この夏、私の実家に行ったときのことです。
いつもは狭い賃貸アパートで戦いごっこをしている子どもたちが、広い一軒家でバタバタと走り回っていました。
しばらくして静かになったなと思っていると、4歳の長男がやってきて「あのおばあちゃん、ちょっとこわい」と、小さな声で私に言いました。
私の祖母が「ドアをバタバタしてるのは誰だ〜!」と声をあげたことに、びっくりしてしまったようです。
私たちは東京に暮らす核家族なので、親以外の大人から叱られることに子どもは慣れていません。以前なら「家の中なんだし、そんなに怒らなくてもいいのに!」と祖母に言い返していたかもしれません。でも今回は、仲裁せずに見守ることにしました。
「日常の中で、他の世代の人と関わる機会が少ないから、接し方がわからないのかもしれない」そんな風に、私の考え方に変化があったからです。
それは、夏休みに入る前、「いしいさん家」という場所に“お邪魔”していたことがきっかけになっています。
千葉県習志野市にあるいしいさん家は、2006年に開所した宅老所・デイサービス。宅老所とは、介護が必要な高齢者に向けて、主にデイサービスを提供する小規模な介護事務所のこと。ここでは、介護サービスに関する手続き代行を行う、居宅介護支援事務所も併設しています。
私はデイサービスというと、高齢者が日帰りで通って介護を受けるイメージを持っていましたが、いしいさん家では若年性認知症や高次脳機能障害のある人たちが“仕事”ができる仕組みがあったり、お泊まりができたり、訪問看護、さらに、認可外保育や障害児の日中一時支援など、子どもと親のための事業も展開しています。
高齢者だけでなく、子どもや外国人も集まるいしいさん家は、世代を超えた交流や地域のつながりが薄れていると言われる時代に、“多様な人とのつながりをもてる場”を実践しているのです。
利用者もスタッフも、みんなで助け合いながら生活する場所
私たちがいしいさん家を訪れたのは、7月某日。開けっ放しになっているドアを覗くと、アンパンマンのテーマソングが流れています。中にいる男性は、どうやら子守りをしながら事務作業をしているよう。
あ〜はいはいっ、取材の人ね!
声をかけてみるとそう言って、1歳くらいの男の子を肩車しながら案内してくれました。
この方が、いしいさん家代表の石井英寿さん。男の子は石井さんのお子さんなのかと思っていると……
ちょうどスタッフの子どもを子守りしてたの。ここではみんな助け合いながら生活しているから。
普段、ほぼワンオペで二人の子どもを育てている私は、親だけでなくみんなで子育てしているのか!とその光景だけで感激してしまいました。
2階へ上がると、ちょっと広めの一般的な家の間取り。介護施設というと、広いスペースにテーブルやイスが均一に並んでいるような場所を想像していたので、ここなら自宅のような感覚で過ごせるかもしれないな、と思いました。
居間のような場所に、いろんな世代の人たちが集まっています。
おばあさんがお茶をこぼすと、他のおばあさんがササっとやってきて、床を拭いていました。床を拭いたおばあさんはスタッフではなく、なんと利用者の方。ここでは、スタッフも利用者も垣根がなく、「困ったときはお互い様」を合言葉に助け合っているそうです。
石井さんは、どのような思いがあって、多様な人とのつながりをもてる場として、いしいさん家をつくったのでしょうか。奥にある茶の間で、石井さんにお話を聞かせてもらえることになりました。
効率を重視しない理想の介護との出会い
もともとおばあちゃんっ子だったという石井さんが、介護の仕事をしようと考えたのは、ごく自然な流れだったといいます。
決め手になったのは、高校時代。所属していたラグビー部の監督に紹介されて、介護施設へボランティアに行ったときのこと。
そこで目の見えないおばあちゃんと過ごしていたんですが、お別れするときに笑ってくれたんです。そのときに「ずっきゅん!」ときちゃった。
大学卒業後、ソーシャルワーカーとして精神科の病院に就職したのち、介護老人保健施設へ。介護福祉士として、念願だった、おじいちゃん、おばあちゃんと関われる仕事ができるようになり嬉しかったといいます。
しかしながら、8年働くなかで次第に膨らんでいった違和感を無視できなくなっていきました。
