【イラスト】微笑むはやしさんが、パソコンに向かっている

soar編集長の工藤です!

「仕事を頑張りすぎて、うつ病になってしまった」
「頑張っていないと人に認めてもらえないような気がする」

周囲の人から、そんな話をよく聞きます。私自身も、以前企業に勤めていた時期に長時間労働が重なったり、責任の大きい仕事のプレッシャーから精神的につらかった経験があります。

頑張っていないと周りに置いていかれる、自分だけつらいなんて言えない。そんな焦りを感じてしまうひとは多いのではないかと思います。

友人を介して出会った林晋吾さんも、仕事を頑張りすぎたことをきっかけにパニック障害、うつ病を発症してしまったのだそう。今は起業して「うつ病の方のご家族向けコミュニティ『encourage(エンカレッジ)』を運営する林さんは、とても穏やかでさわやかな笑顔が印象的な男性です。

今の社会では、うつ病を公表して起業するのはきっとすごく勇気のいること。でも林さんは、うつ病を経験した自分だからこそ今の生き方があるのだといいます。

これまで数回休職を経験し、自分の生き方についてたくさん悩み考えたという林さんの経験は、今同じように悩んでいるひとの力になるはず。今回は林さんのこれまでの道のりを書き綴っていただきたいと思います!

「encourage」の林晋吾です

はじめまして!「うつ病の方のご家族向けコミュニティ『encourage(エンカレッジ)』」を運営している、林晋吾です。僕は7年前にパニック障害になり、その後うつ病を併発した経験があります。回復と再発を繰り返す中で1年前に寛解して、起業をしました。

今回は、僕のうつの経験とそこからわかったことををみなさまにお話できたらと思います。

ありたい姿とのギャップを感じていた子ども時代

僕は大阪府の堺市出身です。19歳で大学進学にともない東京に出てくるまで、大阪で過ごしました。小・中学生のころは優等生で、グループの中では中心にいた方だと思います。

幼稚園からサッカーを初めて、大学を卒業するまで部活動や社会人のクラブチームでサッカーを続けていました。

一方で、小さい頃から人より不安を感じやすい性格で、両親や先生から見えいてる姿と自分が有りたい姿のギャップを大きく感じていました。日常生活に大きく支障はありませんでしたが、家庭環境が特殊だったことも要因のひとつかもしれません。

中学を卒業後は父と母のどちらかが家族と離れて暮らしていて、家族全員で暮らしているということがなかったんです。

父はお酒を飲んでは夜中に帰り、言葉の暴力を受けて明け方まで説教されることも頻繁にあって。僕は毎晩ベッドの中で「今日は父が帰ってくるのかな、寝れるのかな」と考えたり、家の中で父親に怒られないようにうまく立ち振る舞うことを考えていたのを覚えています。

仕事はハードでもやりがいがあった

大学進学にともない、僕は高校卒業後に東京に出てきました。大学が所有する学生寮に入り、約50名の学生で共同生活をしていました。アマチュアのサッカーチームに入って4年間活動するなど、活発に過ごしていました。

実は東京に出てきたのは、実家を離れて今までのことをリセットして再スタートしたいという気持ちもありました。大学時代は自分で選択して新しいコミュニティに入ったりと、自分の考えで行動することが増えて、自分らしく過ごせた時期だったと思います。

就職活動では、金融の仕事に興味があり金融の会社を中心に探して、最終的に大学の寮生活でずっとお世話になっている先輩がいた会社に入社をしました。仕事を通して、お金の流れやいろんな企業と接点を持ち、幅広く世界を見たいと考えていたんです。

そして大学卒業後には、金融の会社に入社しました!7年間在籍していて、最初の赴任地は静岡県でしたが、そこまで仕事がハードだと感じることはなくて、忙しいけど朝9時から夜8時には帰れるような生活をしていました。たまには深夜残業や週末出勤もありましたが、自分でやりたいと思える仕事だったので主体的に取組んでいましたね。

