【写真】爽やかな笑顔のおかだたいようさん

「いざというときに、相談に乗ってあげられる存在でいたいんですよ」

そう言って笑うその人は、本当に太陽のような底抜けに明るい笑顔をしていました。

もうすぐ、東日本大震災から5年がたちます。
当時宮城県仙台市に住んでいた私は、職場で震災を体験しました。

震災直後は、津波被害のあった石巻市や女川町の避難所へ支援活動に通っていたので、そこで出会った様々な人々との記憶が時々フラッシュバックします。

あのとき避難所で出会った、お母さんを亡くした女の子はどうしているだろう。
旦那さんを亡くしたおばあちゃんは、今も元気でいるのかな。

被災地のまち自体の復興はどんどん進んできていると思いますが、私は「被災した人々の心のケアはされているのか、今でも失くしたものへの思いやトラウマで苦しんでいるんじゃないか」ということが、ずっと気になっていました。

そんななか、友人が「被災地に毎週足を運び、子どもや先生たちをケアしている心理士がいる」と紹介してくれたのが岡田太陽さんでした。臨床心理士である太陽さんは、震災後から宮城県塩釜市の小中学校のスクールカウンセラーをつとめる傍ら、月に1回気仙沼市の幼稚園・保育園の巡回相談をしています。

そこにいるだけで空気が明るくようなパワーを持った太陽さんは、頼り甲斐のあるお兄さんという印象の青年。

太陽さんは心理士としていったい、どんなふうに被災地の人々をサポートしているのだろう。

太陽さんからお話を聞くとともに、その活動をこの目で確かめて見たいと思い、気仙沼市での幼稚園・保育園巡回に同行させていただきました。

気仙沼市の保育園で先生たちをサポート

こちらは2012年の気仙沼市。海沿いは津波で甚大な被害を受けた。

こちらは2012年の気仙沼市。海沿いは津波で甚大な被害を受けた。

訪れた宮城県気仙沼市は、太平洋側に位置する人口6万5000人ほどの漁業が盛んな町。2011年の東日本大震災では、津波によって約16000戸の住宅が被害を受け、約1400人の方が亡くなりました。

太陽さんは現在、日本EMDR学会人道支援プログラムの委員として、NPO法人ジャパンハートとのコラボレーション活動で、気仙沼市にある数カ所の幼稚園・保育園の巡回相談を行っています。

【写真】保育園の遊具。すべり台がふたつある。

今回訪れた保育園は震災時に津波で流されてしまい、今は移転した園舎で保育園を再開しています。太陽さんはこの保育園の先生たちが抱える子どもたちの発達や保育について悩み相談を受け、先生をとおして子どもたちや親御さんのサポートをしています。

太陽さん:年長の子たちにとって震災は赤ちゃんのときなので記憶がないんですが、「子ども達が震災を体験してないから影響がない」というのはおかしな話です。家族は被災していて、家を流されたり今も仮設住宅に住んでいたりして、家庭環境が安定していないことが多いです。先生たちは笑ってかわいい子どもたちのお世話をしてますけど、けっこう大変な思いをされてる先生方もいるんです。先生たちが一生懸命抱いて逃げた子たちが、今の年長組の子どもたちなんですよ。ここの先生たちをサポートすることは、子どもたちにとっても影響が大きいんです。

園舎に到着して職員室に挨拶したあと、さっそく子どもたちのいる教室に入ると、すぐに先生が笑顔で駆け寄り太陽さんに子どもについて相談を始めていました。

「この子はちょっと、他の子に比べて言葉の遅れがあるんです。」
「自閉症かもしれないという診断があったんですが、どうしたらいいでしょうか?」

もちろん発達の遅れは遺伝的なものもありますが、「震災の影響で親御さんが精神的に不安定なため、子どもとのコミュニケーションに時間をとれない」「仮設住宅に住んでいるという環境で安心して毎日を過ごせない」など、家庭の状況は子どもたちの発達に大きく影響します。

