こんにちは!soar編集長の工藤です。
soarではこれまで、ゲイやレズビアンの方、性転換をされたトランスジェンダーの方などにお会いして、LGBTに関する記事をたくさん出してきました。
情報発信をしていくなかで出会ったのが、レズビアンであることを公表して、「彼女さん」との出来事をブログで発信している村田悠さんでした。「好きな人を好きと言いたい!」という悠さんのブログのタイトルを見て、私は気付かされたことがありました。
多くのひとは「人は異性に恋するのが普通」と考えている。だから同性を好きになったとしたら、「普通じゃない」と思われる可能性があるから、周りの人に話せないかもしれない。私は誰かを好きになったら友人に相談するし、みんなでわいわい恋バナを楽しむけれど、それすらためらってしまうのかもしれない。
とはいえ、同性を好きになることは、私が異性を好きになるのと同じように純粋な恋心。全く変わらないことでもあるはずです。
だからこそ、同性を好きになったとしても、周りの人にオープンにできて恋を楽しめるような空気であってほしい!そう思い、悠さんに同性を好きになること、お付き合いをすることで何を感じているか、どんな悩みがあるのか綴ってもらいました。
女性を好きになっても、告白ができなかった
こんにちは!「好きな人を好きと言いたい」というブログを運営している28歳のレズビアン、村田悠です。私はLGBTが身近にいると伝えたくてブログを書いたり、セミナーでLGBTについてお話をしたりしています。
私が”女性を好き”って気付いたのは中学生のとき。よく一緒に遊んでいる女の子に対して、「もっと一緒にいたいな」「その子の一番の存在になりたいな」って思ったのがキッカケでした。
すごくラッキーだったのは、周りにボーイズラブを好きなオタクの子が多くって、「BLの女性版なんだなー」となぜかすんなり受け止められたこと。特に「女の子を好きになってしまうなんて…」っていうような拒絶感はありませんでした。
でも、同性愛のことをインターネットでしらべてもしらべても「男同士の禁断の恋」「同性愛は異常性欲/変態」としか出てこなくて、「どうやって生きていったらいいの?」ってものすごく先が見えない気持ちになったことを覚えています。今でこそ、LGBTって単語や、ゲイやレズビアンだとオープンにしている人が増えてきましたが、当時は全く情報がなくて。みんなと同じように日常生活を送っているなんて思いもしませんでした。
すごくモヤモヤしたものの「変態」とされている以上、「友人の●●ちゃんが好き」ってほかの子に相談したらどういった反応が返ってくるか怖くって。
「気持ち悪い」ってのけ者にされたらどうしよう?
「人と違う」のって生きづらいな…。
そんなふうに思いながら、結局その好きな子には告白できませんでした。
ちなみに、よく「レズビアンと気づいたのはいつですか?」と聞かれるのですが、最初からレズビアンだとは思っていませんでした。レズビアンは「自分を女性だと捉えたうえで、女性が好き」なセクシャリティのことなのですが、私は自分のことを「女性」だと認められなくて。
なにより「女の子らしさ」の象徴であるスカートをはくのが一番イヤだったんです。しかも制服である以上、強制的にはかされるのが我慢出来なくて…。それを逃れるためなら、と私服の高校に進学しました。高校では3年間ジーンズをはきとおしたくらい!その時は女の子として扱われるのはすごくイヤだけど、男の子になるのも違うって感じていました。 なので、今でいうなら、「Xジェンダー=女性でも男性いずれでもないという性別の立場をとる人」でした。
スピーチをきっかけに、思いきってカミングアウトを決めた
中学校、高校と特に自分のセクシャリティを話さないできましたが、大学生で初めて周りにカミングアウトをすることに!きっかけは競技スピーチでした。
競技スピーチは、ただ発表して終わりではなく、原稿の構成や発表の仕方が評価・順位付けされるんです。明確に結果がでるし、半年から1年間かけてひとつの原稿を作り上げるので、「長期間取り組むなら、思い入れのあるテーマに」と考えた私。思いきって「LGBTに対する差別と偏見」について話すことに決めました。