不安で眠れない…パニック障害を発症

【イラスト】積み上げられている書類に一生懸命目を通す、はやしさん
その後、静岡から東京の本社に異動に。そして2年目には新設されたセクションに配属されて、約3ヶ月いろんな案件をこなしながら忙しく仕事をしていました。

でも、実はこの時期は、すごくプレッシャーを感じながら自分の能力をこえた仕事をしていたんです。今まで経験をしたことがない業務内容は、自分の力でこなすのは難しいことばかり。厳しい上司からいつも指導を受けていましたが、それでもなんとか頑張って仕事に取組んでいました。

でもいろんな仕事が集中したり、上司とのコミュニケーションにストレスを感じることは増えてきたある日。僕は「パニック障害」を発症しました。

不安でドキドキして眠れない。
食事中ずっとドキドキして、食事がとれない。
毎朝の習慣として一時間くらい新聞や本を読んでいたのに、字を見ても内容が全く頭に入ってこない。

そんな日が一週間続きました。

そして休み明けに会社行こうと思って電車に乗ったら、動悸とめまいがいつもより激しくて、僕は息苦しくなって電車を降りました。しばらく駅のベンチで休んでから、「これは病院に行く必要がある」と思い心療内科へ。

医者には、「パニック障害ですね」と一言言われました。

病名が診断されたと、僕は「これでやっと休める」と思い正直ほっとしました。

体調の異変を感じつつ周りの目を気にしていて、途中で仕事を投げ出してしまうことで、周りの人から否定されることや、根性がないやつだと言われてしまうとを恐れていたんだと思います。だから病名がついたことで、休んでもいいんだと思えたのでしょう。

あのときはつらい気持ちを誰にも話せなかったけど、今思えば、本当は自分の周りには相談したり弱みを言える環境がありました。

しんどい、できない、たすけてほしい。

そう自分が打ち明けることができれば聞いてくれる人が、まわりにはいたんですよね。

ミスがきっかけとなりうつ病で会社を退職

パニック障害と診断されたということを会社に伝えたとき、すでに職場の同僚はおかしいなと気付いていたようで。驚いた様子もなく受け止めてくれました。

そのときは1週間だけ休みをもらって、また職場に戻りました。ゆっくり休んだので体力は回復したものの、自分の仕事への考え方や性格は何も変わっていなかったので、その後も結局不安を抱えながら働いていたのが正直なところです。

1年半くらい、体調面をある程度会社側から配慮していただき、薬を飲みながら仕事を続けていました。しかし、ある案件でミスをしたことがきっかけで、僕はまた体調を崩してしまいました。

ミス自体は仕事に大きな影響を与えるほど決定的なものではなかったのですが、僕はミスをした自分を情けなく感じて気分が激しく落ちこんでしまったんです。そのまま気分が戻らなくなってしまって。再度病院に行くと、今度は「うつ病」と診断され、すぐに休職したほうがいいと言われたんです。

そして僕は会社を休職することになりました。休職した最初の頃の記憶はあまりなくて、2週間くらいは寝ているのか起きているのかも分からないような状態で朦朧としていたと思います。

当時僕は東京で一人暮らしをしていましたが、休職していることは親友や家族に一応話していました。ただ休職してる事実は伝えることができても、「しんどい」「日常生活でこれができない」「助けてほしい」という本音を話すことにすごく抵抗がありました。

「ちゃんとしてないと、人に受け入れてもらえないんだ」

そんな思い込みが強く、助けを求めるということがどうしても僕にはできませんでした。体が疲れていたり気分の浮き沈みが激しくて、誰かと連絡をとること自体ができないことも多かったですね。

結局2ヶ月休職をして、会社を退職をしました。休職中に傷病手当が入ってきても、会社に迷惑をかけ続けていると思っているので、「みんな活躍してるのに、なんで家にいて何もしてない自分がお金をもらってるんだろう」と申し訳なくなってしまったんです。それだったら、潔く会社を辞めようと思いました。今考えると、辞めることが潔いということは自分が勝手に思いこんでいただけなんですよね。

