こんにちは!彩です。
私は現在、大学4年生。顔の右半分に「単純性血管腫」という症状を持っています。
1年前までは、大学に通い、アルバイトをし、貯めたお金で友達と旅行に行くような、ふつうの大学生でした。でも2018年4月にInstagramに自分の症状について投稿したことをきっかけに、様々なメディアに出させていただくようになりました。
今回は、私がどんなふうにこの症状と生きてきたか、お話させていただこうと思います。
生まれたときからあった単純性血管腫
「彩」という名前は、両親から「漢字の意味がいろどり、華やかというところから、明るく元気な子に育ってほしい」という願いでつけてもらいました。そのおかげか、幼少期は活発で、室内よりも外遊びばかりしてる子だったように思います。また、自分のことは自分でやりなさいというスタンスで育てられたため、昔から、頑固で気が強い性格でした。
単純性血管腫は、生まれつきのもの。生まれた時から、この顔で生きてきたので、自分にとってこれが普通で、治療も、物心がつく前から行っていました。
単純性血管腫は、顔の毛細血管が拡張しているため、あざのように血の色が皮膚に浮き出て見えるという症状。私の場合は顔にあるので、顔が赤く、腫れたように見え、顔のパーツが左右非対称に見えます。
私は、治療しているときも、たいしてこの症状について自分で考えていませんでした。なので、これが病気であることも、進行していくことも、なぜ治療したら消えていくのかも全然わかっていませんでした。正直なところ、今でも自分の症状についてよくわかっていません。
治療は、小さい頃からずっと行っていました。具体的には、1年に3回ほど病院に行き、レーザー治療を受けます。正直、治療は痛いので行きたくありませんでしたが、「行かなければいけないもの」だと思っていたので頑張って通っていました。
治療後は、レーザーを打った跡が1週間ほど残ります。小学校は児童数も多くない学校で、みんな友達という感じだったので、周りの子に「治療の跡が何なのか」を聞かれることはありませんでした。
見た目による悩みも挫折もない環境で育った子供時代
子供時代を振り返って思うのは、私は環境や人に恵まれてきたということです。きっと、これを読んでくださる皆さんのなかには、私が見た目によるひどい差別を受けたことがあるだろうとか、すごく辛い挫折を経験しただろうと心配してくださる方もいると思います。
でも、幼少期から近所に住んでいる子供達と外で活発に遊ぶ子で、気が強くて、小中高とずっと友達とは仲良くて。私の症状は日常生活において誰かに助けを必要とすることもないので、友達とは仲良くなってしまえば見た目は関係なく生活できてきたのです。自分の症状について触れられる機会はほとんどありませんでした。
とはいっても、中学生くらいからは、自分が一般的に言う”普通の人”ではないんだろうなという自覚はありました。中学で学校の生徒数は一気に増え、私の症状や治療の跡を初めて見る人がたくさんいたのです。だから、「症状のことを聞かれはしなくても、きっと気にされるんだろうな」というような思いはありました。
そんな自分だったからこそなんとなく、いつか困っている人や悩んでいる人たちの力になれたらいいなあと、考えることもありました。
結局、12年ほど続けてきた治療は、中学1年生でやめることにしました。正直、治療の効果は実感できるものではなく、私にとっては症状が治っているのどうかか、よくわからなかったんです。「きっと完全に消えきる日なんてこないんじゃないか」と思ったし、治療の跡を説明するのも面倒くさい。誰かにそれを気にされるのもいやだし、「だったらもう病院は通わなくていいや」という思いでした。
当事者会を通して自分も何か活動したいと思うように
私が初めて「見た目問題」という言葉を知ったのは2年ほど前。
見た目問題とは、顔や身体に先天的や後天的な外見の症状を持つ当事者が、その見た目がゆえに直面する問題の総称です。その中には、私と同じ単純性血管腫の方や、生まれつき肌や髪が白いアルビノ、脱毛症の方など見た目に特徴のある方が含まれていました。
