こんにちは!みやざき明日香です。私は漫画家のアシスタント経験を経て24歳で漫画家デビュー。これまでに二度の連載と、エッセイの描きおろしを経験、単行本は三冊出版しています。
突然ですが、「強迫性障害」という病気をご存知でしょうか?
ひょっとすると、「手を洗いすぎるヤツだろ?」と思われた方、いらっしゃるかもしれません。「過剰な手洗い」は、強迫性障害の最も有名な症状ではないかと思います。
強迫性障害とは、不快でたまらないイメージや考えなどが頭に浮かぶ「強迫観念」と、その恐怖や不安を打ち消すために行う「強迫行為」から通常は成り立っています。過剰な手洗い、鍵の確認などがよく挙げられる症状ですが、症状は千差万別。患者さんの数だけ症状があるといってよいのではないでしょうか。簡単に説明しましたが、実際には非常に複雑で、「症状を説明し辛い」精神疾患です。(*)引用文献 『実体験に基づく強迫性障害克服の鉄則(増補改訂)』(田村浩二著、星和書店)
私はデビュー前後にこの病気をどん底まで悪化させ、日常生活のあらゆることが困難な状態に陥りました。今年、この経験を漫画化した『強迫性障害です!』(星和書店)を発売しました。
今日はみなさんに、私がこれまで強迫性障害とともに生きてきた日々についてお話したいと思います。
父の病気から「死に対する恐怖」を感じはじめた中学時代
私は小さいころからミスが多い子供でした。通知表を見ると、忘れ物の常習犯で、授業に集中することも難しかったようです。
私の人生で最も大きな出来事は、中学時代、父の病気と死を経験したことでした。当時の私は、病気で苦しむ父に、どう接していいか分かりませんでした。病室で会うたびに死に近づいていく父の姿が恐ろしかったのを覚えています。
また父は胃ガンで、よく胃液のようなものを吐いていたのですが、それを見るのが苦痛でした。父の病気、死に対する恐怖に常に付きまとわれ、また父が死んだ後の生活のこと、お金のことなどを考えては、先の見えない不安に胸がつまる。自分の境遇を恨みました。そのころは自分のことしか考えられませんでした。
父が死んで何年か経った高校生の頃、ガンとの壮絶な闘病に苦しんでいた父に、優しい言葉をかけられなかったことを、激しく悔やみ始めました。20年近く経った現在でも悔やんでいます。
私は、後悔が恐ろしい。病気や体液、そして「あのときああすればよかったという後悔」、十代の頃感じた恐怖は、脳に深い傷となって残っています。
手を洗いすぎる癖は、この頃からありました。汚れと一緒に、手に着いた苦しみも流れていくような気がしたのです。
私は高校時代から何かしらのバイトをしてきたのですが、いくつもの職場をクビになっています。また、学校では教室に行けず、保健室に籠っていたこともあります。
あまりに失敗経験が多いので、始める前から「どうせ上手くいかないだろう」と失敗を覚悟する癖がついていました。決して喜んではいけない。自分に期待してはいけない。そう思うことで自分を守ってきたのです。そんな訳で私の「度を越したマイナス思考」は培われていきました。
専門学校卒業後、漫画家のアシスタントを掛け持ちしながらプロを目指していたのですが、そこでもミスばかり。確認行動に時間を費やし仕事が進まない。いつクビになるだろうとビクビクする毎日でした。
そんな中飛び込んできたのが、私の作品が新人賞で大賞受賞!というニュース。
普通なら大喜びでしょう。長年の努力がかなった、自分の作品が評価された瞬間です。しかし私はそうはなりませんでした。
私の人生にそんな幸福が訪れる訳がない。受賞は何かの手違いだ。
私の不幸への身構え方は、あらかじめ脳内で考えられる限りの最悪のシナリオを描いておくこと。私は「不正をしていて受賞は取り消し、漫画界から永久追放させる自分」を想像しました。
私には、漫画しかないのです。「漫画を奪われるのなら自殺しなければならない」という発想にたどり着きます。
脳が締め付けられ縮むのではないかというような頭痛、激しい動悸、手の震えが収まらず、立ち上がれなくなりました。母の入院と重なったこともあって言動がおかしくなり、近所の人に精神科に連行され…。何度目かの診察で、「強迫性障害」の診断を受けたのでした。
手から血が滲むまで手洗いをしたりと、自分だけの「儀式」のようなものを繰り返す日々
起きている間中、すさまじい不安に取りつかれる。その不安を取り除くために自分で「儀式」のようなものをつくる。それを完璧にこなせないとまた不安に襲われる。まさに強迫性障害に支配された毎日でした。
そんな中でもなんとか連載を取るのですが、「汚れた手で原稿を触りたくない」という思いから手から血が滲むまで手洗いをしたり、原稿用紙を取り出すという挙動一つ一つに守らなければならないルールが出来たりと、毎日が地獄でした。
