どうしてぼくは、“ふつう”の家庭に生まれることができなかったのだろう。
子どもの頃、ぼくはいつもそんなことばかりを考えていました。ぼくの両親は聴覚に障害があり、耳が聞こえる人たちの家庭とは、コミュニケーション面でちょっとだけ“違い”がありました。そして、その事実は、まだ社会を知らない10代が生きる世界では、とても奇異なこととして受け止められがちだったのです。
それはやがて劣等感になり、ぼくは小さな世界のなかでなるべく目立たないようにと、縮こまって生きるようになりました。意見を言わず、周囲の子たちに合わせ、自分の色を消す。“みんなと違う自分”を否定し、“みんなと同じ自分”を装う。思い出すだけでも、それはとても息苦しい時期でした。
けれど、生まれ持ったものは変えられない。だからこそ、抱えた荷物を手放すのではなく、それを抱えた状態で、どう生きていくのかを考える必要があるのです。必要なのは周囲に合わせる器用さではなく、“自分がどうしたいのか”という主体性。
これは実にシンプルだけど、教科書には載っていない大切なこと。関西に、それを子どもたちに伝え続けているひとりの先生がいます。
その人の名は、山口真史さん。
山口さんは、兵庫県西宮で「TOB塾」というユニークな塾を経営しています。そこに集まるのは、不登校や高校中退など、いわゆる“ドロップアウト”を経験した子たちばかり。なかには、社会のなかで孤立してしまった子もいます。
山口さんはそんな子たちに、学力の形成の機会をつくるのはもちろんのこと、社会とのつながりや生き抜く力について説いています。行き場を失った子たちにとって、そこは単なる塾ではなく、まさにシェルターのようなもの。
もしも、子どもの頃に山口さんと出会えていたら。
そう感じたぼくは、山口さんの想いに触れるため、実際に会いに行くことにしました。
飛行機事件で父親を亡くし、「人は人、自分は自分」と思うように
TOB塾があるのは、兵庫県西宮の住宅街。駅から10分ほど歩くと、小さな一軒家が見えてきました。
TOB塾は、ここで開かれています。
出迎えてくれた代表の山口さんは、親しみやすく気のいいお兄さんという雰囲気。まずは山口さんの人となりについて伺ってみようと話を切り出すと…。
ぼく、父のことをあまり覚えていないんです。
どこか飄々とした口ぶりで話す山口さん。実は、1983年に起きた大韓航空機撃墜事件によって、お父さんを亡くされたのだといいます。まだ2歳だった山口さんは当時のことをあまり覚えていないそうですが、その死によって起こった衝撃を真正面から受け止めたのは、お母さんでした。
さまざまな困難のなか、女手一つで子どもたちを育てきる。その反動からか、晩年は強い社会不安障害があったものの通院もせず、在宅診療を選択していたそうです。そして、最期は静かに息を引き取りました。山口さんはお母さんのことを、「他人に頼らず、自分のことはすべて自分でやるような強い人だった」と振り返ります。
小学生の頃、よく「人は人、自分は自分」という話をしていました。父親がいないのもぼくらからすると当たり前のことであって、他人の家と比べるものではない。それ以上でもそれ以下でもない、という教えでした。
その教えは、山口さんの人生の礎となりました。その後、進学した高専では周囲との差に違和感を覚えるように。結局、「周りに合わせて我慢をしていても仕方がない」と、入学してからわずか3カ月で中退することを考えはじめました。
周りの子たちみたいな熱量もないし、純粋に合わなかったんです。ただ、せっかく進学させてくれた母の気持ちを尊重して、4年生になるまでは我慢していました。4年生になればそこで中退しても高卒認定がもらえるんです。なので、進級してから退学して、そのまま大学進学のための勉強をはじめました。
高専を中退したものの、この頃はまだ学歴を気にしていたこともあり、山口さんは一念発起し、一年間の浪人生活を続けました。念願だった大学進学も果たし、そこでは社会の仕組みを知るため、社会学を専攻したそうです。
様々な境遇の子たちと関わる「TOB塾」
