【写真】街頭で笑顔をみせるたなかみなさん

こんにちは!田中美奈です。

私は大学4年生のときに「バセドウ病」の診断を受けました。バセドウ病とは、首の前側にある甲状腺から甲状腺ホルモンが過剰に作られてしまう病気です。甲状腺ホルモンは体の新陳代謝を高めるホルモンで、その量が過剰だと体に様々な症状を引き起こします。

バセドウ病には、甲状腺が腫れる、脈拍数が多い、動悸がする、目が出る、たくさんの汗をかく、暑がりになる、疲れやすい、手足がふるえる、息切れがする、喉が渇く、月経不順が起こるなどの様々な症状があります。

今私は大学で、病気や障害のある子どもたちの教育について学んでいます。バセドウ病になったことで、どのように病気と向き合っていけばよいのか最初は悩みました。そんな中でも、この病気は私自身がこれからどう生きていきたいかを考える、大切なきっかけにもなりました。

今回は皆さんに、これまで私が歩んできた24年間のストーリー、バセドウ病のこと、私にとってなくてはならない大切な存在である素敵な人たちとの出会いについて、お話させて下さい。

自然の中で遊ぶことが大好きだった幼少期

【写真】風がふく街頭の中、笑顔をみせるたなかみなさん

小学生の頃は自然の中で遊ぶことが大好きで、毎日外で遊んでいるような子どもでした。学校では一輪車に乗ったり、サッカーをしたりしてとにかく外で体を動かして遊ぶことが大好き。

のどかな地域で育ったこともあり、学校から帰ってからは友だちと竹藪の中に秘密基地を作ったり、探検ごっこをしたり。毎日夕食の時間まで、時間を忘れて遊んでいて、「疲れる」という言葉とは全く無縁のエネルギッシュな生活を送っていました。

友だちと丘の上で歌のコンサートをしようと決めて、地域の皆さんに手作りの招待状を書いて送ったこともあるほど、「やってみたい」と思ったことはとにかくやってみる活動的な子どもでした。地域の方に優しく見守っていただきながら大きくなったな、と思います。

その後も活動的な性格のまま、中学、高校へと進学。大学ではもっと広い世界について学んでみたいという気持ちから、外国語学部に進学しました。外国語だけでなく、外国の文化や歴史、文学などについても学びました。

その中で、人種間の争いやステレオタイプの問題、貧富の格差について学び、多くの方が抱える「生きづらさ」について学んでいました。

体が思うように動かない。バセドウ病の症状を感じ始めた大学1年生

私が体の異変を感じ始めたのは、大学1年生の後半頃でした。これまで自分の体に起こったことのない様々な症状が出始めたのです。

今振り返るとすべてバセドウ病の症状なのですが、当時の私は全く気がつかず、別の原因を考えて自分を責めてしまっていました。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるたなかみなさん

まず少し歩いただけでも息切れがするようになり、疲れやすくなりました。階段を少し上るだけでも疲れてしまうのです。外出したときも、少し歩くだけで疲れてしまうので、何度も途中座り込んで休憩していました。一人で出かけているときはいいのですが、家族と出かけたときに、私のペースに合わせて何度も立ち止まってもらうのは申し訳ない気持ちでいっぱいだったのを覚えています。

大学の長期休暇もたくさんやってみたいことや行ってみたい場所があったのですが、体が思うように動かず寝ていることが多くなりました。体を動かすのが大好きな私は、体育の授業をとても楽しみにしていたのですが、少し動いただけでへとへとになってしまい、思ったように体を動かせませんでした。

実はバセドウ病になると、じっと座っていたとしても、全速力で走った後に感じるほどの疲労感を覚えると言われているのです。想像してみてください。ほんの少しの時間でも、全速力で走るとへとへとになってしまう方もいるのではないでしょうか。その状態が一日中ずっと続くのです。

