【写真】雨が降っている中、傘をさして笑顔のかわさきすぐるさん

こんにちは!川崎 俊(かわさき すぐる)です。

私は現在、理学療法士として整体院を開業し、身体のケアを通じてお客様の「やりたい」を叶えるためのサポートをしています。

そんな私には「ナルコレプシー」という病気があります。ナルコレプシーとは睡眠障害の中の過眠症の一種で、自分ではコントロールできないほどの強い眠気が日常の中で繰り返し起こる症状があります。

そのため、発症した小学五年生から現在に至るまでの16年間、尋常じゃないほどの眠気と戦っています。そう、一日も欠かさず、毎日です。この病気と共に生きてきた年月は、もしかしたら普通の人では理解し難い様々な経験かもしれません。

2018年には『ナルコレプシーのこと』という本を出版しました。そして、2019年の10月からはナルコレプシーの患者会である「なるこ会」の理事も務めさせていただいています。ナルコレプシーと共に過ごした幼少期から現在に至る経験があるからこそ、これらの活動を行えていると思います。

今回は、私がナルコレプシーになってから感じてきたことや現在の活動を行う上で大切にしていること、そして理想の生き方についてお伝えしたいと思います。

起きたいけど起きられない。突然居眠りが増えた幼少期

私の家族は会社員の父と教師の母、妹との4人家族で、隣の家では祖母が暮らす環境で育ちました。私の家族は一般的にみて、仲の良い家族なのではないかと思います。

幼少期の私は、いわゆる「やんちゃ」で生意気な子ども。「僕には僕のやり方がある」が口癖で、良くも悪くも興味のあることにはまっすぐ挑戦する性格でした。当時の私は、自分が他人にどのように見られているかなんて考えたこともなく、自我の芽生えも遅い子供だったように思います。

やんちゃな私を見ていた母は「地元の中学校に進学したら、勉強が手につかず苦労するのではないか」と考え、小学五年生の頃になると中学受験を勧められました。私は勉強なんてしたくないと断りましたが、「しっかり勉強をしたらゲームを買ってあげる」という甘い誘惑にいとも簡単に乗り、中学受験の勉強をすることになります。

当時通っていた塾の先生はとても厳しい方で、レベルの高い問題もまずは自分でしっかり時間をかけて考え、どうしても分からない場合のみ先生に質問するという学習方法でした。やりたくもない受験勉強で常に自分の頭で考えなければならず、分からないと伝えても簡単には教えてもらうことができない状況は、身体的にも精神的にもストレスが大きかったのを覚えています。

【写真】インタビューに答えるかわさきすぐるさん

振り返れば、過眠の症状が現れはじめたのはその頃からでしょうか。

塾の授業中、自分でも気づかぬうちに居眠りをするようになりました。居眠りの回数に伴い、塾の先生に起こされることも増え、塾だけでなく学校での居眠りも増えました。

学校の授業中に寝てしまったある日、起きたらすでに放課後で、教室には誰もいなかったこともありました。ただ一人取り残された教室の中で「私が可愛げのない性格だから先生も起こしてくれなかったのかな」と、自分の居眠り具合と起こしてもらえなかった状況が怖かったことを鮮明に覚えています。

当時は受験勉強をしていたこともあり、居眠りをしても学校のテストではほぼ満点を取ることができていたので、自分の体の心配どころかむしろ得意げになっていました。

私の性格や普段の生活態度によって過眠症状はカモフラージュされ、誰も病気だとは思いもしませんでした。小学生時代の私は、「学校のテストの点数はしっかりととるけれど、授業中はしょっちゅう寝るような可愛げのない怠け者」だと周囲からは思われていたのではないかと思います。

「病気」ではなく「自分自身」と接してくれた人の存在

中学受験は無事に合格し、中高一貫の男子校へ進学。家から学校まで一時間かかる電車通学が始まったことや、小学生の頃に比べて授業の内容も難しくなり勉強量が増えたこともあり、心身共に負担が増えました。「勉強に遅れをとってしまうから、絶対に寝てはいけない」と思っていても居眠りは治らず、そんな自分に不安を抱くように。

両親も「我が子の状態が怠け者のレベルではない」と真剣に心配してくれて、インターネットや本で調べてくれました。そうして初めて「ナルコレプシー」という病気に辿り着きました。当時はほとんど認知されていない病名でしたが、東京の専門病院を調べてすぐに受診にいきました。しかし、私の心境は複雑でした。

病気の診断がついたら、今までの過眠症状について周囲から理解を得ることができるかもしれない。

でも、もし病気ではなかったらどうすればいいのだろう。毎日我慢できない眠気の正体が分からないまま、眠らないように戦い続け、「怠け者」と言われてしまうのだろうか?

