【写真】笑顔のおばたかずきさん

無理に学校に来ようとしなくたって、良いんだよ。

どうしてあのとき、そう言ってあげられなかったのだろう。

ぼくが中学生の頃、仲の良かった友人のひとりが、ある日を境に学校へ来られなくなってしまいました。彼が不登校になってしまった理由もわからず、ただ漠然と感じていたのは、「このままではいけない」ということ。このまま不登校を続けてしまったら、きっと不幸になる。わけもなくそう思ったぼくは、毎日のように彼に電話をかけ、「明日はおいでよ」「一緒に学校に行こう」と誘い続けました。

けれど、彼と一緒に卒業式を迎えることは叶いませんでした。

あのとき、ぼくが本当にすべきことは、彼の手を引っ張ることではなく、背中をさすってあげることだったのではないか。本当は「無理をしなくて良いんだよ」と言ってあげることだったのではないか。当時のことを思い出すと、いまだに胸が痛みます。

14万4031人――。これは小・中学校における「不登校児童」の生徒数(平成29年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果についてより)。いま、社会には、「学校に行けなくなっている子どもたち」がこんなにも存在しているのです。

そんな子どもたちのことを見て、かわいそう、大変そう、不幸…といったネガティブなイメージのラベリングをしてしまう人も少なくないのではないでしょうか。ぼく自身もそうでした。

けれど、本当にそうなのか。たとえ学校に行けなかったとしても、それに代わる“居場所”を見つけることができれば、その子たちの人生には違う可能性が生まれるはず。そのためにも、ぼくたち大人にできることとは…。

そんなぼくの疑問に答えをくれたのが、小幡和輝さんでした。

10年間、不登校児だった若き実業家

ぼく、10年間も不登校だったんです。

あっけらかんと打ち明けてくれた小幡さんは、和歌山県生まれの24歳。

NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder、内閣府地域活性化伝道師などさまざまな肩書を持っており、主に地方を盛り上げるための事業開発に携わっている若き実業家です。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるおばたかずきさん

23歳の頃、高野山で開催した「地方創生会議」では47都道府県すべてから参加者を集め、そのイベント名がTwitterのトレンド1位を獲得。昨年は、不登校を肯定するムーブメント「#不登校は不幸じゃない」を立ち上げ、ダボス会議が認定する世界の若手リーダーにも選出されました。また、自身の不登校体験を綴った著書『学校は行かなくてもいい』も出版しています。

実に華々しい経歴に彩られている小幡さん。彼がこうして活躍している現状を「恵まれていたから」「才能があったから」と見なす人もいるでしょう。正直、実際にお話しするまでは、ぼく自身も「小幡さんは特別なのではないか」と思っていました。けれど、約2時間に渡るインタビューを通して見えてきたのは、意外な姿でした。

小幡さんが「不登校」を選択した理由

幼少期の小幡さんは「周囲からの抑圧」に反発してばかりの子どもだったといいます。

幼稚園の砂場で遊んでいるときに、先生から「片付けなさい」って言われて、「やだ! ぼくはこれを作りたいんだ!」って反発したんですよ(笑)。いま思えば、嫌なこと・やりたくないことを頑張るのがすごく苦手だったんです。ご飯もそう。好き嫌いが結構多かったんですけど、「嫌いなものも食べなさい」と言われるのが、すごくつらくて。

【写真】笑顔でインタビューに答えるおばたかずきさん

当時、小幡さんの一番の楽しみだったのが、年上の従兄弟と遊ぶこと。自宅から徒歩圏内に住んでいたイトコとは、毎日のように遊んでいました。そして、その体験が自身の価値観の形成に結びついていったと振り返ります。

ぼくが小学2年生のときに従兄弟はすでに中学生だったんですけど、彼のつながりで中学生の友達がたくさんできたんです。その結果、小学校の同級生たちとは話が噛み合わなくなって。中学生の友達と一緒にマンガを読んでいたので、難しい漢字も覚えていきました。だけど、それが小学校の子たちには通じない。そこに少しずつギャップを感じはじめて、小学校自体がつまらなくなっていったんです。

