【写真】笑顔でこちらをみているはるさん

皆さん、初めまして。IBS place代表のHARUです。

私はフリーランスディレクターとして仕事をしています。

突然ですが、皆さんは「IBS(過敏性腸症候群)」という病気を知っていますか?

お腹の痛みや調子の悪い状態が続き、それに伴って下痢や便秘などに悩まされる病気で、世界人口の約15%、 7人に1人がIBSである可能性があると言われています。(参考文献:モナッシュ大学ウェブサイト

IBSの症状別の分類では、便秘型、下痢型、混合型、分類不能型の4つがあります(IBSの国際的な診断基準Rome IV基準より)。他にも、便異常はないけれどガス症状で悩んでいる人も多く、当事者の方の中にはこの症状がある状態を「ガス型」と呼んでいる人もいます。

私は、10代の頃にIBS 便秘型を発症しました。さらに、大量の空気を呑み込むことによって、胃や食道、腸に空気がたまり、ゲップや腹部膨満感がおこる「呑気症(どんきしょう)」も併発しています。

IBSは見た目では伝わりづらい上に、症状の特性から他人には相談しづらく、においや音が漏れていないだろうかと、多くの人が不安な日常生活を送っています。

私自身、子どもの頃から他人とのコミュニケーションや誰かに頼ることが苦手だったため、IBSのことを誰にも相談できずにいました。

しかし、大人になるにつれて世界が広がり、人生において夢中になれるものが増えたことで、前を向いて生きていけるようになりました。

一期一会の出会いや、誰かと言葉を交わすことを心から楽しめるようになった今では、「IBS place」という団体でIBS当事者の交流会を企画したり、別の病気や悩みを抱える人たちとコラボイベントを実施したりといった活動をしています。

とにかく恥ずかしくて、誰にも知られたくなかったIBSのこと。そんな私が、周りの視線を気にしすぎずに自分の人生を生きようと思えるようになるまでの物語をお話します。

コミュニケーションが苦手だった子ども時代

私の家庭は、小さい頃から引っ越しを繰り返していました。小学校から高校生の頃までは、引っ越しや進学によって約2〜3年ごとのペースで環境の変化が訪れるような人生でした。

小学校までは、校区ギリギリの場所にある自宅から通っていたため、近所に友達が住んでおらず一緒に登下校するような機会もなかったんですよね。なのであまり友達と遊ぶこともできず、放課後に友達の家に遊びに行った記憶も数える程度しかありません。

その代わり、放課後や休みの日はほとんどをお家の中で過ごしていた記憶があります。私には2人の妹弟がいて、長女として下の子たちのお世話をしたり、1人で本を読んだりしていました。

【写真】子どもたちが走っていくのを眺めているはるさん

特徴的だったのは、おままごとや人形遊びにはあまり興味がなくて、いろんなパーツで建物を作って遊ぶことに夢中になっていたことでしょうか。

本や建物づくりの素材をたくさん買ってもらっていて、これが後々、私の将来の職業にも通ずる経験となりました。

学校での私といえば、早生まれで同級生に比べて発育が遅かったため背は小さかったですし、言葉の発達も遅く周りの友達とコミュニケーションを取ることが苦手なタイプ。泣いたり怒ったり、感情のコントロールもうまくできませんでした。

友達とも休み時間は喋るけど、それ以外は機会もなくてあまり喋れないというか。圧倒的に会話量は他の子より少ないっていう認識はありましたね。コミュニケーションが苦手なのもあるし、家が遠過ぎて友達と気軽に遊べないのもあり、関わるきっかけを失っていたのかもしれません。ちょっと寂しさみたいなものを感じていた子ども時代でした。

どうして私がこんな病気に?誰にも頼れずに抱えていた“義憤”

そうやって過ごしていく中で、IBSを発症したのは中学2年生の秋でした。元々便秘持ちだったのですが、ある日突然、おならが止まらなくなったんです。

あれ、大丈夫かな私?