その後、無事に大学を卒業した山口さん。卒業後に入社した会社では、人事教育部門に配属されました。
その頃、新卒の子たちの社員研修を担当していたんですが、人がみるみる変わっていく姿がとても面白かったんです。次第に、もっと長い期間、人の成長に携わるような仕事をしてみたいと思うようになって。そこで行き着いたのが、学校の先生になることでした。
人が成長していくさまを間近で見つめていたい。そう考えた山口さんは教員試験を受け、とある学校の教職に就きました。ところが、そこで現実と対峙することに。
学校というのは、どうしても縛りが強い世界なんです。学校のルールに従わない子は、ぼくがなにをしようとも退学にさせられてしまいますし、かばいきれない。そして、辞めてしまった子を追いかけることもできない。そんな現実と直面して、段々と、学校という枠組みのなかではうまく生きられない子たち、その外で生きようとしている子たちになにかできたらいいなと考えるようになっていったんです。
山口さんが最も関心を寄せていたのは、従来の枠組みからこぼれ落ちてしまうような子たち。けれど、このままではそういった子たちをフォローすることが難しい。そう考えた山口さんは、教員を辞め、自らの道を模索することに。そして、2013年に「TOB塾」を立ち上げました。
TOB塾とは、“Think Outside the Box”の頭文字をとって命名された塾。「型にはまるな、自由に飛ぼう」という意味が込められています。
対象としているのは、不登校や高校中退などを理由に、社会から取り残されてしまった子どもたち。彼らの夢や目標を丁寧にヒアリングし、進学や就職のサポートをしています。2018年3月末時点で、塾生は38名、卒塾生は9名。そのうち、7名が大学進学を、3名が高校進学を果たしています。なかには、5年間引きこもっていたというブランクがありながらも、たった1カ月の勉強期間で高卒認定を達成したという塾生も。
また、ただ勉強するだけではなく、野菜販売会や花火大会に参加するなどユニークな試みも実施しています。ただでさえ、他者と交流する機会が少なくなってしまいがちな不登校、高校中退の子たちに対し、山口さんは勉学以外に、人と関わることの大切さに触れてもらうことを期待しているのです。
加えて、TOB塾では入塾にあたって、年齢やキャリアなどの制限を設けていないそう。
不登校、高校中退の子たちは多いですけど、うちに通いたいと思ってくれるのなら年齢や境遇などは関係なく、どんな方でも歓迎しています。それこそ、もう一度学びなおしたいという50代の方もいらっしゃいますし、全日制の高校に通っている子もいます。あるいは、トラウマを抱えている子や発達障害のある子、グレーゾーンの子もいますね。
ただ、ぼくはそれぞれの専門家ではないので、最後の砦になろうとは思っていないんです。もちろん、ある程度の配慮や勉強はしますけど、ゆるい雰囲気でやっています(笑)
幅広い層の生徒を抱えるなか大切にしているのは、それぞれが”自分と向き合うこと”です。
基本的に“ドロップアウト”した子たちは、そこからすごく巻き返さないといけないと思いこんでいるみたいで、理想が高いんです。偏差値の高い国公立大学に行きたい、みたいな。
そうなると、その分、圧倒的な勉強時間が必要になるんですが、みんなそんなのしたことがない。すると、“できない自分”と延々と向き合うことになるんです。
でも、ぼくはその時間を大切にしたくて。ゴールがどこであれどうでもよくって、自ら現実と向き合うという過程に意味があると思っているんです。
一般的な“塾”となると、“進学率”を意識するもの。でも、山口さんはそれすらも「どうでもいいんです」と笑います。
本人が有名大学を目指すというのであればサポートしますけど、別にそれが叶わなくたっていいんですよ。志望大学に合格したというのはオプションでしかなくて、大切なのは、主体的に学び、自分自身を知ることですから。
いじめで文字が読めなくなった子も、ここに来て立ち直ることができた
