【写真】真剣な表情でクライミングをしているこばやしこういちろうさん

「失敗しても、あきらめなければきっとどんな壁も超えられる」

その人が勇ましく壁を登っていく姿を見ているだけで、背中からはそんな強いメッセージが伝わってくる。

視覚障害を持つクライマー・小林幸一郎さんは、とにかくしぶとい、とにかくあきらめない。視覚障害のクライミング世界チャンピオンに輝き、視覚障害者と健常者が枠を越えて一緒にクライミングを楽しむ 「NPO法人モンキーマジック」を11年間根気強く続けてきた小林さん。

僕は貧乏性なんで、挑戦しなきゃもったいないって思っちゃうんですよ

小林さんの笑顔からは、いつもポジティブなエネルギーが溢れています。

どうしてそんなに真っ直ぐでいられるのだろう。障害を抱えながらも、たくさんの人を巻き込みながら活動を続けていけるのだろう。

それが知りたくて、お話を伺ってみました。

小林幸一郎(こばやし こういちろう)さん:
大学卒業後、旅行会社、アウトドア衣料品販売会社などを経て、33歳で独立。16歳(高校2年)でフリークライミングと出会う。28歳のときに眼病が発覚、将来失明するという診断に失意の日々も送るが、その後さまざまな出会いから現在の活動を開始。第一回障害者クライミング世界選手権、視覚障害男子の部優勝。視覚障害者へのフリークライミング普及活動を行う「NPO法人モンキーマジック」代表理事。

人生を変えたクライミングとの出会い

【写真】笑顔でインタビューに応えるこばやしこういちろうさん

小林さんは1968年生まれで現在48歳。東京の築地で生まれ、江戸文化の残る町のなかで、お母様と2人で暮らしながら育ちました。子どもの頃からスポーツが好きだったのかと思いきや、スポーツも勉強もコツコツ努力するのも苦手だった小林さん。スポーツの競争や勝ち負けの世界という印象が苦手だったのだそうです。特に打ち込むこともなく中高と帰宅部で、自分では「取り柄のない生き方をしている」と感じ、何かに夢中になっている友達がうらやましく感じていました。

そんな小林さんの人生を変えたクライミングとの出会いは、ある雑誌の1ページでした。

小林さん:高校2年の春先に、たまたま「山と渓谷」っていう雑誌を立ち読みしたとき、「アメリカから入ってきた新しいスポーツ・フリークライミングを始めよう」と紹介されているのを見て、「こういう世界があるんだ!」と思いました。すごくきれいな岩を登っている外国人の写真を見ても、それが僕の知ってた”スポーツ”っていうものだとは思えなかったですよね。なんか楽しそうだなと思って、意を決して一人でクライミング教室に参加したのがきっかけです。

最近はカラフルな石が室内の壁に取り付けられているところを登る人の姿を、テレビや雑誌で「フリークライミング」や「ボルダリング」というスポーツとして紹介されているものを御覧になったことのある方も多いと思います。「クライミング」は、上へ登る動作に対して、ロープやマットなどで安全確保の上、手や足等人間が本来持つ能力だけを用い、自然の岩や人工の壁を登るスポーツのことを言います。

小林さん:それまで何もしてなかったので、最初は登れないわけですよ。周りの大人たちからは「おいおいお前若いんだから頑張れ」みたいな言われ方をされつつも、それでもちょっとずつ進むし、誰かと比べられるわけでもないし、登るっていうこと自体はすごく楽しかった。それに高校生っていう狭い社会で生きてた自分だったので、いろんな大人に囲まれて、親や学校から離れて自分の世界が広がりました。いろんな魅力があって、クライミングにぐっと引き込まれていった記憶があります。

大学に入学し、社会人になってからも週末はクライミングを楽しみ、仕事がオンだとしたら、オフの中心にあるのがクライミングという生活をしていた小林さん。旅行会社で営業職として勤務し、飛び込み営業したり、まるで地べたを這いつくばるようなやりがいはあるけれどつらい仕事をしていたそうです。

