【写真】笑顔でインタビューに応えるとうどうやすひろさん

自分は、どれだけ目の前の相手の内側を理解できているだろう。相手は、どれだけ自分の内側のことを理解してくれているのだろう。

ふと、そんなことを考えます。

人の内面をちゃんと理解するというのは、とても難しい。なにせ、見ただけではほとんどわからないのですから。

相手と似た境遇、同じような体験をしたことがある、そんな人であれば、相手の内面でどんなことが起きているのか、想像ができるかもしれません。

もし、他者があまり経験しないようなことが、自分の内側で起きたとしたら。周囲の人たちは、自分の変化を理解してもらえるのでしょうか。

大変な状況にあるにも関わらず、周囲には理解されない。それどころか、非難され、無理を強いられてしまうこともある。

なんて辛いことなんだろうーー。

最初に、「うつ病」の存在を知ったとき、僕はこう感じました。

うつ病患者のオンラインコミュニティ「U2plus」

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うつ病は、意欲・興味・精神活動の低下、焦燥、食欲低下、不眠、持続する悲しみ、不安、時には身体的な痛みなどの症状が起こる精神障害。

こうした症状を持つうつ病の人たちに、自分はどう寄り添っていけばいいのだろう。どうやって、休んでもらったらいいのだろうか、と考えていた僕は、ある人と出会いました。

それが、「U2plus」を運営する東藤泰宏さんです。

「U2plus」は、軽~中度のうつ病の治療プログラムである「認知行動療法」をオンラインで受けることができるサービス。

うつ病の患者が治療のためにカウンセリングを受けることはなかなか難しいため、インターネットを用いて低価格で、集団で認知行動療法を施そうというしてました。

アプローチの新しさに驚いたのはもちろんなのですが、さらに驚かされたのは、東藤さん自身が、うつ病患者であること。

うつ病患者でベンチャー企業の社長

【写真】笑顔で立っているとうどうやすひろさん
うつ病患者でありながら、ベンチャー企業を立ち上げ、出資を受けて、サービスを開発する。健常者でもなかな足を踏み出さない領域に、東藤さんは果敢に挑戦していました。

「うつ病患者の人は大変な状況なんだから、ちゃんと休んでもらわないと」そんなふうに考えていた自分にとって、東藤さんの存在は大きなインパクトをもたらしました。

どうしたら、そこまで懸命に生きられるのか。東藤さんの活動を応援しながら、彼の活動への熱意には、ずっと驚かされ続けてきました。

2011年5月にスタートした「U2plus」は、2015年3月に株式会社リタリコへと事業譲渡されました。今、東藤さんはリタリコへと譲渡された「U2plus」の編集長を務めながら、起業家として活動していた時期よりも、少しだけ安らかな日々を送っています。

東藤さんは、うつ病という病気とどのようにして出会い、どのように共に歩んできたのでしょうか。「U2plus」という一つの挑戦が、一区切りを迎えたタイミングで、東藤さんにお話を伺いました。

ある日、突然やってきたうつ病

【写真】インタビューに応えるとうどうやすひろさんとライターのもりじゅんや
モリ:お久しぶりです。今日はよろしくお願いします。

東藤:お久しぶりです。よろしくお願いします。

モリ:まず、「うつ病」になったとき、どんな職場で働かれていたのか教えていただいてもいいですか?

東藤:僕は当時、新しい産業で仕事がしたいと思っていたんです。当時は携帯サイトが全盛期で、IT業界が一番新しかった。その中でも、一番やりたかった携帯サイトの産業にいきたいと考えてましたね。

モリ:そっか、携帯サイトが全盛の頃だったんですね。

東藤:そうです。入社してからどんどん仕事を任されるようになって、ディレクター職になりました。スポーツサイト、芸能サイト、防災サイト、サッカーサイト、テニスサイトなど色々対応してました。最初は、何人かで1つのサイトを運営してたんですけど、途中から僕とバイトだけで全部のサイトをまわすことになっちゃって。それでパンクしちゃったという感じですね。

モリ:それは、その人数で対応できる業務量じゃないですね。。パンクした当日のことって覚えてますか?

東藤:当時、「さすがにこのままじゃ病気になる」と思って、転職を考えていたんですけど、物理的に時間もなくて。まずいとは思っているものの、何もアクションはとれてなかったんです。ある日、いつものように休日出勤をして日曜日に朝パソコンに向かったら、エネルギーが全く湧いてこなくて、指が動かなくって。中島らもがうつ病体験について書いた本「心が雨漏りする日には」を読んでいたので、「あ、これはうつ病だな」とわかったんです。

モリ:指が動かないことに気づいて、その後はどうされたんですか?

