こんにちは!周りの人からは「しんちゃん」と呼ばれています。私は17歳で「クローン病」と診断されてから現在まで難病患者として人生を歩んできました。
「クローン病」とは、体内の免疫機構の異常により、自分の免疫細胞が腸の細胞を攻撃してしまう炎症性腸疾患(IBD)のうちの一つ。その他の炎症性腸疾患としては、潰瘍性大腸炎や腸管ベーチェット病が挙げられます。
なかでもクローン病は口や肛門を含めた全部の消化管に炎症をきたすことがある難病で、特に小腸、大腸、肛門が炎症をきたしやすいです。患者は下痢・腹痛や発熱、体重減少が起こりやすくなります。
現在は、炎症性腸疾患の当事者や家族を中心とした人たちが治療などの情報交換を行うための「みえIBD」という患者支援団体の会長をしています。
今回は、クローン病患者として歩んだ14年間の道のりや当時の気持ち、現在の活動への思いについてお伝えしたいと思います。
17歳で「クローン病」と診断。「自分の人生どうでもいいや」と嘆いた日々
今でこそ「病気に苦しむ方へ希望を与えたい」という思いで患者支援団体の会長やTwitterでの発信を行なっている私ですが、幼少期はあまり積極的な性格ではありませんでした。勉強やスポーツ等で目立つような得意なことがあるわけではなく、いたって普通の子どもです。
強いて言えば、知的障害があるクラスメイトの側でいつも生活のサポートをするような少年でしたが、そこに強い正義感などはなく「気づいたら一緒にいた」といった表現の方が合っているように思います。
体に異変があらわれはじめたのは14歳の頃。原因不明の体調不良が続いたり、悪化したことで小児科に入院することもありました。当時の私の年齢では、大掛かりな準備等が必要という理由からお腹の検査を行うことができなかったんです。ですので腹痛で入院しても原因や治療方法は分からず、ひとまず入院期間は絶食して痛みを無くしていく、ということをしていました。
自分の体の中で何がおきているのか分からない状態は3年ほど続きました。17歳になり、腸閉塞で炎症がひどくて入院した際に行なった検査で、はじめて「クローン病」だと診断されました。親と一緒に主治医からの説明を受けましたが、当時の記憶はあまり残っていません。ただ、訳も分からずにいた自分の体調不良に名前がついた安心感が、多少あったことは憶えています。
そして、それと同時に私に押し寄せたのは未来に対する不安感でした。クローン病に関する情報を全然持っていなかったのでインターネットで調べると、でてきた言葉はネガティブなものばかり。
手術を繰り返さないといけない治らない病気。
ガンになる可能性がある。
体調不良が続くため、働くことができない。
検索すればするほど、絶望で胸が押しつぶされそうになりました。
幸い難病を理由に学校でいじめられることも無く、友人は入退院を繰り返す私を心配してくれましたが、「治らない病気になった」と説明してもいまいちピンと来ないようでした。私が抱えている悲しみや孤独を分かってくれる人はいない……。そう思っては落ち込んでいました。
特に秀でた才能もない自分が難病になり、この先働けなくなるなんて。何を頑張っても無駄なんじゃないか。自分の人生、もう、どうでもいいや。
未来の可能性が閉ざされたと思った私は、自分の人生に対して投げやりな気持ちになり始めていました。
「私のために多くの人が力を貸してくれた」、管理栄養士の先生との出会い
クローン病は発症する原因が明確にはなっていないものの、再燃には食べ物の影響があるのではないかと言われています。絶対に食べてはいけないもの・食べてもいいもの、というのは共通しているわけではなく、個人差もあるので、患者は食生活にも気を遣わないといけません。
診断された後、炎症性腸疾患の患者支援団体の運営に関わる管理栄養士の中東真紀先生に、学校で行われる三泊四日のスキー合宿に参加しようかどうかを相談したことがありました。
その時、中東先生は私のために三泊分の食事メニューを作って、そのメニューを見た担任の先生は、合宿先の方にメニュー通りに作ってくれるように交渉してくださったのです。合宿先の方が快く引き受けてくれたおかげで、私は無事にスキー旅行を楽しむことができました。
中東先生をはじめ、多くの人が私一人のために力を貸してくれたんだ。
そのことがとても嬉しく、中東先生が運営に携わっている「みえIBD」という炎症性腸疾患の患者支援団体に遊びに行くようになりました。そこでは、当事者やその家族による医療的な情報交換会や専門家の方による講演もあり、実際に信頼できる医療情報などを得られるようになりました。
絶望の中で出会った、目の前の人生を楽しむ先輩患者たち
17歳から20歳の間は何度も入退院を繰り返していました。当時は、入院すると退院まで半年以上かかるのは当たり前で、3ヶ月で退院するのは早い方だと言われていました。