目が見えなっていくことは、黒い影がじわじわ寄ってくるような気持ちだった

【写真】クライミングをするこばやしこういちろうさん

そんな小林さんに転機が訪れたのは、自分の体のある異変に気付いたときでした。

小林さん:28歳の時に、目の見え方がおかしいなという風に感じたんです。最初は車を運転している時に、「なんとなく見えづらいな」と思うようになってきたのがきっかけなんですね。小中高大と、ずっと視力1.2か1.5で、勉強嫌い、運動も嫌い、唯一良いのが目くらいっていう感じだったんです。それなのに、雨が降っている時のワイパーの動いてる先が見えづらいし、夜は対向車のライトがやたら気になるようになりました。

小林さんは転職して「L.L.Bean」というアウトドアの会社の顧客サービス部門で、お客さんをキャンプ、カヌーやマウンテンバイクなどに連れていく仕事をしていました。車に乗ることも多く、毎週のようにクライミングへ通っていました。車の運転にだんだんに困難を感じてきて、最初は「それだったら眼鏡をかければいいや」と思い、生まれて初めて眼鏡屋に行ったのだそうです。

小林さん:眼鏡屋で視力検査をしてもらったんですが、「上手く視力が測れないから病院行った方がいいんじゃないですか」って言われたのがきっかけで、生まれてはじめての眼科に行ったんです。そしたら医者に「目の病気の疑いが強いから精密検査をしましょう」って言われて。もう全部なんのこっちゃって感じで。まもなくして結果が出たら、「進行性の網膜の病気です」と。「遺伝を原因としていて、治療方法は無くて、将来失明します」って言われたんですよ。

小林さんが診断を受けたのは、「網膜色素変性症」という聞き慣れない目の病気。今までの人生ではちゃんと目が見えていて、車の運転やスポーツもできたのに、突然医者に「失明します」と言われ小林さんはどのように感じたのでしょう。

小林さん:んー…、自分のことには聞こえないんですよね。僕は車を運転して病院に行って、自分で運転して帰るわけですよ。何にも変わらないんです。「何言ってるんだろう」みたいな感じで。でも、じわじわやっぱり変化は起きてきて。字が読みづらくなるとか、人の顔が分かりづらくなる、運転免許の更新ができなくなる。アウトドアガイドの仕事をしていたので、色の鮮やかさがなんとなくどんどん無くなっていく。自分に黒い影がじわじわ寄ってくる感覚でしたね。

未来予想図にはなかった”視覚障害”に戸惑った時間

【写真】白杖を持って街中を歩くこばやしこういちろうさん

だんだんと目が見えづらくなっていくなかで、小林さんは「まだ治るんじゃないか」という気持ちがあり、不安を抱えながらも様々な病院を回っていました。

小林さん:やっぱり最初のうちは…そうですね、心配でしたね。あるお医者さんは「あんたの病気は進行性で治らんですよ」って言ったけど、違う病院にいったら治るんじゃないかっていう気持ちもあってセカンドオピニオンで他の病院も行くんですけど、まあ言われることはことごとく同じで。

眼科で3時間くらい待たされてやっと呼ばれて検査して。お医者さんはチラって見て、「そうですね、私も失明すると思います」みたいな感じで。自分は目が治らないのはわかった。で、僕はどうしてったら良いんですか?どういう風にして生きてったらいいですか?みたいな気持ちがどんどん大きくなっていくんです。機械的に目を見るだけで「ああ病気ですね。まああなたの場合、初期だからまだ大丈夫ですよ」と言うんです。医者は目はのぞこうとするけれど、気持ちはのぞこうとしない人たちだなって、医療に対する不信感みたいな気持ちは当時すごくありました。

小林さんの病気は遺伝性のものですが、家族には目が見えなくなった人がいるわけではなかったのだそう。家族の前では落ち込んだ様子を見せないよう、小林さんは病気が進行しても一生懸命元気に振舞っていました。

小林さん:自分がふさぎこんでたら、母親がきっと自分を責めるだろうと思ったわけです。産んだ自分に何か非があったんじゃないかと考えるんじゃないかって。友だちの前で愚痴ってみたりする時ももちろんありました。なにより僕、当時は結婚していたんですけど途中で目の病気がわかって…。いろいろあった結果離婚するということになったんです。当時はいろんな現実がやってくるっていう感じでしたね。

大事なのは「あなたはどうやって生きたいのか」

【写真】真剣な表情でクライミングをしているこばやしこういちろうさん

小林さんが前向きな気持ちになるきっかけがあったのは、最後に行った病院のケースワーカーの先生との出会いでした。友人が「あそこの病院良いらしいからお前行って来い」と勧めてくれたのが、日本では当時まだ新しいものだったというロービジョンクリニックがある病院。いろいろな有名な病院を回っていた小林さんでしたが、ことごとく診療内容は同じだったので、最初は半ば自暴自棄で「もういいよ、どこ行ったって同じなんだから」と返したのだそうです。

