【写真】笑顔で並ぶ登壇者2人とそあ代表のくどうみずほ

駅前の雑踏の中、雑誌を掲げて立ち続ける男性の姿。それは、ホームレス状態にある人の社会復帰を支援する雑誌「ビッグイシュー」というプロジェクトとの出会いでした。

中学生のとき目に焼きついたこの風景は、のちに新聞記者を目指した私の原点でもあります。希望を持って生きている人がここにいるということを、道行く人たちに伝えたかったのです。

心が揺さぶられ、行動が決まる。そんな体験はもっと身近な場面でも繰り返し起こっています。映画を見たくなったり、テーマパークに行きたくなったり。その先には、何か心をわくわくさせてくれるものがあると想像できるからです。

社会の課題を伝えるときも、固くなりすぎなくていいということを知っていたら、私は新聞記事で真正面から問題を訴えていくのではなく、男性の気さくな人柄を紙芝居で伝えたりしたかもしれません。そのほうが、楽しいし、おもしろいから。おもしろいことをしていたら、人は「なんだろう?」と足を止めてくれるはずだから。

見てみたい、聞いてみたい、もっと知りたいーーそれまで遠い世界の話に感じられていたことが「自分ごと」になっていく過程では、こうした前向きな心の変化が自然と起こっているのではないでしょうか。

8月27日に開かれたイベント「社会課題を伝えるコミュニケーションデザインをどうつくる?」では、エンターテイメントを通してLGBTについての情報発信をしている太田尚樹さん、認知症のある人たちがホールスタッフとして活躍する「注文をまちがえる料理店」を企画した小国士朗さんを迎え、人々の関心を引き出すクリエイティブなデザインの生み出し方について考えました。

楽しいこと、おもしろいことを通じて人が受容していく瞬間をつくる

初めに登壇したのは、LGBTに関する情報を発信するウェブサイト「やる気あり美」で編集長を務める太田尚樹さんです。やる気あり美は「世の中とLGBTのグッとくる接点をもっと」というコンセプトのもと、記事やアニメ、音楽などさまざまな表現方法でLGBTについて伝えています。自身がゲイである太田さんのほか、さまざまななセクシュアリティのメンバーがいます。

【写真】笑顔で話す登壇者のおおたなおきさん

やる気あり美の活動を紹介する太田尚樹さん

LGBTが仏教ではどのようにとらえられるのか実際に住職を招いて話を伺った座談会記事、同性パートナーシップ制度の始まりをきっかけに「ぶち上げ!」な思いを歌ったお祝いソング「ピー・エス・エス」、LGBTフレンドリーな農家との田植え企画など、ユニークなコンテンツを紹介。太田さんの軽妙な語りに乗り、会場が笑い声に包まれていきます。

これらのコンテンツが生まれた背景には、LGBTの人たちが抱える生きづらさが存在していることも事実です。それでも、制度や理解が不十分な社会に対して抗議の声をあげていくのではなく、そんな現実もエンターテイメントの題材にしてしまうのが、やる気あり美。太田さんは自分たちの姿勢について次のように話します。

太田:差別をなくすのは「理解とラブの両輪」だと思っています。楽しいこと、おもしろいことを通じて理解が深まったり、人が受容していったりする瞬間をつくりたいんです。

全国のLGBTに関する活動を見ていくと、その多くが正しい理解や社会の変革を求めるものに偏っていると感じました。だから僕たちは「ラブ」をつくって、活動のバリエーションを増やしたい。まだまだ遠くの世界にいるエキセントリックな人たちだと思われがちだけど、身近な世界にいる人間なんだと思ってもらいたいです。

やる気あり美が「おもしろい」コンテンツをつくる覚悟と課題

【写真】満員の会場で話すおおたなおきさん。参加者は真剣に話を聞いている。

自分たちが思いを込めて発信しても、社会での受け取られ方はさまざまです。ある記事を読んで励まされる人がいる一方で、傷つく人もいるかもしれません。どんな反応が返ってくるのかわからない中、太田さんたちがやる気あり美を続けていくうえで大切にしていることが二つあります。

一つ目は「誰も傷つけないを諦める代わりに、誰を傷つけているかに自覚的である」ことです。

太田:おもしろいものをつくるとなると、誰かを傷つけたり怒らせたりする事態は避けようがありません。職場にLGBT当事者がいるのが嫌だと思っている人は今でも多いし、自殺率も一般の人より高いといわれています。そんな事実もあるくらいセンシティブな話だから。

