「できる」自分は気持ちがいい。
何歳になっても誰かに褒められると嬉しいし、だから努力しようと思えます。
その裏側で、「“できない”自分ではいけない」という価値観が刻み込まれていたことに気づいたのは、大人になってからでした。勉強や部活や仕事…たいていのことは常に努力し続ける必要があるし、限界を突破してやっと手に入れた到達点にも、長くとどまっているわけにはいかない。さらに上へと目指していかなくてはならないと感じていました。
「私は一体何を目指しているのだろう?」
でも歩みを止めたら、積み上げてきたものを失ってしまうかもしれない。仕事で自分らしく活躍しているひとには憧れるけれど、私には、周囲にその努力を評価され、「自分らしさ」を勝ち取ったようにも見えていました。じゃあ私は、今の自分のままではいけない、努力をやめてはいけないということ?「できない」人は生きてはいけないだろうか…?
そんなことを考えていたときに「“できない”自分のままでも、楽しく生きることはできる」と心から信じさせてくれる場所に出会いました。
その場所は、障害のある人たちが生活し働く福祉施設「NPO法人スウィング」。戦隊ヒーローのブルーの衣装を着てゴミ拾いをしたり、バスの路線暗記が得意な人が観光客に交通案内をしたり、かと思えば仕事中にお昼寝をしたり…。そこでは、面白くてちょっとおかしな活動の中で、多くの人が「本来の自分」を取り戻して暮らしています。
スウィングのメンバーがのびのびと、素直に湧き上がる感情を表現しながら生きる姿に惹かれた私は、京都にある拠点を訪ねることにしました。
「人や社会に対して働きかけること」を仕事と捉える
京都駅からバスで30分ほど。上賀茂神社近くの住宅地を進んでいくと、鮮やかな水色の看板を見つけました。
スウィングの事務所があるのは、株式会社天下一品の敷地内。毎日20名程度の身体障害、精神障害、知的障害、発達障害などの障害のある人が通い、生活を営み、仕事をしています。
スウィングで考える仕事の定義は「人や社会に対して働きかけること」。そのためお金をもらえる仕事だけではなく、働きかけに対してお金が支払われないとしても仕事と捉えます。
その代表的な例が、2008年から続けている清掃活動「ゴミコロリ」。スウィングのメンバーと地域のボランティアの人たちが、20~30人でゴミ拾いをする活動です。言うまでもなく、ゴミ拾いでお金を稼ぐことはできません。それでもほとんどのメンバーがゴミコロリを嫌がらず、むしろ楽しみにしているそうです。
参加者のうち数名は戦隊モノの青いコスチュームを着用してゴミを拾うため、最初は不審がられて通報されたり、子どもに怖がられてしまうこともあったのだとか。続けるうちに少しずつその存在は、町で見かける自然な風景となりました。今では「こんにちは」と声をかけられたり、コンビニでも特別注目されることもなく買い物ができるほどだといいます。
他にも、芸術創作活動「オレたちひょうげん族」や、京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」などの、名前も内容もユニークな活動。そして京都銘菓の八つ橋の箱折りの仕事なども請け負っています。
利用者であるメンバーもまたユニークです。この方は親の年金をつかってキャバクラに通ってはそんな自分に落ち込んでしまう、というサイクルを繰り返していた増田さん。
今では当時のことをオープンに伝え、「親の年金をつかってキャバクラ」はなんとスウィングの全国巡回展覧会のタイトルにでまでなってしまったのだとか!
他にも、毎日必ずスタッフに「ワン切り」をして着信を残すというひーちゃん、できないことが多く自分に自信が持てない、だけれど周囲から愛される「“一応”健常者」だというスタッフの沼田さんなど、スウィングのメンバーはとても個性豊かです!
弱くていい。“ダメ”でもいい。
スウィングのメンバーやその表現は、このメッセージを体現しているように見えました。
掃除や電話対応も、利用者と職員で分け隔てなく「できる人」が取り組む
私たちが訪れた時、スウィングはちょうどお昼休憩の時間でした。ノックをして部屋に入ると、そこにはポーカーに夢中になり歓声を上げている人たちが。スウィングに通う利用者であるメンバーと、スタッフが交ざっているようです。ちょうど「過去最強の手札が出た」のだと大盛り上がり!