最初は、どう反応が来るかやっぱり怖くって。自分が当事者だと名乗ることはせず、「差別はよくないです」みたいに第3者的に原稿を書いていました。でも、その原稿を見た先輩から「気持ちがこもっていない」「当事者の何がわかるの?」と指摘されたんです。
ここでハッとしました。自分の立場をクリアにして当事者として何を感じるか、伝えていかないと本当に伝えたいことすら伝わらないって。
だからこそすごくドキドキしましたが、原稿の中で「レズビアンです」ってカミングアウトすることにしました。発表したあとの周囲の受け止め方は、少しよそよそしくなる人、全くセクシャリティに触れてこない人など様々でした。でも距離が近かった子たちは、私を1年間見守ってくれたんです。
この時学んだ”自分の立場をクリアにする”というのは今でも大切にしている考え。だからこそ、LGBTについて語るときには、「私はレズビアンです」と先にセクシャリティを話すようにしています。あのとききっかけをくれた先輩には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
私は「レズビアンの代表」ではない、あくまでもいち当事者
スピーチをつくっていく中で、どうしても1人で舞台に立つ以上、「村田はセクシャルマイノリティの代表」みたいに見られるケースが出てきました。なんでかというと、私のスピーチを聞く人のほとんどが、セクシャルマイノリティに出会ったことがない(と思っている)人。だから私の話を聞くと、「この子の気持ちは、当事者みんなが感じていること」って勘違いしてしまうんです。
でも、私はあくまでもいち当事者に過ぎないし、代表でもなんでもない。むしろそう考えられるのがイヤでした。
だんだんに、他のセクシャルマイノリティの人はどう生きているのか、何を感じているのか知りたくなってきて!新宿2丁目やセクシャルマイノリティ向けにイベントを行なっているコミュニティに、はじめて足を踏み入れたんです。
これは私のセクシャリティを考えるうえでもとってもプラスに働きました。コミュニティに出てみたら、いろんな人に出会うことができたんです!自分を女性としてとらえながらもボーイッシュな服装をしている人、服装を全く気にしていない人、あえて女性らしい恰好しかしない人。そこで、自分は「女はスカートをはくもの、男はズボン」っていう「女性らしさ」の押しつけがイヤで、だからスカートをはけなかったんだ。自分が女性として生まれたことに対しては、あまり抵抗がないんだなと気付くことができました。
このころから、「私はレズビアンです」と名乗れるようになってきました。ただ、この時にはまだ「積極的にスカートをはこう!」って気持ちにはなれず。最終的にスカートに抵抗感がなくなったのは、今の彼女さんと付き合ってからです。「似合う!似合う!」とほめ殺してくれるので、調子にのって履いていたら慣れました(笑)
たくさんの当事者に出会ってその中で感じたことを元に、スピーチをし続けていった私。そのとき審査員から言われたのは、「はじめて当事者に会った」「派手な人ばかりだと思っていた」というLGBTに対する極端なイメージ。当時は、IKKOさんがテレビに出始めた時だったので、よりイメージが強かったみたいですね。
ただ、コミュニティで会っていたのはそういう人たちばかりでもなく、むしろ街なかを普通に歩いているような人がほとんど。なので、「LGBTにはさまざまな人がいる」「多いのが普通でも、少ないのが異常ってわけでもないんだ」とより伝えていかなきゃいけないなと感じました。
準備期間を経て、最終的には200人を前にしてスピーチをしました!つまり、自分がレズビアンであることをカミングアウトしたのです。
終了後、当事者ではない人から「勇気づけられた」「人と違ってもいいって後押しをしてもらえた」と言ってもらえました。頑張ってスピーチしてみてよかったなと感じたんです。そして「人と違う」ってことで生きづらさを感じている人は意外とたくさんいるのかもしれないって気付きました。
このスピーチでの体験が原動力となり、私は将来的にもLGBTについて伝える活動をしていきたいと思うようになりました。
