「どうしたらうつ病で悩む人が減るのだろう。私にできることはあるのだろうか」
新卒で働き始めた頃、親しい友人がうつ病になったことから、私はずっとそんなことを考えてきました。精神疾患に興味を持ち、自分なりの情報収集もしてきましたが、その友人が激務の末にうつ病になったことから、私の興味はずっと働き方や予防方法に向いていたと思います。
時間が経ち、私のまわりでも子どもを育てる選択をする友人が増えてきました。そんななかで、私にも新たな視点が加わり、こんなことを考えるようになりました。
もし、“親”の役割をもつ人が精神疾患になったらどうなるのだろう。その子どもたちはどんなふうに育つのだろう…と。
これまで当事者の苦しみについては考えを巡らせてきましたが、その子どもにまでは想像が及んでいなかったことに気付いたのです。
そんなことから、精神疾患の親をもつ25歳以下の子どもや若者の支援に取り組んでいる「CoCoTELI(ココテリ)」の存在を知ったとき、その活動内容にとても興味を持ちました。
「精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会」を目指すCoCoTELIの代表を務めているのは、自身も精神疾患の親をもつ平井登威さんです。
平井さんは現在22歳で現役の大学生。2021年にCoCoTELIに参加し、オンラインの居場所づくりや個別相談などを行っています。2023年にはNPO法人格を取得し、今は大学を休学してCoCoTELIの活動を広げることに注力しているそうです。
平井さんご自身の経験や、子どもや若者にどんなサポートが必要と考えているのかについて伺いながら、私自身も大人として、精神疾患の親をもつ子どもや若者に何ができるのかを考えました。
幼稚園のときに、父親がうつ病を発症。激しい喧嘩や暴力も
平井さんは、両親と11歳年上の姉の家族の元に生まれました。幼い頃はとにかくやんちゃで親や幼稚園の先生から、それを注意されることも多かったといいます。
幼稚園の頃、父親がうつ病を発症しました。その当時の出来事や、それに対する自分の想いを鮮明には覚えていないという平井さん。今振り返って、あのときはこんな気持ちだったのではないだろうかという視点で話をしてくれました。
父がうつ病を発症する前とした後の違いなどは全く覚えていないのですが、調子が良くないと、家族を怒鳴ったり、殴ったり、包丁を振り回したりするなんてこともありました。
今考えると、うつ病の症状のひとつに「攻撃的になる」というものがあるので、病気による症状だったのかもしれません。
特に怖かったのが、父と当時高校生の姉が激しい言い争いをしていたことです。歳の離れた姉は僕のことをすごく可愛がってくれていたので、そんな姉が親と揉めている姿を見るのは子どもながらに辛かったんじゃないかなと思います。
父と姉、そこに母も加わり、自分以外の家族3人が言い合っている姿を平井さんは今も覚えているといいます。
家に“安心感”を感じられなかった平井さんですが、仲が良かった友達に誘われてサッカーを始めることになりました。当初は練習場に行っても、サッカーをするより、脇でする砂遊びの方が楽しいと感じていましたが、サッカーがこの先の平井さんの心を支えることになるのです。
大好きなサッカーに打ち込むものの、家のことは誰にも相談できない日々
小学校に入学する頃になると、放課後と休日のほとんどを練習に注ぎ込むほど、サッカーの魅力にどっぷりとはまっていきました。学校でも友達とわいわい過ごし、楽しい学校生活を送っていたそうです。
でも学校やサッカーがどんなに楽しくても、家に帰るときは「嫌だな。帰りたくないな」と思っていました。自分の家庭が普通ではないということに気がついたのも、小学生の頃だったと思います。
両親同士の喧嘩が日常茶飯事だったり、父親が母親の首をしめる姿を目撃したり。小学生の子どもにとって不安になる要素がたくさんある家庭で、平井さんは毎日を過ごしていました。
とにかく地雷を踏まないように、父の機嫌を損ねないようにと息を詰めて過ごしていたような気がします。例えば、「夕ご飯に唐揚げとハンバーグどちらが食べたい?」と聞かれたときにも、まずは「お父さんの機嫌を損ねない選択肢はどちらだろう」と考えていました。
