【写真】笑顔のおざわいぶきさんとおざわりゅういちさん

小さい頃、よく動き回る、ちょっと不注意な、そしてなんにでも疑問と興味をもつ子どもでした。

学校で教科書を見ながら授業をしていたときに、先生に「実物を見て体験しにいきましょう!」って外での授業を提案したんです。そうしたら親が先生に呼び出されたことがあったんですが、その後父からこう言われたんです。

「なかなかやるなあ、おもしろいじゃないか」

これは児童精神科医で、任意団体「PIECES」の代表をしている小澤いぶきさんから教えてもらった、幼少時のエピソードです。

私はこの話を聞いたときに、「たとえ他の子と違うところがあっても、ご両親がこんな風に暖かく受容してくれたから、いぶきさんは好きなことに真っ直ぐ生きていられるのかな」と思いました。

現在いぶきさんは、PIECESとしてどんな環境に生まれたとしても、子どもたちが権利と尊厳を持って生きていける有機的な仕組みづくりに奔走中。

地域の人に家開きをしてもらって開催するご飯会や学びの場。
多様な大人が多様な子どもと出会う機会の場として、子どもも大人も一緒にスポーツや創作を楽しむ場。
子どもたちがやプログラミング、アートなど自分の興味あるものを知り、それに挑戦する機会づくり。

どんな子どもたちに対しても、変わりなく愛を持って接しているいぶきさんの活動の根底には、「多様な人のあり方が受容され、誰もが尊重されるような世界をつくっていきたい」という思いが溢れているように思います。

聞いてみると、両親ともに定年退職するまでは高校の教師をしていて、幼い頃から多様な生徒たちが家に遊びに来るという状況だったそう。

「いぶきさん自身が育ってきた環境や家族の存在は、今のいぶきさんのあり方や活動にも影響しているのかもしれない」

どんな子どもも自分に自信を持って生きていけるような社会にするためには、いぶきさんとご両親の話になにかヒントがあるのでは?そう考え、いぶきさんと父・小澤龍一さんにお話を伺いに、ご実家の山梨へ行ってきました。

小澤いぶきさん
山梨県出身。NPO法人PIECES_(登記準備中) Co-Founder /東京大学先端科学技術研究センター特任研究員/児童精神科医。
どんな環境に生まれた子どもたちも権利と尊厳をもって生きていくことのできる社会をめざし、子どもの育ちを支える有機的な生態系づくりを行っている。Pe’Canvas(生きる力を文化、芸術を通して学ぶ親子の教育プログラムを実施)立ち上げ及び運営にも携わる他、子どもも大人も立場を問わず「1人の人としての幸せ」を考えるasobi 基地 副代表としても活動中。

子どもの興味関心を注意深く見守って、けっして才能をつぶさない

小澤いぶきさんと、お父さんの龍一さん

小澤いぶきさんと、お父さんの龍一さん

ー龍一さんご夫婦は、初めてのお子さんがいぶきさんだったんですよね。

龍一さん:いぶきの生まれた年の3月1日が、初めて受け持った卒業生たちの卒業式だったんです。卒業式が終わって娘が生まれたと聞いて、卒業生たちに書類を渡し終わるやいなや病院に顔を見に行ったんですよ。春の日だったから「春のいぶき」ということで、いぶきと名前をつけました。あとは「時代のいぶき」という意味もあったんですよ。

いぶきさん:春のいぶきは知っていたけど、「時代のいぶき」は初めて知りました。

龍一さん:親の思いは確かに伝えたことがないなあ。

いぶきさん:私は子どもの頃は、エネルギーが高く、じっとするのが苦手で、おもしろいと思ったことに次々熱中していました。世の中に起こっていることや、疑問に思ったこと、いろんなことを考えては、そこで考えたことや感情を絵本や音楽で表現していました。本も大好きでよく読んでいました。