世の中に置いていかれたくないと焦っていた

退職後は、東京から離れた実家に9ヶ月間いました。最初の頃はすこし動くだけで疲れてしまって、ほとんど何もしない日々がつづきました。

でも途中から何かしないといけないと思い、社会復帰するときに役立つのではないかとビジネススクールに通い始めました。「早く復帰しないとやばい、自分が世の中においていかれる」という焦りが強かったんですね。

でも、ビジネススクールに通ったことで、逆に焦りを助長させてしまいました。僕以外は会社に在籍しながら勉強をしているので、学んだことが実務に結びつきます。一方僕は仕事をしていないため、授業を聞いても全然やる気がでなくて、なんとなく通っていました。「他の人は仕事も充実しているのに、自分はダメなやつなんだ」と劣等感を感じてしまって辛い日々でした。

うつ病をカミングアウトして再就職

実家では母と妹と生活をしていたのですが、母は「焦って転職しなくても、体調が戻るまでゆっくり休めばいいんじゃない」と言ってくれていました。僕の状態を見て、母は社会復帰するにはまだ早いと感じたんだと思います。でも、僕は母の意見を素直に聞けなくて「自分は治ってるから大丈夫だ」と言って、内定をもらった会社に入社を決めてしまいました。

転職活動中は、うつ病のことを開示しないで受けていました。うつ病のことを面接の場で話すと、面接官に就労は困難と理解されて不利に働くと思ったからです。でもどうしても離職期間についての説明がつじつまが合わなくなってきて。

病気を隠しながら就職しても難しいと思ったので、結局自分の体調について話をしても、ちゃんと過去の実績や面接の受け答えを評価してくれて、内定をもらうことができた会社に入社することにしました。

そして、コンサルティング会社に就職し、僕は再び東京に戻りました。

うつ病だったことは所属している部署の役員にも伝わっていました。でも試用期間中に調子が悪くなって出社できなかったとき、それでも「リモートでやってくれる?」と頼まれてしまって。結局できないとは言えず、体調の悪いなか無理やり家で仕事をしていました。

一方で最初に関わったプロジェクトのリーダー2人は、僕の体調のことを配慮しながらサポートをしてくれました。僕はそのひとたちのおかげでプロジェクトを乗り越ることができて、仕事を続けていくことに自信を持つことができたんです。

「このまま、もっと高みを目指して頑張っていこう」と思って、仕事に取組みつづけて2年。自分の部署の仕事以外に役員直下のプロジェクトを任され、外部の方とチームを組んで仕事をするようになりました。

「僕は期待されてるし、できないとは言っちゃいけないんだ」

またそう思い込んでしまい、自分のできないことを言えなくて、以前と同じように全部自分がやらなきゃと無理をしてうつを再発しました。

その後別のコンサルティング会社に転職し、しっかりフォローをしてもらいながら仕事を続けていましたが、また同じことが起きてしまって。結局業務量が膨大で難易度が高いことをやっていくなかで、一人でいろいろ抱え込んで体調を崩してしまい退職をしてしまったんです。

同じことを繰り返して体調を崩していく中で分からないことを素直に聞くことや、人に頼ることができなかったり、出来ないことを出来ないと言えない、自分の性格や考え方と向き合ってなおしたいと思うようになりました。

自分で働く環境をつくるために起業を決意

【イラスト】眉をひそめながら話すはやしさんと、それに対して笑顔で返答する男性
「自分と同じように再発を繰り返して悩んでいる人は、たくさんいるだろう。だったら自分で起業し、事業を通して解決していこう!」

