もしもパートナーが精神疾患を患ったら。身近な人に「死にたい」という気持ちを打ち明けられたら。

多くの人にとっては、大切な人の力になりたいと願う一方で、この状況は向き合い続けるのがとても大変なことだと思います。どうやったら治るのか、どんな関わり方をすればいいのか、これからどんな関係性を築いていけばいいのか。正解のない答えを一緒に探していくのは、困難で時間がかかる道のりとなることでしょう。

誰にでも「当たり前」や「固定観念」があり、私自身も支え手になったとき、こうした考え方に縛られていると感じることがあります。たとえば、身近な人の相談に乗っているとき、「こうあるべき」という像を勝手につくり、ときにはそれを押し付けてしまう自分がいる。この「当たり前」や「固定観念」が互いを苦しめていると分かっていたとしても、変えることはなかなか難しいことです。

そんな日々考えていた悩みをより深く考えるようになったのが、境界性パーソナリティ障害、双極性障害、不安障害などの精神疾患があるパートナーと、20年以上共に歩んできた咲生和臣(サキュウ カズトミ)さんの取材でした。パートナーの咲(サキ)セリさんは以前、soarでも自身の経験について、コラムを書いてくれました。

「生きたい」も「死にたい」も、私にとって大切な感情なんです。気持ちの変化が激しい境界性パーソナリティ障害とともに生きる咲セリさん

咲さんが抱える精神疾患のひとつ、境界性パーソナリティ障害は感情のふり幅が激しく、衝動的な行動をとってしまう特徴があります。対人関係において不安定さを抱えていることも多く、咲さんは自傷行為や自殺未遂、咲生さんへの暴力などを繰り返してきました。

ただ、咲生さんの支えや飼い猫との出会いなどを通して少しずつ回復し、現在はWebデザイナーの仕事の傍ら、作家として自身の経験を伝える活動もしています。

2021年6月には、咲生さんとの共著『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。妻と夫、この世界を生きてゆく』を出版。この本では、初めて咲生さんの視点から、精神疾患に苦しむ咲さんと向き合ってきたプロセスに加え、「身近な誰かを支えたい」と思っている人へのメッセージも語られました。

パートナーや身近な人が当事者になったとき、どのように互いを支え合うべきなのか。そして、自分を大切にしながら、日々を生きていくためには何が必要なのか。「当たり前」や「固定観念」にとらわれない、自分たちらしい関係性はどうすれば育めるのか。

咲生さんと咲さんのお二人に、これまでの苦悩や思い出も含めてお伺いしました。

もちろん人それぞれ状況や性格は異なるので、これから綴られる話は“咲さんと咲生さんだけの物語”であり、症状や「死にたい」という気持ちに対してのお二人の向き合いかたは、けっして誰しもにとっての「正解」ではありません。それでもきっと、お二人が精一杯を尽くして歩んできた道のりには、私たちがこれからの人生を生きていくうえで支えとなるようなヒントがあるのではないかと思います。

演劇関係で出会い、一目惚れ。徐々に表れる病気の症状

――まずお二人の出会いから聞かせてください。お二人とも俳優をされていて、演劇の場で出会ったと伺ったんですが、お互いの第一印象はどうでしたか?

咲生さん:初めて見かけたのは、見に行った舞台上で演技をする彼女の姿でした。当時、私は大学を卒業したばかりで、映像会社でフォトグラファーのアルバイトをしながら、芝居の道を志していました。その舞台でトランスジェンダー女性の役をしていた彼女は髪も短かく、男性か女性かも分からなかったけれど、とにかく演者として魅力的だったのを覚えています。

咲さん:恥ずかしいけれど、私は単純に顔がタイプでした(笑)。オーディションで出会ったとき一目惚れしてからは、猛烈にアピールをしていたよね。

【写真】両手を合わせ、にこやかな表情で話すさきせりさん

咲生さん:こんなに「好き」という気持ちを向けられたことがなかったから、新鮮だったのを覚えてる(笑)。僕自身も好意はあったけれど、自分のことを「好き」と言ってくれる人に、「好きを返したい」と思ったことが、付き合い始めた大きなきっかけかも。

咲さん:付き合ってから、私は演劇を辞めて、何もしていない時期があったよね。少しずつ境界性パーソナリティ障害の症状が出てきた時期だと思うんだけど、いつ頃気が付いた?