施設にいると、入浴・食事・排泄と、決められた時間割があるんです。でも、これまで80年も90年も生きてきた人たちにはそれぞれ、自分なりの生活リズムがあったはず。そういう、長年続けてきた生活の自由を奪ってしまうのが嫌だなって。
違和感を抱えつつも、石井さんは持ち前の明るさを武器に、おじいちゃん、おばあちゃんを常に笑わせようとしてきました。朝食に海苔が出たら、歯に貼り付けておどけてみたりして。効率を重視する上司には、「そんなことをしている場合じゃない、無駄なことばかりして」とよく叱られたそうです。
そんな中、職場で初めて介護についての価値観が似ている人と出会います。“効率を重視しない介護”を目指すその人は、後に妻となる香子さんでした。
香子さんに教えられた、理学療法士で「生活とリハビリ研究所」を主宰する三好春樹さん監修の書籍『あなたが始めるデイサービス 実践編』との出会いは、石井さんにとって大きな転機になりました。
書籍に出てきた千葉県松戸市の「ひぐらしのいえ」の事例を読み、初めて宅老所の存在を知ったのです。そして、これまでの仕事を夜勤だけにして、ひぐらしのいえでアルバイトをはじめます。
ひぐらしのいえには日課がなくて、みんな好きなことをやっていました。認知症のあるおばあちゃんがお芝居していたりね。とても生き生きして、輝いて見えたんです。
あとはみんな役割を持っていました。今までやってきた習い事や料理をしたり、子どもをあやしたり、外に出て掃除したり。自分が理想としていた介護はこれだ!って確信しました。
ずっと胸にあった違和感の正体に気づき、自身が求めていた介護に出会った石井さんは、自らの理想を体現するべく、宅老所を立ち上げようと動き出します。
介護施設の上司に「独立する」って話したら、「そんな理想論みたいな介護ができるわけない」って笑われたんですけどね。それでも独立しない自分を想像したら、おじいちゃんになったとき後悔している姿しか浮かばなくて。
こうして石井さんは、2006年にいしいさん家をスタートさせました。
最初の利用者は石井さんの実のおばあちゃんで、今も健在。103歳のご長寿です。
おばあちゃんがいる部屋に案内してくれた石井さんは、「妹が会いにきたよ〜」と適当なことを言って笑います。100歳を超える高齢の方と接するのが初めてだった私は、どう話したらいいのかわかりませんでした。
自分の行動は、自分が思っているよりも外からの情報に左右されているのかもしれないな、と感じます。例えば、子育てするなかで「こういう母親はだめ」「こうするとよい」という情報は、インターネットを通してマニュアルのように刷り込まれていました。だから何かがあったとしても、「この場合はこうしたらいいんだ」と思い出す材料があります。
でも、高齢者との接し方については、情報を目にする機会はありません。私の中にマニュアルがなく、しかも普段は関わる機会がなかったため、戸惑ってしまったのだろうと思います。
それでも私はあの場で、石井さんの冗談につられて自然と笑ってしまいました。私も話を合わせるようにして「こんにちは〜」と挨拶し、おばあちゃんの手をとりました。石井さんはあのとき、「身構えなくてもいいんだよ」と態度で教えてくれたような気がします。
生産性で線引きしない、いろんな人が集まる場所をつくりたかった
もともとは、おばあちゃんが好きではじめた、介護の仕事。でも、いしいさん家には、高齢者だけでなく、外国人や、お子さんと一緒に出勤する人、うつ病やひきこもり経験のある人など、多様な人たちが集まります。
子連れ出勤ができるデイサービスがあれば、子どもがいるママさんたちも働けるでしょう。母子家庭のママさんや、特別支援学校を出た子、就職がうまくいかなかった子。色んな生きづらさを抱えてる人たちの居場所をつくりたかったんです。
石井さんが生きづらさとともにある人たちの居場所をつくろうとした、根源にあるものは何だったのでしょうか。
少し考えてから、「排除されがちな世の中ですよね」と、話しはじめました。
生産性を上げて、効率的に「一億総活躍社会」を目指しましょうっていう声も聞くけど。その一方で、「生産性がない」「効率的でない」と言われてしまう人たちは置いてきぼりにされている。
あるおばあちゃんは側頭型の認知症があるんですけど、感情が抑制できないの。作業の邪魔をしたり、物を投げたり、人をつねったりするから、他の施設では受け入れてもらえなかったんです。