ただこのときは、「体力がなくなってしまったのかな?」としか考えていませんでした。

症状の一つで、暑がりになって汗をたくさんかくように

また、暑がりになって汗をたくさんかくようになりました。この症状は私にとってとてもつらいものでした。

当時は冬になっても暑いと感じていて、500ミリリットルのお茶を一気に飲み干してしまうほど、常に「とにかく暑い」と思っていました。

友だちと話しているだけで動悸がして、全身から汗が止まらなくなって。特に私は、顔からの汗がすごかったんです。なのでいつもハンカチは手放せませんでした。

本当はもっと友だちと話したい。

【写真】笑顔で話すたなかみなさん

そんな気持ちがあっても自分が汗をかいていることが気になって、友だちとの会話に集中できませんでした。友だちと話しながら「お願いだから汗が止まってほしい」といつも感じていました。それでもどうしても汗は止まらないのです。

汗をかいていると友だちに思われていたらどうしよう。

汚いって思われていたらどうしよう。

そう思うばかりで、友だちを不快な気持ちにさせて自分が嫌われてしまうのが怖くて、かかわりを徐々に避けるようになってしまいました。トイレで一人ご飯を食べていたこともあったし、先生に質問したいことがあっても、汗のことが気になって質問に行けないこともありました。

汗をかくことで話したい人と話せない。この経験はとてもつらいものでした。

たとえば、大学でプレゼンテーションがある日はできるだけ汗をかかないように薄着をしていきました。それでも汗が止まらず、そのたびに自分のことが嫌いになっていきました。汗をかくことと病気が結びつかず、「私は太っているのかもしれない」とさえ思っていました。

【写真】穏やかな表情で街頭を歩くたなかみなさん

目の腫れ、手の震えなど、バセドウ病の症状により自信を失っていく

そしていつからか、瞼が腫れぼったくなって目が出てきました。幼馴染に久しぶりに会ったとき「目少し腫れてない?」と言われて、初めて瞼が腫れていることに気が付きました。幼い頃の私の顔を知ってくれている幼馴染だからこそ、私の顔の変化に気付いてくれたのだと思います。

友だちに勧められて眼科を受診したのですが、当時は特に問題はないと医師に言われ、目の症状がバセドウ病のために起こっているとは全く気付きませんでした。

また、ピントの合った写真が撮れなくなっていきました。それは手の震えが止まらなかったから。

【写真】インタビューに答えるたなかみなさん

大学の友だちに「緊張してる?」と授業中に言われるほど、手が震えていました。写真を撮ろうとしてもあまりにも手が震えてしまうので、携帯を持っている手を、もう片方の手で押さえて写真を撮っていました。それでも結局ピントの合った写真は撮れませんでした。

「いつも緊張しているからかな」と思っていましたが、写真の1枚も綺麗に撮れない自分に「どうして?」という気持ちが募るばかりでした。授業の黒板の写真すら撮れず、友だちに写真を送ってもらえないか頼むたびに、自分が情けなくてつらかったです。

甲状腺が腫れてブラウスの首元がきつく感じたり、夜に動悸がして朝方まで眠れなかったりといった症状もありました。大学3年のときにアメリカに9ヶ月間留学していたのですが、生理が2度しかきませんでした。そんな中でも「留学中だからストレスが体にかかっているんだな」と思っていて、それほどまでに深刻に考えていませんでした。

ただただ理由がわからないまま、いろいろな症状に、どんどん自分に自信を失っていってしまっていたのです。

血液検査の結果わかった「バセドウ病」

【写真】身振り手振りを交えて説明するたなかみなさん

私の体に何かが起こっているのかもしれない。

そう思ったのは大学4年生の春に行った教育実習でした。

まだ爽やかな風が吹いていた5月でした。そんな時期にもかかわらず動悸がして汗が止まらなくなり、他の実習生が「なんでそんなに汗をかいているの?」と心配して声をかけてくれました。実習先の生徒の皆さんにも「先生すごい汗かいてるよ」と声を掛けられ、「周りの人がわかるくらいなんだ」と感じました。

