【写真】笑顔のぬまたひさしさん

突然倒れて病院に運ばれ、寝たきりで意識障害のまま数年が経ち、目覚めた後も半身不随。それでもリハビリを重ねて、少しずつ回復していった人が社会で大活躍する。

そんな、まるで作品の主人公のような軌跡を歩んでいる人物が、NTT東日本に勤務する沼田尚志さんです。

大企業内でイノベーターとして、新規事業の種を生み出すことに取り組み、ビジネスマンが数百人単位で集まるイベント「しんびじ」も主宰されている沼田さんは、全身からエネルギーがとめどなく放出されているように感じられます。

どうしたらそれほど活発に行動ができるのか。沼田さんがsoarの取材に語ってくれたキーワードは「諦めること」。

今回は、沼田さんとの対話から浮かび上がってきた、諦めることから始まる自分の人生の歩み方について紹介していきます。

野球の練習中に突然倒れて大きく変わった人生

【写真】笑顔でインタビューに応えるぬまたひさしさん

モリ:まず、沼田さんのお身体の状態について簡単に教えていただいてもいいですか?

沼田さん:私は以前脳梗塞を患って、今は右半身がほとんど動きません。左の動きにつられて、右も動く感じなんです。

モリ:脳梗塞を患ったときのことをお伺いしても?

沼田さん:中学時代、ずっと野球をやっていて、自分で言うのはおこがましいんですけど、めっちゃうまかったんですよ。現在、プロで活躍する選手がいたチームとライバル関係で、試合でしのぎを削っていたり、東京でも名前が知られている選手だったんです。野球漬けの毎日でした。

モリ:将来有望な野球少年だったんですね。

沼田さん:それが15歳の冬、12月22日に、野球の練習中に、突然泡を吹いて倒れたんです。病院に運ばれたけれど、原因はわからなくて。意識も戻らず、倒れてから2年〜3年ほど、意識があったりなかったりの状態でした。記憶がはっきりあるのは、19歳くらいなんですよ。まるで浦島太郎みたいな感じでした。

モリ:目覚めたら数年経っているわけですもんね。。記憶がおぼろげで意識があるときは、どんな感じなんですか?

沼田さん:断片的に光景を覚えています。ICUの天井や車椅子に乗ったとか。深いことは、あまり覚えてないですね。

モリ:目が覚めた時はどこかわからなかった?

沼田さん:わからなかったです。失語症が長くて、うまくしゃべれなかった。コップを見て「椅子」って言ってしまう感じ。頭の中が混線していて。だから、言葉を発せないわけじゃないんですけど、何を言ってるかわからなくてコミュニケーションが取れない。でも、親が泣いていることだけはすごく覚えています。

誰ともコミュニケーションをとりたくない、消えてしまいたいと思っていた

モリ:意識を取り戻した後はどうされたんですか?

沼田さん:目は覚めても、首から下が動かないんですよね。それで、困ったなっていうのも考えられないんです。

モリ:野球に打ち込んでいたはずなのに、目が覚めたらベッドの上だったわけじゃないですか。当時、どんな気持ちだったか覚えてますか?

沼田さん:毎日死のうと思ってました。「野球はできない」ってお医者さんから言われて、もう生きてる意味がないと思って。すっごく塞ぎ込んでましたね。何度も死のうと思ったんですけど、死ぬ勇気もなくて。

モリ:そんな状態から、どうやって抜けだしたんです?

沼田さん:父親が「おまえはもう生きてるだけでいい」って言ってくれて。それで、とりあえず、死ぬのはやめとこうとは思ったんです。

モリ:お父さんの一言が大きかったんですね。

沼田さん:その後は、超痛いリハビリをして、だんだん身体機能を取り戻してきて、車椅子で病院の中を移動するようになりました。それが18歳くらいのとき。1、2年経ってリハビリが進んだら、病院から出て家に帰って、家の中で立派なひきこもり少年になりました。引きこもってからは、19歳くらいまで誰ともコミュニケーションをとらなかったんです。親とも。

モリ:とれなかったのではなくて、とらなかった?

