【写真】街頭で笑顔をみせるはやしみゆうさん

こんにちは!ハヤシミユウです。

私は現在、うつ病と不安障害で勤めていた会社を休職し、自宅療養をしています。そして、「みんなが自分らしく気持ちを表現できる社会をつくりたい」という思いを軸に、気持ちの居場所になるようなアクセサリーづくりをしています。

また、精神疾患にはどのような症状があるのか知ってもらえるように説明した動画をYouTubeにアップしたり、Twitterやブログでは自分自身の気持ちを素直に表現していくために、思ったことや考えていることを綴っています。

今回はみなさんに、私がどういう人生を歩み、病気でどのような経験をしたかお伝えしたいと思います。

人からの期待に応えないと。心の休まる場所がなかった子ども時代

子どもの頃の私はリーダー気質で、何事も輪の中心にいたいタイプ。周りの人からは「ミユウちゃんは本当にしっかりしているね、すごいね」と言われる機会が多かったです。

小学生の私にとって、親や先生からの褒め言葉は嬉しいものでしたが、中学生になるとそれは次第に「重い期待」へと変わっていきました。友達からも「ミユウちゃんは何でもできる」と思われていることが多かったので、「人前で失敗してはいけない、期待を裏切ってはいけない」と考えるようになったのです。

本当は私にもできないことがあるし、失敗だってする。でもみんなが期待する姿になるために隠さないといけないな……。

そんな風に思っていました。

【写真】インタビューに答えるはやしみゆうさん

思春期に入った頃、幼少期から決して良いとは言えなかった家庭環境がさらに良くない方向へいってしまいました。さらに中学・高校では、部活で人間関係が上手くいっておらず、悩みを相談する相手もいませんでした。

唯一の救いは、たった1人だけの気の許せる親友です。その子と私だけが見ることのできる掲示板を作り、つらいという感情ををひたすら出していました。

つらい日々が続くうちに、私はいつからかどんな相手に対しても、まずは相手が考えていることや求めている姿を考えてから自分の言動を選ぶようになります。その頃は常に神経が張り詰めているような日々を過ごしていました。もともと体が丈夫ではないことや周りを気にしすぎる性格も相まって、めまいや吐き気が止まらなくなるように。内科に行くと、思春期に起こりやすい自律神経機能不全である「起立性調節障害」と診断されました。

家でも学校でも心が休まる場所はありませんでしたが、高校1年生の時の担任の先生は生徒思いで、よく私を気にかけてくれました。「先生は期待をかけてくる存在」と思っていた私にとって、その先生の前だけでは取り繕わずにさまざまな話をすることができたのです。出会えてよかったと心から思っています。

大学で自由を得るたび、家での不自由が耐えられなくなるように

先生の他に、部活以外の友人にも支えてもらいながら過ごし、大学は経営学部に進学しました。

人間関係が広がり、さまざまな経験をしてきた友人も増えたことで「私もやりたいことを思い切りやってもいいんだ」と思えるようになっていきます。今までの生活とは異なり、自分で居場所を選択したり、自分がしたいことを自由にできる環境でいきいきと生活していました。

【写真】街頭を歩くはやしみゆうさん

一方で、家にいる間はずっとイヤホンをして、親の声が聞こえないように音楽を聴く生活を送っていました。親のことを無視してしまったり会話をしなかったり。そんな態度を取る自分への嫌悪感も募り、毎日親のいないところで一人泣いていました。

家庭環境に耐えられない気持ちが強くなっていった大学二回生のある日、母親の前で涙が止まらなくなってしまったことがあります。親や先生、友達など、周りの人に気を遣い、胸の中にある気持ちを話さずに生きてきた私でしたが、はじめて「もうこんな家に居たくない」と泣き叫びながら訴えました。自分の気持ちをごまかすことができないほどに追い詰められていたのだと思います。

