【イラスト】笑顔でほほえむしらいしょうごさんと、手をとって笑顔でほほえむ仲間たち。

こんにちは!白井祥剛です。フリーでWebの仕事をしながら、僕自身が抱えている筋ジストロフィーのことをブログで発信したり、難病カフェという難病の方が気軽に語り合える居場所づくりなどをしています。

中学校2年生の時に、進行性の筋疾患であるベッカー型筋ジストロフィーであると診断を受けました。筋ジストロフィーとは、全身の筋力が低下していく遺伝性の筋疾患です。

全身の筋力が低下することで、何もないところで転んだり、歩行や階段の登り降りが困難になったり、少しずつ生活に支障が出るようになります。

今となってはブログで病気のことを発信したり、人前でオープンに病気のことを話すことができるようになりましたが、昔はそうではありませんでした。

他の人が当たり前にやっていることができない自分に苛立ち、受け入れることができずに自分の殻に閉じこもっていました。今回は自分に自身が持てなかった僕が少しずつ前を向いて生きれるようになった経験をお話させてください。

「僕だけボールを遠くまで飛ばせない…」思い悩んだ子ども時代

小さい頃は外でもよく遊ぶ活発な子供でした。休み時間になったら外に出て友達と遊んだり、学校から帰ったら公園に行ってドッヂボールをしたり。小学校の低学年の頃にはサッカーを習っていました。

【イラスト】楽しそうにサッカーをして遊ぶ、しらいしょうごさんと二人の友人たち。

最初に自分の身体に疑問を感じたのはサッカーをしているとき。友達とサッカーをしているときに、ボールを思うように蹴り飛ばすことができなかったんですよね。

友達は普通に遠くまでボールを蹴っているのに、自分はどれだけ強くボールを蹴っても遠くに飛ばすことができない。これが不思議で仕方ありませんでした。これが最初に感じた自分の身体に感じた違和感です。

そのときはただ自分がボールを蹴るのが下手なだけだと思っていましたが、次第に自分の中で違和感を感じる場面が増えていきました。学校で休み時間が終わって教室に戻るときに階段を1段飛ばしで走って登れない、50メートル走は10秒9と他の友達に比べて明らかに自分は何か違うと感じるようになっていきました。

ある日突然診断された、筋ジストロフィー

中学校2年生になったある日、僕はお腹が痛くて救急車で運ばれたことがありました。そのときに血液検査をしたら、ベッカー型筋ジストロフィーであることがわかったのです。

病気のことを知ったときは、「なんで自分が!?」とは思わず、むしろ自分の身体に感じていた違和感の原因がわかって「なるほど!そういうことだったのか!」と納得感の方が強かったことを今でも覚えています。

筋ジストロフィーは、筋肉の細胞が壊死と再生を繰り返しながら進行する遺伝性の病気です。筋ジストロフィーは多くの型に分類され、症状によってそれぞれ違いがあります。

ベッカー型筋ジストロフィーは、筋ジストロフィーの中では軽症で進行が遅いとされています。主な症状は、筋力低下に伴う運動機能障害、心筋障害、知能低下(正常な場合から高度の知能障害まで)です。運動機能の低下に関しては、進行に個人差があるそうですが、14歳以上でも歩行可能である場合が多いそうです。実際に僕は今年で30歳になりますが、杖などを使わずに歩くことができています。

もし自分が健康だったら。体育の授業に出れない自分が嫌いになっていった

中学生の頃はまだ病状も進行していなかったこともあり、病気のことは学校側に伝えませんでした。ただ、体育の授業だけついていくのが辛かったので、適当に理由をつけてサボったりしていました。

ですが、高校に入学する頃には、筋力低下が進み、走ることができなくなっていって。それからは学校側にも病気のことを伝えて、配慮してもらうようになりました。

小さい頃からスポーツが好きでやりたいと思っていたものの、自分が思ったように身体が動かないので、体育の授業は参加できずいつも見学をすることに。

毎日のように見学していましたが、ずっと暇なのでいつも「自分は一体何をしてるんだろう」と無駄に考えていました。「もし自分が健康だったらスポーツをしていたのかなぁ」とか、「筋力があったらこいつより絶対運動できるのになぁ」とか。

体育の授業って、参加しないで見学してるとめっちゃ暇なんです。冬でマラソンをやってるときなんか、風邪を引くために見ているようなもんだし、何やってんだろうって正直思っていました。

【イラスト】周りがスポーツをしている中、一人で座り悲しそうな表情のしらいしょうごさん

体育が終わったら後片付けをしなければいけなくて、いつも嫌な気持ちになっていました。自分は体育の授業で友達がワイワイと楽しそうにしているのを見ながら、遠目で羨ましいなぁと思うばっかりなのに。次第に見ているだけの自分が嫌になってきて、体育の授業がいつしか嫌いになっていました。

やりたいことがあっても、できない人もいる。せめて自分はやりたいことをやろう!