【写真】保育園の先生の微笑んでアドバイスをするおかだたいようさん

保育園の先生たちは保育に関してはプロですが、発達のこととなるとわからないことも多いので、太陽さんはそういった先生たちにアドバイスをしています。

以前からずっと見守っているある子どもについて、先生が「前は友達と接するのが苦手だったけど、やっとだいぶみんなと馴染んで、遊べるようになってきました」と報告すると、太陽さんは「本当によかった、よかった」と笑顔で喜んでいました。

「太陽さんが来てくれると気が楽になるんですよね」
「アドバイスがすごく参考になって、道しるべが立つんです」

太陽さんからアドバイスを受けた先生たちは、みんなちょっとだけ安心したような、嬉しそうな笑顔を見せていました。

子どもたちと怪獣ごっこをして遊ぶ太陽さん

子どもたちと怪獣ごっこをして遊ぶ太陽さん

子どもたちにも大人気の太陽さん。先生との相談の合間にも、子どもたちが笑顔で楽しそうに太陽さんに駆け寄ってじゃれている姿がとても印象的でした。

自分の本当にやりたいことを考えて被災地へ

【写真】保育園の遊具の前で微笑んで立っているおかだたいようさん

太陽さんは大学院で心理学を学び、卒業後は品川区の教育相談センターに勤務。その後教育相談センターからの派遣で週1日品川区の小学校のスクールカウンセラーを務めていました。

スクールカウンセラーは、子どもとの関わりについて先生たちの相談にのったり、直接子どもと関わったりもする仕事。子どもに関する相談であれば、親の相談にのることもあります。

東日本大震災が起こった2011年3月、太陽さんは品川区の小学校での勤務中だったそう。震災後、様々な心理士が「被災した方の心のケアを」という思いで東北へ向かっていたそうですが、最初の支援で大事なのは生活支援や安全支援。まず安全な場所を確保して、食べ物や寝る場所を確保して、安心してから次のステップとして心のケアに入っていきます。それを認識していた太陽さんは、まだ被災地に入るのは早いだろうと思い、自分の担当している品川区の子どもたちのことに注力していたそうです。

太陽さん:震災があってしばらくは、発達に偏りのある子たちは落ち着かなかったですね。余震のたびに、怖くなって「世界が滅びる!」とか言っちゃう子もいるので、「大丈夫、大丈夫。」と声をかけ続けました。でも小学校は避難訓練をちゃんとやってるので、子どもたちは騒ぎながらも避難訓練と同じでちゃんと机の下に隠れていましたよ。震災当時は各教室に先生は一人しかいないのに、何かが起きるといろんなことを見てあげないといけない状況で、こんなに学校現場には人がいないんだと思いましたね。

その後2012年に品川区での任期が終わり、これから何をしようかなと考えたときに、心理学を一緒に学んでいた友人の新井陽子さんが福島にスクールカウンセラーとして訪れていたことを思い出した太陽さん。話を聞いてみると、被災地に勢いでボランティアに来て、中途半端に蓋を開いてそのまま撤収してしまうような団体が多いという状況だったそう。ボランティアで無償で行くのでは継続ができないため、エネルギーもいつか枯渇してしまうので、専門家として活動を継続していける環境を探しました。

太陽さん:トラウマケアの勉強してたのにも関わらず、品川区の教室ではトラウマ相談っていうよりは発達相談のほうが圧倒的に多かったので、何となく発達の専門家的な立ち位置になってきちゃってたんですよ。でも僕は発達がそもそも専門じゃないと思い直して、「そうだ、東北に行こう。」と思ったんですよ。自分の本当にやりたいことは何だろうっていうのを考えたんですよね。

新井さんからも「行くならやっぱり継続できる環境で、ちゃんとプロフェッショナルとして入れる場所であることが大事」という意見をもらっていた太陽さんは、週3日被災地に継続して通い、ちゃんと責任を果たせるかたちでスクールカウンセラーをすることになりました。