でも、どこかで誰かを傷つけているということを自覚したうえでやると、「これはやる気あり美が描いたあるゲイの姿で、ゲイの人すべてのことを言っているのではない」と補足ができたりするんです。自覚をしたうえで、自分たちのスタンスをしっかり持っておく、ということが大事だと思います。

二つ目は「すごいより面白いと言われるものを作る」こと。これは2018年3月に公開し、大きな反響を呼んだ「ノンケと映画に行く。」という記事の”失敗”から学んだことなのだそうです。

太田:結果として記事自体は多くの人に支持してもらえました。ただ、シェアされたときの評判の多くが「この記事すごい」っていう内容だったんです。そのとき「あ、やっちゃったな」って思いました。

「おもしろい」ではなく「すごい」って評価される。それって僕らが目指していることだっけ?と思うと、違うんですよね。僕たちが目指すのは、バカだなって笑えるところからメッセージを伝えることだから。

【写真】登壇しているおおたなおきさん

そこで太田さんが理想の姿として例に挙げたのは、歌手の「サザンオールスターズ」でした。ひょうきんだけど本当は熱く、上品だけど下世話が似合う。そんなサザンがこれを見たらなんて言うだろうと想像しながら、コンテンツを練り上げているのだそうです。

一方で、ただおもしろいだけ、伝わるだけでは足りないと太田さんは話します。

太田:記事を読んだ人からは、「LGBTもそうじゃない人も一緒だと思いました」とよく言われます。それはもちろんうれしいんですけれど、「一緒じゃないよ」と内心思うこともあるんです。はねのけたいわけではないんですが、コンテンツを消費する際のゴールが、共感になってしまっている人は多いなって。共感だけじゃなくて、たしかな差を理解してもらうことも大事です。そういった疑問を感じる中で、「共感を生み出すこと」ばかりに自分たちが加担しつづけるのはどうなんだろう、でも他にどうしよう…と迷っていて。

そう考えると、やる気あり美のコンセプトは変わるべきときを迎えているかもしれないですね。僕らは何のためにやるのか、いま一度話し合おうとしているところです。

間違えても「まあ、いいか」と笑い合える「注文をまちがえる料理店」

続いて登壇したのは、株式会社小国士朗事務所代表取締役・プロデューサーの小国士朗さんです。NHKのディレクターとして、「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」「プロフェッショナル 仕事の流儀」など数々のドキュメンタリー番組の制作に関わってきました。個人のプロジェクトとして認知症の人がホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」などを手がけ、現在はフリーランスで活動しています。

【写真】笑顔ではなす登壇者のおぐにしろうさん

注文をまちがえる料理店を企画した小国士朗さん

注文をまちがえる料理店は、2017年6月と9月に期間限定でオープンしました。頼んだ注文と違う料理が来ても、その間違いを受け入れて「まあ、いいか」とお客さんも一緒に楽しんでしまおうというコンセプトです。

小国:ハンバーグと餃子を間違えても笑うし、間違わなくても笑う。間違いが起きるかどうかというのが主題ではなく、あくまでもコミュニケーションをとることを大切にしていました。

この料理店をやってみて、海外からの反響が多かったことも特徴的でした。僕自身、NHKで番組を制作していたとき、自分が取材を通して課題や解決策を知っていきながらも、自分自身の行動で示せていないことに矛盾を感じていたんです。そんなときにこの料理店を実現できて、何か道が開けたような感じがしました。

「この指止まれ!」方式で、課題をシェアする

小国さんが注文をまちがえる料理店を企画するときに大事にしていたのは、課題をシェアするという考え方でした。

小国:NHKではさまざまなキャンペーンをやってきましたけど、こちらが良い取り組みだと思っても、いまひとつ、社会的なムーブメントにつながっている実感が持てずにいました。その原因を考えてみたところ、NHKが課題を抱え込みすぎているからではないかと思い至りました。

それなら真ん中にイシュー(課題)を置いて、いろいろな分野のプロフェッショナルが集まって、それぞれのスキルや経験を活かして参加したら早いんじゃないかと。そこで「この指とーまれ!」と声かけたときに、さまざまな媒体が乗っかってくれるようなプロジェクトを作りたいと思いました。

自分が立てた指が、止まりたくなるような指になっているか。そのポイントはプロジェクトが持つ「メッセージ」にあると小国さんは話します。

小国:注文をまちがえる料理店では「まちがえちゃったけど、まあ、いいか」というメッセージを掲げています。もちろんこれを「認知症の人もキラキラ輝く社会」とする選択肢もあったんです。でも、それだと福祉関係の人の心には響くかもしれないけれど、それ以外の人にはちょっとハードルの高いメッセージになってしまうかもしれない。そこで、認知症であるかどうかにかかわらず、誰だって言ってほしいであろう言葉を打ち出しました。

