【イラスト】胸に手をあてながら上を向き、明るい表情のななちるさん。ななちるさんの髪は長い。

こんにちは、ナナチルです!

現在、私はフリーランスのSNSコンサルタントとして働きながら、「生きづらさの克服」をテーマにTwitterブログを通した発信をしています。

様々な生きづらさが蔓延している現代ですが、その中でも私が抱えてきたのは「アダルトチルドレン」としての生きづらさでした。

アダルトチルドレンは、子ども時代に親との関係で何らかのトラウマを負ったと考えている成人のことです。アルコール依存症や薬物依存症などのある親の元で育ったり、子育てや生活が機能していない機能不全家庭で育った影響により、自己肯定感が低かったり、生きづらさのある人が含まれます。

幼少期の家庭環境は、その人の人格形成やそのあとの人生にまで深く影響を与えます。中でも、機能不全家庭で育った人は、親の愛情不足や過干渉、虐待やネグレクト等によって大人になった後も自尊感情を持つことができなかったり、自分の行動や考え方、人間関係に支障をきたすこともあります。このように、何らかの生きづらさを抱えている場合が多くあるのです。

私自身もまたアルコール依存症の母を持つアダルトチルドレンとして、様々な生きづらさを抱えてきました。けれども、高校時代に出会ったある先生の言葉がきっかけで、今は過去にとらわれない新しい人生を生きています。

今回は、そんな私がアダルトチルドレンとして歩んできた道と、克服のきっかけ、そして今も生きづらさを抱えている人へ伝えたいことをお話したいと思います。

「強くならなきゃ」母を守れなかった子ども時代

子どもの頃の私は、とにかく活発で変わり者でした。木登りが好きで、知らない道はもっと好き。目を離した隙にどこかへ消えて、親が必死で探してやっと見つけたと思えば「もうお母さんどこ迷子になってたの!」と怒るような困ったさん。

父は小さな会社の社長さんで、母は美人で料理上手で優しくて。当時の写真に映る親子3人はとても幸せそうでした。

けれども、別れの時は思ったよりもずっと早く。父は、私が2歳になる前にがんで亡くなってしまいました。

ねえ、おかあさん。なんで、おとうさんをもやしちゃうの?おとうさん、あちいあちいっていってるよ?

お葬式で発した私の言葉に、母がなんて返したのかは、覚えていません。

新しい父はすぐにできました。強くて、勇敢で、曲がったことが大嫌い。正義のヒーローみたいにかっこいい父。私を血のつながった娘のように愛してくれましたし、私もそんな父が大好きになりました。母は変わらず美人で誰よりも優しく、大好きな人。私たちはまた、幸せな家族になれると思っていました。

ただ、お酒さえなければ。

母は、私が生まれる前からアルコール依存症でした。普段は優しい母も、お酒を飲めばたちまち豹変してしまいます。泣いて、叫んで、怒り狂って。母が変わってしまうと、周りの人たちも変わってしまうんです。

ヒーローのようだった父も、次第に母に暴力をふるうようになりました。母がお酒を飲んで酔っぱらい、仕事から帰ってきた父にひどく絡む。そして、父が母を殴る。蹴る。ボコボコにする。

私は、それをただ見ていることしかできませんでした。小さな体で「やめて」と叫んでも、誰も聞いてはくれない。短い腕を伸ばして母をかばっても、殴るその手には届かない。「あっちへ行ってろ」と追い出され、私は一人暗い部屋で小さく怯えていました。

本当は、二人を止めたかった。殴られて泣く母も、泣きながら怒鳴り殴る父のことも、救ってあげたかった。

なにもできなくて、ごめんなさい。まもれなくて、ごめんなさい。

私は無力で何もできない、と思いながらぬいぐるみに向かってひたすら謝っていました。そうしているうちにいつのまにか疲れて眠って、目を覚ますと朝が来ているのが日常。夜に怯える日々を過ごしました。

そんな毎日だったからこそ、ある時私は決心をしました。

この小さな体じゃ、誰も守れない。大切な人たちを守るためには、私が強くなろう。

最初に決心したのは、まだ小学校に上がる前のこと。幼い頭を一生懸命ひねって出した答えは、でんぐり返し100回。毎日ひとりででんぐり返しやほふく前進など、思いつく限りのことをして強くなろうとしました。吐き気と闘いながら自分を鍛えようとしましたが、幼稚園児が考えることなんて、しょせんそのレベル。そんなことをしても強くなんてなれません。強くなって大切な人を守りたい、強くなるって、なんだろう?胸のうちでは、ずっとそんな思いを秘めていました。

