【写真】誰もいないぎんもくせいのリビング。木製の家具が並んでおり、温かな空気が漂っている。

私には92歳で亡くなった、認知症の祖母がいました。

祖母はうちにやってくると決まって、丸まった背中をさらに小さく丸めて、リビングに敷かれている絨毯の端から出た無数の紐を、一本ずつきれいに指ですいていました。

当時の私は、なぜ祖母がそんなことをしているのか見当がつきませんでした。認知症だからそうした行動を繰り返しているのだと思っていたのです。

“ピンピンコロリ”という言葉が広まり、「元気なうちに死にたい」と理想の晩年を語る人たちが増えています。なかでも、「認知症になりたくない」「子どもたちには迷惑をかけずに死にたい」という年輩の人たちの思いは切実です。

けれど、人の晩年とは、本当にそれらのネガティブな言葉に集約されてしまうものなのでしょうか?

私たちは今回、サポートを受けて暮らす年輩の人たちが、やりがいを持って最期まで「生ききる」場所があると聞きそこを訪れました。その場所の名は、サービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」。

銀木犀には、私たちがいずれ迎える未来を前向きに捉えることのできる「高齢者の姿」がありました。

高齢者施設に「駄菓子屋」!? 一日200人以上が遊びにくる銀木犀

【写真】閑静な住宅街の中にあるぎんもくせい。玄関には木々がたくさん植えられている。

浦安駅からバスで10分。そこからさらに徒歩10分ほどの閑静な住宅街に、「銀木犀<浦安>」はあります。

ぎんもくせいの建物の前。ぎんもくせい食堂の看板が置いてある。

【写真】ぎんもくせいの入り口。入り口に向かう通路の左右には緑の植物が植えられている。

まず、目に入ってくるのが小洒落たカフェを思わせる「銀木犀食堂」という看板。そこから続く緑の植物が配されたアプローチガーデンを抜けると、なんと入り口の横には…

【写真】ぎんもくせいに併設されている駄菓子屋。近所のこどもが1人お菓子を眺めている。

どどーん!懐かしの駄菓子屋があらわれました。

どこの銀木犀にも、必ず駄菓子屋が併設されているんですよ。

【写真】インタビューに応える、ぎんもくせい所長のふもとしんいちろうさんとふもとれいこさん。

そう教えてくれたのは、ご夫婦で銀木犀3棟(浦安・西新井大師・東砂)を管理する、所長の麓慎一郎さん(以下 麓さん)と麓玲子さん(以下 玲子さん)。

麓さん:子どもたちの間でうちは「ぎんもく」って呼ばれていて、毎日、小・中学校の下校時間になると、大勢の子どもたちがこの駄菓子屋にやってきます。

浦安では、居住スペースに先駆けて駄菓子屋がオープンしたとあって、子どもたちも買った駄菓子を握りしめて、迷いなく中へ入っていきます。

【写真】玄関に複数置いてあるこども達の靴。ぎんもくせいは多くのこどもたちが出入りしている。

【写真】ぎんもくせいのリビング。こどもたちがくつろぎながらゲーム機で遊んでいる。

【写真】ぎんもくせいのリビング。こどもたちが駄菓子屋で買ったお菓子を食べている。

まるでここで暮らす住人の孫か、ひ孫かと思わせるそこに居ることが自然な光景

銀木犀の共有スペースである1階には、そこここに子どもの姿が。

きけば、学校から帰るとランドセルを置いて小銭を握りしめてすぐやって来ると言います。「外が寒いから」「駄菓子を買って食べたいから」「いつも来ているから」など、その理由はさまざまです。

【写真】ぎんもくせいのリビング。こども2人で楽しそうにじゃれあっている。

玲子さん:子どもたちの声が賑やかすぎて、スタッフは電話相手の声が聴こえないと嘆いているくらいなんですよ(笑)。

 

そう言って、玲子さんは笑います。

銀木犀で暮らす人々

銀木犀の駄菓子屋では、入居者が店番を務めることがあります。

【写真】ぎんもくせいの駄菓子屋。複数のこどもたちが、お菓子を持って店番の入居者の前に並んでいる。

【写真】店番をしている入居者にお金を渡すこども 。入居者とこどもの交流が生まれている。

【写真】店番をしている入居者のしきもりさん。ほのかに笑みを浮かべている。

80歳を超えた今でも駄菓子屋の看板娘?としてお手伝いする入居者の式守さん

玲子さん:今、店番をしてくれているのが入居者の式守さんです。式守さんは、昔、銭湯で「番台さん」として働かれていました。

式守さんが、銀木犀に入居したのは1年半前。もともと大家族の中で暮らしていたこともあって、銀木犀に来ても、最初は一人で暮らす寂しさに打ちひしがれていたそうです。

しかし、こうして駄菓子を売る役割を担い子どもたちと接していくうちに、今ではちっとも寂しくなくなったのだとか。

玲子さん:式守さんは、ここに来てからお化粧をされるようになって本当にきれいになられました。銀木犀で暮らす女性たちは、みなさん綺麗になられていくんです。式守さん、今日は写真を撮ってくれるみたいですよ。