院内の食事は、柔らかくしたご飯や脂身を少なくした魚やお肉を少しだけ食べていました。IBDの食生活は本当に味気がなく、よっぽど意志が強くないと食べ続けるのはしんどかったです。また、鼻からチューブを通して「エレンタール」という栄養剤を摂取できるようにするため、目覚めたら真っ先に鼻から管を抜いていたのですが、それが地獄みたいに痛くてしょうがないのです。
栄養剤が入ったポンプを常に持ち歩くのですが、院内でポンプを持っている人を見かけたら「自分と一緒の病気なんだ」というのがわかるようになっていました。
私はIBDの専門病棟に入院していたため同じ症状の患者が多く、現代のスマートフォンのような暇つぶしになるようなものは持っていなかったので、自然と他の患者とも仲良くなりました。
クローン病は、長期に渡って症状がない状態である「寛解」に向かうことはできますが、完治するための治療方法は開発されていません。ですので、病歴十何年にも及ぶ先輩患者も多くいます。
仲良くなるうちに、社会で働いている人や結婚している人、パートナーがいる人などさまざまな人生の話を聞いてリアルな生き様を学んでいました。
生活に慎重になりすぎても病気が治るもんでもないんだからさ、時にはやりたいこともやっちゃおうよ!
そんなことを言いながら、医者からやらないように注意されていることのギリギリに挑戦するような、とにかく破天荒なレジェンドもいたんですよね(笑)。また、私が再入院をする度に「おかえり」と言ってくれる病院の主のような先輩患者もいました。
同じ病気なのに、楽しそうに日々を生きている患者が多くいる。自分もこの先の人生、なんとか生きていけるんじゃないかな。
とにかく元気な先輩患者さんを見ていると、次第に私自身の中でも根拠のない安心感が湧いてきました。入院当初、得体の知れない腹痛に苛まれたり食事制限が厳しかったりと、未来に絶望していた私にとって、先輩患者の存在は心の支えだったのです。
現在は医療の進歩によって長期入院する患者が減ってきているそうで、とても素晴らしいことです。ただ、私にとっては三ヶ月以上の入院生活があることで築くことができた繋がりだったので、当時に比べて現在はそういった繋がりが持ちづらくなっているんだと思うと、ほんの少しだけ、寂しさを抱くこともあります。
「あのとき病院で話した先輩患者たちは今頃どうしているのかな?元気にしているのかな?」とふと知りたくなる時もあるのです。
20歳、回復とともに未来への可能性が開いた
高校卒業後は、コンピューターについて学ぶことができる専門学校に進学。入退院を繰り返しながらもなんとか通っていました。
20歳になり就活を意識し始める頃、初めて小腸から出血し黒色便が出るようなりました。輸血を何度も行いましたが出血はコントロールできず、主治医からは手術を提案されました。
手術を希望はしませんでしたが、新しい治療薬を試している最中に意識を無くし、そのまま緊急で初めて小腸を切る手術を受けました。術後、私の体調は劇的に良くなり、みるみるうちに回復。今振り返ると、このタイミングで新しい治療に切り替えられがことで就職活動を乗り切れたなと思います。
14年間クローン病患者として生きる上で苦労したことの一つに、就職活動や仕事の継続が挙げられます。
クローン病患者はいつ体調不良になるか分からないことから、病気でない人に比べて継続して勤務することが難しく、入院した際には長期間仕事を休まなければいけません。
私が就職活動を行なった際は、リーマンショックの影響による就活氷河期時代。振り返ると、私は身体障害者手帳を持っていたため、障害者雇用枠を活用して就職活動ができたことは非常に大きかったです。一方で、現在クローン病になった人達は障害者手帳を持たない人が多いので、就職活動をどう乗り切っていいか不安に感じているという患者さんの声も聞きます。
ただ、私の場合は就職してからも苦労が続きました。
まず入社した初日に倒れて、入社研修も受けられないまま4ヶ月の入院を経験。さらに退院して職場に戻ってからも、当時はどうしても先輩に話しかけられず、わからないことを聞けませんでした。ようやく仕事を覚えたと思ったらまた入院…というのを繰り返す日々。
仕事の覚えが遅いこと、そして病気のこともあり私自身も周囲との差に不安がありましたし、教えてくれる先輩もまた大変だったと思います。それでも投げ出さずに根気強く教えてくれたことに、本当に感謝しています。
私の場合は、病気のことを周囲に伝えることも大切にしていました。というのも、当時はクローン病を調べてもインターネットや本ですら情報が少なかったのです。
そこで、就職活動の時に自己分析をして自分の強みや弱みを伝えるのと同じように、病気の症状、治療方法、入院パターン、通院期間などを記載したQ&Aのような、病気のマニュアルを作って伝えるようにしました。これは入社後も最初の数年は、社内で一緒に働く人には共有していました。
生きる希望をくれた先輩患者の存在に、次は私がなりたい