その結果、家族から離れて生活する決意をし、一人暮らしを始めました。

一人暮らしをしてからは、自分の行動が全て自由になり、これまで縛られていたものから解放されたような気分になりました。そしてさらに自分自身の行動に責任を持つようにもなります。

しかし一方で、「毎日当たり前のように使っていたタオルも、自分で洗濯をしないとだめなんだ、母親が毎日お仕事しながらも洗濯をしてくれていたんだな」と感じ、母親の偉大さを感じるようになりました。

自分の本心に向き合うため、とことんもがいた就職活動

大学三回生になり就職活動を始めましたが、一番苦労したのは「自己分析」でした。

これまで自分の気持ちに蓋をして過ごしてきた私には「自分自身とは何なのか、何を考えているのか」が全く分からなかったのです。性格においても、短所はともかく、長所なんて全く見つけられなくて……。周りの人に私のいいところを聞いたり、ふとした瞬間に言われた褒め言葉を就活ノートの1番後ろに書き溜めて、なんとか見つけ出していました。

それでも親身になって話を聞いてくれたり応援してくれる友人や、落ち込んでいる私の背中を押してくれるような歌を教えてくれる先輩がいたので、支えてもらいながら取り組んでいました。

自分のことも分かっていない中で、将来やりたいことやありたい姿の軸も定まらない。そんな中でも、ぼんやりと人材系の企業か、ITベンチャー企業に進みたいと考えるように。

【写真】身振り手振りを交えて説明するはやしみゆうさん

しかし、実際の面接では自分のことを伝えると言うよりも、相手が求めている答えが何かを考えて話すことに頭が働いてしまうんです。今面接官に伝えている言葉は、本当に自分が思っていることなのだろうかと、さらに自分の気持ちが分からなくなっていきました。

きっとこのままでは私にとって納得できる結果は出ない。自分の気持ちをおざなりにするのではなく、しっかりと向き合って大事にしないと。

それまで半年間行ってきた自己分析を白紙に戻し、まっさらな状態で自分と向き合うことを決意します。すると、出てきたのは「これまで目の当たりにしてきた様々な生きづらさをどうにかしたい」と思う気持ちでした。

私にとっての家は心が落ち着く場所では無く、常に気を張っていなければいけなかったこと。Xジェンダーの友人は成人式でスーツを着たかったのに、振袖を着なければいけなかったこと。うつ病の友人がネガティブな感情を表出すると、周りからは「悲劇のヒロイン」と言われてしまっていたこと。

その他にも、4年間塾講師のアルバイトをしていた経験も「生きづらさ」に焦点を当てるきっかけになりました。

生徒の成長や「できた!」と喜ぶ姿が、私にとっての喜びになっているから4年間も続けてこれたこと。でも、全員が同じ教科書、同じ勉強方法で教えるのではなく、生徒一人ひとりに合わせて教えれば、もっとのびのびと学べるのではないかと教育環境に課題意識を抱いていたこと。

みんな、自分の望む姿で生きたいだけなのに、どうしてこんなに様々な生きづらさを感じているんだろう。もっと自分らしく気持ちを表現できる社会をつくりたい!

思いの丈をすべて友人に伝え、紹介してもらった会社が新卒で入社した教育・福祉、人材を扱う会社です。もうここしかないという使命感を背負って志望し、無事に内定をいただくことができました。

【写真】ベンチに座り笑顔をみせるはやしみゆうさん

はじめて母と本音を伝え合い、人として近づくことができた

もう一つ、就職活動中に大きな出来事が起きました。それは、落ち着いた状況で母親と本音で話せたことです。

私の大切なたった一人のお母さんだから、このままお互いが気を遣って距離ができてしまうのは嫌だな。心の内を明かすことができる関係になりたい。

高校時代の反抗期に言われた「もっといい子だと思っていたのに」という言葉や「お父さんにはこういう悪いところがあって…」と自分の母親から父親の愚痴を聞かされるのが辛かったこと。あんなことが嫌だったという気持ちをまっすぐに伝えることができました。すると母も、今まで辛かったことを打ち明けてくれました。