初めてIBSを発症したこの日のことを、今でも鮮明に覚えています。

学校の授業中に異変に気付いたのですが、それが1週間ほど続いて、「本当におかしいかも」と思うようになりました。学校にいることによる緊張やストレスもあったのかもしれませんが、本当に量というか回数が多くて、1時間目から6時間目ぐらいまでにおならが400〜500回出るんです。

おならのことは、恥ずかしくて親にも友達にも言えませんでした。でも、便秘であることは言いやすかったですし、それが原因であるような気もしたので、「便秘で困っている」として親に相談してみました。

その後整腸剤を飲んだり、食物繊維多めなものを中心にして食事面から改善を試みたり。それでも症状は治らず、おならを我慢すればかえって腹痛も起きてしまうため、結局、親に頼んで病院にも行くことにしました。

当時、私は14歳。初めての受診は小児科で、IBSだと診断されました。ただ、その後も症状が治らなかったので、それから数年かけて内科・消化器科など複数の病院を受診して回る、いわゆるドクターショッピングをしていました。

私は病院でも、「便秘で困っている」ことは伝えたものの、思春期だったこともあり、ほとんどが中年男性であるお医者さんに「おならが止まらない」とは打ち明けられなかったんです。

病院は、お腹の痛みを和らげる整腸剤などいろいろと薬を出してくれました。当時のお薬手帳には「この薬でお腹の痛みが若干治ったみたい」など親のメモが書かれていましたが、薬を飲み続けると効果が薄まってしまい、その後も腹痛は頻発していました。

また、便秘した後でガスが溜まってしまう膨満感や、腹痛・腹鳴といった症状があることに加え、人としゃべったりご飯を食べたりしている時に空気を飲み込みすぎてしまう「呑気症」という症状があると判明したのは、IBSだと診断されてからしばらく時間が経った2021年のことでした。

【写真】真剣な表情で話をするはるさん

なんで私だけこんな症状が出るんだろう。何か悪いことしたかな。

当時の感情として、“義憤”というワードが私にはしっくり来ています。自分ではどうしようもない領域で、不幸なことが降りかかっていることに怒りを感じていました。

「私って、呪われているのかも。徳を積めば治るかな……」とまで思っていましたね(笑)。だから、ひたすら良い子にしていたし、他人に優しく、勉強も頑張る優等生になっていました。

「徳を積む」って言い過ぎかもしれませんが、それぐらい他に手の打ちようが無かったんです。

例えば、現在はIBS下痢型の症状に効果のある「イリボー」という薬が一般的に処方されていますが、このような薬が日本で出始めたのは15年ほど前からで、当時はネットにもほとんど情報がありませんでした。高校生の時には、親に浣腸を大量に買ってもらって、常にポーチの中に忍ばせてましたね。当時は、本当に情けない気持ちでいっぱいでした。

【写真】質問に応えるはるさん

学校では、おならのにおいなどで迷惑をかけている気がして、その場から逃げたい気持ちでいっぱいでした。休み時間にトイレでガス抜きしようとしても、緊張で力んでしまってうまくできなくて。そうなると、私自身も授業に集中できないので、よく保健室に逃げていました。

その頃とても痩せていて貧血でよく倒れたりしていたので、顔色も青白くて、その見た目から「具合が悪いです」と体調の悪さを主張しやすい状況でした。ただ、あまりに頻繁に来るからなのか、保健室の先生から親身になってもらえず、冷たい対応をされている気がしてつらかったです。

親にも相談できないし、お医者さんや保健室の先生にも頼ることができない私は、「味方になってくれる大人なんて誰もいない」と感じていました。多分これは、私が他人にあまり頼れない性格だったことも関係していると思います。私の悩みを、対話によって丁寧に解きほぐしてくれるような大人を見つけられず、苦しい時間が続きました。

コミュニケーションの楽しさを知った大学時代。病気が理由で諦めたこと、後悔したこと

中学・高校の学生時代は洋楽を聴くことに熱中していました。好きなバンドに憧れて、親に頭を下げてどうにかドイツまで行ったほどです。その中にドイツの建築巡りもコースに入っていました。

そこで私は、建築の世界に出会うことになります。人に感動を与えることができる建築の世界に魅了され、大学からは建築分野の道へ。子どもの頃から建物を作って遊んでいたことが、時を経て私の進路へと繋がっていきました。

【写真】笑顔で話をするはるさん

大学時代に所属していた美術部は、先輩が後輩を積極的に育ててくれる風土があり、とても良い人間関係に恵まれたんです。学部の建築の先輩も仲良くしてくれる方が多く、よくバーに連れて行ってもらっていました。

先輩たちには、お酒を飲みながら他人と深く対話する機会をたくさん増やしてもらいました。そのおかげで、徐々に自分の性格が移り変わっていったなと感じています。

昔は、他人に頼れない、大人が信用できないと感じることが多く、コミュニケーションを苦手としていた私。ですが、バーというお酒と交流の場所によって、進んで人との出会いを楽しめる自分に変わっていきました。