小さな自己決定をすることすら難しい。そんな日々のなかで、毎日のサッカーの練習は平井さんにとって楽しみのひとつでしたが、両親にとっても精神安定剤のようなものだったのです。
サッカーへの送迎は父がしてくれたのですが、僕のプレーの調子が良ければ父の機嫌が良くなったし、悪ければ雰囲気が悪くなるという感じでした。僕自身サッカーが大好きだったというのは嘘偽りがない事実ですが、父のためにサッカーをしていたというのも本当です。
そんな複雑な思いは周囲から気づかれることもなく、平井さんは一人で悩みを抱え続けました。
家庭のなかはこんなにもゴタゴタしているのに、サッカーへの送迎を毎回してくれていた父の姿を見た友人からは「家族の仲が良いんだね」と言われることもあって。普通ではない家庭のことを周りには知られたくないと思うようになり、家族の困り事を先生や友達に相談するというのは考えもしなかったです。
“相談したかったけれど誰にも相談できなかった”のではなく、“相談するという選択肢すら思いつかなかった”。
まだ視野が広くない幼い子どもにとって、自分の身の回りに起こっていることが、相談するべきことなのかという判断すらも難しいのだということを、改めて知りました。
「地雷を踏んだら家族が終わる」緊張感と危機感のなかにあった家庭生活
中学生になった平井さんは、クラブチームでさらにサッカーに熱中します。「親のためにやっている」という想いも心の片隅にありましたが、サッカーが大好きな気持ちは変わることがありませんでした。
今振り返るとですが、サッカーをやっていたことは僕にとってすごく良かったと思うんです。シンプルにみんなで声を出しながら体を思いっきり動かしたり、ぶつかりあったりすることで、ストレスが解消されていた気がします。チームに点が入ったらみんなでめちゃくちゃ喜んだりするのも、純粋に楽しかったです。
家庭のなかでは少し変化がありました。数年前に結婚して家を離れていた姉が実家に戻ってきたのです。
しかし、父親と姉の折り合いが悪く、小さなきっかけで争いが勃発するように。いつも父親がいるリビングに姉がやってくると、その瞬間に空気が悪くなるのが分かったといいます。
「地雷を踏んだら家族が終わる」そんな想いにかられながら日々を過ごしていました。
僕自身もいろんなことにむしゃくしゃしていました。父に対してもですが、父とのゴタゴタをつくる母や姉にもです。僕のことを一生赤ちゃんだと思っているのではないか、という態度で接する母にもイライラして、気持ちをぶつけることもありました。
僕も力がついてきたので、殴られるばかりではなく、父と殴り合ったこともあります。そして、僕の方が力が強くなって、父が僕に勝てなくなってからは手を出すことはなくなったんです。
友達の家族と自分の家族を比べて、羨ましく思ったり、悩んだりするようにもなりました。でも、それをいくら考えたとしても自分の家族が変わることはない、と平井さんは諦めにも似た気持ちを持っていたそうです。
結局中学になっても、まわりの人に自分の家族について相談することはありませんでした。
もっと違う世界を見る。そのために15年近く熱中したサッカーを辞める決断
中学を卒業する頃には、すでにサッカー歴は10年。技術を向上させた平井さんは、県のなかで毎年ベスト4に入るサッカー部がある中高一貫校の高校へ入学しました。
当時の平井さんはプロサッカー選手を目指していたので、大きな希望を持って高校生活を始めました。
でも、入学早々怪我をしてしまって、数ヶ月思ったようなサッカーができなくなってしまったんです。それでも、できる練習はしていたので、朝練や放課後の練習などで家にいる時間は減りました。親の送迎も必要なくなったので、家族の喧嘩を見ることや、僕と親との喧嘩も減ったと思います。
とはいえ、決して家庭環境が安定していたわけではありませんでした。怪我のため試合に出られなかったので、父が平井さんの試合を見ることが減り、そのことで精神状態が悪化。お酒の量が増え、平井さんや家族への暴言に繋がってしまったのだといいます。
さらには、両親が平井さんのサッカーのことを巡って喧嘩をしていたこともあったそうです。
喧嘩自体はいつものこと。でもその原因が僕のサッカーとなると話は違ってきます。