小さいときは、バイオリンとピアノ、自分でつくる絵本が一番自分を表現できるツールだったかもしれない。小学校低学年の時に、「うまく機能していない家族が虹の橋に冒険に行って、それぞれの冒険をしながら虹から滑り降りたところでみんな記憶を失い、知らない人として再び出会ったところから家族が再統合していく」という絵本を描いたことがあったんです。でもそれを見た先生が心配をしてしまって…。

【写真】いぶきさんが描いた絵本『虹の橋の冒険』の表紙。真ん中に何かを大事そうに持っている女の子が描かれている。

龍一さん:私は絵本はとても素晴らしいと思ったんだけど、担任の先生が見て「お子さん、ちょっとおかしいんじゃないですか」と言われて。私も教師だったのですが、同じ教育者でも見方は様々だなと驚きました。これは先生が悪いんではなくて、このときの社会のシステムとしての問題ですが、旧体制の教育観で子どもを見ていったら、これは子どもをつぶしてしまうかもしれないなと思ったんです。

私としては、「この子おもしろいな、すごいな」って。親バカみたいなところもありましたけど、いぶきのそういう才能をつぶさないように育てようと思ったんです。その子はどういうことに興味関心があるか、注意深く見守って引き出すことが大切じゃないかな。素養があるからそれを活かして、ある一定からは自分で判断してどういう道を選ぶかっていう。

ちゃんと理由を説明すれば、やりたいことは何でもやらせてくれた

いぶきさん:確かに親に「何かになれ」って言われたことはなかったですね。逆に私が「これをやりたい」ということについてはとことん投資してくれた気がします。幼児期からのバイオリンやピアノもそうですが、ちゃんと理由を説明すれば、やってみたいと思ったことに対しては投資してくれていました。

そして、これから必要なスキルは厳格な祖父が「やるべきこと」として教えてくれていた気がします。なぜ必要なのかも丁寧に説明してくれながら、「私も一緒に英語をやるよ、やるまでそばにいるからやりなさいって。」もうやらざるを得ない(笑)。寛容な両親と基本的なスキルとその必要性を教えてくれた祖父母とのバランスが、実は大事だったのかなと大人になってから思いました。

ーご両親だけでなく、祖父母さんの存在もあったからこそだったんですね。

いぶきさん:もともと興味があること、好きなことは我を忘れて熱中するのですが、教室の中でみんなで座って、同じペースで同じことをやるのは苦痛で仕方なかった。なんで、それぞれ違う興味があって、それぞれのペースも違うのに、なんでみんな同じことをやらなければいけないのという疑問があって。

小学生の時はクラスが20数人だったし、先生が工夫をして外で体験を通して考えていく授業をしたり、「なぜ?」って思うことの考え方を教えてくれたりして。深く考える時間をくれる先生たちとの出会いがあり、環境にとても恵まれていたと思います。

私は、「なぜこの公式ができたのか」という背景や原理を知らないと進めないタイプだったので、例えば物理の公式をひたすら覚えるという授業などは苦痛で、なぜこういう原理ができたのかってのを考えたり本を読んだりしていました。

母は化学の先生だったので、昔からシャンプーやリンスがなくなったときに、「どこにある?」って聞くと、まず「それはこういう物質とこういう物質でできているのよ」っていうところから話が始まり、じゃあ作ってみようと一緒に作っていました。そんな母のおかげで、家で食べてるものはお魚とお肉以外は全て母の手づくり。野菜も、そしてパンをつくる酵母とか小麦粉、豆乳なども。

ーお母さんはいぶきさんが好奇心旺盛なことをよくわかっていたんですね。

反抗期は「このとんがり方、おもしろいなあ」と見守ってました

【写真】いぶきさんの人生を振り返るようにスマートフォンを見ている笑顔のいぶきさんとりゅういちさん。
いぶきさん:もちろん反抗期もありましたね!主に親に反抗していたように思います。父は生活指導の先生だったんですけど、その時何も言わなかったんですよ。笑ってたんです。