その横で黙々と写真を切っては貼る、コラージュを作り続けるのはメンバーのかなえさん。休憩時間が終わっても作業は続きます。
かなえさんはスウィングで芸術創作活動「オレたちひょうげん族」を始めるきっかけを作った張本人です。2008年、景気低迷とともに請負の仕事が減ったことで生まれた空いた時間。かなえさんが突然絵を描き始めたことから、他のメンバーにも絵を描くことが浸透して、「オレたちひょうげん族」が生まれました。
今では絵を描くだけでなく、詩やコラージュ、習字など、人によってその表現方法は多岐に渡ります。
スウィングメンバーが描く絵の一部はアートグッズとして商品化され、全国各地で販売もしています。さらに定期的に展覧会を開いたり、イベントにスウィングメンバーが呼ばれ、その場にいる人の絵を描くこともあるそう。
別の部屋では京都銘菓「本家西尾八ッ橋」の箱折りが行われていました。1つのパーツを作るのにかかる時間はたった十数秒ほど。楽しく雑談しながらもテキパキと手を動かしています。多いときはメンバーやスタッフの力を合わせて、1日で2000もの箱を完成させるそうです。指示を出すスタッフが常時いるわけではなく、個数を数えて調整する、新しい箱を持ってくるなどもメンバー同士が声を掛け合いながら進めています。
近くで手を動かしていたメンバーのGさんに挨拶をすると、「今77歳」なのだと年齢を教えてくれました。するとすかさず他のメンバーから「サバ読んどる!81やろ」とツッコミが。耳の聞こえが悪くなってきているというGさんのために、近くに行き耳元で大きな声を出して伝えるコミュニケーションを取っています。
スウィングではメンバーとスタッフのやりとりがとてもフランクです。スタッフが仕事を教える役割なのではなく、作業では一緒に手を動かしますし、掃除や施設への電話対応、お茶出しや施設案内も分け隔てなく「できる人」が取り組みます。スタッフ不在の中、一人だと外出が難しいメンバーに他のメンバーか付き添って、休み時間に散歩に出かける様子も見かけました。
「しんどさ」を抱えていた幼少期。大学生になり自分を縛っていたものに気づいた
スウィング設立時から代表を務める木ノ戸昌幸さんも、お昼休みはメンバーに混ざってポーカーを楽しんでいた一人。一風変わったスウィングのスタイルはどのように生まれたのでしょうか。木ノ戸さんの人生を遡ってお話していただきました。
幼少期、木ノ戸さんは誰にも言えない「しんどさ」を抱えて生きていたそう。けれども今考えてもその「理由」がわからないのだと話します。
木ノ戸さん:勉強も運動もまあできるし、友達もいる。世間一般で「良し」とされている水準を満たし、「これが正解だよ」と言われるものに比較的近いはずのに、しんどいんです。ひどい時は学校に行く前の時間、部屋にうずくまってぶるぶる震えていました。とてもじゃないけど行ける状況ではないですよね。だけど友達が迎えに来ると“解除”して学校へ行く。不登校や学校に行かないという選択肢を知らなかったんです。
周囲にはしんどさを伝えず、むしろ自分は大丈夫だと「装う」ことを続けてきたという木ノ戸さん。その理由は「助けて」と誰かに言っていいと知らなかったから。当時はインターネットもなく情報が少なかったことで、同じ思いを持つ人や、学校に行かない選択肢の存在を何一つ知らなかったのです。
高校卒業までは地元の愛媛県でなんとか通学をし続け、その後は逃げるように京都の大学に進学。それでもまだ、大学に行くことに恐怖心を抱えていました。
そんな木ノ戸さんに突然転機が訪れます。それは、20歳のとき「大学生の不登校を考える」をテーマにしたシンポジウムに参加したことでした。
木ノ戸さん:まず大学生の不登校って言葉を初めて聞いて「そんなものがあるのか」と。さらにシンポジウムで、NPO法人ニュースタート事務局の二神能基さんが「自立しなさい」「目的を持ちなさい」「人に迷惑をかけるな」の3つは言っちゃいけない言葉。逆に人に迷惑をかけてもいいし、自立しなくてもいいし、目的を持たなくてもいいんだと話していて、衝撃を受けましたね。
「いいの?やったー!」って、とにかく楽になったんです。数時間話を聞いただけでこんなに影響を受けるのか?というくらい、頭の中がごとごと音を立てているようにも感じるくらい。とにかく大興奮でした。
自立する、目的を持つ、人に迷惑をかけない。知らず知らずの間にこれらの価値観に縛られていたことに、木ノ戸さんは気づきました。シンポジウム後も興奮は冷めず、両親や友人にも「実は俺、昔からしんどかってん」と話し続けたといいます。