被災地での最初の一年は何もできなかった

【写真】当時のことを思い出しながらインタビューに応えるおかだたいようさん

こうして震災から一年後に太陽さんが勤務することになったのが、宮城県塩釜市でした。塩釜市は、気仙沼市と同じく震災で津波の被害があった海沿いの地域。経済状況が厳しい地域でもあり、貧困家庭や不登校の生徒も多いのだそう。岐阜県出身の太陽さんは東北を訪れたことはほとんどなく、本当に縁もゆかりもないところに一人で向かったという感覚だったそうです。

太陽さん:赴任した初日、とある学校で、教頭先生が迎えてくださったんですけど、学校の入り口で「先生はいつまで来られますか?」って聞かれたんですよ。僕が「来れるだけ来たいと思ってます。」って答えたら、「だったらお願いできます。一年とかで帰るっていうんだったらここでお断りしようと思ってました。」って言われましたね。それまでも震災支援っていう名目でいろんな人がやってきて、もともと関係ができるまで時間がかかる地域文化であるにもかかわらず、困ってるから助けてほしいとオープンにしたら、ぐちゃぐちゃにいじられたっていう経験がたくさんあったんだと思います。

太陽さんの塩釜での仕事は、1つの中学校を拠点としながら、小学校4校を巡回してスクールカウンセラーをつとめることでした。

太陽さん:まず一番最初に塩釜へ行って子供たちが運動場で遊んでる姿を見て、「浮足立ってるな」って思いました。落ち着かないというか、なんだかテンションが高い。でもその頃は余震もすごく多くて、街中に津波警報が鳴り響くこともあったので、子どもたちが落ち着かないのも当然ですよね。

仕事がスタートした当初は、そもそもスクールカウンセラーという役割に全く馴染みがなく、最初は先生たちもどんな相談をすればいいかわからない様子だったそう。ただでさえ「よそ者」だった太陽さんにとって、しばらくは何もできない状態が続きました。

太陽さん:遠い関係性からスタートするから、本当に最初の一年は関係づくりに時間をかけた感じでした。本当にずっと職員室に座ってて、とにかく与えられた仕事を粛々とこなしていたのを今でも覚えてます。一番最初の仕事は何かっていうと、貧血で倒れた先生を担架で運ぶっていうことでしたね(笑)。

以前までの自分の働き方と比べたときに「これでお金をもらってもいいのかな?」っていうくらい何もしてなかったんで、正直つらかったです。かといってここで出しゃばっても弾かれるだけで、何もできなくなる。でもあれがなければ、今の仕事も絶対できなかったから必要な時間だったと思っています。

中学校では最初は、太陽さんがいる相談室に来るのは不登校気味だった二人の生徒だけ。まずその二人にきっちり対応することから始めていきました。するとその子供たちのお母さんが、子どものことで困っている他のお母さんに「相談に行ったら?」とアドバイスをしてくれるなどして、徐々に口コミで太陽さんの仕事は広がっていきました。

太陽さん:震災で子どもたち、お母さんもいろいろな体験をしていて、家が壊れて引っ越したり家族を亡くしているケースも多かったです。東北の文化だなと思ったのは、「大変でしたね」っていう話をすると「いやいや先生のところも大変だったでしょ、東京も被災したじゃない。」「いやいや、女川や石巻の人と比べたら全然」っていう話をされるんです。大変とは絶対言わないですよ。苦痛を耐えてしまうんだなっていうのを、すごく感じました。

僕は耐えてる人に「耐えなくていいんだよ」って言うのが仕事という部分もありましたね。本当に世界が小さくなってしまってるなあと思うことがいっぱいあって、人目が気になるから悩みを相談にいけないっていう人もたくさん。お母さんが人目を避けるように僕のところに相談に来られて、「知られたくないんです」って言うことも多かったですね。

地方では社会資源が都会に比べて圧倒的に少なく、相談しようにも相談する先がない場合も多いそう。また、臨床心理士は東京に全国の4〜5割が集中していて、東北では圧倒的に心理士の数が足りないという現実があります。

震災によってもともとある課題が噴き出してしまった

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるおかだたいようさん

一年間かけて信頼をつくっていくなかで、だんだん先生からも相談が多くなっていったのだそう。先生は教育プロフェッショナルとして子どもたちに関わりますが、勉強を教えるプロではあっても心のケアのプロではないので、太陽さんは子どもとの関わり方についてアドバイスをしていきます。