龍一さん:反抗期はみんな高校で通るものなので、見守るしかないよね。通過儀式をやってるなっていうのはあるから、その儀式を越えたらまたぐっと伸びて行くなっていう目で見て、怒っても仕方ない。「とがってるなあ、すごいなあこのとんがり方は」って思ってましたね(笑)。僕自身がやっぱりとんがってるところあったから、僕の血をひいちゃったなあって。

ーいぶきさんが成長過程で起こっていくいろんなことを、受容して見守っている感じがとてもいいと思います。

いぶきさん:小学生一年生のとき、祖父母と喧嘩して家出をしたことがあったんです。「もういい!家出てく!」とか言って、リュックに荷物詰めて。玄関から家の駐車場のところまで歩いて後ろを振り返ると、うちの祖父母、父、母が並んで「いってらっしゃい」って手を振ってるんです(笑)

みんなで見送ってくれてて、「あれ?なんかなんで私家出するんだっけ」って思ったのも、その光景もとても鮮明に覚えています。怒るでもなく笑顔で見送られると、「確かに家出してもあんまり解決にならないかも」と思いましたし、「みんな私帰ってくるのわかってるんだな」というのをなんとなく感じました。

競争社会のなかで子どもたちに優劣をつけてしまってはおしまい

【写真】インタビューに笑顔で応えるりゅういちさん

現在龍一さんは、日中韓の大学生の交流を生み出し、相互理解を深める活動をしている

ー龍一さんは、 高校の教師を長年されていたんですよね。

龍一さん:そうですね、夢を持って教育の世界に入りました。どの子にもみんな素晴らしい才能や能力はあるから、それをどれだけ高校三年間のなかでその種の芽を伸ばすことができるのか。だけど現実の教育現場っていうのは、やっぱり受験競争や競争社会のなかで優劣を決めてしまうというのが現実。

これは教師自身がどうこうではなく、社会としてそういう構造がありました。教師自身のモチベーションは様々で、その中には受験で何人エリートを出すかというところにモチベーションがある人もいました。そのような中で、教育界自体を変えたいと思っていましたが、保守的な人とぶつかり合ってしまうということも多かった。

いぶきさん:父は若いころ性格がストレートだったから、もっと他の壁の越え方があるのだろうけど、ストレートに突き進むこともあって。父も母も高校の先生だったから、子どもの頃によく学校に連れてってもらったのを覚えています。お姉さんお兄さんたちに、優しくしてもらった記憶があります。(笑)

ー先生が子どもを学校に連れてくるというのは、今だとなかなかないですよね!龍一さんは、生活指導も担当していたと聞きました。

龍一さん:そうですね、その頃の学校は「態度が悪い子は退学させる」というのが主流だったんです。けれど、子ども達の首を切ってしまったらおしまいですよね。「エネルギーが余っていろいろなことをやってるんだから、そのエネルギーをプラスの方に持っていくべきだ」ということを職員会議で私は言うんですが、最終的には他の先生たちとぶつかるわけですよ。「お前が面倒見れるのか」と言われたので、「じゃあやらせてもらいます」って言ったんです。

たとえば謹慎処分になってしまったのは仕方ないとしても、その謹慎中の時間こそが自分を取り戻す時間なんですよ。だから家庭訪問もよくやったし、当然学力も落ちるから友達に協力してもらってノート資料をつくったり。これ以上何か起こすと少年院送りだっていうような深刻な状態の子もいたけども、「じゃあもう少し頑張ってみよう」という感じでしたね。

彼らは最初は声をかけても反応しないけど、「またやっちゃった」(何か事件を起こしてしまった)っていうような時に、逃げ場として家に来てっていうようなことはありましたね。困ると電話をかけてくる、駆け込み寺みたいな形ですね。

いぶきさん:父や母が教えていた高校生がよく家にきていたよね。お兄さんお姉さんたちにかわいがってもらった記憶があります。
ご飯を一緒に食べたり、一緒に登山をしたり。何日も泊まっている子もいました。大人になってから、自宅にいた方の中には、貧困家庭に育っていたり、家庭内暴力がある中で育っていたり。そんな中で、いろいろな男性の家が自宅以外で唯一泊まれる場所だったという女の子など、様々なひとがいたことを知りました。