この時からでしょうか、「他者からどうみられるか」って意識し出したのは。「LGBTの代表」となるつもりはないのに、カミングアウトしてしまうと、結局どうしても「”レズビアンの”村田さん」というイメージができてしまうんです。
すごく極端な例ですが、私が服装もだらしなくて挨拶もできなくって、自分のことを一方的に言うような人だったら。「LGBTってよくわからない」という人が相手だった時に、きっと私の話を聞いてみようという気にはなれないと思います。私は、知らない概念を伝えるときって第一印象はものすごく大切だと思って気をつけています。
「恋バナができない」ということで生まれた苦しさ
卒業後、LGBTについて伝える活動をしたいと思いつつも、マナーや常識がないと難しいだろうなと考え、まず社会人として1人前になるために一般企業に就職を決めました。
ただその会社は20〜30代が中心で、飲み会ではほぼ「誰が付き合った、別れた」「いつ結婚するの?」なんて恋愛トークばっかり。「男は女を好きになり、女は男を好きになる」なんて異性愛前提のコミュニケーションです。そんななか、「実は、女性と付き合っているんだー」なんて話すのは、ものすごくハードルが高くって。かといって、彼氏に置き換えて話すのもしんどかったんです。
結局悩んだ末に、最初の3年は恋人がいないことにしていました。「彼氏作らないの?」と聞かれても「恋愛に興味がないんだ」って答えて。付き合いたての一番たのしい時期に「こんなデートしたよ」「うちの彼女こんなかわいいんだよ」とか話せなかったのはとてもさみしかったですね…。
また、社内ではホモネタやおかまネタもよく飛び交っていました。ちょっと口調がやわらかい社員がいると「あいつホモっぽいな、気をつけなきゃ」という声が。それを聞くたびに、「ここでレズビアンだって言ったら、絶対に私も陰口叩かれてしまう」ってしょんぼりしていました。
誰にも彼女のことを言えないのは本当に苦しかったです。なので、社内で仲が良かった同期2人だけにはカミングアウトしました。幸い2人とも「村田は村田だから」と受け止めてくれたんです!2回とも、嫌われたらどうしようって恐る恐る話したので、本当に安心しました。2人とは今でも、時々恋バナをする仲です。
この「恋バナができない」というのは、かなり大きなポイントだと思います。人を好きになるということは、「その人を大切にしたい」ってなんかふわふわするあったかい気持ち、一緒にあれがしたいこれがしたいというワクワク感があります。その気持ちは自分を成長させてくれるし、実際彼女さんと付き合ってから、たくさん笑えるようになり行動範囲も広がりました。
でも一方で、自分ひとりの力じゃどうしようもできないこともあって。恋愛で「こんな時にどうしたらいいの?」と悩んで相談したい時に、好きな対象が周りと違うからって誰にも言えないのはものすごくしんどい。この会社で3年間恋人のことを言えなかった経験があったからこそ、私のブログのタイトルは「好きな人を好きと言いたい」にしているんです。
とっても感謝している彼女さんとの出会い
彼女さんと付き合い始めたのは、社会人になって半年後のこと。いまちょうど6年です。レズビアンが集まってカミングアウトやライフプランについて話し合うコミュニティで、知り合いました。
初対面だったけどたくさん笑って、いろんなテーマについてざっくばらんに話せたのがとても好印象でした!2人ともゲームもするし、マンガも読むし趣味が一緒というところから話が進み、最初のサシ飲みでは4時間も盛り上がって。その後、美術館や飲みに何回か出かけてから、お付き合いが始まりました。
告白したのは私からでしたが、あちらも言いたいけどタイミングを計りかねていたみたいで、言った後に「よかった〜」と言っていました(笑)。
付き合うことで特に大切にしているのは、いち個人だと捉えること。相手を尊重したいので、何年経っても名前を呼ぶときは「●●”さん”」って呼んで、ブログを書くときも「彼女”さん”」と敬称を付けるようにしていたり。
