私たちが当たり前だと思っている日常は、ある日突然、変わってしまうことがあります。

たとえばここ数ヶ月では、新型コロナウイルスの影響で、人と対面で会ったり、自由に移動したりすることが難しくなり、私たちの生活はそれに合わせて自然と変化していきました。非常事態宣言は解除されたものの、これからどんな変化が起こるかは未知数です。

そしてこの数ヶ月のあいだで、仕事がなくなってしまうといった大きな喪失を経験した人もいれば、家から出られないこと以外は特に変化がなかったという人もいるでしょうし、もしかすると「家族で過ごす時間が増えた」など、いい変化があった方もいらっしゃるかもしれません。

変化は十人十色ですが、多くの人が「これからどうなっていくのか」という、先行きの見えない漠然とした不安を同じように抱えているように思います。

私自身、今のところ日常の変化による大きなダメージを受けてはいないものの、「いつまでこの生活が続くのだろうか」「半年後、今と同じように仕事はあるのだろうか」「家族や友達、そして自分自身が罹患してしまったらどうしよう」などといった漠然とした不安に、時おり襲われることがあります。

そういったものが、少しずつ、心にも影響しているのでしょうか。悪夢を見てしまったり、ついパートナーに対する言葉が強くなってしまったりすることも……。

今回のような、予期せぬ環境の変化の中でも自分や他者との関係性をよりよく保っていくために、私たちは何を意識していけばいいのでしょうか?

災害時のメンタルヘルスを専門に活動されている、臨床心理士の岩倉拓さんに、「先行きの見えない不安との付き合い方」というテーマでお話を伺いました。

「論破では、人とは深く分かり合えない」

岩倉さんは、普段は神奈川県で臨床心理士として活動されるかたわら、2011年から、東日本大震災、そしてそれに伴って起きた福島第一原子力発電所事故で被害にあった福島県の被災地支援も行われています。

学生の頃は、柔道に熱を入れていて、体育会系だったという岩倉さん。カウンセラーという道を選ばれたのには、「人と深く分かり合いたい」という思いがあったからだそう。

僕は、中高生の頃はとても理屈っぽくて、ディベートがすごく好きだったんです。話し合って、相手を論破するといったことをよくしていました。

でも、たとえ論破したとしても、相手はそれでは絶対に納得したり、変化はしなかった。ディベートでは、“人と分かり合える”という経験が一切なかったんですよね。

それで、“人と人が本当に分かり合えるとは、人が変わるとは何なんだろう?”と自然に考えるようになり、最終的に心理学にたどりつきました。きっと、他人ではなくて、自分を変えたかったし、自分を知りたかったんだと思います。

臨床心理士になった岩倉さんは、おもに病院や相談機関に通ってくる方々を対象としたカウンセリングを仕事にしていましたが、2011年3月11日に起きた東日本大震災は、その仕事のあり方に影響を与えていきます。

出身が仙台ということもあって、東日本大震災は、地元の友達や知り合いでも被害にあった方が多く、僕にとっても切実な問題でした。

臨床心理士という仕事をしておきながら、なかなか現地に役に立つことできない。そう感じていた時に、ちょうど福島県の人から“カウンセリングや対人援助について話をしてほしい”という依頼があって。それから、福島に定期的に通うようになりました。

当時の福島県は、地震と津波に加えて、原子力発電所の事故、それによる放射線被害などが重なり、まさに未曾有の事態となりました。避難指示区域だった場合、住みなれた町から離れざるを得ず、生活の変化が余儀なくされた「先行きの見えない不安」を抱える方が数知れずいたのです。

福島県でこころの支援を行っていくうちに、岩倉さんは「通いに来る人だけが、カウンセリングを必要としているわけじゃない。災害や事件などを経験して、カウンセリングが必要だけれどそこにたどりつくこともできない人たちがいるんだ」と強く思うようになり、それから、災害や、事件が起きた場所の現場に出向いていく支援を行うようになったそう。

今回のコロナウイルスでは、まさに全国各地が災害地域であると言えます。そして「見えないウイルスによって苦しめられている」という今の状態は、見えない放射能によって苦しめられた福島と、どこか重なる部分もあるそうなのです。

災害時のメンタルヘルスは、「急性期」と「そのあと」にわかれる

災害が起きたときのメンタルヘルスケアには、時期によって特性があると岩倉さんは言います。

まずは“急性期”といって、災害の真っただ中である状態がやってきます。地震や津波が起きた直後とか、今のコロナウイルスみたいに感染が広がっているさなかといったような。