心の拠り所がない子どもたちに、「見守ってるよ」と伝えて

龍一さん:高校生の16,17歳っていうのは一番成長過程で、葛藤してる時期なんです。その子達が自分が見えなくなった場合に、拠り所を求めてっていうのがあるんじゃないかな。家出なんかはやっぱり心のさまよいが行動に出てるだけであって、気づきの場を周りが用意できていないということとは相関関係だと思いますね。

学校側からすると、生徒に厳しくせず甘やかしてるとか、迎合してるっていう目で見られるんです。けれど、そうなのではなくて、生徒一人一人にどう向き合うかということを大事にしたいと思っていました。


ーそういう子どもの心が荒れてしまっている時には、なんて声をかけてあげればいいんでしょうか?

龍一さん:私達がまず子どもを信じることですね。そして、子どもが荒れているとき、私達が一方的に責めたり怒ったりしてはだめだと思っています。彼らが一番しんどかったり苦しかったりするんですよね、それに追い打ちをかけるようなことだけはしてはいけないと思います。

彼らは自分の気持ちを最初は語らないんですよ、かたくなっちゃって。だから家庭訪問は頻繁にしましたけど、それは「見守ってるよ」っていうのを伝えるため。ピンポンだけでもいい、出なくても二階から見ていたりするから。訪問していくうちに、最初は口をきかなかったけど語り出してくる。

そうなってしまうのは些細なきっかけな場合もあるし、高校生だし尖ってみたいっていうような気持ちで始まって、それを止める道筋がなくて、結局悪い方へ悪い方へ傾斜していくこともある。実はその背景に家庭がうまく機能していないことなどもあり、その子の行動だけなんとかしようとしても難しいこともありますね。

子どもは信頼できる大人をとおして、社会を見ていく

【写真】児童精神科医をしていた頃のいぶきさん。赤ん坊を抱いて笑顔で話しかけている。

児童精神科医をしていた頃のいぶきさん


ーいぶきさんの今の活動も、お父さんの子どもたちを見守ったり心のよりどころになるという感じに近いと思います。もともと子ども精神科医になったのは、どうしてだったんでしょうか?

いぶきさん:大学の時の、養護施設のボランティアなどが大きかったかもしれないです。育つ環境の違いにより、機会の格差があり、それにより将来への選択肢が狭まっていたり、日々他の子どもにはあるはずの機会がない子達がいる。「とても可能性や力のあるこの子たちにとって、どんな環境があったらそれが奪われずに、ちゃんと社会につながっていくんだろう」と思ったんです。

ー愛情を注いでもらう経験が少なかった子供たちが、可能性や力を発揮できるようになるにはどうしたらいいんでしょう。

いぶきさん:子どもは一対一の誰かとの信頼関係を通して、社会に対しての信頼を育てていきます。それはけっして親に限らず、広い意味での養育者です。人と深く関わる時の信頼関係の基盤にもなり、将来友達や恋人との関係をつくるのにもつながります。

両親のもとで育つのが難しかったある女の子が、幼少期から里親さんの元で育つなかで信頼関係を築き、「感情を感じてはいけない」と思って何も表出していなかった中から、だんだん自分の感情を様々なかたちで表現するようになりました。

絵で表現するのが好きで、美術系のひととつながったり、自分の絵を周りに認められていくなかで、今は美大を目指しています。その子は里親さんとのいい関係ができたことがとても大きいですが、その里親さんをサポートするネットワークの存在もとても大きかったと思います。

ーどういう親のもとで育つかだけでなく、親以外にどれだけサポートできる人がいるかというもの大切なんですね。

人は共同繁殖の生物で、「1人の子どもを育てるのに、ひとつの村が必要だ」ということわざがあるくらい、子育ては親と子だけでは難しいこともあります。医療にはどうしても「どうしようもなくなって」もしくは「医療が必要だとわかっている」人がきます。「もっと早くから資源につながっていたら、ここまでしんどくならなかったかもしれない」と思うことが、医師として働いている中で多々ありました。

