【写真】乳がん経験者向けの下着を手に取る、ぼーまんさん

こんにちは!乳がん経験者の方に向けた下着屋「Clove(クローブ)」を運営するボーマン三枝です。

私は、2013年の31歳のとき、結婚3か月目に乳がんが見つかりました。乳がんが見つかってから1か月後には、右胸全摘手術とセンチネルリンパ節生検を受け、同時再建はしませんでした。術後の病理検査で転移がない事が分かり、その後は無治療を選択しました。もちろん、現在も定期的に病院に通い主治医に診てもらっています。

そして、2016年の5月に、「下着屋Clove」を立ち上げ、2017年 8月からオンラインショップで乳がん経験者の方に向けた下着の開発・販売を行なっています。また、若年性乳がん経験者をはじめとした乳がん経験者さんに向けて、自分のがんの経験をブログで発信したり、乳がん経験者が不安や悩みを口に出せるおしゃべり会を運営したりしています。

今回は、私が乳がんだと宣告されてからどのような思いで生きてきたのか、そしてどのように現在の活動へと繋がったのかなどについてお伝えしたいと思います。

夫と結婚した三ヶ月目に、乳がんであることが発覚

20代の頃は、朝も夜も関係なく、休日も休むことなくずっと働くような生活を送っていました。29歳か30歳頃に、ふと右胸にしこりをみつけたことがきっかけで家の近所の病院を受診することにしました。

受診するときは、「まぁ、大丈夫だろう」と思っていたのですが、検査結果は「経過観察」。「半年後にまた検査しましょう」と言われることが何度か続き、6か月に1回の検査を繰り返していました。

31歳のとき、夫と結婚をして、県外へ転居します。そして、転居先のクリニックで検査をしたときに乳がんが見つかりました。結婚をした3か月目のことでした。

先生からは、「あなたのがんは早期に発見されたから、治療できる可能性が高いがんです」という意味を込めて「おそらく早期の乳がんだと思います」と伝えられました。しかし、私の耳に残ったのは、「あなたは…がんです」という言葉のみ。

がんになる可能性はとても高いにもかかわらず、心のどこかで「私には関係ない」と思っていたのです。当時は心の準備も乳がんの知識もなく、「がん」という言葉を聞いただけで「死ぬかもしれない」と考えてしまいました。「抗がん剤のツライ治療で入院したり髪の毛が抜けてしまうのか?」と不安なことばかりが頭に浮かびます。

【写真】明るい表情を見せるぼーまんさんの横顔

瞬間的に死を連想し、頭の片隅では死ぬかもしれないと思っているものの、先生からの説明を受けるうちに、どうやらすぐに死を迎える事はなさそうだと理解しました。

結婚したばかりで新しい事が始まったばかりのキラキラしていた未来を手放したくない。新しい部屋、新しい仕事、新しい生活。そしていつか新しい家族を迎えることを思い浮かべると、夫や母親よりも先に旅立つわけにはいかないと思いました。

一人でクリニックに行っていたため、帰りがけに夫にはどう伝えようかと悩みつつ、電話で伝えました。なるべく平気な感じで伝えようと思っていたものの、いざ電話を掛けると言葉が詰まってなかなか出てこなかったことを今でも覚えています。

また、距離的に離れている実家の家族にも、「病名はショッキングかも知れないけど、驚かずに聞いてね」と前置きした上で状況を説明しました。当時は、どのようにすればショックを与えずに伝えられるのかについてすごく悩みました。

残りの人生の過ごし方に向き合い選んだ、乳がんの治療方法

告知を受けると、いろんな選択を迫られます。

私の場合、主治医には5年間のホルモン剤による治療をすすめられましたが、ホルモン剤での治療中は避妊をする必要があるとのこと。がんの告知を受けたのが31歳、手術は32歳で受けることになるので、それから5年間ホルモン療法を終えると、37歳。決して妊娠を諦める年齢ではありませんが、年齢を重ねるにつれ、妊娠できる可能性が低くなるのではないかと考えると、絶望的な気持ちになりました。