そして付き合ってから「ありがとう」と言う回数が多くなり、普段の仕事や友達付き合いでも少しずつ人に「ありがとう」を伝えれるようになりました。家族のように”いて当然”という付き合い方もありますが、ものすごい数の人間の中からたまたま巡り合えた。しかもレズビアンなんてより確率が少ないんだから「ちゃんと気持ちは伝えなきゃ」と思い、積極的に「ありがとう」と伝えています。
今いるレズビアンのコミュニティでは、7年〜10年以上付き合っている先輩同性カップルも多く、何かあった時に相談しています。彼女さんとのケンカみたいな身近な問題も相談もしますが、フロリダ州の銃乱射事件などLGBTに差別的な事件が起こった時などに、「悲しかった」「つらかった」という感情の共有をしたりもできるので、とても必要な場所です。
ちなみに、「同性愛者は同性であればどんな人でもいいんでしょ」って語られることがまだあります。でも私の場合は”自分は女性が/も好き”って自覚している相手でないと、対象にしないことにしています。
思春期に告白できなかった経験から、たとえ好きな相手ができても、異性愛者では成就が難しいって痛感していて。異性愛者を振り向かせられる自信もないので、恋愛をするなら性的指向がはっきりしている人がいいと思っていたんです。あくまでも私の場合ですが、”自分は女性が/も好き”という共通認識があったうえで、その人が大切にしている価値観や相性が合うかで見極めてきました。
「同性と付き合っていて困ること」は意外に多い
同性と付き合っていることによって困ることをあげれば、きりがありません。
ただ、どの問題も根っこにあるのは、そもそも「LGBTが身近にいる」ってことを気付いていないことだと思います。初めて出会った人に「LGBTは左利きと同じくらいいるんですよ」「クラスに1人〜2人はいますよ」って伝えると「そんなにいるの?!」っていまだに驚かれますしね。また「才能にあふれている人」「派手な人」ってイメージもまだまだあります。
だから、カミングアウト前に気づかれたことは全くありません。でも何かの拍子にさらっと「彼女がいるんですよー」いうと、「え?彼女?」ってたいてい聞き返されます。「そうとは思わなかった…」なんて言われたりも。
特にいま私が困っていることを、いくつか挙げてみたいと思います。
◆同棲をしていないので、緊急時に連絡が行かない。
今は仕事の都合上、同棲はせずバラバラに住んでいます。もし彼女さんがいきなり倒れたとしたら、あちらの会社の緊急連絡先には私の名前が一切入っていないので、「知らないうちに病院に運ばれて私には一切情報が来ない」ということがあり得ます。一応万が一の時に備えて、彼女さんの弟とは連絡先を交換していますが、それでも何かあったらと思うと結構怖いところですね。
◆仮に連絡が来ても、病室に入れるかは不明。
病院によるのですが、本人の意識がない場合は「親族のみに病状を伝える/入室の許可を出す」という方針がほとんどなんです。同性カップルの場合、法律上の親族ではないので、病院やほかの親族の理解によっては、病状を知ったり入室することができない可能性が…。
実際、同性のパートナーが危篤になってしまった時に、関係性を伝えたにも関わらず親族にはわかってもらえず、締め出されてしまったというケースも聞いたことがあります。
◆アウティングの不安
相手がどの程度知識を持っているのかわからず、場合によっては「気持ち悪い」「性的な存在」と差別的に捉えられる危険があると感じています。なので私も彼女さんも、レズビアンであることを会社ではほとんどカミングアウトをしていません。嘘をつき続けるのは大変なのですが、仮に同僚のAさんを信じてカミングアウトしたとしても、第3者であるBさんに私の知らないところで伝わる可能性だってある。Bさんが「レズビアン=変態」なんて誤解していたら、今後Bさんと仕事をするうえで影響が出るかもしれません。
「アウティング=本人の了解を得ずに、公にしていない性的指向や性自認等の秘密を暴露する行動」には常に不安があり、誰にどこまで言うかは常に考えています。
結婚や出産は、社会の動きを見ながらゆっくり考えたい
これはLGBTに限らず、”女性の幸せは結婚・出産である”って考え方がまだ日本には根強いのが原因かなと思います。私が28歳なので、なにかにつけて「付き合っている人は?」「結婚しないの?」「子供とかどう?」と聞かれるのには困っています。