親に限らず一対一の信頼関係がつくれるコミュニティを

【写真】ドッチビー大会の集合写真。体育館で参加者全員が楽しそうにポーズをとっている。

大人も子どもも本気で汗を流すドッチビー大会は、高校生による企画

ーそれで子ども精神科医をやめて、PIECESの立ち上げを始めたんですね。

いぶきさん:子どもは家族やその周りの環境が危機に陥ると、子どもたち自身が周りにつながりがない場合は、簡単に権利や尊厳を奪われてしまいます。家庭の孤立は、そのまま子どもの孤立にもつながりやすくなります。なので、何か起こる前から、子供のまわりに健康的なネットワークをつくり、子どもの育ちに必要な機能や役割を親だけが担わない状態をつくらないといけないと思ってます。

PIECESは、「どんな環境に生まれた子どもたちも権利と尊厳がもてる社会」というビジョンのもと、子どもの育ちにおけるクライシスを予防する仕組みをつくるというミッションをかかげています。

そして「どの子どもにも、一対一の信頼関係がある伴走者がいる状態」、「社会に接続するプロセスとしての機会が誰にでもある状態」をつくっていこうとしています。

【写真】ドッチビー大会の様子。ドッチボールを楽しそうにしている参加者やステージで休憩している参加者もいる。


ー具体的には今、どんな活動をしているんですか?

いぶきさん:今も地域での誰でも来れる食や学びの場づくりをしていますが、今後の具体的なアクションとしては2つあります。

ひとつは、「コミュニティペアレンツ」という、子どもの育ちを支える共同体的な親の育成とそのネットワークをつくることからはじめています。そして、「コミュニティユースワーカー」という子どもたちにとっての信頼関係を構築していく伴走者の育成をしています。

どちらにも共通しているのが「子どもとの信頼関係を構築する」「社会との接続をする」「ニーズに対して柔軟に動うことができる」ということです。

コミュニティユースワーカーの先に、さらに様々な機会を子どもに提供をする人たちのプラットフォームをつくって、「親と子」だけではなく、「共同体としての家族」として子供の育ちを支えていくプロセスをつくりたいと思っています。

龍一さん:やっぱり親は「自分の子」って視点で見ちゃうけど、社会の産物だっていう風に見ないといけない。社会で育っていくんだっていう概念が、もうすこし自分ごと化していけば、どの子に対しても味方が出てくると思う。どの子だって社会の一形成要因ですから、そこに安易に格差とか差別があってはならない。

それぞれの特徴や資質を生かして、子どもに関わっていってほしい

【写真】パソコンを操作する大人と、興味津々にパソコンをみる子供たち。

プログラミングに関心のある子どもたちのためのプログラミング教室

ー実際に、活動していて子どもたちはどのように変化していくんですか?

いぶきさん:高校のときに子供を産んで、高校中退してしまったシングルマザーの女の子がいるんですけど、PIECESのメンバーである荒井さんが、もともとつながりのあった学習支援団体でその子をキャッチしたんです。そこから荒井さんに相談があり、荒井さんがその子に伴走していました。地域のお母さんでもあり助産師さんでもある方にもつなぎ、地域のお母さんのコミュニティの中で、彼女と一緒に子どもの育ちを支えていきました。

彼女はずっと「自分は夜の仕事しか出来ない」と思ってたそうですが、周りにいる助産師さんがモデルになって、そのうち「看護師になりたい」と言って高卒認定の勉強を始めました。様々な人がその子に協力して、今は高卒認定を受けて結果待ちのところです。彼女は情報も機会もなく、「自分にはこれしかできない」と可能性をあきらめていたなかで、出会った人との相互作用で可能性が引き出されたんですね。

ー人との関わりの中で自分の可能性を発見していくんですね。

いぶきさん:人の発達は、人との関わり、その人がいるコミュニティとの相互作用で促されていく側面があります。「関わること」の最初は、私達がまず相手を信頼することからだと思っています。寛容であること、こちらの価値観をおしつけないこと、相手を知ること。