【写真】考えながら話をするはるさん

そんな充実した大学生活を送っていましたが、一つだけ私は後悔していることがあります。それは、本当は建築分野の中でも設計の専攻に進みたかったのに、病気が理由で諦めてしまったこと。

もし設計専攻を選んだ場合、授業が6時間ぐらいあったり、授業外でも課題の精度をあげるために製図室での作業時間が長くなったり、一つの空間への拘束時間がとても長くなってしまうことが目に見えていました。

お腹痛くなるし、トイレにも行きたい。教室中がおなら臭くなるだろうな。そしたら、生きていけないな。

本当は友達と一緒に設計のコースに行きたかったので、3ヶ月ぐらい泣きながら悩みました。ですが、その環境に耐えられる自信が無かったので、諦めて私は他の専攻を選びました。

結局、他分野も楽しく学ぶことができ、自分に合った仕事にも巡り合うことができたので、良かったと思います。しかし、病気が理由とはいえ設計の道を選ばなかったことを、私は20代後半まで後悔し続けました。

また、自分がIBSであることは、墓場まで持っていくつもりでした。だから、大人になってたくさんの友人とコミュニケーションを楽しめるようになったとしても、IBSのことだけは誰にも話していませんでした。

IBSのことを恥ずかしいと思わない、隠さない私へ

大学卒業後は、ホテル開発の仕事に携わりました。ドイツで出会った建築がそのままルーツになり、「言葉がなくても人に感動を提供できる現代の建築はなんだろう」と考えた時に、ホテルだと思ったんです。

新卒入社してから8年間、国内から海外まで、ずっとホテルの開発に関わってきました。この仕事は本当に楽しくて、私にとって天職だと思ってました。

【写真】カメラを真っ直ぐに見つめるはるさん

24、25歳の社会人2年目の頃から、IBSの症状は落ち着いてきました。

それまでの14〜24歳ぐらいまでが症状のピークで、おならの量の多さや、ひどい便秘に10年間悩みました。

お腹痛いしおならが出るし、気にしていた時期もありましたが、もともとの性格は自分がやりたいことを絶対達成したいタイプ。さらに大学のコース選択での後悔がきっかけになり、IBSのことはもう横に置いて、後悔しないように生きよう、と決めていたので、以前ほどIBSのことを気にしなくなっていたと思います。

直接関係があるかどうかは定かではないのですが、症状が落ち着いた一つの要因として、働き始めて毎日がとても忙しかったからなのかなと思っています。10代の頃は、恥ずかしいので「学校のトイレでおならしたくない、うんちしたくない」と考えていました。ですが、大人になってそれがあまり気にならなくなったんです。

仕事があまりにも忙しくて、トイレで他の女性におならの音を聞かれてしまうことを恥ずかしがってる余裕がありませんでした。出しておかないと私も苦しいですし、仕事で迷惑をかけてしまうので、「我慢している場合じゃない!もう気にしない!」といった感じでした。

今振り返ってみると、若い頃は他人の目を気にしすぎていたなと思います。自分の我慢のキャパシティを、仕事のピークが上回ってしまい、気にしている余裕すらなくなった。それが私にとって、一つの転機だったのかもしれません。

【写真】ゆっくりと歩くはるさん

その後仕事に打ち込む中で、キャリアアップしたい、独立したいという向上心も抱いていましたが、なかなか転職に踏み出すことはできませんでした。そんな時に、2020年に新型コロナウイルスの影響で仕事が減ってしまったり、私自身も体調を崩したことなど様々な事情が重なり、退職を決意。独立して個人事業主になりました。

【写真】暗い路地ではるさんが立っている場所にはにライトが当たっている

会社を辞める前に、「IBSを本気で治したい」とアクションを起こした時期がありました。IBS当事者同士のオフ会に参加して食事療法のことを聞いたり、IBS関係の書籍を購入したりと、情報を集めて回って。

また、けっして安くないお金を払って、メンタルから自分を変えるためにセミナーに参加したこともあったんです。そのセミナーで自分を見つめ直す中で、気付いたことがありました。

転職に踏み出せなかったり、自信が持てなくて一歩踏み出せないのって、周りの人に「私がIBSであること」を打ち明けられないことと関係しているんじゃないか。

墓場まで持っていきたかったくらい、私は自分がIBSであることを人に言いたくなかったんです。次のステージに進むためにたくさん準備しても、その気持ちが最後の一歩を阻んでいたんだ、と気付いてしまいました。