喧嘩の後に泣いている母に「こんなことになるんだったらサッカーは辞める」と宣言しました。すると母が「私がなんのために今まで我慢してきたのか分かっているの?あなたのサッカーのため、あなたが普通でいられるためにここまで頑張ってきたのに」というようなことを言ってきたんです。
もう本当に腹が立って腹が立って。このときは母のことが本気で嫌いになりました。
それでも、サッカーを続けた平井さん。怪我で試合に出れない期間にチームが全国大会への出場を決めたときは、涙が出るほど嬉しい気持ちと、悔しい気持ちが入り混じっていたと振り返ります。
さまざまな出来事が起こり、大学でもサッカーを続けていくかどうか、平井さんには迷いが生まれました。
サッカー推薦で大学に行こうと思っていたんです。でも、その後プロになれるだろうかと考えたときに難しいかもしれない。。これまでずっとサッカーしかしてこなかったので、それ以外の世界を見た方がいいのではないかとも思って、高校で辞める決断をしたんです。
平井さんのサッカーを精神安定剤のようにしていた両親はもちろん、辞めることに大反対。
母からは「今まであなたのために頑張ってきたのに」という平井さんが一番嫌いな言葉を改めて聞くことにもなりました。それから数日間ごはんを作らない、洗濯もしない、何もしないという状況だったといいます。
でも、平井さんが意志を曲げることはありませんでした。激しい言い合いを乗り越え、15年近く続けてきたサッカーを辞め、平井さんは高校を卒業したのです。
心に芽生えた“家庭環境で困っている人のために何かしたい”という想い
平井さんが大学に入学し、実家を離れて大阪で一人暮らしを始めたのは2020年。世界が“コロナ禍”のなかにあった時期でした。
家を出て感じたのは、とにかく大きな罪悪感でした。自分だけが家から逃げてしまったというような感覚です。特に母に対しては、父に刺されているんじゃないか、そんな家に母を置いてきてしまったという罪悪感がありました。
大学に入学はしたものの、オンライン授業で新しい友達をつくるという環境ではないし、外にも出かけられない。ひとり悶々と家のことを考えたりして、とにかくキツかったです。
SNSを開くと、地元の友人たちはコロナ禍のなかにあっても、楽しそうなやりとりをしているのに心がざわざわしたそう。
たまに高校時代の友人と、電話をしながらやるオンラインゲームだけが心の拠り所で、夜から朝の5時まで続けていたことも。より良い未来を思い描けない、大学生活のスタートとなりました。
そんななかで転機となったのが、その年の秋頃に開催されたある交流会への参加です。コロナ禍のせいでなかなか繋がりが持てない状況で、大学生同士の関わりを作るために企画されたものでした。
そこで出会った友人たちが、自分のやりたいことをきちんと言語化し、挑戦していることに衝撃を受けました。そのとき、ぼんやりと家庭環境に関することを何かやりたいとは思っていたのですが、なかなか言語化まではできていなかったので、すごく影響を受けたんです。
そして、そこで出会った友人たちには、自分の家庭環境のことを生まれて初めて少し話すことができました。
新たな出会いを経た平井さんは、家庭環境で悩んでいる人たちのために何かをしたい、という自分の想いに目を向けるようになったのです。
初めて同じ立場の友人と出会い、共感すること、してもらうことの大切さを実感。それがCoCoTELI参加のきっかけに
自分もやりたいことに向かって行動したいと考え始めた平井さんに、SNS上で新たな出会いが訪れます。それが、自分も精神疾患の親を持ちながら、同じ立場の精神疾患の親をもつ子どもたちの支援をしたいと考えていたある同年代の人でした。
まず同じ立場の人に初めて出会ったんです。初めてオンラインで会話したときは、親のこと、家のこと、これまでのことをもう4時間くらいぶっ通しで話し倒しました。共感してもらえること、共感できることがこんなにも心強いのかと実感しましたね。
物心ついたときからあったのに、自分でも気付いていなかったかもしれない孤独感が晴れていくようでした。
それは、幼い頃から複雑な家庭状況を知られたくないと隠し続けてきた平井さんが、初めて誰かに本当のことを話した瞬間だったのです。