聞けば聞くほど、塾の概念とかけ離れたイメージを帯びてくるTOB塾。多様性のある生徒たちと向き合う日々のなかで、山口さんにはいつも心がけていることがあるそう。それは、生徒の選択に対し、「どちらでもいいよ」というスタンスを示すこと。
自分が誰かに影響を与えてしまうのが嫌なんです。「人は人、自分は自分」という価値観を持って生きてきたので、過剰に関わるのが苦手というか…。だから、その子自身の考えのもとに決めたことであれば、どんな道を進んでくれてもいいんです。
失敗したり、できないことがあったりしたとしても、きちんと考えた結果であれば、「どちらでもいい」。
そもそも、社会なんて先が読めないじゃないですか。なので、正解もない。自分が考えるなかでベストな選択をしていくしかないんです。
山口さんは、自分と生徒との間に上下関係を持ち出しません。塾の先生という立場はあるものの、人間対人間に変わりはない。だからこそ、生徒の横に並び、同じ高さの目線で社会を見つめようとしています。
その教育の姿勢は、ときに「破天荒」「型破り」と評されることもあるでしょう。でも、実際にそれが誰かを救うことにもつながっているのです。
以前、不登校になってしまった子がうちに来たことがあるんです。その子は進学校に通っていたんですけど、SNSいじめを受けて、文字が読めなくなってしまった。文字が読めないと、勉強もできないんですよね。だから、とりあえずは安心して他人と会話できるようにするところからはじめました。
そのうち、アメコミが好きな子だったので、それをフックに英語の文字を読む訓練をして。それに慣れてきた頃から、徐々に勉強を再開するようにもっていきました。
いじめによって心に傷を負ってしまった少年は、TOB塾のスタッフさんたちと関わるようになり、やがて、全寮制の予備校に入学することが叶ったそう。いまは大学進学を目指し、日々勉強に明け暮れているようです。
スタッフを通して連絡が来たんですけど、予備校で一番を取ったと報告されました。ただ、基本的には卒業生には関与しないようにしているんです。せっかくうちを卒業して前進できているんだから、振り返らないでほしい。もうぼくのことなんて忘れてくれていいんです。なにかあったときにヘルプを出せる先であれば。
飄々と話す山口さん。けれど、その表情はどこかほころんでいました。
「夜回り」で出会った、高校中退者のリアル
TOB塾での子どもたちとの関わり方以外にもうひとつ、山口さんが力を入れている活動があります。それが夜間の繁華街や公園にたむろする子どもたちに声をかけて回る、「夜回り」です。スタートしたのは2013年の頃。「高校中退者の気持ちが知りたい」というのが動機でした。
最近の子たちは、どんな理由で学校を辞めるのかが知りたかったんです。でも、実際に高校に聞きにいっても、教えてくれない。周辺の高校をまわったんですが、「うちにはあんまりいないからなぁ…」と濁されるんです。だったら、実際に会って話したほうが早いかな、と。
思い立ったら即行動型の山口さんは、すぐさま夜の街を歩き回って、見つけた子どもたちに声をかけました。そこでわかったのは、夜の街を徘徊する子どもたちの本当の姿。
フラットな立場で話しかけると、みんなちゃんと答えてくれるんです。高校を辞めて、夜に出歩いている子と聞くと、なんとなく擦れているようなイメージを持つと思うんですが、実際はそんなことなくて。話しかけ方やスタンスさえ間違えなければちゃんと応えてくれるし、意外とみんな大人と話すことには抵抗がないんですよ。
そうして何人もの子どもたちと触れ合うなかで見えてきた、彼らが学校を辞めてしまう理由。それは実にシンプルなものばかりでした。
先生が嫌、校則が無理、勉強についていけない、朝起きられない、ただダルかった…。そんな理由を口にする子がほとんどでした。
TOB塾で学校に行けなくなってしまった子どもたちと関わっている山口さんにとって、夜回りでの活動は、子どもたちの本音に触れられる貴重な機会でした。そこで得た気づきを持ち帰り、TOB塾での活動に活かすこともあったでしょう。
けれど、ここ数年は夜間に出歩く子どもたちが減っているのだそう。その理由は、時代の変化なのではないかといいます。
