【写真】笑顔を向けるsoarライターくどうみずほとしまづともゆきさん

どんな風に生まれても、どこに生まれても、子どもたちに笑顔で生きていってほしい。

すべての命が尊くて、幸せに生きる権利があるはず。それなのに、今の世の中では障害や病気があることでや生まれた環境によって、生きづらさを抱えることになってしまうことが多いです。

「生まれてきてくれて、ありがとう」

たくさんの人々が抱く想い。これをかたちにしている人たちが、熊本にいます。

熊本で重症心身障害児を支援するNPO法人NEXTEP

【写真】ネクステップのホームページのトップは鮮やかなオレンジ色を基調とした明るい雰囲気になっている

出会いのきっかけは、2016年4月に起きた熊本地震。直後に私が一番心配になったことは、弱い立場にいるひとがもっと大変な状況になってしまうことでした。

病気や障害を持っている方は、避難所など普段とは違う状況で過ごすのは大変なことだと思うし、呼吸器など24時間電気を使う機械が必要な方にとっては、ライフラインが遮断されてしまうことは生死を分ける問題です。

そんなとき友人がシェアしていたSNS投稿で目にしたのが、熊本で重症心身障害児を支援するNPO法人NEXTEPの活動でした。

「とても信頼している熊本の小児科医でNPOの代表である島津さんが、被災した障害や病気の子どもたちへの支援金を募っています。」

遠く離れた東京から心配することしかできなかった私は、NEXTEPの活動に希望と感謝を感じ、「とても大切な活動だと思うのでsoarとしてもぜひ応援したい」と、支援金と物資の募集を記事にして公開しました。記事はすぐにSNSで拡散され、たくさんの方に読んでいただき、募金活動をしてくださる方もいらっしゃったのです!

ご縁が生まれたNEXTEPの活動を深く知れば知るほど、重度の障害や病気を持ち、日常生活に困難の多い子どもたちやそのご家族の暮らしをサポートし、笑顔を生み出している島津さんたちの素晴らしさを実感しました。島津さんにお会いして、ぜひNEXTEPの活動と熊本の現状についてお伺いしたいと思い、私たちは熊本へ向かいました!

熊本県合志市で子どもたちを支える

NPO法人NEXTEPは熊本県合志市に拠点を置く、重度の障害や病気を抱えた子どもとその家族をサポートする団体。2000年から任意団体として活動を始め、2009年にはNPO法人となりました。

訪問看護事業からスタートした小児在宅支援事業は、2012年にヘルパステーションを、2013年に相談支援事業を開設。その他、園芸療法を取り入れた有機農業体験による小・中学校の不登校児とその家族への支援を行っています。

今回はNEXTEPの事務所を訪問させていただくため、熊本空港からレンタカーで合志市に向かいました。民家の瓦屋根が崩れ堕ちていたり、土砂崩れやひび割れによる橋の落下の可能性などで通行止めになっている箇所も。

飲食店やコンビニは通常営業しているものの、地震の影響で客足が遠のいてしまっているとのことでした。とはいえ、熊本で出会う人々はみんな元気いっぱいで、どこにいっても暖かくもてなしていただきました。

空港から20分ほど車を走らせ、子ども専門の訪問看護ステーション、障害児通所支援事業所にもなっているNEXTEPの事務所に到着。代表理事であり医師の島津さんが、私たちを出迎えてくださいました!

くしゃっとした笑顔に、和やかな雰囲気。きっと島津さんに診てもらう子どもたちも親御さんも、すごく安心するだろうなと心から実感する、とても優しく素敵なお医者さんです。

日本の子どもたちに元気になってほしい

【写真】満面の笑顔でこちらを見ているしまづともゆきさん
島津さんは1977年生まれで、福岡県出身。熊本大学の医学部を卒業し、現在は熊本再春荘病院で小児科医として働きながら、NPO法人NEXTEPの代表理事を務めています。

僕は子どものころ、学校の先生になりたかったんです。ただうちの母親がガンで、僕が小学校一年生くらいのときに手術をしたんだけど、小学六年生の時に亡くなって、僕のことは親父が育ててくれたんです。うちの親父はなんにも言わなかったんです。間違ったことしたら怒りますけれども、基本は決めたことを応援するというか、進路や将来のことはごちゃごちゃ言わない感じで。でも周りは母親をガンで亡くしたんだから、仇を取るためじゃないけど医者になりなさいみたいなことを言うひとも多かったので、いろいろ考えたんですよね。

大学を選択する際に、理系のほうがいいのではないかと考え、教師になりたい気持ちはあるものの医学部に進んだ島津さん。小児科だったら子どもにも関わることができるので、小児科医になろうと決めます。