どうしてなんだろう、周りの人にどう思われてるんだろう。さらに自分に自信がなくなっていき、この時は「本当に何かがおかしい」と感じました。

教育実習でも、長時間授業を立って見学することがとても辛く感じました。ただ立っているだけでもヘトヘトになってしまって、立てなくなってしまったんです。

実習前からずっと生理が止まっていたこともあり、母に相談してみたところ、「産婦人科に行ってみたら?」とアドバイスをもらいました。産婦人科で行った血液検査の結果、バゼドウ病であることがわかりました。

これからの生活はどうなってしまうんだろう

バセドウ病という病名をはじめて聞いたときは、頭が真っ白になったと同時に悲しかったです。真っ暗な暗闇に落とされてしまったような気持ちになりました。

当時は甲状腺という器官がどこにあるかもわからなくて、不安な気持ちでいっぱいでした。また大学4年生という人生のターニングポイントだったので、これからの生活はどうなってしまうんだろうと思っていました。

【写真】おだやかな表情でインタビューに答えるたなかみなさん

主治医の先生とお話をする中で、大学一年生の頃から感じていた違和感が、すべてバセドウ病の症状だったことに気づきました。

その中の一つにバセドウ病の目の症状がありました。私は、「眼瞼後退」や「眼球突出」の症状、また「眼瞼腫脹」という瞼の腫れに悩まされました。眼瞼後退とは、本来瞼で隠れているはずの黒目の上側にある白目が見えてしまうほど、目が見開いたように見える症状。そして眼球突出とは目が前に出てしまっている症状のことです。

家の鏡を使って自分の顔を横から見たとき、自分の知らない私がそこにはいました。バセドウ病だとわかるまでは自分の顔を横から見る機会がなかったので、瞼の腫れに関する自覚しかなかったのです。

飛び出してしまった目は元に治りますか。

主治医の先生に聞くと、「飛び出してしまった目は、手術などの別の治療をしない限り一生治らない」と言われました。ただ目の手術はリスクの高い手術であること、手術後も完全に元の顔に戻ることは難しい。「一生」という言葉の重みに耐えきれず思わず涙が出ました。一人ではとても抱えきれない言葉だと思いました。

両親は私の顔の変化に「気にならないよ」と優しく声をかけてくれたのですが、何よりも誰よりも私自身が自分の顔の変化を気にしていたんです。周りの人が気にしていなくても、自分は気になってしまうんですよね。

鏡を見るたびにため息が出て、当時は写真に写るのが嫌になってしまうほどでした。同世代の若い女性たちが街で写真を撮っている姿を見るたびに、その人たちがキラキラと私の目には映りました。

どうしてバセドウ病になっちゃったんだろう。

ずっとそう思っていました。

自分を受け入れてもらえる場所はある。あたたかな安心感に包まれて

【写真】インタビューに答えるたなかみなさん

大学4年生。治療を進めるのと同時に、将来の自分の進む道も決めなければいけないことは、すぐには病気を受け入れられない私には難しいことでした。病気になりたくてなったわけではないのに。同級生と比べて、一つ乗り越えなければいけない壁が多いように思い、孤独を感じていました。

この気持ちを誰かに相談したいと思っていたところ、たまたま神戸の隈病院で甲状腺疾患の患者さんとお話しできる「おしゃべり会」という場があることを知りました。毎月第三土曜日に開催されていると知り、勇気を出して参加してみることにしました。

はじめは「私が参加しても大丈夫かな」ととても緊張していて、ドアの前に立ったときも、しばらくドキドキして中に入れませんでした。でも実際に参加してみると、ボランティアスタッフの方々がゆっくりと丁寧に私の話を聞いてくださったんです。

【写真】街頭で笑顔をみせるたなかみなさん

これまでどんなことがあったか、どんな気持ちでこれまで過ごしてきたか。私が話し終えるまで、スタッフの皆さんは優しいまなざしで「うんうん」とうなずきながら聞いてくださいました。私の話にこんなに耳を傾けて下さる方がいらっしゃるんだと心の底から感動しました。