【写真】インタビューに答えるしきもりさん。

式守さん:写真を撮るなら、もうちょっとお化粧してくればよかったわ。

そう言って頬に手を当てるチャーミングな式守さん。本当はもっとお話を伺いたかったのですが、次から次へとやってくる駄菓子屋のお客さんの相手で大忙し。とてもそんな時間はとれそうにありませんでした。

それもそのはず。駄菓子屋の月の売り上げは、なんと40万円に上るのだとか!いかに多くの人が訪れているのかがわかります。

また、この日はたまたま入居者さんのご家族がおられました。銀木犀<浦安>で最高齢98歳という飯島さんの義娘さんです。

【写真】ぎんもくせいに入居しているいいじまさんと義娘さんの2ショット。2人で会話をしながら笑っている。

銀木犀<浦安>で最高年齢98歳の飯島さん(右)とご家族

入居に際して、銀木犀を選んだ理由を訊いてみました。

ご家族:銀木犀がまだ建設中は、素敵な外観なのでレストランができると思っていました。ふたを開けてみると高齢者向けの住宅だったのでびっくり!高級志向の有料老人ホームなどもずいぶん見て回りましたが、銀木犀のスタッフさんは素晴らしいですよね。みなさんのケアが行き届いているおかげで、母もすごく元気に暮らせています。

【写真】いいじまさんが満面の笑みで鼻歌を歌っている。

実は飯島さんは、元歌手。このあと鼻歌を歌い車椅子に座ったまま、得意のフラダンスを披露してくれました。本当にお元気です!

【写真】訪れた子どもを膝の上にのせている入居者。

訪れた子どもを膝の上にのせ、満面の笑みを見せていた入居者。

銀木犀に、毎日100人から200人が訪れる理由

【写真】ぎんもくせいで開催されているアクティビティのチラシ。

銀木犀には入居者やそのご家族、子どもたち以外にも、「MAMA DANCE」や「ドラムサークル」などのサークルに参加する人、地域のママさんたちなど、毎日100〜200人もの人がやってくるといいます。

玲子さん:脳トレ、懐メロ体操、ドラム、折り紙教室などのいろいろなアクティビティもあります。どれも強制ではなく自由参加ですね。入居者さんがやりたくないことは強制しないし、やりたいことは積極的にサポートしています。

【写真】ドラム教室で楽しそうにドラムを叩くこどもたち。

なかでも、毎日11時半から13時半まで日替わりで提供される「ランチ」は、銀木犀にやってくる大きな動機になっているとか。

麓さん:「銀木犀食堂」では、一般の方でも予約なし、650円で美味しい料理が食べられるんですよ。

こだわりの格安のランチは、銀木犀内の厨房で手作りされています。

【写真】日替わりランチ。どれも大変美味しそうだ。

麓さん:作った人の温もりが感じられる丁寧な食事のおかげで、入居者のみなさんは決まって食事量がアップしますね。

【写真】ヨーグルトを嬉しそうに食べる入居者。

きゅうきゅうになってソファに座り、おしゃべりしながらデザートを頬張る女性たち

食後には「みんなのキッチン」と呼ばれるキッチンスペースに女性陣たちが集まり、デザートタイムを楽しむのが恒例です。

ただ、そんな女性陣を尻目に男性の入居者はというと、口下手な人も多かったことから、最初はなかなか男性同士仲良くなるきっかけがなかったのだといいます。

【写真】インタビューに応えるふもとさん。

麓さん:あるとき、うちの社長が日本酒をふるまってくれたことがあったんです。いい感じに酔っ払って饒舌になった入居者さんの一人が「普段からこういうのやってくれたらなぁ」ってボソッと言ったんですよ。それがきっかけで、定期的に男性陣たちの飲み会、通称「銀ちゃん居酒屋」を開くようになりました。

「銀ちゃん居酒屋」は、最初こそ職員が介入していましたが、その後は「俺たちの飲み会に職員さんまで巻き込めないから」ということになり、入居者自らスーパーに買い出しに行くようになりました。以来、定期的に開かれるようになったそうです。