そして、その感情は次第に「学校に行きたくない」というものへと変化していきました。

なんとなく学校が楽しくなくって、ちょっとずつ休みがちになってしまったんです。そして1回休むと、さらに行きづらくなってしまう。その繰り返しでした。それに幼稚園の頃からも感じていた、「みんなと同じことを無理矢理やらされる」という教育のあり方に対するネガティブな気持ちもあったと思います。

ぼくは泳げなかったので、何度も何度も練習するのが辛かったんです。だけど、できないものは仕方ない。それなのに、できない=ダメなやつという烙印が押されてしまって。そうすると、どこにも逃げ場がなくなるんですよ。そんなことが続いて、不登校を選択したのが小学2年生の終わり頃でした。

けれど、「学校に行きたくない」と表明する小幡さんを待ち受けていたのは、両親からの説得や叱責でした。

父が教師をしていたこともあって「学校に行きたくない」って言うと、よく喧嘩になりました。母も父の立場を考えて、『お父さん怒るから、行きなさい?』って。行きたくないのに、周りが行かせようとしているという状況は本当につらかったですね。だけど、あるとき、本気の喧嘩をしたんです。もうめちゃくちゃな喧嘩で(笑)。そうしたら、「そこまで嫌なんだったら、もう行かなくて良いよ」となったんですよ。

【写真】インタビューに答えるおばたかずきさん

不登校児を救った、ゲームというツール

学校に行かなくても良い。小幡さんにとって、念願が叶った瞬間でした。しかし、不登校を選んだ小幡さんを苦しめたのが、得体の知れない「劣等感」だったといいます。

不登校になった当初は、外に出づらくなってしまったんです。家がちょうど通学路のなかにあったので、朝と夕方に生徒たちが目の前を通るんですよ。だから、その時間帯はなるべく人に見られないようにしよう、と。振り返ってみると、「みんなは学校に行けているのに、自分にはそれができない」ということに対する劣等感を抱いていたんだと思います。

【写真】笑顔でインタビューに答えるおばたかずきさん

そんな小幡さんを救ってくれたのは、いつも一緒に遊んでいた従兄弟の存在でした。

同時期に従兄弟も学校に行かなくなったんです。それもあって、ふたりでひたすら遊ぶようになりました。

そして、当時の思い出として強く残っているのが、「ゲームに没頭した時間」です。

従兄弟と、たまに遊びに来る年上の友達とは、ずっとゲームで遊んでたんです。ポケモンとかドラクエとか戦国無双とか。しかも、ストーリーをクリアするのは当然で、その後いかにやり込むかにハマってました。ポケモンだったらモンスターを全部捕まえる。ドラクエだったら隠しボスを最短で撃破する。あの頃は時間がたくさんあったので、自分たちで勝手にルールを決めて、延々とゲームをしてたんです。

不登校でゲームばかりしている。そんな状況に眉をひそめる大人は少なくないでしょう。しかし、小幡さんはゲームから大切なことを学びました。

ゲームって、基本的に対等に戦えるツールなんです。ゲームの前では年齢差も体力差も関係ない。年上の従兄弟にゲームで勝ったことは何回もありますし、カードゲームの大会に出場したときなんて、大学生や大人のことも打ち負かしていましたから。その子が置かれている環境なんて関係なくて、ゲームが上手いか下手かだけ。こんなに対等で面白いツールはないんじゃないかって思います。そして、だからこそ、年代も性別も問わず、いろんな人とつながることができるんです。