沼田さん:そうです、とらなかった。もう消えちゃいたかった。部屋のカーテンを閉めて、典型的なひきこもりって感じで。人間ってすごいなと思いましたね。こんなに消えちゃいたくなるんだなって。

モリ:その頃、お父さんやお母さんはどんなご様子でした?

沼田さん:父も母も技術者で、父は身長180cm・体重90kgぐらいあって柔道が強い鬼みたいな感じの人で。でも、僕の父は幼い頃に自分の父親を亡くしているです。3歳か4歳のときに。それで、僕の母も実は母がいなくって、2人とも自分たちのロールモデルがいない。そんな2人の子どもである僕が、病気になって、入院して、退院したと思ったら引きこもって。すごいパニックだったと思うんですよ。「どうしたらいいのかわからないんだろうな」と思って、つかず離れずの距離感で接してました。3年間くらいは黙ってひきこもらせてくれてましたね。

枕元におじいさんが立ったから引きこもりを止めて高校へ

モリ:引きこもり期間はどうやって終わりをつげたんですか?

沼田さん:不思議な話なんですけど、夢枕にじいちゃんが立ったんですよ。引きこもってる時に。で、「おまえ高校いけ!」って言われたんです。で、「おう、わかった!」って言って。父に内緒で願書取り寄せて、準備を進めて、あとは学費を振り込むだけにしました。その後、当時は2階に住んでたんですけど、珍しく1階におりて、「俺明日から高校にいくから」って父に話をして。

モリ:ずっと引き込もっていたのに、急に高校に行くことに決めたときはどんな心境だったんですか?

沼田さん:きっかけは、おじいちゃんが夢枕に立ったことではあるんですけど、怖かったんだと思うんですよね。

モリ:怖かった?

沼田さん:そう。このままだと未来が見えない。自分の将来を作り出したいと思って行ったのが高校でした。あれはパラダイムシフトでしたね。

モリ:高校には、みんなが通る道だから、自分もそこを通っておきたいという気持ちで行ったんですか?

沼田さん:みんなが通った道だから行きたい、と思いました。倒れる前は、野球をやっていて、学校で人気者だったので、自分に対する期待がすごい高い子どもだったんですよ。でも、倒れてから自分に対する期待が一切なくなって。たぶん、私はもっと自分に期待したかったんですよね。期待するための伸びしろを作りたくて高校に行ったんじゃないかな。どうなるかはわからないけど、少なくとも何か動き出したら何かが変わるかなと思って。自分に期待するための一歩って感じですかね。

モリ:決めたあとは早かったんですか?

沼田さん:決めた後は超早かったですねー。昔から、自分に言い訳つくるのうまいと思うんですよね。「なんでかわからないけれど、おじいちゃんが枕元に立ったんだから行くしかないでしょ」って。やんなきゃいけない言い訳を作りだすのがうまい。

「できることだけ頑張ってやりな」の言葉が転機になった

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるぬまたひさしさん

モリ:高校にはどうやって通っていたんですか?

沼田さん:外出は車椅子か杖。外に出て好奇の目で見られるのが怖くて。すごくビビってましたね。毎日通学するって抵抗があったので、通信制の高校に。16歳の子と一緒の場所でやり直すのは嫌だったので、週一回学校に行って、後はテレビの授業を聞いて、遠隔で学習してました。

モリ:学校はどんな様子でした?

沼田さん:通信制の高校だったんで、みんな何かしら抱えているんですよね。めっちゃいじめられてたとか、めっちゃ不良だったとか、80歳超のおばあちゃんとか、いろんな人がいて。社会の縮図みたいな感じですかね。そこで、あんまり成績はよくないですけど勉強してて、二年生まではだれともしゃべらなかったですね。

モリ:何か印象に残っている出来事ってありますか?