太陽さん:先生へのコンサルテーションが仕事ですが、相談の主体はあくまで子どもです。落ち着いていられない子や教室を飛び出ちゃう子について、「なかなか授業に参加してもらえない、どうすればいいか。」という話をされたり、子どもたちの進路、保護者との付き合い方、障害がありそうな子をどうするかなど、様々な相談がありますね。

震災支援という名目で地域に入ってはいるものの、実際は震災で心が傷ついた人へのケアというよりは、震災前からもともとあった問題が表面化してしまったという状況へのケアが多いのが現状。貧困やうつ、子どもの発達や虐待など、今までなんとか隠してきたものが、抱えきれなくなって噴き出してしまったり、外から来た人の目で見出されたという部分もあります。それに加えて、震災のトラウマを抱えた子どもたちもいるので、最初はとても大変な状況でした。

トラウマは、怪我したときのかさぶたができたような状態。上澄みだけはがしても、そのかさぶたの下には膿がいっぱいたまっています。そのかさぶたがあるから何とか生きていけるという状態なのに、外から来た人が「かさぶたがあるよね。」と剥がしてしまうと、膿が出てしまう。そうすると、痛くてどうしようもなくなってしまうという状態を残してしまいます。だから外から来た自分が、上澄みだけ剥がしてどこかに行ってしまうような支援ではいけないと太陽さんはいいます。

太陽さん:子どもが上手くクラスに馴染めないとか、どうやって子どもたちと関わっていいかわからないという困りごとを、なんとか先生たちは自分で抱えてやって来たんだと思います。でも、抱える力が震災によってなくなってしまったので、今になって噴き出してしまったんです。震災でもちろん先生たちも傷ついてるので、心のキャパシティが小さくなっていたんですよね。だから、もとからあった課題や問題に対して根気強くアプローチするということが僕には必要でした。

根深い課題や問題に対して先生へ適切なアドバイスをしていくのに、一年かけて築いた信頼関係が生きてくるのだといいます。それにプラスして、その土地の文化や地域性なども意識しながら接していきます。

太陽さん:東京にいるときと同じ感覚で行って、先生に対して「子どもにその態度はだめです。」って言ったら、もう地域で排除されちゃうんです。たとえば向こうの文化では普通なことを、「おかしいですよ。」って言ったら「そうはできません。」と言われてしまいます。まずは否定しないんですよ。

自分の感覚は忘れないままだけど、いったん目をつぶって入っていき、受け入れられてからじゃないと、変える目標はあってもいきなりは変えられない。「先生、それはやっぱりやめた方がいいと思います。」と言ったとしても、先生の方が受け入れてくれるくらいの関係性を作らないと動かないんです。

ます子どもたちと仲良くなることが大事

先生の相談にのる一方で、実際に問題を抱えた子どもたちとも太陽さんは関わっていきます。

太陽さん:印象的だったのは、アスペルガーの子ですね。学校が古かったので、震災で壁に穴が空いてしまっているところもあったりして、怖くてずっと学校に来れなかったんですよ。そういう子とは、まず仲良くなることが大事です。教室には行けないけど相談室に来てくれたときに、ジェンガで遊んだりしました。仲良くなると相談室に安定して来てくれるので、いろいろ話を聞いて、関係を積み重ねていって。ちょっと嫌なことがあっても、次にもちゃんと来てくれる関係ができれば、ちょっとしたチャレンジもできるんですよね。たとえば「ちょっと担任の先生に会ってみない?」という話をしたときも、「太陽先生が一緒にいるんだったら…」っていう感じで会ってくれました。

子どもと太陽さんの関係ができていくと、その子どもの先生や保護者との関係もどんどんいい方向に変化させることができます。

太陽さん:相談室に来てくれれば先生たちも安心するんですよ。ちゃんと本人の様子を確認できるし、相談に来た帰りにお母さんと先生が喋ったりもできるし。ただ子どもと僕が繋がってるだけじゃないんですよ。学校に来てもらえないと、家庭訪問になってしまうので、ただでさえ忙しい先生の負担も増えてしまいます。だから一番は子どもと仲良くなることかなあと思いますね。