こうした、「自分のことは自分でやる」というスタンスは、いつしか「自分たち」となって仲間意識を育み、今では、入居者さん同士で支え合う姿も多く見られるようになりました。

自由度の高い「サ高住」のなかでも、さらに制限しない

外からの光がふんだんに差し込みヒノキの香りがする入居者さんの居室

銀木犀は、現在、鎌ヶ谷、西新井大師、市川、船橋、柏など、東京や千葉に全12棟あります。私たちが訪れた浦安は、3階建ての2階・3階部分が入居スペースとなっており、ご夫婦4組を含めた43人が暮らしています。

介護施設には、自治体や社会福祉法人が運営する公的な施設もありますが、銀木犀が分類されるサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)の運営はほとんどが民間企業によるものです。

その「自由度の高さ」は介護施設の中でも随一。併設されている訪問介護事業所から介護サービスが提供されていること以外は、なんら一般的な賃貸住宅と変わりありません。いわば、“高齢者版のシェアハウス”に近いイメージなのです。

そんな自由度の高いサ高住にあって、銀木犀ではさらに「管理しない」ことにこだわっているといいます。

入居者のおよそ9割に認知症があるというのに、玄関のドアを施錠しておらず、それどころか、できることは洗濯でも配膳でも、入居者自身にやってもらうスタンスを貫いています。

一見、「それでは施設に入る意味がないのでは?」と思ってしまいそうですが、なんと、銀木犀で暮らした始めた7割の入居者*は、なんらかの心身的回復傾向が見られるといいます。

(*)浦安・西新井の銀木犀であり、2018年3月30日 3月時点

なぜ、銀木犀で暮らし始めた入居者は次々と元気になっていくのでしょうか。入居者さんが次々と回復していく理由を、麓さんご夫妻に詳しく伺いました。

なぜ、7割もの入居者が元気になっていくのか?

【写真】インタビューに応えるふもとさんとれいこさん。

武末明子(以下武末):浦安と西新井にある銀木犀では、およそ7割の入居者さんが元気になっていくとお聞きしました。とても興味深いことです。

玲子さん:寝たきりで流動食しか食べられなかった人が、うちにきて4日で固形物を食べるようになったり、要介護度5だった人が、要介護度2になったり。そういったエピソードは枚挙にいとまがありません。

麓さん:なかには呼吸をするのがやっとという方もいました。僕らも3日目までは食事介助をしていましたが、銀木犀に来て4日目にもなると「自分でご飯が食べたい」って言い出すんですね。1ヶ月後には、調子のいいときにはシルバーカーを使って歩けるまでになりました。この画像をちょっと見てください。

【写真】スマホに入っている入居者の画像を見せてくれた。

麓さん:こちらの入居者さんは、お食事を食堂でされていて、あるときお盆を持って自分で立ち上がったんです。下膳しようと思ったんですね。画像ではスタッフが支えているように見えますが、実際には入居者さんの身体には触れていません。

どうやってやるのか見ていたら、ふらつく身体を左手で支えながら、右手でお盆を押してテーブルの端まで持っていったんです。そして、次の瞬間には食器を持って歩いた。

武末:すごい!

【写真】椅子に座りながら笑顔でこちらを見つめる入居者。

画像提供:麓慎一郎所長

麓さん:やり終えたあとの笑顔がこちらです。

武末:何かをやりきった後の満足げなお顔ですね。通常の介護施設では、ケガのリスクを恐れてなかなかできないことではないですか?

玲子さん:そうですね。でも、ケガをさせないということは管理することでもあるんです。「危ないから座っていてください」と、私たちが毎日言い続けていれば、入居者さんのケガは予防できるかもしれません。でもいつのまにか、これまでできていたことまでできなくなってしまうんです。

麓さん:リスクはありますが、ご家族にも最初に銀木犀での過ごし方をしっかり説明していますし、実際、会いに来られるご家族であれば入居者さんの様子を見るだけで納得されます。以前とは表情が違いますから。そのため万が一転倒したとしても、ご家族から抗議されたことはこれまで一度もないんです。

「自分でやる!」という入居者の気持ちをサポートする

【写真】インタビューに応えるれいこさん。

武末:そうした入居者さんの自立を、スタッフはどうサポートしているのですか?

