【イラスト】赤ちゃんを抱きながら、笑い泣きしているたまいこさん

こんにちは。soarライターの玉居子泰子です。いつもは、素敵な活動をされている方々へのインタビューを通じて、記事を書いていますが、今日は6年前にわたしの体験したことをコラムに書かせていただきます。

「妊娠糖尿病」。この病名をご存知の方はいるでしょうか? 妊娠・出産を経験されている方は、聞いたことがあるかもしれません。

妊娠糖尿病は、その名の通り、妊娠がきっかけで発見または発症した”糖尿病には至っていない”糖代謝異常のことです。本人が気がついていないだけで妊娠前から糖尿病だったというケースもありますが、妊娠中にこの血糖コントロールが効かなくなってしまうのが妊娠糖尿病。

出産が終われば、血糖値は落ち着くことが多いのですが、一度かかると次からの妊娠にも影響が出たり、将来本格的に糖尿病になるかかる率が高くなったり。何より母体にも胎児にもリスクが高い病気で、近年増えている妊娠トラブルのひとつと言われています。

私がこの病気にかかったのは、2人目の妊娠中でした。妊娠糖尿病と診断された妊娠期間中に、計3回、3ヶ月以上入院し、最終的には予定日より2ヶ月以上の早産で娘を緊急出産。その時、娘の出生体重はわずか1246gでした。

おかげさまで、今では娘は元気いっぱいに育ち、5歳になっています。でも、一歩間違えれば、無事に生まれなかったこともあり得るし、心身の障害や疾患を負っていた可能性も十分にあった、ということはいつも心に残って、消えることはありません。

実は、私は自分がなってみるまで、このやっかいな病気について、全く知らなかったのです。ひとくちに妊娠糖尿病とってもいろいろなケースがあり、私の個人的な体験が全てでは決してないのですが、今後妊娠を望む方はこういう病気があるということを知っておいて損はないのかな、と思います。大切な妊娠期を、私のように不安の中で過ごす人が一人でも減るように、と今回このコラムを書かせてもらうことにしました。

引っ越し・妊娠・地震。そして突然の「妊娠糖尿病」。

6年前の2011年3月。私は思いがけず二人目の赤ちゃんの妊娠に気付きました。その直後、11日に東日本大震災が起きます。この時、妊娠に気づいてはいたものの、震災が起きて東京中が不安定だったことや、引っ越したばかりの土地で産婦人科選びに苦戦していた事もあって、しばらく、産科の診察は受けられずに過ごしていました。

一人目の妊娠・出産はほとんど何の問題もなかった私は、今回は助産院での出産を希望していました。長男が生まれてから、食べるものにも気をつけるようになり、忙しすぎる生活にも少しゆとりを持って過ごすようになっていたし、震災後の意識の変化もあり、水、食べ物など、環境のことにも思いを馳せながら、自分の心と体に向き合って過ごしたい、とこの妊娠を希望のようにも感じていたのです。

ようやく見つけた信頼できる助産院の検診を受けたのは、すでに妊娠三ヶ月目くらい。そういう私にとって、「妊娠糖尿病」という聞きなれない病気にかかったことは、本当に晴天の霹靂でした。

妊娠4ヶ月目に提携する病院で血液検査を受けました。その際に、ひとつだけ引っかかったのが食前の血糖値でした。

「ちょっと高くて引っかかったけど、まあ、よくあることだし、おそらく大丈夫でしょう」という担当医の言葉を、その時の私は屈託なく信じていました。そういえば、検査前日は食べ過ぎてしまったかも、と。

その後の半日がかりの再検査の時もまだ、「早く検査を終えて息子に会いたいな」とのんきに構えていました。しかし、1週間後に分かった結果、食後の血糖値の数値が通常よりもかなり高く、妊娠糖尿病にかかっていることが判明しました。

突然告げられた、妊娠糖尿病。ハテナの中の入院

「は? 入院?」

「妊娠糖尿病」と告げられて、何のことやら頭の中がハテナだらけの私は、すぐに別室に移動し、20分くらいかけて担当医から説明を受けました。

妊娠糖尿病であることが確定した以上、助産院での出産は認められないこと。
血糖値のコントロール指導も含めた治療のため、入院しなければならないこと。
胎児への影響も著しく、胎児の奇形や流産、死産につながる可能性があること。