先生たちのいいところを見つけて、背中を押す

【写真】保育園の先生と笑顔で話すおかだたいようさん

また、スクールカウンセラーは先生でも親でもない大人として、子どもとナナメの関係性をつくることもできます。

太陽さん:先生にも親にも言えないことって、どうしてもあると思うんです。だから子どもとお話をして、困ってることを聞いて、もし先生が対処してくれれば解決することだったら、こっそり耳打ちしたりもします。それは意外と先生からは見えてなかったことだったりするので、情報が補完されますよね。「こうしたほうがいいですよ」って先生と作戦会議をすることも。守秘義務はもちろんありますが、変えたほうがいい状況はいろんな方法をつかって変えていきますね。

子どもも先生も親も、みんなもともと回復する力だったり成長する力を持っているのだといいます。心理士はそれを治してあげる、回復させてあげるのはなく、もともと彼らに力があるから「君はそんないいとこを持ってるよね!」とそれを刺激して引き出してあげることが仕事。

太陽さんが関わることで、子どもたちが変化したり成長したりする姿を親が見ていると、「あ、この子にはこんな力があったんだ」と再発見することができ、親子関係がいい方向になっていきます。先生や親も力があるけれどただ関わり方がわからないだけなので、太陽さんがサポートすることでさらに良くなっていくというポジティブな循環が生まれます。

太陽さん:カウンセラーっていうのは彼らが今できていることを、いかに見つけて返してあげるかだと思うんですよね。実際に先生にアドバイスするときも、先生のいいところを伝えて、「あとは先生、ここはもうちょっとこうしたほうがいい」っていうのを最後に付け足して言ってあげるくらい。どの先生も強みを持っているので、できているところを褒めて伝えてあげるんです。

【写真】保育園の先生と会話をするおかだたいようさん

太陽さん:あるいは先生の期待が行き過ぎてるのを、「先生、この子はそこまではできないよ。」っていう場合もありますね。発達の問題で、子どもによって得意なスキルが違ったりするんです。たとえば視覚から情報を集めるのがすごく得意な子に、耳からわーって情報を入れてもわかんないじゃないですか。でも視覚化して見せてあげると「おお、なるほど。」って理解したりする。だから「その子の得意なところはこっちなんだよ」っていうのを先生に教えてあげるんです。交通整理をしてあげると、先生たちは子どもたちをちゃんと見てるから、こういう方法がいいんじゃないですかって言うと理解してくれるんですよ。

こうして一人一人の子どもや先生、保護者との関係を築きそれぞれに変化が起こっていくと、どんどん学校全体の雰囲気も変わります。太陽さんの小さな関係性づくりやアドバイスが積み重なることで、大きな変化をもたらすこともあるのです。

小さな頃から障害を持つ子どもたちの中にいた

【写真】子供たちと一緒に遊ぶおかだたいようさん

精神的に厳しい状況にあったり、障害を持つ人たちに関わり続け、サポートしていくのはけっして簡単なことではありません。なんとか助けたいとは思うものの、私だったら逃げ出してしまうのではないかと思います。困難も多いなか、どうして太陽さんは心理士という仕事を選び、続けていけるのでしょう。

太陽さん:僕はもともと作家になりたかったんです。小四の時に童話クラブってのがあって、そこに入って童話っていう名の物語を書くようになったのがきっかけなんですけど、子どもの頃は本の中や自分の書いた物語の中が居場所だったんだと思います。僕は作家のトリイ・ヘイデンに魅せられたんですよね。彼女が書いた「よその子」っていう本があって、自閉症や鬱病、学習障害などがある子どもが4人だけのちっちゃいクラスの話なんですけど、その世界がなんか好きで。何度も何度もその本を読み返して、今でも時々忘れそうになると読み返すんですけど、その本の世界が好きで心理学の道を選んだんです。