咲生さん:最初は周囲に個性的な人が多かったのもあって、病気とは思わなかったんだよね。でも、暴力や暴言が繰り返されるようになってから、初めて「病気かもな」と。でも、知識もないし、どうしたらいいのか全く分からなくて。ただ、体調が悪いときに内科へ行くのと同じで、「心の病なら精神科に行こう」という気持ちがどこかにあったかな。

――精神科に行くことは、抵抗がある人も多いのではないかと思います。パートナーが心身の調子が悪そうだけど、なかなか病院に行ってくれず心配だという声をよく聞きます。

咲さん:ある日、精神疾患について書かれているWebサイトを見たら、自分に当てはまることが多く書いてあったんですよ。感情の起伏が激しくて自分をコントロールできない、死にたい気持ちが消えないとか。そこで、初めて「病気かもしれない」と自覚しました。彼と同じで「病気なんだから、病院に行って治そう」と自然と思ったので、抵抗はなかったですね。

でも、なかなか合う病院が見つからなくて症状もひどくなり、自死衝動が強くなるばかりだったので、途中から彼にも病院に付き添ってもらうといったサポートをお願いしました。

咲生さん:病院では「手に負えない」と言われることもあれば、違う病院では「病気じゃないので、病気になったら来てください」と言われることもあって、診断がバラバラなのは困ったよね。こんなに苦しんでいるのに、「病気ではない」と言われたときは、帰り道のショッピングセンターで「そんなわけないだろ」と大声で言ってしまったこともありました。周囲の人が驚いていたのを覚えています。

――しんどい状況が続いているのに、自分に合う病院をなかなか見つけられないのはつらいですよね。最終的に何軒くらいの病院を回ったのでしょうか。

咲生さん:7軒ほどですね。その後、ようやく彼女に合うと感じるお医者様と出会い、症状は少しずつ回復していきました。そのお医者様は、彼女の具合が悪くて病院に行けなかったとき、私だけが代理で行くことも許してくれる先生だったんです。彼女の状況について説明するだけで終わらず、私自身のケアについても気を配ってくれる方でした。母も相談しやすいタイプだったので、自分の気持ちをただ聞いてくれる相手がいたことは大きな支えとなりました。

咲さん:日本は精神疾患への偏見が強い印象があるから、身内でも相談するのが難しい当事者や支え手は多いかもしれないよね。私も義母に病気のことを話されていると知ったときは、「嫌われるんじゃないか」と思って不安だった。でも、本当の娘のように可愛がってくれたし、「病気だったとしても私は好きだよ」と伝えてくれて。今は話して良かったなと思ってる。

咲生さん:講演や当事者へのヒアリングをしていても、精神疾患を持つパートナーを支える人が一人で抱え込んでしまい、自分自身が心の不調になってしまうというケースも多いです。人に言ってもどうしようもならないんじゃないか、言うのが恥ずかしいという方もいるかもしれません。ただ、どうしても一人で抱え続けるには限界があります。

直接解決には至らないかもしれませんが、話すことでちょっと気分が楽になったり、気持ちにゆとりができて仕切り直しができたりします。誰でもいいというわけではありませんが、お医者様やカウンセラー、身内など一人でも信頼できる相手を見つけてほしいなと思います。

【写真】真剣なまなざしで思いを語るさきゅうかずとみさん

繰り返される自殺未遂、いつしか引き止めるのを諦めていた

――信頼できる医師と出会ってからは、具体的にどんなことをされましたか。

咲さん:投薬治療もしましたが、お医者様から言われた言葉で印象に残っているのは、境界性パーソナリティ障害は原因は様々だけど、子どものころ愛情をちゃんと受け取れなかったことから起こる場合も多いということ。あなたの場合も薬だけで治療するのは難しく、愛情を受け取り、成長する必要があるかもしれないと話してくれました。そこで、その日から二人で「生まれ直しの儀式」というものを始めたんです。