小林さん:でも言われて行ってみたら、すごく良かったんです。要は普通はお医者さんというのは、”治したい”んですよね。でも障害っていうのは治せないわけですよ。じゃあそういう人たちが今持っている視力をどう活かして、どう社会に適応して生きていくかという、障害者を持つ人の生き方を支援するのがその病院だったんです。残存視力を最大限活かしてどうするか。そこに行ったら初めて、「今あなたが抱えている課題は何ですか?」って心の問題にも耳を傾けてくれる先生がいました。

当時僕は考え方が後ろ向きだったので、できなくなること探しを一生懸命してたんです。新聞も読めなくなったし、免許も書き換えられなくなったし、あれもこれもできなくなった。できなくなること探しばかりが自分の気持ちを引っ張ってたんで、「先生僕はこれから何ができなくなるんですか」「そのできなくなることのためにどんな準備をして、何をして生きてったらいいですか」っていうようなことを聞いてたんです。

でもそんな小林さんに対して先生が言ったのは、「いやいや、これから何ができなくなるのかって言われても、私たちは何もできません」という一言でした。

もっと大事なことあるでしょ?大事なことは、あなたがこれから何ができなくなるかではなくて、あなたが何がしたいのか、どうやって生きていきたいか。それがあれば、私たちも周りの人たちも社会の仕組みもあなたのことを応援できるはずですよ。

【写真】優しく微笑みながらインタビューに応えるこばやしこういちろうさん

小林さんは先生の言葉によって、気づかされることがあったといいます。

小林さん:自分は「障害者になったら過去を否定して生きてかなきゃならないんだ」っていう思いがあったんですけど、そこでシフトチェンジされたんです。自分が当時どういう気持ちだったかを例えると、車に乗ってたわけですね。で、突然気が付いたら、出口の見えないトンネルにポツンと一人だけ置いてけぼりにされたような感じだったんですね。でもその先生に出会って、やっと遠くにトンネルの出口がちょっと見えて来た。立ち止まってたんですけど、ちょっと歩き始めたような感じでした。

今ある社会の仕組みの中で目が見えなくなった小林さんがどう生きていくかっていうより、小林さんが「こういう風に生きたい」と思ったら周りがそういう風になれるように手助けをしてくれるかもしれない。「周りが何かしてくれるかも」という受身の生き方ではなくて、「あんたがどうしたいのかっていうことがまず大事でしょ」と先生は教えてくれました。

小林さん:できないこと探しから、できること探しに思考がちょっとずつ変わっていったんです。今までは自分以外の目の見えない人なんて会ったことがないので、最初は病院の先生に患者会を紹介してもらって、そこの子どもの会のお手伝いだったら、アウトドアの仕事をしてた自分にもできるんじゃないかと思って。ただ、当時の僕の思考はまだ、「視覚障害者でもできることってなんだろう」という考えでしたね。

小林さんは、先天性ではなく、人生の途中から目が見えなくなったということによって、大変だったこともあったのだそう。

小林さん:目が見えない人の生き方っていうのは探さなきゃいけないと思ってた時点では、私は生まれてきた時点での話ではないので、見えていたっていう過去があるんですね。なので、常に比較をして生きてたわけです。「若かった時ああだったのに」って言ってる、おじいちゃんおばあちゃんの話と同じだと思います。なので、先天の障害をお持ちの人と中途で障害を持つ人たちっていうのは、また思考って違うと思いますね。

全盲のクライマーに出会って人生が変わった

【写真】クライミングをしているこばやしこういちろうさん

「そのうち失明する」と言われてからも、小林さんはクライミングを続けていきました。視覚障害といっても「目の見え方」には様々な種類があり、滲んで見えたり視野が狭くなったりする人もいるなか、小林さんは目の中心から見えなくなっていったそうです。

小林さん:中心が見えないっていうのは、字が読めない・人の顔がわからないっていうのが一番典型的なんですよ。細かいものを認識する力が無い。ところが大雑把なものはわかるんです。今はよく、スマホ見ながらゆっくり歩いている人多いじゃないですか。あれは大雑把になんとなく周りがわかってるからノロノロだって歩ける。それと同じで、当時はなんとなく周りにある石がまだ見えていて、逆に石を見ようと思うと見えなくなる感じでした。