東藤:動かなくなってからも、何とか動かそうと夜まで粘っていました。でもなかなか動かなくて。仕事の後は、当時結婚を考えていた彼女に電話をして、「たぶんうつ病になった。おそらく結婚の話はなくなるだろうし、これから迷惑がかかるだろう」ということを話しましたね。その後は先輩にも電話をして「おそらくうつ病になりました。僕はもうだめです」という話をしました。「そうか、いいから企画書仕上げてねっていう感じで(笑)」

モリ:先輩きっついなぁ(笑)その連絡をした後はどうされたんですか?

東藤:徹夜しました(笑)どうしても次の日に僕の企画書をもとに、外部の人と打ち合わせをしなきゃいけなかったので、「それだけは仕上げろ」と言われて徹夜をして。夜中の2時3時ころからは指も動くようになったので、なんとか朝までかけて企画書を仕上げましたね。

モリ:うわぁ。。それでそのまま出社したんですか?

東藤:というか、そのまま会社にいましたね。いつものことです(笑)ただ、翌日の勤務時間くらいから、堰を切ったようにうつ病の症状がでてきたんです。たった1日しか経過していないのに、人と話すのが怖くなっていました。先輩や上司と「うつになった」という話をするのも、ずっと「怖い」と思ってましたね。

モリ:指が動かない状態よりも、さらに症状がひどくなったんですね。そんな状態で仕事になったんですか?

東藤:いや、仕事になりませんでした。打ち合わせなんてもってのほかで、「とてもじゃないけど、出席できる状況じゃない」って伝えたんですが。周囲からしてみれば、1日前は普通にしていたわけだから、そんな急変するなんてわかんないじゃないですか。だから、「絶対出ろ」って言われて、腰がひけながら打ち合わせには参加しました。

うつ病への自覚と周囲の認識のズレ

【写真】真剣にインタビューに応えるとうどうやすひろさん

モリ:ある日、突然、指が動かなくなったとはいえ、ある程度「このままじゃまずい」という自覚もあったんですよね。どんな症状が出てたんですか?

東藤:頭が常に痛かったですし、腰も痛かったですね。家に帰る時も毎日終電だったんですけど、終電で電車に乗るとすごい頭痛が始まるんです。それで、いつもピアノの曲を聴いて、なんとか落ち着かせたりしてました。毎朝、田園都市線の電車に乗って通勤していたんですけど、田園都市線って途中で地下鉄に入るんです。地下に入る瞬間に、窓に写った自分の顔の頬が痩せこけてて、目のクマがすごくてまるで死人のようで。「これはやばいな」と感じてました。

モリ:けっこう冷静に自身の状態は把握できていたんですね。もっとパニック状態みたいになるのかと思っていました。

東藤:事前の知識があったというのも大きいんですけどね。ただ、ワーカホリック状態で、常に働いていて、頭の中が1日中仕事のことばかりという生活でした。そうすると、どうしても視野がせまくなってしまって。「すぐに転職しなきゃ」、「すぐに仕事を休んだ方がいい」とか、そういう発想にはならなくて。それよりも「責任を果たさなきゃいけない」という気持ちでした。それで、うつ病になってしまうというのが、アンビバレントな感じですね。

モリ:それで働きすぎてしまって、結局、うつ病になってしまったわけですね。その後もしばらく、働いていたんですか?無理やり。

東藤:上から無理やり仕事が降ってくる状態だったんですけど、一ヶ月くらいかけてどんどん仕事ができなくなっていって、ミスが多発して。周囲の雰囲気が「あいつはできないんだな」、となるまでに一ヶ月くらいかかりましたね。

モリ:うつ病になったという自覚はあるのに、周囲はそのことを認知してくれず、変わらず仕事が降ってくるのは、辛かったんじゃないですか?

東藤:それが一番辛かったですね。体力的精神的にも負荷が変わらないのはしんどかったです。あとは、今までできていた仕事ができなくなっている状態を、何回もまざまざと見せつけられるのは、辛かったですね。 自尊心がどんどん減っていく感じがして。

モリ:自分の中の自分のイメージと、現実の自分が乖離していくわけですもんね。。周囲も一ヶ月ほどでようやく、以前と同じように仕事できる状態じゃないんだと気づいてくれて。その後はお休みなったんですか?

東藤:それが、一番上の上司は「俺はうつ病なんてないと確信している」と公言しているような人で。「お前にはがっかりだ!」と言って、周りの人は遠慮する中、その人だけは仕事を僕にふり続けてきていたので、残業もなくならずにいました。なので、主治医にしんどいという話をして、「一ヶ月休みなさい」と言われて、ようやく休みました。

モリ:会社を休むことが決まった時はどんな心境でした?