【写真】身振り手振りをつけながら説明するおぐにしろうさん

それまでNHKというマスメディアを通じて社会課題を発信してきた小国さんは、なぜこのような異なる方法でのアプローチを試みたのでしょうか。

その理由は「大切なことほど、届かない」から。小国さんの心の中には「伝える」側に立つ人間としての悔しい気持ちがありました。

小国:どんなに取材をして番組を作っても、見てもらえていないなと。自分が本気で大切だと思う課題を届けたくても、全然届かないという現実が、本当につらかったんです。だからどんな手を使ってでも、自分が触れた価値を人に届けたいと思いました。

そこで小国さんが例に挙げたのは、イソップ物語の「北風と太陽」でした。

小国:北風のように「この問題って大変なんですよ、ちゃんと知ってくださいね」ってびゅうびゅうと伝えていくことは、それはそれで大切だと思います。ただ、大変な側面ばかりをメインにしつづけていると、視聴者はその”におい”というか、雰囲気を感じただけで目を閉じたり、耳をふさいだりしてしまうでしょう。それなら、ぽかぽかと周りを暖めて、旅人のコートを脱がせてしまった太陽のように、見ていて自然と興味をもってもらえるような企画のほうがいいと考えました。

中途半端なプロより、熱狂する素人でありたい

小国さんは今、友人である中島ナオさんが乳がんを患ったことをきっかけに始まった、がんを治せる病気にするプロジェクト「deleteC」を進めています。ブランドロゴや一般に流通している商品の名前からcancer(がん)の頭文字「C」が消された商品を買うと、その売り上げの一部ががんの研究費に充てられるという仕組みで、誰でも手軽にドネーションに参加できるのが特徴です。

小国:ナオちゃんから「私はがんを治せる病気にしたいんです。だから小国さん、一緒に考えてください」と言われて。その目が本気だったので、僕も一緒にやろうという気持ちになりました。たとえ「個」の力が弱くても、その個人が本気で見たい”風景”を伝えると、周りが協力し、世の中が動く。それを感じました。

【写真】登壇しているおぐにしろうさん。

しかし、個人が声をあげたとしても、知識や経験がある人から厳しい意見を言われたり、反対されたりすることがあるかもしれません。小国さんはこの関係について、「熱狂する素人」と「中途半端なプロ」という表現を使い、次のように話しました。

小国:社会を変えていくのは誰かというと、僕は「中途半端なプロ」より「熱狂する素人」だと思います。見たい風景やつくりたい未来が明確にあるなら、素人であろうとできるはずです。それを止めるのが中途半端なプロたち。もしかしたらその業界の人たちかもしれません。「それをやったら不謹慎だよ。炎上するよ」という助言がかえって、熱狂する素人たちの行動を阻んでいることもあると思います。

小国さん自身も、「中途半端なプロ」として安易に批判をしてしまった経験があるといいます。

小国:僕はかつてYouTuberという存在が世に出てきたとき、「あれはコンテンツじゃない。コンテンツというのは僕たちのようなメディアの人間が作っているものなんだ」と思っていました。でも、本当のプロフェッショナルなら、あの熱狂に気づくべきでした。慣れ親しんだ流儀でジャッジメントするから気づけないんです。僕は明らかに中途半端なコンテンツのプロでした。その反省があるからこそ、僕もこれから「熱狂する素人」でありたいと思っています。

自分が生きている世界の狭さや、自分の常識が常識でないということに気づくこと。慣れ親しんだ領域を少しはみ出して見つめ直すことが、新しいチャレンジへの一歩になると、小国さんは締めくくりました。

心を動かされた「原風景」があるならチャレンジするべき

それぞれの紹介を終えた後は、ゲストの二人を交えたトークセッションです。まずsoar代表の工藤から、やる気あり美の方針の一つにあった「誰を傷つけているのかに自覚的であること」について、小国さんに質問が投げかけられました。

小国:ポジティブでない受け取られ方はもちろん想定しますし、炎上のリスクも考えます。注文をまちがえる料理店を企画したときも「不謹慎だよね」「認知症の高齢者を笑い者にしているよね」と言われるだろうと思っていました。何をするにも常にリスクはあるんですけれど、一点、自分の中に「原風景」があるかどうかはいつも考えています。