【イラスト】胸のあたりをぎゅっとつかみながら真剣な表情で上を向くななちるさん

それから私が小学4年生の時に両親は離婚し、母と私は実家に戻ることになりました。これで、あの恐ろしい夜が終わるのかと、心のどこかで安心して……。

でも、そうじゃなかった。母の実家でも、私たちは歓迎されなかったのです。

「アルコール依存症の厄介者がやってきた」、そんな目で見られていました。あたたかくていい人たちだった家族も、母がお酒を飲んで暴れると、次第に冷たくなっていきます。

「迷惑なのよ」「うちの幸せを壊さないで」。ここでは父のようなこぶしの暴力はなかったけれど、言葉の暴力が酷かった。母に向けられた言葉のナイフたちをどうやって止めればいいのかが分からず、私も言葉の数々に心が刺されていくようでした。その言葉は私にも向けられるようになり、「早く出てってくれ」という言葉を浴びていくうちに、私の心もささくれ立っていき、母との口論も増えました。

そしてある時、私は母に言ってはいけない言葉を吐いてしまいました。

××××××ーーー!!!

実は、この時言ってしまった内容を覚えていません。でも、ショックな気持ちは覚えています。

私は、母を守りたかったのに、気が付けば母を傷つけたのは自分自身になっていた。傷つけてしまうくらいなら、もう言葉なんて全部なくしてしまおう、と。

それから2年間、私は母の前で一切口をきかなくなりました。母からは「話してくれ」と懇願されたときもありましたが、私は母を救えない自分の無力さに胸が痛み、どうしようもできませんでした。

愛されるために優等生の皮をかぶり続けた学生時代

当時を振り返ると、幼少期から抱き続けた「強くならなきゃ」という思いは、絶望的な環境から母を守るためでもあり、「強くなった自分を認めてもらいたい、愛されたい」という承認欲求のあらわれだったのかもしれません。事実、家族の愛情に飢えていた私は、家の外の世界でも誰かに愛されようと常に必死でした。

小学校では、誰かに笑ってもらえば人気者になれるのではないかと思っていたので、よく笑い、ふざけ倒しておちゃらける。中学校ではわかりやすく「良いこと」をして目立てば一目置かれるだろうと思い、生徒会に所属しました。高校では人に認められるようにナンバーワンにならなくてはと考え、死ぬ気で勉強して学年一位の成績を取り続けました。

こうして生きてきたので、学校での私はそれなりに認められるようになりました。

先生やクラスの子に褒められたり、廊下を歩いているだけで顔も知らない人から「あ!学年一位の!」と噂されるようになったり。認められて嬉しい反面、何か、否定しようのない違和感がありました。褒められるのは自分がしてきたことだし、嬉しい。だけど、何かが違う。そんなとき、ふと思ったんです。

この人たちは、私自身を認めてくれたわけじゃない。私の肩書きを認めてくれただけなんだ。

弱くて惨めでボロ雑巾のような本当の私のことは誰も知らないし、話すことなんてできない。「学年一位」と「優等生」の私の肩書きが一人歩きしているだけ。そう思いはじめると、歪んでひねくれた感情が湧いてきました。

それでも人に認められたい気持ちがあるから、それを隠すためにまた笑って「優等生」のフリをして。この肩書きを失うことになれば、自分には何の価値もなくなるのではないかと恐れ、テストの度に吐きそうなほどのプレッシャーに耐えながら勉強し続けるしかありませんでした。強い肩書きは弱い自分を押しつぶし、より一層本当の自分なんて出せなくなっていく。前よりもずっと、息が苦しくなりました。

ありのままを認めてくれた一人の先生との出会い

本当の自分を認めてもらうにはどうしたらいいのか?どうしたら、ありのままの自分を愛してもらえるのか?

