私たちは日々、「話す」という何気ない行為によって、周りと深いコミュニケーションをとっています。声、テンポ、話し方などの情報から相手の感情や意図を読み取ったりしますよね。
例えば発表やプレゼンテーションなど、緊張する場面では上手く話せなかったり。そんな経験をしたことがある人も多いのではないでしょうか。
私自身、大勢の前で話すときなどに、どうしても自分でコントロールできないほどに声が震えてしまい、驚いたことがあります。
今回ご紹介するのは、意図せずことばにつまってしまったり、ことばの音を伸ばしてしまったりする「吃音」のこと。
幼いときから吃音があり、今は吃音がある方の就労支援などを行うNPO法人どーもわーくで働く宮脇愛実さんとは、知人の紹介で出会いました。吃音のことで悩んでもきたけれど、たくさんの挑戦をして、今はやりたいことに向かって生き生きと働く宮脇さん。これまでの経験やご自身の思いを綴ってもらいました。
“ことばを繰り返したり、詰まってしまったする”吃音の症状とは
こんにちは!宮脇愛実です。
私は吃音当事者だからこそ出来ることをしたいと思い、現在、NPO法人どーもわーくで吃音を持っている方の就労・求人相談や面接練習、イベント開催などを行っています。
吃音とは、話しことばが滑らかに出ない障害のひとつです。主に幼児期に発症する、成人の100人に1人に見られるともいわれる発話の流暢性の障害で、「どもり」「どもる」と呼ばれることもあります。
吃音の症状の特徴は大きく分けて3つ。まず1つ目はことばを繰り返すことです。例えば「こ、こ、こんにちは」のように、喋りたいことばのはじめの音で起こることが多いと言われています。
2つ目はことばを引きのばすこと。「こーーーんにちは」というようにことばを発します。
3つ目はことばに詰まってしまうこと。「・・・こっこんにちは」というように、はじめのことばがなかなか出てこないのです。
ただこれらの症状があっても、頭、手などを動かす随伴症状や、ことばの言い換えなど発話の工夫によって、一見すると分かりにくいことあります。
“ことばが出ない”。人と違うことに気づき劣等感を感じていた学生時代
小さな頃は控えめな性格だったと思います。人と違うなと違和感を感じたのは5歳くらいのときでした。
保育園に通っていたとき、蝶が苦手だったので、蝶がいるから教室に入れないことを先生に伝えに行ったのに「蝶々の“ちょ”」が全く出てこなくてなかなか伝えられなかったことが、印象に残っています。
このとき、初めて“声が出ない”ことへの違和感を持ちました。そして先生が心配そうに見つめる表情に、「私はおかしいのかな?」と恥ずかしさにもかられました。
小学校に上がった頃には上手にことばが喋れないことに気づき、周りと違うことに孤独感を持ちはじめます。例えば、名前を呼ばれたときの「はい」という返事、号令をするときの「起立、礼」、友達と話すときの何気ない会話。
机の下にハサミが落ちてしまい、友達が取ってくれたとき「ありがとう」が言えず、パクパクと口だけ動いてしまい、友達に笑われたり、不思議そうにみられたことを覚えています。他の子は普通に話せているなか、どうして“普通”のことができないのかと劣等感を持っていました。
とくに辛かったのは、授業で当てられて文章を読まなくてはならないときです。本読み(音読)がある国語の授業がとても嫌で、毎日本読みへの恐怖と不安感にかられていました。
本読みがある1週間前から、本読みは何曜日にあるか。私は当てられる可能性があるのかないのか…例えば9月20日だとしたら29番が当たるから、33番の私にも順番が回ってくるかもしれない。どうしよう、どうしよう・・・などを考えては、読む練習を欠かさず行いました。
国語がある日は、1時間目から心臓がバクバクと止まらず、他の教科の授業中も吃音や本読みのことばかり考えてしまい、集中して授業を聞けていませんでした。
本読みを当てられたときは最初のことばが出ず、先生や友達に「宮脇さん、●行目の●●~ですよ」と指摘されてしまうことも多々ありました。もちろんどこを読めば分からないのではなく、分かっているのだけれども肝心な声が出てこないのです。
周囲に不思議がられるなか、つまりながら、時間をかけ、文章を読み終えたときは、体力や精神を使い果たしヘトヘトになっています。同時に本読みを終えた安心感と、以後数日は当てられないであろうことへの安堵感で一杯でした。
この不安感、緊張感、安心感を何年も繰り返してきましたが、とうとうそんな心が落ち着かない日々に疲れ切ってしまった私。誰にも相談できず悩んだ末、小学校4年生のとき、担任の先生にことばが出ないこと、本読みが辛いことを伝えました。
よく自分から言ったね。
宮脇さんの順番のときだけ当てないのは周囲が不思議に思うかもしれないから、挙手や指名形式に変えてみようか?
