【写真】笑顔で立っているにしざからいとさん

私には、小学生の頃からの夢がありました。大学卒業後はその憧れていた職業に就くことができ、誇りを持って仕事に臨んでいました。当時の私は仕事のやりがいだけでなく、一番大きな夢を叶えたことで得た自信にも支えられていたように思います。

意気込みだけはあったものの、現場に出るとうまくいかないことばかり。乗り越えられない壁にぶつかるたび、自分を支えていたはずの気持ちはいつしか、心を縛り上げる鎖のようになっていました。心身が限界に達してからは、毎朝決まった時間に起きたり、ご飯を食べたりすることも難しくなり、前向きに将来を考える余裕はありませんでした。

1日を終えるだけで精一杯だったあの頃、誰かにこんなふうに声をかけてもらえていたら、少しだけ自信を取り戻すことができたかもしれません。

夢は持たなければいけないものだとは思わないし、あることが絶対に幸せなことだとも思わないです。大事なのは、今自分がいる位置を知って、その”一つ上”を目指すこと。一つ上に行けるようになるというのは、ささやかではあるけれど、立派な夢だと思います。

そう話すのは、映像作家・絵本作家の西坂來人さん。西坂さんは小学生のとき、さまざまな理由により家庭での生活が難しくなった子どもたちを保護する児童養護施設での生活を経験しました。施設を出た後は子どもの頃から憧れていた映画や特撮を作る道へ進み、現在は映像制作や絵本のワークショップを通して、社会的養護のもとで育つ子どもたちに関わる発信もしています。

児童養護施設で育つ子どもたちの生きる道にはときに、経済的な理由などさまざまな壁と向き合い、将来のことを考えなくてはならない場面があります。西坂さんは、彼らの前に立ちふさがる社会の壁をなくしたい、壁にぶつかったとしても子どもたち自身が自信を持って生きてほしいと願って、活動しているのです。

自分の置かれた状況を悲観してしまうときこそ、一歩でも前に進めたら胸を張っていい。

西坂さんが今、このようなメッセージを伝えられるのはなぜでしょうか。困難な状況の中でも夢を持ち続け、叶えることができたのはなぜでしょうか。自分を信じて生き抜くヒントを知りたいと思い、話を聞きました。

幼い弟、妹とともに児童養護施設へ

埼玉県に生まれた西坂さんは、幼少期に福島県に引っ越し、父方の祖父母と両親、4人の弟と妹と生活していました。ところが、小学5年生のときに家を出なければならなくなります。背景にあったのは、父親による家庭内暴力でした。

西坂さんら子どもたちが直接傷つけられることは少なかったものの、その矛先は祖父母や母親に向けられました。当時小学生だった西坂さんが必死で止めに入るほど、暴力は日を追うごとにエスカレートしていきます。母親は一時的に家を出ながら、その状況に耐え続けていました。

当時は父の気分に家族が振り回されることがとても嫌でした。父が勝手に怒って暴力を振るう状況を、子どもながらにすごく理不尽だと思っていて、ずっと憤りを感じていましたね。

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるにしざからいとさん

西坂さんが小学5年生のとき、母親は自分と子どもたちの身を守るため、婦人相談所へ駆け込みます。一緒に家を出た西坂さんきょうだいは、母親と別れて児童相談所に一時的に保護され、そのまま家には帰らずに児童養護施設に移りました。

児童相談所の一時保護所で過ごす初めての夜、眠るときはきょうだいみんなで並び、母親と離れたさみしさをかき消すように抱き合っていたと言います。

家にいるときの母は辛そうでした。だからとにかく父と離れた環境にいることができて、僕としては安心したんです。一方で、いつまで母と会えないまま暮らすのかなという不安も当然あって。でも僕は長男だったから、小さい弟や妹を、兄としてしっかり守ってやんなきゃなと思っていました。

なぜ自分たちは家ではなく、施設にいるのか。5人きょうだいの一番上である西坂さんは、その理由を察し、兄として冷静に振る舞おうとしていました。でも、時間が経つにつれて希望は薄れていくばかり。「母は迎えに来ないのではないか」という考えが頭をよぎることもあったそうです。

それでも、不安を抱える西坂さんたちを、母親はできる限りの方法で支えてくれていました。

母はまめに手紙をくれ、1カ月に1回は会いに来てくれました。手紙には、子どもたちが喜ぶようにおもちゃの広告が切り抜いて貼ってあったり、「風邪をひかないで元気でいてね」「また会いに行くね」というメッセージが書いてあったりして。母はすごく頑張ってくれていたんだなあと今でも思っています。