高校2年生になる頃には、体育の授業だけでなく、学校が嫌いになって休みがちになっていきました。友達がいないわけでもなく、いじめられていたわけでもありません。でも、他の人が当たり前にやっていることができない自分が嫌で、何をするにも自信が持てなくなっていました。そして気づいた頃には、自分の意見や考えにも自信が持てなくなっていて、自分の殻に閉じこもり、思うように自分自身を表現できなくなっていたのです。

そんな頃にある友人に勧められて「テイルズウィーバー」というオンラインゲームにハマりました。オンラインゲームの世界では、キャラクターを通して人と接するので、病気のことは関係なく人と過ごすことができます。

学校では思うように表現できなかった僕も、ゲームの中でなら不思議と正直にいられました。次第に学校よりもゲームの世界の方が居心地が良くなり、ゲームに没頭するようになっていきます。気づいたらオンラインゲームを勧めた友人がやめていたのですが、僕は変わらずにやり続けていました。

ゲームに没頭する生活が1年くらい続いた頃、いつものようにゲームをしていたときに、あるプレイヤーと仲良くなりました。

そのプレイヤーに話を聞くと、どうやらその子は重い病気で療養しながらゲームをしているのだそう。自分よりも年上で、学校を卒業して目標にしていた会社に就職が決まったけど、病気で働くことができなくなって今は療養していると話をしていたんです。

自分は一体何をやってるんだろう。

その子と仲良くなって話を聞いていくうちに、そんな気持ちが芽生えていきました。

自分は病気でしんどいことも多かったし、他の人と同じようにできない自分に苛立つこともありました。でも、自分は筋力は弱くてスポーツはできないかもしれないけど、まだ歩けないわけでもなく、自分がやりたいことができないわけでもない。「何をやってるんだろう?」と。

やりたくてもできない人がいるけど自分はそうじゃないんだから、できることをやろう。そう思いはじめると、少しずつゲームをする時間が減っていき、現実に目を向けることができるようになっていきました。

とはいえ、気づいた頃には高校卒業間近。勉強もまともにしていない状況でどうしようかと考えた時に、やりたいことがあるのにできない人もいるんだから「せめて自分はやりたいことをやろう、興味のあることをやろう」と考えて、ギリギリ高校を卒業だけはして、興味のあったコンピュータの専門学校に行くことにしました。

パソコンやITツールを活用すれば、障害があっても仕事はできる

専門学校ではデジタルコンテンツ(Web・DTP)のことを学びました。自分の興味のあったことだったこともあり、学校は楽しく過ごせました。何より高校生の頃と違って体育の授業がなかったのが何より嬉しかったですね。

専門学校を卒業後は、東京にあるWeb制作会社に就職しました。

ですがここで問題が起こります。事務所で仕事ができるように制作の職種を希望していたはずなのですが、配属が営業になってしまったんです。

正直「なんでやねん!」という気持ちでしたが、何事も経験が必要だと思って働くことに。ですが、毎日お客さんのところに外回りしてオフィスに帰ってきて事務仕事。社会人になってから歩くことはできましたが、階段を自力で登るのが大変なくらい筋力が落ちてきていたので、毎日の外回りで筋肉痛が残ることもしばしば。

次第に筋肉痛が取れなくなってきて体力的にも辛くなり10ヶ月くらいでやめてしまいました。終わったあとは、正直「やっと終わった…」という感覚でした。

その後は転職して大阪に戻り、専門学校で学んだ知識を生かしてWebや広報の仕事を経験することになりました。そこは障害のある方もそうじゃない方も関係なく働いている会社。ただ与えられた仕事をこなすのではなく、自分で考え行動し、事業という形にして、成果につなげていきます。

障害者の方はパソコンに強くないという勝手なイメージがあったのですが、その会社では良い意味でイメージを壊されました。みんなパソコンをバリバリと使いこなしていたんです。それどころか社員の誰もがITツールに造詣が深く最新のツールを使いこなし、改善の余地があれば、すぐさまそれを取り入れて身につけていく。そんな人達ばかりでした。