これまでつらかったね。これまで本当によく頑張ったね。

スタッフの方に優しく声をかけていただき、自分の悩みをわかってもらえる場所、自分を受け入れてもらえる場所があるんだと、あたたかな安心感に包まれたことを今でも鮮明に覚えています。

私も治療を進める中で、甲状腺ホルモンの数値がよくなってきて、バセドウ病の症状が改善していきました。今では、すべての甲状腺ホルモンの数値が正常値になるまでに回復しました。

おしゃべり会に初めて参加したときに感じた、ほっとした気持ちが忘れられない。「同じ悩みを持つ患者さんに何か自分にできることがあれば」という思いから、私はおしゃべり会のボランティアスタッフとして活動に参加することを決めました。

理由は、もう一つあります。それは私がバセドウ病の症状によって自分に自信をなくしてしまい、自己肯定感が下がってしまっていたことと繋がっています。

今もし、バセドウ病の症状に苦しめられていた当時の私に会うことができれば、きっと私は私の前に座ってこう言います。

あなたのこと、私は「汗をかくこと」とか「目が出てる」っていう見た目だけで判断して、嫌いになったりしないよ。あなたの中身が大好きだから一緒にいるんだよ。

そして当時の私を、ぎゅっーと抱きしめると思います。バゼドウ病のことで、自分の存在を否定してしまうことほど悲しいことはない。と思うからです。そんな人がいなくなるようにという思いを込めて活動に参加しています。

甲状腺疾患の患者同士の「おしゃべり会」に運営側として参加

【写真】街頭でまっすぐ立ち、笑顔をみせるたなかみなさん

おしゃべり会では、幅広い年齢層のボランティアスタッフが集まり、病気のことや普段の生活での悩みなどの、様々なお話を患者さんから伺っています。甲状腺疾患の患者同士ということで、その日初めてお会いしたのに昔からの知人のような気持ちになり、あたたかな気持ちになります。

私はおしゃべり会を運営する立場ですが、毎回参加する度に、患者さんに支えられています。バセドウ病は慢性疾患の一つなので、これからも続く治療についての不安をおしゃべり会で話すと、「まだまだ先は長いけど無理せずにね」とアドバイスを下さった患者さんもいました。

おしゃべり会には様々な年齢の患者さんがいらっしゃいます。私と年齢の近い女性がご相談に来られた際は、恋愛や結婚、出産についての心配事に関するお話になることも多いです。私も好きな人に病気のことを話すと「迷惑かな」と感じてしまい、なかなか病気のことを話せなかったり、子どもがほしいと思ったときにどうしたらいいのかという不安があります。

バセドウ病は若い女性に発症しやすい病気だと言われています。そのことは言い換えると、進学、就職、結婚、妊娠などの人生のライフステージにバセドウ病が大きな影響を与えるということ。

おしゃべり会での出会いを通して、バゼドウ病のことで悲しい気持ちや不安を覚える方が一人でもいるんだったら、私はこれからも活動を続けようと会に参加する度に気持ちが新たになっています。

一か月に一度のおしゃべり会は私にとって、とても大切な場所。大切な仲間であるスタッフや参加者の皆さんに本当に救われています。

「病気になったからこそこんなにも素敵な人に出会えた」そんな生き方がしたい

私はバセドウ病の多汗の症状によって人とうまく話せなくなってしまった時期がありました。症状が改善した今は、会ってみたいと感じる人とたくさんお話することができています。

これまでの自分では考えられないことでした。そのこともあって、人とお話ししているとき、本当に幸せな気持ちになります。私にとってこの上なく贅沢な時間なんです。

また、病気になって私は本当にたくさんの方に助けられました。

親しい友人にバセドウ病の目の症状について話したときに、その友人は「今の顔も素敵だよ」と言ってくれました。自分の外見の変化にショックを受けていただけに、自分のことを受け入れてくれていると感じて心があたたまりました。

私にとってその言葉は今でも忘れられない大切な宝物の言葉です。

また私がバセドウ病の症状により疲れやすく、外出した際に座り込んでしまうこともあったのですが、「しんどくなったら教えてね」と私のペースに合わせて傍にいてくれました。友人が楽しんでいる中で、しんどいと話すことが申し訳ないと感じていたので、本当に素敵な友人に恵まれたと感じています。