東藤:「休んでいいんだろうか?」という不安な気持ちでしたね。それまで、本当に休まずに、休日出勤とか当たり前の状態で働いていて、代休とかもなかったので。「一ヶ月も休んで、僕は社会人として失格なんじゃないか」って。

モリ:休むことになった自分をどこか責める気持ちもあったんですね。休んでいる間は何をしてたんですか?

東藤:休みの間は毎日寝てました。休んでいた一ヶ月間は、ほとんど何も記憶がないです(笑)

モリ:記憶がないってのもすごいですね…(笑)一ヶ月休んで、休み明けはどんな感じで復帰されたんですか?

東藤:違う部署に移動して、デイリーのルーティンワークがなくなったので、少しだけ余裕ができました。ただ、症状はあまり良くならなくて。物事に集中できないし、人と話すのが怖いので意見が言えない。精神的にとても不安定なので、会社で泣きそうになってしまうことがあって、それがすごい嫌でしたね。恥ずかしくて。

モリ:症状はあまり良くなっていなかったんですね。。その頃、他にはどんな症状が?

東藤:頭痛もすごかったですし、腰痛がひどくて。会社ではずっと腰を曲げて歩いていました。オフィスビルのテナントに入っていたカラダファクトリーというところに毎日ランチタイムに通って、なんとか歩けるようにしてもらっていました。施術代でお金がどんどん減っていく(笑)あと、睾丸が痛かったです。あれ、なんだったんでしょう(笑)女性も男性も、恥ずかしくてオープンにしてない性的な部位の症状って結構あるんです。それはそれでダメージがありますね。

モリ:うつ病って精神への負荷について聞くことが多いですけど、身体にもけっこう症状がでるんですね。

東藤:でますね。ただ、自分が持ってる自分のイメージとのギャップを感じることによるダメージが一番大きいかもしれないです。仕事ができない、評価が落ちるということとは別に、自分の中の自分のイメージがどんどん崩れていってしまうというのはそれまで経験してなかったこと。それこそ一晩で変わってしまったことなので、ショックは大きかったですね。

モリ:自分ですらあまりの変化にショックを受けているのに、周囲は変化についてこれないですよね。

東藤:難しいでしょうね。異動のときに部署内で、「東藤は仕事ができない会議」みたいなのがあったんです(笑)出席者が順番に「東藤がどれだけ仕事ができないか」というのを一人一人に言っていく会があって。それを経て「異動させるね」って話になったんです。異動のための儀式みたいな「東藤は仕事ができない会議」がすごい精神的につらくて。 今思うとパワハラなのですが。

モリ:そんなことがあったんですか。。

東藤:うつ病になってからしばらくしてやっと「そもそもこの会社でがんばるべきなんだろうか」と考えるようになって。それから退職しました。

うつ病患者は他にもたくさんいたから孤独じゃないと気づいた

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるとうどうやすひろさん

モリ:休み始めたときはどんな状況でした?

東藤:休み始めたころは、買い物もできませんでした。買い物に行っても何を買ったらいいかわからなかったり、買わないのであれば店から出た方がいいのか、といった判断がつかなず、お店に立ち尽くしたりしてました。休んでいるうちに、だんだんと買い物もできるようになって。整形外科にいって腰の治療をしたり。少しずつウォーキングができるようになって、だんだん回復してきた感じですね。

モリ:回復してるなと自覚できるようになるまでにどれくらいかかったんですか?

東藤:1年半ほど休みました。そのうち、半年くらいは何をしてたのかよくわからない時期で、その後半年ほどかけて回復していきました。

モリ:最後の半年は前向きな気持ちに?

東藤:そうですね。前向きに物事を考えられる状態になってきました。

モリ:そのときから、次のアクションについて考え始めた。

東藤:そうです。当時から、うつ病の人をインターネットでつなげたいというアイディアがあって。そのアイデアを後押しするきっかけがありました。

モリ:その後押しというのは?

東藤:社会人になって、ひたすら仕事をしている間、学生時代の人間関係は切れていたんです。忙しすぎて、友達に会おうよって言われても会えないし、飲み会って言われても「午前3時からならいけるよ」みたいな(笑) その状態からうつ病になって、うつ病になったことをカミングアウトできなくて、友達との連絡が一切できなくなったんです。一番孤独で、どうしようもない時期って友人の支えが必要だったんですけど、助けを求めることもできない。

モリ:友達にも連絡できないのは辛いですね。。でも、たしかにカミングアウトはしづらいかも。

東藤:だけど、高校の同級生との飲み会にがんばって参加したんです。1対1では連絡はとれなかったんですけど、メーリングリストで飲み会の誘いがきて。それは参加できたんです。それで20人くらいの飲み会に行って。そのときに、みんなに目をつむってもらって、「うつ病の人、手を上げて」ってやったら3人くらい手が上がったんですよ。それで「意外とうつ病の人っているじゃん」って初めて気がついたんです。それまでは、孤独感に打ち震えてたんですけど、日本には100万人うつ病患者がいるはずなので、いくらでもつながれるなって思うようになったんです。

モリ:体調や精神状態も回復してきた時に、患者同士をつなげるアイデアを思いついたと。そのアイデアはどこかの会社でやろうという発想はなかったんですか?