自分自身の経験から、誰かに話して共感してもらえるのがどんなに大事なことか実感した平井さんは、今まさに苦しんでいるかもしれない、精神疾患の親をもつ子どもの支援への気持ちをさらに強く持つようになります。
さまざまな出会いを経て、2020年12月、CoCoTELIは任意団体としてその活動をスタートしました。
2023年5月にはNPO法人格を取得し、平井さんはCoCoTELIの代表となり、現在は大学を休学して活動に注力しています。
精神疾患の親をもつ子ども・若者を支援し、そういった子どもたちがメンタル不調を抱えてしまうという社会課題を解決する「CoCoTELI」
CoCoTELIが取り組んでいるのは、精神疾患の親をもつ子どもや若者のサポート。その先に目指すのが、「精神疾患の親をもつ子ども・若者が高確率で自身のメンタルヘルスに不調を抱えてしまう」という社会課題を解決することです。
精神疾患の親をもつ子どもは全体の20%以上いると言われています。そういった子どもたちは、そうでない子どもたちに比べてメンタル不調を抱える確率が2.5倍高いとも言われているのに、そこに向けた組織的な支援は今の日本にはほぼゼロなんです。
彼らの居場所をつくるために、CoCoTELIはオンラインでの居場所づくりと個別相談の2軸で活動をしています。
居場所づくりでは、コミュニケーションアプリを使用して、チャットでのやりとりを行っています。そこにはさまざまなチャンネルがあり、精神疾患の親をもつことで生まれる悩みを相談できる「悩みを話す部屋」があれば、気軽に日常の話ができる「今日あったいいことを話す部屋」「雑談の部屋」など、コミュニケーションしやすい工夫がされています。
また、月に何度かゲストを呼んで座談会をしたり、メンタルヘルスの勉強会をするなど、オンラインでのイベントを開催。当日参加できなくても、後日動画を見る子ども・若者たちも多いといいます。
個別相談では、運営メンバーが1対1で相談に乗ったり、雑談の相手になったりすることも。必要に応じて団体内にいる精神保健福祉士などの専門的な知識を持つ人につなぐことができる体制もつくっています。
運営は僕も含め、支援の対象年齢である25歳以下だったり、25歳は過ぎていても、そこまで歳が離れていない若いメンバーで担っています。その方が話しやすくて相談のハードルは下がるはずだと思いますし、そもそも大人に対する信頼感を獲得できていない子たちもいるので、現状は歳の近いメンバーが対応するのが良いのではないかと考えています。
現在CoCoTELIでは、200人前後の子ども・若者たちと繋がっています。親が精神疾患であることで悩んでいたり、不適切な養育環境や虐待などがあり、親のことを常に気にしながら生活をしなくてはいけないという子どもたちはかなり多いそう。
そして、なかには「親が問題を起こし家の前にパトカーがきた」「親の自殺未遂現場に遭遇した」など、まだ子ども・若者である彼らが一人では抱えきれないようなケースもあるといいます。
そういったことや日々の小さな困難が重なって子どもたち自身のメンタルの不調にも繋がってしまう、という現状があるのにも関わらず、彼らが支援にアクセスすることが難しい。平井さんたちは、その社会構造を変えようと日々活動しています。
ピアサポーターと、当事者ではない人、その両方が支援のなかで大切な存在に
CoCoTELIは、当事者が当事者をサポートするピアサポーター制度をつくるため、今年からピアサポーター養成講座を始めました。
同じ立場の人と出会う、話すってとても意味のあることだと思っています。そして、当事者同士だから安心して話せるという側面があると思うんです。
自身の経験から、平井さんはピアサポーターが持つ力を感じています。
また、CoCoTELIに繋がった当事者のなかには、自らピアサポーターになりたいと望む人もいるのだとか。
ピアサポーターを養成していくうえで、もともと当事者である彼らの心身の健康を守っていく土壌をつくろうとしています。
それは、人をサポートすることによって、ピアサポーター自身の心や体力を削ることはあってはならないこと、という考えがベースにあるからです。