施設を運営するうえでの効率を考えると、いわゆる問題行動のある方を受け入れるのが難しいことは理解できます。でも、生産性や効率を重視するがゆえに置いてきぼりにされてしまう人や、施設に預けることが難しく家族の介護のために仕事をやめなくてはいけない人が出てしまう。石井さんは、「社会から排除される人が一人でも減るよう、なんとかして手助けしたい」のだといいます。
創立以来、いしいさん家の事業は、デイサービスから認可外保育、駄菓子屋まで、どんどん広がっています。それは、けっして規模の拡大を目指しているからではなく、目の前にいしいさん家を必要とする人がいるから。
例えば、第二のデイサービス「みもみのいしいさん家」は、若年性認知症がある50、60代の方のためにつくりました。若年性認知症のある人を受け入れる施設が多くないためです。
ここは、介護保険を受けている人への日帰り介護サービスも提供していますが、若年性認知症や高次脳機能障害のある人が、“仕事”という取り組みで通うことができる場所です。石井さんがつくったオリジナルの作業着を着て、駅の掃除をしに行ったり、保育園に出向いて草むしりや窓拭きなどの作業を手伝ったり。いしいさん家では、通所する人がそれぞれ、自分たちにできることを見つけて取り組んでいます。
認知症があるけれど、体はまだまだ若くて元気な人たち。これまでの生活を急激に変えずに働けるような環境にしたかったんです。感謝の言葉をかけられると、「人の役に立っているんだ」「まだまだ仕事ができるんだ」という自信や生きがいにもつながるから。
認可外保育がはじまったのも、「子連れ出勤してるスタッフがいることだし、待機児童問題を少しでも解消させるために地域の子を預かってみんなで見たらいいんじゃないか」という考えから。その中に障害がある子がいたので、親子の居場所をつくりたいと、障害児の日中一時支援事業も開始しました。他にも、「おじいちゃんおばあちゃんと、地域の子どもたちが触れ合える機会をつくりたかったから」と、2年前から1階の表通りに駄菓子屋さんをオープン。
子ども達からしたら、駄菓子を買うことだって小さな経済の勉強になったりするしね。そうやってるうちに、事業が増えちゃって(笑)。
石井さんは、さまざまな境遇の人たちと出会うなかで、「その人たちにとってどんな機会があるとよいのか」を常に考えているのだと感じます。目の前の人のためにできることをやっていくうちに、新しい事業や取り組みがどんどん生み出されてきたのでしょう。
世代間の断絶が進む社会の中で、多世代とのつながりを
いろんな人が集まり、互いに触れ合う機会があるのは素敵なことだと思います。でも、同時に、感覚の違う人たちが集まるからこそ、価値観が合わないことや、すれ違ってしまうことも多いのではないでしょうか。
「多様な人が集まる中で、ぶつかり合うことはないんですか?」
私が感じた疑問をぶつけてみると、石井さんは、笑いながら答えます。
ははは。ここの人たちはなりふり構わないから、気に入らないことがあると怒鳴りまくる(笑)。でも、子どもなんかは「そういう人もいるんだな」って、だんだん慣れてくるんですよね。僕は、間に入ったり引き離したりするのではなく、子どもの経験を大事にしたいと思っています。おじいちゃんおばあちゃんも、みんなで育てていこうっていう感覚があるから、危ないことをしていたら注意してくれたりもするしね。
思い返せば、私が子どもの頃にも、一緒に住んでいたばあちゃんは口うるさい存在で、よくぶつかり合っていました。家庭のなかに両親だけじゃない大人がいたから、いろんな意見、いろんな育てられ方があって、子どもなりに折り合いをつけてきたように思います。叱られない方法を探ったり、こういう話をしたら喜んでくれるんだと学んだりもしました。
大人になってからは、人と人との衝突をできるだけ避けようとしてきましたが、ぶつかってみることで得る学びがあったことを忘れていたように思います。
人は歳をとると、よぼよぼになっていったり、耳が遠くなったりする。その姿を見たら、子どもは勝手に「思いきりぶつかったら危ないな」とか、「大きな声で話さなくちゃな」って学ぶことができますよね。
そうやって生活の中で自然に学べていたことが、今のように世代で分けられてしまう仕組みの中では学びにくいのかもしれない。学校の道徳の授業で「思いやり」について勉強しても、実際にお年寄りと触れ合うことはないから。