この儀式では、毎朝目覚めると「生まれておいで。今日もセリちゃんに会いたいですよ」と、彼が声をかけてくれます。毎日、「今日も生まれてくれてありがとう」と自分の存在を肯定されることで、自己否定感が強い私が少しずつ成長していけたのかなと思います。

――医師のアドバイスを受けて、二人でいろいろ工夫されたのですね。それに加えて、以前soarで寄稿いただいたコラムでは、飼い猫の存在も大きく影響したと書かれていましたね。

咲さん:はい。ある一匹の猫との出会いも、私に大きな変化をもたらしました。その猫の名前は「あい」というのですが、出会ったときから猫エイズウイルス感染症と猫白血病感染症という不治の病にかかっていて。彼と彼のお母さんにも協力してもらいながら、必死で看病を続けていったんです。

自身を頼って甘えてくれるあいに「病気だったとしても、生きているだけで愛おしい」と思えたこと、治療費を稼ぐために働き始めたことは、日々の生活を前向きにしてくれました。

【写真】愛猫のあいを抱え微笑むさきさん

【提供写真】咲さんとあいが映った写真(過去のsoar掲載記事より)

――私も猫を2匹飼っているので、「生きているだけで愛おしい」という気持ちが分かります。

咲生さん:ただ、あいがある日、末期がんで急に亡くなってしまったんです。そこから彼女は「あいにもっとできたことはなかったか」という思いが募ってしまい、重いうつ状態になってしまって。食事をとれず、お風呂にも入れず、一日中ベットの上にいることが3か月ほど続きました。

薬のおかげで少し良くなったかなと思ったら、次は「死にたい」という感情が強く出る躁(そう)状態と、うつ状態が交互に繰り返される双極性障害の症状が強くなっていきました。

咲さん:当時は、ひたすら自殺未遂を繰り返していたんですよ。彼の目の前で手首を切ろうとしたり、建物から飛び降りようとしたり、タバコを飲み込んでみたり、練炭を買ってみたり。私の場合、躁状態とうつ状態が混在する時期がありました。そのため、精神面はネガティブなのに、行動は活発的になり、「死ぬことに意欲的になってしまう状態」が続いたんです。

――自殺未遂が繰り返される日々の中で、身近でサポートする咲生さんにも大きな心の負担があったことと思います。当時はどのようなことを考え、支えられていたのでしょうか。

咲生さん:支えるなんてことは難しく、生きる気力をひたすら削がれていくような感覚で日々を過ごしていました。そんな苦しい時間が増えると、私自身も「生きたい」と思えなくなってしまって。乗り越えられたのは、ひとえに飼い猫がいたからというだけなんです。

自分たちの勝手で飼い始めた子たちを看取らずして、自分が無責任に死ぬわけにはいかない。ただ、その一念だけで生きていて、猫が他界したら「もういいわ」と思っていました。

咲さん:私の「死にたい」という気持ちが彼にも移ってしまったことを、今は本当に申し訳ないと思うのですが、当時は迷惑をかけている相手のことを何も考えられなかったんです。もっと言うと、「なんで私を助けてくれないのか」と思っていたぐらいで。「なんとかしてくれ」「もう殺してくれ、殺してくれ」と、とにかく被害者意識が強い状況でした。

ただ、今振り返って良かったと思うのは、彼が割と私を放置するタイプだったことです。私が自死しようと衝動的に家を飛び出したとき、普通だったら追いかけてくると思うんです。でも、彼は追いかけてこなかった。もちろん人にはよりますが、私は彼が追いかけてこないことで、頭に血がのぼって「死んでやる」「ここから飛び降りてやる」と思っていた気持ちがだんだん落ち着いて、死ぬことが怖くなっていったんですよね。