時代の変化に伴い、子どもたちが集合する手段も変わってきているんです。一昔前であれば、仲間に会うためにいつもの場所へ向かうのが定番でしたが、最近だとGPS機能で位置情報を共有するアプリがあるから、会いたい人のところに直接向かうことができるようになっていて。わざわざ大人に見つかる場所にたむろしなくても済むんですよ。だから、ここ最近の夜回りでは、ほとんど子どもたちを見かけませんね。
ただし、と山口さんは続けます。
夜出歩く子どもが減ったからといって、子どもたちの問題が解決されたわけではないと思うんです。むしろ、昔よりも見つけにくくなってしまった分、彼らだけで問題を抱え込んでいるケースも多いんじゃないかと。そもそも、高校を辞めた理由だって、先ほどの先生や勉強が嫌といったものがすべてではない。彼らは表面上そう言っていますけど、実はその背景には、いま「社会問題」だといわれている事柄がずらっと並んでいるんです。
高校を辞める子たちは、社会問題の被害者
山口さんが言う社会問題とは、貧困、虐待、いじめ、発達障害といった本人の特性などさまざま。学校に行かなくなってしまう子たちは、「先生が嫌だから」「勉強についていけない」といった表面的な理由で決断しているだけではなく、貧困や虐待など、家庭内の問題でいっぱいいっぱいなため、勉強や学校の規則などそれ以上の負荷を避けていたり、いじめを受けているから学校が怖くなったりと、実に根深い原因を背負っているのだとか。
これまで何人もの不登校や高校中退者に会ってきましたけど、みんな素直な子が多いんですよ。そして、彼らの多くは被害者。いじめられている子はもちろん被害者と断言できますが、いじめている子だって見方を変えればそう。彼らは貧困家庭だったり親からの虐待だったり、さまざまな問題を抱えていて、それを受け止めきれないパターンが多いんです。その苛立ちにも似た心の揺れ動きを、自分よりも弱い子ややさしい子にぶつけてしまう。それがいじめというカタチで表れてしまうんです。
もちろん、いじめは絶対に許してはいけない行為です。けれど、「許せない」の一言で断罪してしまっては、心の闇に呑まれてしまい、どうしても他者をいじめてしまうという子が救われないのではないでしょうか。山口さんが話すように、一人ひとりの子がなにを抱えているのかを見極め、個別に対処していかなければ子どもたちの問題は根本的に解決しないように思えます。
そういう子たちは、外から見ればいじめをしている側なんですけど、見方を変えると、彼らは彼らでなにかを吐き出そうとしているとも言えます。人間って、単純で複雑なんです。表面上はシンプルなんだけど、心のなかに複雑に絡み合った問題を抱えている。それで生きづらくなってしまった子たちが、うちのような塾に助けを求めに来たりするんですよ。
本当に解決していこうと思ったら、その子の奥底にはなにがどう絡まっているのかを見定めて、ほぐせるところをほぐしてあげないといけないんです。
子どもたちの心に絡まった、何本もの問題の糸。それをほぐしていくと、時折、親との関係性の問題にもぶつかるそう。
それこそ、最近は子どもを支配したり、逆に放置しすぎてしまう「毒親」と呼ばれる存在も問題視されていますよね。以前、宗教にハマった親御さんに連れられて、ひとりの子がうちに来たことがありました。その親御さんが言うには、「うちの子、ちょっと悪いものが憑いていて」って。そんな環境で学校に行くことも辞めてしまうのって、完全に被害者じゃないですか。
でも、家族の話になると、なかなか第三者は介入しづらいんです。親との関係性が原因で、その子がつらい思いをしているのであれば、離れてもらうのがベストなんですけど、現実的には難しいですし、ぼくにしてあげられることにも限りがあって、歯がゆい思いをしています…。それでも、なるべく親御さんには意見を伝えて、お子さんとの関係性が改善されるように努力はしています。その子にもあまりしてあげられることはありませんでしたが、なるべく話を聞いて、ぼくなりのアドバイスはしました。