グルグルと考え続けていた高校2年生のある日、私は一人の先生に出会いました。

素朴で真っ直ぐで、笑った顔は子どもみたいだなぁといった感想がその先生の第一印象。でも、先生の話す言葉は他の人たちとは違ったんです。

先生は勉強や知識の話よりも、人生や生き方にまつわる話をしてくれました。「私はこれがすごいんだぞ」という自慢話より、「私は最近こんな失敗をしたんだ。でもね、そこからこんなことを学んだんだよ」なんて自分の弱さを語りながら、さまざまな問題の乗り越え方を教えてくれました。

【イラスト】楽しそうに話すななちるさんと、真剣に話を聞く男の先生

これまで接した多くの大人達は、私を心配して、励まし慰めてくれましたが、クラスや学校が変わった途端に関係性は途切れ、サヨウナラをしてきました。でも、その先生だけは私の話に耳を傾けて、最後まで真摯に向き合ってくれた唯一の人だったのです。

この人なら、私がずっと抱えてきた問題の答えを持っているかもしれない。

そう思い、「先生のもとで人生について学ばせてください」とお願いをしたのが17歳の時。

しかし、これまでの経験が影響して、私は極度の人間不信でした。何度も母を信じては、ことごとく約束も何もかも壊されてきた私には、誰と接する時にも「この人にも裏切られたらどうしよう」という恐怖がつきまとっていたのです。

だから私は自分から学ぶことをお願いしておきながら、何度もその先生を試すような失礼なことをしました。わざと意地悪な質問をしてみたり、時には予定をすっぽかしてみたり、無視をしたり。今思えば、優等生であろうと必死だった私が反抗的な態度を取れたこと自体、特別だったのかもしれません。

でも、どれほど失礼な態度をとっても、先生は変わらず接し続けてくれました。

「今日もごくろうさま」
「よくがんばったね」
「ちゃんと食べてる?」
「あなたが元気だと、私も嬉しいよ」

先生がくれる素朴な言葉に支えられ、どんな自分もありのままに認めてくれる姿に、言葉だけではない真実さを感じました。

優等生じゃない弱い私でもいいんだ。この人なら、信じてみていいのかもしれない。

人間不信だった私は、先生から数えきれないほどの大切なことをたくさん学びました。人生の生き方や考え方、困難への立ち向かい方、誰かを信じる力や諦めない心……。そして、それまでは無価値だと思っていた自分自身を愛すること。

この人が信じてくれた、自分自身のことも信じてみよう。

先生との出会いが転機となり、私は幼い頃からずっと抱えてきた「愛されたい」という心が満たされるようになりました。本当の自分そのものを認めてくれた、たった一人の存在。親子の愛でも恋人の愛でもないけれど、肩書きのない私を認めて受け入れてくれた心は間違いなく愛なんだと。その力は人の人生を変えてしまうくらいものすごいんだと実感し、私は新しい人生の一歩を踏み出したのです。

自分が変わることで人が変わり、世界が変わる

考えが変われば、行動が変わる。行動が変われば、生活が変わる。生活が変われば、人生が変わる。

これは先生から教えてもらった言葉の一つです。その言葉通り、私は自分の中の価値観が変わることで、次第に縛られていた考え方から自由になり、これまでの生きづらさを克服できるようになっていきました。

自分が満たされてまず変わったのが、世界の見え方です。これまでは自分が愛されたくてたまらなかったから気づくことができなかったけど、同じように心が飢えてもがいている人たちはたくさんいるんだと気づきました。

その中でも、一番身近にいて、誰よりももがいていたのが母でした。

昔の私は母に対して「なんでもっと愛してくれないんだ」「なんでお酒をやめてくれないんだ」とひたすらに責める思いでいっぱいでした。でも、母は誰よりも自分の病気のことで悩んでいたと知ったのです。

お母さんはお酒を飲みたくて飲んでいたわけじゃない。お酒をやめるために入院もしてこれまでたくさん闘ってきたけど、それでもお酒に手が伸びてしまうんだ。

本人の意志が弱いとか、だらしがないことが理由じゃない。そのことを理解できず、娘としての感情で母にぶつかってしまっていたこと自体、母を苦しめていたのかもしれない。どんなにやめたくてもやめられない脳の障害がある状態だから「アルコール依存症」なんだと、ようやく気づくことができたのです。

じゃあ、私が母にしてあげられることは何だろう?