大学に入ってからは何回かアジアを旅行したんですけど、アジアのこどもたちって目がすっごいきらきらしていて、大学生もモチベーションが高い。日本に戻ってくると、なんとなく周りの同世代との温度差みたいなものもがあったんです。それでNPO活動に参加するようになると、モチベーション高い人達が多くて居心地がよかったんです。

周りの人との社会に対する関心の温度差を感じながらも、大学を卒業して小児科医になった島津さんは、今の子どもたちを取り巻く環境に対して疑問を持ち始めます。

日本の子どもたちがもっと元気になってほしい、将来に対してもっと明るいイメージを持ってほしいという漠然とした思いを持つなかで、実際小児科医になると心が病んでいる子どもたちにたくさん出会うんですよね。不幸に生まれてきたわけじゃないのに、結局不幸なストーリーにのっかっちゃっている子どもたちがいっぱいいるんです。

それをちょっとでも減らしたいなと思った時に、結局医者っていうのは、病院に来た子どもたちだけに関わるから、根本的な社会のあり方を変えていく仕事にはなかなかならないですよね。カウンセリングもするけれど、社会を変えるための仕組みがないと、ずっと来た人に対応する繰り返しで、自分のマンパワーにも限りがある。だから社会にアプローチするにはどうしたらいいかっていうのを考えた時に、学生時代からやっていてNPO活動をしたらいいんじゃないかと思ったんです。

子どもたちの住んでる社会をもっとよくしたいと考えた時に、島津さんにとっては小児科医としてのアプローチが一つの方法で、もう一つがNPOとしてのアプローチでした。この2つのアプローチを組み合わせることで、より社会に対して効果があるではないかと島津さんは考えているそう。

よく「両立って大変でしょ」って言われるんですけど、両立してるっていうつもりはあまりなくて。要するに自分がやりたいことは小児科医でなく、NPOの仕事でもなくて、「子どもたちがいま困っているということに対して何かをやる」っていうことなんですよね。それをやるために、小児科医とNPOというアプローチの手段の2つを使っています。

昔は「子どもを訪問看護でケアする」という発想がなかった

【写真】お母さんが家で、小さな子どもが座っている椅子を支えている。子どもの鼻や口には医療の管が繋がれている

NEXTEPの在宅支援

では、なぜ今困っている子どもたちへのアプローチが小児在宅支援だったのか。それは、10年前小児科医になったばかりの島津さんが、病気や障害のある子どもたちの家庭が抱える課題に直面したことがきっかけでした。

親御さんが、子どもを病院ではなく在宅生活で育てていくと決めたとしても、現実には24時間の介護が必要であり、医療のプロではない親御さんにとっては「熱が出た」「呼吸がおかしい」などの様々な出来事に日々対処していくのは大きな不安がつきまとうのです。とはいえ、親御さんが在宅生活に移行する準備をサポートする「在宅移行支援」ができる病院は限られているうえ、在宅生活をサポートするような体制はほとんどありませんでした。

たとえば、親御さんが子どもの訪問看護を頼もうと訪問看護ステーションに問い合わせると、「人工呼吸器のついた子はうちの訪問看護ステーションでは受け入れられません」とか、「気管切開した子のお風呂は難しいです」という答えがほとんどだったんです。人工呼吸器をつけた子って、家から病院や施設に通うのに、その移動が大変なんです。人手が2、3人必要だから、お母さん一人ではなかなか連れてこれないんですよね。じゃあどうやったらできるようになるのかっていうのを考える必要があるのに、病院や行政は「無理です」で終わってしまうんですよね。

日本では「訪問看護といえば高齢者向けのサービス」という考え方が一般的で、「子どもを訪問看護でケアする」という発想がほとんどありませんでした。小児を含むすべての人に訪問看護を提供できるようになったのは1994年で、広がってきたのは2010年あたりから。その当初は、家族からの訪問看護依頼は少なく、依頼しても「子どもは受けたことがないです」と返ってくることが多かったのです。

24時間365日、呼吸器をつけている子たちをみていると、もう家族はへとへとなわけです。でも、来てくれたとしても訪問看護って一日に60分から90分くらいなんですよ。その間にお風呂にいれて、お風呂入れ終わった残りの30分でお母さんは買い物にいって、日常に必要なものをばーっと買って戻ってくるみたいな感じです。だから、例えば美容室に行こうとおもったらとてもそんな時間ではいけないから、土日にお父さんの仕事が休みで家にいるときに行くしかない。