そう決意した僕は、ベンチャー企業で週三日勤務しながら起業準備を始めました。

起業のもうひとつの理由としては、自分がうつ再発を繰り返してきた経験から、自分に合った働く環境を自分でつくっていきたいと思ったことです。

僕が事業でしていきたいことの一つ目は、働き方や対人関係についての考え方の偏りが引き金となっている可能性があるので、そこに気付いて直していくトレーニングをすること。うつ予防にもなるし、発症した後の回復や再発防止にもつながります。自力でトレーニングするのは難しいと思うので、ストレスへの対処法やセルフケアの方法を学ぶことができるリワークプログラムを活用できたら良かったと思います。

二つ目にうつ病患者のご家族や職場のサポートです。治療に専念する時期は日常生活の環境が整っていることが重要ですので、特に同居されているご家族のサポートは重要だと思います。一方で、ご家族がサポートをする上で必要な情報を十分に得られなかったり、身近に相談できる相手が見つからず家庭内外で孤立しているという大きな課題があります。

職場においては、社員がうつ病になっても安心して仕事が続けられる環境をつくるために、治療の経過段階に応じて社員に伝えておくべき情報と社員から確認するべき情報の把握や、復職時に本人や周囲の人たちが働きやすい環境づくりのサポートを行っていきたいと考えています。

僕が新しいチャレンジを決意できたのは、「最後の最後で自分自身を信じている部分」があったからだと思います。例えまた何かにつまずいたとしても、自分だったら、もう一度チャレンジをして、事業を通して新しいものを生み出せるかもしれない。今も明確な答えは見いだせていませんが、どこかで自分だからこそできることがあるんじゃないかと信じています。

そして、僕がうつになったあとも変わらずに接してくれるひとがいて、そういう人たちに勇気付けられたことも大きいです。僕がどういう状態であっても気にかけてくれていて、必要としたときに力になってくれる人たちがいる。それに気が付けたときに、「またチャレンジしてみたい」と思えるようになりました。

変わらない態度で接してくれた母のありがたさ

うつ病に悩んでいたとき、僕は母にとても助けられました。子どもの頃から、うまくいった時もうまくいかなかった時も、そっと後ろから見守られていることでずっと救われてきていました。それは、うつになって再発を繰り返していた時期も変わりません。

もちろん母も心配だったと思いますが、どこかで挽回するだろうという目で見ていてくれたんだと思います。そして、もし治らなかったとしても、きっと変わらない態度で僕に接し続けてくれたでしょう。

うつになったとき、自分の周りからひとが離れていく気がして、僕はとても孤独を感じていました。でも、それは止むを得ない面があるかなと今になって思います。周囲のひともきっと心配だし気にかけてくれているけど、うつ病になったひとにどう声をかけたらいいかわからないというのが本音だと思います。

今は体調が安定していますが、僕ですら現在進行形でうつ病で悩んでいる人と話をする時の難しさは感じます。緊張感があるし、接し方に迷うことが多い。やっぱり、同じ状態じゃないと理解することが難しい部分もあると思います。

じゃあ身近なひとがうつ病になったらどうしたらいいのか。友人や会社の同僚であれば、「何かあったら話を聞くから連絡して」「話がしたくなったら連絡してきてね」と言ってもらるだけで嬉しいと思います。一方で心配してもらえるのはありがたいものの、連絡の返信をせかされたり、今すぐ結論を出すことを求められるとつらいですね。

同居されているご家族の場合は、ご本人との距離が特に近いので「患者さんとの距離の取り方」や「ご家族自身の感情のコントロール」がとても難しいと思います。相談できる窓口はあるので、ご家族も一人で抱え込まずに誰かに頼ることが必要なのではないでしょうか。

うつ病になったことをネガティブに捉えない

昔の僕のように、うつ病になったことを周囲に打ち明けられないひとも多いはず。その背景にあるのは、相手に正しく理解されないことや受入れられないのではないかという不安な気持ちだと思います。

確かにそういうこともあるかと思いますが、僕の場合は「ノーガードでいったら意外と安全だった」というのが実感です。

起業するにあたって、うつ病経験をオープンにするか悩みました。でも、今僕はうつになったことを特別なことやネガティブなことだと捉えるのではなく、自分が生きていく中で起こっていることの一つだと考えています。そうすると、すこし気が楽になりました。