【写真】質問に丁寧に答えるにしざからいとさん

「自分のことはいいや」。感情を抑え込むことに慣れてしまっていた

数カ月経つと生活に慣れ、施設の中で新しい友人もできた西坂さん。一緒に過ごしていると、自分から直接たずねなくても、友人たちの入所した経緯や家庭の状況が自然と耳に入ってくるようになりました。

虐待を受けている子、兄弟の中で自分だけかまってもらえず、万引きを繰り返してしまう子、両親がいなくなってしまった子ーー。

学校にいる間は「なんで自分だけがこんなに大変なんだろう」と思っていた西坂さんは、より深刻な家庭環境の中にいる子がたくさんいることを知り、ショックを受けます。そして、そうした子どもたちが1カ所に集められている目の前の光景に対して、違和感を覚えるようにもなりました。

子どもの命を守るという点では仕方がないのかもしれません。ただ、当時は子どもながらに、自分たちがこんな形で隔離されていたら、外で普通に暮らしている人たちは僕らの現実を知らないままじゃないかと思っていました。

なかったことにされているわけではないけれど、僕たちは見えないようになっていて、世の中の大半の人がこういう問題を知らずに生きているということが、なんか変だなと感じていました。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるにしざからいとさん

周りの大人を信じることが難しかった当時の西坂さんに、くすぶる気持ちを誰かに打ち明けることはなかなかできませんでした。職員の方々が忙しそうにしている様子を見ながら、そっと距離を置き、「良い子」と思われるよう自分を律し、本当の気持ちは心の奥に押し込んでいたのです。

ところがある日、些細なことがきっかけで西坂さんは職員と大げんかをします。それは、西坂さんが母親以外の大人に自分の気持ちをぶつけ、涙を見せる、初めての体験でした。

細かいことは覚えていませんが、その出来事をきっかけに、今までずっと自分の気持ちよりも弟や妹の気持ちを優先していたと気づきました。いつも「自分のことはいいや」と思っていて、自分の感情を抑え込むことに慣れてしまっていたんです。

職員の方は、僕の押し込められていた気持ちが一気に溢れ出したんだと察してくれていたのだと思います。大泣きしながらめちゃくちゃなことを言っていても、職員さんは頭ごなしに否定するのではなく、「今まですごく我慢していたんだね」と受け止めてくれました。

職員とのやり取りを振り返り、西坂さんはこう続けます。

児童養護施設のような場所があったおかげで僕は助かったし、職員さんが本気で向き合ってくれたからこそ、少しずつ心を開くことができるようになりました。

ただ、子どもが自己開示できるくらいの信頼関係を築くためには、十分な時間と人手が必要です。施設だけでなく、社会全体で支える仕組みが求められていると思います。

やりたいことをやらせてくれた、母との再出発

お母さんが迎えに来ているから、荷物をまとめてね。

施設を出る当日の朝、西坂さんたちは突然家に帰ることを告げられました。両親の離婚が成立し、母親と再び生活できるようになったのです。施設に入ってから1年と少し。西坂さんが中学生になる直前のことでした。

一緒に暮らし始めてから、母親は、生活を支えるため、1日中働いていました。その姿を見ていた西坂さんも積極的に家事を手伝います。近所に住んでいた母方の祖母が来てくれることもありました。

施設にいたときは母と暮らしたいとずっと思っていたので、それが叶ってうれしかったです。母はお金を貯めると、休みの日はなるべく遊園地などに遊びに連れていってくれました。僕たちと一緒にいられる時間を大切にしようと思って、生活が厳しく忙しい中でも一生懸命やってくれていたんだと思います。

【写真】笑顔でインタビューに答えるにしざからいとさん

「楽しかった思い出が多いんです」と振り返る西坂さん。新しい生活が始まったことで、西坂さんの気持ちにも変化が起こります。小学生の頃から思い描いていた将来の夢を、本気で叶えたいと思ったのです。

それは、映画を作る仕事。もともと「ウルトラマン」シリーズが好きだった西坂さんは、小学2年生の頃に買ってもらった本がきっかけで特撮映画の撮影の裏側を知り、「こんな仕事があるなら絶対にやりたい!」と興味を持ちはじめます。それからは、ミニチュア集めに没頭したり、さまざまなジャンルの映画を見たりしながら、自分なりに”作る側”の研究を続けていました。