先生はこんなふうにさりげなく配慮してくださり、一緒に考えてくれた姿勢がとても心強かったことを今でも覚えています。
こうして私は特徴を知ってもらった上で、全く当てられないということではなくたまに発表をする、という形で配慮してもらいながら進学をしてきました。すると以前に比べ不安感や恐怖心も軽減され、ようやく日々の学校生活に楽しさを感じられるようになったんです。
「自分の力で乗り越えられるようになりたい」と思った中学・高校時代
中学校、高校では小学生の頃のように「当てないでほしい」とは言わず、「ことばが出ないときがあること、文章を読むことが苦手なことを知っておいてほしい」とだけ伝えたので、授業中に当てられて発表することもありました。
なぜ小学校のときとは違い、ただ知って欲しいとだけ伝えたのか。自分でもはっきりとした理由があったわけではありませんが、「頼りすぎてはダメ。自分で乗り越えれるようにならなくては」という思いがあったように思います。
また、人前で話す経験を踏むたびに心は強くなり、悲しさや劣等感に対して、意識的に鈍感になっていったようにも思います・・・
一度だけ高校3年生のとき、様々なクラスとの合同授業で本読みをしなくてはならなかったとき、仮病で保健室に行ったことがありました。罪悪感や自分への軽蔑感もありましたが、今思うと、たまには逃げることも自分を甘やかすことも大切だとも思います。(笑)
学生時代を思い返してみると、吃音を一人で抱え込まず学校の先生や家族に相談しながら過ごしていたことに気づきます。また吃音のことは伝えていませんでしたが、クラスメイトや友達にも恵まれ、いじめなどなく過ごしてきました。周囲にも頼ってきたからこそ、12年間辛いこともありながら、楽しくも過ごせてきたのではないかと思います。
好きなことがしたい。“人と話す”仕事がしたいという思い。
その後、大学に入学した後も吃音のことは考えないようにと、どこか向き合いきれないまま、日々を過ごしていました。しかし就職活動が始まるにあたって、将来のこと、自分のこと、そして吃音のことに向き合わざるを得なくなることに。もう逃げられないなと思いました。
吃音を持っている方は、話すことを避けて、工場や倉庫などを選ぶ人もいます。自分が安心して働ける場であれば、自身が希望しているのであれば、どんな選択肢も良いと私は思っています。
私は人と話すことが好きだったので、営業を希望していました。単純なのですが当時は「人と話すことが多い仕事=営業」という認識があったんです。
吃音を持っていても、ことばが流暢じゃなくとも、人と話す仕事がしたい。けれども社会では、吃音だと営業はできない、向いていないという考えもあるように感じていました。私の人と話す仕事がしたいという気持ちは、諦めなければならないものなのか、この“したい”気持ちをどこにもっていけばいいのか。悩んだ末、まずは挑戦してみようと決断したのでした。
今振り返ると、吃音の私が営業をすることで吃音者でも営業ができる!と証明したかったんだとも思います。
吃音は隠すべきもの?社会で壁になるのだと感じながら続けた就職活動
しかし実際は面接で、吃音が大きな壁になりました。もちろん吃音以外にもうまくいかなかった理由はたくさんあると思いますが、当時の私は吃音が原因だと思っていたのです。