そうした思いがあり、今年の5月には著書『ゲームは人生に役立つ。〜「ゲームに夢中」なわが子を見失わないためのアドバイス〜』も発売します。

ここで、小幡さんが「ちょっとゲームしませんか?」と誘ってくれました。インタビュー中でしたが、せっかくなので一緒にプレイすることに。

【写真】ゲームのコントローラーを持ってゲームをしている笑顔のおばたかずきさんとライターのいがらしだいさん

コントローラーを握り、ひとつの画面を見つめるぼくら。「ぼく、これ得意なんですよ!」「うわっ」「また負けた!」「もう一回だけ勝負しましょう!」…。気がつけば、没頭してしまい、「小幡さん、そろそろインタビューに戻りましょう」と声をかけると、小幡さんも「楽しかったですね」とニッコリ。

なんだろう、このワクワクした感じは。わずか20分あまりのプレイでしたが、ぼくも小幡さんも少年時代に還ったかのように夢中になってしまいました。そして、ここで小幡さんの言葉を反芻します。

ゲームの前では年齢差も体力差も関係ないんです。だからこそ、年代も性別も問わず、いろんな人とつながることができるんです。

確かに、年齢も育ってきた環境も、仕事の立ち位置も、なにもかもが違うぼくら。ですが、無邪気になれる時間を共有したことで、距離が一気に縮まったような気がします。

なるほど。小幡さんにとってのゲームは、ゲーム以上の意味を持っているんだ。小幡さんのことをより深く理解したぼくは、ここからさらにその半生へと迫っていきました。

フリースクールで出会ったかけがえのない仲間たち

小学3年生になる直前に不登校児になった小幡さん。仲良しの従兄弟とともにゲームに熱中し、孤独とは無縁の楽しい日々を過ごしていました。ところがある日、「フリースクール」に通うことを決めます。学校というコミュニティを嫌っていた小幡さんがフリースクールを選択した理由は、なんだったのでしょうか。

そんなに深い理由はなくて、従兄弟が行きはじめたからぼくもついていくようになったんです(笑)。でも、そこにいた子たちと仲良くなれたのは、やっぱりゲームのおかげ。さすがにコンピューターゲームは持ち込まなかったんですけど、みんなでカードゲームをしてました。そうしてひとり、またひとりと友達ができて、自然とそのまま通うようになったんです。

【写真】笑顔でインタビューに答えるおばたかずきさん

気軽な気持ちでフリースクールに通いはじめた小幡さん。ゲームを通じて友情を育み、いつしかそこが大切な居場所になっていました。

フリースクールって、「不登校児たちを学校に戻すこと」を目的にしているところも多いんですが、ぼくが通っていたところではそれを強制することはなくて、「戻りたいなら戻っても良いよ」という温度感でした。戻りたい意思を持っている子のことはサポートしてくれるんですけど、決して「学校に行きなさい」とは言わないんです。その強制をしないという姿勢は、すごく居心地の良いものでした。

それに、そこに通っている子たちはやさしかった。みんな学校で嫌なことを経験したり、つまずいたりしてフリースクールに通うことになったわけだから、芯の部分でつながっているというか、同じ痛みを共有している感じがあったんです。だから、フリースクール内ではいじめも起きませんし。いまだに仲が良くて、時々会ってます。

“同じ痛み”を分かち合える友達との出会い。小学校にはうまく馴染めなかった小幡さんも、フリースクールに通うことで友情という財産を築いていきました。

そして、フリースクールの子たちは絆が強いので、誰かひとりが頑張りだすと触発されるんです。「仲良しのあいつが頑張ってるなら、自分もやってみよう」と。

仲間たちに触発された小幡さんの人生に生まれたのは、「高校進学」という選択肢でした。

先輩たちが何人か通っていて楽しそうだったこともあり、自発的に高校進学を決めました。彼らの姿を見ていて不安に感じることもなかったですし、自然と行ってみたいなと思ったんです。

その後、小幡さんは夜間高校に通いながら、アルバイトにも精を出します。学校に苦手意識を持っていた小幡さんが、学校生活とアルバイトを両立させるのは相当苦労があったのでは…と思いきや、その答えは予想を裏切るものでした。