主治医には「子どもが産みたい」と伝えたのですが、難しい状況にあるということを厳しく伝えられ、ある意味、がん告知以上のショックを受けました。

36歳で出産した今は、「35歳を過ぎたからって子どもを諦める年齢ではない」とよく分かります。

ただ、当時は不安で、「将来私たちの子どもは難しいかもしれない」と夫に相談しました。そのときの夫からの提案は、私が少しも考えなかった「養子縁組」でした。私は、自分の周りで養子縁組をしている人を知りませんでした。どこか遠くの話のようで、すぐに「そうしよう!」とは言えなかったものの、絶望の奥底にいる自分と一緒に絶望的になるのではなく、状況を前向きに考えてくれたこの提案には救われました。

【写真】にこやかに笑みを見せるぼーまんさん

夫が前向きに考えてくれたおかげで、私も、どのような治療を選択するのかについてしっかりと向き合うことができました。また、主治医には、病気についての不安を質問するだけではありませんでした。子どもを産みたいということなど、将来どのような人生を送りたいのかについて積極的に話し、「私の描く将来に合った治療法は何か?」について相談しました。

どの治療が合っているのかどうかは個人差がありますし、その人の望む未来によってケースバイケースです。主治医の先生やご家族と一緒に「将来を踏まえて何が一番自分に合っているのか?」を考え抜くことが大事だと思います。

乳がん経験者に出会って、ひとりじゃないと思えた

入院が決まってからは、インターネットで乳がんについて様々なことを調べる日々を過ごしました。ネット情報は必ずしも全てが正しい訳ではありません。意図的に悪質な情報もあれば、意図せずに偏ってしまった情報もあります。それを承知しつつも、少しでも何か情報がほしくてネット検索がやめられない状態でした。

そこで、乳がんを経験した方が自らの罹患経験を機に立ち上げた「一般社団法人KSHS」を知りました。KSHSでは、乳がんに関する情報発信やサポートをされています。年に1度「KSHS全国大会」を開催されていて乳がん治療から乳房再建に関わる各診療科の先生による講演や、乳がん経験者の方と交流することができます。

その年の大会のお話の一つに「乳がん経験者の妊孕性(にんようせい=妊娠する力)温存について」がありました。若年性がんや妊孕性についての事は情報が少ないし、ネット以外で正しい情報がほしい!と思い、参加を決意します。

(参考資料:平成24年度厚生労働科学研究費補助金(第3次対がん戦略事業)乳癌患者における妊孕(にんよう)保持支援のための治療選択および患者支援プログラム・関係ガイドライン策定の開発班編『乳がん治療にあたり将来の出産をご希望の患者さんへ』)

緊張しながらも参加すると、そこには500名ほどの参加者がいました。乳がん経験者の方に実際に胸を見せてもらったり、触らせてもらったりすることができる場で、交流しやすかったです。

その中でも、60歳くらいの女性とお話をする機会がありました。その女性は、10年くらい前に手術で片方の胸を全摘し、その後自家組織で乳房再建をされたとのことでした。そして、最近になって再発が見つかり、対側を全摘出、今度はインプラントで乳房再建されたそう。

左右に仕上がりの違いはあるし、失ったものが元に戻るわけでもない、けれど胸がある生活は間違いなく嬉しい

女性は、そう言っていました。

【写真】笑顔でインタビュアーに笑顔を見せるぼーまんさん

それまでは乳がん患者として、誰に話を聞けば良いのかわからず、孤独感を感じていました。しかし、同じ立場の人に会って、「世の中にはこれだけ多くの人が乳がんになったり、パートナーの方が乳がんになっていたりするんだ」と思えたことで、「自分は一人ではないんだな」と思うことができたのです。

家族と夫に見守られ迎えた、手術当日

手術前は、悪いものが身体にあると思うと落ち着かず、少しでも早くとってほしいと思っていましたが、いざ当日になるとさすがに緊張でいっぱいになります。もし急患が入ったなら喜んで譲りたいと思う程でした。