そのときに、「お母さんも今までこんなに辛かったんだ」と初めて知ることができました。そのおかげで母としてではなく一人の人間として見ることができるようになり、少しだけ親子として、人として、近づけたような気がします。

大学4回生の秋から内定先にインターンとして週5日で働くことを決め、地元を離れて上京しました。母と別れるときに思わず泣いてしまいましたが、母は「もう決めたんやから、いってらっしゃい」と強く背中を押してくれました。

母の表情からも寂しさを感じ「ああこれで親から離れて自立していくんだな」と感じたのを覚えています。

希望を胸に働き始めた私は「しんどい」と伝えることが苦手な社会人だった

就職してからは、発達障害の特性がいくつか認められるものの、診断基準を満たしていない状態であるグレーゾーンのお子さんも含む、発達障害である未就学児の指導をしていました。それと同時に、教室の新規開設に携わることになったのです。

お子さんや親御さんにとって安心できる教室作りはもちろん、スタッフが安心して働くことができる教室にしたい!

以前から携わりたかった仕事だったので、私はやる気に満ち溢れていました。

【写真】インタビューに答えるはやしみゆうさん

しかし、実際は自分自身の業務でいっぱいいっぱいになり、先輩方に支えてもらいながらなんとか毎日を過ごす日々。昔からしんどいことがあっても、助けてほしいと伝えることができない性格なので、それが働き方にも出るようになり……。上司が全指導員に対して働く上での目標を一緒に作成してくれたときも、私の目標は「大変な時はヘルプを周りの人にしっかりと出すこと」になるほどでした。

いろんな不安はありながらも、スタッフ一人ひとりに向き合ってくれる先輩を筆頭に、1つ目の教室では次第に安定した毎日を送れるようになりました。

そこで働きはじめて半年ほど経った社会人2年目の春、2つ目の教室の新規開設の話が舞い込んできます。

先輩と2人で新規開設の業務を進めていき、会社も仕事も大好きでかなりのやりがいを感じていたので、楽しくて仕方がなかったです。自分のキャパシティを広げたい、もっと成長したい、そんな気持ちで邁進していました。

他のメンバーが入ってからも、どうしたらみんなが不安を和らげながら働けるのか、楽しく働いてもらえるのかを考えるようになりました。今思えば、自分がしっかりしなきゃと勝手に意気込みすぎていたように思います。のちに大変なことになるとは思わず、ハイな状態で取り組んでいました。

気づけばまた、周りにヘルプを出すことができなくなっていました。他のメンバーがヘルプを出しやすいように「疲れた〜」とわざと言うことはあっても、本心で辛いときは何も言わない状況が続きます。

私なんかが「しんどい、つらい」と言うことで不安な空気を伝染させてしまうのではないか。ほかの先生を不安にさせてしまうのではないか。

自分の言動に対してかなり敏感になっていたように思います。

気付けばあっという間に開設当日がやってきます。やっとの思いで開設し、ほっとしたのも束の間、1日目から私のミスが判明しました。これによって、上司に多大な迷惑をかけてしまい、今まで張り詰めていた気持ちがポキっと折れ、立ち直れなくなりました。

これをきっかけに以前から感じていた子どもに指導することに対しての苦手意識や、この先自分がどのようになりたいか、先が見えないモヤモヤにも悩まされるようになり、失敗と不安で働いていくことへの自信を失ってしまったのです。

【写真】インタビューに答えるはやしみゆうさん

さらに1週間ほど経った頃、沈んだ気持ちは復活せず、意気込みすぎていた気持ちが今まで溜めていた疲労と一緒に体に出てくるようになります。めまいや吐き気が生じ、周りの先生たちに意識が向けられず、こんな状態になってしまってどうしよう、とさらに焦るようになりました。