高校はとにかく楽しかったんです。実は1回も休んでいなくて、皆勤賞をとったくらい。正直、最初は厳しいかもしれないと思いました。なにせ、小学校・中学校の勉強をほとんどしていない状態ですからね。勉強についていけなくて、そのうち嫌になるだろうって思ってたんです。

でも、夜間高校ってこともあって、比較的簡単な内容からスタートしたのでついていくこともできたし、そうなるとどんどん楽しくなるんですよ。途中からは学校生活をゲームに見立てて、ハイスコアをとるために頑張る、みたいな生活を送っていたんです。アルバイトもそう。スーパーの惣菜コーナーで調理を担当していたんですけど、いかに効率よく、早くキレイに作れるかを目指してました。中華鍋をふたつ置いて、同時に野菜を炒めてって。

【写真】笑顔でインタビューに答えるおばたかずきさん

学校生活やアルバイトをゲームに見立て、目の前の課題をクリアしていく。小幡さんはいつしかそんな日々に夢中になっていきました。

人生をゲームに見立てるという感覚でいうと、当時は「自分がレベルアップすること」にも夢中になっていました。なにがそれに該当するかというと、「資格取得」です。学校とアルバイトの合間に資格の勉強をして、ひとつ合格するたびに1レベルアップする感覚(笑)。そうやって高校時代には、簿記、ビジネス検定、フードコーディネーター、暗算や電卓の資格を取りました。

高校2年生で起業家に転身

忙しい日々を大好きなゲームと捉えることで、飛躍的にレベルアップしていった小幡さん。そんな毎日のなかに、またしても転機が訪れます。

それは高校2年生の頃の出来事でした。

ある日、学校に「NHKの局内見学ツアー」の案内が届いたんです。「戦国無双」とか歴史系のゲームをプレイしていた影響で大河ドラマも好きだったし、なんとなく面白そうで参加してみたんです。すると、会場の隣の席に、バンドを組んでいる子が座っていて。その子は自分で音楽イベントを主催しているような子で、いろいろ話をしていたら、「今度イベントやるから、スタッフとして参加しない?」って誘われたんです。

その出会いを機に、小幡さんはライブを企画するイベントチームに所属することになりました。約1年間を通しさまざまなイベント制作に携わるなかで、自身のなかに芽生えてきたのは、「自分でもイベントをやってみたい」という情熱。

そこで主催したのが、学生が主人公となり、地元・和歌山を盛り上げることを目的とした、「和歌山県の魅力を高校生に見つけてもらうワークショップ」でした。高校生が主催するということで注目もされ、市からは補助金を得ることもできたそう。

とはいえ、最初からうまくいったわけではありません。イベント参加者がたった数人だけ、という苦い経験もしました。イベントの運営自体は楽しいものの、利益が出ないどころか費用が持ち出しになってしまうこともしばしば。

やがて小幡さんは、「本気で続けていくには、お金を稼ぐ必要がある」という現実を強く意識するようになっていきました。

【写真】微笑んでインタビューに答えるおばたかずきさんとライターのいがらしだいさん

だから、高校3年生で思い切って起業することを決意したんです。お金を稼ぎながら事業を続けていくためには、法人化した方がよいですよね。社会からの信用にもつながりますし。

けれど、もちろん、当初は両親からの反対にあいます。

「いやいや、無理だよ」って言われました。でも、その反応は想定内だったので、数日後に資料を作ってプレゼンしたんです。そしたら、しぶしぶOKしてくれて(笑)

起業するにあたって、両親からの援助は一切もらわなかったそう。アルバイトで貯めていたお金を元に、イチからの挑戦がはじまりました。

でも、やはり最初は全然お金にならなくて、つらかったです。自分で起業してお金を稼ぐのって、こんなに大変なのか…と落ち込みました。それからどうすればお金になるんだろうって頭をひねって。そのときはイベントを開催することしか考えになかったので、それでお金を稼ぐためには参加チケットを高めにしなきゃいけない、大勢の人を集めなきゃいけないってことばかりグルグルしていて…。そこで行き着いたのが、みんながお金を払ってでも見に来たくなる有名人を呼ぶことだったんです。