きっかけは、ネットニュースで、「見た目問題」を解決し誰もが自分らしい顔で自分らしい生き方を楽しめる社会を目指す「NPO法人マイフェイスマイスタイル」の記事を見かけたこと。
調べていくと、ちょうど若手が集まる交流会が開催されるという投稿を見つけました。私は今までは、自分の症状を話すことなんてほとんどありませんでしたが、「誰かと話す機会が必要だ」と感じて参加してみることに。
そこには様々な人が集まっていて、お互い当事者として様々な思いを抱いているということを知りました。
そこでは、みんなが私のことを初めて見る時と同じように、私も知らない症状の人に出会うのは初めて。「当事者と出会うって、普通の人からしたらこんな感覚なんだ」ということもわかりました。
そして、そこに集まるような人は比較的に前向きな人が多く、すでにメディアに出演して経験があったり、見た目問題に対して何かしら活動を行っている方もいました。私自身もそれを聞いて、「何か自分も活動できたらいいなあ」という気持ちが湧いてきたのです。
Instagramを通していろんな人と繋がりたい
大学生になった私は、あるとき決意して、自分の顔が映った写真をInstagramに投稿しはじめました。それはただ単に、啓蒙活動をしたかったから、だけではありません。
私は高校生までは部活中心の生活を送っていたのですが、大学生活も慣れてから、今まで部活をしていた時間で何かできるのではないかと考えました。その頃ちょうど友達と話していたら、「面白いことしたい、離島に行きたい」と意気投合したこともあり、夏に奄美大島と石垣島に旅行に行ったのです。
島では、優しく声をかけてくれる島民さんと出会ったり、今まで見たことのないくらい綺麗な夕日を見たりと、今までにない経験をたくさんしました。その旅行で初めて、ウェアラブルカメラ「GoPro」を使って写真を撮りました。
旅行で見た風景の写真を撮るのはとても楽しいもので、私は「もっと新しい経験をして写真に撮ろう!」といろいろな場所に出かけるようになりました。そして、やったことのないことに挑戦して、その様子や思いを写真とともに日記のようにInstagramに投稿するように。だんだんと見てくれる人が増えていき、嬉しい気持ちでいっぱいでした。
InstagramはGoProを持って世界一周をしている方もいて、その存在に私はとても刺激を受けました。
私ももっと広い世界を見たい、自分が本当にやりたいことをどんどん探してやりたい。もっといろいろな生き方をしている人たちとリアルで繋がりたい。
そんな思いが溢れていきました。
今の時代、当たり前のようにオンラインでの出会いがリアルな出会いに繋がります。でもそれができる一つの理由は、自分自身がオンラインで顔や活動などを公開しているから、信頼しやすいということが大きい。ただ、それまで私は、Instagramでの投稿写真は、ずっと顔を出していませんでした。
オンラインで顔を出して自分のアカウントを使えたら、もっと繋がりが広がる。そして、見てくれた人には自分の症状の説明もできるようになる。そう考えて、大学4年のとき、自分の写真をSNSに投稿することを決めたのです。
「さまざまな人がいること」をまずは理解してほしい
私がインターネットで写真を公開すると、予想を遥かに超える反響がありました。
「勇気をもらえた」 「励まされた」
そんなたくさんの嬉しいメッセージが来ました。
「あなたみたいな人を見たことはあったけど、そういうことだったのかと納得した」と症状を理解してくれる人もいれば、「どうしたら、あなたみたいになれますか」「自分の子供が同じ症状なのですがどうやって育てたらそのような考えになりますか」など、見た目の病気や障害のある当事者やそのご家族からの相談も。
また、連絡をしてくれたのは当事者だけではありませんでした。私から見たらとても美人だなぁと思う方や、見た目ではわからない症状を持つ方からの連絡もあったのです。
ああ、コンプレックスも悩みもみんな持ってる。むしろ、普通ってなんだろう?