同室で入院していて、先に乳がんの手術を受けた女性が「私たちの主治医は名医なのだから、安心して任せれば良いんだよ」と声を掛けてくれたりもしました。

新幹線や飛行機を使っての遠出が苦手な母は、手術の前日に姉と一緒に来てくれました。「せっかくこっちに来たのだから少しでも観光して帰ったら?」と言っても「そんな気になれん」と言われ、病院からみんなでスカイツリーを眺めました。

緊張しても仕方ないと思っていながらも、手術室につく頃には緊張で手はキンキンに冷え、足も歩きにくいような変な感じがしていました。

【写真】爽やかな笑顔を見せるぼーまんさん

そんなこともありながら、手術を終え、直後は、全身麻酔の影響で寝たり起きたりを繰り返していました。術後の傷は痛むし、ベッドで長く横になっていると腰も背中も痛くなりました。その様子を見ていた夫は、後から「あのときのように三枝が辛そうな姿はもう見たくない」と言っていました。

退院後には、別の姉夫婦も甥っ子を連れてきてくれて楽しい時間を過ごしました。生後6か月になった甥っ子はとても可愛くて、ついつい抱っこをして「高い高い〜!」と持ち上げていました。姉はその様子を見て、手術の後にあまり重いものを持たない方が良いのでは、とヒヤヒヤと見ていたようです。

がんが転移しているかどうかなどは、詳しい状況が分かるのは手術後の病理検査の後と言われていました。結果によっては抗がん剤などの治療が必要だし、「最悪の結果だってあり得るのではないか?」と、病理検査の結果が出るまでの1か月の間はモヤモヤした気持ちで過ごしました。

結果、がん細胞は転移していなかったのです。「おっぱいが私を守ってくれたんだ!」と思いました。

実は、昔から、まな板、洗たく板などと揶揄されることも少なくはなく、「もっと魅力的に大きかったらな~」なんて思う事はあっても、胸があることで感謝することはありませんでした。

しかし、このときは、「よく耐えて守ってくれて、本当にありがとう」と心から自分の胸に感謝をしました。もうさよならしてしまったけれど、ありがとう、と今でも思います。

手術のため入院した際のご様子(提供写真)

ただ、手術後に気になるのは見た目でした。乳房にメスを入れる訳ですし、私は全摘出してしまったのですから、これまで身に着けていた下着や、胸元のあいている涼しげな服も着づらくなってしまいました。手術をする前の夏は、ブラカップが付いているタンクトップ1枚で過ごせていたのに、それはもうできなくなりました。

みんな悪くないのに、みんなが嫌な思いをしている。乳がん経験者のために何かしたいと思うように

服装に関する悩みがでてきた頃、あることをきっかけに、乳がん患者に向けた下着屋を立ち上げたい気持ちが強くなります。それは、温泉施設に行ったときのこと。

趣味が旅行と温泉である私は、手術の後も温泉に行きました。県外の有名な温泉どころに行く事もあれば、家の近くの温泉施設に行くことも。遠くの温泉に行くときは、まわりの目は気にせずにそのまま入ってましたが、家の近くに行くときは、手術傷を隠すためのカバーである入浴着を付けていました。

しかし、入浴着を身に着けて、ゆるりとリラックスタイムを過ごしているところへ、施設のスタッフの方がやってきてささやいたのです。

お客様、お洋服をとっていただく事はできますか?

私が身につけていたのは、乳がんを経験した人が使う「バスタイムカバー」という入浴着であることや、全国の温泉施設で使用が認められている事を伝えましたが、いまいち伝わらず…。

入浴の際に着用するバスタイムカバー(提供写真)

「誰か入浴客が通報したのかな?」と思いつつ、スタッフの方には、「『バスタイムカバー』で調べてみて下さい」とお伝えしました。

少し時間が経ったころ、スタッフの方が戻ってきて、申し訳なさそうに「失礼しました、そのままごゆっくりお過ごしください」とささやいて去って行ったのでした。私を見て「洋服を着て温泉に入っている」と不愉快に思ったお客さん、私に声を掛けて気まずい思いをしたスタッフの方、服を脱げと言われた私。