自分は病気かもしれないという現実に対して、診断を望む私と拒む私がいました。

都内の睡眠外来の病院で検査した結果、ナルコレプシーと宣告されました。病気であることへの不安よりも、ホッとした思いの方が強かったかもしれません。

両親、特に母は今でも「中学受験の勉強がきっかけかもしれない」と自分を責める姿があります。

ナルコレプシーを発症したのは、両親や自分自身が原因ではないのだから、どうか自分のせいだなんて思わないでほしい。そして、病気による家族への心配をなるべく減らせるようにしたいな……。

できることなら、いち早くナルコレプシーの症状が落ち着く方法を見つけたい。私を心配する両親を見るたびに、そう思い続けています。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるかわさきすぐるさん

病気だと判明した後は中学の担任の先生にも報告しました。先生からは「病気は病気、でもこれまでと変わらず他の生徒と同じように接するよ」と言われました。

実際、授業中に眠ると起こされることはもちろん、部活の試合中にケアレスミスをすると「起きろ!!」と怒られることも。病気は関係なく、本当に他の生徒と同じように叱られながらも、特別扱いすることなく接していただきました。

特別扱いすることなく私と向き合い続けてくださったこの先生は、この後社会に出るまでも叱咤激励してくださいました。今でも私の人生の恩師です。

友人も病気のことは気にせずに接してくれて、中には部活の試合前に準備もせずに寝ている時に「試合前くらいしっかりしろよ」と喝をいれてくれる人もいました。私の場合は病気による眠気なので体力的に辛いことも多々ありましたが、友人の対応には心から感謝しています。

というのも、一見厳しく感じる言葉もありますが、私は先生や友人のおかげで病気に甘えることなく自分を律することができたからです。

もし、「病気だから」と何から何まで配慮してもらっていたら、私の性格上、「病気のせいにすれば何でも許される(いつでも寝られる)」と思ってしまっていたでしょう。

先生も友人も、どちらも「私の病気」ではなく「私自身」と向き合ってくれていたと感じます。

脳卒中で倒れた祖父を笑顔にした理学療法士への憧れ

周囲の方々の理解と協力もあり、大きな問題もなく中学生活を送ることができました。

しかし、高校へ進学すると、徐々にナルコレプシーによる生活への支障が現れはじめ、徐々に成績が下がりはじめます。高校二年生の頃の模試の結果は、志望校の大学には到底届かないものでした。

今の学力では志望校に行くことは難しいと思う。病気の症状もあるし、今の学力で行けそうな大学に指定校推薦で行きなさい。

私はあまり記憶にないのですが、担任の先生と母との三者面談でそう言われたこともありました。先生は私の現状を踏まえて伝えてくださったものの、母は私以上に悔しさや焦りを感じたと言います。

このままでは病気を理由に将来への可能性が閉ざされてしまうかもしれない。ナルコレプシーの処方薬による眠気のコントロールが必要なのではないか?

こうして、受験前に服薬を始めることを決心しました。

【写真】外で、傘をさしながら話すかわさきすぐるさん

高校三年生の10月頃から処方薬の服薬を始めたのですが、個人的には副作用も比較的少なく、現在も毎日服用しています。

薬の効果で日中の起きていられる時間が増え、しっかりと勉強に取り組めるようになりました。完全に眠気が無くなることはないですが、突発的に眠ることがなくなり、休み時間に仮眠をとるなどの工夫をすることで、授業中の居眠りもかなり減りました。これらの変化は私にとって、見える世界が鮮やかに輝くほどに嬉しいことでした。

大学受験は、将来の仕事を考える機会にもなりました。働く上で、ナルコレプシーの症状抜きに考えることはできません。何度も家族会議が行われた結果、デスクワークよりも身体を動かす仕事の方が眠気に負けずに働くことができるだろうという理由から、「理学療法士」を目指すことに。

実は、理学療法士という職業は中学三年生の頃から知っていました。職業研究の授業で、脳卒中で倒れた祖父のリハビリを担当している理学療法士の方の仕事を見学させてもらったことがあったからです。倒れてから笑顔が減っていた祖父が、リハビリを通じて笑顔を取り戻していく姿に感動したのを覚えています。