核家族化が進んだ現代は、家族だけで子育てや介護が担えないこともあり、子どもは保育園、障害者は障害者施設、高齢者は介護施設と、属性で毎日長く過ごす場所が分けられてしまいがち。だからこそ石井さんは、本来の家族の枠を超えた多様な人が交わる場所をつくりたかったのです。
習い事をするのもいいけど、お年寄りと関わることって大きな学びになるから、できることなら、もっと地域のお母さんたちが子連れで集まる場所になってほしいんですよね。
いろんな人と接する機会があると、子どもは人の輪にすっと入っていけるようになったり、認知症のある人に対しても偏見を持たなかったりすると、石井さんは言います。
子どもと高齢者には共通点もあるんです。認知症状の深い人たちは、今、この地点を生きている。それってなんかすごく素敵な世界だなって。子どももそうじゃないですか。例えば公園で遊んでいて、「夕飯だから帰るよ」って言っても、「まだ遊びたい〜!」って叫んでる。子どもたちと、おじいちゃんおばあちゃんは、時間の感覚が一緒なんですよね。
いしいさん家は「家族」。
年齢や出身地はもちろん、境遇もそれぞれ異なる、利用者やスタッフのみなさん。それでも、いしいさん家を言葉で表現するとしたら?と聞いてみると、みんな口を揃えて「家族」と言うのです。
戦後すぐに生まれた利用者の江木さんは、中国出身で現在70歳。とても穏やかな笑顔で、いしいさん家について話してくれました。
江木さん:ここにくるときは「ただいま」って言ってしまう。おかしい友達を沢山を連れて来るんだけど、ここに来ると馴染んじゃって、そのおかしさは消えるんだよね。
取材中にも人の出入りは多かったのですが、その度に「ただいま」「おかえり」という声が飛び交っていました。日中だけとはいえ、一日の大部分を過ごす場所。自分の家のようにリラックスしているから、いしいさん家に来ると「ただいま」という言葉が出るのかもしれません。
テキパキと動いている様子が印象的だった、スタッフのRAMTA CONDEさんは、ギニア出身。子連れで出勤しています。
CONDEさん:石井さんは、親になったとき「子ども優先でいいんだよ。おじいちゃんおばあちゃんのことは見てるだけでいいからね」って言ってくれました。おばあちゃんも、みんな抱っこしてくれる。仕事に来ているというより、家族といる感じ。
ライフステージの変化で、これまで通りの仕事ができなくなってしまう人がいます。でも、いしいさん家では、その人の変化にも柔軟に対応し、受け入れる姿勢がある。働く人にとって、これほど心強いことはないでしょう。
開設当初から20年近くいしいさん家で働いているスタッフの後藤さんは、過去に自身のお母さんが入所していた時期があったそう。看取りもここでしました。
後藤さん:慣れた場所で最期を迎えられた母は幸せだったと思います。一緒に看取ってくれたいしいさん家は、やっぱり「家族」ですね。
後藤さんは、ここにいると口癖が明るくなる、と話します。いしいさん家に来ると、落ち込んでいても元気になってくるというのです。
スタッフの中には、うつ病のあった人や、ひきこもり経験のある人、特別支援学校を出ている人も。うつ病を経験し、「当初は、ここにいるだけだった」と話すA子さんは、いしいさん家にきて6年が経つ今、有償ボランティアとして働いています。
25歳で出産しましたが、子どもが1歳になった時に夫が浮気し、モラハラもありました。そのことで吐き気・幻覚幻聴・目眩などの症状が起き、うつ病にかかったんです。
以前の私は、うつ病に対して偏見があったように思います。自分がかかってみて初めて、働きたいのに働けないことの辛さがわかりました。
ここでは役割にかかわらず、みんなが助けてくれます。元の自分に戻りたいと思っていたけれど、人の痛みがわかるようになった今の自分を大切にしていきたい。そのままの私を家族以上に受け入れてくれた、いしいさん家に恩返ししていきたいです。
いろんな人が、いろんな事情を抱えながら生活している場所。それを受け止めて「お互い様」と尊重しあえる空気があるから、ここに来た人たちは、自分も相手のことも大切にしようと感じられるようになっていくのかもしれません。
高齢者の最後の仕事は、体を教科書にして「老い」を教えること