【写真】話しているおぐにさんと、その隣で話をきくおおたなおきさん

注文をまちがえる料理店を思いついた小国さんの「原風景」は、認知症のグループホームを取材したときに見た食事の風景でした。昼食はハンバーグだと聞いていたのに、出てきたのは餃子。小国さんはメニューが間違っていることを伝えようとしましたが、施設にいた人たちは誰もその間違いを指摘せず、おいしそうに餃子を食べていたのです。

その光景を見た小国さんは、小さな間違いを注意しようとした自分を恥ずかしく思うとともに、「間違えてもその場にいる人が受け入れてくれたら、それは間違いではなくなるのだ」と心を動かされたのだと話します。

原風景について語る小国さんの言葉に、太田さんも共感します。

太田:原風景を持ってやることは僕も大事だと思います。知識としての事実はいっぱいあるけれど、風景はその場で自分が実際に見た「真実」だから。「あれは真実だった」と思える強烈な確信があるコンテンツは強いし、炎上リスクがあってもチャレンジするべきだと思います。

批判と冷静に向き合うことで自分が果たす役割を再確認する

強い覚悟を持ってプロジェクトに取り組んでいても、批判的な意見をゼロにしたり、目に入らないよう除いたりすることは簡単ではないはずです。自分のやり方や信じたものが否定されている状況に気づいたときは、どのように気持ちを守っていけばいいのでしょうか。

小国:そこまで僕らに全部を背負わせないでよ、と思うことがあるんですよね。注文をまちがえる料理店で認知症の問題を全部解決して、とか、やる気あり美でLGBTの問題を全部解決してとか。そんなの無理です。

それよりも、大き花を咲かせて、できるだけ広く、遠くの人に「話題=種」を届ける。そしてその種を受け取ってくれた人たちが思い思いのやり方で育ててくれることのほうがいいと考えています。大事なのは僕らが直営で100店舗やることより、みんながつかみとりたくなるようなイケてる種をまくこと。そういう意味では、僕らは自分たちが担うべき役割については、ものすごく責任を持ってやっていると思っています。

【写真】真剣な様子で話しているおぐにしろうさん。

うんうんと大きくうなずく太田さん。やる気あり美のエンターテインメント性は「できるだけ広く、遠くの人に話題を届ける」ために不可欠なものです。ただ、そう胸を張って言えるまでには、批判に傷ついた経験もあったと太田さんは振り返ります。

太田:やる気あり美は、自分の居場所なんてないんじゃないかと悩んだ末に「このままじゃ死んじゃうから何かしてみよう」という気持ちで始めたものでした。だから当時は社会からこんなに評価されると思っていなくて、批判にも真正面から傷ついていました。でも今では批判の多くは、「過度な期待」か「嫉妬」のどちらかに分けられるんじゃないかと思っています。それは、いただいた批判の全てを真に受けていく中で気づいたんですけど。

寄せられた批判を冷静に分析してみると、記事を読みこんでくれた読者からの真摯な意見が見つかることもあるのだそう。建設的な批判については受け止め、生かしていくことが必要だと太田さんは考えています。

太田:「ノンケと映画に行く。」の記事は多くの人に読まれて好評だったのですが、批判もありました。記事内ではある映画を批判しているんですが、読んだ方から「すごく納得させられました。けど、あの映画を好きな自分はこんなにすごいことを言えるやる気あり美のファンでいちゃいけないのかなと思いました。」というメールが届いて。それを見て、この記事は「おもしろい記事」じゃなくて「すごい記事」になってしまっていたんだなと反省しました。こういった、反省すべき点に気づかされるような感想をいただくのは、本当にありがたいと思っています。

【写真】真剣な表情で話すおおたなおきさん

クリエイティブなデザインを生み出すヒントは、私たちひとりひとりの中にある

多様な価値観が渦巻く社会の中に一石を投じるからこそ生まれる反省や葛藤。太田さんも小国さんも試行錯誤を繰り返してきたことがうかがえます。クリエイティブなデザインとはある日突然浮かんでくるものではなく、最初からうまくいくものでもないのかもしれません。

発想が偶然に因らないものだとするなら、アイデアを生み出すヒントはどこにあるのでしょうか。小国さんは「初めからクリエイティブなことをやろうと考えているのではない」としたうえで、次のように言葉を続けました。

小国:自分がある課題に気づいたら、それを深堀りして誰にでも通じる点を探ります。習慣としては「今、なぜ、これをやるんだろう?」と考えています。すると、たとえば「認知症の人が働ける社会」というメッセージより、「間違えても受け入れてもらえる社会」というより多くの人が望んでいるメッセージのほうがいいんじゃないかと考えることができるんです。