みんな悪くないのに、みんなが嫌な思いをしている。私は言われても平気だけど、同じ経験をしたら傷つく乳がん患者もいるだろう。

これは、乳がんについて何かしたいと思うきっかけの一つになりました。

乳がんを経験した方以外にも、乳がんの事を知ってもらえるような情報発信が必要です。また、乳がんを経験した方には、気持ちを前向きに一歩外に踏み出せるような何かが必要だなと感じました。

最初に目を付けたのはカップ付きタンクトップ。これにパットが入るポケットさえ付いていたら、乳がん経験者も身に着けられるのに、と漠然と考えていました。出来れば可愛いデザインで身に着けて気軽に外に出られるもの!そして、これって乳がんを経験した私にしかできない事なのではないかと思いました。

【写真】満面の笑みを見せるぼーまんさん

そのときはもう、乳がんの告知で悲しみに暮れていた自分ではありません。病理検査の結果、転移はしていないとわかった頃から、気持ちは前向きになっていました。

そして、実は20代の頃からずっと、何か自分でビジネスをやってみたいと言う気持ちがぼんやりとありました。でも、私にしかできないこと、寝食忘れて打ち込めること、などが見つからなかったのです。

今の私は、これまで乳がんの先輩たちの経験を聞いたり、再建したおっぱいを見せてもらったり励まされてきた。そろそろ私も後輩に何かできたら良いな。

おっぱいに守ってもらった人生、やってみたい事はやってみようと思い立ったのです。

乳がん経験者の見た目の悩みを解決する下着屋「Clove」

こうして私は、「パットの入るタンクトップを作りたい」と思うようになりました。それを身に着けて気軽に外に出られる、ヨガなどのアクティビティをする事ができる。気分が上るようなデザインで、それがきっかけで一歩外に踏み出せるようになれば、と考えました。

既存のものは、医療向けのためパットポケットが大きいものが多かったのです。身に着けているときも、パットが動きやすいく着心地に問題があったり、デザインもオシャレさに欠けると感じていました。

また、乳がん経験者の方の中には治療の副作用で、「ホットフラッシュ」という症状に悩む方もいます。ホットフラッシュは、突然の大量の発汗、のぼせ、ほてりなどの不快症状のことです。汗をかいた後の肌着が肌に張り付いて気持ち悪い、また、汗が引いた後は汗を吸った肌着が冷えて背中から冷えてくる、などの問題があります。ホットフラッシュに悩む乳がん経験者のための肌着というのはこれまでになかったので、作りたいと思うようになりました。

お店の名前は、がん(Cancer)の頭文字にloveをくっつけ、下着屋「Clove」と名付けました。

【写真】くろーぶのパンフレット。「乳がん経験者が手がけるホットフラッシュさんのための汗に強いサラッと肌着」という説明が書かれている

下着作りについては、協力してくれる縫製工場探しから始め、2017年頃から本格的な試作品作りをスタート。その後、複数の乳がん経験者に試着・モニターをしてもらい、改良を重ねて開発。胸のパットの出し入れの利便性やホットフラッシュ対策満載の肌着が完成しました!

デザインにも機能にもこだわった、乳がん経験者のための下着

【写真】くろーぶの下着。小さなレースがあしらわれている

下着のポイントは、大きく分けて3つあります。

1つめは、パットポケットが付いていて、右でも左でも手術で失った胸のボリュームを補うパットを入れて身に着ける事ができること。パットは動きにくく、飛び出しにくいようにできています。

【写真】くろーぶの下着を手に取って見せるぼーまんさん

2つめは、素材です。糸に強く捻りをかけた強撚綿(きょうねんめん)100%を使用し、汗をかいてもサラりとしているのが特徴の生地です。ホットフラッシュが出た後も、生地が肌に張り付きにくく快適に過ごせます。

3つめは、胸の下はストレッチレースで安定させ、締め付けや痛みのないようにしました。乳がんの治療を受けると、ブラジャーのワイヤーやゴムの締め付けを痛く感じやすいんです。また、このストレッチレースが華やかで見た目もかわいらしいのです!