そのために養成講座では、自分の守り方やメンタルケアをはじめとして、人との境界線の保ち方、アサーションなど相手を尊重しつつ自分の意見を主張するコミュニケーション方法などを学びます。加えて、講座の参加者とは定期的な面談も予定されているそうです。
ピアサポーター養成講座は、トライアルのような「0期生」という形でスタートしました。まだまだ課題も多いのですが、手応えもありましたね。
参加者から『同じ境遇だからといって、具体的な体験や感じ方も同じとは限らないと気付いた』という感想ももらい、こういった場の必要性を強く感じました。
ピアサポーターの存在に意味を感じている平井さんですが、決して当事者が支援に関わることにこだわっているわけではなく、今後はさまざまな人と協働していきたいと考えています。
精神疾患の親をもつ子ども同士だと、同じラベリングがあるから話しやすくなったり、互いに共感できることは確かにあります。でも、社会に出たら圧倒的に「そうではない人」との関わりが多くなり、しかも、自分の境遇を理解してくれる人ばかりではないんです。
なので、当事者ではない支援者の存在もピアサポーターと同じくらい、もしかしたらそれ以上に大切だと思っています。
また、子どもや若者との年齢が近いということは、それだけ年齢が若いということなので、支援に関する専門性は反比例していることが多いんですよ。当事者であるピアサポーターたちが、自分ができること・できないことの線引きをしっかりとしたうえで、専門性を持った方を巻き込み、力を借りながら進んでいきたいです。
原体験があったからこそ、繋がったCoCoTELIでの活動。でも、活動するうえでは自分の原体験は忘れることに
2020年から始まったCoCoTELIの活動も3年が経ち、活動を通して、参加する子どもたちや若者にも変化が見られているといいます。
相談することへのハードルがぐっと下がったように見える人や、何かあるたびに連絡してくれるようになった人も多いそう。もちろん、家庭の中まで見ているわけではないので、環境が大きく改善されたわけではないかもしれませんが、個人の変化として、それはとても大きなものだと平井さんは考えています。
自分たちに相談したことで、身近な人…たとえば友達とかに家庭のことを相談してみようかな、という気持ちになった子もいるようです。友達に相談して、その先に欲しかった反応が得られるかはわかりませんが、そういう気持ちになるということが、まずは大きな1歩なんじゃないかと思います。
ここで僕たちとコミュニケーションを取ることで「人に頼ってもいいんだ」「Noって言ってもいいんだ」と、自分を守る力をつけていってもらえればと考えているんです。
精神疾患の親をもつ子どもたちは、常に親を優先する生活をしているケースが多く、なかなか自分を優先したり、自分の想いを語ったり、自分を主語にするのが苦手な場合もあります。これから社会に出た先で、自分を守っていくために、CoCoTELIでそれらの成功体験を重ね、自分を主語にする力を養うことがとても大切だと考えているそうです。
平井さんは活動を経て感じる自分自身の変化は特にないと話しますが、自身もつ当事者であるからこそ、活動していくうえで、あえて“自分の当事者性”は忘れるようにしているといいます。
もちろん僕自身の経験は、1人の人間の人生の一部として大切なものだと思います。ただ、僕が団体の代表としてやっていくうえで、自分の原体験をこの活動の意志決定に影響させてはいけないと思っているんです。
一般的に、当事者でもあり、代表でもある人がメディアに取り上げられる際に、「同じような体験がある子どものサポートする○○さん」ということがクローズアップされることがよくあります。でも僕の過去の体験にばかり焦点が当たってしまうと、世間に対して間違ったイメージを与えてしまうかもしれない。
この活動のきっかけは僕の原体験だけれども、活動の目的は精神疾患のある親をもつ子どもや若者へのサポートがないこの社会構造を変えるため。原体験と活動の関係性を俯瞰して捉え、全く別のものとして考えるスタンスをとっていかないと、いつの間にか独りよがりな活動になってしまう気がするんです。