IBSのことを、人に言ってみよう。

そう思い立ち、2020年の10月、大学時代の親友に電話して、IBSのことを3時間かけて大泣きしながら打ち明けました。

友人は私の話を受け止めてくれて、私はちょっとだけ肩の荷が降りた気がしました。これが本当に初めて他人にIBSのことをカミングアウトした経験でした。仕事に夢中になって、だんだんと症状も落ち着いてきたこと。IBSのことを他人に話して、気持ちが楽になったこと。そのプロセスを経て、本当の意味で「IBSに左右されない私」になれた気がしました。

他人に自分の弱さをさらけ出すことで返ってくるもの

親友に打ち明けてからも、まだ古くからの友人には恥ずかしくて言えませんでしたが、関係性的に言いやすい相手にはIBSのことを話せるようになってきました。

そうすると、「気が付かなかった、ごめんね」「それって社会問題だよね」など、優しくポジティブに受け止めてくれる反応がたくさん返ってきて。その頃、私はお酒好きが高じて、バーで日替わり店長をしていたんです。元々、カウンターで隣に座った人に話しかけて一期一会の会話を楽しむことも多かったので、思い切って「初めまして」のお客さんにはIBSのことを話すようにしてみました。

IBSって知ってます?

フランクに話題を持ちかけてみると、「知らない!何それ?」と興味を持ってくれる方がいれば、「大変だったね」「大丈夫?」などいろんな方がいました。そのうち「実は、自分も痔でさ……」「私もよくお腹痛くなって……」「自分はIBD(炎症性腸疾患)なんだよね」と、その人の悩みをポロッと話してくれることもどんどん増えてきたんです。

様々な反応があることを興味深く感じた私は、中学・高校時代の友達にも電話して、IBSのことを伝えることに。それによって、「実はあの時こうだったんだ」「症状のせいで迷惑かけてなかった?」と確認したり、友達からはフィードバックも聞けたりもして、当時のことを振り返ることができました。

【写真】赤い木の実に手を伸ばすはるさん

病気のことをシェアすればするほど元気になる自分がいて、なぜかパワーが湧いてくるんです。自分のウィークポイントも、それを伝えることで時には相手も悩みを開示してくれる。この体験はすごく新鮮でした。

悩んでいるのは自分だけじゃなかった。

私はそれまで、自分1人だけが悩んでいると思っていました。しかしそうではなく、一人ひとりに、まったく異なる悩みがあるということに気付けたんです。

この経験を、私だけに留めておくのはもったいないな。私だけ応援されて元気になるのはもったいない。

自分から行動を起こし、たくさんの人にIBSのことをシェアしていく中で、返ってくるフィードバックがポジティブなものばかりだったからこそ、そんな“おすそ分け”をしたいという気持ちが芽生えてきました。

“サイレント”な悩みをすくい上げるために、患者である私ができること

様々な経験を経て、私は2021年にIBS当事者が集まった団体である「IBS place」を設立しました。ただ、「団体を設立しよう!」と意気込んで生まれたのではなく、その必要性が出てきたから生まれたものです。

きっかけはその頃、当時一緒にIBSに関する活動をはじめようとしていた仲間と、管理栄養士が集まるコミュニティを運営している方にヒアリングへ赴いたことでした。

その方から私たちにIBSに関する講演依頼があり、その講演が結構好評だったんです。そして、春休み中に1回だけの予定が「講演、夏休みに追加であと5回お願い!」と頼まれて。

「必要としてもらえるなら、もうこれは団体にするしかないね」という話になったことから、団体設立に至りました。

IBS placeは「IBSで悩む人の場所をつくり、IBSの認知を広める」という理念を掲げ、主にIBSの方々同士での交流会(オフ会)の開催を活動の軸としています。IBSはデリケートな領域の悩みが多いからこそ、1人で抱え込んでしまいがち。そういった当事者の支えとなる居場所をつくることを目的としているのです。

参加者からは「参加して本当に良かった」「自分だけじゃなかったって気付けた」などの感想が多いです。私がそうだったように、10代の子だと特に、友達には病気のことを話せず、治療費などのお金を出してもらうために親にしか話していないというケースもあって。

他人に話してみたり、ちょっと肩の荷を降ろすきっかけを団体としてつくっていくことが大事だと感じています。

【写真】光射す緑の中、穏やかな表情でこちらを見つめるはるさん

オフ会をするときに意識しているのは、なるべく全員に満遍なく話を振るようにすること。もちろん話したくない人は話さなくてもいいのですが、事前に「話を聴く側として参加したい」とリクエストをもらっていても、様子を見ながら質問をしたりなど、もし話したくなった時は言葉にできるように、きっかけを促しています。