祖父を担当してくれた理学療法士の方は、とても親切でかっこよかった。私も患者さんの心に寄り添う理学療法士になりたい。

そう思いながら勉強に励み、志望校である医療系の、リハビリテーションを学ぶ大学に合格することができました。

必死になって乗り越えた実習期間と働くことへの不安

一人暮らしも始まり、今までとは全く異なる環境での大学生活がスタート。男子校から共学の大学に行ったことで、より周囲の人からの見られ方を気にするようになりました。人生で初めて自分のことを客観視できるようになり、一つ一つの言動を意識するようになります。

大学の講義は専門的な内容が多く、知らないことを一から学んでいきます。講義中に寝ていては知識が追いつかないため、これまでと比べものにならないほど苦労しました。

最も大変だったことは、臨床実習です。臨床実習は、最長で8週間臨床現場に身を置き、バイザー(学生指導の担当の理学療法士)から指導を受け、学んだ知識・技術を確認します。

【写真】真剣な様子でインタビューに答えるかわさきすぐるさん

実習先の指導方法にもよりますが、実習生は一日実習を終えた後に、何時間もかけてレポートを書きます。朝方までかかってしまうことも珍しくなく、十分な睡眠時間を確保できない生活が毎日続くため、健康な学生でも見学中に思わずウトウトしている姿をみることも……。

私の場合、睡眠不足の中でナルコレプシーによる眠気をコントロールすることはほぼ不可能なので、実習が始まる前から不安で仕方ありませんでした。

今だからこそ言えますが、実習期間中は隙間時間にトイレで仮眠をとったり、昼休みに寝たり、必死になってなんとか実習を乗り切りました。

病気の不安もあったと思うけど、よく頑張ったね。この調子なら、実際の現場でも大丈夫でしょう。

実習期間終了後にバイザーからそう言われたときは、思わず泣いてしまいました。当時の涙は、何の涙なのかよく分かりません。やっと苦しい環境から離れることができる安心感なのか、実習を終えた達成感なのか、トイレでこっそり寝ていたことへの罪悪感なのか。

理学療法士として働くことは、担当した患者さんの今後の人生を担うということ。リハビリの対象者は病気や障害がある方が多いのに、同じく病気がある私が担当するのは失礼ではないか?本当に理学療法士になってもいいのかな?

バイザーに認めてもらった喜び以上に、将来への不安で頭の中がいっぱいでした。

もし、病気のせいでお前が治療中に寝たら、患者さんは死ぬかもしれないよな。本当に大丈夫なのか?

友人にそう言われ、妙に納得して落ち込んだ時もあります。それでもやっぱり理学療法士として人々の役に立ちたいと思った私は、自分なりに自己分析を行い、理学療法士になっていいのかどうかを本気で考えたのです。

自分のことを客観的に深く考えることが一度もなかった人生でしたが、大切にしている価値観や生きる上での思いを再認識するような時間を過ごしました。

幼い頃から「やりたい」と思ったことはやってきたこと、ナルコレプシーを理由に何かを諦めたことはなかったこと、生まれ持ったポジティブな性格。そして、これらのすべては家族や友人、先生など、周りの方々が隣で支えてくれたからできたということ。

ナルコレプシーである私だからこそ、理学療法士として人の可能性を広げるサポートをしたい。「病気を理由にやりたいことを諦めなくてもいい」ということを伝えたい。

私の中で、ナルコレプシーが「病気」から「個性」へと変わった瞬間でした。

【写真】笑顔でほっとした表情のかわさきすぐるさん

職場でナルコレプシーへの理解が得づらいことでうつ病を発症

ナルコレプシーを「個性」と捉え、自分にしかできないリハビリをしたい!と意気込んだ病院就職1年目。現実は決して甘いものではありませんでした。

当時の私は、就職の際にナルコレプシーであると伝えていたことと、医療職の方々と一緒に働くということで、職場の人々からの病気に対する理解はあると思っていました。

しかし、現場にでたら自分も一人のスタッフとして数えられることは当たり前で、どうしても我慢できない眠気が襲った際にも、休憩などの配慮を得ることはできません。

これまで工夫できていた昼寝のタイミングなども調整することが難しくなり、生活リズムを整えるところから考えなければいけなくなりました。

また、仕事のやり方について先輩と話し合っている時に、「意見をする前にさ、そもそも川崎くんは寝ているよね」と言われたこともあります。病気が理由だとしても、眠気に耐えられない私は仕事で意見することすら許されないのか、と悔しさと悲しさで苦しかったです。