そういった関わりの中で、最初は人を全然信頼しなかったり、元気なかった子が、今は「自分で何かを企画したりやりたい」と具体的にイベントを企画するようになったりもしています。そこまでの期間は長くかかることもあり、たとえばまず荒井さんを信頼する。信頼した荒井さんを通して様々な機会や人と出会っていく。そこで新たな信頼関係が生まれ、自分の可能性を広げていきます。

【写真】地域の子どもも大人も集まる食卓。美味しそうにご飯を食べている。

地域の子どもも大人も集まる食卓

いぶきさん:子どもたちは、約束をドタキャンすることもあるし、連絡してくるときとしてこないときもあるし、言うこともコロコロ変わったりもします。それも含めて、「この子の成長過程だ」って捉えていけたらよいなと。相手が態度を変えても、私達は「いつでもまっているよ」という、信頼している姿勢を絶対崩さない。同時に子どもたちの変化やニーズ合わせて、こちらが柔軟に対応を変えていく部分も必要です。変わらない部分と変える部分と、それをちゃんと見極めることが大切です。

食や創作活動、スポーツ、そしてただ一緒にいること。子どもたちの興味に合わせた様々な機会をつくるなかで、「自分のことをこんなに気にかけてくれる大人がいるんだ」という気付きがあったり、好きなことを探求しても怒られないからとことん探求する中で何かを極めたくなったり。「自分の居場所がある」という場であることは、とても大切だと思います。

ー子どもへの対応を専門的に学んでいたり、自分が子育てをしたことがないひとでも、そういう子どもたちに関わっていっても大丈夫なんでしょうか?

いぶきさん:「こうあらねば」ではなく、「私にとっての関わり方」を一緒に模索しながら、ぜひ一緒に関わってもらえたらいいなと思ってます。家族だけでは子どもの育ちは担いきれないので、いろんな人がいることで、子どもたちにとってはモデルになるし機会にもなります。

機械に関心がある子どもたちとパソコンを分解してみる

機械に関心がある子どもたちとパソコンを分解してみる

ー必ずセオリーがあって必ずこういう関わり方をしないといけないってわけでなくて、誰かは明るく盛り上げるのが好きだったり、誰かは柔らかく無言で聞いてるみたいな。自分の得意な人との関わり方は、子どもたちにたいしても活かせるかもしれないんですね。

いぶきさん:すごくエネルギッシュな人がエネルギッシュな子のモデルになるかもしれないですし、逆におとなしい子のモデルになるかもしれない。私のところには、学童期までのいろんな子が来るんですが、思春期の女の子のほうがよく気があったりします。荒井さんは、エネルギーが有り余ってる男の子に慕われたり。子どもも実は、大人をちゃんと見ていたりします。

周りが「違いは素晴らしい」と認めてあげることが必要

【写真】微笑みながらインタビューに応えるいぶきさん
ーひとりひとり自分の得意なことがあって、合う人と合わないひとがいるということですが、お母さんたちの悩みを聞いたりすると、すごく「子どもが他の子と違う」と思い悩んでるお母さんが多いなと思っています。それを受容していくのにも、周りのひとの力が必要な気がしました。

龍一さん:むしろ、違いを誇りに思うくらいがいいと思うんです。みんな同じだったら、世の中成り立たないかもしれない。「この子はこんなに違いがあったんだ、これは素晴らしい」ってみんなが認め合うようになっていけば、お母さんも安心するんじゃないかな。違いこそ、次の時代をつくる力になると思うな。

いぶきさん:親が子どものその「違いの素敵さ」を認められるようになるには、周りがその違いを面白がれたり、素敵だと伝えられたり、それを活かす機会を用意する必要があるんじゃないかな。子どものことが大事だからこそ、「今の社会で求められる事」を考えて、「この違いは、今の社会の中では困難につながるんじゃないか」って思ってしまうこともあると思う。
そういう側面では、うちの親は私の変わっているところをおもしろがってくれていたり、父は「なんとかなる」というマインドがあって、「長い目で見たら、それも人生のひとつだよって」ってよく言ってたね。後で振り返るととてもありがたかった。そして…ちょっと変わった視点をもった親だったのね。