追いかけられていたら、衝動的に実行したかもしれません。でも、追いかけてこないから死ぬのが怖くなって、とぼとぼ家に帰る。そうすると、彼は怒らずに「おかえり」と言ってくれるんです。こんなことが何度も繰り返されたのですが、彼は無理やり治そうとしたり、連れ戻そうとしたりせず、毎回受け入れてくれました。この姿勢が私を少しずつ変えたと思います。

【写真】腕を組み神妙な面持ちで過去を振り返るさきゅうさんと、穏やかに話すさきさん

――衝動的に家を出ていったとしても、帰ると毎回「おかえり」と言ってくれるのは嬉しいですよね。一方で、放置するという決断は、支え手としてなかなか難しいようにも思います。咲生さんは放置するのを意識的にされていたのでしょうか?

咲生さん:支え手として前向きに「放置しよう」と意識したわけでなく、完全に諦めの気持ちでしたね。毎日のように彼女が暴れるのを止めるのに疲れてしまって、無力感が強かった。家に帰るのが嫌で、遅くまで会社にいたこともありました。いつ彼女が「亡くなった」と連絡が届いてもおかしくない状態で、私自身も無理やり引き止めるのを諦めていたのだと思います。

なので、たまたま彼女が自分の中で咀嚼して戻ってきてくれただけで、私自身が能動的に何かしたわけではありません。結果的に、私たちにとっては「私の放置が良かった」となっているだけなんです。でも、彼女が戻ってきたら嬉しいし、受け入れる姿勢は常に整えておくようにしました。

咲さん:結果論と彼は言いますが、「戻ってきて嬉しい」と毎回伝えてくれたのは、すごく嬉しかったです。幼少期に愛情を受けれなかった経験から、常に「愛されたい」という気持ちが強くて。私が衝動的な行動を繰り返しても、彼は私の割れてしまったコップに愛情の水を注ぎ続けてくれました。

だって、本当は死にたくないんですよね。病気の症状として、自死への衝動が強くなってしまう。その気持ちは嘘ではないし、あのときの感覚を私は否定できません。頭の中で「死ね」という幻聴が何度も聞こえてくるくらいだったので。「でも、やっぱり生きたい」 。そう思ったときに喜んで迎えてくれる人がいたら、「生きてて良かった」と思えるんです。

「生きて戻ってきたことが、どうしようもなく嬉しかった」

――自殺未遂が繰り返された中、どのような経緯で咲さんに変化が訪れたのでしょうか。

咲さん:大きなきっかけとなったのは、私が集合住宅の13階から飛び降りようとした日のことでした。いざ身を乗り出してみたのですが、怖くなって、いつもどおり土砂降りの中、暗い夜道を歩いていたんです。すると、たまたま1台の車が通りかかって、お酒と薬でろれつが回らなくなっている私を見つけてくれて。ただならない状態を見た男性一人と女性二人が私を近くのファーストフード店に連れていき、話を聞いてくれた後、家まで送ってくれました。

咲生さん:その日、彼女は「死にに行くので、1万円ください」と言ってから、家を飛び出していきました。私は財布からお札を抜き出して手渡し、いつものように家で待っていたんです。しかし、明け方近くになって知らない番号から電話が鳴って。電話を取りそこなってしまったんですが、そのあと留守番電話に残っていたのは、切羽詰まった男性の声でした。留守電にはなったけれど、メッセージを残さず切ろうとした声が少しだけ聞こえたんです。

――突然の電話で、きっとすごく驚かれたんじゃないかと思います。留守電を聞いたとき、どのようなことを感じましたか。

咲生さん:知らない男性の声だったので、「きっとセリは本当に逝ってしまったんだ」と思いました。その後、最初に発した独り言が「良かったね」という言葉だったのを今でも覚えています。これで彼女は楽になれる、ずっと繰り返している苦しみからようやく解放されると思ったからです。

でも、次の瞬間、相反する思いも押し寄せました。力づくでも、止められたのではないか。もう2度と会えない。そんな気持ちがないまぜとなる中、30分ほど過ぎたころに家のインターフォンが鳴りました。モニターを覗くと、ずぶ濡れの彼女がいて無事だったことを知りました。