結局連載は人気がなく打ち切りということになりましたが、正直、「これで苦しみから解放される」と、ほっとしたものです。私は漫画を描くことが好きで漫画家になったのに、おかしな話ですよね。
強迫性障害の強迫観念には、「不潔恐怖」、人を傷つけことを恐れる「加害恐怖」、縁起や神仏等を恐れる「縁起恐怖」などが存在しますが、私は代表的なものをほぼ全て持っていました。
例えば、服に何か針のようなものが付いていて、他人に怪我をさせたらどうしようという恐怖から、着る前の服の確認に時間がかかる。
自分の大事な物、仕事の情報の詰まったUSBなどを誤って持ち出し、落とすのでは?という恐怖から、一歩踏み出すことも怖い、歩けば振り返って地面を確認しなければならない。
信号はちゃんと守れていたか、改札でICカードはちゃんと通せていたか、買い物時にちゃんと支払いを出来ていたか、ルール、規則を守れているかが気になる。
自宅でも、体液が非常に恐ろしく、下着や歯ブラシなどを使用前に長時間洗い続ける。生理時使用するナプキンなんかも、「自分ルール」でふるいにかけ、合格したものだけを使える。またそれらの動作には細かい決まりがあり、完璧に出来なければやりなおし。
そんな面倒なら、ちょっとした気分なんて無視して、強迫行為なんてやらなきゃいいのに、と思われるでしょう。しかし、それが難しい。なぜなら、私が感じていたのは「ちょっとした気分」ではない。「死の恐怖」でした。
ちょっと説明しますと、私の根本にあるのは、「度を越したマイナス思考」です。例えば、私は「自分が触った原稿を編集部に送る」ことが出来ないのですが、(現在はデータで入稿しています)これはどういったことを恐れているのかと申しますと、まず「私が触って原稿を汚す」ことが怖く…
私が触って原稿を汚す。それを編集部に送る
↓
私が汚した原稿を受け取った担当さんが汚染される。病気で倒れる。
↓
編集部に汚染が広がり死者が出る。出版社中に問題が広がる。
↓
私は犯罪者になる。逮捕、服役。漫画家として仕事が出来なくなる
↓
自殺しなければならない
と、こういった思考が頭をよぎる訳です。「ありえないだろう」と笑っていただいてもいいのですが、本当にそれを恐れているのです。これが矢印の中間をすっとばすと、シンプルに思考はこうなります。
自分が触って原稿を汚す。それを編集部に送る
↓
自殺
私は原稿をアナログで描いていた時代、一生懸命に手を洗っていましたが、自分の手に付いた汚れを落とすというより、死の恐怖を洗い流していたのです。
そういった強迫行為に疲れ果てて、いっそ死んだ方がましだと涙する毎日を過ごしていましたが、考えてみれば「死にたくないから強迫行為をしている」訳で、それで死にたくなるなんて本末転倒なんですよね(笑)
完全に不安が消えるわけではないけれど、自分を“受け容れ”る
一度目の通院は、病院の待ち時間が苦痛で一年半ほどでやめました。(私は「待つ」ということが極端に苦手なのです。)
二度目の連載の前に強迫性障害の治療が出来る病院を探し、再び通院、カウンセリングを受け始めました。また検査を受け、発達障害のひとつであるADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向が強いと診断を受けました。
私の極端な確認癖は、もともと忘れ物、落し物が多いことが原因なのですが、背景にそういった特性があると分かったのです。そこで、不注意や多動性のあるADHDの特性への対処法を考え実行しました。例えば、仕事机の前のコルクボードに、何でもメモして貼っておく。これで「ミスをするのではないか」という不安は少し和らぎました。
それに加えて、カウンセリングでこれまでの苦しみを吐き出し、投薬治療にも真面目に取り組み、恐怖は軽減されていきました。また私はコミックエッセイ出版の少し前からツイッターを始めたのですが、そこで繋がった多くの患者さんとのやりとりに、とても励まされました。
しかし、長年の習慣になっている強迫行為を自分の意志だけでやめることは、容易ではありません。今年から通院にて「曝露反応妨害法」という行動療法を本格的に始めました。あえて自分を恐怖にさらし、これまで恐怖を打ち消すためにしてきた強迫行為をしない、という治療法です。
例を挙げると、私にはパソコンでの特定の作業時に、クリックごとに画面をデジカメで撮るといった強迫行為があったのですが(もし間違った操作をしても記録に残せるように)、治療のためにその強迫行為を必死にこらえました。強迫行為をせずに作業を進めると、失神するほどの不安が襲ってきて、最初のうちはしばらく寝込みました。