でも日常的に、週に何回か私たちの通所事業所のようなところに通ってくれば、その間に美容室もいけるし、女子会だったり、同世代のお母さんたちが楽しんでいることもできるんですよね。エステに行ったっていいわけです。そういうのを全部我慢しながら、髪ぼさぼさにして疲れ果てた顔してやっていたのがこれまでの在宅介護で、言ってしまえばそれはお母さんたちの自己犠牲の上に成り立っていたんです。

日本の伝統的な文化として、「子育ては母親がするもの」という風潮が強かったこともあり、お母さんたちの負担はとても大きなものだったといいます。

この状況をなんとかしようとした時に、島津さんは病院という大きな組織の中で、自分の意思だけで実現することの難しさに直面しました。さらに、ある重度の障害を抱える男の子が病院から在宅生活に移行する直前に亡くなってしまったという経験をした島津さんは、「彼らをサポートする体制があったら」と悔しさでいっぱいになります。そこで、信頼出来る看護師さんに声をかけて、2009年にまだ日本でも数少ない小児専門の訪問看護ステーション「ステップ♪キッズ」を設立したのです。

【写真】ネクステップの訪問看護ステーションにはくまモンのぬいぐるみや、写真、切り絵などが飾られて明るい雰囲気

訪問看護ステーションには現在、十数人の看護師さんが在籍していて、月曜から金曜までの毎日、合志市周辺の重度障害のあるお子さんの家庭を訪問しています。また、2015年には障害児通所支援事業所「ボンボン」を設立。お宅を訪問するだけでなく子どもたちに施設に来てもらうことで、自宅で限られた人としか接してこなかった子どもたちが新しい友達に出会える環境をつくりました。

ボンボンでは、定員5人のうち2人までは人工呼吸器のついた子を受け入れようとしています。そうした場合に、その2人をお家に迎えにいくんです。ヘルパーさんが運転して、看護師さんが一緒に乗っていく。家で子どもを乗せてつれてきて、終わったらおうちに送っていく。その間、お母さんは5、6時間は家でゆっくりできるから、通常の保育園に預けているのと同じような感じですよね。でも、こちらで預かるけれども連れてきてくださいと言ってしまったら、人工呼吸器をつけての移動は難しいですから、みんな「連れていけません」となってしまいますよね。

自分たちだけで子どもを育てるとしたら、やっぱり親御さんたちは疲れ果てていっちゃうんです。それを仕組みとして、看護師やヘルパーがおうちに行ったり、私達が預かったり、そういったことを複合的に組み合わせると、親御さんたちはだいぶ楽なんですよね。

だから他の団体の方などがうちに見学にきたり、訪問看護でお家に一緒にいったりすると、みんな親御さんはやつれて疲れ果てているのかと思ったら、すごく元気で明るいのでびっくりされるんですよね。それはいろいろなサポートがあるからなんです。

家族が暮らしやすい環境をコーディネートする人が圧倒的に不足していること、いたとしても使える資源が限られていることが今の問題。人と資源の両方がうまくバランスがとれると、家族にとっては一番いい支援が受けられるのですが、現実的にそれができている地域は少ないのだそうです。今NEXTEPが関わっている地域ではこういったサポートを少しずつ増やしていけてますが、手の届くエリアが限られているので、もっと広めてきたいと島津さんは考えています。

障害のある子どもだけでなく、家族も幸せに

【写真】口から医療のための管をつないでいる子どもを、しまづともゆきさんが診療している

NEXTEPがサポートしているのは、重症心身障害児といわれる、重度の肢体不自由と重度の知的障害とが重複した子どもたちです。

その子たちは基本は寝たきりで、しゃべったりごはんを食べたりできないくらいな重症で、日常生活のすべてに介助が必要なんです。意思疎通ができず、本人が「痛い」とか「苦しい」とは言えない子が多いので、それを家族が察知して病院に連れていくというような判断をしなければいけません。

ごはんを口から全部食べれるっていう子はほとんどいなくて、鼻からチューブが入ってるか、胃に穴があいてそこから栄養を入れる胃ろうという栄養の取り方なんです。そして気管切開して呼吸をしているなど、半分は人工呼吸器をつけている子たちなんですね。だからその子たちの重症度としては最も高いんですが、兄弟や家族のサポートまで考えると、その子だけ見ていればいいっていうわけではないんですよね。

未熟児で生まれて重い障害が残ってしまった子、先天的な病気でだんだん進行していく子、健康に生まれたけれども溺れたり交通事故で障害がある子など、生まれつきの障害もあれば後天的に障害を持った子もいます。その子どもたちをサポートするため、お宅へ訪問看護するだけでなく、子どもと家族に通ってもらえる場所としてつくった事務所兼障害児通所支援事業所である施設は、とても素敵な施設で設備も充実しています。