焦れば焦るほど体は重くなり、出勤しても表情を作れなくなったり、挨拶の声が出なくなったり、頻繁に手足が震えるようになります。

はじめは、少し時間が経てば治るだろうと思っていました。上司と面談をして勤務形態を変えてもらったり、勤務時間を短縮してもらったり、手厚く対応していただきました。

しかし、時間が経っても症状は悪化するばかり。それでも「休む」という選択肢は頭にありませんでした。教室が忙しいときに私が休むことで、他の先生たちに迷惑をかけたくなかったからです。

1度休むことで同期から遅れをとってしまう。社会を変えていきたいと思っていたのに、変えていける存在ではなくなる。むしろ社会から置いていかれるのではないか。自分の価値がなくなるのではないか。

毎日のように家から出られなくなり、さすがにこの状態は厳しいと自分でも思うようになります。悩みに悩んだ挙句、断腸の思いで少しの間お休みをいただくことにしました。

心療内科に通い、悩んでいるのは私だけじゃないと気づいた

仕事を休んでみましたが、心身ともに回復する様子はありません。徐々に私は、心療内科に通うという選択肢を考え始めました。精神科や心療内科、クリニック、服薬、抗うつ薬。すべての言葉に抵抗がありましたが、社内のカウンセリング担当の方やお世話になっていた先輩に勧められ、病院に通うことにしました。

それでも、私も母親も服薬に対してはあまり前向きではありませんでした。これからずっと服薬をしていかなければならないのか、そういった危機感や後ろめたさを感じていたのです。

そうして迎えた初診の日、私にはうつ病の診断がおりました。その瞬間、「あぁ……これから通院しないとダメなのか……」という気持ちになりました。また、はっきりとした診断名がおりて、体調や気持ちの面の崩れの原因がわかりすっきりとした気持ちにもなりました。

悩んでいる人がこんなにたくさんいるんだ。辛い思いをしているのは私だけじゃなかったんだ。

診療所の待合室で、通院している人たちの姿を見たとき、「自分だけではないんだ」と安心感を抱いたことを覚えています。カウンセリングを受けて「今までかなり無理して働いていたんだ」と改めて気づくこともできました。

体調が少しずつ落ち着いてきた頃、先輩から「あなたが本当にやりたい仕事について、カウンセリング担当に伝えてみたらどうかな?」と声をかけていただきました。そこではじめて今まで伝えることができなかった本当にやりたいことを話すことができたのです。

そのおかげで、主治医から復職できる状態だと診断されたこともあり、ずっと志望していた新卒採用を担当する部署へ配属されることになりました。こんな自分が役に立てるのだろうか、症状が再発しないだろうかと不安もありました。それでも、やっと社会の一員に戻れるんだと思うと、純粋に喜びを感じました。

しかし、働くううちにまた過剰に不安や恐怖を感じやすくなっていきます。そして心と身体にも影響を及ぼす疾患である不安障害とうつ病を発症してしまい、3ヶ月足らずで再休職することになったのです。

うつ病と不安障害を発症。人生で一番つらかった休職期間

正直、ここからの生活は人生で1番の地獄でした。働くみんながキラキラして見える一方で、また働けなくなった自分の姿は無価値のように感じるようになりました。

社会人になって貯めてきたお金も底をつき、精神的にも余裕が無くなっていきます。自分自身を認めることも受け入れることもできず、食事も睡眠もまともに取れない状態。毎晩ベランダに出て手すりに足をかけては「あと一歩で死ねる。そしたらみんなの記憶から私が消えて、初めから存在していなかったことになればいいのに」と考えては涙が溢れるのです。

きっと私は人間ではなくなってしまったんだ。何で生まれてきてしまったんだろうとすら思いました。

周囲の人からは温かい励ましの言葉をいただくこともありましたが、ほとんど覚えていません。当時の私にはそれらの言葉を受け入れる余裕が1ミリもなかったんです。本当にごめんなさい。それだけいっぱいいっぱいでした。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるはやしみゆうさん

そのうち東京で一人暮らしができなくなり、実家に帰らなければいけなくなりました。

はじめは休職したことに対して、家族の理解を得ることはできませんでした。私はパニックになって親の目の前で死のうとしたり、家出をしたり、救急車で運ばれたり……。そのうち「理解してもらおう」という気持ちだけでは分かり合えないのではないかと思い、うつ病や不安障害について書いてあるウェブサイトを親に見てもらうようになり、少しずつ病気について知ってもらうことができました。

今は父母と私の三人で暮らしているのですが、私のことを全力で応援してくれていて、とても大切な存在です。

また、周囲の友人たちにもとても助けられました。

あるとき、同期とご飯に行く機会がありました。私は休職期間がとても辛いことや、死にたいと思っていることを打ち明けました。すると、同期は私の手をぎゅっと握って、「死なないで」と言ってくれたんです。そのときに感じた手の温かさや言葉の強さを今でも鮮明に覚えています。

私はそのとき、「死ぬ」という選択肢ではなく「生きる」という選択肢を選ぼうと強く思いました。

「感情の居場所をつくる」という思いを込めたアクセサリーブランド「-1.O.+I」

病気のあるなかでも生きていこうと決めた私が次に悩んだのは、重苦しくなる思考回路との戦いでした。時間があると、どうしてもすぐにネガティブなことを考えたり、自分を責めたりしてしまうのです。

そこで思い立ったのが、以前から興味があったアクセサリー作りでした。昔からものづくりやデザインすることが好きだったので、自分でデザインしたアクセサリーを形にしてみると、「楽しい」という気持ちになれました。もともとは気を紛らわすためにはじめたのですが、周りの人から「素敵だから、販売してみるのはどう?」と声をかけてもらうようになり、私はアクセサリー販売に踏み出すことを決めました。

ブランド名はハヤシミユウ、屋号は「-1.O.+I(マイナスイチゼロプラスアイ)」。

「みんなが自分の気持ちをまっすぐに表現できる社会をつくりたい」という思いを込めたアクセサリーです。「-1.O.+I」という屋号は数直線を表しており、「人生後ろに下がってもその場で止まっても前に進んでも、いろいろあってもいいよね」という意味を示しています。アクセサリーにはさまざまな感情を込めていますが、その感情には、プラスに捉えられるものもマイナスに捉えられるものも関係なく含まれています。

コンセプトは「アンバランスで、けど洗練された」を掲げています。人の繊細さや、得意・不得意などのでこぼこも大切にしていけるといいなという思いを表現するために、あえて左右非対称なアクセサリーも多数制作しているのです。

私はアクセサリー作りを通して、お客さんからたくさんのパワーをいただいています。それは、自分の生きやすい生き方や働き方とまっすぐ向き合う起点になりました。今度は私から、お客さんに「どんな気持ちも存在していいんだよ」というメッセージを届けていきたいです。

【写真】みゆうさんがデザインした指輪。柵のような形をしていて、一箇所に小さいストーンがついている。

「こぼれる」というタイトルのリング

私がつけているこのリングは、何かしらのしがらみや蓋を表す監獄のような形をしているように見えます。そこから出ている白いストーンで、ぽろっと出た素直で純粋な感情を表現しているんです。「素直で純粋な感情」は、いろんな葛藤の中からこぼれ出た自分らしい感情で、それはとても美しくて愛おしいものであるという意味を込めてつくりました。

【写真】「こぼれる」というタイトルのリングのアップ写真。

どんな感情も嫌いにならない。自分の気持ちに素直になるということ

私にとって、これまでの休職や退職といった一見後ろに一歩下がるような意思決定は、前に一歩進むことよりも決断が難しいものでした。何度も何度も辛い思いを経験しました。でも、今はやりたい活動をはじめ、少しずつ自分らしさを取り戻しているように思えています。