特に「相手が10歳差」と言ってしまうと「はやく結婚しなきゃね?」となってしまうので、私はカミングアウトしない相手には”交際3年目、5歳差”と嘘をついています。(彼女さんは「10歳年下のマザコンの彼氏だから、結婚が現実的じゃなくって」と言っているそうです。けっこう心外(笑))
異性愛の友人でも、結婚を選ばない人もいるし、シングルマザーもいる。そんな時代に「女は結婚しなきゃね」と言われる方がナンセンスではないかと、私は感じています。いろんな生き方がOKになった方が、みんなが幸せに生きられますよね、きっと。
将来私たちは、同棲したいと思っています。今は結婚制度や”家”の在り方に彼女さんが疑問を持っているので、そのまますぐに同性婚がしたいというわけでもなく、社会の動きにつれて2人でじっくり考えていく予定ですね。
また、彼女さんはまだお父さんへカミングアウトしていません。職場に対してもどう伝えるかなど、1つずつ問題をクリアにしていく必要があります。レズビアンであることを後悔はしていませんが、異性愛の場合だったらわざわざ気にしなくてもいいハードルがいっぱいあるなーとは日々感じます。
もし同性愛者に出会ったら
渋谷区/世田谷区の同性パートナーシップ制度やLGBTに関する報道が増えたおかげで、今はカミングアウトする人が増えています。私の友人たちも「今度、親に言ってみる!」「同僚に言おうかな…」なんてチャレンジする声が続々と。だから、今まで会ったことがないと思っていても、これから出会う可能性は十分あります。あと見た目ではほとんどわからないので、実はカミングアウトされていないだけで、すでに出会っている可能性も。
私は当事者がカミングアウトする理由は、大きく分けて2つあるかなと思っています。
ひとつは、困っている問題があり何かを伝えたいとき。同性愛者であることで、会社での人間関係に気を使いすぎて疲れてしまっていたり(言えない時は「バレたらどうしよう」と必要以上に気を配ります )、異性に興味がないのに振られる恋バナのかわし方に悩んでいたり。
もうひとつは、「自分のことを知ってほしい」「もっと仲良くなりたい」という気持ち。セクシャリティもその人の大事な一部分だからです。
そしてこのベースにあるのは友達、同僚としての信頼感かと思います。信頼していない人に大事なことはきっと話さないはず。
私の経験上ですが、たとえ彼女さんとの関係についてであっても、異性愛者と困っていることは結構同じです(笑)。メールが返ってこないのでさみしいとか、ケンカの仲直りの方法とか…。
だからこそ「私には知らない世界だから 」って心を閉ざしたり、「知識がないから答えられない 」とお断りするのではなく、フラットな気持ちでまずは聞いてほしいなって。それでも受け入れられないと思った場合には、「LGBT”だから”合わない」ではなくて、「”目の前の相手”と相性が合わなかった」って考えてみてほしいんです。
ゲイであること、レズビアンであることは、その人のいち部分にしか過ぎません。私だって仲がいいゲイもいれば、話が合わないレズビアンだっています。ゲイも無数にいるし、レズビアンも無数にいるので友達になれる当事者もきっといるはず。そのひとの考え方やいろんなところを総合的に見て、友達になれるかどうかは判断してほしいなあと思います。
そして、私がひとつ強く伝えたいのは、「同性愛は趣味ではない」ということ。カミングアウトすると、「個人の趣味だよね、否定しないよ」って言われることもあります。でも「趣味」って言われてしまうと、意識的にやめたり続けたりできるあまり重要でないこと、ってとらえられているようで悲しいんです。
たぶん、逆を考えてもらうとイメージしやすいかと思います。仮にあなたが女性だったとして、「明日から女性だけを好きになってください」って言っても無理なのと同じ。私だって意識的に恋愛対象を男性に切り替えることはできません。そうやって切り替えられないからこそ、いまみんなが生きやすい社会になるように頑張らないといけないなと思っています。
もしも自分がLGBTかもしれないと思ったら