「胎児への影響は、妊娠・出産を続けていく中でしかわからないことなので、これから頑張ってコントロールしていきましょう」

医師は、冷静に、そう告げました。

1歳になったばかりの長男を置いての即入院も不安でしたが、やはり気になるのは、最後に言われた、胎児への影響のことです。呆然としながら、家に帰る途中、スマホでおそるおそる検索をすれば、妊娠糖尿病のリスクが雪崩のように出てきました。

「先天奇形」「流産」「早産」「巨大児」「肩甲難産」「出生児低血糖」「高ビリルビン血症」

中にはもう何のことやら意味が全くわからないものもあったけれど、ただその言葉の羅列にゾッと背筋が寒くなったのをよく覚えています。

妊娠糖尿病で入院、初日に感じた初めての胎動

【イラスト】お腹に触れ、違和感を感じている表情をするたまいこさん

暗い気持ちのまま、翌日入院。治療って何なのか、どれくらいの期間入院すればいいのか、よく聞かされないままに6人部屋に案内されました。満床で空いているのは、片側3つ並んだベッドの真ん中だけ。看護師さんがいなくなると、幅2メートルほどの空間に横になり、天井を見つめることしかすることはありません。天井を見ながら、私は、ただただ自分を責め続けていました。

「どうしてあんなにたくさん食べちゃったんだろう。地震が起きなくてもっと早く検診を受けていたらよかった? いや、そんな問題じゃない。今、このお腹の子は、どうなってるんだろう……」

くよくよ、くよくよ考えているうちに、ふと、お腹の中で「ぐにゅ」と何かが動きました。胎動にはまだ早いので、腸が動いたかな、と思っていると、また「ぐーにゅ」「ポコ」と何かが動きます。あれれ?と思うとまた「ポコッ」。

まさかまさか、と思う私の心に応えるように、お腹がぐにゅぐにゅと動きつづます。なんだか可笑しくなってきて、何度目かで、これはもう赤ちゃんだ、と確信していました。

「かか〜。だいじょぶ。だいじょぶよ〜」

そういえば、おしゃべりができるようになった頃から娘はよくそんなふうに言う子でした。なんとなく疲れていたり、あーあと思うような時、娘の隣に座っていると、そーっと頭を撫でてくれて、「だいじょぶよ」と言ってくれる、今も娘はそんな女の子です。あの時はわからなかったけれど、小さな胎児の時から娘は娘だったんだな、と今ならわかります。

赤ん坊の存在の強さに励まされるような気がして、そうだ、もう過ぎたことをくよくよするのはやめよう。赤ちゃんはこうして元気だって知らせてくれているんだし、これからできることをやっていって、無事に出産できるように私も頑張ろう、とあの時も娘に助けられて、私は心に決められたのだと思います。

数値にとらわれる妊娠の怖さ

最初の管理入院は、基本的に食事のコントロール指導のためのものでした。食前、食後に血糖値の計測を行い、その数値を見て、食事のカロリーや回数を調整していきます。

毎回目をつぶって測定を待って、心の準備ができてからそっと目を開けるのですが、数値が規定値よりも超えていると、どうしてもその度に、がっくりしてしまいました。

藁にもすがる気持ちで、食後はなるべくウォーキングをしたり、病院の階段を上り下りしたりしました。少し運動をすると気分も晴れるし、心なしか数値も下がる気がします。病院の指導に従いつつも、インターネットで血糖値が上がりにくい食材について調べたりしながら、退院後も血糖値をコントロールする方法を自分なりに探っていました。

その後合併症で、切迫流産・早産を併発し、何度も入退院をくりかえすことになり、妊娠が進むにつれて、些細な自分なりの努力ではどうにもならないほど血糖値が乱れることになっていくのですが、この頃はせめて、なんとか自分でできることをした“つもり”でいないと、どうにもこうにも落ち着かなかったのでしょう。