まだ「視覚障害者だから」という考えがにとらわれていた小林さんに転機が訪れたのは、自身のロールモデルとなる全盲のクライマー、エリック・バイエンマイヤーさんとの出会いでした。

小林さん:たまたまアメリカで友人の結婚式に行った時に、空港まで迎えに来てくれた友だちが「目の病気なんだって?そういえばアメリカには全盲でエベレストに登っている人がいるんだよ」って教えてくれて、僕はすごい驚いたんです。日本で出会ってきた視覚障害の人たちっていうのは、どっちかっていうと内向きなイメージだったんですよ。「自分には何ができるのかな」って思ってた自分にとっては、良い意味ですごくショックでした。障害ってのは、自分が思っているよりも、もっともっといろんなことができるのかもしれないってその時初めて思ったんです。

紹介してくれた友だちがエリックさんの著書をプレゼントしてくれ、小林さんは日本に帰ってすぐにインターネットで調べ、本人に「あなたに会いたい」とメールを送りました。そしてエリックさんにアメリカまで会いにき、一緒にクライミングをしたのだそう。

小林さん:私にとっては実は、彼がエベレストに登ったことよりも、一緒に高さ20メートルくらいのちっちゃな岩に登ったことが一番のショックでした。彼は両目とも義眼なんですね、全く光がわからない。「全盲の人がこんなことできるのか」ということを、目の前で見せつけられたってのは本当にショックで。自分が思ってる障害者っていうものの価値観を、揺さぶられましたね!

エリックさんとの出会いがあって、何となくぼんやり思っていた「俺がずっと続けてきているクライミングでどうにかできないかな」という思いが、「これだ!」という確信に変わったといいます。独立思考も強かった小林さんは、これまでやってきたクライミングと仕事で身につけたスキルや経験を生かして、自分の足で歩き始めることを選択します。

小林さん:アウトドアガイドをしていて、私はこの道で一生生きていくだろうという未来予想図があったんですけど、それは「失明します」って言われた時点で完全に諦めていました。でも「自分で企画書を出して立ち上げた事業部を、自分が引っ張ってきた」という自負もあったので、これまで一生懸命やってきた仕事を肯定するようになりました。旅行会社で添乗員をしていたり、飛び込みの営業で物怖じせずに新しい話を持ち込んできた経験も、きっと活かせる。過去の自分を否定して視覚障害者として新しく生まれ変わるんではなくて、「これまでの人生を自分を肯定しながら新しい自分を描いていく」って思い直せたことが、自分の人生を前に進めるエンジンになったんです。

障害の有無は関係ない、誰もがそれぞれの目標に向かっていい

【写真】もんきーまじっくの皆さんと笑顔で一緒に。ポーズをとっておりとても楽しそうだ

クライミングを活かして自分ができることを考え始めた小林さんがたどり着いたのは、「視覚障害者がクライミングを楽しむ」という発想でした。多くの視覚障害者は、これまでスポーツが好きだった人も、特に球技などを同じルールで楽しむことは難しくなってしまいます。でも、クライミングは障害があってもなくても、みんなが楽しめるスポーツなのではないかと確信して2005年から始めたのが、障害の有無に関わらずクライミングを楽しめるスクール「モンキーマジック」です。

障害者クライミング普及活動を通じて、多様性を認め合えるユニバーサルな社会を実現するのが、「モンキーマジック」のミッションです。

小林さん:エリックに会って半年くらいで、ぼちぼち活動を始めていきましたたが、最初はどこに相談しても剣もほろろですよ。盲学校、眼科、リハビリの施設などにフリークライミングやボルダリングの話をしても、今とはスポーツとして理解されてる度合いが違うので、「絶対に障害者の未来を変えます!」って言っても、「は?何言ってんですか?そんな危ないこと障害者にさせるわけないでしょ!」みたいな時期がえらい続きました。

それでも小林さんが視覚障害者にクライミングに挑戦してほしいと思ったのは、クライミングは競い合うスポーツでは無く、自分の目標に向かって頑張る自己達成型のスポーツだと思ったからでした。