働いて6年ほど立った28歳(2016年)のときには、久しぶりに長期入院を経験します。その際、昔の入院とは異なる違和感を抱きました。
今の患者は栄養剤を摂取するポンプを持っていないため、病院内で同じ病気の人を知ることができず、一人として新規の患者とすれ違うことすら無かったのです。一昔前なら、新規の患者が入院するたびに友達になって仲良くしていたのですが、今ではそういった交流が見られない。
「どこかに同じ病気の人はいるはずだ」と思い、私はSNSで繋がったクローン病患者に直接会いにいくようになりました。
患者さんとお会いして話をするたびに、クローン病になったばかりでこの先どのような生活を送ればいいのか不安を抱く人にとって、先輩患者さんの姿は大切な情報になる、と改めて感じました。
私がはじめて入院して不安を抱いていた時に助けてくれたのは、先輩患者からの情報の数々。あの時支えてくれた人たちのように、私も新規の患者さんにさまざまな情報を届けたい。そして、少しでもいいから未来を生きる希望を与えたい。
そんな思いでTwitterとアメーバブログでの情報発信をはじめ、次第に講演会などにも呼ばれるようになりました。
講演会では、働き方の相談をされることも少なくありません。私は働き始めてからも入院を繰り返したり、安定しなかったこともあり、会社の制度に救われているところがあります。
そのためあくまでも私自身のパターンであることを伝えた上で、福利厚生があるだけではなくて、制度を活用できている先輩社員がいる事実も重要であること。そのためにインターンシップなどの機会に質問をして、求人情報だけでは分からない部分を知ってから入社してもらいたいことを伝えています。
信頼できる情報と患者同士の繋がりを提供する「みえIBD」
私が2019年6月から会長を務める「みえIBD」では、医療講演会、お食事会、患者交流会の三つを定期的に開催することを柱に活動しています。
みえIBDは四日市羽津医療センターに事務局を置いているため、医療講演会ではセンターの先生や三重大学の教授にお越しいただき、IBDに関する最新の医療情報を話してもらっています。
お食事会は年に1回、長野県にある松本大学との合同の共同イベントとして、管理栄養士を目指す学生が三重県まで来て、IBD患者のための食事を作ってくれています。
患者交流会では毎回ゲストもお呼びして、意見交換や親睦を深めます。2019年6月に開催した際は、非常時にかかわらずどんなときも排泄に自由であるための活動をする「チーム・トイレの自由」の社長をゲストとしてお呼びし、水害時に排泄で困った時にどのような方法があるのかを体験イベントで紹介していただきました。
このように、インターネットだけでは知ることができない医療現場の情報や、IBD患者やその家族同士の繋がりを持つことができる機会提供をしています。
私は中東先生のおかげで17歳から患者会に参加するようになり、さまざまな人と出会うことができました。多くの人の人生を知ることができた当時の恩返しも兼ねて、現在も活動しているのです。今後も無理やり活動範囲を広げるのではなく、どんな人でも来やすいような場所として変わらず存続し続けていきたいです。
「困難な状況の原因はどこにあるのか?」を意識するように
私は昨年、人間関係のストレスが原因で体調が悪化し、適応障害の診断を受け、休職せざるをえない時期がありました。
早期に休職する事が出来たのでクローン病の悪化に発展する事は無かったものの、それをきっかけに心理学に興味を持つように。というのも、これまで病気による体調不良は慣れていましたが、クローン病とは全く関係のないストレスで体調を崩すことは初めての経験で、自分の状況を少し考えたいと思ったのです。
休職中には心理学を学ぶことができる学校に通いました。学校で「自分は日頃から言いたいことを言えているのか?を考え直す」といった講座を受けて、仲良くなった友人に自分の人生について話している際に「自分は障害に甘えているんじゃないか?」と思うようになりました。
例えば、クローン病に限らず低気圧になると体調を崩す人は多いです。私も低気圧の日は「今日は仕事を休みたいなぁ」と思うほど体調の悪い日があります。この場合、体調が悪い原因は「クローン病」なのか「低気圧」なのか明確に切り分けるのは難しいと感じています。
気圧やストレスなど、何かをきっかけに持病の状態が悪化するケースは多いと思います。私自身「人間関係のストレスですでに適応障害の症状が出ている。このまま無理をすればクローン病が悪化してしまう」という産業医の判断で休職しました。
だけど、今までの私は体調の悪化を全てクローン病に紐づけていたかもしれないと、休職を経験して思うようになりました。
体調の悪化にある背景を見ようとしてこなかったのではないか?時として、クローン病を理由にして甘えていた事はなかっただろうか?