沼田さん:毎週の課題や、やらなきゃいけない勉強はなんとかやっているって感じだったんですけど、二年生の終わりに、担任の先生に放課後に呼ばれて、説教されたんですよ。説教というか、「沼田くんはもっと諦めたほうがいい」って言われたんですよ。「すげえひどいこと言うな!」と思ったんですけど、これがめちゃめちゃ僕のパラダイムシフトなんです。

モリ:諦めたほうがいいって言われたことがパラダイムシフトだったんですね。

沼田さん:その先生は古文の先生だったんです。今は物事を断念するみたいなネガティブな意味を持つんですけど、諦めるって実はすごく古い言葉で、昔は物事のできることとできないことを瞬時に判断する、「明るい」っていう字に「らむ」を振って「あきらむ」っというのが語源なんだ、とそう教わりました。

モリ:そういう意味の言葉だったんですか。

沼田さん:それで、先生からは「僕が君に言っているのはそっちの意味での諦めるってこと。もっと判断を早くしたほうがいい。できないことは一生できないから。野球はもうできないんでしょ。だったら、それはもう考えなくてよくて、できることだけ頑張ってやりな」って言われて。

モリ:それが印象に残ってるんですね。

沼田さん:その言葉をもらったときは、運動会が近くて、毎日めっちゃ泣いてたんですよ。運動会に出たくて仕方なくて。当時は、体育の授業とか拷問でしたね。でも、先生の言葉を受け止めてから、できないことを後ろ向きに捉えるんじゃなくて、「もうできないんだな」と諦めようと。それで運動は諦めて、できることだけ超真剣にやったんです。本を読んだり、生徒会の役員になったりとか。

モリ:なかなか諦められることじゃないですが、それができたことが大きな変化につながったんですね。

沼田さん:大きかったですね。自分にできることだけやってたら、人生がちょっと好転して、女の子にいっぱいモテて。めっちゃモテたんですよ!生徒会の役員とかやって、女の子たちとの接点が生まれて。会話をしてるうちに「こういったらこの人は喜ぶな」とか昔の記憶が蘇ってきて、女の子とすごく仲良くなって、いっぱい彼女できて、「すげー人生楽しい!」みたいな感じになったんです。それ以来、今まで彼女いなかったことないんですよ。

モリ:まじですか!!

教師を志して大学へ進学し、転向して就職へ

沼田さん:先生の言葉をきっかけに、自分でいろんなことができるって気づきはじめました。いろんなことができるようになる過程で、私に諦めろって言ってくださった先生の出身大学に興味が出てきて。僕も学校の先生になりたいなと思って、教師を志したんです。恩師みたいなことが言える先生になろうと思って、先生の出身大学を受験して、合格しました。

モリ:引きこもりが一転、大学進学!

沼田さん:そう。もう沼田家はフィーバーですよ。「大学行くのお前!?」「うん!俺行く!」みたいな。

モリ:大学ではどんなことをされていたんですか?

沼田さん:僕は文学部だったんですよ。中国文学を専攻してたんですけど、自分はそんなに学業が好きではないんだなって気付きました。それなら、自分で好きなことやろうと思って、ゼミに入ってクジラの研究をしてたんですよ。

モリ:クジラ…?

沼田さん:僕、クジラ博士なんですよ。きっと、日本の文学部の中ではトップランクのクジラ博士ですね。卒論も二万ページほど使って「捕鯨の歴史」について書きました。

モリ:それはめちゃくちゃ面白そうなんですけど、時間がなくなりそうなので、またの機会にしますね。先生になるという入学時の目標はその後どうされたんですか?

沼田さん:大学で教職の勉強している過程で、努力ではどうにもならないことがありました。例えば、障害があると先生になりにくいとかですね。仕方がない、今は諦めよう、自分にしかできないことをやろうと思って、一般企業への就職を志すようになりました。でも、先生以外やりたいことが何もなくて。

モリ:やりたいことは見つからないまま就職活動を?