「悩むこと」をもしかしたらマイナスに考えている人も多いかもしれませんが、僕はすごく大切なことだと思います。それは、どんな状況であっても、自分がどうありたいかを問い続ける姿勢が大事だと思うからです。

先が見えずにはっきりしない状態が続くことって、本当にしんどいですよね。そこで何かをあきらめる決断をして、白黒はっきりさせて進んでいくことも一つの選択だと思います。

僕自身は、悩みを抱えてグレーな状態にありながらも、自分らしさや自分のあり方を見つめていくつもりです。自分では、そうやって悩みを抱えながら前に進んでいくことで、自分の成長を感じたり、新しい価値観に気づいて少しずつ生きやすくなっている気がしています。

長期的な視点を持ち、結果よりもまずチャレンジを

【イラスト】「Challenge to myself」の旗をかかげて微笑むはやしさん
うつ病になってから、自分の価値観や生き方は大きく変わりました。実際今でもたまに体調が優れないことがありますが、そういう状態も受け入れて毎日生活をするために意識していることがいくつかあります。

ひとつめは、「長期的な視点で、ものごとを捉える」ということです。

調子を崩しそうな時は、「ここで無理をして何かをすることが本当にいいことなのか」と考えます。そして「じゃあすこしだけ前に進めたら休もう」とか、「この瞬間にできることをやって先に回せるものは回そう」と判断をします。最終的に人から求められている結果を出すことや、自分のやりたいことを達成するために今取れる最善策は考えて選択するようにしています。

ふたつめは、「結果よりもチャレンジすることに重きをおく」こと。

もちろん、結果は大事だと思います。でも以前は、何かをはじめる前からやった後の結果を周りの人にどう評価されるかばかりを気にしていて、それが自分を苦しめていました。だから、まずは自分がやりたいことを選択すること、自分が選択したことに取組む姿勢や行動を大事にしています。

結果は求めていくけど、スタート地点は「チャレンジをしたい」という気持ちや、今まで出来なかったことに向き合っていくことそのものを大事にしています。そして、やった結果を相手がどう捉えるかを過度に気にすることはやめました。

心に無理がなく納得できる生き方をしたい

自分のうつ経験について、けっして無理に前向きな解釈をして新しいチャレンジをする必要はないと僕は思います。

たまたま僕の場合は、自分に起きたことに向き合う中で、ものの見方や人との付き合い方に無理がなくなっていって、最後に残ったのが「もう一度チャレンジしたい」という思いでした。それで起業を選択しただけなんです。

これからも生きづらいと感じたり、悩むことがたくさんあると思います。そんな時も、自分に起きていることや自分のほんとうの感情と向き合って、心に無理がなく納得ができる生き方をしていきたいと思います。

それが僕のうつ病になって気がついた自分らしい生き方です。

うつ病になったからこそできる生き方がある

戻ってきました!工藤です。

林さんは繰り返し、「みんな何かにチャレンジすればいいというわけじゃなく、自分の本当の感情に気づくことが大切なんです」とおっしゃっていました。

自分に向き合い考え抜いた結果、自分の心の奥底にあった願望がたまたま「チャレンジしたい」という思いだった林さん。人によってはもしかしたら、それは「穏やかに家族と暮らしたい」だったり「仕事のやりがいよりも趣味が大切」だったり、それぞれ違うのかもしれません。

人にどう思われるかを気にしたり、人の期待に応えることではなく、何よりも大切なのは「自分の気持ち」。そんなシンプルなことを、林さんから改めて教わった気がします。

今の林さんは、夢があってもけっして自分を追い詰めたり「頑張らなきゃ!」と気負ったりせず、自分のペースを大事にゆっくりと進んでらっしゃるように思います。

私自身も、ちゃんと自分の気持ちを置いてけぼりにせず、「自分だけの自分らしい生き方」を大切に進んでいきたいです。

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(イラスト/ますぶちみなこ