そう考えさせられました。
逆に、誹謗や中傷のコメントも多く見かけました。「こういう症状があるのはわかっているけど、無理」という人を見て、そういう人もいるんだということもわかりました。
でも私は、そう思うことはいけないことではないと思います。私がメディアに出る目的は、「まずは理解してもらう」ということにあるからです。だから、理解していただいた後の行動までは、私がどうにかできることではないです。でも、もし私がメディアに出ることによって誰かに何かいいきっかけを作ることができるなら、出れる私が出よう、と思っています。
「自分が生きる世界をどう捉えるか」で人生が変わる
見た目のことで悩み、相談のメッセージを送ってくださる方に、私はいつも同じようなことを返しています。
もっと外に出て、いろんな人に会って話してみて。もっと、新しいことにも挑戦してみて、旅に出てみて。
別に、急に遠くに行かなくたっていいし、大きな挑戦をしなくたっていいんです。いつもと違う道を通ってみるとか、いつもは入ったことのない店に入ってみる、いつも話さない人と話してみる。そうやって、もっともっと自分の世界を広げてみてほしいんです。
私が今仲良くしている友達は、日本の各地に、中には海外にいる人もいます。みんな、どこか普通で、どこか変です。むしろ、私って普通だなと思うくらいで、普通がなんなのかよくわからなくなります。そして、もうなんでもいいやってなります(笑)。そして、私に対しても多分そういう感情を持たれています。
みんな変だから、お互いの個性を認める。むしろそれで良いと褒めてくれます。
きっと、自分が普通ではないんだと不幸に思ったり、人と比べて劣っていると感じるのって、数値などではっきり提示されない限り自分の中での思い込みだと思うのです。そして自分で不幸だと思い込んでしまうから、不幸に感じるんです。
とはいっても、私も「普通に生まれてたらどうだったんだろうな」なんてことも考えるし、見た目が不利になると思うこともあります。でも、どこかで私をうらやましく思ってくれる人もいて、憧れたり尊敬してくれる人もいる。逆にその人の何かを、うらやましく思う私もいます。
結局は、どう捉えて、どう生きるか。そのために、様々な考え方や価値観を知り、自分の世界を広げていくことが大事だと思っています。
隠しても隠さなくても、人それぞれの選択
様々なメディアに出てみたり、最近思うことは、私は生まれた時に特別な課題をもらって生まれたんだろうなぁということです。
単純性血管腫って、英語で”birth mark”っていうんです。だから、神様か、運命か、何かに特別な”しるし”をつけられて生まれたんだなと思っています。
そうなのだとしたら、単純性血管腫の人という特別扱いはされたくないとは思うものの、ときどきは、自分なりの答えを伝えていきたいと考えています。単純性血管腫という症状をせっかくもらったなら、うまく使って楽しんで生きていきたい。
これは旅で強く感じたことですが、日常でも同じで、人生で予想外だったり、理想と離れたことってたくさん起きるんです。その時に、それをどう捉えて、どう生きていくかが人生を楽しく生きるためには大切な要素だと思っています。
なので、私にとって単純性血管腫で生まれたという出来事がポジティブな要素になるか、ネガティブな要素になるかは私の考え方や行動次第だと思っていて。その答えが、私にとっては、「あえて前に、表に出て自分のことを伝える」ということでした。
こんなことを言うと、中には、治療したり、カバーメイクをしている私が弱い、悪みたいに感じると言う方もいます。でも、私はどちらでもいいと思うんです。隠すことがいけないことでもないし、治療することがいけないことでもない。
ただ、「隠さないといけない、消さないといけない」と思わせる理由が、本人ではなく周りの人からのものだとしたら、症状を知らない方には理解してもらいたいと思うし、もし受け入れられないとしても認めてもらいたいなと思うのです。
私は隠していないので、友人や家族が私といると「一緒に視線を浴びているのを気にしてないかな」なんて感じることもあります。でも周りの人は、当事者が隠して生きるか、治すか、堂々と出して生きるか、何を選んでも自然に接してほしい。その個性をいけないことだと思ってしまうような関わりではなく、その選択を受け入れてあげてほしいなと思います。
素直な気持ちに耳を傾けることが自分を好きになる一歩
私は、見た目にもこうして特徴があり、個性があらわれています。そして、考え方や生き方ももしかしたら、一般的な人とずれているんじゃないかなと思うこともあります。
でもいつも私は「そんな自分をいかに好きになれるか、そんな自分でいかに人生を楽しむか」を考えています。自分を好きになるには、自分に素直であり続けることが大切なんじゃないかなと思うし、楽しむためには、自分の理想に貪欲であろうと思っています。
なので、見た目だけじゃなくて、生き方も、個性を出して素直に、好きなように、堂々としていたい。普通がいいか、個性を全面に出して尖ってたほうがいいか、どっちが正解なのかはその人によります。なので、自分にとって心地いい生き方を、自分に素直になって選んでいけたらいいなと思います。
そうやって、自分が人と違うことを受け入れていけば、自然と人の違いも認められるようになるのではないでしょうか。
世界にはいろんな人がいる。
それを言葉で理解するのは簡単です。でも心からそれを理解し、お互いがお互いを、自分自身を認めあえたら、もっと優しくあたたかくて、面白い世界をみんなでつくれるはず。私はこれからそんな世界を、大切な人たちと一緒につくっていきたいです。
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(写真/川島彩水)