沼田さん:就職活動した中でいくつかメジャーな企業から内定を頂くことができました。広告代理店やテレビ局からも内定をもらえて、どこでも就職できる状態だったんです。大企業って障害者を雇用しなきゃいけないんですけど、僕は障害者でありながら普通に働けるから雇うよみたいな感じでいくつか内定を頂きました。

モリ:その中の一社がNTT東日本だったんですね。

沼田さん:そうです。家族会議で話しあったり、親戚中と会議をして。どこに就職したらいいかを話しました。そしたら、みんな満場一致でNTT東日本に行けって言うんです。「超安定してるから、絶対クビにならないぞ!」って。就職するまで、家族にたくさん心配をかけたので、その恩返しだと思ってNTT東日本に入社しました。

障害を抱えながら歩んだイノベーターへの道

「しんびじ」では、参加者に沼田さんの熱い思いが語られる photo by EIJI

「しんびじ」では、参加者に沼田さんの熱い思いが語られる photo by EIJI

モリ:就職されてからはどんな日々だったんですか?最初から今みたいに活躍されてたんですか?

沼田さん:それがあまり刺激的じゃなかったんです。かつ、エクセルを使うのが初めてで、仕事のことがわからなくて、毎日会社を辞めたいと思ってました。

モリ:すっごく意外です。そんな沼田さん想像できないですね。。

沼田さん:仕事が全然おもしろくない時期が続いて、「どうしようかなやめようかな」って思ってる時に光が差したんです。入社して、数年経ったときに異動があって、情報機器開発担当というハードウェアを扱う担当になりました。

モリ:その担当はどんなことをする仕事だったんですか?

沼田さん:ハードウェアの開発には携わらなくて、広報活動や報道発表文章を書いたりしていました。それが面白かったわけじゃないんですけど、その部署が「光セレクトショップ」というECサイトを持ってたんですよ。当時、商品数が1万点ほどあって、FAXやルーターなどデジタル機器全般を扱っていました。

モリ:そのECサイトは順調だったんですか?ECサイトだったらAmazonや楽天といった大きなプラットフォームがあるから大変そうな印象ですが。

沼田さん:そう思いますよね。わざわざNTTのECサイトで買わないじゃないですか。でも、そのサイトはめっちゃ売上あったんですよ。

モリ:おお、すごいですね。

沼田さん:地方に行くと、NTTしか知らない人がたくさんいたんです。Amazonのことなんて知らなくて、NTTが運営しているなら安心して買い物ができるって人がたくさんいました。

モリ:たしかに、地元のおじいさんおばあさんにAmazonの話をしても通じないかもしれないですね。

沼田さん:「光セレクトショップ」って、価格が安いわけでも、配達までの時間が短いわけでも、送料が安いわけでもなかったんです。でも、サービスとしてのスペック以外に、価値を感じる人達はいることがわかりました。

モリ:それが発見につながった?

沼田さん:そうです。この価値を欲している人たちがたくさんいるってことに気づいたんです。それが、ベンチャー企業でハードウェアを作っている人たち。クラウドファンディングや3Dプリンターといった新しい技術やサービスが登場したことで、ベンチャーでもモノづくりに挑戦できるようになったものの、知名度がないんです。モノは素晴らしいんだから、もっと世の中に広く知れ渡っていいはずなのに。

モリ:ベンチャーが開発するハードウェアはなかなか多くの人に知ってもらうことが難しいですもんね。。

沼田さん:で、ウチのECサイトで扱ってNTTのブランド力を活かしたら、ベンチャーも喜ぶし、お客様も新しい世界が見えて喜ぶし、超win-winってやつだと思って行動に移したんです。イケてないと思ったNTTなんですけど、ベンチャーの人たちと仕事ができるし、工夫次第では発揮できる価値があることがわかりました。