【写真】訪問介護ステーション内は白を基調とした清潔な壁に、木の温もりが感じられるドアが。そしてウェルカムと書かれた旗が飾られている

2015年10月に国産木材を使用してつくられたこの施設は、そこにいるだけで気持ちが落ち着くような、暖かく柔らかな雰囲気。木のぬくもりが伝わってきます。

【写真】長机や椅子が並べられた清潔な空間

【写真】広い廊下に車椅子が置いてある

【写真】クッションやぬいぐるみが片付けられている。床、ドアから木の温もりが感じられ過ごしやすそう

【写真】木でできた子ども用のベッド

【写真】寝たきりの子が使用する移動リフト付きのお風呂。お風呂は何人も入れそうなくらい広々としている

子どもと家族が集まって遊べる広いホール、寝たきりの子が使用する移動リフト付きのお風呂、車いすですれ違うことができる廊下の広さ。週末に家族で泊まりにこれるような部屋もあります。

子どもたちが安心して快適に過ごせるようたくさんの思いやりがつまった施設は、これからたくさんの家族の笑顔をつくっていくのだろうなと感じました。

熊本地震直後は、NEXTEPは避難所になった

【写真】インタビューに真剣な様子で応えるしまづともゆきさんさん

2016年4月14日、熊本県と大分県で発生した最大震度6強の熊本地震では、NEXTEPのある合志市も震度5強の揺れがありました。続く4月16日の2回目の地震では、震度6強と1回目よりも大きな揺れだったのだそうです。

1回目の地震のときはこのあたりは大きな被害はほぼなかったですね。ただ停電する危険性があり、人工呼吸器をつけている場合は電気が止まったら数時間のうちに生きれなくなってしまう。そのため地震が起こったのは21時過ぎでしたが、深夜から翌日昼にかけて病院に避難してくる人が多く、NEXTEP事務所にも災害対応本部を開設しました。

1回目の地震では7人の工呼吸器を使っている子どもたちが、避難。深夜1時頃に起きた2回目の地震では、合計18家族、親御さんや兄弟などを含め合計50人くらいが病院に避難してきたそうです。電源がないと生きられない子たちが多く、電気は幸い通じていたのですが、水道は泥水しかでなくて食事が出せない、お風呂に入れないという状態が2週間弱続きました。

初期の段階ではおむつや服などの生活必需品が足りない状況で、子どもと家族の生活を支えるため、4月16日に全国に向けて支援物資と支援金の募集を発表。翌日に九州からの持ち込みの物資が届いたほか、「物資を送ります」とのメールが多数寄せられたそう。すぐに物資の募集はストップをかけなければいけないほど、協力をしたいという声が多くありました。合計で40トン近く届いた物資は、北九州のNPOの職員が10往復以上して、2トン車や4トン車で運んでくれたのだそうです。

関西や東北からの物資がとても多くて、やっぱり一回被災を経験してる人にとっては他人事じゃなくて、力になりたいっていう思いが強いのかなと感じました。災害が起こったときにまず必要なのは生命の安全、続いて生活の安全なのですが、今は心のケアの必要性が出てきています。

そのため、地震から一ヶ月後には、この近くにあるまだ営業していなかった大きな公園を借りて、支援金の一部を使い障害のある方向けに開放するイベントをしました。重い障害がある子のご家庭は、一度避難所にいったけれども居場所がなくて次の日から車中泊に切り替えたという人もたくさんいたので、「一日ここでゆっくりしていいですよ」と伝えたんです。10日の準備期間でしたが、700人くらい来てくれたので、また秋に開催したいですね。

【写真】芝生にたくさんの親子が集まり、バルーンを受け取っている

開催されたイベントには、たくさんの親子があつまった

今回の地震で島津さんが実感したことは、経済力や情報収集する力がもともとある人とない人では、大きな違いが生まれてしまうということでした。

要介護のお年寄りだったり、知的障害や精神障害のある方、シングルマザーなど、「もともと普段の生活で困っている方が、今回の震災でより困ってしまった」というケースがたくさんあったんですよ。普段から経済力もネットワークもある人は、やっぱり強いんですよね。震災で家が倒壊しても、アパート借りるのをぱっとできる人と、なかなかできない人がいます。行政から補助金がもらえるとしても、申請のやり方を丁寧に説明しないとわからないような人たちにはなかなか行き届かない。

発信力や人のつながりのある人のところにお金も集まるし物資も集まる。でも力のない人は、ちょっと喘息の子が吸入したいとなっても、コンセント一個借りるのに大変な思いをしたりします。それって地震があったから急に弱い立場になったわけではなくて、震災前から潜在的にある問題が顕在化してくるっていうことなんですよね。