咲さん:飛び降りようした日から約1か月後、彼にその日、何を思ったか聞いてみたんです。すると、目に涙を浮かべながら、話してくれて。「死にたいセリを生かすことは俺のエゴと思っていたけれど、生きて戻ってきてくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。一緒に年を取ることも、二人の未来を夢見ることも、俺は少しずつ諦めていったんだと思う」と。

そのとき、彼も同じように苦しみ、傷ついていたことを初めて強く自覚したんです。大好きな人を「こんなに苦しめてきたのか」と分かったとき、「もう二度と苦しめるか」と世界が逆転したみたいに変わって。聞いたときは申し訳なくてボロボロ泣いていたし、自分自身に対しても何てことをしてきたんだと、歯がゆい気持ちでいっぱいでした。でも、どれだけ謝っても取り返せるものではないから、行動で見せるしかないなと。「生きよう」と決めたんです。

【写真】力強い眼差しでまっすぐ前を見つめるさきさん

――咲生さんが自分の後悔や苦しみ、諦めなど自分の中にある色んな感情を、我慢せずに本音で話してくれたことが変化の大きなきっかけだったんですね。

咲さん:精神疾患のときは自分がつらい状況なので、支えてくれる人を傷つけていると気づかないことも多いかもしれません。「傷ついていた」という彼の嘘のない告白があったからこそ、私の変化は生まれました。彼が我慢し続けていたら、変化しなかったと思うんですよ。

咲生さん:でも、感情に任せて「自分が辛い」と言うのは、マイナスに働くときもあるので、話すタイミングは大事かなと思います。自分の気持ちを伝えた瞬間をハッキリと覚えているのですが、彼女の中で少し余裕が生まれていて、「聞く姿勢」があったんです。私は淡々と話して、彼女も泣いてはいたけれど感情的にならず、その言葉を吸収してくれました。

ずっと一緒にいると、「今日は調子が悪そうだな」とか「今日は気持ちに余裕がありそう」といったことが分かってくるような気がします。気持ちに余裕があって、聞く姿勢が生まれているとき、支えている方は少し自分の気持ちを話してみてもいいかもしれません。

【写真】真面目な表情で語るさきゅうさんと、さきゅうさんを見つめながら微笑むさきさん

――「生きよう」と決めた後、咲さんはどのようなことに取り組んだのでしょうか?

咲さん:投薬治療をしっかりしたのはもちろんですが、境界性パーソナリティ障害に関する書籍をかたっぱしから読んで、自分の認知の偏りと向き合いました。「彼がため息をついたのは、自分が嫌いだから」「今一緒にいられないなら別れたい」というような極端な考え方の癖を理解し、克服するために良いと思ったことは、できるだけ試してみるようにしました。

例えば、彼とケンカをして感情が高ぶったとしても、勇気を出して「撫でて」と言うようにしています。そうすると、彼は優しく頭を撫でてくれるので、極端な自分の考え方に支配されることなく、私も素直に「ごめんね」と伝えられるようになったんです。

不安定なときはありつつも、「ケンカが減ったこと」「笑顔が増えたこと」を実感できるようになっててからは、少しずつ日々の生活が楽しくなってきて。私が笑っていると彼は嬉しそうだし、彼が笑っていると私は嬉しいし、良い循環が生まれていったように思います。

咲生さん:最初は、自分が発した本音にそこまでのインパクトがあったのか分かりませんでした。でも、1年、2年、3年と継続していく彼女の様子を見て、「伝えて良かったな」と思っています。逆に言うと、当事者本人の気付きや決意がなければ、支え手ができることは対症療法的なもの以外なく、周囲がどうこうできるものではないということです。

だからこそ、先ほどお話ししたように、支え手は一人で抱え込まず、信頼できる他者と負荷を分け合うことが大切なのですが、今はその前にもできることがあると考えています。それは「当事者を変える」のではなく、「支え手が変わること」です。サポートする側の人間が、悪気なく当事者を治療という名のもとに「変えよう」としてしまうことも多いと思います。