そう過去を振り返りました。
それ以来、病気に限らず困難な状況に陥った際は「困難な状況の原因はどこにあるのか?」問題の切り分けを考えるように意識しています。
9ヶ月の休職を経て私は復職をしました。長年お世話になった部署からは異動になり、入社当時から志望していたシステム部へ。今の部署に入るきっかけをくれたのは、実は私が新入社員時代に一番近くで指導をしてくれた上司でした。
今年で入社して10年が経ちますが、長く働く中で、こうした人との繋がりを感じられたり、希望する仕事ができるようになったり、私にとって嬉しいことも沢山あります。
今は産業医と相談して午前中の時間帯が体調不良になりやすいこと、午後の時間帯が活動しやすいことなど私の性質が見えてきたので、シフト制のうち遅い時間からの勤務を中心にしています。また休みの取り方なども、継続して働けるように工夫しているところです。
こうした職場からの配慮を甘えだと捉えられることもあるかもしれません。
ただ、私の会社では病気以外の色々な事情に配慮している側面もあります。最も多いのは、育児時短勤務という制度です。この制度を活用して、朝早めの時間から働き、夕方早めに退勤して保育園へ子供をお迎えに行くという感じです。
こうした制度に助けられて、私はもちろん色々な人が働くことを続けられているのだと思います。これからも人それぞれの事情に沿って、柔軟な働き方が広がってほしいですね。
「病気になって得ることができたもの」が人生の光となる
「自分の人生、どうにでもなれ」と絶望した17歳の頃を振り返り、今こうして私が生きている理由を挙げるとするならば、大きく三つあります。
一つ目は、未来への不安が吹き飛ぶほどの勇気をくれた先輩患者の姿。二つ目は、体調を劇的に回復させてくれた新薬の登場。そして三つ目は、現在の会社に就職出来たこと。
私にはこの三つの希望があったから、こうして人生を歩むことができているのだと思います。
さまざまな患者さんと交流してきて思うことは「その人が感じている生きづらさや、直面している困難の一部として病気がある」ということ。患者さんたちの相談を受けていると、病気の症状が一番の悩みではなく、その人の生活の背景にある家庭環境や仕事など、病気ではない何かが本当の悩みになっていると思うことがあります。
自分自身が何に悩み、何に苦しんでいるのか。それがはっきりと分かるだけでも気持ちは軽くなるはずです。
私は「病気であるが故の生きづらさ」と、「自分の置かれている環境が故の生きづらさ」の両方に目を向け、生きづらさの正体を見つけられたことで、「辛いことのすべてを病気のせいにしない」と意識するようになりました。
私には、病気になった事で背負った生きづらさもあるけれど、病気になったからこそ、得ることができた経験や価値観もある。
そう思えるようになりました。
病気じゃなかったらこの人と出会えていなかったな。
病気じゃなかったらこういう考えにはなれなかったな。
もし、自分の体調や環境が安定して心に少しでも余裕ができたときは、「病気がくれた贈り物」に目を向けてみるのもいいのではないでしょうか。そこには自分の人生を豊かにする光があるかもしれません。
関連情報:
(編集/工藤瑞穂・松本綾香、企画進行/佐藤みちたけ・木村和博、写真/松本綾香、協力/杉田真理奈)