【写真】笑顔で話すおぐにしろうさん

異なる立場と立場をつなぐ橋をかけることができたなら、最初の数歩は足場をたたき、慎重に渡っていくのが太田さんたちのやり方。やる気あり美では冒頭に話した「誰を傷つけているかに自覚的である」という姿勢のもと、細部まで表現を見直していきます。

太田:基本的に、必要のない軋轢につながる表現や言葉づかいは使わないようにしています。特定の表現を気にする当事者の方もいらっしゃるので、誤解を招きそうな表現は削ったり、書き換えたりします。「やる気あり美のゲイは~」と書くことで、これは僕らの姿であって、すべてのゲイの人のことを指しているわけではないと伝えるとか。

【写真】登壇するおおたなおきさん

ただ、どんな受け取られ方が予想されようと、まずはコンテンツが人目に触れ、興味を持ってもらえなければ、議論を始めることさえできません。そこでアイキャッチのために作りこまれているのが、コンテンツの顔となるビジュアルのデザインです。

小国:狭義のデザインでは世界観を感じてもらうこと、見た瞬間に「素敵!かっこいい!」と思ってもらえることが大事だと思っています。

注文をまちがえる料理店の場合はロゴにこだわりました。これは、人が何かを間違えたときに「てへっ」と笑って「ペロッ」と舌を出すチャーミングな表情をイメージしています。このロゴを看板として掲げることで、「間違えることは悪くないよ」というメッセージをキャッチ-に伝えているつもりです。

【写真】注文をまちがえる料理店のロゴの写真

写真:森嶋夕貴(D-CORD)

イベント全体を通して「おもしろい」と感じるコンテンツのパーツをひとつひとつ紐解いてみると、そのどれもが単なる受け狙いのためでなく、「なぜ必要か」という確かな理由を持って効果を発揮していることがわかりました。

でも、私たちも同じような目標を掲げ、同じやり方でパーツを組み立てたところで、やる気あり美や注文をまちがえる料理店のようなクリエイティブなコンテンツを完成させることができるとは限りません。そこにはきっと、クリエイティブな何か=創造性が欠けているはずです。

参考にすることと真似をすることは違う――。イベントの最後、2人はこんなメッセージを添えてくれました。

太田:自分のセンスがどこにあるかということを知ってほしいです。僕は「笑い」に向いていましたが、優しい言葉選びにセンスのある人もいれば、選書にセンスのある人もいますよね。だから「こういうふうにすれば僕みたいなことができますよ」と言うつもりは毛頭なくて。「私のセンスに合ったメッセージの届け方がきっとある」と自信を持っていただきたいです。

小国:自分の身の回りで起こっていることを当たり前だと思い込まず、小さな違和感を見過ごさないことが大切だと思います。「あれ、なんだろう」と自分の心に引っかかったことを積み重ねていけば、その蓄積の中からアイデアは生まれてくるのではないでしょうか。僕も知ったかぶりをしていることが自分でも多いと思うので、なるべくファーストインプレッションを大事にしたいです。

自分自身に理由を問い続け、原風景を完成させていくこと

2人の話を聞いている間、私の心の中では反省と自信が入りまじっていました。原体験の衝撃が強いあまり、この社会課題は私が背負い、生涯をかけて解決するべき問題だと独りよがりになっていた気がしたのです。一方で、そうした使命感のような思いが個人を強くし、世の中を動かしていく原動力になることもわかりました。

社会課題は、みんなの問題。だからこそ、気づいた1人が背負うのではなく、みんなで向き合っていけばいい。「社会課題を伝えるコミュニケーションデザイン」は、それ自体が直接問題を解決するものではないとしても、個と個をつないでより大きな力を生み出すことができるものなのだと思います。

【写真】楽しそうに会話をする参加者の方々

とはいうものの、いきなり「一緒にやろう!」と旗を振るにはちょっと勇気が必要な気がします。それならまずは、少し先の風景を想像してみるのはどうでしょうか。考え始めた時点で私たちはきっと、何かしらのデザインの下書きを頭の中に思い描いているはずです。

自分自身にその理由を問い続けていけば、ぼんやりとしていたイメージに輪郭が浮かび、色がつき、1枚の絵が完成しているかもしれません。そして誰かの目に留まることができたなら、それはクリエイティブなコミュニケーションデザインと呼べるのではないでしょうか。

【写真】笑顔で並ぶ登壇者2人とそあ代表のくどうみずほ

関連情報:
やる気あり美 ホームページ
注文をまちがえる料理店 ホームページ

(写真/川島彩水、編集/工藤瑞穂)