【写真】ストレッチレースのアップ写真。細かく華やかなデザインになっている

他にも、大量の発汗の中でも一番気になるわきの汗を吸取るわきパット付けたり、「お腹を冷やしたくない」とのご意見もあったので、身丈を長く設定したり。縫い目が肌に当らないようにフラットに縫う、タグは外につけるなど、着心地にこだわって改良し続けました。

立ち上げたときは、応援の声がとても多かったです。肌着をつくるに当たり、クラウドファンディングをしましたが、家族・友人・かつての上司、また、お会いした事のない方まで応援してくれて感激しました。

【写真】インタビュアーの方に笑顔を向けるぼーまんさん

また、私は自身の経験を伝えるため、ブログを書いています。読んでくれた方からメールをいただくこともあります。「乳がんになってから子どもを授かったが、その後の授乳や卒乳のタイミングを悩んでいる」と、まわりに同じような経験をしている人がいなくてネットで検索している中で、ブログを見て連絡をくれたようでした。

また、私が「乳房再建を考えている」とブログに書くと、電話で注文をしてくれた際に経験者からアドバイスをいただく事も(笑)!とてもありがたい仕事だなと実感しました。

若年性乳がん経験者特有の悩みを持つ人へ、私の経験が役に立つのなら

私は、病気の事は必ずしも全ての人が公表する必要はなく、言いたい人にだけ言えば良いと思っています。自分が心地よいのが一番だと思うのです。

ただ、乳がん経験者として起業すると決めたときから、ブログで病気を世間に発信することで悩んでいました。公表することで、自分が乳がんだったことが知れ渡り、将来自分の子どもが特別な目で見られるのではないか」、「周囲の人に気を遣わせるのではないか」と思うと不安だったのです。

【写真】ぼーまんさんの前には、くろーぶの下着が置かれている

そんなときに、若年性乳がんサポートコミュニティ「PinkRing」より、「若年性乳がん患者の『妊孕性』をテーマにした座談会をして、冊子をつくるから参加してみないか?」と声を掛けられました。

そのときに冊子に顔と名前は出しても良いかと聞かれたのです。本名や顔を出して自分の経験を発信する乳がん患者は数が少ないけど必要とされているのだと感じ、夫に相談しました。

すると、夫がくれたのは「you should be proud of it」という言葉。

「乳がんの経験は恥じるような事ではなく、むしろ難しいことに向き合った証。誇れることだよ」という意味です。

こうして、私は本名や顔を出しての参加を決意しました。

ボーマンさんご夫婦(提供写真)

若年性乳がん患者にとって、その後の恋愛、結婚、妊娠、出産などの女性にとっての大イベントが難しい課題になりがちです。

仲良くなった男性にがんの事を伝えるとき、「それが理由で関係が破綻しまうのではないか」、「乳がんを理由に結婚を断られるのではないか」、もしくは、「がんの自分が結婚したら相手に迷惑をかけるかもしれない」など不安や心配は繊細で様々です。

もし私も独身だったら同じように感じていたかも知れません。

夫は難しい状況の中でも前向きな点を探すのが上手な人でした。例えば、育休中のときに家事をしていると、当時1歳の子どもをほったらかしになってしまうことが続き、「そういった状況が長くなると、自分としては辛い」と話したところ「一人で遊ぶ時間があったら、自分で遊び方を考えるようになって、きっともっとクリエイティブになるよ」なんて言ってくれたりもしました。

若年性乳がん患者特有の悩みを持つ方々に、私の経験は役に立つかも知れない

PinkRingの冊子づくりに参加した事、夫の後押しが、名前と顔を公表する事へのきっかけになったと感じています。

現在は、ありがたいことに2歳の長女と0歳の次女を元気に子育てができています。自分の乳がん再発・転移も心配ですが、将来この子たちにはいつから健診させるのか等、別の悩みが出てきているところです。

乳がん経験者へのピアサポートができるように

今まで、がんだと知った当時の私が「見つけることができなかったけど本当はほしかったもの」を提供したいと思って活動してきました。それが、下着作りだったり、若年性がん特有の悩み(妊孕性・妊娠・出産)を経験をブログで発信する事だったり、気兼ねなくお話しが出来る仲間づくりの場所の提供に繋がっています。