話を聞いた人たちの反応は人それぞれ違うものでした。父親はよく考えた挙句「わからない!」と言ったそうですが、木ノ戸さんにとってはそれも「嬉しかった」のだと穏やかに続けます。
木ノ戸:ああ、わからなかったんだな、それは仕方ないなと。父親だけでなくみんなわからなかったんじゃないかな。でもわかってほしいわけではなくて、ただ聞いてほしかったんだと思います。
世の中の普通から堂々とずれて堂々と生きているのがかっこいい
木ノ戸さんはその後、「自ら率先してレールを外れ始めた」生き方をしてきたのだと表現していました。
就職活動はしないで演劇に没頭し、NPOの活動にも関わり始め、自分よりも苦しい状況を生きている人たちや、社会を本気でよくしようと奮闘している大人たちの存在を知りました。さらに大学卒業後に始めた遺跡発掘の仕事では、想像もしなかった生き方を知ることになります。
木ノ戸さん:外での長時間労働なのでまるで地獄みたいで(笑)。実際ショベルカーの下敷きになるとか、夏は熱中症とかで人が死ぬ場面にも度々出くわしました。「まともな人」なんていなくて、みんな人間丸出しで生きてたんですよね。10代で家出して1回も家に帰らず60歳になったんだと話すおっちゃん。元東大生、ヤクザ、船乗りとか。
いい学校入って、いい会社入って、家庭を持って、子どもができて…って価値観を教えられてきたわけですけど、そうじゃない価値観で生きている人がいる。どうとでも生きられる。この人たちが他の人より劣っているようには見えなくて、むしろ世の中の普通から堂々とずれて生きているのがかっこいいと思ったんです。
その生き方に心を突き動かされ、勇気をもらったという木ノ戸さん。一方で「じゃあ自分はどう生きようか」と考えても、自分には何もやりたいことがないと、悩み苦しむ時間を過ごしました。
25歳までには身を固めたい。そんな漠然とした展望を持ち焦りも感じていたころ、友人からある言葉をかけられます。
「障害のある人と関わる仕事に就いたら毎日笑えるよ」
仕事を選ぶにあたって一般的に重要とされている高収入、一部上場、正社員といったキーワードではない、「毎日笑える」という言葉に新しい価値観の到来を感じたという木ノ戸さん。すぐに福祉施設で働くことを決めました。そして、そこにいる障害のある人たちの生き方に強く惹きつけられます。
木ノ戸さん:まず障害者ってどこでもいるはずなのに、施設という一つの場に固まりすぎている。「ここにいたんだ!」って驚きましたね。そういう人たちが、表現が難しいんですけど…美しいなと思った瞬間があって。障害があって、凸凹だらけの人たちが世界の片隅で一生懸命働いている。社会のストライクゾーンからはみ出しながら現に生きている姿は、僕にとって希望でした。
でも「毎日笑える」わけではなかったです。指導訓練型の施設で、障害のある人達を狭いストライクゾーンに当てはめていこうとしているように見えました。そもそも当てはまらないから施設にいるわけなんですけどね。僕にとってははまらないくらいの方が面白くて、 だからもったいないと思ったんですよね。こんな面白い人たちがいるのにって。
木ノ戸さんが当時働いていたのは、ルールや決まりを重視する施設でした。利用者と職員の役割が明確に分けられ利用者との接し方に制限があること。移り変わる状況に異議を唱えることができないことなど、木ノ戸さんにとって多くの違和感がありました。いつしかそれを同僚の職員とも共有するようになり、ともに思いを実現するために独立を考えるようになったそう。
そうして2006年にスウィングを立ち上げました。前職の福祉施設の利用者のうち一部の人は、施設を変えるという形でスウィングを利用することになり、今でも通い続けているメンバーとなっています。
アウトが少しずつセーフになり、まともの幅が広がる
スウィング開所から13年。木ノ戸さんはメンバーとともに日々を積み重ね、現在の自由な表現や働き方を築いてきました。そのユニークな取り組みは、福祉業界内外から注目を集めています。
木ノ戸さん:例えば、毎朝10:05からの朝礼では、昨日の晩御飯の話や週末の予定など「本当にどうでもいいこと」をたくさんの人が発言します。元々は「何か連絡事項はありませんか?」と進行役が聞いていたのを、「なんかありませんか」に変えたんですね。たったそれだけで、言っても言わなくてもいいような「なんか」を口にしやすくなった。スウィングではややこしい言葉を理解するのが難しい人もいる中で、どうしたら参加者が自分ごととして場に関われるかを考え、試行錯誤を繰り返しました。