今は活動の初期段階なので、僕の原体験を伝えたほうが理解してもらいやすいと思うのですが、徐々に精神疾患の親をもつ子どもにまつわる課題の本質的な部分に着目してもらえるよう、発信を意識的に変化させていきたいと考えています。
また、当事者と関わるうえでも、自身の当事者性についてしっかり意識しておくべきだと平井さんは考えています。
子どもや若者から相談を受けたときに、自分の原体験を押し付けることはすごく暴力的だと思うんです。でも、僕の原体験があることでその子が話しやすかったり、勇気づけられるきっかけになる場面もあると思います。もちろんそういうときは積極的に当事者として話を聞きたい。
あくまで一対一の関係の中で、必要とされた場合に自分のことを話していけたらと思います。
当事者である自分と、当事者を支援する立場である自分。その関係性について、平井さんは考え、葛藤しながら活動を続けています。
今後はオフラインの活動にも注力。WEBメディア開設で、さらに多くの子どもたちに情報を届ける
現在はオンラインでの活動に重きを置いているCoCoTELIですが、今後はオフラインの活動にも力を入れていく予定です。
今はX(旧Twitter)で繋がる子どもや若者が多く、居住地は北から南までさまざま。オンラインの支援だからこそ、住む地域を選ばずに多くの子どもたちのサポートができました。
その反面、Xで繋がる子どもたちは高校生以上が大多数。それより年下の子どもたちはSNSを使用しておらず、なかなか繋がりづらいという側面もあります。
高校生や大学生だと、すでに精神疾患の親からのネガティブな影響が出てしまっているケースも多いんです。でも僕たちはそうなる前の予防をしたい。できれば、小学生や中学生の子どもたちとも出会いたいので、今後は地域に入っていき、社会側からそういう子たちの存在に気づくような仕組みを作っていきたいです。
たとえば僕らが地道に小学校や中学校などでこの話題について話す機会を増やせば、当事者の子どもたちと出会う可能性が増えていくだろうし、メンタルヘルスなどの知識が社会に浸透することにもなるんじゃないかなと思っています。
誰かに相談したい、CoCoTELIと繋がりたいと思っても、その一歩を踏み出せないケースもあります。
そんな子たちのために考えているのが、webメディアでの情報発信。精神疾患の親をもつ人にインタビューをして記事にすることで、ロールモデルの体験を参考にできたり、専門家によるコラムなどを掲載して、より多くの子どもたちに相談しなくてもロールモデルや必要としている情報を届けられる可能性をあげることを目的にしています。
また、活動を通して社会が持っている誤解を解消していきたいとも考えているのだとか。
たとえば、最近社会で広く知られるようになったヤングケアラー。こちらは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どものことを指します。
広く知られてきたからこそ、精神疾患の親をもつ子どもとヤングケアラーが同一のものとして語られることも多くなっています。
精神疾患の親をもつ子どもが必ずしも全員親をケアしているとは限りません。でも、親をケアをしていないからといって、困難がないというわけではないのです。ケアやその他の困難の一歩手前にある「名前のないフェーズ」へのサポートを必要としている子どもたちも多くいます。
ヤングケアラーと精神疾患の親をもつ子が、混同されることで見過ごされてしまう問題もあると思います。僕らが精神疾患の親をもつ子に焦点を当てて発信することで、社会に見逃されている課題があるということを知ってもらえたら、とも思っているんです。
精神疾患のある親も、その子どももみんなが幸せになれる社会をつくりたい
これまでの出来事やCoCoTELIの活動について振り返って話してくれた平井さんに、「今自分の親のことをどう思いますか?」と質問してみました。「すごい綺麗なことを言おうと思ったけど…やっぱりやめます」と平井さん。
CoCoTELIの活動は、僕自身の原体験がなければそこに加わることすらなかったと思います。でも、僕の言動力となっているのはやっぱり、今まで見過ごされ続けてきた社会課題を解決するということ。