玲子さん:以前いらっしゃった入居者さんは、立ち上がらせないのではなく、あえて動いてもらうことでサポートしました。

ご夫婦で入居されていた方だったのですが、骨折して入院すると、どうしても立ち上がろうとしてしまうんですね。病室では身体拘束を余儀なくされ、その結果、急激に筋力が衰えて、銀木犀に戻るのが難しいのではないかと言われていました。ですが、ご家族からは「銀木犀で母と父を一緒に過ごさせてあげたい」という強い希望があって。

そこで考えたのが、その方の居室のあらゆる場所に手すりをつけることでした。立ち上がって行こうとする先々に予め設置したのです。

武末:あえて動いてもらうように切り替えたんですね。

玲子さん:その後の回復には目を見張るものがありました。みるみるうちに元気になって、リハビリもしていないのに一階の食堂まで旦那さんとやってくるようになったんです。退院からたった4ヵ月でですよ!

人の本能ってすごいですよね。身体拘束なんてしなくても、自分で自分を守ることができるんだってことを、私たちが入居者さんに教えられました。

「玄関は施錠しない」出ていくのは目的があるから

武末:玄関も施錠されていないんですよね。認知症の方が9割もおられて、外に出て行ったきり、戻ってこられなくなってしまう人はいないんですか?

玲子さん:そういうことは何度もあります。

武末:え、何度も?

玲子さん:それはそうですよ。外出した方が戻って来られなくなったことは、西新井でも13回あります。必死で何時間も探しますし、警察のお世話になったこともあります。でも閉めません。

武末:なぜ、そこまでして。

玲子さん:これは社長がいつも言っていることですが、「高齢者だから、認知症だからってなんでやりたいことを我慢させなければいけないの?そういうのは一切なしにしようよ」ということなんです。

武末:認知症だから、というのは理由にはならないと。

【写真】インタビューに応えるふもとさん。

麓さん:リスクを言い出したらきりがないんですよ。子どもたちがこうして一緒の場所にいるだけでも、インフルエンザを持ち込むかもしれないし、ぶつかって転倒するかもしれない。でも実際には、うちの転倒率が他の施設に比べて高いということはまったくありません。ご自身で気をつけているからです。

玲子さん:外出して戻って来られなくなるのも、同じ方がだいたい3,4回ずつそうなっているんですよね。だから私たちも、2回目にはだいたいどこへ行っているのかの予測がつくようになるんです。

武末:だから見つけられているんですね。

玲子さん:やっぱりみなさん目的はあるんですね。だから外へ出て行きたくなるわけで。私たちはそれを自然な形で見つけ出すだけなんですよね。

「リスクよりも大切なこと」を知るまでの葛藤

武末:ただ、玲子さんは、福祉の世界で16年間働かれてきたんですよね?リスクを厭わない現在のやり方には、すぐに慣れることができましたか?

【写真】インタビューに応えるれいこさん。

玲子さん:いいえ、始めは葛藤でした。私は老人保健施設で長く働いてきましたし、リスクの部分を考える癖はなかなか抜けなかったので。最初は、代表の下河原ともぶつかりましたね。

武末:下河原社長は、もともと建築業界の方だったのですよね。何が原因でぶつかったのですか?

玲子さん:私はケアマネージャーでもあるので、退院前に病院へ行き、予め入院中の入居者さんの状態を確認しに行くことがあるんです。退院前支援というんですが。

ある時、病院では全然食べられなくてゼリーばかり食べていると説明を受けた人がいて、当然、うちでもゼリーから始めていこうと思っていたんですね。だけどそこにいた社長が、突然、「何が食べたい?」って本人に訊いたんです。するとその方は、「お寿司」って言ったんです。

武末:生ものですか……。

玲子さん:社長は即座にお寿司を買いに行きましたが、私は抗議しました。絶対に無理だと思ったから。

武末:普通はそう思いますよね。

玲子さん:でもね、結果としてその方、大喜びでお寿司を食べちゃったんです。ペロリとね。

武末:ああ、ずっと食べたかったんでしょうね。

【写真】インタビューに応えるれいこさん。

玲子さん:そうなんです。さきほどお見せした下膳したあとの入居者さんの満足気な表情、ペロリと食べたお寿司こそが結果ですよね。社長が言うように、「入居者の自由を奪ってはいけない」っていう部分は、私たちが考えている以上に大きなことなんですよね。

麓さん:とはいえ、「はい、自分でできることはやってください」と言ってもうまくはいかないですけどね。そこは我々がタイミングを見計って促していかなければならない。

玲子さん:ただ、こうした経験を通して言えるのは、介護する側、行政や福祉施設で高齢者に関わる私たちこそが考え方を変えていかないと、高齢者が生きがいを持って生活することを難しくしてしまうのではないか、ということです。そうした危機感を強く持つようになりました。

「暮らしの場」で亡くなるということ

武末:銀木犀では「看取り」もされているんですよね。

麓さん:そうですね。銀木犀全体ではだいたい7割の方をお看取りしています。

武末:7割ですか!?そもそも、こうした介護付き賃貸住宅で看取りをされこと自体がめずらしいのに。どうして病院に運ばれることなく、サ高住で看取ることができているんですか?

