼できない」「自分だけの幸せを考えよう」という人がたくさんいる社会と、「他人の喜ぶところが見たい」「笑顔にしたい」と思う人がたくさんいる社会、どちらが生きやすいでしょうか。私は後者だと思っているので、自らそうあろう、と。
自分だけの幸せを追求するより、どうすれば他者(その人)が幸せになるのか。逆説的ですが、そう考えた方がより自分が幸せになれるのだと思います。私やあなたがつらい思いを抱える誰かに手を差し伸べるということは、私やあなたがつらい時に誰かが差し伸べてくれる。そう考えてみるのはどうでしょうか。
ただ、これは「相手のために全てやってあげる」ということではありません。支える側も人間なので「できないことを知る」「自分の限界を知る」というのはとても大切なことです。
たとえば、友だちがつらい時に相談にのったり、病気のご家族をケアしたりすることもあると思います。すべてを投げ打って「支えきる」というのは難しいことです。ここまではできるけど、ここから先はできない。それでいいじゃないですか。自分のキャパ以上のことはできません。相手にも「これは自分にはできないけど、ここは力になることができるよ」と伝えると良いと思います。
もし、いまご自身が「支える側」にいる場合も、つらい時には周囲に「つらい」と言ってください。「気持ちを受けとめたいと思ってるけど今は難しい」と自分の気持ちを伝えてもいいはずです。
なぜなら、身近な人であればあるほど「支える側」と「支えられる側」という関係ではなく、「支え合う関係」なのだから。まして人間関係ですから、相談される側も、する側も、関係は平等であるはずです。明日は逆の立場となり、その次の日はまた逆転する。これが「支え合い」だと私は思っています。
私がそう思うのは、いまこの社会が自分の感情を率直にまわりに何でも話せる安全な場所ではないと考えているからです。「つらい」といった話をすると「みんながつらいよ」「あまり重い話はしてほしくない」「テンションがさがるようなことは言うな」といった空気がありますよね。悲しい時に悲しい、つらいときにつらいと言えない。これは私たち全員、社会の問題だと捉えています。
楽しいことはシェアして分かちあっても、悲しみやつらさをそのままの形で分かち合うことはほとんどありません。みんな本当は傷ついているし、つらい体験をしても隠したまま生きています。
私は活動を通じて「いつもどこでも支援を届ける仕組みをつくりたい」と言っています。ですが、みんなが安心して自分の感情を伝えられ、支え合える社会であれば、仕組みなんて必要ありません。あなたが悲しんでるとき、あなたのまわりにいる人が「悲しんでいいよ。話聞かせて」という人でありさえすればいい。
そのためにも、まずは自分が受けとめたい。「生きづらい」「気分がとても落ち込んでいる」という気持ちを他者に伝えてもいいんだ、そういう思える社会であってほしいし、そうしていきたいですね。
小さな一歩から、支え合える社会が生まれる
近年、「こころ」のサポートやケアは、さまざまな公的機関や医療施設で行わるようになりました。ただ、自身でこころのSOSに気づき、そういった場所のドアをノックできている人はまだまだごく一部。抱えている問題は多様で、対処法も人それぞれ。だからこそその入口として「まずは他者の話に耳を傾ける」ということが大切なのかもしれません。
「いつでも話を聞かせてね」
「なにかあったら言ってほしい」
「最近元気ないみたいだけだけど大丈夫?」
こういった一言を日常で投げかける。それだけでも、話をしてもらえるきっかけになると伊藤さんはいいます。相手のことをすこしだけ気にかけていく。自分から心をすこしだけ開いてみる。こういった一歩から私自身、支え合える社会をつくる一人としてまたここから歩んでいきたいと思います。
▼伊藤次郎さんが運営する『OVA』では、活動の幅をより広げ、「こころのインフラ」を創造していくために、現在クラウドファンディングに挑戦しています(2017年3月18日現在)。ぜひご支援ください。
生きづらさを抱えた若者のSOSをテクノロジーを用いて受けとめ、命を守りたい
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(イラスト/ますぶちみなこ)