今振り返ると、きっと真面目に糖尿病妊婦を頑張り過ぎていたんだなあ、と思います。

妊娠糖尿病で入院中、産科病室で出会った面白く悲しい人たち

入院生活は決して喜ばしいものではないのですが、実は同じようなトラブルを抱えて入院している妊婦さんとの相部屋は、想像以上に楽しいものでした。

朝食の時間になると、シャーッ、シャーッとカーテンが勢い良く開く音がして、「おはようございます」と向かいのベッドや隣のベッドの妊婦さんに挨拶が始まります。長い眠れない夜が終わったことを知らせる明るい空が見られるだけで、少し気分が上がりました。

入院しているのは、皆トラブルを抱えた妊婦。ずっと同じ部屋にいると、自分がなぜ入院しているのか、どんな体調なのか、という話が当然のように続きます。トラブルの内容は、同じく妊娠糖尿病の人もいれば、高血圧症だったり、切迫流産・早産だったり、と様々。妊娠初期の人もいれば、お腹が随分大きくなっている人もいました。安静度も様々でしたが、中には、出血が止まらずに、ベッドから動けない人もいました。

妊娠ってこんなにたくさんのトラブルが出てくるものなんだ、というのが正直、驚きでした。

入院中の1日は長く、単調で、その分私たちはよくおしゃべりをしました。みんながどんな生活をしているのか、どんな家族がいるのか、どんな食べ物が好きで、どんな休日の過ごし方が好きなのか。TV番組の感想を話し合ったり、漫画を貸し借りしたり。話に耳を傾けて笑っていると、自分が「ハイリスク妊婦」だということも忘れてしまえる気がしました。

それでも、明るいみんなの心の中には、常に「無事に産めないかもしれない」という不安が渦巻いています。

そんな重い気持ちはふとしたことで顔を出しました。

ある雨の日、朝食後の検診時に、同室の妊婦さんが「血圧がなんで下がらないんだろう」と言って急に泣き出しました。なんと慰めていいかわからないまま、しんとなった病室で、今度は、切迫流産で入院している女性が、「出血が止まらない」と言って肩を震わせました。

悲しい気持ちは、伝播します。自分ではこの瞬間にはどうしようもできない、体の不調。1日に何度も使う測定器にピッと現れる数値だけが、残酷に現れてきます。

赤ちゃんが無事に産めないかもしれない、という不安は、巨大な黒い影のように私たちの心に染み入ってきます。

この日の晩御飯は、みんなが楽しみにしていたビーフシチューでした。でもみんなカーテンをきつく閉め、それぞれに不安な気持ちを抱えたまま、静かにスプーンを運んでいるだけでした。

奇跡の虹。妊婦たちの祈り。

【イラスト】窓を開けて、虹を嬉しそうに眺めるたまいこさん

翌朝、雨が上がり、穏やかな青空と光が窓から差し込みました。

「あ、虹だ!」と窓辺のベッドにいる人が言って、みんなわらわらと窓の近くに寄ってきました。「ああ、恵みの虹だねえ」と誰かが言って、みんななぜか自然に手を合わせて、拝んで、笑いました。昨日あんなにみんなすすり泣いていたのに。

昨日無事生まれたらしい赤ちゃんを見に行こうと、連れ立って新生児室の前へ向かいました。ガラス越しに数人のピカピカの赤ちゃんが保育器に入って眠っているのが見えました。まあるい顔。ちいさい足。小さい小さい爪。魔法のように、美しい姿をしていました。数値に振り回される私たちだけど、このお腹の中では、人がもう育っているんだ、と思うと、静かな感動が染み渡りました。みんな静かに赤ちゃんを眺めています。

無事に赤ちゃんを産めるかわからないけれど、大事なのは、赤ちゃんを信じて、その時を待つことなんだな。

そんなふうに思っていると、隣にいた女性が言いました。「玉居子さん、この体験本にしなよ」と。

私がライターだということを知っていての発言です。本になるかはどうかはわからないけれど、この面白くて悲しい妊婦さんたちのことを忘れたくないな、と思いました。メモは取っておこうかな。そんな風に思って書いた日記が、このコラムの元になっています。

妊娠糖尿病は恥ずかしいこと?