玲子さん:お看取りに対応してくれる在宅医がいること、ここで最期を迎えたいと入居者さんご自身が望んでいることが大きいですね。自宅や施設でお看取りをするには、急変時に救急車を呼んでしまうと実現できないので。

武末:そうなんですね。

玲子さん:自宅に近い「生活の場」で亡くなると、本当に苦しまないで眠るようにして息を引き取られます。こう言うと不謹慎かもしれませんが、うちで看取りをした入居者さんの最期は、本当にきれいなんですよ。

武末:きれい、ですか。

玲子さん:ご遺体って時間とともに変化していきます。でも実は、そのスピードは人それぞれなんです。そして、医療的な処置を行わない方が圧倒的にゆるやかですよね。

その姿をご家族も見ているから、最期は満足されるんです。「自分たちもこんな最期を迎えたい」っておっしゃって。だから、たとえご夫婦で入居されている方のどちらかが亡くなっても、特別なグリーフケアなんてうちではほとんど必要ないんです。

銀木犀は、認知症介護の希望

【写真】入居者がれいこさんの腕を掴みながら、楽しそうに一緒に歩いている。

出口の見えない認知症のある人を介護する家族は日本中にいます。麓さんたちのお話を伺っていると、銀木犀で最期まで自由に「生ききる」高齢者の姿こそが、介護を続ける家族の希望ではないかと思えてきます。

しかし、なぜ銀木犀では、こんなにも自然に認知症の人たちを支えられているのでしょうか?

「銀木犀」を運営する株式会社シルバーウッド代表の下河原忠道さんに、「銀木犀」の成り立ち、そして、認知症を含めた高齢者を支えていくことへの想いを伺いました。

「福祉をやっているつもりはない」

【写真】こどもを抱きかかえるシルバーウッド代表取締役のしもがわらただみちさん。

株式会社シルバーウッド 代表取締役の下河原忠道さん

武末:下河原さんが経営されている株式会社シルバーウッドは、もともと建築関係の会社だと聞いています。なぜ、福祉事業を手掛けようと思われたのですか?

下河原:僕は、福祉をやっているつもりはありませんよ。

武末:そうなんですか?ではなにを……。

下河原:賃貸住宅の経営です。だからあくまでビジネスですよね。

武末:なるほど。それがなぜ「サ高住」だったのでしょう。

下河原:僕の父は鉄鋼関係の会社を経営していて、母は美術館を経営しています。事業家になるのが当たり前の環境で育った僕は、プラモデルのように現地で組み立てられる鉄を使った建築工法を開発し、20代で建築会社を立ち上げました。

その工法のメリットが、工期が早くて安いこと。はじめはコンビニやファミレスなどの市場に売り込んでいましたが、これからは高齢者向けの住宅に需要があると思ったので、民間企業が参入できるようになったタイミングでサ高住を手がけました。ただの賃貸住宅ですから、なんだってできると思ったんです。

武末:なんだってできる。現在の銀木犀のスタイルに辿り着くことになった転機は何かあったのですか?

下河原:勉強のためにと、僕が日本中の高齢者施設を視察したことですね。そこで見た日本の管理型の高齢者施設に、すっかり嫌気がさしてしまったんです。

武末:それは、たとえばどんな部分でしょう?

下河原:僕が最初に見たのは、医療法人が運営する療養病床でした。入所者はみんな鼻や胃に管を通し、痰が溜まれば喀痰自動吸引器で吸引されているような状態でした。

高齢者の現状を何も知らなかった僕はショックを受けて、「なんだこれは、おかしいだろう!」って腹が立ったんですね。これではなんのために生きているのかわからないだろう、と思ったから。

武末:なるほど。

下河原:その後は、自分が目指すべき高齢者住宅のビジョンは国内にないと見切りをつけ、バックパックでハワイや北欧などを視察しました。

【写真】しもがわらさんが視察した高齢者住宅のリビング。アンティーク調の椅子や机が置いあり、趣がある。

プライエボーリの室内

下河原:そこで出会ったのが、デンマークにあるプライエボーリという高齢者住宅です。入居者の部屋はこだわりのインテリアで飾られ、朝からワインを飲んで楽しそうにしていました。日本とのギャップに驚きましたね。単に延命が目的のキュア(治療)は、日本でも早晩崩れ去るだろうというイメージを持ちました。

スタッフに心地のいい空間が、認知症の人に最適だった

武末:銀木犀は建築にもかなりこだわられています。プライエボーリから影響を受けた部分もあるのですか?