東藤:メンタルヘルスの事業を許容してくれる会社があるってイメージがわかなかったです。このあいだ会った、ある通信キャリアの会社の方は、メンタルヘルスの課題解決にすごい熱意を持っている方なんですけど、会社ではどうしても企画が通らないと。やっぱり企業としてそこに踏み込むのは怖いし、リスクがある。なによりマネタイズへのプロセスが見えないと言われてしまう。今でもそれほど状況は変わってないし、企業内でやるのは難しいのかなという印象ですね。

アイデアを形にしていくために

モリ:アイデアを思いついてからはどうされてたんですか?

東藤:別の会社に移って働いていました。

モリ:アイデアを思いついてから、そのまま起業されたわけじゃなかったんですね。

東藤:そうです。傷病手当金という雇用保険からそれまでの収入の2/3が保障される制度があるんですけど、1年半休むとそれが切れてしまうので、一旦働き始めました。

モリ:一度、会社で働いて病気になってしまった後に、また会社で働くことには抵抗はなかったですか?

東藤:病気になる前までは「自分が働いてる会社はいい会社だ」と思っていて、それで「自分も全力を尽くして頑張るんだ!」と思っていたんです。けれど、ワーカホリック状態から抜け出してみると、「なんて会社だったんだろう」って思って(笑)それで、普通の会社、違う会社で働いてみたいなって気持ちがあったんです。

モリ:それで、起業のアイデアを練りつつ、別の会社で働いていたんですね。

東藤:そうです。働き始めたのは、ある大手IT企業でした。まっとうな会社組織で働けたのは良かったですね。僕が働いていた部署から、8人くらいは起業したんじゃないかな。

モリ:へぇ。その部署での出会いも影響しているのかもしれないですね。どういったタイミングで退職と起業の決断をされたんですか?

東藤:2011年の年末頃に、とあるビジコンに出場していたんです。そのビジコンでは、審査の途中でコンサルタントとのブラッシュアップ期間っていうのがあって。その期間、うつ病の状態なのに、会社で8時間働いた後にコンサルタントとプランを詰めるというのが負担で、体調が悪化してたんです。

モリ:それは健常者でも体調が悪化しそうですね。。

東藤:そのとき働いていた会社からは、「これだけ休むと、そろそろ契約も難しいけど、どうする?」って言われて。1日休みをもらって考えます、と伝えたんです。その次の日に、ビジコンの最終審査があって優勝できたので、「じゃあすぐやめます」って伝えました、色々ギリギリです(笑)

モリ:ホントにギリギリって感じですね(笑)

うつ病当事者のチームで生み出された「U2plus」

モリ:起業して、U2plusができあがるまではどれくらい時間がかかったんですか?

東藤:ビジコンで優勝してから、ちょうど一年ですね。認知行動療法のコースは臨床心理士の専門家の人と一緒に練っていて、ある程度出来ていたんですけど、何回かβ版として試していました。メンタルヘルスを抱えた人のコミュニティだと、いきなり試すのはリスクが高いなと思っていたので、検証を何回もやったんです。3パターンのβ版を、それぞれ二ヶ月ずつ試してみたので、どうしても時間がかかりましたね。

モリ:どんな仮説検証をしていったんですか?

東藤:最初に試したのは、まず荒れないかと、抑うつ度が下がるかどうか。これはどっちもうまくいってました。コミュニケーション設計をしっかり考えていて、「つながる」とはどんな繋がり方なのかとか、フォローとかアンフォローか、投稿するウォールは分けるのか、コメント機能はどうするのか、など、ひとつひとつ考えていって。仮説検証にはサイボウズLiveを利用していたので、サイボウズLiveでできること、実際のサイトでできること、スマホ版でできることを分けて検証していきました。

モリ:実際に会社作りやサービス作りの部分で、自らがうつ病になったことでの気づきを反映させたりしたこともあったんですか?