小林さん:例えば背の高い人低い人、目が見える人と目が見えない人とかいろんな違いがあるんだけども、クライミングはみんながそれぞれ違う目標に向かって頑張ればいい。さっきはこの辺までしか行けなかったけど、1つ次の石までいけるように私は頑張るんだとか、1番上まで行けて嬉しい、とか言う風に。比べることよりもっと大事なことがあるんだということが、障害者のある人にとってはとても大切だと思っています。

【写真】次の石に必死に手を伸ばしているこばやしこういちろうさん

全日本パラクライミング選手権大会2016のB1カテゴリーで優勝した小林さん

全日本パラクライミング選手権大会2016のB1カテゴリーで優勝した小林さん

実はクライミングはマットが敷いてあれば、飛び降りても怪我することは極めてリスクは低く、高いところに行くなら安全確保用ロープを装着すれば落ちることはありません。危険だと思われがちですが、実は視覚障害者でも安全に楽しむことができるスポーツなのです。

小林さん:クライミングは「障害者も楽しめるスポーツ」だけど、けっして「障害者スポーツ」じゃないということも魅力だと思いますね。みんなが一緒に、「私は障害者だから」っていう後ろめたさなんか持たずに、思い切りそれぞれの目標に向かっていいんです。そして心理的な効果もあると思っていて、「できるわけない」「危ないでしょ」と思っていたことができた時に、本人も周りの人も「これができたんだったら諦めていたあんなことも、できるんじゃないか」っていう気づきに繋がる。それこそが、クライミングの大きな価値だと思うんですよ。実際、アメリカのリハビリの施設では、クライミングがリハビリプログラムの補助的なプログラムとして利用されているそうです。

様々な人に反対されながらも、モンキーマジックの活動をすぐにNPO法人化し、「絶対にできる」と諦めず小林さんが頑張れたのは、まさにクライミングを続けてきたことで得た「自信」のおかげだったそうです。

小林さん:しぶとさです。しぶとく、やり続けるしかない。もう、自分を信じるってところだと思うんです。自分は高校生の時からクライミングを続けていたので、このスポーツの良さには絶対の自信がありました。何の裏付けもないですよ?でもこれひとつ形にできないわけがない、これで自分が食っていけないわけがないっていう自信があって。そしてだんだんに自分のことを支えてくれて、自分がなんとなくぼんやり思ってるものを、「小林さんやりたいことってこういうことでしょ?」「やりたいなら手を動かしますよ」って言って動いてくれる仲間たちが出てきたから、今がこうなってるんだと思います。

誰でも楽しめるユニバーサルなクライミングイベント

【写真】それぞれがクライミングをする壁の前で話をしている。

モンキーマジックのつくる場を身を持って体感するために、クライミング初心者の私も、月一回月曜の夜に高田馬場で行われている交流型クライミングイベント「マンデーマジック」に参加してみました!

高田馬場にあるクライミングスタジオに、夕方になるとどんどん人が集まり始めます。大小さまざまのカラフルな石が壁面に敷き詰められたスタジオは、入るだけで気持ちがワクワクします!

老若男女幅広いひとたちが集まったその日の参加者は、全部で32人。視覚障害を持った方が11人、聴覚障害を持った方が2人を参加していたので、参加者の1/3が障害を持っているということになります。参加者の年齢層も幅広く、4歳の子どもから、81歳でフリークライミングを始めたご高齢の方まで参加されているそう。

クライミングは初心者という人も多いため、毎回初心者用の講習が行われます。

【写真】講習の様子。参加者は講習を体育座りをして真剣に聞いている。

【写真】参加者の様子。目を瞑ってクライミングの石をつかむ練習をしている。

講習の指導スタッフを務める木本さんは、野外活動講師やレクリエーションセラピストとして働きながら、モンキーマジックの活動に参加するためいちからクライミングを学んだのだそう。

クライミングの基本的な楽しみ方と、「H.K.K」と呼ばれる目の見えないクライマーもサポートできる声がけの仕方を教わります。石の「H=方向、K=距離、K=かたち」を教えてあげる声がけで、「左から1時の方向、激近(げきちか)で!」などを下で見ているひとのサポートを受けながら登ることができるのです。

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初心者講習には、お二人とも視覚障害のあるご夫婦・樋口匡さんと光里さんも参加されていました。どの程度目が見えているのかをちゃんとみんなに周知し、どのくらいサポートしていけばいいのかを共有します。初めてのクライミングですが、お二人は物怖じせずどんどん壁に登っていました!