下河原:それはありますね。とはいえ、実際の設計は堺万佑子という建築士がやっているので、僕が指示しているのは限定的です。

【写真】リビングの木製の床。温もりが感じられる。

【写真】壁に隠し扉がある。その扉を開けるとネズミや猫の絵が描かれている。

柱の後ろには、遊び心のある隠し扉が

下河原:たとえば、入り口に駄菓子屋を作ること。駄菓子屋の前には「みんなのキッチン」という空間を設けること、事務所は中から外が見えるだけでなく外からも中が見えるようにすること、壁は塗装にすること、そして無垢のフローリングであることくらい。

武末:壁が塗装だと、クロスのように汚れても張り替えられませんね。

下河原:そこがいいんですよ。子どもたちが汚い手で触って薄汚れていくのって、すごくいいと思いませんか?

武末:汚れではなく「味」という考えですね。それって、古くなるほどに価値が上がるヨーロッパ的な考え方ですね。

下河原:イギリスのスターリング大学に、認知症がある人にとって心地いい空間を専門に研究している人がいて、先日、銀木犀にやってきたんです。その人が言うには、「ここは認知症のある人たちにとって、本当にやさしい設計ができてる」って。

武末:たとえばそれはどういうところだと?

【写真】食事スペース。大きな窓から日の光が入っており、ぬくもりが感じられる。

円卓の食事スペース

下河原:食事スペースが円卓であること、だだっぴろい食堂ではなく、できるだけ空間を小分けに区切っていること。あとは、全体の色調がイエローベースであることですね。

実際には、自分たちにとって居心地のいい空間を追求していただけなんですけど、意図せず、それが認知症のある人にとっても快適な空間になっていたみたいで。それはうれしかったですね。

こだわりは2つ。「管理しない」「選択できる」こと

武末:銀木犀は建物だけでなく、スタッフと入居者さんの関わりもすごく独特ですよね。

下河原:オープン当初からこだわっているのは、「管理しないこと」「選択の自由があること」の2つです。あくまで僕は賃貸住宅の大家さんで、住んでいる人たちは住民。賃貸借契約を結んでいるだけの関係ですから。

武末:ケアする側、ケアされる側とは考えていないと。

下河原:そうですね。だから入居者がここに座って「水!」と言ったところで、我々がいそいそ持っていく必要なんてまったくない。そんなお金はもらっていないとスタッフにも伝えています。立場によって上下を作る必要なんてないし、ボランティア精神で良かれと思ってやってしまうことが、かえってその人のできることを奪ってしまうことは往々にありますから。行き過ぎた管理は依存を生みます。

武末:他には、スタッフに伝えていることはありますか?

下河原:そうですね……「自然体であること」でしょうか。

武末:「自然体」というと?

下河原:長く施設で働いてきたスタッフにありがちなのは、すぐ近くに座っている入居者さんに向かって「●●さーん!今からお食事ですからー!」とか、すっごい大声で言うんですよ。そういう光景、福祉施設などでよく見かけませんか。

【写真】インタビューに応えるしもがわらさん。

武末:あ、そういえばよく見かけます。

下河原:不自然ですよね。ここは入居者さんの家でスタッフはそこに上がらせてもらっているわけですから。スタッフがユニフォームを着ているのだって違和感だらけです。そうした福祉独特の変な慣習を持ち込まないって、すごく重要なことだと思っているんです。

武末:福祉の慣習が、入居者のニーズとずれてきているのではないかと思っているんですね。

下河原:ここは住宅ですから遊んで騒ぐ分にはいいけど、いちいちでかい声で「お食事ですよー」はいらない。そういう当たり前のことですよね。

「生活者のまま最期を迎えてもらう」というこだわり

【写真】インタビューに応えるしもがわらさん。

武末:看取りはどうですか。先ほど、所長の麓さんから、銀木犀では入居者の7割を看取られていると伺いました。すごいことです。

下河原:でも、僕らには「看取りを積極的にやっています!」なんて意識はこれっぽっちもないんです。日本人が昔からやってきた看取りって、医療者や介護士がするものではなく、あくまで本人と家族、そして地域住民がするものでしたから。ちなみにサービス付き高齢者向け住宅で看取りのサポートを行ったからといって、特別な介護報酬をいただけるわけではありません。

武末:なるほど。

下河原:入居者の家族のなかには、「銀木犀に預ければ安心」と思っている人も確かにいるんです。だから、入居者が転倒したり外で帰り道がわからなくなったりしても、その責任は別に我々がとるわけじゃないことは、最初の段階でご家族にも説明しています。意識改革をしてから入居してもらっているんです。

武末:ただ、看取りとなるとそうしたご家族以外にも、突然やってきた親戚が「なんで救急車を呼ばないんだ!」という事態も、当然出てきますよね?