結果、その子はTOB塾に入塾しなかったそう。ただし、TOB塾は塾生のためだけにあるわけではありません。子どもたちをなんとかしたいと願う山口さんは、たとえ塾生ではなかったとしても、気にかけて見守るようにしています。
こないだその子に連絡をしたら、いまはシェアハウスで暮らしていると言っていて、どうやら親御さんから離れられたらしいんです。宗教のことは受け入れつつも、世間からどう見られているのかを理解している子だったので、きっと大丈夫でしょう。
山口さんにとって、問題を抱えている子たちに手を差し伸べるのは、もはやライフワークのようなもの。本人は「趣味です」と笑いますが、それに救われた子たちは数え切れないくらいいるのでしょう。
学歴は必須じゃない、ただの「お墨付き」
TOB塾に通う子たちの事情はさまざま。けれど、その大半が、自分の意志で勉強に取り組み、進学や就職を目指しています。
でも、そもそも「学歴」に縛られる必要なんてあるのでしょうか。それもまた、周囲からの同調圧力なのではないか。“ふつう”であることを望みつつも、それが叶わなかった子たちが、学歴を手にすることで“ふつう”になりたいともがいているように思えてならないのです。そんな疑問を口にしたぼくに、山口さんはそっと言いました。
学歴って、ただの「お墨付き」だと思うんですけどね。企業が人を採用する際にそれを基準にしているので、社会全体を見た場合、学歴はあるに越したことはないと思います。でも、たとえば“ドロップアウト”した子がひとりで生きていくとなった場合、学歴がそこまで必要なのかというと微妙な話なんです。それこそ地域の会社であれば、人格や考え方がしっかりしているなら学歴なんて関係ないよって言ってくれたりもする。そして、そこから大手企業へのキャリアパスを組むことだってできるんです。
転職する際に重視されるのって、「これまでの仕事でどんなことをしてきたのか」という職歴じゃないですか。だから、仮に学歴がなくたって、小さな企業に入社して、そこから転職をしながら経験を積んでいくという手段もありうるんですよ。
それでも、子どもたちが学歴に縛られているのは、世間にある高校中退者へのイメージが大きいといいます。
高校中退者には仕事がない、なんてよく聞きますよね。それをそのまま受け止めてしまうから、本当に彼らにできる仕事はないように思い込んでしまうんです。でも、主体性を持って、「自分で自分をどうにかしよう」と考えることができていれば、進む道なんかどこにでもあるんですよ。世間の「これは無理だよ」という声に惑わされてばかりいると、必然的に道が狭まってしまう。結果、短期の作業員とか夜の世界とかに引き寄せられるんです。
もちろん、それもちゃんとした仕事ですが、その良し悪しを自分でしっかり考えて選択できているかどうか、それだけだと思いますよ。
だからこそ山口さんは、TOB塾に通う子たちに”主体性”を身につけてほしいと願っているのです。
「ダメと言われたらダメなんだ」と思い込んでしまう子がとても多いんです。だから、「学校に行くのが当たり前」と言われているなかで不登校や学校中退してしまうと、「自分は当たり前ではなくなったんだ」と思ってしまう。そうではなくて、もっと自分で考えるということを大切にしてほしいと思います。その結果、学歴がないまま社会に出るという道を選んだとしても、ぼくはそれを認めて応援してあげたいんです。
子どもたちが主体的に自らの人生を生きていく。それはとても理想的な姿だと思います。ただし、山口さんのお話を伺っていて、ぼくはひとつの不安を覚えました。もしも、行き場を失った子どもたちが、自暴自棄になってしまったらどうするのだろう…。
“ふつう”という枠組みから外れてしまったと思い込み、それでもなんとかTOB塾で学び直すものの、なかなかうまくはいかない。そんな状況が訪れてしまったら、やけっぱちになってしまうのではないだろうか…。
そんな不安をぶつけると、山口さんは信念にも似た想いを口にしました。
ぼくは子どもたちのことを信じているんです。高校を辞めて、どんなに荒れている子だとしても、自分の人生をめちゃくちゃにしたいと思っている子なんていないんですよ。ただ、そういった子たちは、どうすればいいのか手段を知らないだけ。
