こんにちは。初代「ミスター・ゲイ・ジャパン」に選ばれましたSHOGOです。僕は普段、東京の学校で教員をしています。
ミスター・ゲイ・ジャパンとは『日本のLGBTQ+の環境改善推進と同性婚の合法化』を目標にメッセージを発信するスポークスパーソンのこと。日本代表として「ミスター・ゲイ・ワールド」という世界大会へ出場し、各国の代表達との交流を通して、日本が抱える課題をグローバル目線でこなしていこうという志で、活動しています。
でも普段の僕は、毎朝混み合った通勤電車に乗って職場へ向かい、仕事が終われば飲みに行ったり、近所の銭湯に行って疲れを癒したり。そんなふうに特に目立った行動はせず、日常を送っています。
今日は、そんな僕のことをお話したいと思います。
敷かれたレールから飛び出してみたい。オーストラリアに留学
僕は埼玉生まれ埼玉育ちの根っからの埼玉っ子です。学生時代は成績はいつも真ん中くらい。運動も得意でも不得意でもなく、公立学校に通って、周りと同じように受験勉強をして、地元の高校に入学しました。
そこの高校はオーストラリアに姉妹校があり、短期留学制度を利用して高一の夏休みに2週間ほどオーストラリアに行きました。実は別に海外に興味があったりだとか、英語が喋りたいと言った理由ではなく、当時入っていた柔道部の練習が凄くキツくて…(笑)
あ、短期留学制度を使えば練習休めるんじゃないか?
そんな安易な考えでオーストラリアへと向かったのです。
何も考えずに行ったオーストラリアでしたが、本当に魅力的で一瞬で恋に落ちました。そしてあっという間の2週間を過ごして日本に戻った後、真剣に自分の将来を考え始めたのです。
というのも、うちの実家は自営業の洋菓子店を営んでおり、長男である僕は自然と周りから「将来はお店を継ぐんでしょ?」と言われて育ちました。物心ついた時から自分の人生のレールが見えていて、それに物凄く違和感を感じてもいたんですよね。そこでその敷かれたレールから一歩外に飛び出してみたくて、単身渡豪を決意しました。
日本で学生時代を過ごしていた時は、自分がゲイだとは全く自覚していませんでした。
周りと同じストレートなのかなぁ。
そうボンヤリと認識していた程度。オーストラリアに行ってからも、勉強や異国での生活を生き抜く事にいっぱいいっぱいで、セクシュアリティのことを考えている余裕など全くありませんでした。最初の2ヶ月はストレスで体重が15キロ減ってしまったほどです。
なんとか高校を卒業後も、そのままオーストラリアにとどまることに。でも大学入学までの間にオーストラリアから強制送還を受けて3年間の入国が禁止されたり、弁護士に騙されて全財産ごっそり持っていかれたり、本当に色々なことがありました(笑)。
ゲイであることに気づいても、セクシャルマイノリティという意識はなかった
自分の恋愛対象は男性だなぁ。
ようやくオーストラリアで大学に入学し、自由な時間が持てるようになってから、なんとなくそう感じるようになりました。ただ、そもそも自分のセクシュアリティを確定することにそこまで興味がなかったので、「ま、なんでもいいじゃない?」くらいにしか考えていなかったんです。
オーストラリアは多民国国家なので、「周りと自分は違って当たり前」という環境が身近にありました。街を歩けば人種も言語も宗教も違う人が沢山いる。見た目も考えも様々な人たちに囲まれて生活をしていると、自分がセクシャルマイノリティという意識は特に芽生えてこなかったです。
例えばオーストラリアでは付き合っている人のことは「彼氏」「彼女」ではなく、セクシュアリティを問わず「パートナー」と呼ぶことがあります。
僕は友達の家に遊びに行くときにも、普通に当時付き合ってる男性を連れて行ったりしていました。それでもあえて周囲に自分のセクシュアリティを伝えるということはしないんです。
ただ当時、同性同士での結婚は認められていなかったので、将来については見据えていました。
自分は周りのカップルみたいに結婚して、子ども出来てみたいな人生は歩めないんだな。
そんな気持ちはありましたが、「絶対に子どもがほしい」というわけでもなかったので、意外とそこはあっさりと考えていたのです。