【写真】インタビューに答えるかわさきすぐるさん

当時、職場における、障害がある人への差別を禁止するという合理的配慮が法律で定められ、また最も理解の進んでいると思われる医療現場であってもこのような状態でした。

それでもめげずに頑張っていましたが、心身にかかるストレスは増えるばかり。就職して三年目に、ストレスが原因でうつ病と診断され、病休を取りました。

病休が明けたら周囲の対応も少しは変化するではないかと考えていたものの、変わることはなく……。私を心配していた両親からの「無理することはない。大切なあなたの人生、自分自身が潰れてしまう」という一言に救われ、転職を決意しました。

当時を振り返るたびに、病気だけではなく、私自身の性格にも原因があったと反省しています。お互いに相手の話に耳を傾けていれば対応も変わったのかもしれません。

それでも約三年間勤務することができたのはしっかりと向き合い、支えてくださる方も周りにいてくれたからであり、感謝しかありません。この病院勤務に得た技術や知識、経験は現在の私の財産です。

うつ病を通して自分と向き合い、生きる上で大切なことを考えた

初めての職場でうつ病も経験し、今では「自分を一番に大切にしよう」と思えるようになりました。病気ではなく自分そのものにベクトルを向けられるようにするため、今では生きる上で三つのことを大切にしています。

【写真】公園で傘をさしながら笑顔のかわさきすぐるさん

一つ目は、「自分のことを理解し自分の軸を作ることが、克服への一歩」ということ。

これまでの人生では、様々な場面で私に親切にしてくれた人たちがいます。家族や友人、先生や恋人……。そして、私のことを怒ってくれた方々。親しくなれなかったことは残念でしたが、自分を見つめ直す機会はたくさんありました。

何をすることが好きで、何をすることが嫌いなのか?将来やりたいこと、やりたくないことは?

自分の得意なこと、不得意なことは何か?

ナルコレプシーという病気は、自分の人生にどのような影響をもたらしたのだろう。

人との関わり合いの中で、人生における目的や目標を決めたら、おのずと自分自身の軸も決まっていきました。このように、自己理解を深めて自分の軸を固めていったことが病気の克服に繋がるのだと経験しました。

二つ目は、「興味のあることには一歩踏み出し、できるだけ多くの経験をする」ということ。

初めての職場の環境が肌に合わなかった私は、休日はイベントの手伝いに参加しはじめます。そこで出会った人々は私の病気のことを全然気にせずにいてくれて、私自身も「窮屈な世界で無理していたから体調を崩しただけなんだ」と思えるようになりました。

職場以外の環境に視線を向けた途端、どんどん新しい一歩を踏み出すことが楽しくなり、世界が広がりました。同時に、「病気も面白いひとつの要素」として捉えるようになり、心も軽くなりました。

三つ目は「頑張ることはあっても決して無理はしない。人に頼ることを覚える」ということ。

ナルコレプシーがある人にとって「怠け者」と言われてしまうことはとても辛いことです。しかし、現在の社会の認識がそうであることも身を以て痛感していますし、今では理解もできます。だからこそ「寝た分だけ活動する」ように心がけています。

しかし、抱え込んでしまうとやがて人は潰れてしまいます。そうならないためにも、人に頼って少しでも負担を減らすことが大事だと思います。病気について悩んでも治らないのなら、サポートできる人にサポートしてもらえばいい。潰れてしまってからでは遅いのです。

そして、サポートしてもらった分は、他の誰かに自分のできるサポートをする。こうしてお互いが生きやすくなる社会に繋がるのではないでしょうか。

このように、小学生でナルコレプシーを発症し、大学で病気に向き合い、社会に出て「私そのもの」と向き合ったことが、今の私を形成しているのです。

【写真】傘をさしながら公園を歩くかわさきすぐるさんの後ろ姿

本の出版、整体院の開業、患者会の理事。私だからできることに挑戦したい

2017年頃、ある研修で知り合った方に「自分の病気について本を出せばいいじゃん」と言っていただいたことをきっかけに、『ナルコレプシーのこと』の出版に向けて動き始めました。

少しでも多くの方にナルコレプシーを知っていただきたいという思いから出版しましたが、おそらく日本初の当事者による出版で、多くの方に読んでいただきました。また、SNSの情報発信を通して「ナルコレプシーに向き合っている方」という印象を持っていただき、周囲の反応も変化していきました。

実際の体験談を読んで、勇気をもらいました。私もなにか病気の経験をかたちにして発信したいです。

当事者の方にこのような感想をいただき、書いてよかったと心から思いました。

ナルコレプシーに限らず、障害や病気がある方にどのような配慮をすればいいのか考えるきっかけになった!