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モンキーマジックのイベントでは、このように目が見えるかどうか、耳が聴こえるかどうかで名札を色分けし、背中に貼ることでどの人にどのようなサポートが必要かを一瞬でわかるようにしています。

【写真】参加者が実際にクライミングをしている。どうやって次の石に行くか講師の説明を受けている。

【写真】足が地面についた状態で次の石に行く方法を説明している講師の方と参加者

【写真】頂上に登り、笑顔の参加者

イベントが始まると、4,5人のグループに分かれてクライミングを楽しみます!グループの中には目が見えない方がいれば、耳の聴こえない方もいます。先ほど覚えた「H.K.K」を使って、声がけをしながら登る人へのサポートと応援をします。

「右に14時の方向!」
「ガンバガンバ!」

【写真】参加者の方と笑顔でグータッチする様子。

初心者の私はまだコツもわからずに参加していましたが、同じグループの人たちが声がけをしてくれるので、なんとか一番簡単なルートをクリアして最後まで登ることができました!登り終わって降りてくると、「 いえーい!」と手をグーにしてハイタッチしてくれるので、なんだかとても嬉しい気分になります。

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毎回イベントには、視覚障害の方と同じくらい聴覚障害の方も参加されているのだそう。その日は、もともと山歩きが趣味でクライミングを始めたという、聴覚障害がある松之木さんも参加されていました。

松之木さん:見えない人との壁がないのがいいところですね。 耳が聞こえないので「石はここだよ」「危ないよ」とか聞こえないのでちょっと怖いところもありますけど、みんなにレーザーポインターで教えてもらったりして楽しんでいます。

【写真】笑顔でインタビューに応えるまつのきさん

松之木さんとの会話では参加者の富子さんが手話をしてくださったのですが、モンキーマジックには手話ができる参加者が数名いて、必要なときは会話をサポートしてくれます。

ふと目をやると、ちょこんと行儀よくすわって、登っている男性の姿を見つめている白い犬の姿が目に入りました。

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この子はアイメイト(盲導犬)のトリトン、参加者のノブさんのパートナーです。ご夫婦で一緒にイベントに参加されていたノブさん・ミチピンさんはともに視覚障害があり、いつも二人がクライミングを楽しんでいる間、トリトンはスタジオの隅っこで二人を見守っているのだそう。

ノブさん:昔はまだ目が見えていたのでスポーツを楽しんでいたんですが、見えなくなってからはできなくなってしまって。クライミングに出会ったときは、「これは俺のためのスポーツだ!」って思いましたね(笑)。

ミチピンさん:最初は保護者みたいに同行して、私には無理だって思って見てただけだったんですけど、コバさん(小林さん)に「体重も年齢も関係ないよ、見てるだけより楽しいから」って勧められて始めたらハマっちゃったんです(笑)。

【写真】盲導犬のトリトンと笑顔ののぶさんみちぴんさん

参加者の中には、一人で参加している小学生の女の子の姿もありました。もともとお父さんに連れられてきたのがきっかけで、みんなと一緒にクライミングをすることがとても楽しくて、今はひとりでも参加するくらいモンキーマジックが好きになってしまったのだそう。ここで目の見えない人と触れ合うことで、普段もどんな風に目の見えない人をお手伝いしたらいいかがわかったのだといいます。

【写真】笑顔で楽しそうに話す小学生の女の子とみちぴんさん

モンキーマジックには、スタッフとして運営側に参加しているメンバーもたくさんいます。

水谷さん:障害者のサポートに関心があったというわけではなく、クライミングに関心があって関わるようになったんです。別に目が見えようが見え無かろうが、耳が聴こえようが関係無く、人同士で付き会えるからモンキーマジックは面白いですね。小林さんは「あれがしたい」「これがしたい」って言うし、何か僕が提案すると「いいねそれ!」って言ってくれるので、スタッフとしてやらなきゃいけないことがどんどん増えていった感じで(笑)。

内田さん:私は全然逆で、日本点字図書館で叔母が働いてたり、何かしら障害を持った人との接点はいっぱいあったんです。でも関わりを持つっていうのをなかなか見出せなかったんですけども、大学生の時に授業にたまたま小林さんが来て下さって。話を聞いて興味を持って、踏み出すきっかけみたいなものをもらって、この世界に飛び込んだんです。