子どもたちのことを信じる。その言葉に、ぼく自身、気付かされたことがありました。それは、無意識のうちに、大人と子どもを境界線で区切っていたということ。子どもなんだから自暴自棄になるだろう。子どもだから選択を誤るだろう。それらはすべて思い込みであり、それが抑圧となって彼らを苦しめる原因にもなるのかもしれません。
そんなぼくに比べて、山口さんの姿勢はとてもフラット。子どもをひとりの人間として認め、尊重しているようにも見えます。
重要なのは、自分の人生に“納得感”が得られるか、ということ。それって、周囲の大人たちに指示されるがままでは、なかなか得られないと思うんです。そうではなくて、本人が考えて、本人のやりたいようにさせる。大人が「こっちだよ」と誘導するのではなく、「どう生きたいの?」からはじめて、「そのためにはいろんなハードルを超えないとね」「専門学校だとこういう道が考えられるね」「とりあえずその方向で動き出してみるか。あとは動きながら考えよう」と、多種多様な選択肢を提示してあげればいいのではないかと思います。
抱えている事情は選べないからこそ、考えてほしい
ここまで熱い想いを吐露してきたと思いきや、「まぁ、ぼくは流れるままにやってきたんですよ」と、山口さんは照れ笑いを浮かべます。でも、これまでの歩みをなぞってみると、柔らかい雰囲気のなかに決して折れない芯のようなものがあると感じました。
そんな山口さんは、今後どこを目指していくのでしょうか。
いま、TOB塾の奈良校を立ち上げる準備をしているんです。ただ、その物件が住宅街にあって、住民の方たちが不安に思っているらしいんです。やはり、不登校や引きこもり、高校中退者に対して、よくないイメージを持ってしまっている方はいて…。でも、そこは最終的にその場所でオープンできなかったとしてもきちんと説明をして、理解してもらえる機会は持ちたい。
それと、キャバクラ、ホストクラブなど、夜の街で働く高校中退者を対象とした「出張授業」もやっていきたいと思っています。以前、行なっていた取り組みなんですが、ここ数年は活動できる場所がなかなか見つからなくて。でも、中卒でこの世界に入った人たちのなかには、高卒認定を取りたいと強く思っている人もいて。そういった人がいるお店のオーナーさんと交渉して、なんとか授業できたらいいですよね。
TOB塾の拡大、そして出張授業。山口さんの想いはどんどん広がっていきそうです。
そして最後に、あらためて現代社会を生きる子どもたちに願うことを尋ねてみると…。
一人ひとりの子たちが抱えている事情については、もう選べないしどうしようもない。うちだって父親を事件で亡くして、早くから母子家庭になりましたけど、それは誰がなにをしたって変えられない仕方ないもの。なので、自分がいまいる環境のなかで考えて、きちんと生き抜いてほしい。ぼくに言えることなんて、それだけですよ。
人は誰だって、さまざまな事情を抱えています。でも、“ふつう”でいたいと願うあまり、無理をしてでも”ふつう”でいるように振る舞おうとします。ただし、それができない人もいます。そんな人は世のなかの“ふつう”にはじき出されてしまい、行き場を見失ってしまう。
そんなとき、横に並んで、目線を合わせてくれる人が現れたら、きっと誰もが自分の人生を取り戻すことができるのではないかと思います。そして、その“目線を合わせてくれる人”のひとりが、山口さんなのでしょう。
山口さんは、自身も過去に傷を負い、“ふつう”からはみ出してしまいました。でも、彼が選択したのは、周囲に染まる道ではなく、「自分は自分」であることを受け入れ、胸を張って生きる道でした。その道のりは決して平坦ではなかったと思います。だからこそ、山口さんの言葉は常にやさしく、思いやりに溢れているのです。
それは、すでに大人になっているぼくの心にもじんわりと染み入りました。
もしもこの先、生き方に悩む日が訪れたら、ぼくは思い出すでしょう。関西にいる、ちょっと飄々とした先生のことを。
(写真/松本綾香、編集/工藤瑞穂、協力/佐藤碩建)