でも、この頃の西坂さんには家や施設で毎日を生きるのに精一杯だった時期もあったはずです。自分がこれからどうなっていくのかも分からないような状況の中で、夢をあきらめずにいられることはできたのでしょうか。

施設にいたときは、将来好きなことを学んだり、仕事をしたりすることは正直無理かなと思っていましたね。施設には子どもたちが50人ほどいたんですが、ほとんどの子は中学を卒業したあと、高校には行かず働きに出ていました。その状況を見ていたら、僕も同じようになるのかなと思ってしまって。働いたところで、続けられるんだろうかとも。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるにしざかライトさん

それでもやりたいことを目指そうと思えた理由の一つは、母が背中を押してくれたことだと西坂さんは言います。

施設の先生は子どもを守り、自立を助けるのが役目です。だからどうしても安全な道を提案するのだろうと思います。でも母はどちらかというと、子どもにはやりたいことを自由にやらせたいという気持ちが強かったようで。母自身が若くして結婚して僕を産んだこともあり、自由な時間が少なかった分、僕たちにはやりたいことをやらせてくれていたのかもしれません。

施設にいるから夢を持てない、家庭で過ごせるから夢を持てる。人の生きる道は、環境によって初めからそうはっきりと線引きされていいものではないと思います。大切なのは、西坂さんが出会った施設職員や母のように、気持ちを受け止めてくれたり、応援してくれたりする人が、そばにいることなのではないでしょうか。

やりたいことができる喜びがあったから、続けることができた

西坂さんは中学、高校へと進学し、いよいよ本格的に映画の道を志します。卒業後の進路を考える際は、スタントマンの養成学校と映画制作を学ぶ日活芸術学院(現在は閉校)を見学しました。このときも母親が付き添い、最終的には西坂さん自身に選択をさせてくれたそうです。

選んだのは、日活芸術学院。西坂さんは上京し、新聞配達をしながら奨学金をもらう「新聞奨学生」制度を使って、学生生活を始めました。

午前3時に起き、6時までに朝刊の配達を終え、学校へ。帰るとすぐに夕刊を配達し、合間の時間に集金も行います。夜は仲間と集まって自主映画の撮影に取り組む忙しい毎日。仕事との両立が難しく、学校をやめてしまう人も多かった中、西坂さんは「やりたいことができる喜びがあったから続けることができた」と言います。

【写真】質問に丁寧に答えるにしざからいとさん

ただ、新しく出会う人たちに、自分が児童養護施設にいたことを話す機会はありませんでした。

施設に入っていた時間が1年と少しだけというのもあって、自分から言うような話ではないなと思っていました。あと、「”普通”になりたい」という願望が小さい頃からあったので…。施設を出た後も「家庭の問題も経済的な問題もない、普通の生活をしている人のように振る舞おう」と意識していたくらいなので、話そうと思ったことはほとんどなかったです。

転機が訪れたのは在学中のことでした。西坂さんはインターン制度を使い、校内の撮影所で撮影していた「ガメラ」の制作に美術助手として加わります。それをきっかけに声がかかり、卒業後、特撮美術を担当するスタッフとして働くことになったのです。

映画やテレビシリーズの仕事を経て、自分で好きな作品を作りたいと思った西坂さんはフリーに転身します。映像作家、絵本作家としての活動を始め、映画以外にもさまざまな仕事を手がけるようになりました。

映画を通して児童養護施設を出た若者たちの現状を伝えたい

監督した短編映画が世界各地の映画祭で受賞するなど、積み重ねてきた努力が実り、小さい頃からの夢が次々と形になっていった西坂さん。自分の道を進む一方で心の片隅ではいつも、施設にいたときに仲の良かった先輩や同級生が今何をしているのか気になっていました。

西坂さんはそこで、児童養護施設をテーマにした映画を作ることを決めたのです。

施設で知り合った友人たちのことを考えるたび、「施設出身の子どもは一人で生きていかなきゃならないのか。そんな世の中はフェアじゃない」と思っていました。

何か発信できないかと模索していたときに、ある有名な映画監督の「社会に対して怒りを持たないといけない」という言葉を聞いて、すごく共感して。僕も自分の中の「おかしいんじゃないか」という気持ちを作品にすることで、社会に影響を与えられればと思ったんです。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるにしざからいとさん

思い立ってから20分の短編映画を完成させるまでにかかった時間は約7年。西坂さんが自分の生い立ちと向き合い、その体験をもとに映画を作る意味を見出すためには、長い時間が必要でした。

当時はどうしても施設で暮らす子どもたちに関心を寄せない社会に対して問題提起をしたい気持ちが強かったのだと思います。でも、一方的に批判するだけでは作品としておもしろいものを作るのに無理がありました。

では映画として世に出す意味はどこにあるのか。僕は映画って、ただ言葉で投げかけるよりも大きな影響力がある手段なんじゃないかと思うんです。完成度が高ければ高いほど広がっていくし、多くの人に見てもらえる。だからやっぱり、メッセージを全面に出すのではなく、自然と人目に留まるような”笑える”作品を作っていこうと決めました。

できあがった映画のタイトルは「レイルロードスイッチ」。鉄道の線路を分岐させるポイントを指すこの言葉には、「児童養護を取り巻く世界を変えるスイッチになりたい」という思いが込められています。映画では、お笑い芸人として奮闘する児童養護施設出身の主人公が、大人になった同級生たちと再会しながら、施設での生活を漫才のネタにするかどうか葛藤する様子が描かれます。

(C)レイルロードスイッチ

2018年、西坂さんは完成した映画とともに全国を回り、各地で上映会を開催。子どもたちを取り巻く背景について初めて知ったという感想が多く寄せられる一方、笑いのネタにされることを良く思えない当事者もいました。西坂さんはひとりひとりと直接話をすることで、互いの気持ちや問題意識を理解しあえるよう心がけたと言います。

実は、このレイルロードスイッチは”予告編”。西坂さんは今、”本編”である約90分の長編映画の制作を進めています。予告編を一つの作品として公開したことで分かった手応えや表現の幅を生かし、同じ児童養護施設と笑いをテーマにした本格的な映画作りに挑戦しているのです。

自分にできるやり方で、情報発信をしていこう

子どもの頃は周りの大人や社会に対してどこか違和感を抱きながらも、「仕方ない」と自分を納得させることもあった西坂さん。しかし、2011年の東日本大震災の復興支援に関わったことをきっかけに、それまで仕方ないと思っていた問題に対して行動を起こすようになっていきます。

かつて福島県に長く住んでいた西坂さんは、同じ福島出身の社会起業家の声かけで、被災地の子どもたちを支援するため現地へ入ります。そこで見たのは、全国から集まったたくさんの大人たちが、被災地の困りごとを解決しようと奮闘する姿でした。

本気で課題を解決しようとしている大人がたくさんいること、そして本気で取り組み続けていれば変化は起きるということを知りました。それなら僕も、かねてから問題意識を持っていたことに対してできる範囲でアプローチしてみようと思えたんです。

【写真】質問に丁寧に答えるにしざからいとさん

こうして始めた活動の一つが児童養護施設にいる子どもたちのために絵本作りのワークショップを開くことでした。子どもたちには西坂さんが用意したおとぎ話の続きやキャラクターを自由に考えてもらい、一緒に1冊の絵本を完成させます。

ひとりひとりの自由な発想や表現を認め合って進める作業は、子どもたちに小さな自信を芽生えさせてくれるーー。西坂さんは自身の体験から、このワークショップを考えました。

施設にいる子どもたちには守らなければいけないルールがたくさんあり、どちらかというと褒められることより、ルールを守れずに叱られる機会のほうが多かったりします。だからこそ、小さな成功体験を積み重ねて自信をつけてもらい、施設を出て一人で頑張らなくてはいけないときがあっても踏ん張れる強さ持ってほしいと思っています。

【写真】笑顔でインタビューに答えるにしざからいとさん

課題を解決するために情報発信をしていくのが、今の自分の役割。

これまでの活動を振り返ってそう話す西坂さんは今、特に当事者である子どもたちに向けて、新しいプロジェクトを始めています。

2019年9月からは、施設出身者であるモデルのブローハン聡さん、以前soarで紹介した「ACHAプロジェクト」代表の山本昌子さんと一緒にYoutubeチャンネル「THREE FLAGS 希望の狼煙」を立ち上げ、当事者の視点から情報を発信。また、「子どもの権利(生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利)」があることを子どもたち自身にわかりやすく伝える絵本の制作・配布も進めています。