障害があろうがなかろうが、病気があろうがなかろうが、工夫次第でどうにでもなるのだと知りました。新しいものは積極的に取り入れ、使ってみてダメならまた考える。これを繰り返すことによって、病気だろうが健康な人とほとんど変わらない、むしろそれ以上に活躍することもできるのです。

病気だから体力がなかったり、仕事をするときに多少のハンデがあるのは仕方ありません。でも、パソコンやITツールを活用することができれば、それなりに成果を出すことができるようになると僕は思います。障害のある方や病気の人こそ、最新のツールを取り入れ活用していくべきだと今は考えていますが、そういう考えになったのもこの会社での経験があったからです。

正直、仕事は体力的にも楽ではありませんでしたが、そんな中でも働きつづけることができたのは、それだけ大きな学びを得ることができる場だったからです。その後は両親の経営する会社で人手が必要となり転職し、経理と労務の仕事を1年ちょっと経験して独立し、今はフリーランスとして個人で事業を営んでいます。

【イラスト】楽しそうにパソコンを使って仕事をするしらいしょうごさん

「ないものはつくろう」勇気を持って一歩踏み出した

今はフリーでウェブの仕事をしながら、難病の方が気軽に語り合える場「難病カフェ」を開催したり「筋ジスですが何か?」というブログを運営したりしています。

これまで病気のことで悩んだときは、いつも自分の心の中で折り合いをつけてきました。というのも、自分の体験を共感してくれる相談相手がいなかったからです。家族は病気のことを理解してくれていましたが、同じ病気ではないので当事者でないとわからないことは共有しづらかったんです。

もっと病気のことを語り合えるような場があったらいいなあ。

そんなことを漠然と考えながら、会社をやめてフリーで仕事をはじめたとき、福岡で難病カフェという存在を知りました。これは、とある団体さんが運営している、難病の方が病名問わずに語り合える場です。

こんな活動があるんだと興味を持ち、大阪にもないのかなと調べてみたのですが、ウェブで検索しても出てきませんでした。

ないなら作ろう!

そう思い立って活動をはじめたのが、2017年の10月頃。一人でやるには勇気がいるしどうしようかなと思って出した結論が、「polca」というフレンドファンディングアプリを使って開催の資金を募るというものでした。

実際のところ、金銭的には自分のお金だけでも開催できるものでした。でも、誰かに背中を後押ししてもらいたかったので、あえて資金を集めることにしたのです。

なるべく多くの方からの後押しが欲しいと思ったので、polcaでは1口300円から支援ができるようにして、会場代と当日の飲食代として12,000円の資金を募ることにしました。

それほど大きな金額ではありませんでしたが、自分のやりたいことのために資金を集めることは、これまで経験したことがなかったので正直ドキドキでした。でも、もし資金が集まらなかったら自腹でやればいいし、「とりあえずやってみよう!」と思ったんです。

最終的に、目標金額には達成しなかったものの29名の方から支援をいただいて8,700円の資金が集まりました。支援してくださった方の中には、一度もお会いしたことがない方もいて、遠くから「がんばれよ」と言ってもらえたような気がして温かい気持ちになりました。

お互いの悩みを語り合う「難病カフェ」

最初はとりあえずやってみて「面白くなさそうだったらやめようかな」という気持ちでしたが、蓋を開けてみれば、10名くらいの方に参加いただいて、すごく盛り上がって楽しい時間を過ごすことができました。

難病カフェは30代、40代くらいの方が多く仕事や将来の悩みを話すことが多いです。仕事の悩みが多くて「就職口がみつからない」「難病だと障害者雇用で入れない」「病気を隠して働いています」など様々です。

それぞれが抱えた悩みに対して、それぞれいろんな働き方をしている人たちが、どうやったらもっと暮らしが良くなるかを語り合います。難病って何万人に一人だったりするので、同じ病気の人と出会うだけでも一苦労。相談相手がいないという方もたくさんいらっしゃいます。

難病カフェは病名問わずに交流できる場で、いろんな病気の方が来ているので、同じ病気の方がひょっこり来ていたりするんです。病気で悩みを抱える人達が出会い、交流してそれぞれの暮らしに活かしていく。僕は主催者でしたが、参加者と一緒に話をしていつも不思議と自分の気持ちも楽になって、明日から頑張ろうと思えます。