――「助けてあげたい」という思いから、支え手がこうなってほしいという期待を強く持ってしまうのは、よくあることだと思います。ただ、分かっていたとしても、支え手も一生懸命で余裕がない場合も多いと思うので、なかなか変えるのが難しそうです。

咲生さん:そうですよね。でも、本人が望む場合は別として、私はお医者様であろうが家族であろうが、他者を変えようとすることはおこがましい行為だと思っています。

治療を考えたときに、お医者様の視点だと「日常生活を支障なく送れること」をひとつの線引きとしてゴールに設定する事が多いと、心理学を学ぶ過程で教わりました。例えば、強迫的に手を洗う学生さんがいたとして、その時間が10分以内であれば、学校でも休み時間の中で手が洗えて授業に遅れないから、日常生活に支障がないというのがお医者様のひとつの判断基準となり、この10分をいかに短くできるかが医学的な「治療(=正解)」となります。

もちろんその考え方もひとつの正解ではあるとは思うのですが、私は仮に15分になったとしても、当事者本人が楽になるのであれば、それもまたその方にとっての正解となるのではないかと思っています。

世間の常識、専門家の定めた基準、自分自身の主観。そういったあらゆる「正しい」を一度リセットして当事者と向き合うこと。問題を抱えている当事者を変えるのではなく、サポートする側こそが変わるということ、それが「寄り添うこと」に結び付くのではないでしょうか。

【写真】テーブルの上でさきさんが手を組んでいる

「生きたい」と「死にたい」が共存するのは誰しも仕方がない

――咲さんの決意から時間がたち、お二人の生活はどのように変わりましたか。

咲生さん:サポートに費やす時間が少なくなったので、時間的な余裕が生まれました。なので、フリーのフォトグラファーを続けながら、心理学を学ぼうと大学に通い、認定心理士の資格を取得したんです。この春からは福祉系の専門学校に行き、自分が体験したことについて体系的な学びを深めています。依頼があったときだけ講演や執筆活動もしていますね。

咲さん:私はWebデザイナーの仕事を個人でしながら、自分と同じような苦しみを抱えている人に向けて、執筆や講演活動などを積極的におこなっています。今独りぼっちで死にたくてしょうがない人に、私が今「生きてて楽しい」と思えていることを伝え続けたいんです。

【写真】にこやかに話しながら公園を歩くさきゅうさんとさきさん

――「死にたい」という状態から、苦しい時期を越えて「生きてて楽しい」と思えるようになるのは、とても大きな変化ですね。

咲さん:私は今やりたいことしかなくて、すごく生きるのが楽しいんですよ。でも、病気が完治したわけではないので、「死にたい」という感情が一切ないわけではありません。

何かの拍子に自死衝動が強くなることはあるので、そんなときは頓服薬を飲んだり、彼に今「死にたい」気持ちがあることを伝えて、甘えさせてもらったりしていますね。

咲生さん:一度芽生えた「死にたい」という気持ちはなくなるものでなく、一生消えずに残り続けるものなのかもしれません。私自身、何かきっかけがあるとすぐ針がそちら側に振れてしまうほど不安定な部分はまだありますし、幸せな状態が安定して続くことはないです。ただ、大変だったころと比べて、今ある幸せを嚙み締められる状態にはなってきましたね。

――どちらかが「死にたい」という気持ちを共有したとき、具体的に何かされていることはありますか。

咲さん:私の病気がきっかけで、彼に「死にたい」気持ちが出るようになったことへの申し訳なさがありつつ、受け止めすぎないようにしています。上手な言葉をかけられるほど器用なタイプではないので、頭をマッサージするとか、撫でるとか、スキンシップをするかな。

【写真】公園のベンチに座りながらにこやかに話すさきさんとさきゅうさん

咲生さん:受け止めすぎない、というのは大切だよね。調子がよくないときは、放置すると悪化する可能性があると思います。でも、彼女は今、薬を飲むとかスキンシップといった自分なりの対処法を見つけ、時間とともに立ち直るようになりました。