当事者以外の方からも感想をいただき、私自身も多大なるエネルギーをいただいています。

【写真】満面の笑顔でインタビューに答えるかわさきすぐるさん

病院を退職後は、介護業界の企業に一年半勤めた後、個人事業主として「EachGift」を開業しました。「あなたの”やりたい”を叶える」をコンセプトに、「整体院ギフト」「おでかけ旅行サポート」「ナルコ啓発活動」の三つの活動を行なっています。

理学療法士をしていて、障害がある方や高齢者の方は、不本意な形でやりたいことを諦めていることが多いと感じます。EachGiftでは、そんな方々の身体的なサポートから、実際におでかけ・旅行のサポートまでを提供します。私が周囲の方々にしていただいたように、今度は私ができる範囲からお客様のやりたいを叶えていきたいと考えています。

2019年の10月からは「なるこ会」という患者会で、理事を務めることになりました。ナルコレプシーの啓発活動をはじめ、睡眠に関するお悩み相談などを行っています。

これまで読んでいただいて分かるように、私はとてもポジティブです。でも、大切にしていることはそれだけではありません。

患者さんはそれぞれの異なる価値観を持っている。だからこそ、それぞれの場面(愚痴を言いたい、前向きになりたい、行動したいなど)に合わせたサポートをしていきたい。

このことを念頭におき、皆さんの気持ちが少しでもよい方向へ向かえる一助になれたらと思っています。

薬を飲んだからといって眠くならないわけではない。大切なのは日々の工夫と周囲からの理解

現在は、毎日2錠の処方薬を服用しています。処方薬によって突発的な眠気は抑えることができていますが、あくまで抑えているだけで、眠気は襲って来ますし、我慢することも困難です。病気でない方でも日中眠気があるのと一緒です。

また、薬を飲まないと脳が起きないのか、なかなか活動する意欲が湧いてきません。この先ずっと服用し続けないといけないと思うと少し不安になる気持ちもありますが、自分のペースで頑張っていきたいです。

【写真】傘をさしながら、どこかをみつめているかわさきすぐるさん

日常生活の工夫として、普段車移動が多い生活を送っているので運転前の仮眠と途中の仮眠は必ず確保しています。

仕事では、ナルコレプシーのコントロールが必要であることを前提にお客様の予約なども承っています。理解あるお客様のおかげで、企業で働いているときと比べて身体の負担は非常に軽減されています。

障害は「社会の中」にある。理解しようと寄り添う心が伝播する社会へ

私の中でのナルコレプシーは「突然人より多く寝てしまうだけの病気」だと捉えています。

ただ、人間関係や社会的な体裁やしがらみの中では「障害」になる場面が多い。周囲が「こうあるべき」と決めることで「できない私はだめなのではないか」と負の連鎖に陥ってしまうのではないかと思います。

周囲に理解してもらえずに辛い時は別の環境に移ったり、外の世界に出てみよう。そして、ナルコレプシーという「病気」ではなく、「自分自身」に目を向けて、目の前のできることを自分のペースでやっていけばいいんじゃないかな。

病気を配慮してもらえない度に自分の人生は終わった……と落ち込んでいた過去の私にそう伝えたいです。

ナルコレプシーである方は、起きていたくても寝てしまう病気です。1分1秒でも起きていたいと心から思っています。決して怠けてはいません。その気持ちだけは汲んでいただけると嬉しいです。

他人を理解するということは簡単なことではなく、「ただ寄り添うこと」しかできないと思います。病気への理解を他人に期待すると、期待する側もされる側も疲弊してしまう。それでも、理解しようと寄り添ってもらえるだけで、本人はとても救われるのです。応援してくれる方々の声は時にプレッシャーになることもあるけど、今は幸せに思います。

ナルコレプシーに限らず、世の中には目に見えない病気がたくさんあります。そして、世の中には、病気と知った途端にその人への見方や対応が一変する人も少なくありません。

障害がある私たちは、サポートが必要な場面が少なからず出てきてしまうので、これが仕事の話になると毎日負担をかけてしまうことも理解できます。それでも、少しずつでも寄り添っていただけることで本当に助かるのです。

何が正解かなんて、私には分からないのですが、病気ではなく「その人自身」を見てもらえたらとても嬉しいです。私もそんな風に周りの人と関わっていきたいです。

【写真】石垣の前で、笑顔で立っているかわさきすぐるさん

関連情報:
川崎俊さん 著書 『ナルコレプシーのこと 〜僕の人生の場合〜
なるこ会 HP EachGift  HP

(編集/糸賀貴優、写真/松本綾香)