その本以外にも、子どもの頃を思い返してみると理由があったのではないかといいます。

太陽さん:自分でも気づいていなかったことではあるんですけど、弟が今から考えれば発達に偏りがあったんです。すごく幼い時の記憶だからあまり覚えてないけど、弟と一緒に障害をもった子どもたちに特別支援をする教室に行ってたんですよ。母が言うところによると、ダウン症だったりいろんな子がいて、自分の子どもにはわけへだてなく一緒にいられる人になって欲しいと僕もその中に入れたようです。そして障害を持った子たちとふれ合っていたみたいなんですよね。

たとえば手を口に突っ込んでよだれまみれになった子がいても、僕はその手と普通に握手できます。自閉症の子がくっついてきても平気です。でも、どうもそれは僕は平気だけど他の人は平気じゃないらしいっていうのが、ずっと不思議ではあったんですよね。思い返してみると、ちっちゃい頃からそういう子たちと一緒にいたんですよね、実は。

小さな頃から障害のある子など多様な人にふれる機会がないことが、障害者と健常者の壁をつくっているという声をよく聞きます。太陽さんがどんな人にも壁をつくらずに話をすることができるのは、幼少期の経験があったこともつながっているのだなと思いました。

どんな絶望のなかでも、あっちに希望がある

最後に、太陽さんにとってスクールカウンセラーがどのような仕事か語ってくれた言葉があります。

太陽さん:子どもから「先生にとって、スクールカウンセラーは何ですか?」って聞かれたことがあるんですよ。そのときは絶句しちゃったんですよね、答えられなくて。

でも、なんだろうってしばらく考えたんですけど、「どんなに絶望の最中にあっても、それでも希望が!」って叫ぶのが、スクールカウンセラーの仕事なんじゃないかって思うんです。

日本で一番不登校が多くて経済的に厳しい状況のまちに行っているので、こちらの心がめげそうになることもいっぱいあります。そんななかでも、「あっちが明るいよ、あっちに行けばきっといいんじゃないか」って言いたい。その先に何かが待ってるとかわかんないですよ。わかんないけどとにかく、今より明るい方向を指差して「あっちに明るい未来があるんじゃないの。」っていうのを探さないとってすごく思いますね。ある意味、よそ者じゃないと言えない言葉ですよ、そのセリフって。

【写真】微笑んでインタビューに応えるおかだたいようさん

本当に一見何でもない子どもたちの世界の中に、大きな穴があいてると感じるのが今の仕事。虐待や性被害にあっている子ども達に、たくさん会うんですよ。「何でこんなところにこんな大きな穴が?」って、なんかもう世の中が嫌になるような出来事が、そこらじゅうに転がっているんです。その度に「自分はなんにもできない」という気持ちになります。

自分はいくらでも帰り道に泣けますよね、「何もできなかった」って。でも子どもの前では、やっぱりそれを見せるわけにいかない。時に見せることが必要なときもありますけど、やっぱり「それでも生きてりゃいいことあるさ」っていうふうに気持ちを向かせたい。

「絶望に打ちひしがれて死んじゃうよりは、生きてた方が何かいいことあるよね」っていう希望を、僕がほんの少しでも感じさせてあげれたらいいのかなって思っています。

どんな厳しい状況にも、どんなに心が傷ついた人にも、必ず希望がある。
そして、その希望へ向かう力を持っている。

太陽さんはきっと、誰よりもそれを強く信じている人なのだと思います。まさに太陽のような笑顔には、たくさんの絶望を見てもその先に希望を見出してきた強さと優しさがある。

だから太陽さんと話すときは、先生も子どもたちもあんなに安心した笑顔をしていたのだと思います。

【写真】笑顔で遊具の前に立っているおかだたいようさん

震災支援の助成金が打ち切られ、これまで被災地で活動していた団体が撤退していくなか、強い意志を持って引き続き被災地へのサポートを続ける太陽さん。5年経った今でもなお、被災地のひとたちを励ましサポートし続けることが絶対に必要なのです。

今苦しみを抱えるたくさんの人たちが希望のあるほうへ向かえるよう、私も太陽さんと被災地のみなさんを応援していきたいと思います。

関連情報
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(写真/工藤瑞穂、協力/神野拓哉)