「セクシュアリティの違いは文化の違いの一つ」という価値観に出会って
大学卒業後は、オーストラリアの学校で教員として働き始めました。
僕が働いていた学校でも、「LGBT当事者なのかな?」と感じる生徒はいました。でもそれに対して、他の生徒たちからからかわれるなどといった光景は見たことがありません。
学校や地域によっても違いはあると思いますが、少なくとも僕が務めていた学校では、子どもたちの中でもセクシュアリティの違いは文化の違いの一部のような共通認識があったように思います。
例えば、授業中にお化粧を始める男の子にも出会いました。でもけっして、周囲がそれをからかうような空気にはなりません。これは多様性に触れる機会が多いオーストラリアならではの特徴かなと思います。
ちなみに僕はこの時、「お化粧直しは休み時間にしなさいね」とは注意しました(笑)。
日本育ちの僕がオーストラリアに飛び込んで、こんなふうに自分にとって受け入れやすい価値観にも出会ったし、そうではないことももちろんありました。あらゆる価値観に揉まれて生きてきたことは、今の僕の考え方にも影響があるように思っています。
「日本のLGBTQ+環境改善に協力したい」ミスター・ゲイ・ジャパンに興味を持つ
オーストラリアでは労働法や組合により人種、宗教、セクシュアリティといった理由で、労働者が不当な扱いを受けないよう管理されています。それは実際に職場でも浸透しているように感じていました。
一方、日本の友人から、「日本では職場でセクシュアリティをカミングアウトをすると出世コースから外される可能性がある場合もある。そのため同性パートナーとの同居がなかなか出来ない」と聞いたことがあり、とても驚きました。
オーストラリアで生活していた時は、自分が誰と住むかが仕事に影響があるなんて考えてもいなかったのです。オーストラリアと日本、お互いの国の違いを見ていくうちに、だんだんと「日本のLGBTQ+環境改善に協力したい」という気持ちが芽生えていきました。
その後に日本に帰国し、教員として働いていた最中。「Genxy」というウェブメディアに掲載されていた、日本初のゲイコンテスト「ミスター・ゲイ・ジャパン」開催されるという記事を目にします。
ちょうどその頃、地元のフィットネスクラブに入会する際、大きな違和感を持ちました。契約書の「該当する項目がある方はスタッフにお申し出ください」という項目で「性同一性障害の方」という文字が目に入ったのです。
日本の社会はまだまだ改善できる部分があるのでは?もしかしたら自分がその手伝いを出来るのでは?
その思いがミスター・ゲイ・ジャパンへの応募につながりました。
他にも、ミスター・ゲイ・ジャパンプロジェクトは立ち上がったばかりで活動の自由度が高いこと。そして、エンターテインメントと融合させることで、LGBTQ+の枠を超えて、子どもも大人も楽しめる楽しいイベントにできると思ったこと。さらにLGBTQ+にまつわる課題を悲しさや怒りといったイメージで扱わないという手法に惹かれたことなども、ミスター・ゲイ・ジャパン応募の理由の一つです。
ミスター・ゲイ・ワールドという大会の存在は、オーストラリアに住んでいた時から耳には入っていました。ミスター・ゲイ・オーストラリアがオーストラリア代表として世界大会であるミスター・ゲイ・ワールドに出場する。その様子は、毎年ニュースや雑誌等で見ていましたが、まさか自分がミスター・ゲイ・ジャパンとしてステージに立つとは夢にも思っていなかったです。
ただ、ミスター・ゲイ・ジャパンとして活動していくには、公の場で名前と顔を公表していかなくてはなりません。そのため強い思いがあっても、家族や職場にNGで応募できなかった人もいたのではないでしょうか。
当時僕は、日本の職場環境をあまり把握しきれていなかったように思います。そのため「最悪の場合、今の仕事をクビになるかもしれない」という気持ちはありました。ただ僕はオーストラリアの仕事を現在休職中の状態。今の仕事を万が一クビになっても、オーストラリアに仕事に戻ることができる状況なので、思い切ることが出来ました。