「病気にならなかったら」と考えたときもあります。それでもバセドウ病になってから自分が出会った素敵な人たちとの出会いが、ないものになってしまうのであれば、それほど悲しいことはありません。将来について優しく相談に乗ってくれ、いつも私のことを励まし続けてくださった主治医の先生にも本当に感謝しています。

私は今、大学で特別支援教育を専攻し、大人の発達障害について研究したり、病気の子どもたちの教育保障や、病気や障害のある子どものきょうだい支援についても学んでいます。様々な視点から、「生きづらさ」を感じている人に自分にできることをしたい。

そして、バセドウ病のことを伝えていきたいという気持ちがあります。以前、看護師を志されている学生の皆さんに、バセドウ病の経験についてお話しさせていただいたことがあります。

バセドウ病によって自己肯定感が下がってしまうということは知らなかった。

バセドウ病が人間関係にまで影響するとは思っていなかった。

外見を気にしやすい若い年齢で、汗をかくことや見た目の変化があることは負担が大きいと感じた。

そのときは、こんな声が寄せられました。私は主治医の先生に患者と医者という関係ではなく、一人の人間としてあたたかい言葉をたくさんかけてもらい、心が救われました。その経験も看護学生の皆さんに伝えていきたいです。

「病気になったから人生がこうなってしまった」ではなくて、「病気になったからこそこんなにも素敵な人に出会えた」。これからもそんな生き方をしたいなと思います。

【写真】満面の笑みのたなかみなさん

バセドウ病である自分を受け入れられない日があってもいい

今回このコラムを書かせていただく中で、自分の顔がコラムに載ることに不安や迷いがありました。そんな私を後押ししてくれたのは、これまでsoarの記事に登場された皆さんです。

日々、こんなに素敵な活動をされている方がいらっしゃるなら私も頑張ろうと希望や勇気をいただいています。

バゼドウ病は、自分の病気に気付くまで時間がかかることの多い病気です。もし大切な人が急に痩せたり、目が出てきたり、汗が止まらなくなっていたりすれば、病院を受診するようにお話ししてくだされば嬉しいです。

そして、疲れやすさを理解してもらえたら本当に助かります。もし外見の変化に悩んでいる方がいたら、「内面が好きだから一緒にいること」を伝えてもらえると、とても嬉しいです。「一瞬」の一言が、私たちにとっては「一生」忘れることのできない宝物の言葉になるんです。

【写真】街頭で、笑顔をみせるたなかみなさん

そして、もしバセドウ病の方がいたら伝えたいことがあります。

私が最初バセドウ病だと分かった当初は受け入れられず、自分を責めてしまうこともありました。一方で今は、バセドウ病である自分を受け入れられない日があってもいい、どんな気持ちを持っていてもいいと思っています。

バセドウ病のことを受け入れないといけないと思っていたこともありましたが、今はそうとは思っていません。今でも自分の顔を見て落ち込んだり、病気とこれからも付き合っていくことを考えると、悲しくなることもあります。でもそれでもいいんだと思っています。

今自分は悲しい気持ちになっているんだね。

そう思いながら毎日よく頑張ってるね。

大丈夫だよ。

私は自分の気持ちに素直に耳を傾け、自分と対話するようになりました。そう思う自分も含めて、感じた気持ちを取りこぼさないように大切にしていきたい。以前は「あの人より自分は症状が軽いから辛いと感じたらだめだ」と自分の気持ちを押さえつけていました。でももっと自分のことを大切にしてあげたいと思っています。

バゼドウ病になっていなければ出会えなかった素敵な方々がたくさんいらっしゃり、いつも私のことを応援してくれています。バゼドウ病になって感じることのできた幸せをこれからも噛みしめていきたいです。

【写真】笑顔で立っているたなかみなさん

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(写真/工藤瑞穂、協力/田島寛久)