モリ:そのあたりから変わり始めたんですね。

沼田さん:会社のリソースを活かしたビジネスもおもしろいぞと思い始めたんです。ベンチャー企業に会っているうちに仲良くなって飲みに行って。そのときに「実は僕障害があって」って話をするようになりました。そこから仲良くしてもらえることも増えて、「光セレクトショップ」を新しく作ってたんです。そしたら、今のコラボレーション担当に異動になりました。

人と人をつなぐことでイノベーションを起こす

「シンビジ」にはたくさんの参加者が集まる photo by Kohichi Ogasahara

「シンビジ」にはたくさんの参加者が集まる photo by Kohichi Ogasahara

モリ:コラボレーション担当って何をする担当なんですか?

沼田さん:なんでもやっていい担当ですね。それでハードウェア、ソフトウェア、コンテンツの人たちともつながっていきつつ、古くからある大手企業ともつながっていきました。会社の利点を活かして、繋げたら面白そうな人たちをどんどんつなげていきました。

モリ:ただ紹介しても上手くいかなそうですが、人をつなげるコツってあるんですか?

沼田さん:それはパーティですね。

モリ:パーティ?

photo by EIJI

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たくさんの仲間に囲まれる沼田さん

たくさんの仲間に囲まれる沼田さん

沼田さん:人って商談すると、途端に会社と会社の名前を背負うんです。会社のメリットをまず考えるんですね。でも、それで成功した試しがないんですよね。だから、相手のために何ができるかって考える場所が必要なんです。パーティを開いてそこに人を呼んで紹介すると、ちょっとフランクに話ができる。パーティから提携が生まれたりすることもあるんですよ。

モリ:パーティを開くことで人がつながりやすいようにしてるんですね。

沼田さん:これが自分には向いているみたいで、かなりの頻度でパーティを開催するようになりました。

できないことがある自分との向き合い方

photo by Kohichi Ogasahara

photo by Kohichi Ogasahara

モリ:コラボレーション担当は、沼田さんの得意なことや好きなことがうまくハマっているんですね。

沼田さん:そうですね。

モリ:そこにも、かつて先生から受け取った「諦める」という言葉が影響しているのかな、と感じました。でも、「できない」ことと折り合いをつけるのも難しいと思うんです。沼田さんは、どうやって自分の気持ちとどう折り合いをつけているんですか?

沼田さん:経験を重ねるうちに、「できない」ことがあったとしても、不足を補うように自分にしかできないことがあるって考えるようになったこと。そして、自分にできないことでも、それが得意な人がいるって考えていることが大きいですね。

モリ:自分にできないことは誰かがやってくれる?

沼田さん:僕がパーティを開催するのが得意なのと、きっと同じくらいExcelが得意な人がいる。僕は自分にできないことは、全部得意な人におまかせをしたいんですよ。そのために、友達をたくさん増やして、自分ができないことができる人がいるようにしたい。自分の補完してくれる人を探している感じですね。

障害のことはあけっぴろげ

photo by Kohichi Ogasahara

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モリ:沼田さんは出会う人達に、ご自身の障害について伝えているんですか?

沼田さん:私、けっこう障害があることをあけっぴろげにするんですよ。「マラソンしてます」とか「ちょっと体が弱いです」っていうのと同じレベルの話題。

モリ:かなりカジュアルに伝えてるんですね。

沼田さん:でも、実際は結構ハードな話題というか、聞き慣れない話なので、皆さんすごく驚いて。

モリ:驚いた後はどんな反応になるんですか?

沼田さん:次の行動がおもしろいんですよ。大勢がいるところでは話さないんですが、「実は私の父も」って話に来てくれたりするんです。深い話をすると、ちょっと人より特別なところで繋がるんですよね。

モリ:なかなか人と共有できる話題ではないから、距離が縮まりやすいのかもしれないですね。ご自身の障害について他者に伝える上で意識されていることはありますか?