東藤:そうですね。うつ病の人たちが使うサービスなので、うつ病の人たちがどういうこと求めてるかは、自分自身からも意見が出てきますし、周りのメンバーからも意見が出てくるので、とてもいい循環になってたのかなと思います。特に、意思決定がしやすかったですね。AかBかっていったらAだよね。シリアスかかわいいかでいったらかわいいだよね、とか。当事者じゃない人がうつ病のコミュニティを作ったとしても、今のようにはならなかったと思います。

モリ:当事者が作ることの価値はやっぱりあったんですね。当時は何人くらいのチームで開発していたんですか?

東藤:7人です。臨床心理士の方以外は全員うつ病というチーム(笑)

モリ:それはまたすごいですね(笑)

東藤:やってみたかったんです、そういうチームで。漫画の『サラリーマン金太郎』で、主人公の金太郎がいる会社の全部署からリストラ要員を出すってエピソードがあるんです。「なにー、そいつらを集めれば会社できるじゃねえか」っていって、金太郎がリストラ者だけを集めて会社を作るって話があって、そのうつ病版をやってみたくて(笑)うつ病は全ての職種の人がなり得るんだから、うつ病患者だけで会社ができるのではって思ってたんですよね。

モリ:その考え方は他でも使えそうですね。メンバーはどうやって集まったんですか?

東藤:最初のビジコンが、チームじゃなきゃ応募できなかったので、最初は高校の友達を一人仲間にいれて。あとはビジコンで優勝したあとは、ずっとブログで仲間を募っていて、鬱のプログラマーって名乗ってる人と知り合いました。その人がブログで仲間募集って書いてくれて、それでメールが来るようになったりとか。イベント登壇とかもしていたので、参加していた人が「デザイナーなんですけど手伝いたいです」って言ってくれたり。臨床心理士の人は毎日毎日、営業メールをビジコンの前に送っていたので、かわいそうなことに僕につかまっちゃったんですけど。未だにご迷惑をおかけしていて、本当に色々お世話になってます(笑)

モリ:結構、いろんなところで人が見つかったんですね。

東藤:現役うつ病患者がメディアに出ることって、ほとんどないんです。僕も自分以外ほとんど見たことないですね(笑)うつ病の話って、ほかの人にカミングアウトするのが難しいので、孤独になりがちです。その中で、「こんな人もいるんだ」と知ってもらえたり、うつ病に対して一矢報いたいという旗をあげていたので、その下に集いやすかったんじゃないかと思います。

モリ:同じ状況下にいる人が誰かもわからないという状況で、「旗を掲げる」というのは、多くの人にとっての希望になったでしょうね。集まったうつ病の人との仕事はやりやすかったですか?

東藤:やりやすかったです。在宅ワークを基本にしていて、コワーキングスペースを二ヶ所借りて。打ち合わせはそこでするし、作業は各自に任せるし、あとは、LINEのグループで毎朝出席をとって今日の体調を確認したり。部活のマネージャー職みたいなのポジションがあって、週末に一週間の体調をまとめて「ちょっとやりすぎです、休みましょう」みたいなアドバイスをくれたりとか(笑)

モリ:部活のマネージャー的な存在っていいですね(笑)スタートアップとして、「これがきつかった」ということはありますか?

東藤:ほとんどきつかったですね。資金繰りもきつかったです。人の問題もありました。うつ病なので体調の波もあるし。それをどう円満に解決するか、という問題はありましたね。まぁ、このあたりはほかのスタートアップも一緒なのかも。

モリ:たしかに、そのあたりは他のスタートアップでもあることですね。ただ、他のスタートアップと比べると、人の問題が起こるのは織り込み済みだった、という印象も受けます。

東藤:それはあるかもしれないですね。ほかのスタートアップとの違いは、僕の体調が悪いっていうのが一番大きかったと思います。あとは、「メンタルヘルス」という領域を理解してもらいにくいこと。うつ病の人はすごく理解してくれますけど、外部の人はなかなか難しいですから。ベンチャーキャピタルに呼ばれていって、事業のプレゼンをしても、「それより僕の彼女がうつ病っぽくてさあ」っていう個人相談ばっかりされたりとか(笑)

モリ:なかなか真剣に聴いてもらえることはなかったんですね。

起業よりも勇気が必要だった社会へのカミングアウト

モリ:起業した時って、精神状態はどうだったんですか?起業すると、ブラック企業顔負けになるほど、忙しくなるように思うんですけど。うつ病の状態で起業するとかなりの負担がかかりそう。

東藤:僕は、みんなが働きやすい会社を作りたいっていうのを一番に考えていて。ただし、東藤は除く、という感じでしたね。だから、メンバーは働きやすいけれど、東藤はハード、という状態。自分自身は全力を出して、途中で倒れてもいいやって思っていたので。 起業する直前のころは、楽しくできそうだと思ってたんですけど、起業するぞっていうタイミングになると、全力を尽くさなきゃいけないとシリアスに考えるようになっていて。きっと、全力でやったらうつ状態で働くことになって、きっと自分はそのうち倒れるだろうと。そのときは誰かに任せて、立ち上げだけできたらいいかなと思ってました。他のひとには言ってなかったですけどね。

モリ:一度、働き過ぎて病気になったのに、また自分はどうなってもいいから全力で働こうと思うのって、なかなかできることじゃないですよね。そう考えるようになる、何か大きな心境の変化はあったんですか?