下河原:ああ、“カリフォルニアの親戚”のことですよね。

武末:カリフォルニアの親戚(笑)。

下河原:僕ら、そう呼んでるんですよ。それまで一度も顔を見せたこともないのに、土壇場になってやってきて騒ぐ親戚のことを。もちろん入居者自身の意思を尊重します。「今更やってきて何を言ってるんだ!」って話ですから。

武末:ご本人が決めることだと。

【写真】インタビューに応えるしもがわらさん。

下河原:僕らは、ご本人の意思を前もって伺い、看取り同意書にサインももらっています。それに、在宅医療がここまで発達した今では、実際には看取りの段階で入院したからといって、特別なケアができるかというとそういうわけでもないんです。やっぱり生活者のまま老衰死を迎えてもらうのが、あくまで目標なんですよ。

武末:生活者のまま、というのは、入院を経ることなく最期を迎えてもらうということですね。

下河原:そうですね。それに最期の瞬間を看取れないということは、実は、スタッフにとっても負担だったはずなんです。「どうしてこれまでずっと生活を共にしてきた自分たちが看取れないんだろう」っていうね。

だから、僕は「責任は俺がとるから自由にやってみなよ」ってスタッフと約束したんです。好きにやりだしてくれた結果が今の銀木犀なんです。

認知症のある人は「家族を困らせる人」ではない、「何かに困っている人」

武末:認知症のある家族を介護されている方は大勢います。ですが、身内だけに厳しい言葉をかけてしまうこともあると思います。どうしたら銀木犀のスタッフのように、「自然体」で認知症のある人を受け入れられるようになると思いますか?

下河原:認知症のある人を、「家族を困らせる人」と考えたり、「世の中に迷惑をかけるかもしれないのでどうサポートするか」という、一方通行の文脈で捉えるのを止めることだと思います。認知症のある人は誰かを困らせたい人じゃない、何かに困っている人なわけだから。

武末:ああ、なるほど。ですが改めて言われるまで気づかない視点かもしれません。

下河原:認知症のある人は、日々いろんな不便が発生するなかで生きていて、家族に怒られても、「また何かやっちゃったのかな」「なんで怒っているのかしら」と感じている人が大勢います。

【写真】インタビューに応えるしもがわらさん。

下河原:だけど、ご家族が肩の力を抜いて、一度でも認知症のある人側の視点に立って自分の言葉を振り返ってみれば、自分がそれまでいかに本人たちを傷つけてきたかってことがわかると思うんです。僕はむしろ、認知症が進むのではなくストレスが悪化した結果、認知症の症状が進行すると考えているんです。

武末:認知症とストレスが相関関係にあると。

下河原:もちろん病理学的に脳が萎縮したり、ニューロンの死滅によって進行する症状はあります。でも実際には、ストレスによって生きる自信を失ったり、不安に陥ったりして、自分の殻に閉じこもってしまう「二次被害」の方がよっぽど深刻だと思うんです。

だから、僕はVR(バーチャルリアリティ)で認知症を一人称体験できるVR認知症プロジェクトを立ち上げたんですよ。

武末:VR認知症プロジェクト?

下河原:VR認知症プロジェクトは、認知症のある人たちが普段どんなことで生きづらさを感じているのか、どんな風に見えているのかを認知症ではない私たちが擬似体験するものです。VRという新しいテクノロジーを活用してアングルシフトすることで偏見を想像力に変えることを目的に進めているプロジェクトです。すでに全国で17,000人の方に体験していただきました。

多様性が世界を変える「ふっ」と落ちる瞬間

【写真】インタビューに応えるしもがわらさん。

下河原:僕は、認知症に限らず、今盛んに叫ばれるようになった「多様性」を実現する一手として、これからはこのVRが役立つのではないかと考えています。

現代人は物質的に豊かになった反面、いろいろなことにがんじがらめになっていますよね。それを強制リセットするのもまた、「多様性」だと思っているんです。

武末:それを実感できる手段がVRだと。

下河原:「ふっ」ってね、腑に落ちる瞬間があるんですよ。

武末:腑に落ちる?