この時期には、ASD(急性ストレス障害、心的外傷後ストレス反応)と呼ばれる、喪失や事件によるトラウマを経験して一時的に起こる、日常生活に影響を及ぼすネガティブな反応が現れます。その出来事を思い出すと苦痛を感じたり、感覚がマヒしたり、睡眠障害が起きるなどがそれに当たります。

そのため、急性期の支援では、“壊れてしまったつながりを回復する”とか、“できる限りの日常を取り戻す”といったことが大切です。まずは今を生き延びることに精一杯で、その先のことを考える余裕がない。それでいいのです。

次にやってくるのが、“ポストトラウマ期”。一番ひどい時期を乗り越えた後の状態で、このポストトラウマ期はさらにふたつに分類することができます。

はじめは“一番大変な時期が終わって、生活がある程度落ち着いた、やっと終わった”という、少し息が抜ける時期が来るんですよ。

それから3ヶ月〜6ヶ月後くらいに、ようやく、受けた傷や失ったものへの反応がこころに出てきます。これが、いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼ばれるものです。その時は、実はひとりひとり自分が何を失ってしまったのかを見極め、その体験も含めて、自分の人生をもう一度書き直す必要があります。

今のコロナウイルスの状況は、まさに「急性期」。ここからは、急性期における不安との向き合い方を中心にお話を聞いていきます。

事実と感情を切り分け、「正しく恐れる」ことを

災害まっただ中の急性期における生活では、とにかく漠然とした不安が襲ってきます。私たちが、この不安と適切な距離感で付き合うためには、どうすればいいのでしょうか。

まずは、事実と感情を切り分ける必要があると思います。たとえば、“仕事がなくなった”というのは事実ですよね。でも、“これから一生仕事がなくなってしまうのではないか”というのは、事実ではなく、感情なんです。

不安というものは感情であり、感情は、色付けしようと思えばいくらでも膨らんでいってしまいます。大切なのは、“不安を消そうとすること”ではなく、“不安は感情なんだ”と知っておくこと。

だからといって、事実をおろそかにして、“私は大丈夫”“こんなのたいしたことない”と過信してしまうこともよくありません。過信とは、不安な状態があまりにも苦しいため、その不安を振り払うためのこころの働きです。不安から目を逸らさず、正しく恐れることをどうか忘れないでほしい。

岩倉さんのその言葉を聞いて、たしかに、私が冒頭で書いた「半年後まで続いた場合、今と同じように仕事はあるのだろうか」「家族や友達、そして自分自身が罹患してしまったらどうしよう」といった不安は、事実と感情がまぜこぜになっていることに気がつきました。

まずは、きちんと正しい情報を取り入れ、事実を知ること。感情が何によってもたらされているかを意識し、正しく恐れること。それなら、少しずつ意識することはできそうです。

「悪い感情」を無理に閉じ込めない

ただ、「正しい情報を取り入れる」ことが必要だとわかりつつも、不安な状況が続き、語気を強めたりネガティブな発言をしたりする人も多い今、情報収集に嫌気が指してしまうことも……。

そういったネガティブな情報を摂取しすぎてしまうくらいなら、情報のシャットダウンをしてしまった方が楽なのかもしれないと思う時がある──そう言葉をこぼすと、岩倉さんからは、こんな答えがかえってきました。

急性期には、インターネットに悪意のある投稿もたくさん出てきます。買いだめやパニックといった現象が起きたりもする。ですが、それも人間のひとつの真理だと僕は思っていて、それを見なければいいとまでは、あまり思わないんです。

見えない不安の渦中では、考え方が極端になっていくことが特徴として挙げられます。いつもは冷静に考えられていても、不安に陥ると極端な考えや行動に走ってしまう。

つまり、極端な考えや行動は、私たちのこころの奥に潜んでいるものが表出しただけなんですよ。ゆとりがなくなり、状況が悪化すると加速度的に現れてくるこの現象は、生き延びようとする私たちのいわば本能がそうさせるものなんです。

そういった「本能」から目を背けてしまうと、逆に心身に影響が及ぶこともある、と岩倉さんは続けます。

“みんな頑張ろう、きっと大丈夫だよ!”といったように、自分の負の感情を押し殺して無理に明るくなろうとすると、結局負の感情が鬱積して、それが逆に不安症状になったり、身体化したりすることがあります。

負の感情や感覚は、抑え込んでしまうのではなく、適切に手当てやケアをすることが必要です。

人が持つ大切な感情として消化されれば、それは主張や意見につながるものでもあります。もちろんそれだけに晒され続けると溺れてしまうので、“これ以上ネガティブな情報に触れるとまずい”と思ったら、情報をシャットダウンする必要はありますが、“悪意は避けるべきもの”と決めつけるのではなく、大事なのはバランスだと思います。