入退室の「失礼いたします」の「し」が出ない。名前がでない。ことばにつっかえることが多く吃音に気を取られて、自分が何を話したかったのか、相手が何を求めているのか分からなくなる。そんな面接を重ねていきました。
とうとう大学やハローワークのキャリアカウンセラーへ行き、面接官に吃音であることを伝えるべきかと相談することにしました。誤解を与えたくないため、事前に吃音を知ってもらっていた方がお互いにとって良いのではないか、と悩んでいたからです。
結果、キャリアカウンセラーから「あなたの吃音は言わなきゃわからないから、面接では言わなくていいわよ。隠しておきなさい。企業は営利団体だから、マイナス要素は少しでも減らしておくべきです。」とアドバイスをいただきました。
その後は「吃音は隠した方が良いもの。社会で壁になってしまうものなんだ。」と言い聞かせて就活を続けました。しかし、本当の自分を隠した状態の面接に、もやもやとした気持ちが募るばかりです。素直に自分を出せないことに、どこか疑問と苦しさのようなものを感じていたのだと思います。
生きづらさを感じていた自分の経験を、誰かのために生かしたい
そんな中、奈良で開催された「吃音者の就労を考えるセミナー」に、少しでも就活のヒントが得られればと思い参加することに。セミナーでは障害者雇用の人材紹介をしている会社や、吃音者の人事を担当した経験のある方、そして吃音を持ちながら働く社会人の方々がパネリストとして登壇されていました。
そこで、ある障害者雇用の人材紹介をしている会社の従業員のうち、半数が障害者手帳を取得している方である事実を知ります。
それまで吃音をハンディで、隠さなければいけないものだと思い続けて就職活動をしていた私。「障害があっても自分の力を発揮し、生き生きと働ける環境があるのだ」と、驚きと安心で胸がいっぱいになりました。まだ社会は捨てたもんじゃないなと(笑)
セミナーを通して、「内定=ゴール」だと無意識のうちに思っていたことにも気づきました。改めて吃音を隠して就職できたとしても、果たしてその先仕事がしやすいのだろうか、働いていけるのかと、今までの考えを見つめ直すことに。
また当時、22歳までの人生を振り返って、吃音であることでマイナスに感じたこと、プラスに感じたことを書き出してみたことがありました。すると想像以上にマイナスの項目が多かったのです。
それを眺めながら、「たくさん苦しんできて気の毒だな」「22年間何をやってきたんだろう。私の人生、もったいないな」という気持ちになりました。そしてこれからは、吃音を隠したり否定するのではなく、吃音であることを含め自分自身だと思うこと。自分を大切にして、プラスがいっぱいになるように人生を送りたいなと思うようになったのです。
今後は、吃音をカミングアウトして就職活動をしてみようとも決めました。吃音があっても採用してもらえる、ありのままを見てくれる会社に就職するためです。
そして吃音である自分を引き受けたうえで、何ができるのか。何をしたいのかを考える日々。
私は吃音を持って生まれたのだから、私と同じようにハンディがある方のために力を尽くしたい。ずっと吃音をハンディと感じていて、なんで自分を表現できないのだろうと生きづらさがあった。同じような思いをしている人たちのために働きたい!