安定して生活できるように、心がけていることがいくつかあります。

一番は、とにかく「自分の気持ちに素直になること」。

うつ病になってから当時の気持ちを書き続けているブログやTwitter、アクセサリー作りなどを通して、自分自身の素直な気持ちに向き合い、表現しています。

たとえ人を妬むことや憎むことがあっても、それも自分の大切な気持ちの一つ。その気持ちを持つことは自分を責める材料にはならないのだから、素直に向き合ってみよう。

今はやっと、そう思えるようになりました。

【写真】笑顔のはやしみゆうさん

もう一つ心がけているのが「こうでなければいけない」「こうすべき」などの自分への縛りを無くしていくことです。

あるとき、私が自分の中にあるあらゆる縛りを書き出したのですが、50個もの縛りが出てきたんです。幼少期からの「いい子でいなければならない」や「失敗してはいけない」などの縛りもたくさん出てきました。

それらの縛りを、友人と一緒に生きる上で本当に必要なことなのかどうか振り分けていきました。すると、必要だと思った縛りはほとんどなく「一体私は今まで何に縛られてきたんだろう……」と気づくことができたのです。

それからは、頭の中にこうでなきゃいけないかな…という考えが浮かんでくると、その縛りは本当に必要かどうかを判断するようになりました。

また、毎日きちんと睡眠をとって食事をすることや、体と心の調子を見ながら予定を立てることも意識するようになりました。

当初よりは体調も落ち着いてきましたが、それでも気分が落ち込むことだってあります。そんな時は、予定も仕事も無理をしません。辛いと思ったことは、できる限りどこかで吐き出せるようにしています。

【写真】飲み物を持ち、笑顔で歩くはやしみゆうさん

自分のペースを大切に。みんなが気持ちを表現できる社会を目指して

自分の生きづらさができるだけ少ない状態でしっかりと自立し、みんなが自分の気持ちをまっすぐに表現できる社会をつくること。

これが今の私の目標です。そのために、感情の居場所になるアクセサリーづくりの他に、YouTubeでの動画配信にも力を入れています。動画配信では、うつ病や不安障害などの理解が広がり、精神疾患の当事者の方の居場所になれればいいな、という思いで活動しています。

精神疾患の当事者で応援してくださる方からは「ミユウさんの動画は、私にとって自分の気持ちを出せる場所です」と言っていただくことも。私の活動が、誰かが素直になれる場所として存在していることがとても嬉しいです。私の体調が悪いときは皆さんに支えてもらったり、感謝の気持ちでいっぱいです。

こうして多くの方に支えてもらいながら、私は今後の目標に向けて、自分を大切にしながら無理なく活動していきたいと思います。

【写真】外が見渡しよくみえる窓の前で笑顔で立っているはやしみゆうさん

この記事を読んでくれている方の中には、精神疾患のある方が身近にいて、どのように支えればいいのか分からずに困っている方もいるかもしれません。当事者の周りにいる方たちもきっと大変なことがたくさんあると思います。それは私自身、母親を見ていてひしひしと伝わってきますし、私が同じ立場でも悩むと思います。

そんなときは、本人のタイミングやペースで行動することを見守っていてもらえると嬉しいな、と思います。病院へいくとき、自分の気持ちと向き合うとき、新たな決断をするとき……。行動するタイミングも人それぞれなので、温かく見守ってくれる存在がいることが支えになると思います。

そして最後に、この記事を読んでくれた方々や、未来の私が自分のことを大切にできるように言いたいことがあります。

どんな気持ちも存在していいし、居場所はある。だから、安心して吐き出してね。そしてしんどい時こそ、休むという選択肢をとる勇気を持ってみてほしいな。

もしこの先、私が無理をしてしまいそうになったら、この言葉を何度も思い出そうと思います。

【写真】外で満面の笑みをみせるはやしみゆうさん

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(写真/馬場加奈子)