その結果、小幡さんの脳裏に浮かんだのが、ホリエモンこと堀江貴文さんを呼ぶこと。

すぐに堀江さんにメッセージを送ったんです。「著書を500冊買い取るので、ぜひ来ていただけませんか?」って。そしたら、翌日、マネージャーさんからお電話をいただいて、「ぜひ、やりましょう」と。

【写真】笑顔でインタビューに答えるおばたかずきさん

堀江貴文さんを呼んだイベントは大成功。チケットは完売、会場には500人の観客が押し寄せ、小幡さんの手元にも利益が残りました。

そして、これが小幡さんの「成功体験」になったのです。

堀江さんとのイベントを成功させてから、応援してくれる人が一気に増えたんです。それまでは、「高校生の起業なんて、どうせ遊び半分でしょ」って見ていた人がほとんどだと思います。でも、なにかひとつ大きなことをやり遂げることで、こんなに景色は変わるんだ、と思いました。そこからさまざまな相談がくるようになりました。

「なんで行きたくないの?」と追い詰めないでほしい

小学生の頃に不登校になってしまった。それだけで小幡さんの人生は、「道を外れてしまった」という色眼鏡で見られてしまいがちです。けれど、お話を聞いていると、その認識が大きく間違っていることに気付かされます。

小幡さんは道を外れてしまったわけではなく、人とは異なる道のりを歩んできただけ。学校に通っている子が歩む道も、小幡さんのように不登校になってしまった子が歩む道も、その道のりが異なるだけで、どちらが良い・悪いの秤にかけることはできないのです。

不登校になったら学校に戻さなきゃいけない、と思いがちな人は多いですけど、決して悪いことなんかじゃないと思うんです。いま、不登校の数は増えてきていますけど、それは「不登校でも良いや」っていう価値観が広がってきたからだと思っていて。2016年の末くらいに文部科学省が「不登校は問題行動ではない」という指針を発表したことも関係していると思うんですけど、ちょっとずつ世間での捉え方も変わってきていると感じています。

けれど、小幡さんは不登校に関するメディアでの報道に疑問を抱いています。

よく「自殺するくらいなら学校に行かなくても良い」って報道されますよね?でも、それってめちゃくちゃ重たい言葉ですし、学校に行くことっていうのは死と比較されるくらい重要なことなんだと捉える子も出てきてしまうと思うんです。そうじゃなくて、「行きたくないなら行かなくても良い」「無理に行かなくても良い」っていう言い方で、もっとカジュアルに「行かない」という選択肢を提示してあげた方が、子どもたちの気持ちとしても楽なんじゃないかなって。

【写真】インタビューに答えるおばたかずきさん

小幡さんが求めているのは、学校に行かないという選択が、もっと気軽にできる世の中。そして、その先も見据えています。

「別に行っても行かなくても良いよ」と言うだけではなく、「行かないんだったら、こうした方が良いよね」と、不登校の先の道案内もしたいんです。極論を言えば、不登校になったとしても、将来稼ぐことができれば誰も文句は言わないと思うんですよね。たとえば、学校に行かない時間を使って、中学生のフリーランス講座を開いてあげれば、それだけで将来が拓ける可能性が高まります。ライティングでもデザインでもなんでも良いんですけど、不登校時代に技能を身につけてさえいれば、労働市場に出たときの市場価値もあがりますよね。だからぼくは、不登校を選んだ子たちが、社会で生きていく術を身につけるための環境を整えていきたいんです。

ただし、これはあくまでも不登校になってしまってからの話。小幡さん自身もそうでしたが、学校に行けない子どもたちにとって、なによりもつらいのが「不登校になる直前」。だからこそ小幡さんは、その親御さんに対し、「SOSを見逃さないでほしい」といいます。