こうしてミスター・ゲイ・ジャパン大会への出場が決定。大会当日はファイナリストに選ばれた5人で、お互いのスピーチ内容のチェック、ウォーキング、表現の仕方などを直前までサポートし合いました。
実は僕はスピーチ審査の時、あまりの視線の多さと緊張から途中で頭が真っ白になってしまい、数秒間沈黙してしまった瞬間がありました。その時、観客の方から「頑張れー!」と応援の声が聞こえきて、スピーチを無事続けることができたのです。もしあの声援がなければ、僕はあのまま何も喋れなかったと思います。あの一言に僕が救われたように、僕も人を救える一言を発せられるような人間になりたいと改めて思いました。
色々な人の支えがあってこそ、僕はミスター・ゲイ・ジャパンとして活動をすることになったのです。
隠しているわけではないけれど、「カミングアウトもしない」という選択
実を言いますと、僕は今でも周囲にゲイであることを「カミングアウト」をしていません。自分のセクシュアリティを特別視してほしいと思っていないため、声をあげて言う必要がないと思っているからです。
ミスター・ゲイ・ジャパンの活動をしているにもかかわらず、カミングアウトをしていないと伝えると驚く方が結構います。
ミスター・ゲイ・ジャパンなんだから、カミングアウトしなきゃ!
人によってはそんな言い方をする人もいました。昨今のカミングアウトをする人が増えているため、そういった雰囲気になっているのかもしれませんが、僕自身はこれからもこのスタンスを変えるつもりはありません。
ただ、「カミングアウトしない=セクシュアリティを隠している」というわけではありません。聞かれれば勿論正直に答えます。でも自分から率先して「僕ゲイなんですー!」と言うことはないです。
そして僕は家族にもカミングアウトをしていません。そもそも僕は両親や姉達のセクシュアリティを知りませんし、彼らからも言ってこないので、僕もあえて自分だけのセクシュアリティを大げさに話さなくてもいいんじゃないかなというスタンスでいます。
結婚しないの?
実家に戻ると家族からそう聞かれることはあり、少し困ったりすることはありますが…。
またミスター・ゲイ・ジャパンの活動をしていて、それを見た人たちから、「僕のことで家族が何か酷いこと言われないかな?」という心配はあります。でも家族も大人なので、もし周りから嫌なことを言われたりすることがあったとしても、なんとか対処してもらえたら…と思っています。
周囲を見ていても思うのは、「カミングアウトしなきゃいけない」と思うと追い込まれてしまうのではないかということ。もちろん、カミングアウトをしてよかったという人もいると思いますが、全員が楽になるというわけではありません。しても、しなくても、間違いではないと僕は考えています。
教員をしながらミスター・ゲイ・ジャパンとして活動をすること
教員をしながらミスター・ゲイ・ジャパンの活動をしていると、会う方々にかなりビックリされます。学校で教壇に立っている時は「先生」として仕事をしていて「ミスター・ゲイ・ジャパン」ではないので、僕はここでも特に自分のセクシュアリティは公表していません。そしてやっぱり、隠しているわけでもありません。
公表しなくても通常業務に影響は特にないです。もちろんミスター・ゲイ・ジャパンの活動で、メディアに顔と名前が載ったので、同僚、生徒、保護者の方の中には気づいている人もいるとは思います。
一応校長には報告という名目のもと、カミングアウトのようなこともしました。もともと仲良くしてもらっていることもあり、僕のことを理解してくれたようで、大会出場のための有給休暇の許可ももらうことができました。そして大会当日は応援にも駆けつけてくれたんです。
競うのではなく、お互いを守り、一緒に悩み、前進する。ミスター・ゲイ・ワールドでの経験
ミスター・ゲイ・ジャパンに選ばれてから、いろんな人たちに顔と名前を憶えてもらえることが増えました。東京レインボーパレードではたくさんの人に声をかけてもらったことも。