私が先生に出会って救われたように、今度は私が救うとまでいかなくても、母に手を差し伸べたい。母にしてほしいことではなく、自分が母にしてあげられることをしたい。そう思うようになりました。

そして2年間閉ざしていた口を開き、私は少しずつ母と話をするようになっていきます。

まずは今日学校であったことや最近好きなものについてたわいもない話から、次第に母の話や悩みを聞いたり、何か力になれることはないか尋ねてみたり。ぎこちなかった会話も、前よりもずっと近い距離感で話せるようになって。一緒に映画を観たり、母から料理を教えてもらったり、お互いに笑い合える関係にまで回復するようになりました。

なによりも一番驚いたのは、周りの家族たちの考えや行動まで変わっていったことです。

仲良くなってから、徐々に母の病気が良くなっていきました。完治とまではいかないけれど、お酒を飲む頻度は以前より確実に減り、自立が難しかったのに一人暮らしをはじめ、できることが少しずつ増えていくように。

変わったのは母だけではありません。祖父母や周りの家族たちの母への態度も変化していきました。これまではお酒を飲んで酔っ払う母に向けていた厳しい言葉はなくなり、食事やお出かけをして一緒に過ごせる時間が増えていったのです。

私にとってその光景はあまりにも不思議で、「なんで変わったの?」と祖母に理由を聞いたことがありました。

あなたがお母さんに優しくする姿を見て、私たちも変わらなきゃと思ったの。

私の考えや行動が変わり、その姿をみて周囲の人たちの考えや行動が変わる。その連鎖が広がることで、世界が変わっていく。自分が変わることは自分以外にも意味があり、大きいことなのだと心の底から実感しました。

【イラスト】笑顔で話すお母さんとそれを笑顔で聞くななちるさん。周りには嬉しそうな様子でおじいさんとおばあさんが見守っている。

どんな壁があっても心が揺れなければ問題じゃない

少しづつ生きづらさを克服していった私ですが、その後も大変なことはいろいろとありました。

特待生で入学した大学では、学費・生活費のための連日アルバイトと勉強の両立で無理をしすぎて倒れたこと。新卒で入社した企業では、入社1ヶ月目にして深夜まで残業をさせられたり、セクハラやパワハラを受けたこと。

アダルトチルドレンを克服したって、生きている限り辛いことが一切無くなるなんてことはありません。でも、壁にぶつかったならその都度乗り越えていけばいいんだとわかりました。

倒れた時は病院に通ってゆっくり治療して、会社は色んな人に相談して考えた末に転職して。そうやって一つ一つ悩んでもがいては乗り越えて、今に至っています。

泣いたり、怒ったり、悩んだり、落ち込んだり。いろんな感情の波はあったけど、心の軸がぶれることはありませんでした。それは先生から教わった言葉の数々が私を支えてくれ、生きる希望を失うことがなかったからです。大変なことはあっても、自分の軸や信念さえぶれなければ生きていけるんだ、と今では感じています。

言葉の力で誰かの力になりたい。自分を変えてくれた言葉を人のために発信するように

会社を辞めた後、「今の自分にできることは何だろう」と考えるようになりました。

選んだ会社がいわゆる“ブラック企業”だったとしても、人や社会のために貢献できると思い、私はそれなりに志を持って選びました。でも、その志と現実は違ったんです。それなら今、本当の意味で私が大切な人のためにできることは何だろう?と考えた時に思い浮かんだのが「言葉」でした。

私が一番苦しかった時に人生を変えてくれたのは一人の先生との出会いであり、言葉だった。何度も壁にぶつかる度、乗り越える力を与えてくれたのもあの時の言葉だった。だからこれからは、私自身が先生から学んだ言葉を発信して、今もがいている人たちに届けていきたい。

そう決心してTwitterでの発信活動を始めたのが、2018年1月です。発信を始めた当初は「フォロワーが700人いったらすごいことだなぁ」と思っていましたが、気がついたら1ヶ月で1000フォロワー、半年で1万フォロワー、1年経った現在は5.4万フォロワーにまで。自分自身が何より驚いています。毎日いいねやリツイートをしてくれる人もいれば、リプライやダイレクトメールでメッセージを送ってくれる人もいるのです。

実は、自分はもう明日には人生を全部終わりにしようと思っていたけれど。ちょうど今このツイートを読んで、もう一度生きてみようと思いました。ありがとうございます。

そういったメッセージを送ってくれる人は一人二人だけではなくて、何人もの人がいらっしゃって、とても衝撃を受けました。あの時の私と同じように、今その一言を必要としている人がこんなにも沢山いたんだ。一言の言葉で人が傷つくこともあれば、生きる力や、前に進む力、挑戦する力、新しく変化していく力、そういったものを与えることもできるんだと。言葉が持つ力の大きさを改めて感じたのです。