「生きたい」と「死にたい」気持ちが共存するのは誰しも仕方がないことですし、「そんなこと思ってはいけない」と頭ごなしに否定するのではなく、受け止め、咀嚼し、それでも消化しきれない時には信頼できる周囲の人と分かち合いながら、少しずつでも楽に生きていける方法を一緒に見つけていくようにしてますね。

――「死にたい」気持ちがあるのを否定せず、自分の中の感情の一つとして受容することも大切なんですね。最後に、今二人にとって互いがどのような存在かを教えてください。

咲生さん:今生きてくれていて、一緒にいることに、ありがとうという気持ちです。

これまでの体験を話すと、「なぜ別れなかったの?」とよく聞かれるんですよね(笑)。そのとき、よく引き合いに出すのが猫の話です。猫を飼っていて、重い病気になったら捨てるかと聞かれたら、そんなことしない人が大半ですよね。病気だからといってその猫を嫌いになったり、邪魔になったりすることもありません。それと同じで、調子が悪いときや体調が悪いときがあるのは人間も当たり前だと考えているので、別れるとは結びつかないんです。

もちろん「死にたい」という気持ちが強くなるくらい大変な時期ではあったのですが、それでも楽しいこともいっぱいありましたし、別れるのを考えたことはなかったと思います。

――咲さんはどうですか?

咲さん:私も、生まれてくれて、出会ってくれて、愛してくれてありがとう、という気持ちかな。「この先も、今みたいな日々がずっと続いたら良いな」と思っていますね。

咲生さん:昔は好きな人と年を取って、平凡に最低限の生活を送れるおじいちゃん、おばあちゃんになれたらいいなと考えていたんです。でも、彼女のサポートをする中で、それってなかなか難しいことだなって。「そこまで生きられないよ」と思う日々が続いていました。

でも、今は漠然と幸せを感じられるようになりました。この日々を積み重ねることで、昔描いていた未来像を実現できるかもしれない。少しずつそう思えるようになりました。

今も正解のない答えを日々模索し、関係は変化し続ける

【写真】緑が豊かな公園で、微笑みながらカメラを見つめるさきゅうさんとさきさん

つらかったであろう当時の出来事を淡々と、時には仲良く話す様子に、お二人にしかない愛情や信頼が積み重なった、一言で言い表せない関係性が垣間見えるような気がしました。

当事者を変えようとするのではなく、まず自分が変化できる部分も探してみる。そのプロセスでは周囲に頼りながら、自分を大切にすることを忘れない。

もしかすると、今精神疾患を抱える方、身近な人のつらい時期を支える方にとっては、「咲生さんだからできたのではないか」「二人だから乗り越えられたのではないか」と思う方もいるかもしれません。実際に、支え手としてパートナーの側に居続けることは気力が必要ですし、当事者も何かしらの気付きを得て変わるのは本当に大変な長い道のりだと思います。

咲生さんも「今のような状況になれたのは結果論であり、全ての人が同じやり方でうまくいくとは思っていない」と語っていました。きっと今もお二人は日々様々な工夫をしながら正解のない答えを模索していて、その関係性も変化し続けているのでしょう。だからこそ、その歩みには、どのような状況のパートナーでも参考にできるエッセンスが詰まっていると思います。

信頼できる人に頼りながら自分を大切にすること。正解を押し付けるのではなく自身が相手のために変えられる部分を見つけること。相手の状況を見ながら本音で対話してみること。どれも簡単なことではありませんが、私自身も誰かと関わるときに意識していきたいです。

取材を終える前、同席した編集部スタッフが思わず、Zoomに映し出されているお二人の仲の良い姿を見て、「この光景をずっと眺めていたい」と語りました。私も深くうなずきました。

関連情報:
咲セリさん Twitter

著書
「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。妻と夫、この世界を生きてゆく

(執筆/庄司智昭、撮影/モリジュンヤ、編集/工藤瑞穂、企画・進行/小野寺涼子、協力/高木淳史、金澤美佳