「どうでもよくないこと」しか発言してはいけない。社会ではそんな場面に出くわすことも多いかもしれません。すると言葉を発することに躊躇が生まれ、だんだんと自分の本当の気持ちを抑えて、その場に合った発言をすることが当たり前になってしまうこともあるでしょう。これは障害のある人にかかわらず、きっと誰でもに起こりうること。スウィングではその人自身の言葉に耳を傾ける場を当たり前に持つことで、メンバーが言葉を取り戻す過程を生み出しています。
他にもスウィングで大切にしているモットーの一つに、「ギリギリアウトを狙う」があります。例えば理由なくお休みを取ることに拍手を送る。昼寝はある種の罪悪感が伴うからパワーナップと呼ぶ。こんな面白いモットーもメンバーと一緒に作り上げてきました。
木ノ戸さんの前職の福祉施設からともに過ごしてきたメンバーの一人であるQさんは、本来とても優しい人ですがたまに気持ちのコントロールができなくて怒りが吹き出てしまうことがあるそう。
木ノ戸さん:街中で怒りを振りまいてしまうこともあったりして、みんなと何度もどうしたらいいか話し合ったんですね。で、疲れが溜まりやすいから水曜日は半ドンで帰る。仕事中も疲れたら寝る。睡眠後にみんなに話を聞いてもらう方が良いよねと言うことになって。そしてQさんが寝やすいように、昼寝をパワーナップと呼ぶようになりました。今はこういう言葉を使わなくても寝たい人は寝ていますけどね(笑)。
スウィングメンバーの自由な表現や仕事ぶりの背景には、こうしたたくさんの試行錯誤の積み重ねがありました。木ノ戸さんはこの過程を、「アウトが少しずつセーフになることで、まともの幅が広がってきた」と表現します。
できることは自分でやる。できないことはさっぱり諦めて助けを借りる
障害のある人のための福祉施設という形態で運営をするスウィングですが、「障害者」と「健常者」と分けて考えることはしていません。障害者を障害者手帳を持っているかで考える場合もありますが、スウィングでは障害者手帳を持っているスタッフもいるので、それも当てはまらないのだといいます。
木ノ戸さん:健常者は常に健やかな人という定義ですけど、そんな人いないでしょ。一時的な状態としてはあるとは思うんですけど。最近の僕なんかも心身ともに抜群という時期はありますが、それは簡単に崩れてしまうもの。
困っている人は助けるし、できないことは補う。それでいいんじゃないかな。困っている人を助けたい時に、障害の特徴を知っておいたほうがいい場合があります。そういう時に障害の概念が役に立つけど、人間をラベリングするために使うものではないと思っています。だから「職員は先生」とか上下関係はなくして、同僚として付き合っているんですね。
利用者であるスウィングメンバーからスタッフに相談や要望を持ちかけられることもあります。そんな時も、相談されても一対一にはならないで、メンバーを積極的に巻き込むことを続けてきました。メンバーに対して「あなたは助けられる存在」と一方的な関係性を突きつけないこと。その人なりにできることをしてもらうことで、尊厳を守っていると言います。
木ノ戸さん:いかにも「助けます」の雰囲気を出していると、人は相談に来ますよね。スタッフにも、「なんで自分にばかりオーダーが来るのか考えてみてほしい」と伝えています。
手を貸さないといけない場面はもちろんあります。ただそれが見極められないと、その子が立ち上がる力を奪ったりとかしてしまうわけです。だから、できることは自分でやる。できないことはさっぱりと諦めて誰かの助けを借りる。
スウィングではボランティアを希望する人には、ゴミコロリへの参加を勧めています。すると「いかに助ける必要がないか」を実感してもらえることが多いそうです。そもそもゴミ拾いは、ただ一緒にゴミを拾うだけ。歩いている最中に車が来たら、誰かが気づいて呼びかけたり、サポートが必要な人の手を引いたり車椅子を押したりといった手助けは、自然とメンバー同士で生まれるのです。
失敗して怪我をすることは、権利でもある。
そうはいっても、どこまではサポートするべきで、どこからは必要がないと言えるのだろうか。いつか取り返しのつかないような失敗が起きたりしないのか…?