私は、実は妊娠糖尿病になったということを、周りの人に告げるたびに、毎回なんだか恥ずかしい気がしていました。「糖尿病」という名前が、必ずしもそうではないにもかかわらず、「生活習慣が原因」というイメージが付きまとっているせいもあったと思います。

でも、突然の長期入院で仕事にも差支えが出て、周りの人に伝えたり、Facebookで近況をお知らせしたりすると、意外なことに「実は私も妊娠糖尿病になったことがある」という人から何件もメッセージが届きました。9人の子供がいる年配の友人は、「私は9回の妊娠のうち9回、妊娠糖尿病だったよ。」と、知り合って10年以上経って初めて聞く話を長いメールに書いてきてくれました。

糖尿病の怖さは実感していたけれど、いろんな「糖尿病妊婦」の顔が見られることで、私は反対に少しずつ気が軽くなりました。

後期になって食事の管理だけではどうしても血糖コントロールがうまくいかなくなり、いよいよインシュリンの自己注射を打つことになった時も、「自分のお腹に針を打つ」ということに抵抗がなかったかといえば嘘になります。でも、「いろんなリスクを考えたらインシュリンを打って、しっかり食べて、赤ちゃんを育ててあげるのが一番だと私は思ってるよ」という1型糖尿病患者の友人の言葉を思い出したからこそ、私もくじけず、自分でお腹に針をさせたのだと思います。

妊娠に耐えられない体と、覚悟が生まれる心

妊娠後期に入ると、血糖値が高くなっただけでなく、今度はお腹の張りもすごくなって、キューっとお腹が硬くなるのが1日に何度も起こりました。

もうこのままでは、いつ生まれてしまうかわからない。胎児はまだ8ヶ月で1000g程度しかないから、生まれたらすぐにNICU(新生児集中治療室)に送らないと危ない。なんだかどんどん体は妊娠に耐えられなくなっているようでした。

でも、このころには不思議と私の中で、静かな覚悟みたいなものが生まれていました。

長い入院生活の間に、本当にたくさんの人たちが、すごく忙しいなかわざわざお見舞いに来てくれました。たっぷりと時間だけはあるベッドの上で、同室の人と話したり、インターネットを通じて過去の友だちからの心がこもった手紙を読んだり、見舞いに来てくれる家族や友人と過ごしたり、これまで私が出会った人たちのことを考えていると、不思議と心は温かくなりました。

リスクのある妊娠をしているからって、単純にそれが悪い人生を送ってきたというふうに考えるのは、やっぱりおかしい。それよりも、私と人生をこれから一緒に過ごすお腹の子のことを想像しよう。どんな子なんだろう。どんな風に私たちと生活していくんだろう。

いつの間にかそんな風に、妊娠を前向きに捉え、お腹の赤ちゃんともよく会話するようになっていました。

真夜中の緊急搬送と帝王切開

ある夜、張りを測定してくれていた看護師さんが、数値を見て青ざめた顔をして、「玉居子さん、これってほぼ陣痛なんですけど、痛くない?」と聞きました。私は幼い頃から痛いのが苦手でがまんができない、と家族にからかわれていたけれど、不思議なことに、こと陣痛に関しては人より痛みを感じにくいらしいのです。

そこからはバタバタと緊急入院先を先生方が探してくれて、ようやく決まった、救急車で1時間ほどの総合病院に真夜中運ばれることになりました。

もう就寝時間を過ぎていて暗くなっていた部屋だけれど、きっと同室の皆さんは大騒ぎに眠ることもできずに、息を潜めて耐えてくれていたんだと思います。
いよいよ担架に乗せられて運ばれるという時、みんなそそろそろとカーテンを開けて、手を出してくれました。

「頑張って」「大丈夫だよ」「絶対元気な赤ちゃん生まれるよ」

一瞬で連れて行かれたので、ほとんど何も応えれられないままの私に、小さな声で励ましてくれたみんなの声が、忘れられません。

聞けなかったはずの産声が聞けた日。

【イラスト】赤ちゃんを抱き、泣き笑いするたまいこさん

搬送された病院で一夜を過ごしたものの、陣痛レベルの子宮収縮は収まらず、翌朝にはやはり急いで帝王切開をしましょう、ということになりました。8月31日妊娠30週のこと。11月3日の予定日より2ヶ月以上前でした。