そんな思いが強くなりました。
吃音の子どもたちに、明るく意欲的な姿をみせたい
他にも、私がハンディを抱えている方のために働きたいと思ったきっかけの一つに、吃音の子どもたちとの交流会に参加したことがあります。
私は吃音がある若者のための自助の集まり「うぃーすたプロジェクト」に、関西スタッフとして参加していました。活動の一つである「ことばの教室」は、吃音児・教員・保護者との交流会。参加してみて印象深かったのは、子どもたちが社会で働くことへ不安を抱いていたことです。
「吃音だからやりたい仕事ができないのではないか。」
「働く中で、吃音があって困ったらどう対処しているか。」
「吃音の大人のグループに話が聞きたい。」
子どもたちからの相談や受け取った手紙の中には、こんな声がありました。
そして子どもたちが私たち大人のスタッフをみる眼差しがとても印象的で、改めて自分たちの言動は、ロールモデルとして子どもたちに大きな影響を与えているのではないかと思いました。
次世代を担う子どもたちが、吃音を理由に将来の夢を自由に思い描けないなんて・・・まずは私たち大人が明るく意欲的な姿を示すことに、大きな意味があるのかもしれない。子どもたちと、そして保護者の不安な気持ちを払拭し、安心に変えていくためにも、私自身がハンディがある人々の、雇用を生み出す当事者となりたいと思うようになったのです。
吃音はハンディにもなりうるけれど、それは自分の一部にすぎないし、人生の全てが左右されるわけではない。「私もできる、私がやる」と自らが手を挙げて行動する吃音のある人が増える将来を目指すためにも、吃音がある私だからこそできる仕事がしたい。
そんな思いを持ちはじめたとき、知人の紹介でどーもわーくの代表と出会います。設立のきっかけや、生涯をかけて吃音の方の就労支援をしたいといった熱い気持ちなど、話を聞いて強く共感を持ちました。
他の障害者支援の会社の内定ももらっていたので迷う気持ちもありましたが、代表の竹内俊充の強い気持ちに後押しされ、また“本当にやりたいこと”を実現できると感じたどーもわーくでの就業を選びました。
「吃音だから」ではなく「自分らしく」生きること
就職活動中はもちろん、いつだって家族は支えでした。吃音のことで当たってしまったり、ひどいこともたくさん言ってしまいましたが、「やりたいことを、あなたらしく働いたらいいんじゃない?人生は一度きりよ。」という母親のことばが、いつも私の背中を押してくれたのだと思います。
吃音仲間に出会えたこともまた、私にとって大きな支えでした。大学生とき、インターネットで検索して見つけた団体をきっかけに、人と人とのつながりで年の近い吃音のある方たちに出会うことができたのです。「一人じゃなかった、同じ仲間がこんなにいる。」私以外にも吃音を持っている人がいるのだと、ホッとして嬉しさがこみ上げてきました。
また、吃音は共通しているけれども、個性はひとそれぞれだったことにも驚きでした。私はどこかで、吃音も同じなら悩みや性格、人柄も似ている点があるのかなと思っていたんです。でももちろんそんなことはなく、吃音は関係ありませんでした。それは私にとって励ましでもありました。
「吃音があるから私は引っ込み思案なんだ・・・」と思っていましたが、「私は吃音のせいにしていただけなんだ、吃音によってその人の人格が形成されるわけではないんだ」と気づいたのでした。
吃音に対する双方の理解が深まるきっかけを
私が活動するどーもわーくでは、ます吃音のある方にウェブサイトからメンバーに登録してもらい、そこから就労・求人相談、支援機関の紹介や、イベントの紹介などを行なっています。
まだ設立から3年ほどですが、現在約100名の方がどーもわーくに登録し、会員となってくださいました。
啓蒙活動のひとつとして、「これだけは知ってほしい吃音のこと10/吃音パンフレット就労編~基礎~」というコンテンツの制作もしました。
吃音のある方は就労するとき、吃音について理解がされづらい状況があります。職場の同僚、上司、人事の方々など職場の人への吃音についての説明、対応事例などを知ってもらうことで、双方の理解が深まるきっかけになればという想いを込めてつくりました。
1.吃音は「きつおん」と読みます
2.成人の100人に1人は吃音があります