東日本大震災のように、街が根こそぎ流されてしまうというような事態であれば問題はまた違ってくると思いますが、今回のような震災被害であれば、普段から弱い立場にある人がより弱い立場になってしまうと島津さんは続けます。

田舎なので地域コミュニティが残っていて、地域の消防団の方々が心強かったというのはありますね。熊本では人工呼吸器をつけた子の親御さんは、普段から病院に出入りしたり、周りにそのことを伝えているんですよね。だから、今回地震で救急車を呼べないというときも、近所の人たちが一番に駆けつけてくれて、車に乗せるのもみんな協力してくれたりして。そういうつながりが残っているというのが、熊本のいいところでもあると思うんですよね。これが都会で、なおかつコミュニティが機能していないのに、弱い立場の方がいっぱいいる地域で起こったら、本当に大変だと思います。

地震の影響で今は子どもも親も余裕がない

【写真】インタビュアーをまっすぐな視線で見ながら話をするしまづともゆきさん

島津さんにお会いさせていただいたのは7月上旬で、地震から2ヶ月半ほど経っていましたが、その影響でまだもとの生活に戻れないご家庭はたくさんあるのだそうです。

僕らの関わっている40,50人くらいの重い障害のある子たちのなかでは、家に戻れない子が2人います。1人は阿蘇の立野という橋が崩落した地域の子で、家自体は大丈夫なんですが、まわりの道路が全部使えなくなっているので家に入るルートがあまりなくて、その子は阿蘇ファームランドのみなし仮設に今はいます。もう一人熊本市内の子なのですが、被害が大きくて家に住めなくなってしまって。ようやく先週仮設住宅にが当選したので、今はまだ病院に入院中、つまり2ヶ月半入院していたのですが、7月の半ばにようやく退院するんです。

NEXTEPで関わっている発達障害のある子や不登校の子でも、未だに家が怖いから車の中で寝ていたり、学校に行けなくなるという影響がある子もいます。

いくつかのパターンがあるんですが、多くはもともと発達障害があって刺激に敏感な子たちが、音に敏感になってしまったり、トラウマになりやすいので、地震のフラッシュバックも起きやすいんです。鮮明に記憶がインプットされる記憶と、スルーしてしまう記憶のアンバランスさが、発達障害の子たちにはあるんです。だからすごく大事なことを全然覚えていなかったりすることもあれば、どうでもいいことをすごく鮮明に覚えていたり、一人ひとり違う。なので、地震のことを全然気にしていない子もいれば、鮮明に記憶として残っていて、恐怖からお家に入れない、一人でトイレにいけないという子もいます。あとは一回目の地震が夜9時半くらいだったので、ちょうどお風呂に入ってたときに地震にあったので、お風呂が怖いっていう子もいるんですよ。

これまでNEXTEPで関わってきた障害のある子たちにかかわらず、島津さんは保育園で親御さん向けに心のケアについて講演をしています。取材の前日に講演を行った被害の大きかった益城町では、保育園の前の家が倒壊してしまい、その状況が保育園の入り口から目に入ってしまうため、子どもたちの心に与える影響が大きいとはわかりつつも、復興作業が進んでいないような状況だそうです。

普段保育参観ではなかなか講演をしても人が集まらないことも多いのですが、昨日はたくさんの方が参加してくれました。お母さんだけでなく、お父さんも来てくれて、話をすごく一生懸命聞いてくれましたね。やっぱり被害の大きかった地域では、悩んでる親御さんが多いようですね。保育園に預けてるってことは仕事をしているお母さんたちなので、仕事にはいかないといけない、でも子どもたちを家に残してはいけない。保育園も最初は一ヶ月くらい閉まっていたから、そういう葛藤の中で、職場に連れて行ったり実家に預けたりしなくちゃいけなかったんです。

お母さんも一緒に実家に避難できたらいいけど、お母さんたちは仕事があるから残って、子どもだけで実家に預けられた子は今でもけっこう不安定なんです。家族が一番近くにいて守ってくれる安心感はすごく大事なのですが、一番不安な時期に離れ離れで安心感が得られなかったので。でも家族の思いとしてはもちろん一緒にいたかっただろうし、仕事への使命感などいろいろな感情と板挟みだから、へとへとになってる感じがします。

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子どもだけではなくて、親御さんも精神的な疲れや不安があり、結局子どもの話をちゃんと聞いてあげる余裕がないというのが今の現状です。