東藤:うーん、自然にそう考えてましたね。病気になって、自尊心とか、一時は友人とか人間関係とか、今後のキャリアとか、いろいろ失ったので、逆に失うものがないというか。いや、、失うものがないって前向きな感じでもなくて、今回の人生はもう諦めよう、みたいな諦観がありました。「じゃあ人生諦めた時に何しよう」って考えたときに、一度こういうことを世の中に問うてみたかった。患者が、患者のために、回復のためのサービスを立ち上げる。悲壮感たっぷりだったので、今振り返って考えると、「それはちょっと自分に酔ってるよ」って自分に言いたいかもしれませね。

モリ:諦めの気持ちがあったから挑戦できた、というのは面白いですね。前向きな気持ちじゃなくても、エネルギーにしていける。他に、何か考えていたことってありますか?

東藤:うつ病になると、社会から完全に隔絶されて独りになっている感じが強いんです。独りになった患者として、社会に向き合ったら何が起きるんだろうっていう考えはありました。「自分は現役のうつ病患者なんです」って社会に公言したら、一体どうなるんだろうって恐怖感がありました。。

モリ:起業よりも、社会にカミングアウトするっていうところが恐ろしかったんですね。

東藤:そうですね。一番勇気が必要でした。 黙殺されるかもしれないし、ほかの患者さんや医療関係者に総叩きにあうかもしれない。社会に対してカミングアウトしていくことで、人間関係がどうなるかも考えました。うつ病でもいいよって言ってくれる人だけが残って、それ以外の人間関係は全部切れるかなとか、親戚はどう思うかなとか、色々悩んだんですけどね。それでもやってみようと思って。「自分はうつ病ですって社会に言ってみよう」と行動してみたら、意外に社会は温かったですね。

モリ:社会にカミングアウトした後は、何か変わりました?

東藤:うつ病の人って至るところにいるので、逆にうつ病であることをパスポートにして、いろんな人と関われるようになりました。会社を作ったってことで、社会に代表として出回って、いろんな方とはつながったんですけど、それ以上にうつ病の人たち、もしくはうつ病の身近にいる人たちと広く、そして深くつながるきっかけになりました。

モリ:カミングアウトしたことが、新たなつながりへとつながっていったんですね。実際にカミングアウトを経験した東藤さんとして、カミングアウトはしたほうがいいと思いますか?それともしなくてもいいとお考えですか?

東藤:社会に対してカミングアウトする必要はありません(笑)でも、可能であれば身の周りの人には伝えた方がいいとは思います。カミングアウトして、わかってくれない人もいると思うんですけど、伝える相手の絶対数を増やせば、分かってくれる人は増えるじゃないですか。だから、わかってくれない人は、こっちからお断りしていく。どれだけの人が分かってくれるか、つながれるかが、生きやすさにつながると思います。生きやすさを高めるためなら、なるべくカミングアウトした方がいいのかなとは思いますね。

「U2plus」は次のステージへ

モリ:それだけいろんな思いをした中で、「U2plus」をやってよかった瞬間ってありました?

東藤:サービスを作ったことで、実際に喜んでくれる人がいっぱいいたんです。「こういう活動をやってほしかった」って声もあったし、「サービスを使ってとてもよかった」って声もあった。症状が回復したので去年より大幅に年収が上がりました、なんて話もあった。 起業して、それまでの人生よりもしんどいことは増えたんですけど、喜びもその分あって。幸せだなあと思う日々を過ごせました。

モリ:「U2plus」は、リタリコに事業譲渡したわけですが、その当時のことを少し教えていただいてもいいですか?

東藤:僕の体調が悪化しすぎて、自殺への欲求が強くなる、稀死念慮という症状が強まったんです。どうしても自分は死ぬべきで、早く死んだ方がいい、今すぐ死にたいって気持ちが強くなったときがあったんです。僕はまともに歩くこともできない状態。

モリ:そんな大変な状態になっていた時期があったんですね。

東藤:それで、色んな知り合いに話を聞いていたら、その中に出版社の方がいて、「今なら治験でタダでTMSの磁気刺激療法の入院が受けられるよ」って言ってくれたんです。それで2ヶ月くらい入院したんです。起業してはじめて仕事に一切関係ない日々を過ごしました。メールも見ないし、事業のことも考えない空白の時間。その時間があって、回復できて、まともに考えられるようになりました。

モリ:入院中はどんな日々を過ごしていたんですか?