悪意も、人間の心の作用のひとつであり、大事なのはバランスを取ること。そんな言葉の先に、岩倉さんの口からは「フルコンタクト」という、さらに興味深い言葉が出てきました。

僕自身の健康観として、“フルコンタクト”という状態をとても大切にしています。カウンセリングの視点では、自分の中の感情や感覚とつながることを“コンタクト”と呼ぶことがあるのですが、正のものだけでなく、負の感情や感覚も含めた自分の中にあるもの全部にふれる、いわば“フルコンタクト”の状態を健康と感じます。

“ある”のに“なかったこと”にして触れないでいると、その部分があとで傷やしこりとなって残ってしまうのです。

先ほど、中高生の頃、ディベートでは相手が変わらなかったという経験を話しましたが、それは頭や知識だけのコンタクト、一部だけしか相手と触れあわなかったからだろうと今は思っています。

また、フルコンタクトを心がけることは、人間の「奥行き」を大事にする姿勢でもある、と岩倉さんは続けます。

たとえば、誰かを攻撃するとか、目を覆いたくなるような事態がある。それらはもちろん辛いし、ネガティブな情報なわけですが、そこには何かの“奥行き”があると考えることは大切です。

よく目を凝らしてみると、誰かを攻撃せずにはいられないくらいその人が傷ついていたり、怒っていたりするというその人の物語が隠されているかもしれない。その奥にある傷つきへの手当なしに攻撃が収まることも難しいのです。そういう出来事の“奥行き”をみる視点を忘れずにいてほしい。

わたしたちに今見えているものは、外側の一部分でしかない。お饅頭でたとえれば、皮の部分が見えているわけです。その奥側にあるアンコまで想像する、考えることが大切なのではないでしょうか。

自分の感情とフルコンタクトをして、人間の「奥行き」を味わうように心がける。

たしかにこの2点を意識してみるだけで、情報との向き合い方はだいぶ変わるような気がしました。

「不安」に飲み込まれてしまわないように、人との対話を大切に

そうはいっても、その情報を読んで生まれた自分の「感情」をコントロールするということはなかなかに難しいこと。特に今のような非常事態においては、どうしても、不安などネガティブな感情に飲み込まれてしまいそうな瞬間も訪れます。

感情に飲み込まれてしまわないためのコツは、他には何があるのでしょうか。

“一人で不安にならない”ことが大切です。一人で不安になると、自分の言わば“脳の範囲”、考え方の範囲から出ることができずにいつも同じ結論にたどり着いてしまい、いくらでも滑り落ちていってしまいますから。

でも、人と話すと、今までと違う結論に行ける可能性がありますよね。誰かと対話することが、不安という感情と戦う強力な手助けになります。

対話が大切だからこそ、今こそ必要なのは「コミュニティ」なのだ、と岩倉さんは続けます。

僕は、福島の支援をしている時に、コミュニティの大切さを痛感しました。田舎の“おせっかい”のコミュニティが、災害時は救いになるんです。

誰かが誰かを心配できるという環境は力になります。小さなコミュニティでも、ちゃんと皆がそれぞれを思いあってる地域は、健やかな状態が保たれていました。逆に、心配されずに放置されてしまう状況では、心身に不調が起きたり、それによって自殺が起きてしまったケースもありました。

今は、パーソナルなつながりを大切にしなくてはいけない時期で、人が人におせっかいをする必要があると思います。いままでの都会の距離感よりも、もっといわば田舎の距離感で、心配する、押し付けがましくなる必要があります。

もちろん中には、コミュニティを拒絶する人たちもいると思いますが、そういう人ほど、こちらから訪ねて行かないといけません。今はいつも以上に、人と人が心を寄せていく必要があるのです。フィジカルディスタンスは感染予防のために保つ必要がある。ただし、メンタルディスタンスは維持する、あるいはこれまで以上に近づけなければこの事態は乗り切れないでしょう。

同時に、おせっかいのコミュニティには面倒くさい一面もあると岩倉さん。パーソナルスペースが広い人は、必要以上に自分の生活に踏み込まれると疲れてしまうこともあるでしょう。

だからここでも大切なのは「バランス」だそう。コミュニティに属しながらも、ちゃんと適切な距離を取っていくことが必要です。

実は私自身パーソナルスペースが広く、親密になりすぎるコミュニティはあまり得意ではないのですが、この話を聞いて、バランスを取りながら今あるコミュニティを大切にし、適度におせっかいをしていこう、と思いました。