【写真】くろーぶの下着と、パンフレットが並べられている

今後は、乳がん経験者を支援する立場として、もっと乳がんについての勉強をしたいと考えています。具体的にはBEC(乳がん体験者コーディネーター)の資格取得を考えています。医療や治療の事についての専門家はもちろん主治医ですが、同じ乳がん患者の方のピアサポートを行いたいので、必要な知識を身に付けたいと思っています。

また、リハビリヨガにも興味があって、いつか仲間たちと楽しいイベントができるように指導者の勉強もしたいです。乳がんだけにこだわらず、若年性がんのピアサポートもできたら良いな、と取り組みたい活動はたくさんあるのです。

【写真】まっすぐ前を見つめ、笑顔を見せるぼーまんさん

治療方法に悩んだときは、まず「どう生きたいのか」を考えてみて

もし、がんだけでなくても病気になった人たちには、「先生・看護師さんには、病気のこと以外にもなんでも伝えていい!」ということを伝えたいです。

「どう生きたいのか、将来どうなりたいのか」を伝えることは、今後の治療方針にも影響をします。先生は、病気を治すことにはプロフェッショナルだけど、患者の人生設計を聞かないと、どのように治療していきたいのかが伝わらないままになってしまうかもしれません。

しっかりと希望を伝えることができれば、結果として同じ治療方法だとしても、より納得して受けることができるし、前向きになるのではないかと思います。「先生の言っていることだから」と遠慮して受け身になる必要はないと思うのです。

また、それでも言いにくい場合は、看護師やカウンセラーなど、誰でもいいので窓口を紹介してもらってほしいです。

一人でモヤモヤしているのはつらいです。人生は選択の連続だから、しっかりと「どう生きたいのか」を伝える重要さをお伝えしたいです。

乳がんになり様々な経験をしたけど、今の自分が一番好き

がんになって、いろんな出会いやいろんな感情を経験しました。「将来どうなるんだろう」と不安が拭えない日々も過ごしてきました。でも、その分多くの人に支えていただいたから、ここまで生きてこれたのだと思います。

今では、人生いつ終わりがくるかわからないし、やりたいことはやってみよう!というのが、今の私の原動力です。2人の子どもという新しい家族に恵まれ、家族との過ごし方と仕事とのバランスも考えられるように、自分らしくマイペースな働き方として自分のビジネスを立ち上げる事はぴったりでした。

【写真】微笑みを見せるぼーまんさん

ただ、周りが見えなくなる働き方はしないように気をつけています。仕事や家事・育児を頑張りすぎて自分が疲れたり、イライラしたりすると結局はまわりに迷惑を掛けてしまうと思うからです。三食きっちり食べて、お風呂に入って、暖かいお布団で寝ること。これらは一見地味だけど、とても大切なことです。そのためには、動き方の工夫、ときには誰かに頼って助けてもらう「助けてもらい上手」になることも大切だと思います。

私は5年前にがんが見つかり、その日からがんサバイバーとして生きています。今は5年前より毎日が楽しくてとっても幸せで、今の自分が一番好きです。がんになっていなかったら、私は今何をしているんだろうと思ってしまうほどです。

がんだと知り、探している情報を見つけられずに悩んでいた当時の私が求めていたもの。それを提供できるように活動することは、私にとっても生きがいなんです。今後も、助け合いのつながりを広げられればと思います。

【写真】パソコンが置かれたデスクの横にまっすぐ立つぼーまんさん

関連情報:

下着屋「Clove(クローブ)」 ホームページ

ボーマン三枝
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1981年7月 岡山県に生まれる
2013年3月 結婚して埼玉県に転居
2013年6月 都内のクリニックで乳がんが見つかる
2013年7月 大学病院に移り手術を受ける
      手術の1カ月後、病理検査の結果、非浸潤癌である事がわかる
      ホルモン療法をすすめられるが辞退
2015年1月 長女誕生
2016年5月 下着屋Clove立上げ
2017年1月 この頃下着づくりが本格的になる
2017年5月 乳がん経験者に向けた「サラッと肌着」完成
2017年8月 「サラッと肌着」の販売開始
      次女誕生
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(写真/馬場加奈子)