でも子どもは不安を紛らわすために繰り返し地震の話をしたり、地震ごっこの遊びをしたりするんですよ。でも親御さんがそれに付き合ってあげられる余裕が無いと、子どもたちは安心感を得られないんです。親御さんが話を聞いてあげて大丈夫だよって言ってあげれるといいのですが、もちろんその余裕がないおうちもたくさんある。

実は親御さんにストレスチェックをしてもらうと、項目が一番高いのはお父さんたちなんです。女性の方が息抜きは上手みたいですね!私の講演が終わったあとも、「今から女子会です」って言ってたりして。男子会も開催してくださいね、と言いました。(笑)

お子さんが病気だったりすると、やっぱり病気のことは病気じゃない人に話してもなかなかわかってもらえないから、講演終了後に何人か直接相談にこられた方もいましたね。保育園に通っている子は障害がないんですが、兄弟が重い障害がある方もいて、なかなか相談ができる場がないようで、話しながらボロボロ泣いていました。お母さんたち困っているなあ、と改めて感じました。

緊急事態は落ち着いたとはいえ、仮設住宅に移ってからもストレスのある状況が続くことも多いそう。知り合いが全然近くにいないようなところにいきなり住むのは孤独だし、保育園や学校、職場まで遠いなどの理由で、もとの居住地域から離れた仮設住宅が当選しても、もう一度抽選申し込み直す人もします。地震での避難生活が終わったとしても、心が休まるまでには長い時間がかかるのです。

島津さんは保育園等での講演では、不安を持っている親御さんに対して心のケアに関して丁寧に説明をします。

なんで赤ちゃん返りするのか、なんで指しゃぶりしてるのかなど、親御さんが理由がわからなくて不安なことを解説していきます。お腹痛い、頭痛いと言うので病院にいっても異常がないとか、ごっこ遊びに友だちを巻き込む、夜寝れない、普段よりもまとわりついて甘えちゃう。そういう場合にどんな風に対応したらいいかをお話しします。

例えばごっこ遊びについては、「やめさせるんじゃなくて、しっかり見守ってあげてください、場合によっては一緒にごっこあそび参加してください。」と伝えます。それで「最後は家が壊れちゃって終わり、誰か亡くなって終わりではなく、必ずハッピーエンドで終わるようにしてください」とお願いしています。今回の熊本地震は、人が亡くなるのはあまり見た人がいないので、亡くなって終わりということはあまりないんですが、東北の場合は流されたご遺体を見た子がかなりいるので、ごっこ遊びも亡くなって終わるっていうのが多かったんです。でも亡くなって終わりだと悲しい記憶が残っちゃうので、そうならないようにストーリーを作り変える。ごっこ遊びだと、現実と違っててもいいからですね。

熊本地震では家屋の倒壊が多かったため、子どもたちも家が壊れるかもしれないという恐怖を遊びの中に取り入れてしまっているそうです。でも、そのごっこ遊びをハッピーエンドで終わらせることが大事で、つらかった記憶をいい記憶に置き換えていけるのだといいます。

日常生活での家族のつながりの大切さ

【写真】穏やかな表情で話をするしまづともゆきさんさん

とはいえ、今の状況に対処するだけでなく、本当に一番大事なのは普段からの家族とのスキンシップや会話をすることだと島津さんはいいます。地震はその大切さを改めて感じる機会にもなったんどえ、これを機にちゃんと家族の関わりが持てるようになれば、地震前よりもつながりが強くなり良い状態になるはずです。

子どもがいろんな想いを表出したときに受け入れてもらえる経験をすると、また想いが表出するっていう良いループになるんですよ。そのためには親が日常的に子どもの聞く余裕が無いといけないんですけど、これが聞いてもらえないと、出しても無駄だからって出さなくなるんです。そうすると不安定さが内在化するんですよね。これが一番問題で、思春期に不登校や摂食障害になったり、引きこもったりする子の多くは、小さい頃にこの状況があるんです。

だから日常的に子どもの様子をちゃんと見ていないと、例えばいじめられて学校いけないとか自殺してしまったというときに、最後の引き金だけにスポットを当ててしまい、本質的なところが見えなくなっちゃう。もっと小さいころに遡っていかないといけないっていうのが、普段から講演でよく話していることなので、地震だから大事なことではない。普段から大事なことなんですよね。

何かしらのトラブルが起きる場合、子ども本人の持って生まれた特性と家庭環境の2つの影響が一番核にあって、その外円となる社会環境が最後の引き金になる場合が多いそう。もし家庭環境がちゃんと社会環境から子どもを守れる場になっていると、大きな問題は起きないのだといいます。