下河原:銀木犀で「ビストロ銀木犀」というのをやったことがあって、そこには地域の子どもや大人、認知症のある人、障害者施設の子どもやLGBTの人たち。とにかくありとあらゆる属性の人たちが一同に集まって、太鼓を叩いたり、美味しいもん食べたりと好きなことをして過ごす時間があったんですね。

そうするともう、認知症であるとか、障害があるとか、LGBTであるとか、そういう全てがどうでもいいことに思えてくるんです。それが「腑に落ちる瞬間」。人と人のコミュニケーションの中で「落ちる」瞬間を具体的に体感し、その経験を積み重ねて、自身の心の中に自由な空間を広げて行くことが大切だと思うんです。

そういうチャンスが、僕はもっと社会のなかに散りばめられていればいいと思っています。スターバックスに認知症のおばあちゃんが一人働いていて、周りにいる人たちもお互いを認め合っていると、その場の空気ってすごく良くなると思いませんか?そういう認知症のある人や障害のある人と、実社会の中で、普通に出会えることこそが、これからは必要になるんだと思うんですよね。

社会が変われば認知症も変わる

武末:ただ、現状は「認知症だから」ということで、快適に過ごせる権利が奪われてしまっていることがまだまだ多いですよね。

下河原:それを解消するには、社会の側が変わることですよね。私の若年性認知症のある友人のエピソードなんですけど、友人たちとの酒の席で自身が認知症と診断されたことをカミングアウトしたんですね。「次に会って、みんなの顔を忘れてたらごめん」と言ったんです。そのときのみんなの返答がすごく大好きで、「大丈夫だよ、お前が忘れても俺たちがお前のことを覚えているから」って返したんですよ。つまり、周囲の対応次第で、忘れることは問題ではなくなるわけですよね。

武末:そうした社会は、今後、どういうプロセスを辿って実現していくと思いますか?

下河原:「企業の参画」が、これからは鍵になってくると思っています。

武末:企業ですか?

【写真】インタビューに応えるしもがわらさん。

下河原:企業の人たちはお金を稼げる素地さえあればすばらしいアイデアを出してくれます。福祉の業界に参入してくれば、あらゆる化学反応が起きるはずです。だから僕は、福祉にビジネスを載せるのではなく、ビジネスに福祉的要素を載せることをやっています。

武末:下河原さんは、その突破口となるビジネスモデルになろうと試みられているんですね。

下河原:そうですね。来年の4月にオープンする船橋市の銀木犀の一階には「豚しゃぶ屋」がオープンします。認知症とか関係なく、町1番の大繁盛店を作ります。そして、メニューは一つしかないから認知症があっても間違えようがない。

そこでは若年性認知症のある人や障害者、銀木犀の入居者も普通にバイトができるようにするつもりです。僕は就労の機会を生み出したいんですね。それを社会保障費ではなく、完全民営でやっていきたいと思っています。

武末:それはすごいことです!

下河原:デイサービスへいくよりここにきて働こうよ。できることが少なくてもいいからここにおいでよってね。そうした受け皿となるビジネスモデルを循環させていくことが、これからは必要とされているのではないかと思うんですよね。

銀木犀は桃源郷ではない。社会は人が役割をもって生きる場所

【写真】ぎんもくせいのリビング。そこから駄菓子屋で店番をしている入居者と駄菓子を買いに来たこどもの様子が垣間見える。穏やかな時間が流れていいる。

下河原さんの「ビジネスに福祉的要素を載せる」という考えは、一見すると、ぬくもり溢れる銀木犀のイメージとはかけ離れて映るかもしれません。

けれど、どんなに理想の環境があったとしても、そこは桃源郷ではありません。社会から切り離されては継続できないのです。

今回、お話を訊かせてもらった入居者のなかには、自分がこれまでいかに社会のなかで役割を持って働いてきたかについて、とくとくと語ってくれた人がいました。若い頃はよかったと懐かしんでいるわけではないと思います。社会のなかで役割をもって生きてきたという事実が、その方にとっては、尊い記憶なのではないでしょうか。

銀木犀は、歳を重ねることが楽しみになる原点

【写真】ソファに座り楽しそうにデザートを食べる入居者のみなさん。

高齢者の“役割”について考えるとき、私は決まって自分の祖母を思い出します。一生懸命に絨毯の紐をすいていた祖母。今はもう、それが認知症だったからではなく、誰かの役に立ちたかったからだとはっきりわかります。そしてそれは、高齢者に限った話ではありません。

私自身、正直にいうと、まだまだ自分の老後や介護について明るく前向きに捉えられているわけではありません。

けれど、銀木犀のなかに駄菓子屋があるように、近所の子どもたちが当たり前にそこここに居るように、多様性をまるっと包括するあの景色が、これから社会全体へと広がっていくのなら。私は、今よりもっと、歳を重ねていくことは楽しく思えるような気がしています。

【写真】笑顔で並ぶれいこさん、しもがわらさん、ライターのたけすえさん。

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(写真/馬場加奈子)