これまで僕は病気のことを特に誰にも相談せず、何か悩みがあって自分の中で解決をしてきました。でも難病カフェによって、自分と同じ病気の経験を、共感しながら話ができることがどれだけ心強いことなのか気付かされました。

【イラスト】笑顔でほほえむしらいしょうごさんと、手をとって笑顔でほほえむ仲間たち。

僕はまだ歩くことができていますが、そろそろ杖が必要なくらい筋力が弱ってきています。近い将来車椅子が必要になることは間違いありません。でも不思議と不安はあまり感じません。なぜなら同じ病気で同じ道を通ってきた人のことを知っているからです。

好きなスポーツをすることをあきらめたくない、後悔したくない

現在は祖母が住んでいた家を事務所として使わせてもらいながら、フリーで仕事をして暮らしています。会社員の頃は昼夜問わず仕事をしていたこともあって、今でも仕事が多いときはそういう暮らしになってしまいますが、最近は筋力も落ちてきたので、なるべく翌日に疲れを持ち込まないように、メリハリをつけて、休めるときはしっかり休むようにしています。

ただ、休めるときに休むようにしてると言いながらも、たまには家族でゴルフに行ったりすることもあるんですけどね。もともとスポーツが好きだったので、どうしても身体を動かしたくなります。

ゴルフは年配の方もやっているスポーツで、僕がギリギリプレーできる数少ないスポーツです。家族にサポートしてもらいながらではありますが、なんとかプレーできていますし、良いストレス発散にもなっています。

病気があると、やりたくてもできないことが多くて諦めてしまいがちです。なので、自分なりにストレス発散できることを、何かひとつ持っておくと良いのかなと感じています。

医師には「筋肉痛になるほど身体を使わない方が良い」と言われるのですが、「後でやっておけばよかった」と後悔したくないんですよね。やりたいことを我慢することによって精神的なストレスを強く感じるので、自分がやりたいと思ったことはなるべくやるようにしたいと思います。

自分の可能性を広げるために「とりあえずやってみる」

病気のあるなしに関係なく、日々暮らしていると、嫌なことが続いたり、どうしようもなく行き詰まりを感じて逃げ出したくなることってたくさんあると思うんです。本当に辛くてどうしようもなくて潰れてしまいそうになったときは、逃げ出すことも必要ですが、人間って不思議なもので、辛いことがあっても時間が経てば大体のことは忘れるようにできているんですよね。

そして、何より辛いことってそう長くは続かないですし、辛いことがあったらその分楽しいことも起こります。

僕も病気のことで悩んで、他の人と比べて自分のことを嫌いになって、自分の殻に引きこもっていましたが、高校を卒業する頃には、現実に目を向けることができるようになっていましたし、高校を卒業後は自分の興味のあることに没頭して学生生活を楽しんでいましたから。

ただ、生きてさえいれば、必ず次につながります。辛いときこそ、今の自分にできることを着実に積み重ねていくことが大切なのではないでしょうか。

僕は病気で身体が不自由になっても、自分がやりたいと思ったことを諦めるようなことはしたくないと思っています。健康な人と同じようにはできないかもしれないけど、自分なりに工夫すれば、できないことってそうそうありません。

仕事もそう、遊びもそう、恋愛もそう。趣味でやってるゴルフも、最初は自分なんかにできるわけないし興味もないと思っていたのですが、家族に勧められてやってみたら意外とプレーできました。むしろ今はすごく楽しくて、なんで今までやってこなかったんだろうという気持ちです。

だから今はなるべく自分の可能性を自分で狭めてしまうことがないように、何でもそうですが「とりあえずやってみる」ことを大事にしていきたいですね。

病気だからこそ経験できたこともある、人生捨てたもんじゃない

病気のせいで自分のやりたいことが思うようにできなかったり、生活で不便なことがあってもどかしい思いをすることは多いです。

でも僕がこれまで生きてきて思うのは、何かうまくいかないと思うことがあっても、今自分ができることを積み重ねていけばなんとかなるということ。病気だからといって、人生を悲観することもないということです。

そして、つらいことがあったとしても、病気だったからこそ出会えた人がいて、病気だったからこそ経験できたことがあります。今の僕の周りの人の顔を思い浮かべたときに、今の人生も捨てたもんじゃないなって思えます。

もし病気で何か悩んだりすることがあったら、ぜひ難病カフェに来てほしいなと思います。病気ながらもそれなりに楽しく前を向いて生きている人はたくさんいるから。

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(イラスト/ますぶち みなこ)