施設を巣立って成人した若者たちから「『子どもの権利』を子どもの頃に知っていたかった」と聞いたことがあったんです。子ども時代に「子どもの権利」を知っていれば、何かあったときに「自分は権利を侵害されているんだ」と早く気づくことができます。そうすれば、痛みに耐えつづけるのではく、自分の身を守るアクションを取れるようになるかもしれません。

子どもが勇気を出して行動した先には、その子を受け入れ、孤立させない社会が必要です。関心のある人みんなが子育てに参加できる社会をどうすれば実現できるのか、西坂さんは模索を続けています。

自分の手で変えていかなければ、未来は変わらない

自分も今大変な状況にいるけれど、西坂さんのようには生きられない。もしかしたら、そう感じている人もいるかもしれません。本気でやりたいと思えることを見つけたり、目標に向かって努力をしつづけたりすることは、誰かに言われてすぐできることではないと思います。

一つの夢を持ち続けていた西坂さんにもかつて、「希望を持ってもどうせ叶わない」と思ってしまう時期がありました。特に悩んでいたのは、学校の友達や先生とうまくコミュニケーションを取ることができなかった小学生の頃。ゲーム機を買えず友達との話にまざることができなかったり、家庭のことで精一杯で宿題をする余裕がなかったりする中で、うまくいかないのは家の中が大変なせいだと考えていたのだと言います。

なんで自分だけがと思っていたし、半ばあきらめのような気持ちはその頃からずっとありました。希望は持たない方が楽だと思っていたんですよ。神様に祈ってもどうせ叶わない。神様なんていないって。

【写真】植木の前で遠くを見つめるにしざからいとさん

周りのせいにしても、神様に祈っても、変わらない。だったら、自分の手で変えていかなければ、変わらない。

西坂さんを奮い立たせたのは、自分の人生の行く先を、大人に、社会に阻まれてたまるかという強い気持ちでした。

何かにすがるんじゃなくて、自分の力で変えていくことに気づいてからは、とにかく自分にできることを一貫性をもって積み重ねていこうとしていました。うまくいかないこともあるだろうけれど、チャンスは絶対に回ってくる。そのとき自分がつかみにいけるように準備をしておくことが大事なんだと思います。見ていてくれる人は必ずいるし、何かしら変化は起こっていくはずだから。

【写真】街道に笑顔で立っているにしざからいとさん

そのときの自分にできる努力をすること。努力した自分を信じること。そうすれば、もうきっと何かが変わっている。踏み出した一歩の価値は目先の結果で決まるものではなく、何歩も進み続けた先に、大きな希望となって返ってくるものなのかもしれません。

最後に、かつての西坂さんと同じ立場にいる子どもたちにどんなメッセージを伝えたいかを尋ねると、「『夢を持って頑張って!』と励ますのは難しくて…」と考えながら、冒頭で紹介したあの言葉を添えてくれました。

夢は持たなければいけないものだとは思わないし、あることが絶対に幸せなことだとも思わないです。大事なのは、今自分がいる位置を知って、その”一つ上”を目指すこと。一つ上に行けるようになるというのは、ささやかではあるけれど、立派な夢だと思います。

”一つ上”を目指す姿勢は、それだけで価値のあるもの

自分の置かれた環境を直視することは、時としてとてもつらいことかもしれません。でも、周りと比較して「どうして自分だけが」と思ってしまうときこそ、現在地を見つめ、本当に進むべき方向を確かめる作業が必要なのではないでしょうか。

進んでいく道のりの中で、理不尽だと感じた問題に正面から立ち向かったり、何度でも自分を信じて立ち上がったり。置かれた状況の”一つ上”を目指す姿勢は、それだけで価値のあるものなのだと、西坂さんのお話を聞いて気づきました。

【写真】インタビューに答えるにしざからいとさん

そして、その原動力となるものの一つが、自分には「権利」があると知っていることだと思います。安心できる生活の場があり、誰かに愛され守られて、自由に夢を描き、目標のために努力できる。それは、あなたにも、私にも、施設にいる子どもたちにも与えられた権利です。

だから、どうかあきらめないで。私も今、一度足を止めたことで見つけられた新しい目標のために踏み出したばかりです。大きな夢でなくたって、望んだ姿に近づくことには意味がある。そう信じながら、自分ができることを少しずつでも積み重ねていきたいと思います。

【写真】笑顔のにしざからいとさんとライターのむらかみあやさん

関連情報:
西坂來人さん  ホームページ   Youtubeチャンネル 

(編集/徳瑠里香、写真/馬場加奈子、協力/瀬川知孝)