特に小学校低学年までは家庭環境の影響が強いので、この時期にどういう家庭で育つか、家族がどんな関わりをしていくかということが内在化する問題を作りだします。子どもが問題を乗り越えられる力は、家庭によって育つのでないかと島津さんは考えます。家族の関わりといっても特別な難しいことではなく、まず「ミスマッチを起こさない」ということが大切なのだそうです。

例えば本人がすごく勉強が苦手だったとして、でも親御さんがスパルタで塾に行かせたり家庭教師つけたりする。家族としては一生懸命やっているんですが、それって大きなミスマッチが起こっているわけなんですよね。本人は本当は音楽をやりたかったかもしれない、でも音楽なんてやるくらいだったら勉強しなさいって家族は言ってしまったりする。

家族は自分の子に、悪気があってそうしたわけではないですし、虐待しているわけじゃない。でもミスマッチは「自分の思いを聞いてもらえなかった」っていう経験になるから、その子たちが思春期になってきていろんな引き金をひかれたときに、その基盤が弱くて不安定さが内在化していると、表面でいろんな問題が起こってくるんです。

本人の特性にあった家族の関わりが大事、そして子どもを受け止め関わりを持っていくには、大人の自分自身のケアも必要になってきます。

自立神経のチェックをした場合、チェックが5個以上はすぐ休んだほうがいいんですが、先ほどの保育園での講演で5個以上ついたのはお父さんたちばっかりで、疲れているんですよね。緊張するとやっぱり自律神経の働きが悪くなるし、筋肉が緊張した状態が長いので、実際に音楽を流しながら腹式呼吸でリラクゼーションをしてもらいました。大人が頑張りすぎて崩れた状態で子どもをケアすることは無理なので、大人が自分自身のストレスをちゃんとみることが必要なんです。

島津さんは子どもだけでなく、子どもの成長に一番影響を与える親御さんのサポートもしていき、良い循環を生み出したいと活動をしています。

地域、福祉、教育の連携で子どもを支える仕組みを

【写真】畑で野菜を掘り起こす子どもと親御さん

NEXTEPでは畑を借りて子どもたちと農作業をしている

地震に関する支援としては、今まで集まった支援金をNEXTEPの活動として子どもたちのために使うだけでなく、県外から支援に入っている団体をサポートをしていきたいと考えているそうです。

県外から支援に来てくれている団体、特に一年とか残って頑張りますって言ってくれているところには、僕らも応援してるんですね。たとえば現地のニーズ調査をするだけだと、そのニーズに現地のひとが対応しようとしても、仕事量が増えてよりきつくなっちゃうんですよね。ニーズの掘り起こしはパンドラの箱をあけることになるというのは、東北大震災の支援でわかったこと。マンパワーは減っている状況で、困っている方への支援を続けるって大変なんです。それをわかったうえで長期的な支援に入ってくれる団体は本当にありがたいので、現地のネットワークがある僕らは、タッグ組んで一緒にやっていきたいですね。

そして今後NEXTEPでは、すべての子どもたちが笑顔でいられるあたたかい地域社会をつくるために、「地域をよくしたい」という思いをもった地域の様々なセクターのひとたちとつながっていきたいと考えています。

たとえば、今全国で増加している子ども食堂は、単にご飯を食べれるというだけではなく、ニーズの掘り起こし作業だと思うんですよね。参加した子どもたちたちや家族の本当の悩みを聞いて、引っ張りだしたニーズをどうケアしていくかっていう仕組みまで合わせてやっていかないいけないと思います。困っているけど人のつながりがなかったり、相談する相手がいないという人たちのニーズをどうしたらいいか考える、ソーシャルワーク的な仕事がこれから大事になってくるんだろうなと思ってるんですね。やっぱり行政ではなかなか難しいし、企業では利益を出せるというふうにはならないので、NPO的な活動でそういったことをやっていかないといけないのではないかと思います。

島津さんの根本には、「地域で困っている子どもがいたら、自分にできることはなんだろうか」という問いがあります。障害のある子どもや不登校の子どもたちへの支援がまだまだ少ない日本で、まずは熊本から地域、福祉、教育の連携をつくって子どもたちを支える仕組みをつくっていこうとしています。

子どもたちが、「生まれてきてよかった」と思えるように

【写真】さわやかな笑顔を向けるしまづともゆきさん

最後に改めて、島津さんの活動の原点である重度の障害や病気の子どものことを伺いました。soarで取材活動を続けていると、障害や病気を持ったお子さんの将来を心配している方にたくさん出会いますし、先が見えないという不安をもってらっしゃることを強く感じます。そういった親御さんと子どもたちが健やかに生きる社会はどうすればつくれるのでしょうか。