僕自身、ミスター・ゲイ・ジャパンを身近に感じてもらいたいという気持ちが強くあるので、こうして声を掛けてもらえるのは、本当に嬉しいです。以前はミスター・ゲイ・ジャパンとしてどう活動をしていこうか、自分に何ができるのかと悩むこともありました。でも応援をしてくれる人に出会って、こんなふうにポジティブなインパクトを与えられるのならと、悩みが吹っ飛んでしまったほどです。
ミスター・ゲイ・ジャパンに選ばれた後は、日本の代表として世界大会に参加をします。こうして日本人として初めてステージに上がれたのはとても光栄なことですし、そこで出会った各国の代表や、活動家の方達との交流は僕を大きく成長させてくれました。
世界大会と聞くとどうしてもお互いに競い合うイメージが付きやすいと思います。でもここでの共通認識は、「僕らはいかにお互いをサポートし合うか」でした。
1週間の大会期間中、こなしていかなければいけない課題は山ほどあり、過密スケジュールで身体的にも精神的にもかなり追い詰められます。「ゲイである」ことでオンライン上でバッシングされることもありました。けれども落ち込んでいる各国の代表を見捨てるような人は一人もいませんでした。主催者、審査員、サポーター、ありとあらゆる関係者が一丸となって、お互いを守り、一緒に悩み、前進できる手助けをする環境があったのです。
ミスター・ゲイ・ワールドという称号は一人にしか与えられませんが、それを取ることだけがすべてではありません。
僕はミスター・ゲイ・ワールドに選ばれたけれども、僕と他の国の代表の人たちとの差はないよ。
去年のタイトルを取ったフィリピン代表の方は、こんなことを言っていました。彼は自分は「勝った」という表現は使わず「選ばれた」という表現を使っていました。
自分たちの国を少しでも良くしようという志に「勝ち負け」は存在しないんだ。
そう改めて気づかされました。
誰もが感じ、抱えてる“孤独”を緩和させたい
ミスター・ゲイ・ジャパンとして活動をしていく中で、自分のゴールは何だろうと考えるようになりました。もちろん同性婚が合法化されるようになったり、当事者の方達が少しでも生きやすい社会になれるようにという思いはあります。さらに、「誰もが感じ、抱えてる“孤独”を緩和させたい」という思いがあり、その活動にも力を注いでいきたいです。
セクシャルマイノティの中でも更にマイノリティであるハンディキャップのある方、犯罪歴があり社会復帰が困難な方、日本の生活に文化や言語の壁があり、なかなか馴染めない外国人の方…様々な人たちがマイノリティの中でさらに孤立しています。「多様性」を訴える昨今の世の中でもまだ、彼らの多様性は排除されがちだと思うのです。
僕はまず、ミスター・ゲイ・ジャパンとしての活動の軸である「声を聴く」ことから始めたいと思っています。コミュニケーションを取ることで1分でも孤独から解放される時間になったり、少しでも生きやすくなる手助けが出来るのであれば、僕がミスター・ゲイ・ジャパンになった意義はあるのかなと思います。
教師としても学校というコミュニティ内で子どもたちと向き合っていきたいです。生徒には、自分のセクシュアリティについて話すのもいいですし、話さなくても良いと伝えたい。学生時代も今も、僕自身悩むことを繰り返していますし、悩むだけ悩んでもいいと思っています。
生徒だけでなく親御さんなど、幅広い年齢層にはミスター・ゲイ・ジャパンの活動を通して、多様性を伝えていきたいですね。また、子どもたちに手を差し伸べられるような社会構造を、学校だけでなく地域などの場面からも作っていく必要を感じています。
僕は実現したい全てにおいて、特化した知識があるわけでは決してありません。なのでまずは自分なりにサポートできるところに足を運んだり、情報発信ができる今を生かして活動することで、少しでも状況を変えていければ嬉しいです。
最後に、「GAY」という言葉は本来「ハッピー、のんき、気さく」といった意味を持っています。僕はそんなイメージのロールモデルになりたいです。これからも、LGBTQ+当事者として、声を発していきたいと思っています。
(写真/馬場加奈子)