初めてオフ会に参加する人も多いので、もちろん最初はみんな緊張していてなかなか喋れません。ところが1時間くらい経ってくると、いろんな人がばーっとしゃべっている様子を見て、「私もしゃべってもいいのかな」ってほぐれてくるみたいで。実際そのつもりがなかったけれど、気づけば自分のことを話していたという人も多いです。

だんだん話したくなることもあると思うし、きっかけがないと言えないだけかもしれないので、1人残らずその気持ちをすくい上げるようにゆるいジャブを打ち続けていますね。

ちなみに私は、一対一で話す時にも、ひたすら傾聴に努めることが多いです。とめどなく喋ることができるタイプの人と、なかなかお悩みを吐き出せないタイプの人がいますよね。

いくつか質問を重ねたり、いろいろと違う角度で聞いてみたり。そうやって、症状や家庭環境のことなども含めて、その人のお悩みを立体的に把握できるように徹底して聴く側に回っています。

【写真】遠くを見つめるはるさん

IBS placeでオフ会を続けていくうちに、IBSだけではなく、他のなかなか人には理解されにくい症状がある方々とも繋がりができ始めました。

たくさん汗をかいてしまう多汗症の当事者をサポートする「NPO法人多汗症サポートグループ」や、わきがなど自分のにおいに悩む人が集まるカフェ「ゆあのあ」の方が遊びに来てくださって、すごく盛り上がったりして。

お腹の不調に苦しむ人、においに悩む人、多汗症で困っている人。その場に居たのは全然違う症状の人たちなのに、ともに語り合うことによって、症状とは別で“似たようなお悩み”があるという共通点が見えてきました。

そこで生まれた企画が、2023年3月に実施した3者の共同オフ会「サイレントなお悩み会」であり、イベント企画「サイレントなお悩みEXPO」へと発展していきました。その時に見えてきた共通点は4つ。

①世間にあまり周知されていない
②「周りに不快な思いをさせていないか」などと不安に感じることが多い
③理解されにくく恥ずかしさを伴う症状であるがゆえ、受診や再受診を諦めてしまう
④病気のことで頼りにすることができる団体や法人が少ない

「ただの“患者”である自分に何ができるのか」を考えた末にたどり着いた結論が、今までの当事者同士でのクローズな会ではなく、当事者の周りにいる人たちまで間口を広げたオープンなEXPO形式でした。

このサイレントなお悩みEXPOは、2023年8月に第1回目を開催。学生、医療従事者、教育関係者、IBS当事者の家族や知人などにまで輪が広がり、病気の有無の間にある垣根を取り払うような会になりました。

病気があっても、後悔のない人生を全うするために

症状で悩んでいる人に一番私が伝えたいことは、「後悔しないように生きたいよね」ということです。

IBSの人に多いのが、大学進学や就職活動といった人生における大切な選択の際に、何かを諦めてしまった経験。

私は親に頼み込んでドイツに行かせてもらいましたが、渡航中の飛行機や移動中のバスや電車などでおならをしてしまい、周りの乗客に迷惑をかけることもあったかもしれません。でも、多少ほかの人に迷惑をかけてでも自分のやりたいことを実現させたかったんです。だからこそ、IBSが理由で設計の道を諦めた後も、「本当は設計士になりたかった」と後悔し続けました。

それ以降、IBSのことは横に置いておいて、「自分が後悔しない方を選ぼう」と心に決めています。

【写真】遠くを見つめるはるさん

今の私はフリーランスとして働いており、ある程度自分で働く時間を管理し、休みたい時に休めるので、会社員時代よりすごく楽になりました。IBSのことは仕事で関わる方ほぼ全員に伝えて、理解してもらっていることもあり、フレキシブルに働けるようになったとも感じます。

お腹の調子が悪いときに、無理をすることもなくなりました。出勤があるときでも遠慮なく「お腹痛いので」と伝えて15〜20分程トイレに行かせてもらうこともあります。

取引先の方との打ち合わせの時に下痢症状が出てしまうこともありますが、その時も「ごめんなさい。お腹が痛くて下痢が酷いので、リスケしてもらってもいいですか」と正直に言っています。

ありがたいことにみなさんIBSを理解してくださっているので、「大丈夫?」「明日に変更しましょう」とすぐに調整し直してくれて。症状が出ても、コミュニケーションでなんとかなる環境になってきたことが嬉しいです。