小さい頃から親が全部面倒みないといけないという仕組みで行くと、親御さんは子どもを手放せなくなっちゃうんですよね。でも小さいころから、いろいろなサービスを利用しながら、「人を頼っていいんですよ」ということを実感できると、グループホームに預かってもらってちょっと旅行にいったりとか、自分の人生楽しもうかなということもできるようになるんじゃないかなと思います。

子どもが20,30歳になってくると、通常は子育てが終わって手が離れると思います。でも重い障害を持つ子たちは、30,40歳になっても親御さんの手を離れないことが多い。親御さんたちが60,70歳になっても、自分が亡くなったあとを心配するのは大変なことなので、早いうちからいろんなサポートが利用できるといいのだといいます。

自分は自分の楽しみのために生きていいのかな、と悩んでいる親御さんも多いと思います。親は親の人生があるから、その子のためだけの人生ではないと思うんですよね。一人障害の重い子がいらっしゃるから、兄弟をつくるのをあきらめている親御さんも多いんですよね。それも含めて僕らはサポートするから、「兄弟をつくりたいともし考えているなら、それはもうぜひ兄弟はいたほうがいいですよ」と伝えるんです。

実際、けっこう僕らが関わっているご家庭は兄弟が多いんです。それも支援がないと親御さんたちも疲れ果てちゃうし、兄弟も荒れちゃう、障害のあるその子にもケアが行き届かない。みんな悪循環になっちゃうのを、支援がきちんと入ることでバランスをよくできるので、そういう仕組みを作っていきたいなと思います。

重い障害があったとしても、訪問看護や通所施設を上手に活用すれば、できないとあきらめていたことも実現していけると、島津さんはいいます。最後に、NEXTEPを利用されているあるご家族の話をしてくれました。

僕たちが見ている子のなかで一番障害の重い、「13トリソミー」という染色体異常の病気を抱えたななちゃんという女の子がいます。13トリソミーは、1歳まで生きられないと言われてる病気なんですけど、それは統計的に言われているだけで、ななちゃんはNICUで1歳を超えたので、家に連れて帰りたいっていう家族の思いがあったんです。なのでおうちに帰るお手伝いをして、1歳半で初めてお家に帰りました。2歳のお誕生日には、うちの学生部門の大学生たちが協力して、家と病院以外に出かけた初めての場所でサプライズのお祝いをしたんですよ!

「ななちゃんの誕生日ケーキは毎年一段ずつ高くしていきたい」というママの願いにこたえて、4歳のときは学生たちが4段ケーキを手作り、5歳のときはうちの訪問看護師が5段ケーキをつくってお祝いしたんです。

とても優しくほころんだ笑顔で、島津さんはつづけます。

ななちゃんのお兄ちゃんがすごくてですね、ななちゃんは口唇口蓋裂があったり指が6本あったりするのですが「ななちゃんの指は僕より1本多いから、お母さん僕にも1本増やして」って言うんです!指が6本より5本がいいみたいな先入観ってあとから学ぶことであって、子どもにとっては「5より6のほうが、多いからいいじゃん」って思ったら素直に言うんですよね。そういうことも含めて、差別っていうのはあとから人間が作りだしていくものなのであって、やっぱり子どもたちは純粋な想いをもっているのかなと思うんですよね。

子どもたちは、どんなに障害があっても、学校に登校できていなくても、一人ひとりはキラキラと輝いています。そんな宝物をもって生まれた子どもたちが、「生まれてきてよかった」と思える社会をつくっていきたいと思います。

島津さんが目指すのは、障害があっても、親子がおうちで笑顔いっぱい暮らすという「当たり前」を、当たり前に実現できる社会。そのために、障害や病気のあるこの家族をサポートできる体制、組織を増やしていくことを目指し、日々活動に励んでいるのです。

このインタビューをするにあたって、私も島津さんたちがサポートしている子どもたちの写真を見せていただきました。どの子も呼吸器や命を守るための機械をつけて、「こんなにも小さく細い体で一生懸命生きているんだ」と感じ、生まれてくれて、こうして生きていてくれて本当にありがたいなと心から思いました。

すべての子どもたちが、その家族が笑顔で生きていける社会を、熊本の小さなまちから実践しはじめている島津さん。その広がりがもっともっと大きくなっていくよう、私も応援し続けたいと思います。

関連情報:

NPO法人NEXTEP ホームページ

島津智之さんの著書 「スマイル〜生まれてきてくれてありがとう」

島津さんをゲストに、8/23(火)Soar campus「障害のある子どものサポートと心のケアを熊本震災から学ぶ」を東京で開催!詳細はこちらから

(写真/モリジュンヤ、協力/森一貴)