沼田さん:できるだけポジティブな印象が伝わるように意識していますね。不安なこととか、ネガティブなことって、障害のある方は特に思い浮かびやすい。そこにとらわれてしまうと、前を向けないくらい塞ぎこんでしまう。そんな人達に、「こんな生き方してる人がいるんだよ」ってことを見せていきたい。

モリ:ポジティブなモデルケースとして見てもらえるように。

沼田さん:勇気を与えられると言ったらおこがましいかもしれませんが、自分がポジティブに振る舞うことで「これで大丈夫なんだな、もっと外に出よう」って思ってくれるかもしれない。

モリ:沼田さんの明るい雰囲気に勇気づけられている人は、たくさんいるでしょうね。見ていて楽しそうですし。

沼田さん:ゆくゆくは、体の部位ごとにヒーロー戦隊みたいなチームを作りたいんですよ。「腕ナインジャー」「足麻痺ンジャー」みたいな。いや、すっごい怒られると思いますけど(笑)エッジの立った人たちを集めて、メディアか何かに出て、世の中の人に勇気を与えるようなヒーローになれたらいいですよね。

自分の人生を劇画タッチで自ら描く

【写真】笑顔でインタビューに応えるぬまたひさしさん

モリ:そう考えると楽しくなってきますね。自分の人生を前向きに捉えられていない人に対して、沼田さんならどう声をかけますか?

沼田さん:自分の人生を、もっと劇画タッチにしたほうがいいですね。「誰にも理解されない障害、ヤバい大ピンチな俺」ってところからスタートなんです。この先は、もう全部ドラマになる。自分で自分の映画作ろうって考えるんです。

モリ:映画のワンシーンのように自分の人生を捉えてみる。

沼田さん:そう。やってみたけどダメだったことも、全部ログをとっておくと、それも良いシナリオになる。これまでの人生と、これからの人生がつながって一本の映画になる。その映画のかっこいい結末はどうやって作ろうって感じです。

モリ:映画として考えることができたら、気分も盛り上がりそうですね。沼田さんの映画はどんな雰囲気なんですか?

沼田さん:僕の人生は超劇画タッチですね。「ザッバーン、大ピンチ俺!」って場面から始まって、ピンチからどうするかっていうのが、僕の人生。どんなストーリーにしていくかを考えるのって、超楽しいと思うんですよ。めちゃくちゃオリジナルティありますから。

モリ:ものすごく線が濃そう…!人生を劇画タッチにしていく上でのコツって何かありますか?

沼田さん:まず、落差ですよね。落差が人の心を揺さぶるストーリーになるんですよ。僕は、みんな人と名刺交換するときに、必ず「スーパーイノベーターです」って伝えてます。スーパーイノベーターって名乗っているのに、名刺には大手企業の名前が載っている。

モリ:イメージのギャップが大事になるんですね。

沼田さん:落差に相手は戸惑うんですよね。それで「若干バカなのかな?」みたいな反応をされるんですよ。そう思われたらこっちのもんなんです。相手の心をキャッチするのってすごく大事。

モリ:沼田さんは、「障害は個性」って話はどう思います?

沼田さん:個性でもなんでもないですよね。「個性」ってちょっといい表現な感じがするんですよね。僕は純然たるマイナスだと思ってますから。だって、半分身体が動かないんですもん。絶対、動いたほうがいいじゃないですか。でも、動かないから、動かないなりに他の部分でどうやってプラスに見せられるかを工夫する。

モリ:どうやって工夫するんですか?

沼田さん:マイナスもプラスにうまく変わるような感じで編集して伝えますよ。僕は右半身が動かないけれど、それをこうやって劇画タッチに発信することで、障害があることを知った人に、いい印象を与えてるんですよね。僕よりもっと重い障害のある方に提案するのは抵抗がありますが、マイナスが大きければ大きいほど、プラスになった時に与える印象が大きいと思ってるんですよ。

モリ:たしかにうまく編集できたらプラスに働きそうですね。なかなか行動できない人に対して、沼田さんならどう声をかけます?