しかし、何度も繰り返すうちに「撮らなくてもなんら問題はない」ことに気づき、今ではめったなことでは画面を撮りません。仕事で問題となるあらゆる癖を、この方法で治すことが出来ました。日常生活のルールや癖も改善中です。
しかし、生活していくうえで感じる「そもそもの不安」は完全に消えたわけではありません。
生きていくうえで、不安や恐怖を感じることは当然のことで、それを防ぐことはどうしたってできない。受け容れるしかない。
そういう考え方を知ったことで、心持は穏やかになりました。
「強迫性障害」という病気を広く知ってもらいたい
私がエッセイを出版した理由は、「強迫性障害」という病気を広く知ってもらいたいという願いからです。患者さんの数は多いと思うのですが、とにかくこの病気、認知度が低い。自分が病気だと分からず、苦しんでいる方も多いのではないでしょうか。
また、病識があっても、(私もそうだったのですが)患者は自分の強迫行為を「恥ずかしい」と思っているので、なかなか周囲に打ち明けることができない。病院に行く勇気が持てない。一人で泥沼にハマっていくんですよね。
もっと一般的に知られた病気になれば、今より人に打ち明けやすくなる。治療にも繋がりやすくなると思います。この病気のことを知ってもらうため、この先もなんらかの発信をしていけたらと思っています。強迫性障害で苦しむ方が一人でも減ることを願っています。
現在は、強迫性障害の治療について描いたコミックを製作中です。曝露反応妨害法の経験を、また認知行動療法等、自分での治療を漫画化しましたので、患者さんに治療のヒントを見つけていただければ幸いです。(2019年冬から春に出版予定ですので、よろしくお願いします!)
もし身近なひとが強迫性障害になったら、これまで通り接してあげてほしい
もし、家族や友人など身近な人が強迫性障害になったら。「どうやって接したらいいのだろう」と悩む方も多いかも知れませんが、私の場合は、病気に対する気遣いは特に不要です。
私には20年来の付き合いの大事な友人がいますが、私が外出時、確認などの強迫行為でオロオロしていていた時も、一緒に確認してくれるようなことはなく、置いて行かれました(笑)気を使ったりせず、これまで通りに接してくれた友人に感謝しています。
一緒に疲弊して共倒れ、というふうにはなってほしくないなと思いますし、ぜひ、「治療したら改善できるんだ」と伝えてほしいです。
人によって合う治療方法は違いますが、患者さんが「治療に繋がりやすい環境」を作ってあげられたらいいですね。近しい人だけでなく、世の中全体がそういった雰囲気になれば最高だなと思います。
そして、もし今この症状で悩んでいるひとがいたら、「強迫が改善すると、生きやすくなりますよ!」と伝えたいです。治療には勇気と覚悟と根気が必要ですが、治さないで何十年も強迫行為に支配されるなんて生きた心地がしませんよね。
ぜひ自分に合う治療法、生きやすい方法を見つけていってほしいなと思います。
苦しみの多い10代、20代を過ごしたからこそ、30代から人生を楽しめたら
8年かけて普通の生活を取り戻しつつあり、私は最近、将来のことを考えるようになりました。これからどうしたいか。どういった選択をすれば自分らしく生きられるか?お金のこと、生活の事。
パートナーの事についてもよく考えます。わたしはどうも異性を恋愛対象として見られません。では、同性が好きなのか?まだはっきりとイエスと言えません。
私は32年「自分」をやっておりますが、未だ「自分」がどういった人間なのかすらよく分かっていません。これまで漫画と病気にかかりきりで、自分の指向すら良く分かっていないのです。
それに関しては、様々な方との付き合いのなかで、これから自覚していきます。苦しみの多い10代、20代を過ごしてきましたので、30代から人生を楽しめたらいいですね。
精神の均衡が保てず、にっちもさっちもいかない困った半生でしたが、幸いなことに現在私は漫画家ですので、不運も不幸も、何でもネタにできます。それで人様に何らかの情報をお伝えすること、楽しんでいただくことが、私の仕事であり、幸せであると感じております。
私の人生はまだまだ、これから。これからも己の恥をさらけ出し、物書きを続けたいと思います。それで飯が食えるようになれば最高なのですが、果たしてそんな日はやってくるのか…(笑)
自分らしく生きていくコツも、少しずつ、見つけられたらと思います。それでは、またどこかでお会いしましょう!
関連情報:
みやざき明日香さん Twitter
(写真/松本綾香、協力/田島寛久)