私もいつかは、介護する側、される側になるかもしれません。でも、家庭の中での介護は、どうしても孤独なイメージが付きまといます。子育てでも、言葉を喋れない赤ちゃんと二人きりになって孤独を感じたけれど、その先には「成長」がありました。そうではなく、間近でどんどん体が弱っていく「老い」を見つめていくことを想像すると、どうしても不安を感じてしまうのです。
そんな気持ちを話すと、石井さんはこうアドバイスしてくれました。
子育ても介護も、一人で抱え込まずに、周りに「助けて」って頼ることが大事。もっと「お互い様」っていう感覚が、社会に広がっていけばいいと思ってるんだけどね。
石井さんは介護と真剣に向き合いながらも、いつも笑顔。利用者のおばあちゃんに物を投げられたり、叩かれたりする場面にも遭遇しましたが、石井さんは「あら、元気だね〜!」と笑い飛ばしていました。
基本的に泣いても笑ってもいいんだけど。こうやって叩かれたりするのも、老いてく過程での人間の変化であって、病気ではない。治療の対象でもないから、悲観的になってもしょうがないのかなって思ってます。人は笑える唯一の動物だっていうし、せっかくなら笑っていたいよね。
治療して治るわけでないということは、つまり、その先に待ち受けているのは「死」です。慣れ親しんだ人たちの「老い」と向き合うことは、辛くないのでしょうか。
必要以上に死をこわがることはない。人はそもそも老いていくし、死ぬものなんですよ。ここのおじいちゃん、おばあちゃんだけじゃなくて、自分だってそう。
昔は大家族で暮らしていたから、生活の中に「老い」や「死」もあったけど、今は触れる機会がないですよね。病院で亡くなったご遺体はひっそりと裏から出されるけれど、それって死を遠ざけすぎていると思うんです。
そこに疑問を感じた石井さんは、看取りまで対応したいと、自宅への訪問看護やいしいさん家で宿泊できる自主事業も行っています。
利用者さんを看取って冷たくなったあと、家族と一緒にお風呂に入れるのが、“最後の介助”。このとき、家族の中に子どもがいたら、子どもたちも「死」に触れることになります。
「冷たくなっちゃったね」「そうだよ、お星様になったんだよ」って言いながら、亡くなった方の体を拭いてあげる。そうすると、小さい子なりに“死”を理解するんですよね。
お年寄りは社会でまっ先に「生産性がない」とされてしまう人たち。でも、その存在によって老いや死を感じてもらうことで、下の世代の人たちに命の大切さを引き継いでいるんだから、それだけで十分なんですよ。
おじいちゃんおばあちゃんの最後の役割は、「人は老いていくんだ」ということを、自身の体を教科書にして教えることなんじゃないでしょうか。
「老い」や「死」を子どもたちはどう受け取るだろう
石井さんのおばあちゃんの手をとったとき、「ああ、こんなに細くて軽くなるんだ」と思いました。今は高齢者と暮らしていないので、「老い」が身近ではなくなり、触れたときに驚いてしまったのです。
実家に帰ったとき、87歳のひいおばあちゃんとどう接したらいいかわからなかった長男も同じだと思います。身近にいないタイプの人と接するときは、こわばってしまう。それでも長男も、祖母に少しずつ慣れていく様子が見て取れました。仲良しとまではいきませんが、今は近すぎず、遠すぎずの距離感でいいのかもしれません。
これまでは子どもが叱られるのを見ると、引き離そうとしていました。でも、それは子どもが肌で感じる体験を奪うことでもある。これからは、まずは見守ってみようと思っています。
いろんな人の考え方や、思いがあることに触れながら成長し、「老い」や「死」を受け取っていってほしいから。
多様な人が集まるいしいさん家は、それぞれの立場や境遇なんて関係なく、みんながお互いに許し合い、支え合っていました。人間らしく生きて、人間らしく死ぬ。そんな当たり前のようで難しいことが、いしいさん家では営まれていたのです。
子育てや介護に対する不安を一人で抱え込まずに、「お互い様」と助け合える社会を築くためには、他の世代やいろんな境遇の人を知り、触れてみることが第一歩なのかもしれません。いしいさん家のような、多様な人と触れ合える場所や取り組みが広がり、誰かの居場所になってくれることを願います。
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写真/加藤甫、編集/徳瑠里香、協力/杉田真理奈