沼田さん:僕は、生きてる意味はそんなにないと思ってるんです、すべての人に対して。生きる意味とか特にないんですよ。ビジョンとかコンセプトもどうでもよくて、とにかく行動したほうがいい。だから、僕は人生前のめり。生きる意味を考えるよりも、とにかく行動して、行動の積み重ねが生きる意味になるって感じですね。

モリ:考えるより、まず動け、と。

沼田さん:僕は、「シンビジ」って500人くらい集まるイベントを定期的に開催してますけど、未だに開催してる理由とかないですからね。でも、「シンビジ」から事業提携が生まれてたりするんで、開催する意義はあるんですよ。振り返ってみたらですけどね。

本気で目指せば大抵のことは達成できる

「シンビジ」でプレゼンテーションをする沼田さん

「シンビジ」でプレゼンテーションをする沼田さん

モリ:姿勢が前向きすぎて見ていて眩しいんですけど、そんな沼田さんは今どんなことをやりたいんですか?

沼田さん:今、すごく興味があるのは、若手社員の視野を広げること。うちの会社っておもしろいことができると思ってる社員って結構少ないんです。働くってことは、本来ものすごく可能性に満ちたことのはず。

モリ:自分にもいろんなことができるとは思っていないんですね。

沼田さん:たとえば、僕はノーベル賞に興味はないんですけど、目指せばたぶんとれるんですよ、ノーベル賞。つまり、本気で目指せば人は何かの分野で一番になれる。でも、みんな「自分はノーベル賞だってとれる」って思ってない。自分の可能性に蓋をしてるんですよね。

モリ:沼田さんとしては、若手社員にもっと可能性があることを伝えていきたい?

沼田さん:僕はちょっとバカっぽく、ちょっと泥臭く、俺はノーベル賞とれるんだぜってところを見せたいんです、彼らに。で、入社当時の何もできなかった僕に言いたい。毎日、24時間が可能性に満ちていて、その可能性に蓋をしなければ、自分の人生はめっちゃ面白くなるはずなんですよ。

モリ:自分に強く言い聞かせていくことが大事になりそうですね。沼田さんはかなり前向きに考えてらっしゃると思いますが、不安に思うことはないんですか?

沼田さん:根っこは引きこもっていた頃から変わってなくて、超怖いんです。障害があるから「あの子右手どうしたんだろうっていう目線」や能力的な問題、評価されにくいパーティを開催するという行動。どう思われているんだろうかって気になりますよ。

モリ:昔から変わらず気になってはいるんですね。自分には、どう言い聞かせているんですか?

沼田さん:気にはなるんですけど、高校の先生が言った通り、「諦めてる」んですよね。周囲から好奇の目で見られることも、自分の評価も。評価者が自分のことをどう評価するかは、僕がやることの外の話で、コントロールできない。自分でコントロールできるところをもっと増やしていこうって思ってます。

モリ:そこでも先生の言葉が生きてるんですね。沼田さんの話を伺うまで、「諦める」って言葉をこれほどポジティブに捉えられるようになるとは思いませんでした。

【写真】笑顔のぬまたひさしさんとライターのもりじゅんや、くどうみずほ

生きていると、人は困難な場面に直面します。大変さは人それぞれではありますが、大切なのは困難にどう立ち向かうのか、大変な状況にさらされた後に自分がどう考えるのか。

ご自身が大変な状況を経験しながらも、自分にできることに焦点を当て、実現できると信じて行動に移していく沼田さんの姿から、私たちが学ぶことは数多くあります。

沼田さんの姿に勇気づけられた人は、今日から「できることだけ頑張る」「人生を劇画タッチで描く」ことに挑戦してみてはいかがでしょうか。

(協力/森一貴、写真/板橋充)

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