私は祖母や友人など、大切なひとをつい助けてあげたくなる自分を思い浮かべて湧き上がった疑問を、思わず口にしていました。木ノ戸さんからすぐさま返ってきたのは、思いも寄らない答えでした。
木ノ戸:失敗はするもんでしょ。失敗したらその時に考えたらいい。失敗を許さない、過剰なリスクマネジメントが今、世の中を設計してますよね。
例えば、子どもは命がけで遊んでいます。無茶するから怪我をしないように、「この遊具で遊んだらだめ」なんて声をかけることがある。でもそれはあらゆる経験を削いでいくことにも繋がるかもしれない。
スウィングでは自動販売機にジュースを買いに行く、往復20分歩いて上賀茂神社のトイレを使うなどが自由にできるメンバーがいます。「外に出たら危ない」と言ってしまうとその人の行動は制限されてしまう。でも現に「できる人はできている」のだと木ノ戸さんはいいます。
木ノ戸さん:確かに「できにくい人」はいます。ジュース買いに行きたいけどできにくい人はここで買えるように、スウィングでコーヒーを準備したり。それでも外に出たい人は、誰かを連れていくと言う仕組みを作ったりもします。
その行為を成し遂げられるかという意味での「できる・できない」の他に私が気になったのは、その人が挑戦によって傷つくのではないかということ。障害や病気のある知人が何かに挑戦しようとする時、私は少し心配になってしまったことがあったのです。「挑戦する姿を晒すことによって、世間の視線に傷つくのではないか」と。
そう話すと、木ノ戸さんはメンバーのひーちゃんの話を教えてくれました。スウィング内の掃除の時間、ひーちゃんは勝手に近所の上賀茂地域の清掃に出かけるそう。
「なんか危なっかしい人が清掃している」
そんな風に地域の人たちに不審そうに見られていることを、木ノ戸さんは「目線を増やす」大切な機会だと話します。
木ノ戸さん:利用者の人生にはスウィングがないとダメ、という閉じた環境ではなく広げる。関係者を増やす。それは1日のある時間に掃除している姿を、遠くから見ている人でもいいと思うんです。最初は不審な目で見ていても、そのうち現れない時には「どうしたのかな」と思ってくれるかもしれない。こうして彼らを気にかける人を増やしていきたいんですね。
実際、ひーちゃんが毎日掃除をしていたら、だんだんとその光景は当たり前になっていったそうです。するとひーちゃんへの訝しげな視線はなくなり、掃除をしていることに感謝する人まででてきたのだとか!