【写真】笑顔の水谷さんと内田さん、こばやしこういちろうさん

お二人とも、何よりも「おもしろい」「楽しい!」というのがモンキーマジックに関わり続ける一番の理由なのだそう。他にも、視覚障害や聴覚障害を持っていたり、障害者支援に関わってきたわけでもないけれど、ただ「クライミングが好きで、それを通して人と関わるのが楽しい」という方がたくさん参加されていました。

モンキーマジックのクライミングイベントは障害があるかないかは関係なく、誰もがクライミングを一緒に楽しめる、まさにユニバーサルな空間!わいわいとしたにぎやかな雰囲気で、終始参加者のみなさんの笑顔と笑い声に包まれていました。

クライミングは人生そのものと向き合うスポーツ

【写真】真剣な表情でクライミングをしているこばやしこういちろうさん

モンキーマジックでこうしたスクールやイベントを11年続けてきたなかで、これまでたくさんの失敗があり、それでも諦めずにやってきたという小林さん。楽しさ、喜び、悔しさ、様々なことがあったそう。

小林さん:特に嬉しかったのは、聴覚障害と視覚障害のみなさんにあるとき同時に、「これまで経験したことない経験がここでできる」って言われたんです。今までが聴覚障害は聴覚障害の世界に、視覚障害は視覚障害の世界にいるけど、ここに来ると他の障害を持った人やそうでない人とも触れられて、そこに特別感がないって。

それに、「これまで障害者だからって理由であきらめてしまう経験が多かったけど、自分の障害を理由にせずに、きちんと自分と向き合って達成するということの経験を得られたのは、このクライミングっていうスポーツでした」っていう言葉は、もう何人もの視覚障害の方に言っていただいたんです。自分であきらめずに挑戦して達成したっていう実感は、新しい成長につながるんと思うんですよ。

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クライミングは、自分の人生そのものと向き合うスポーツなのだと小林さんはいいます。

小林さん:見えなくて聴こえない、一般的には「盲ろう者」と呼ばれる方々を招いて教室をやったんですけど、モンキーマジックイベント最高齢の86歳の方が参加してくださったんです。その方が最後に、「クライミングをしている時間は、人生そのものでした」って、おっしゃって帰られたんですよ。もう、86歳の先輩におっしゃっていただけるなんて嬉しくて。クライミングはただ単に運動っていうわけじゃなくて、やっぱりみなさん心に響く何かを持って帰ってくださるんです。

モンキーマジックのつくる場は、自分自身を見つめ直すきっかけにもなりますが、私は「みんな」というキーワードをとても大切にしている場所のように思いました。社会では、障害者はサポートしなければいけない対象であり、孤立してしまうことも多いと思います。でもこの場では、誰もが「みんな」のなかの一員となっているのです。

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小林さん:ここは明るく元気な空間で、みんなが自由に声出して笑って、みんなが真剣に悔しがって喜んで。障害者イベントの場所ではなく、障害があってもなくてもみんな楽しめる空間にしたい。私たちのつくりあげてる雰囲気が、社会のどこにでもあるようにしたいな思っています。今のモンキーマジックのコンセプトは、「障害者クライミングの普及を通じて多様性を認められるユニバーサルな社会を実現する」。
日本のいろんな場所で障害を持ってるみなさんがクライミングに触れられるような、そして障害者とそうでない人が特別な扱いなく普通にふれられるような空間を増やしていきたいです。

今後は日本だけでなく、他の国のいろんな場所にも広げていきたいのだそう。これまでCHUMSやNORTH FACEなど、アウトドアブランドとのコラボレーション商品も作成するなど、分野を超えた協働もどんどん生み出しています。

障害の有無、性別、文化や国籍を乗り越え、クライミングというスポーツを通じて人と人をつなげていくことが、モンキーマジックが思い描く未来です。

「それって楽しいこと?」という問いを大切に

【写真】必死な表情でクライミングをしているこばやしこういちろうさん

目が見えなくなったことをきっかけに、クライミングをとおして多様な人々のつながりを生み出してきた小林さん。「目が見えない」ということは、小林さんにとってどのような意味を持っているのでしょう。