東藤:それが、入院生活はすごく楽しかったんです。最初は、病院の説明を聞くだけで、もう体力的に無理って感じでしたけど。少しずつフロアで、他の入院患者さんとしゃべるようになりました。自分が人とどれだけ長くしゃべれてたかを記録していて、それが少しずつ伸びていって、最後は3時間くらいしゃべれるようになりました。

モリ:自分の変化をちゃんと紙に書いておくのは良さそうですね。

東藤:あとは、入院患者を集めて、病院の中でいろんなプロジェクトを作ってたんです。看護師さんにこういういたずらやるから誰かやろうとか、キャリアについて考える会をやろうとか。テオヤンセンというオランダのアーティストが出している、「ストランドビースト」をつくろうというプロジェクトが一番ウケましたね。うつ病で入院してる精神病院なのに、10人くらいで「やったぜ!」とか言って喜んだりして。アイデアを形にするのは、どんな場所でもできるんだって自信がつきました。以降、死にたいとか動けないとかはなくなってましたね。

モリ:どこでも楽しく過ごすことができる、自信をつけられる、というのはいいですね。それで回復してきて、事業のことを考えることができた。

東藤:そう。そこで資金調達を頑張るか、イグジット(売却)に向かうかという二択だったんですが、そろそろイグジットしようと考えました。それで、色んなところに話をして。リタリコの人にも話をしたところ、スムーズに話が進みました。

モリ:色んなところと話をする中で、リタリコに決めた理由はどういったものだったんですか?

東藤:ほかにもイグジットの話を進めていた企業もあったんですけど、リタリコは就労支援もやっているので、就労支援の前段階として「U2plus」が使えるし、就労したあとの定着支援でも励まし合って頑張れるので、バリューチェーン的に一番いい流れができるなという判断です。リタリコで会った人たちがみんな気持ちが良い人たちだったし、会社としてのビジョンもしっかり合っていたので、ここにお任せしよう決めました。

モリ:事業譲渡された後、東藤さんの体調は?

東藤:事業から解放されて、すぐに回復するかと思ったんですけど、そんなに良くならなくて。最初は出社して、2時間するともう動けない。頭が重くて、何もまともに考えられないような状態になってましたね。少しずつ、少しずつ考えられる時間が伸びていって。初めて、いわゆる出社訓練をしているような気分でしたね。最初の会社のときにこういうのがあればよかったんですけど(笑)

モリ:リタリコでは、職場の理解は得られました?

東藤:そうですね。 うつ病のサービスを運営している当事者の人が入社する話はみんな知ってましたし、僕も自己紹介で「うつ病です」とか言ってました。 そもそも就労支援の事業を営んでいるので、みなさんに精神疾患の知識があるんです。体調の波がある中で、調子のいい時にパフォーマンスを出してくれればいい、という考え方でいてくれたので、やりやすかったですね。大変感謝しています。

モリ:今、「U2plus」やリタリコとはどんな関わり方をされているんですか?

東藤:オペレーションからは離れていて、編集長として取材対応などを担当しています。あとは、ウイングルという就労支援の施設で、「U2plus」のユーザーとか、ウイングル利用者とか、その地域のうつ病の人たちを集めて当事者会を開催しています。中目黒、横浜、愛知で開催してきて、これからも地方でやっていきたいなと思っています。

うつ病患者とその周囲の人たちへのアドバイス

2015年頃の東藤さん

モリ:「U2plus」や当事者会を通じて、色んなうつ病患者の方々と出会う東藤さんから、同じような症状を抱えてる人たちに病気との向き合い方について、アドバイスはありますか?

東藤:抽象的になってしまいますが、人と関わるのが大事だと思います。職場と家族だけじゃない第三の人間関係があればあるほど、居場所ができる。居場所がたくさんできるといいと思います。あと、同じ病気の人とも、やっぱり関わった方がいい面はあります。例えば、U2plusにはプロフィールのページがあって、いろんなユーザーのプロフィールが見られるんです。それを見てると、自分の症状を相対化したり、客観視できる。あまりにべったりとくっついてしまうと共依存の問題があって難しいんですけど。病気が長引けば長引くほど、大変さは増していくんですけど、その分、病中にできた人間関係が蓄積されていくので、少しずつ病中でも生きやすくなっていくんじゃないかなと。