木ノ戸さん:掃除しながらたまにどっかの家とかに入ってちゃうことがあるらしいので、交番には「通報があったら、こっぴどく叱ってください」と話をしてあります。これもスウィングは地域に一方的に助けてもらっているわけではなくて、ゴミコロリなんかは地域からものすごく感謝されているし、助け合っている認識でいます。
違和感は続けていると当たり前になる。ゴミコロリもひーちゃんも、最初は地域の人から見たら違和感満載でしたが、続けていくうちに自然になっていきましたね。
「自分らしく生きる」は「あなたもあなたらしく生きていいんだ」と尊重すること
積み上げた地域との信頼関係からか、木ノ戸さんは今、スウィングで過ごす障害のある人に対しての、偏見や差別を感じることは全くないと感じています。むしろ安心して過ごせる地域になっているし、「もはや溶け込んでいるからこそ無関心に近い」とまで話します。
そして今木ノ戸さんが目指すのは、その人がその人らしく生きていける状態。それは、その人のわがままを貫くだけではありません。
木ノ戸さん:自分が自分らしく生きようとするとするのは、「あなたもあなたらしく生きる」を尊重するということです。「僕はこんな風に無理して生きている」となると、それを他人にも強制しちゃうじゃないですか。自分らしく生きていたとしたら、他の人のことも許せると思うんですね。
スウィングでは好き勝手に表現をして、お金にはならないものを作っている人がいっぱいいます。でもそれはその人の仕事だと誰も疑わない。KAZUSHIくんはコラージュをする、それが彼の仕事です。彼の笑うしかない、ああいう仕事を尊重するということは、自分の仕事も尊重することにつながっていきます。
どう生きるかを考えたときに、仕事やお金の概念を切り離すのは難しいことでしょう。それでもお金を稼ぐことが偉いわけでもなければ、お金を稼ぐことに執着することがいけないわけでもない。色々な価値の中の一つであって、何もその人を評価づけるものではないのだと、木ノ戸さんは考えています。
木ノ戸:自分の力でどうしようもないときは、例えばお金の問題は生活保護を利用したっていい。それは選択の一つです。スウィングでももっとお金を稼ぎたいと考える人もいるし、応援しています。だけどガツガツお金を儲けることは苦手で、今のスウィングでの働き方が合っているという人がいるなら、「それじゃ食ってけないよ」じゃなくて、その人らしく働ける環境をできるだけ維持しながら、生きていけるようにしたいですね。
自分への信頼感があるから、自信がある
13年間の活動の中で、メンバーのQさんは暴力を振るうことが著しく少なくなり、増田さんは親の年金をつかってキャバクラに行っていた、自分の弱さをオープンにし発信するようになった。最初は大勢の人の中にいると緊張してしまっていたかなえさんは、朝礼で発言ができるようになり、それとともに作品の表現方法も変わった。
木ノ戸さんはこんな風に本来の自分に戻っていくことを、成長と捉えています。
「元々の自分でいい」「自分のままでいい」
自分に対する信頼感は、どんなに言い聞かせても自分の思い込みだけで持つことはできません。
木ノ戸さん:「あなたはあなたのままでいい」と周囲からしっかりと感じられることが大切だと思います。何かあったら誰かが助けてくれるから、失敗してもいいんだ。そういう安心感や信頼感を培っていけたなら、だんだん自分に返ってゆくものだと思いますね。
安心を感じられるから、存分にやりたいことができる。自分らしい表現をしていると自信になる。たとえ社会から評価されなくても、多くのお金を稼ぐことができなくても、自分を好きになることはできるのでしょう。
スウィングのメンバーは取材中、私たち取材チーム一人一人に話しかけ、名前を聞いて名刺交換をし、カメラを向けたらポーズを取ってくれました。それを見て私は、前のめりな姿勢を感じたのです。木ノ戸さんが言うには、以前参加したパーティのライブで、気づいたらマイクをとってボーカルになっていたメンバーもいたそう。
スウィングのメンバーが自信を取り戻して、前のめりになる姿は私にはまぶしくも映りました。弱い自分を直視するのはとても難しいこと。「まとも」の基準は自分に委ねられているはずだとわかっていても、自分だけで自信を生み出すことは、これまで私はできませんでした。
でもスウィングに出会って、自分だけではない、周りの人たちの働きかけによって「本当の自分」につながっていくことを教えてもらいました。「できない自分」をすぐに受け入れることができなくても、誰かが働きかけてくれることで私も変われるかもしれないと、今は信じています。
だからまずは、私が周囲に「まとも」を押し付けないことからはじめてみようと思います。その先に自分を信頼して、自分のことが好きになれる日がくることを信じて。
関連情報
NPO法人スウィング ホームページ
木ノ戸昌幸さん著書『まともがゆれる ――常識をやめる「スウィング」の実験』
(写真・編集/工藤瑞穂)