子どもは生まれてきたときから、みんな天才なんです

【写真】笑顔でインタビューに応えるいぶきさんとりゅういちさん
ーお二人は自分に自信をなくしてしまった子どもたちの成長に、たくさん寄り添ってきたと思います。よく子どもに自己肯定感をという話がありますが、それってどうやって育てていけばいいんでしょうか?

龍一さん:やっぱり僕は達成感を持たない限り、肯定感っていうのは出てこないと思います。だから山登りなんかもひとつの例ですね。たとえば山梨では競歩大会っていうのがあって、1日でここまでという風に、ひとりひとり能力に合わせて目標を立てて参加します。誰かと一緒にそれを成し遂げる子もいれば、自分で黙々と成し遂げる子もいる。誰かとの競争ではなくて、自分との戦い。それをやり遂げたというと、達成感がある。達成感があると、その先何かあっても「私はあのとき頑張れた」っていう風に思える。

いぶきさん:私はさらにその前に、条件付きの承認ではない、「他者からの無条件の愛情や承認」が必要だと思う。例えば根拠なき自信って、条件つきの自信じゃないところから生まれると思う。私は親には、子どもの頃に「これができたからすごいね」ではなく、「いぶきは素敵だね、天才だね」って当たり前かのように言われてて。いわゆる親ばかですね。(笑)

龍一さん:いぶきだけじゃなくて、子供はやっぱり生まれてきたときからみんな天才ですよ。誰だって、とんがってる部分と穴ぼこの部分があるんですよ。でも大きくなるにしたがって、せっかくとんがってる部分はやっぱり削られちゃうし、穴ぼこは指摘される。社会の仕組みがそうなってしまって、それを数値化して達成することが一つの目標のようになってしまっているけど、それは仮想の達成感だよね。本当に大事なのは、内実的な達成感。

いぶきさん:相対的じゃない軸があるかどうかは、大事だと思います。「誰かよりできてる」っていう条件つきの承認ではなく、「あなたがいることが大切、あなたが大切」という、doingの前のbeingを言葉でも伝えていくことはとても大切。

これまでの人生を生き抜いてきたことを尊重することから、信頼が生まれる

【写真】笑顔でインタビューに応えるいぶきさんとりゅういちさん。

ー子どもが自己肯定感を持てるようになるためにも、「自分を無条件に受容してくれる、信頼できる大人と出会う」ということが、子どもにとってはとても大事なことなんですね。

いぶきさん:そうですね。そして大人の側も、子どもを信じること。どんな環境にある子どもだとしても、「この子はかわいそうな子」というんではなく、「この子も一人の人間で、ここまで生き抜いてきた」ということへの敬意を示しながら、一人の人として尊重し、その可能性を信じていくことがとても大切だと思います。

どんな子どもも、一人の人間として尊重する。

お二人の話を聞いて、これがまず子どもと信頼できる関係をつくる第一歩なのだと思いました。

自分では生きる環境を選べないにもかかわらず、それでも必死に生き抜いてきた子どもたち。心が荒れてしまったり、人を信じることができずにいるとしても、それは自分が置かれた環境を精一杯生きた結果なのだから。

まずはそのことに敬意を持って、「よく頑張って生きてきてくれたね」とこれまでの人生と唯一無二の存在を受け入れること。

その思いを持ち続け子どもを尊重して関わっていくことで、いつかそこに信頼関係が生まれるのかもしれません。そんな大人たちに見守られて子どもが生きていける環境をつくることは、きっと大人にとっても救いになるはず。

どんな環境に生まれた子どもでも、信頼できる大人がいる安心感のなかで伸びやかに育っていく。そんな未来をつくるために私ができることが、少しだけ見えたような時間でした。

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