もし「自分がそうかな?」「同性が好きかな?」とかって思ったら、とりあえず、コミュニティに出てみてはどうかなと思います。「まずは、新宿2丁目?」って思うかもしれませんが、ネットで調べると団体/コミュニティが行ういろんな交流イベントがでてきます。
関東圏であればLGBTの就活・キャリアについては「特定非営利活動法人ReBit」、千葉県には主にゲイ/バイセクシャル男性向けのイベントを行う「すこたんソーシャルサービス」、神奈川県には「特定非営利活動法人SHIP」が特に有名。私が今手伝っている東京の「NPO法人レインボーコミュニティcoLLabo」ではレズビアンをはじめとする多様な女性向けに、ライフプランを考えるワークショップや一生いろんなことを話せる友達作りのイベントをしています。
私は、初対面の人とお酒を飲んで盛り上がるのがどうも苦手で(人見知りなんです)、2丁目には結局行かなくなりました。今は友達と1年に1回行くか行かないかくらい。
「自分のセクシャリティがはっきりしていなくていいの?」って思うかもしれません。でも実際は、初参加の人の中にも同じように悩んでいる人多いんです。
コミュニティにでると、普段の生活圏とは全然違う年齢の人と会えるし、視野も広がります。私は高校生から上は60代まで、いろんなセクシャリティの幅広い友達ができました。またはじめて行ったコミュニティでは「20年付き合っているの」と語るレズビアンカップルに出会って、同性でもパートナーシップを築けるんだって驚いたし、一緒に生きていける未来があるんだって気が楽になりました。
それで色んな人と話した結果「自分は異性愛者なんだな」って思ったら、それも大事な気づきの1つ。その時には、異性愛者として自分がコミュニティ内で感じたことを伝えていってもらえれば、社会でよりいろんな角度から理解が進むかなと思います。
1人1人が違うことを前提に自分らしく生きる
私はレズビアンなので、LGBTについての問題に特に関心をもっていますが、LGBTに限らず「人と違う」ことで苦しんでいる人はいっぱいいると思います。日本の場合は、周りと一緒なのが普通という考え方が強いので、より生きづらいのではないかと思います。差別やいじめなど、違うことが受け入れられなくって排除してしまうのはとっても悲しいことです。
LGBTというくくりでまとめられがちですが、私自身レズビアンという1カテゴリーの中の1人にすぎないですし、ほかのセクシャリティの問題については友人から聞いて勉強し続ける日々です。
でも、そんな中でいち個人が何を感じるのかって切り口でも十分伝えられることはあるなと思うんです。だからこそ彼女さんとのこと、私が日々感じていること、趣味の事。様々な角度で書いたブログをここ約1年続けています(去年の11月から300日連続投稿しました)。 「こんなこと考えるレズビアンもいるんだ」って知ってもらうことで、身の回りの多様性に気づくチャンスになればいいなと思います。
私は1人1人が違うことを前提に、それぞれが礼儀を忘れず、尊重し合いながら共存できればいいなと考えています。「自分らしく生きる」のと「自分勝手に生きる」のは違うんじゃないかと思います。自分らしくいながらも、相手のことも尊重する。そんな未来をみんなでつくっていきたいです。
好きな人を好きと言える社会に
戻ってきました!工藤です。
悠さんがいち個人として感じている思いや不安、彼女さんとのエピソードのひとつひとつから、レズビアンだからって異性を好きになる恋愛と全く変わらないんだということ。それと同時に、今の社会の制度や空気のなかだと困ることもあるのだということが伝わってきました。
自分を振り返ると、知らず知らずのうちに「人は異性を好きになるもの」という思い込みでの発言もしてしまっていたなあと。これから恋愛の話をする場面や誰かの恋の相談に乗った時、この記事のことを思い出して、「いろんな人がいて、いろんな恋愛があるから」という気持ちで話を聞きたいなと思います。
みんなが好きな人を好きと言える、好きな人と幸せに暮らしていくことができる。
そんな社会をつくっていけるよう、まずは自分の思い込みや行動を変えることから、私も力になれたらと思います!
関連情報:
村田悠さんブログ 「好きな人を好きといいたい!」
(イラスト/ますぶちみなこ)