それでも、原体験がなければこの活動には繋がっていないと思うので、原体験に意味はあったと思いますが、やっぱりあの体験があって良かったとまでは今も言えません。
平井さんは今、幼い頃の自分にサッカーをさせてくれていろいろなサポートをしてくれたこと、最終的にサッカーをやめて大学に進学させてくれたことなど、両親にはとても感謝しているといいます。
だからこそ、自分の原体験を伝えることで自身の親を、そして精神疾患のある人を“悪”には絶対にしたくないのだそう。CoCoTELIが精神疾患の親をもつ子どもに対しての発信をすることで、精神疾患のある人への非難に繋がることがないようにしたいと、平井さんは強く訴えます。
そして、精神疾患のある家族が自分たちだけで問題を抱え込まないために、平井さんはこんなことを教えてくれました。
精神疾患の親をもつ子どものうち、6割ほどが「親から自身の病気についての話を聞いたことがない」という統計があるのだそうです。
僕自身も親と病気についてちゃんと話したのは大学生になってからでした。でも、子どもは自分だけ知らない疎外感とか、親の調子の悪さを自分のせいだと感じて苦しい思いを持ったりするので、話すことはとても大事なんじゃないかなと思うんです。
病気について伝えれば、さらにその先のことも話せます。たとえば、「お父さん、お母さんが調子悪い時はこのひとに相談してね」とか。
一つ一つの家族ができることとして、親戚、友達、病院、行政など頼れる先を、親も子どももあらかじめ把握しておくといいのではないか、と平井さんは話します。
家族として依存先を複数持っておくこと、それを子どもにもしっかりと伝えておくことが大事だと思っているんです。
精神疾患の有無に関わらず、それができていれば子どもも頼り先ができて、あらゆる問題を1人で抱え込むことは少なくなる。これは全てのパートナーシップ、その間で子どもをもつという判断をした時には大事なことだと感じます。
そしていつかはそれが制度になって、精神疾患をもつ親もその子どももみんなに頼り先があって、人権が尊重されて、安心して生きていける。そんな社会ができたら、いいですよね。綺麗事かもしれないけど、綺麗事を諦めてはいけないと思うんです。
ラベルではなく、一人ひとりを理解することで生きやすい社会がつくられていく
話を聞きながら、平井さんが解決しようとしている社会課題に対して、私は何ができるだろうかということを考えていました。
たとえば、子どもを育てる親しい友人が精神疾患になったとしたら、直接その子どもに対して何かできることを探せるかもしれません。でも、あちこちにいるかもしれない、精神疾患の親のもつ子どもに対してできることは、この日、私は見つけることができませんでした。
そんな私に、こんなことを語ってくれた平井さん。
精神疾患の有無や、親がどうこうではなく、目の前の人としっかり向き合うことが大切なのかなと思います。その人の声をしっかり聞くこと。たとえば同じ「精神疾患の親をもつ子ども」だったとしても、すごく困っている子もいれば、困っていない子もいるかもしれない。
ラベルで判断するのではなく、その人一人ひとりを理解すればもっとみんなが生きやすい社会になるのかなと思っています。
最後に、まさに今家庭のことで苦しんでいる子どもや若者に対しては「自分の感情を大切にしてほしい」と平井さんは話します。
こう思ったらいけないということはないんです。みんなが悲しいと感じる場面で、嬉しいと思ってもいい。それを表現するのは危険なこともありますが、自分の感情は否定することなく、大切にしてほしいと思っています。
平井さんの目指す、精神疾患のある人でも安心して子どもをもつことができて、親も子どもも幸せに生きられる社会。それが実現したらとても素敵だなと思います。
そんな社会の一員でいるために、私自身も誰かの感情を否定しない人間でいたいです。もしも、困っている人がいたら一緒に解決方法を探せるような大人でいたい。
そう心に決めることが、いつかどこかでこの日平井さんに聞いた子どもたちをサポートすることにも繋がるかもしれないと思っています。
関連情報:
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(撮影/野田涼、編集、企画・進行/工藤瑞穂、協力/阿部みずほ、山田晴香)