【イラスト】パソコンを嬉しそうな表情でみつめるななちるさん。ななちるさんの目には、ななちるさんの発信内容をみて喜んだり、涙を流している人々がうつっている。

自分にとっての過去も、今では自分を縛るトラウマではなく、発信できる話題のひとつだと捉えています。私の発信を読んで誰かが笑ってくれたり、勇気や力、癒しとして受け取って前を向いてくれるなら、私にとっての過去は宝物だと思えるようになりました。

本当に小さい発信だけれど、誰かにとって意味のある力として届けることができたら嬉しいなと思っています。フォロワーさんがくれる何気ない挨拶や、私が好きなペンギンの画像を送ってくれたり、そういった会話もとても嬉しくて。

いつも読んでくださっている方々に改めて感謝の気持ちを伝えたいです。本当にありがとうございます。

「存在しているだけであなたには価値がある」と伝えたい

今、自分の価値がわからない人や自分を好きになれない人はたくさんいると思います。「自分って何で生きてるのかな」とか「自分ってほんとに駄目だなぁ」とか、悩んでいる人は沢山いるのではないかと感じます。

そういった人たちに私が伝えたいのは、「人にはそれぞれ代えられない価値がある」ということ。

綺麗事だと言われるかもしれないですが、私自身がそのことを実感してきました。自分が持っている肩書きや地位、名誉で価値を見出すことは、逆に自分自身を決めつけること、レッテルを貼ることになってしまうと思うのです。

いい学校に入ったから、いい会社に入ったから、お給料がいっぱいもらえるから価値があるのではなくて、そもそも人間は生きてるだけで価値があるんです。そこに存在している命そのものだけで、すでに価値があるんだよ、と私は伝えたいです。

それでもやっぱり、自分の好きになれないところやコンプレックスがあるかもしれない。それはそれでいいじゃん、とも思います。

「人生の希望は、変化すること。成長することだ。」
「人生は一生、自分を作ることだ。」

これも私が学んできた中で、大好きな言葉の二つです。

もし今できないことがあったり、足りないことがあったとしても、人間の希望は“変われること”なんだと思います。今がもしだめな状態で、「お前は一生そのままだ」と言われたら絶望するしかないけれど、人間はいくつになっても変わることができます。そのままでも十分素敵なところをみんな持っているけど、変わらなくていいところもあれば変わった方がいいところもあるし、変化できることっていくらでもあるんです。可能性も選択肢も、見えていないだけで、自分が思うよりずっと沢山ある。

人それぞれ輝ける場所が違うから、自分の場所はどこなんだろう、自分の個性は何なんだろうって見つけて磨いていけたらいい。もしすぐ見つけられないんだったら焦らず時間をかけてじっくり見つけていけばいいと思います。

そして、変わりたくても、変われない人は、まず自分自身を満たしたらいいのかもしれません。変わろうとするのは、きっとすごく力がいること。今いる場所から抜けだそうと思ったら、「えい!」って抜け出すための力が必要になるわけで。

まずは自分をたくさん充電してあげて、何か傷ついていることや苦しんでいることがあるならそれを取り除いてあげて、癒してあげることが大事だと思うのです。誰かに相談したり、必要だったら気軽に病院にいったり、薬がいるなら薬を出してもらう。本当に自分が変わるために必要なことだったら、それが恥ずかしいとか悪いとかじゃなくて、さまざまな手段を使っていいと思うのです。何でもいいからやってみたらいいんじゃないかなって。それから「よし、じゃあ進もう」と言って一歩ずつ前に進んでいけたらいい思います。

誰かと比べるとか、遅いとか早いとかそういうことではない。春に咲く花もあれば、夏に咲く花も、秋に咲く花もあるように、自分の時に輝けるように。今できることをコツコツ積み重ねていきながら、本当に一人一人が自分らしく生きられるように。本当に胸を張って、価値があると思って生きられるようになったらいいなと思っています。

私もまだまだ足りないところだらけですが、これからも一つ一つ自分を作りながら、もっと発信活動にも力を注いでいきたいです。

去年の冬には「ありがとうお手紙100企画」を行い、応募してくれた100人のフォロワーさんに手書きで手紙を送ってみたりもしました。これからまた何をしていくかは、考えているところです。

伝えたい言葉を、必要としてくれる人の心に届けるために、何ができるのか?
今よりもっとできることはないのか?

私もこれからも、マイペースに挑戦していきたいと思います。

【イラスト】胸に手をあてながら笑顔をみせるななちるさん

関連情報
ナナチルさん ブログ

(イラスト/ますぶちみなこ、編集/糸賀貴優)