小林さん:よく障害を受容するって言葉が聞かれると思うんですけど、私は受け入れられてないと思うんです。私の目の病気は進行性のもので、今外が明るいとか、電気がついてるっていうのはなんとなくわかる。でも「いつかこれもわからなくなる」っていうこともわかってて、いつまでたっても「見えていたときはなあ」とか「なんでこんな時間がかかるんだ」というイライラと日々一緒に暮らしているんです。見えてた頃の自分と比較して生きているんですよね。

ただ、自分のなかで私が見えなくなったというのがどういう意味を持つのか考えると、「目が見えない自分にとってできることってなんだろう」じゃなく、「私という自分にできることはなんだろう」と研ぎ澄まして考えるきっかけを与えてくれたと小林さんはいいます。

小林さん:「目が見えなくなっているのを受け入れられない」っていう弱くて人間くさい自分がいる一方で、「とはいえ、生きてかなきゃいけないし、社会のなかで頑張っていかなきゃいけないし」っていう自分に、よりエッジを効かせていけてる、目の見えないっていうのは自分のなかで道具みたいなものになってるんじゃないかな。

小林さんに、一番最後にしてみた質問があります。それは、「小林さんの生きる意味や使命があるとしたら、いったいそれは何なのでしょう」。

小林さん:自分自身の生きてる意味や使命は考えてないです。

すぐにきっぱりと一言返したあとに、小林さんはこう続けました。

小林さん:私にとってすごく大事なのは、「それって楽しいこと?」って問いなんですよ。特にモンキーマジックの活動がそうで、おもしろそうか楽しそうかっていうことがすごく大事なんです。それって物事を継続させる力になるんじゃないかな。スタッフも参加者も、「なんでこんな活動に参加してるんですか」って聞くと、モンキーマジックの活動が「おもしろいからだ」って言ってくれます。障害があるなしに関わらず、みなさんにとっても笑顔や元気をつくる場所になっているからこそ、やっててよかったって思えるんです。

私は目の病気ですよって言われた20年前は、障害者として何もやる気にならなくて家からでれなくなるような人たちと気持ち的に近かったと思うのです。でも「自分にできることってなんなのか」と考えるようになっていって、その結果僕は「クライミングというものを伝える」っていうこと自体が、自分も自分らしくいられることにつながるっていうふうに思えたんです。伝えるものを持てていること自体が、自分にとって生き甲斐だと思います。

なんでも試してみなきゃもったいない

【写真】笑顔で話すこばやしこういちろうさん

「いつか何も見えなくなってしまうかもしれない」という不安を抱えながらも、小林さんは自分のできることに向かってまっすぐ走り続けています。

小林さん:僕は基本的に貧乏性なんですよ、「もったいない人間」なんです。よく「小林さんは特別だから」って言われるんですけど、それはすごい抵抗感があって。自分は特別でもなんでもないし、考えてることを日々やってるだけなんです。貧乏性だから、いくつも試してみて。チャレンジしてるっていうより、試してみてるだけなんですよ。だから、もし今自分の人生に絶望してる人がいるとしたら、「試してみたら?」っていうふうに声はかけるかもしれないですね。

小林さんの周りには、いつもサポートをしてくれる仲間たちがたくさんいます。

「人生楽しまなきゃもったいない、やりたいことがあるならチャレンジしてみないともったいない」

小林さんが全身から放つそのポジティブなメッセージが、たくさんの人たちを惹きつけ、誰もが明るい気持ちになってクライミングを楽しめる場を生み出しているのだと思います。

インタビューの帰りは、小林さんと一緒に夜の高田馬場の街を歩かせていただきました。

【写真】白杖を持って歩くこばやしこういちろうさんとライターのくどうみずほ

小林さん:腕をつかませてもらって歩くと、白杖をつかなくていいから楽なんですよ。

そう言って嬉しそうにしていた小林さんの顔を、なんだかとてもよく覚えています。いつもは早足で人混みをすり抜ける私も、小林さんのペースに合わせてゆっくり街を歩きながら、「障害のある人をサポートしている感覚じゃなくて、ただ友達と一緒に歩いてるだけな気がして嬉しいな」と思いながら帰りました。

また私も、モンキーマジックのクライミングイベントに参加しようと思います。障害者をサポートするためではなく、ただみんなでクライミングを楽しむために。

(写真/馬場加奈子、協力/井上いつか)

関連情報:

NPO法人モンキーマジック ホームページ

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