モリ:うつ病になってしまった人の、周囲は当事者とどう関わるといいのでしょうか。

東藤:無理に外出とか食事とかに誘わない方がいいかもしれないですね。うつ病の人だと、そもそも活動するためのエネルギーがなかったりするので、消耗が激しいんです。普通の人が息抜きと感じる活動ですら、体力を使ってしまう。あとは、神経が過敏になってるので、人混みが苦手だったり、居酒屋が苦手だったりする。騒がしい場所に行くよりは、静かな場所で少ししゃべるくらいがいいかも。胸に溜まったことがあると、しゃべり過ぎちゃうこともあるので、その場合は時間をある程度区切って。

モリ:静かにゆっくり、少しだけしゃべるところから。

東藤:そうですね。あとはなんだろう。家族の方は、一人でなんとかしてあげようと思わないで、他に家族会、地域の精神保健福祉センターの保健士さん、カウンセリングに通って仲間を増やすといいと思います。一人で抱えないで、チームでどうしたらいいかなって考える環境を作るっていうのが、長期で患者を支えるためには大事だと思います。どうしても、一人で支えていると悩んじゃうし、疲れちゃうんですよね。そうすると当事者にとっても長期的にはいい影響がないので。当事者本人もまわりにコミュニティやネットワークがあった方がいいし、それを支える人にもコミュニティやネットワークがあった方がいい。

モリ:うつ病に悩む人々の悩みの種のひとつが、仕事ではないかと思います。仕事に関して、何か東藤さんからアドバイスはありますか?

東藤:一つは、障害者雇用枠をつかうこと。精神障害手帳を取得して、障害者福祉手帳の三級をとれば、障害者雇用枠で働けます。これって職歴がなくても大丈夫なんです。こうした情報が、そもそもほとんどの人々に伝わってないと思うんですよね。ネットワークも大事なんだけど、情報も大事ですね。

所属コミュニティとサポートを増やすためのサービスを作りたい

【写真】真剣にインタビューに応えるとうどうやすひろさん

モリ:事業譲渡後の東藤さん自身の変化について教えて下さい。

東藤:事業譲渡してからは、アンニュイな日々を過ごしています。それまで身を削ったからこそエネルギーが出て、そのエネルギーで働いていたのに、そのエネルギーがなくなった。過去7年ではじめて、余力があるっていう状態になったんですね。余裕が出てきて、人の生きづらさや、以前の自分のように身を削って課題を解決してる人たちの負担が気にかかるようになりました。今度は、うつ病だけじゃなくて、もう少し薄く広く、人のためになるサービスを作りたいなと思っています。

モリ:また、サービスを作ろうとされてるんですね。

東藤:僕が病気になってから今まで生きてこれたのは、会社と家族しかなかったのに、他のいろんなコミュニティに属せるようになったというのが大きかったと思うんです。入院したのもつながっている人からサポートしてもらえたからですしね。コミュニティとかサポートはなるべく多ければ多いほど、人は生きやすいと思うので、属するコミュニティを増やせるサービス、サポートが得やすくなるようなサービスを作りたいなと思ってます。

モリ:必要としている方は多いと思いますし、これからの時代に重要なサービスになりそうですね。東藤さん、今は楽しいですか?

東藤:楽しいですね。先日、おそらく、うつ病じゃなくなったんですよ。この7年で、初めてうつ病ではない状態になってるのが、驚いているし、不思議なんですけど、嬉しいという気持ちです。アイデアを出して仲間や友人が反応してくれたり、思いがけないアイデアが出てきたりとか、悲壮感なく昔の喜びみたいなものを感じられるのが嬉しいですね。

モリ:おお、それはお祝いしないとですね!次のサービスも楽しみです。

【写真】笑顔でインタビューに応えるとうどうやすひろさん

東藤さんとの話の中で、「うつ病が治っただけだと、幸せにはならない」という言葉が印象に残りました。うつ病は社会的に失うものが多い病気だから、症状がなくなっただけでは不十分なんだ、と。

回復していくためには、病中であっても少しずつできることをしていく必要があって、うつ病でも生きやすくなるようにちょっと外出するのか、症状を回復させるようにするのかはわからないけれど、何かしらの努力は必要になる。

東藤さんは、決して自分がうつ病であることを言い訳にはしませんでした。自分がうつ病であることは前提で、自分には何ができるのかを考え、行動してきている。行動することで、一見ネガティブに映る要素も、ポジティブな要素へと転換していったのだと思います。

東藤さんとの話から、うつ病の人に対してどう寄り添っていくべきなのかが少しわかっただけではなく、自らの生とどう向き合うべきなのかも教わった気がします。

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東藤泰宏さん
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(撮影協力/co-ba shibuya、協力/森一貴)