「ああ、せっかくなら夏休み最後の日より、9月1日生まれにしてあげたかったな。夏休みの宿題を溜めちゃうタイプの子なら、誕生日パーティどころじゃないもんな」

そんな風にぼんやり考えていると、執刀してくれる産科医とNICU担当の小児科医が足早に部屋に入ってきました。先生からは緊急帝王切開における母体へのリスクや赤ちゃんに起こりうる影響の可能性の説明を受けました。

「いろんな障害の可能性はありますが、一つだけ、先に言っておきますね。肺が小さすぎて声を出すことはできない可能性も高いので、おそらく産声は聞けないかもしれません。でも、僕が、全力でマッサージしますから」

光が差し込む部屋で、先生の方を見ると、ずいぶん若い先生でした。「この人、いい人だな。仕事熱心なんだろうな」と私は妙なところに感心していました。

手術は順調で、お腹がモニョモニョと引っ張られたかと思うと、数十分して、真っ赤な塊がひっぱりあげられました。とてつもなく、信じられないほど小さい、赤い塊でした。
あ、と思うと、その塊が、小さく「ひえ〜・・・」と言いました。

「わあ、泣いた! すごい! おめでとう女の子ですよ」

先生と看護師さんが言い、あっという間に娘は、少し離れたところに待つ小児科医のところに運ばれました。

赤い塊だと思ったものは、小さな小さな私の赤ちゃんで、保育器に横たわってコロンとこちらを向いた眉毛は、私の父親のものにそっくりでした。

じーっとみつめながら、涙がとめどなく流れました。うーうーと呻くような自分の泣き声と、汗をかきかき小さな体をマッサージしながら「がんばれ、がんばれ」とつぶやく先生の声が、術後の麻酔で眠りに落ちるまで、ずっと聞こえていました。

どんな妊娠も命がけ。だからこそ、その体験すべてが愛おしいのだと思っています。

今回、このコラムを書くにあたって、私は妊娠中の日記や 血糖値の記録票、NICUに入院していた娘に当てた手紙や記録などを、6年ぶりに読み返していました。娘は本当に元気いっぱいで、あの妊娠も自分にとっては「いい思い出」と思っていたはずですが、記録を読み直すのは、結構骨の折れる作業でした。

でも振り返った時、妊娠期を支えてくれたすごくたくさんの人たちのことを思い出せて、そのおかげでこの子は元気に入られるんだなあ、と改めて娘への愛情が湧くのです。

娘はその後NICUに2ヶ月お世話になり、様々な検査や治療を乗り越えて、奇跡的に何の後遺症も発症せずに、退院することができました。出産予定日の1週間前でした。今では、走り回ってケガばかりしている、おてんば少女に育っています。

思いがけないトラブルと入院を通して、たくさんの妊婦さんに出会うことができました。そして、改めて、どんな妊娠も命がけだということを、私はこの娘の妊娠・出産でつくづく思い知らされました。

お腹に赤ちゃんが宿るということは、一見幸せなことのはずだけれど、その体験は一人一人本当に異なります。たくさんの戸惑いや涙もあって、周りからは想像がつかないような辛い結果が待ち受けていることもあるかもしれません。

でも、だからこそ、赤ちゃんがこの世に生まれてきたら、その存在は本当に奇跡的で尊いものだと思いたい。そして、その命を宿したお母さんの体験は、意味があるものだと、私は思いたい。このコラムは一人の母親が、ある時に体験した妊娠の体験談ですが、もし読んでくださった方が、そんなことを考えるきっかけにこのコラムがなってくれたら、嬉しいです。

【イラスト】たまいこさんの娘さんがたまいこさんと腕を組み、2人で笑っている

参考資料:
日本糖尿病・妊娠学会 ホームページ
公益社団法人日本助産師会  助産業務ガイドライン
一般社団法人日本糖尿病学会 科学的根拠に基づく糖尿病診療ガイドライン2013

(イラスト/ますぶちみなこ、監修/井上いつか)