また、私は最初の自己紹介の時点でIBS placeの名刺を渡すようにしています。そうすると、仕事を共にする相手に、IBSであることを理解した状態で接してもらえるんです。もし仮にミーティング直前で急にお腹の不調が来ても、すぐにスケジュール変更の調整に入るなど柔軟に対応してもらえるので、本当にありがたいです。

一期一会の出会い、“初めまして”を楽しみたい私だからこそ、入り口から私のアイデンティティを知ってもらえるような努力をして、お腹の不調を言いやすい環境を自分からつくっていくように心がけています。

最近ではコロナの影響もあり、挨拶のように「体調どう?」と尋ねる機会が増えたと思っています。そんな風に、お互いのコンディションを確認するところからスタートする関係性、コミュニケーションのあり方があってもいいのではないでしょうか。

「いきいきと社会に出られればいいのに」。寛容な社会への願い

IBS placeの存在目的を今年の春に決めました。

IBSのみんなが生き生きと社会に出られればいいのに。

これは、関わるみんなのwish(願い)のニュアンスを込めて作ったものです。この理念に沿うためには、IBSであっても楽しく生きている人の背中をいっぱい見せること。それが一番、悩んでる人の背中を押せるんじゃないか、その人が楽しく生き始めるためのきっかけになるんじゃないか。そう考えています。

だから、IBS placeの今後の活動は、IBSがありながら自分らしく輝いて生きている方を招いてのトークイベントや、IBSについてもっと深く学べる機会となるイベントを大学の先生や企業とも協力しながら開催していく方針です。

【写真】笑顔でこちらを見つめるはるさん

私は、社会がもっと寛容になるように、と願っています。

日本人は学校でも、家庭の中でも、「人に迷惑かけちゃいけない」という育てられ方をすることが多い気がするんです。そういう価値観や捉え方をしていると、人と一緒にいるときにお腹の不調が出てしまったとき、どうしても「IBS症状を持っている私が悪い」という思考になってしまいますよね。

実際、もしかしたら私も迷惑をかけているかもしれませんが、それを毎回わざわざ説明するのはやっぱり恥ずかしいです。

インドでは「人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」という考え方があるといいますが、すごく寛容だなと私は感じます。インドの価値観をそのまま取り入れれば良いというわけではないですけど、日本ももう少しお互いが寛容になれたらなと思います。

「人に迷惑をかけちゃいけない」という理由で諦めることなく、時には他人の力を頼らせてもらったり、周囲に理解してもらいながら、自分のやりたいことを実現させたっていいと思うんです。少なくとも私はそうやって生きているから、そんな人がいるんだって知ってもらえるだけでも嬉しいです。そうやって工夫することが、少しずつ自分の生きやすさに繋がっていきますよね。

そのためにも、 悩んでいるのはひとりじゃないことに気付いて欲しいです。IBSの人も、そうでない人も、みんなそれぞれ悩みながら、迷惑をかけながら生きているのだから、許しあえたらいいなと願っています。

そして、今まさに苦しんでいる人がいたら、伝えたいことがあります。

IBSであることは、その人を表す全てじゃない。

病気は私たちのアイデンティティのごく一部でしかないんです。それに気付いて欲しい。 「IBSがあっておならのにおいでくさいし、下痢や便秘などに悩まされている。それが自分だ」とは思わないでほしいです。もちろん、IBS以外のお悩みを持つ方も。

スポーツが得意、 料理ができる、会話が上手、リーダーシップがある、コツコツ努力できる、約束を守れる。1人の人間には、誰しも多面的な個性があります。

私自身も、IBS place以外ではアート系の団体で活動していたり、お酒が好きだからバーの日替わり店長をしていたりと、たくさんの自分にスイッチを切り替えながら生きています。IBSであることは、私にとってごく一部に過ぎません。

自分で自分を世の中にどう表現するのか、どんなパフォーマンスをするのか。

その人が育った環境から限られた選択肢しかないかのように感じてしまうだけで、人生はいつだって自分の意思で自由な選択ができる社会なのだと思っています。だから私は今、IBSであるかどうかにかかわらず、自分の意思で自由に選択できる社会にしたいという目標を掲げています。

IBSやさまざまな悩みで苦しんだ経験は、きっと糧になります。 私自身、粘り強さと忍耐力は、IBSで長く苦しんだからこそ得られたもの。

この記事を読んでくださった皆さんが、生き生きと社会で活動することを願っています!

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(撮影/水本光、編集/工藤瑞穂、企画・進行/小野寺涼子・松本綾香、協力/永見陽平)