親御さんたちは、子どもが不登校になると、ネットで検索したり本を読んだりして不登校について勉強しはじめるんですけど、それでは遅いんです。一番つらいのは、学校に行きたくないんだけど行かなきゃいけないと迷っているとき。そういうときのサインを見逃してしまうと、子どもとの間に溝ができてしまいます。たとえば、学校でいじめられている子が、「行きたくない」とSOSを出しているのに、それに気付かず、「休んじゃダメ、行きなさい」と言ってしまったら、その子はどこにも居場所がなくなってしまう。それは本当につらいことです。

【写真】質問に丁寧に答えるおばたかずきさん

そういったサインを見逃さないためにも、大人にはなにができるのか。それはやはり、丁寧な対話と、親御さん自身が学校以外の選択肢を持っておくことに尽きると話します。

「なんで行きたくないの?」という訊き方はしないでもらいたいんです。「なんで?」と言われてしまうと、子どもたちはその理由を無理矢理にも解決させられると思って、怯んでしまう。そうではなくて、「無理に行かなくても良いけれど、なにが起きたのか教えて」というスタンスで、信頼関係の元に成り立つ対話をすることが大切。そのためにも、親御さん自身が学校以外の場所、生き方があることを知っておくべきだと思います。

不登校は楽じゃないけど、不幸でもない

そして、最後にいま、不登校で悩んでいる当事者に向けて、小幡さんはやさしく言葉を紡ぎます。

たとえ、学校に行くことをやめたとしても、友達とのつながりは大切にしてください。オンライン上でも良いけれど、できればリアルで会える友達とのつながりを。ぼくにとってのゲームみたいに、好きなこと・夢中になれることというのは、身近な友達に教えてもらうことの方が多いんです。そして、それが後々、自分を助けてくれます。

また、そうやって見つけたことが「役に立たないこと」だと切り捨てないでほしい。ゲームなんてまさに役に立たないって言われがちなコンテンツですけど、世の中は基本的に役に立たないことだらけです。重要なのは、それを通してさらに人とつながること。ゲーム、野球、イラスト、プログラミング…なんだって構いません。面白いと思えるものを見つけたら、それを介して輪が広がっていきます。すると、さらに他の好きなことが見つかるかもしれない。そして、好きなものが増えれば増えるほど、可能性も高まっていくんです。

これは、自身の体験から導き出された答え。さらに、小幡さんは続けます。

そして、いろいろお話ししましたけど、不登校は楽な道じゃないってことは伝えておきたいです。楽な道じゃないんだけど、だからといって不幸な道でもない。それだけは理解してもらいたいですね。

【写真】笑顔で立っているおばたかずきさんとライターのいがらしだいさん

小幡さんは、とても自分の気持ちに真っ直ぐで、素直な人でした。だからこそ、ときに自分の意思を偽ることができず、周囲からの抑圧に苦しみ、学校というコミュニティに馴染めなかった。けれど、その姿は決して不幸なものではありません。その目線の先には「未来」が映っています。

そんな小幡さんと話をしていて、ぼくは何度も何度も、不登校になってしまった友人のことを思い出していました。小幡さんにとっての「従兄弟と遊ぶ時間」や「フリースクールの仲間たちと過ごす空間」のように、ぼくも彼に居場所を作ってあげることができたら…。いま思い出しても後悔することばかりです。

けれど、そんな想いを口にしたぼくに、小幡さんはこう言いました。

自分のことを気にかけてくれる人がいる。それだけでも彼にとっては救いだったはずですよ。

大切なのは、側に寄り添い、未来を一緒に考えてくれる人の存在。そして、無数の可能性を見つけ出せる、学校に代わるような居場所があること。

これから先、もしも目の前に「学校に行きたくない」という子が現れたら、ぼくはこう声をかけてあげたい。

「無理に行かなくたって大丈夫。一緒に、違う道を考えようか」

関連情報:小幡和輝 Official Blog

(写真/川島彩水、協力/徳瑠里香)