「奪われてしまった日常」に対する傷みとどう向き合うか

わたしたちは、今、窒息状態なんです。

岩倉さんは、今の私たちの状態をそう話します。

今までは普通にあった、飲み会や、同僚との会話、タバコ部屋での他愛のないおしゃべりとか、そういった“空気のように当たり前にあったもの”がなくなっていますよね。

空気がなくなって、今、私たちはもがいている状態です。だから、日常にまだ余裕のある人は、無意識に、オンライン飲み会や新しい趣味など、何かをやり始めている。そうやってなんとかして取り戻そうとしていることこそが、私たちが失ったものなんです。

でも、日常に余裕がない人は、落ち込んでしまって回復作業をできなくなってしまっている。だからその人たちにちゃんと手を差し伸べて、今まであった普通の関係性を回復していく、提供していく努力も必要なのです。

また、窒息状態と同時に、私たちは極度な「緊張状態」にもあるのだ、と岩倉さんは続けます。

私が冒頭で話した、眠れなくなったり気づかないうちにイライラしてしまうといった現象は、「過覚醒」と呼ばれる、過度の緊張状態が引き起こすものだそう。

私たちは今、“感染しないだろうか”などの緊張・興奮状態にずっといるので、それが心には良くないんです。なので、自分が落ち着く時間を意識的に確保してあげることが必要です。よく眠るとか、よく食べるとか、そういった基本的な健康管理がとても大事になってきます。

生理学的に言えば、過覚醒は交感神経系が優位に働いている状態。猫がずっと、フーッと毛を逆立たせている状態、と言えばイメージしやすいでしょうか。

だからその反対で、猫が縁側で寝そべってる、あの状態になれるように、意識することが大切ですね。人それぞれ“縁側への道”があると思うので、お風呂にいつもよりゆっくり入ってみるとか、ベランダで陽の光を浴びてみるとか、ぜひいろいろと試してみてください。

自分たちが今、「酸素がなく、緊張状態にある」ことを認識する。そして、その緊張状態をほぐせるような、副交感神経が働く瞬間を大切にする──。それだけで、日常での意識は自然と生まれるような気がしました。

「回復する」という基本的な機能を、人はみんなが持っている

今は「失われたもの」に目が行きがちだけれど、この状況にもきっと、プラスの側面は絶対にあるはず──。

最後に、岩倉さんに、今回のこの状況が私たちに与える「希望」について伺いました。

喪失や危機は、チャンスでもあります。災害が起きると、否が応でも、向き合わなければいけないことが増えますよね。そうなってくると、どんどん変化も起きるんです。今もわたしたちのあり方は、日々、刻一刻変わっていると考えています。

たとえばパートナーシップなどでも、今まで逃げてきた問題から向き合わざるを得なくなる。その結果離れるという結論になることももちろんあると思いますが、逆にそれがいい方向に話が進むこともある。負のことも起きるけれど、同じくらい正のことも起こっているんです。

人は、本当に変わりたいと思った時にしか変わりません。だから私たちは今、変われるチャンスでもあるのです。喪失による不安をちゃんと噛み締めながらも、日々向き合うべきことに向き合うと、きっと前向きな未来が待っているはずです。

この言葉は、私にとってかなりの希望となりました。

たしかに、私は今回のことがきっかけで、パートナーとの対話が進み、その関係は以前よりもよいものになっている実感があります。それはきっと、今回のコロナウイルスが原因で、「話さざるを得ない状況」が生まれたからこそなのだろうな、と思いました。

そして岩倉さんは、もうひとつの希望として、私たちが持つ「回復の力」について話を続けます。

福島の支援の時、僕は“誰かを治療している”という感覚より、“関係を修復している”だけだという感覚がありました。

それはどういうことかというと、人が本来持つ力は本当に大きく、壊れてしまった“関係性”を戻してあげるだけで、自然と支え合う、ということ。

人間には、人を癒したり、回復させたり、繋げたりするたくましい力が、驚くほど強くあるのだと思います。

今ある不安と向き合いながら、私たち自身が本来持っている力を信じ、今回の危機をチャンスに変えていく。

「負の感情を否定しなくてもいい」「私たちには、力がある」という岩倉さんの柔らかい言葉たちが、これからも変化が続いていくであろうこの状況を乗り越える支えになってくれそうです。

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岩倉拓さん note

(執筆/花路ゆう、編集/工藤瑞穂、イラスト/マスブチミナコ Instagram note、企画・進行/松本綾香)