3.随伴症状(頭、手などを動かす)や、ことばの言い換えなど発話の工夫が見られることもあり、一見すると分かりにくいこともあります
このように、1〜10までの吃音について、短いフレーズでかつ凝縮した情報のみ記載をしています。これを読んで、吃音について「もうちょっと知りたい」と思っていただけるように、株式会社そろそろさんと打ち合わせを重ね制作しました。全く知らなかった人が、吃音を知るきっかけにもなると嬉しいなと思っています。
吃音があってもポジティブなことに目を向けること
どーもわーくではありがたいことにたくさんの出会いがあり、メンバーの皆さんと仲良くなったり、楽しく関係性を築いています。
利用くださる方は、就活で困っている方、とくに大学生~20代の方が多いのですが、カミングアウトの仕方がわからない、そもそもカミングアウトするべきかしないべきかという声があがることもあります。
正解は人それぞれではありますが、私は自分の経験を思い起こすと、面接はあくまでも自分をPRする場だと思うんです。なので、「吃音があるからこそ人前で話す場に何度も挑戦してきたなど吃音を原動力に頑張ってきたこと、克服してきたことなどポジティブなことを伝える」ことも大切かなとお話したりもしています。
また、どーもわーくを通してどんどんと世界を広げていく利用者さんにお会いしたこともありました。
その方は、最初はお母様と来ていて、最初は緊張しているような不安な様子だったんです。私は同年代だったこともあり、相談者と支援者ではなく友達に相談するような感覚でフラットな関係性を築きたいと思い、面談を重ねました。すると少しずつ心を開いてもらえて、仲良くなれたのがとても嬉しかったです。
その後も「うぃーすたプロジェクト」関東のイベントに来てくださったり、他のイベントにもスタッフとして参加してもらったり。イベントを通して、絵本の読み聞かせに挑戦したり、同じ吃音を持つ方々との出会いなどを経て、次第に自信がついたような顔つきになっていました。
そうしてイベントでの出会いから、どーもわーくと繋がりがあったゲストハウスで受付の仕事をすることになったんです。
受付といえば流暢に話す人が多いイメージ。僕はどもっちゃうけど、一人くらいそういう人がいてもいいんじゃないかなって。不安はあるけど吃音をキャラクターにしてやっていきたい!
そう言ってくれたことが、とても嬉しかったです。
吃音で悩んでいるのは一人ではない。一緒に歩いていきたい
どーもわーくで働いていて感じているのは、吃音の方に向けた情報提供や、就職先の選択肢を開拓する必要性です。
「就職が悩みなんだ」という声は、就労する本人だけでなく、小中高生のお子さんを持つ親御さんからも多々あがります。でも、吃音があっても様々な職種や業界で生き生きと働いている人はたくさんいます。
吃音があっても様々なことを諦めないでほしい。悩んでいる人がいたら「一人で難しいならば、みんなで一緒であればできるかもしれないよ。まずは一緒にやってみよう。」と伝えたいです。
それが、次の半歩、一歩に繋がるかもしれない。挑戦する上で苦しいこと、辛いこともたくさんあるかもしれない。だけどその度に這い上がって互いに支え合い、また一緒に歩いていきたいです。
どーもわーく 宮脇愛実
特性はその人の全てではないということ
「まだまだスタートしたばかりだから、あれもこれもやりたくて・・・!」と、熱い思いをお話をしてくださった宮脇さん。ご自身のこれまでの人生をまるごと受け入れて、今を楽しんでいる様子が伝わってきます。
宮脇さんは「話すことが好き」という自分の特徴を生かして、どーもわーくで人と関わる仕事を選びましたが、それはあくまで一つの選択肢なのだといいます。吃音であるなしに関わらず、自分が好きだと思うこと、得意なことを生かして生きていくのが大切だと語ってくれました。
吃音はその人の全てではないんです。
宮脇さんがこう繰り返すのを聞いて、どんな特性もその人の一部でしかないのだということ。自らが考える「自分らしさ」を追い求めて良いのだと、改めて実感させられました。
「一人一人が自分を生かせる社会」の実現に向けて、まずは自らが生き生きと働く宮脇さんの姿には、私も勇気付けられました。どーもわーくの活動と宮脇さんの思いが、多くの人に届いてほしいなと思います。
関連情報
NPO法人どーもわーく ホームページ
(イラスト/ますぶちみなこ)